覚書通掲歎異抄12条・第10の金言  通掲の趣旨および資料頁へクリックOK!

本願を信じ念佛をまうさば(ぶつ)に成る、そのほか何の(かく)(もん)かは往生の要なるべきや。

まことにこの(ことわり)に迷へべらん人はいかにも〜學問して本願の旨をしるべきなり。(第12条)

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(柴田私釈)往生には『本願を信じて念仏すれば仏になる』これ以外なんの学問が必要というのか。

《しかし、どうしてもこの理が納得できないという人は、大いに学問して本願の中味を味わい知るべき

である。》

ただし第10条に“念仏には無義をもて義とす。不可称・不可説・不可思議の故に”(不可思議の仏の

願からもたらされているので自己の思慮を加えず、意味付けしないことが大切。)とも記されている。

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 基調説明(柴田)

私宅の近くに「桃が池公園」があり、そこの、あまり広くない池には、よく

釣り人が糸を垂らして坐っている。その様子をを見て作った作品である。

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1.        かつて釈尊在世中、弟子たちが師の口伝(くでん)を受け、記憶し、後世に伝えた。

やがて釈迦入滅の後、その長期間多方面の説教の“結集(けつじゅう)”が行われた。

編集し伝えられた経典の冒頭に「如是我聞(にょぜがもん)」(このように私は聞いた)のような

語が置かれているのは、それを表している。

下って、親鸞の弟子・唯円が「耳の底に残っている」師の口伝を「歎異抄」

書き()(とど)めるなど、日本の各宗派においても、“聞く”ことの重要性は法を

伝える(伝法)そしてそれを受け継ぐうえに、基本になることは言を待たない。

仏法は、“聞く”ということで(なま)の「法の血」の輸血を受けて脈々と私や聞法者

に伝えられるのである。

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2. 2 文章伝道の盛んな今に至っても、講師の肉声によって、教団に身を置いて

私自身よりも仏と法(仏の教え)に心身を浸してこられた僧の生活から、まさに

ほとばしる(なま)の伝道をお聞かせにあずかる尊さ、有難さは、私に対する仏・法・

僧の三宝の流れの最終プロセスのお手次ぎとしてきわめて貴重なことである

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3.(ひるがえ)ってわが身を省みるとき、上述のような自解に拘わらず、実情は誠に

慙愧に耐えない。お手次寺や国内津々浦々で報恩講、彼岸会(ひがんえ)など機会は山ほど

開かれているが、私が聴聞する実績はゼロに近い。その裏返しとしてこの作品

308は、いまや自身貧聞の悲嘆・多聞希求の悲願を表白するものである。

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参考資料

 

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秘録わが実践(柴田)☆ (りん)住期(じゅうき)の私 

五木寛之いつき・ひろゆき著 「(りん)住期(じゅうき)(幻冬舎文庫 平成209月20日版参照

  古代インドでは、

   人生を四つの時期に分けて考えたという。

学生期(がくしょうき)」、「()住期(じゅうき)」、そして、(りん)住期(じゅうき)

遊行期(ゆぎょうき)」。

(りん)住期(じゅうき)」とは、社会人としての(つと)めを終えたあと、

    すべての人が迎える、もっとも輝かしい

      「第三の人生」のことである。

「林住期」こそ人生のピークであるという考えは無謀だろうか。私はそうは思わない。

前半の五十年は、世のため人のために働いた。五十歳から七十五歳までの二十五年間、

後半生こそ人間が真に人間らしく、みずからの生き甲斐を求めて生きる季節ではないのか-

林住期こそジャンプの季節、人生のクライマックスである。 

立松和平・表紙カバー解説(部分)

秘録・わが実践(柴田)   

下記対象者に関する記述は対象者本人の個人情報に配慮し口外無用に願います。

このpoetical namandabWEB頁でお念仏解説に係る他の各章はすべて知識に

依っていて、いわば仏教学生の学習発表のようなもの。いわゆる“学匠沙汰”にすぎない。

この小章だけが如来から頂戴している実修体験の披瀝であると申上げたい。 

(柴田)

 

