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覚書通掲歎異抄第12条・第10条の金言 通掲の趣旨および資料頁へ←クリックOK! 本願を信じ念佛をまうさば佛に成る、そのほか何の學問かは往生の要なるべきや。
****************************************************** (柴田私釈)往生には『本願を信じて念仏すれば仏になる』これ以外なんの学問が必要というのか。 《しかし、どうしてもこの理が納得できないという人は、大いに学問して本願の中味を味わい知るべき である。》 ただし第10条に“念仏には無義をもて義とす。不可称・不可説・不可思議の故に”(不可思議の仏の 願からもたらされているので自己の思慮を加えず、意味付けしないことが大切。)とも記されている。 ****************************************************************************************** 自選作品の選考覚書 逐次追加中
作品10. 三色←作品へ戻るにはここをクリックOK! ⇑各ボタンクリックOK! MEMO 無分別(むふんべつ)・・・・思惟分別を超えた絶対平等の境地。 本願寺派・寶林寺HP参照 「無相解脱門」・・・差別の相をはなれる。 解脱門= 解脱に入るための三つの門)のひとつ 私編「仏道要集」より(原典不詳) 仏、須菩提に告げたもう 「およそあらゆる相は皆これ虚妄なり。 もし諸相は相に非ずと見るときは、 すなわち如来を見る。」 岩波文庫6285-6286「般若心経・金剛般若経」中村元・紀野一義訳注48頁より。 須菩提:原語ではスブーティ、釈迦の十大弟子の一人で、解空第一、 空性の理解にかけては最優秀とされている。 信号が赤であること、黄であること、青であることは、各々、 交通標識としては厳然たる事実である。 しかし、このような分別・区別を離れた仏教的観点に立つと、 1.諸行無常 2.諸法無我 諸法無我とは、すべてのものは因縁によって生じたもので、いかなる存在も 永遠不滅の実体を有していないということです。当時のインドでは、永遠不滅 の実体である「我」の存在を認めるのが常識でしたが、仏教はそれを否定しました。 3.一切皆苦 4.涅槃寂静 という「四法印」の第二にあるように、諸の法の一つである各色の信号 としての相(すがた)には実体が無い。 したがって、そのまま、ありのままが実はお念仏である、というのがこの詩の見方である。 法(ほう)梵語ダルマの訳で、全ての存在するものの意味と、存在の法則にもとづいて 為された教え、真理を意味する。仏法のこと。 作品10. 三色←作品へ戻るにはここをクリックOK!
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