自選作品の選考覚書    逐次追加中              

 

覚書通掲 歎異抄第1012条の金言

本願を信じ念佛をまうさば(ぶつ)成る、そのほか何の(かく)(もん)かは往生の要なるべき

まことにこの(ことわり)迷へべらん人はいかにも〜學問して本願の旨をしるべきなり。(第12条)

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(柴田私釈)往生には『本願を信じて念仏すれば仏になる』これ以外なんの学問が必要というのか。

《しかし、どうしてもこの理が納得できないという人は、大いに学問して本願の中味を味わい知るべき

である。》

ただし第10条に“念仏には無義をもて義と。不可称・不可説・不可思議の故に”(不可思議の仏の

願からもたらされているので自己の思慮を加えず、意味付けしないことが大切。)とも記されている。

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「作品96慟哭」が専ら「慚愧」を詠うのに対し、「作品123問答」では、

お念仏に遇った「歓喜」を主題としている。

 

以下、「拝読・浄土真宗のみ教え」(本願寺出版社・201131日第八刷)より。

ふりがなは要所のみとした。

 

(浄土真宗の)生活

親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称え

つつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧(ざんぎ)歓喜(かんぎ)のうちに、現世祈祷などに

たよることなく、御恩(ごおん)報謝(ほうしゃ)の生活を送る。(巻頭)

 

 

浄土真宗の生活信条(抜粋)

一、仏の恵みを喜び 互にうやまい助けあい、社会のために(つく)します(巻頭)

 

 

浄土真宗の救いのよろこび

如来の大悲(だいひ)に生かされて 御恩報謝のよろこびに 南無阿弥陀仏を称えつつ

真実(まこと)の道を歩みます  23頁)

 

宗祖親鸞聖人が 如来の真実(まこと)を示された 浄土真宗のみ教えを 共によろこび

広めます   3頁)

 

愚者のよろこび

阿弥陀如来は、「必ず救う、われにまかせよ」とよびかけておられる。そのよび声

を通して、確かな救いのなかにあることをよろこぶとともに、ありのままの私の

姿を知らせていただく。  

 如来の光に照らされて見えてきた私の姿は、煩悩に満ちみちた迷いの凡夫(ぼんぶ)

あった。確かなものなど何一つ持ち得ない(おろ)かな私であったと気づかされる。

 

親鸞聖人は、法然聖人より、

 愚者(ぐしゃ)になりて往生す

との言葉をうけたまわり、感慨をもってお手紙の中に記された。

 このような私だからこそ、救わずにはおれないと、如来は限りない大悲(だいひ)

注いでおられる。この深き恵みをよろこばせていただくより(ほか)はない。

2223頁)

 

報恩の念仏

阿弥陀如来は、迷いのなかにある私たちを哀れみ悲しまれ、そのままに

救いとるとはたらかれている。浄土真宗の救いは、この如来のはたらき

を信じる(こころ)(ひと)つで定まり、念仏は救われたよろこびが声となってあらわれ

出たものである。

 

親鸞聖人は仰せになる。

  ただよくつねに如来の(みな)を称して

  大悲(だいひ)()(ぜい)の恩を報ずべしと()

 

如来は私たちを救いとって見返りを求めることがない。はかりしれない

如来のこのご恩は、決して返すことのできない大いなる恵みである。私たち

は、ただそのご恩をよろこび、感謝の思いを念仏の声にあらわすばかり

である。これを報恩の念仏という。

 救いのよろこびを恵まれた者は、報恩の思いから、つねに南無阿弥陀仏

と念仏申すべきである、   2425頁)

 

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