1995年頃、極度のいじめに会っている人物を知り、以来相談に乗ってきたが、四年前に同氏の勤務先が倒産し、以来今まで、わたしの定年退職とその後5年のアルバイト終了を機にその求職活動をボランティア的に支援している。

 

本人の就業意欲はきわめて強いものの言語発音が極めて聞き取りにくく、何回聴き直しても理解出来ないほど意思疎通が困難、同行中は奇声に近い発声で、歩行もペンギンのような左右振り歩きでよく倒れ。周囲の注目を惹く状態である。。

 

◎肉親との面談の後、私と共に大阪府下の所轄市役所や障害者支援センターに相談したが、“家門が傷付く”との家族の不同意で障害者認定<療育手帳>を受けられず、ために専門的訓練も受けられず、困難の中で健常者と伍して求職活動をしている。家族への更なる説得も成らず身障者認定に同意が得られない以上、障害者自立支援法の諸施策=就労移行支援、就労維持支援・地域活動支援センター活用などの埒外に生きなければならない。本人も障害者蔑視・健常者並み志向が強く、差別的低収入に忌避感が強い。末通るまで尽力出来ない私はただ申し訳なさの毎日である。家族は厄介な自分が死ねば喜ぶ筈と言うことも聞いた。生命保険に入れられているのに、年金には加入したことがなく、将来受け取る見込みが無い。

自殺願望に駆られた若い頃の、内腕の“ためらい傷”の刃物跡を見せられたこともある。

 

 以来、私は出来る限り支援してきた。ハローワーク(公共職業安定所)数箇所へ何度同行しても、障害者扱いでなければと断られる。運良く紹介を得て或いは街に同道して求人掲示を探し、私がパソコンで求人を検索し、駅や街頭での就職情報誌を徹底チェックして電話するも、発音不明瞭で“外国人は採らない”と間違われたり、同行した面接先で即刻はねられる。

或る時は「入室の仕方からして駄目」と面談にも入れなかった。訓練しようという自己啓発意欲にも欠けている。

 

◎年中・連日のことで、その数すでに私にも数え切れない。新規求人と見ても実は過去に自分は不採用であったケースも“軒並み”と言えるほど目立ってきている。

 

◎実務能力は文章・理解・機器操作に至るまでほとんどゼロで、すでに40歳近くになって結婚の縁にも恵まれず、社会的にも独立の家庭生活もともに困難がある。どんな業界であっても、企業と従業員の生命を賭け血眼の工夫と努力を注いで、日々生き残りを計っているときに、儲けの原資になれない構成員を1人たりとも採ることは経営上許されない。大阪府の現在の最低賃金は時給748円(090711読売紙)で、言いにくいが当人が採用されてこれだけの時給を与えてペイするだけの利益を叩き出せる職場があるか疑問である。実勢は800円を超えるなど、上回るのだからなおさらである。本人には勤労意欲は大いにあるものの、雇用側の費用対効果の点を本人はは理解出来ていないかのようである。

 

◎しかも家では“稼げ、稼げ”と毎日のように容赦なく責められるらしく、家の中で居心地が悪い。

このような状態が続くことで本人は心の傷が鬱積している。駅や町で特にラッシュアワーともなれば津波のような勤め人の洪水の渦・・・圧倒され続ける情けなさ悔しさで本人の頭は割れんばかりになる。

 

◎その結果であろうか、精神・性格的にも不安定に傾いている。同行する私に公衆の中で“ジジイ”“阿呆・馬鹿・間抜け・てめえ”と大声で言う。些細なことを捉えて徹底的に責める。体内時計に従いマイペースで、時間を守れない。遅くまで私を帰らせようとせず、必ず毎日会いに来いと言い、私の事情・都合は理解することを拒否する。。

 

わたしの腕を、紫色のあざが出来るほどつねる。頭のてっぺんを叩く。耳をめがけて顔の真横から張り手を喰らわせる。このときは鼓膜に空気圧がまともに加わって、バーンという衝撃が来る。ために毎朝、目覚めると快晴でもザーザーと雨降りのような耳鳴りがする、手加減が無い怖さがあり、電車の大勢の乗客の中でも周囲を憚らぬこれらの言動で、人々が振り向くのである。

 

