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作品123問答←作品頁へ戻るにはここをクリックOK! 「作品96慟哭」が専ら「慚愧」を詠うのに対し、「作品123問答」では、 お念仏に遇った「歓喜」を主題としている。 以下、「拝読・浄土真宗のみ教え」(本願寺出版社・2011年3月1日第八刷)より。 ふりがなは要所のみとした。 (浄土真宗の)生活 親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称え つつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などに たよることなく、御恩報謝の生活を送る。(巻頭) 浄土真宗の生活信条(抜粋) 一、み仏の恵みを喜び 互にうやまい助けあい、社会のために尽します(巻頭) 浄土真宗の救いのよろこび 如来の大悲に生かされて 御恩報謝のよろこびに 南無阿弥陀仏を称えつつ 真実の道を歩みます (2〜3頁) 宗祖親鸞聖人が 如来の真実を示された 浄土真宗のみ教えを 共によろこび 広めます (3頁) 愚者のよろこび 阿弥陀如来は、「必ず救う、われにまかせよ」とよびかけておられる。そのよび声 を通して、確かな救いのなかにあることをよろこぶとともに、ありのままの私の 姿を知らせていただく。 如来の光に照らされて見えてきた私の姿は、煩悩に満ちみちた迷いの凡夫で あった。確かなものなど何一つ持ち得ない愚かな私であったと気づかされる。 親鸞聖人は、法然聖人より、 愚者になりて往生す との言葉をうけたまわり、感慨をもってお手紙の中に記された。 このような私だからこそ、救わずにはおれないと、如来は限りない大悲を 注いでおられる。この深き恵みをよろこばせていただくより他はない。 (22〜23頁) 報恩の念仏 阿弥陀如来は、迷いのなかにある私たちを哀れみ悲しまれ、そのままに 救いとるとはたらかれている。浄土真宗の救いは、この如来のはたらき を信じる心一つで定まり、念仏は救われたよろこびが声となってあらわれ 出たものである。 親鸞聖人は仰せになる。 ただよくつねに如来の号を称して 大悲弘誓の恩を報ずべしといへり 如来は私たちを救いとって見返りを求めることがない。はかりしれない 如来のこのご恩は、決して返すことのできない大いなる恵みである。私たち は、ただそのご恩をよろこび、感謝の思いを念仏の声にあらわすばかり である。これを報恩の念仏という。 救いのよろこびを恵まれた者は、報恩の思いから、つねに南無阿弥陀仏 と念仏申すべきである、 (24〜25頁) 作品123問答←作品頁へ戻るにはここをクリックOK!
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