覚書通掲歎異抄12条・第10の金言  通掲の趣旨および資料頁へクリックOK!

本願を信じ念佛をまうさば(ぶつ)に成る、そのほか何の(かく)(もん)かは往生の要なるべきや。

まことにこの(ことわり)に迷へべらん人はいかにも〜學問して本願の旨をしるべきなり。(第12条)

******************************************************

(柴田私釈)往生には『本願を信じて念仏すれば仏になる』これ以外なんの学問が必要というのか。

《しかし、どうしてもこの理が納得できないという人は、大いに学問して本願の中味を味わい知るべき

である。》

ただし第10条に“念仏には無義をもて義とす。不可称・不可説・不可思議の故に”(不可思議の仏の

願からもたらされているので自己の思慮を加えず、意味付けしないことが大切。)とも記されている。

******************************************************************************************

 一覧へ 続一覧へINEXへ

                                   各ボタンクリックOK!

自選作品の選考覚書    逐次追加中

作品283 作品頁へ戻るにはこちらをクリックOK!

初行の「長月(ながつき)」について

陰暦九月の別称  (三省堂「新国語中辞典」昭和424月版)

であって、ここでは全体の格調を整える為の枕詞(まくらことば)で特に意味はない。

夕空に飛ぶ鳥さえ、凡夫・愚鈍の私にお念仏を想い起こさせてくれる。という感嘆の作である。

飛ぶ鳥は、レーダー画面上の“点(a dot)”のように幾何学的に受容することができ、この意味

では地下・水中・地上・宇宙のあらゆる存在形態が、お念仏の種子であり、それぞれ、凝縮した

“点”としての認識からでさえ、弥陀ご誓願の凡愚私へのお念仏のお導きを賜っているのだと、

ご縁の有難さを想うことである。(柴田)

参考資料

(仏説阿弥陀経・仮鳥荘厳の部分の一部)
()()舎利(しやり)(ほつ)彼國(ひこく)常有(じょうう)種種奇妙雑色之(しゆじゆきみようざつしきし)(ちよう)白鵠(びやつこう)孔雀(くじやく)

鸚鵡(おうむ)舎利(しやり)、 迦陵頻伽(かりようびんが)共命之(ぐみょうし)(ちよう)。 ()諸衆(しよしゅ)(ちよう)昼夜(ちゅうや)六時(ろくじ)

(すい)和雅音(わげおん)其音演暢(ごおんえんちょう)五根五力(ごこんごりき)七菩提分八聖道分(しちぼだいぶんはっしようどうぶん)(によ)()等法(とうほう)

其土(ごど)衆生(しゅじよう)聞是音已(もんぜおんに)、 皆悉(かいしつ)念仏(ねんぶつ)念法(ねんぽう)(ねん)(そう)

「仏説阿弥陀経」(漢訳)岩波文庫「浄土三部経・下91頁」参照。

意訳

舎利弗よ、またかの極楽にはいつもめずらしい色彩の鳥がいる。

白鵠、孔雀、鸚鵡、舎利、迦陵頻伽、共鳴鳥などはその主なる

ものである。これらの鳥は、昼三時夜三時、ほがらかな音を出して

五根・五力・七菩提分・八聖道分などの仏道修行に関する尊い

真理の法を説いている。これを聞いて、その国の人々はみな仏を

念じ法を念じ僧を念ずるようになる。

     大原性実著「阿彌陀経講讃」 (永田文昌堂・昭和469月) 89 87頁部分引用。

このように、作品は「鳥さえも」と、姿と声を包括的に詠んでいるが、

では専ら(もっぱ)鳴き声に特化して示されている。しかし姿も当然、私のお念仏

を誘出せしめられる有難い御化導であり、作品に通じ、現世界に通じる

弥陀のご方便と承る次第である。のこの段はつぎのように結ばれて

いる。(柴田)

()諸衆(しよしゅう)(ちよう)皆是阿彌陀佛(かいぜあみだぶつ)(
)
欲令(よくりょう)法音(ほうおん)宣流(せんる)變化(へんげ)所作(しょさ)

「仏説阿弥陀経」(漢訳)岩波文庫「浄土三部経・下91〜92頁」参照。

意訳

これらの鳥はいずれも阿弥陀仏が教法を説きのべようと思い召して

(すがた)をかえてあらわされたものである。

大原性実著「阿彌陀経講讃」 (永田文昌堂・昭和469月) 89 87頁部分引用。

 

終二行目に「愚身に誘う」としているのは、わたしが勝手に意味付けを

しているにすぎないのではなく、鳥の(ほう)からお念仏を誘われている、

この事実までもが阿弥陀如来からの御誓願の大いなるお計らいである

との私の領解(りょうげ) を表わしている。

鳥の声の、一生物(いちせいぶつ)の声でない自身への伝わり方、自身の受け取り方、

について、説明に代えてweb事典より下記に引用させていただく。

客観的には意味を成さないが、主観的でこそ意味を生じ価値を享受し

得る世界である。(柴田)

山鳥のほろほろと鳴く声きけばちちかとぞ思ふははかとぞ思ふ(玉葉2627

【通釈】山鳥がほろほろと鳴く声を聞くと、あれは父かと思うのだ。あれは母かと思うのだ。

「行基 千人万首」『フリー百科事典 ウイキペディア日本語版』より2009527日引用。

 ホロホロと鳴く山鳥の声聞けば 父かとぞおもい母かとぞ思う。

これを使って、「鳥の声を聞いて亡くなった父や母を思い出すと言う歌があるのだよ。 

また(中略)、見える景色や鳥の鳴き声は、仏陀の教えがそこにあるんだよ 」と話した。

「無心について」『フリー百科事典 ウイキペディア日本語版』より2009527日引用。

文字の一部拡大・赤着色は柴田。

  一覧へIND

                                                 各ボタンクリックOK!

品283 作品頁へ戻るにはこちらをクリックOK!