◎大阪梅田地下街の雑踏で、案内パンフレットを、置き場所から取って周囲の通路に散乱させたときは、

何人もの人が足をとめて、黙って拾い集めて元へ戻して下さった。

私の帽子を一度はホームから線路へ投げられたし、最近はビルの人が待つエレベーターの前で、帽子を

サッカーボールのように蹴られた。

電車内で言動を見かねて「よく付いてあげてくださいね」と、そっと私に囁いて降りて行かれる年輩女性もあった。

 

◎上述の日常的乱行は、これまで同君自身が受けてきた“いじめ”の潜在意識下の記憶と、現況の不遇に直面しての発現であろう。

感情の起伏が甚だしく行動がコントロール出来ない、衝動的・発作的な現象である。私の対処法としては、時に反射的に防戦してしまうこともあるが、たしなめつつ嵐の通過を待つ。売り言葉に買い言葉とか、ましてやカッとなって報復するなどは厳に慎まねばならない。

 

本人の落胆の連続による“鬱症状”を回避すべく、一日のうちコーヒータイムを持ったり、時折、アサヒ・サントリーなどビール工場見学等へ同行したりしてストレス解消にも努めるのだが、ハラハラさせられる行動が多く、私の神経が張りつめる。。

 

◎「会者定離」(会った者は定んで別れが来る)無常の法理が廻ってくるまで逃れられない。などと被害者意識を持つべきではない。却って、菩薩がひとをさとりに導かれる4つの方法「菩薩の四摂法」を具現すべきである。

 

A   施(ふせ)・・・当人が必要とする物事をを私なりに出来るだけ叶える。

A愛語(あいご)・・・・・「よくやった、また次の機会みも頑張ろう!」等と言う。

B利行(りぎょう)・・・・同君にとって利益になるよう取り計らう。

B   事(どうじ)・・・・・同君の就活達成の目標のもと、時間の許す限り、共に行動をする。、

 

◎またこのことは、仏教の伝統的教えに含まれる六波羅蜜(悟りに到る六つの要素=六度)すなわち、迷いの世界を渡って仏の証の彼岸に到るべき六つの菩薩行を想起せしめられる。@布施、A持戒、B忍辱、C精進、D禅定、E智恵、である。

 

@は敬愛の情・行動を施す。

“恐れ無きを施す=無畏施(むいせ)”も重要。

A節度を保った対処。

B周囲や私自身に対する付合いでの、はずかしめに耐え。柔和忍辱(にゅうわにんにく)に徹する

C一生懸命に協力する。D他人を幸せにする自己の信念をブレさせないEよい方策を模索し、発見し、実践する。

 

◎また、法華経の“常不軽菩薩品(じょうふぎょうぼさつほん)”に説かれる同名の菩薩の生き方を想う、周りの人々をことごとく礼拝讃嘆して、「われ深く汝らを敬う。あえて軽んじない。何故か。汝らは皆、菩薩行を行なって、まさに仏になる人であるから。」と言い、悪口雑言や木・石で打たれても、なおこの言葉を声高くとなえて止まなかったという心に学びたいと思う。

 

今年(2009年)の求職事情は悲惨なものだ。世界的不況からくる社会問題として、内定取り消し、派遣切り、リストラ等々、一般の求職者さえ喘いでいるとき、明白なハンディがありながら健常者として就職しようとするのは、針穴から入るより困難である。

ハローワークは求職者で室外・館外まで溢れている。駅やターミナルなど、目ぼしい箇所に並べてある無料の求人広告誌

(シティアイデム、DOMO,フロムA、タウンワーク、ワーキン、an 等々)は、毎週ずらり補充されるのにその日の夕方ほとんど空っぽになる。各誌のページ数も以前に比べ薄ぺらく内容が激減、廃刊や置き場所のリースを返却撤退して減らしている。

 

こんな中、本人はひとえに私の力添えを期待して、毎月定期券を買い、あるいは現金で、毎日、十幾つの駅を経て大阪へ来る。

本人の心境として、私以外に頼れる友人・知人も無く、私一人“余人を以て替え難い”重要な存在として定着しているようだ。

 

私事ながら私の長男はバブル期に他の数々の会社を断って東証一部上場企業に入社し、長女も大企業の優秀社員に嫁し、何れも一子を得ている。私自身、数多くの先生・同輩・社会の一方ならぬお引立てを頂いて現在に至る。此れらから考えてもこの人物の将来を思うと見過ごすことは出来ない。この固定化されたかにみえる人間関係はまさに私の、逃れ得ぬ宿業・宿命と受け止めている。

 

◎只々、私の力不足で安定就職という所期の結果が得られていない。見通しも心もとない。かと言って有効な社会的糸口を探せてもいない。本人の可能性の発見・開発の場を見付ける努力、或いは人々に呼びかけてのネットワーク作りにも着手しない。この状況では、私自身の独善的怠慢により、本人に徒労の日々を過ごさせているに他ならないという自責意識も猛省のたねである。

 

1.  阿弥陀如来は凡愚わたしの救済のため今現在働き給う。同君は阿弥陀如来のこの御意志を私に具現されつつある脇侍、

観世音菩薩様であって、ゆめゆめこの御尊縁をおろそかにしてはならないと思う。日常の同行状態がはた目に対して恥ずかしいのは私の煩悩によるのであり「およそあらゆる相(すがた)は皆これ虚妄(こもう)なり。もし諸相は相に非(あら)ずと見るときは、すなわち如来を見る」という法文もあるとおり,如(真実)より来たり給うお念仏を頂戴している私である。

同氏の存在を、正直“迷惑”と思う毎日であるが、真理にくらく迷いかつ惑う存在である凡夫・私を、迷惑と見ず見放すことなく却ってお目当てとして、常に無限の光を注いでやまれない、私ある限り働き詰めである阿弥陀様を拝すると、これは私の身勝手というものだ。

 

2.  この現実有ってこそ、娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう=この世・わが生活がそのまま仏の世界)と、お念仏申されるのである。

同氏は「発達障害」の一種かとも思う(09.06.18読売紙を見て)が、私はカウンセラーや心理療法士的素養も資格も無く。ただ良い結果を求めて、定年後の“林住期(りんじゅうき)”の余生をさいて同氏との時間に捧げており、結果、自由な行動もであるが、先ず聞法・聴聞ができていない。余談ながら私自身は国立病院に通う、心臓血管内科の「身体障害者一級」の障害者手帳を持つ身で、午後前半にかけては体力・免疫力維持のため日に12万歩(医師の勧めで現在一万数千歩)の歩行につとめ、町内会役員として若干の御用を務めながら週3回午前中は老人の集りでゲートボール会場の設営とゲーム参加をする。これらを言い訳として聞法から逃げ、お聞かせにあずかる機縁を退けている。慙愧のきわみである。

 

3.  本章を独立の一編としたいとも思ったが、対象者がクローズアップすることで差別的見方・個人情報侵害になり、本人の名誉にもかかわり、さらには私の手柄話とさえ受取られかねないことを恐れ、敢えてこの頁を割き、字も小さくして開陳したところである。

 

4.    本人はお寺、ましてや仏教や宗教の話も乗り気でない。西本願寺津村別院=北御堂(きたみどう:大阪市中央区・御堂筋沿い)の法座に数回同道ししたが、その後、行きたいといえば喜んで同行したいのに、行きたくないという。やはり和と静寂と法悦の法座のなかで溶け込めず、少なからず注目を惹いた。興味が続かない。雰囲気に配慮しないで、がさがさする。例えば周囲の方から勧められた座布団をぞんざいに扱うなど。場内の御同朋にとって講師のお話よりこの人の様子が気になるほどであり、周囲のこれらのご迷惑を考えても同道出来ないでいる。。

 

◎同君の希望により、今やろくに読みもない週刊の無料求人誌(前掲6誌等)各210余部を入れたスーツケース(キャリーバッグ)を常時曳かされるなども含め、 私に被害者意識が起きるのは情けなく申し訳ない。気付かないけれど私の人生においての、実は途方もなくかけがえのない存在であり毎日であるに違いないと想うと、ただただ勿体無いと報謝に及ぶ他無いわたしの林住期である。 (柴田)

 

同君に対するわたしの対応の心得。

「十七条憲法第十条」(聖徳太子)第十条の一部

フリー百科事典「十七条憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)-現代語訳付き 09.08.05一部引用。行変え・後略:柴田。

読み下し

十に曰わく、忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄()て、人の違(たが)うを怒らざれ。

 

人みな心あり、心おのおの執()るところあり。彼是()とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫(ぼんぷ)のみ。

 

是非の理(ことわり)なんぞよく定むべき。相共に賢愚なること鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。

 

ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖(いえど)も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。(後略

 

十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったこと

をしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。

相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。

自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。

そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚か

でもある。それは耳輪には端がないようなものだ。

こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。

(後略)

H22年5月27日検査に伴う現状補足。

上記当人は病的症状につき母親の勧めで病院で頭部MRI検査(磁気共鳴という物理現象を応用し、頭蓋内の水素原子核からの信号をとらえて頭蓋内の断面を画像化する検査)を受診した結果、診断された病名を私に知らせて、パソコンで調べてほしいという。母親も希望しているというので、早速、病名から検索した。或る配慮から注意深く取捨選択した内容をプリントアウトして、6月4日に説明し、手渡した。その内容に沿って下に記す。

(尚、6月5日には、母親から是非にとの要望があると本人から要請あり、約35枚のプリントを母親宛と念押して手渡した。)

 

□□○○△△症(個人情報抵触のため特に秘す・柴田)

運動失調を主な症状とする神経疾患の総称で特定疾患に認定されている。また、介護保険における特定疾病でもある。罹患頻度は10万人に5〜10人程度と推定されている。

非常にゆっくりと症状が進行していくのが特徴。10年、20年単位で徐々に進行することが多いが、進行の速度には個人差がある。

 

当人を観察して私(柴田)が個人的に思い当る症状(二つの下線)

症状 [編集]

運動失調の症状

歩行障害:歩行時にふらつき、転倒することが多くなる。症状が重くなると歩行困難になる。

四肢失調:手足を思い通りに動かせない。箸をうまく使えない。書いた字が乱れる。症状が重くなるとものを掴むことが困難になる。

構音障害:ろれつがまわらなくなる。一言一言が不明瞭になり、声のリズムや大きさも整わなくなる。症状が重くなると発声が困難になる。

眼球振盪:姿勢を変えたり身体を動かしたりした時、ある方向を見た時、何もしていないのに眼球が細かく揺れる。

 

姿勢反射失調:姿勢がうまく保てなくなり、倒れたり傾いたりする。(2011年晩秋には駅構内で度々転倒し起き上がれず、周囲の人の協力を得て立たせた。

数日後、私に会いに来る途中に転倒したようで、手首を捻挫し鼻に打撲傷を受け血を出し前歯が二本欠けてしまった。

私もやっと諸般の危険を強く感じ、電車で出てこないよう説得、本人も「外出が怖い」と、2012年1月現在出てこないでいる)

 

非常にすばやい動きをする。自分の意志とは無関係な運動を起こす。具体的には、急に物を投げるような動作や立っている状態で急に転倒するなどがある。

舞踏運動:踊っているような動きに見える。

           以上出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(goo検索)より抽出10.06.05

(上記昨秋までの状況)

依然として社会的には私以外に頼る人が居ないので、盆・正月・五月の連休以外は、本人の希望で原則として毎日求職活動に同道する。上記診断を受ける以前から、リハビリ的な歩行訓練を期して、見通しの厳しい就活から歩行訓練に重点を移して同道している。

 

私単独では何年にも亘って1万歩超〜2万歩の歩行を日課としており、ちなみに直近1ヶ月の歩行実績は下記の通りであり、連日このほぼ半分は午後からの同道である。

検索資料によっても、脚の継続的運動によって症状の進行を緩和することができ、今後も同人のクオリティー・オブ・ライフ(生活の質)維持向上のため不可欠の療法ということなので、同行することで力添えを続けたい。

(柴田)

                                      

私の直近1ヶ月の歩数(自ら携帯の歩数計付き携帯電話K003au=の記録による)

2010

56日 12,899    516日 12,555   526日 13,333   

   7  10,286     17日 16,369     27日 14,026

   8  14,850     18日 14,848     28日 19,845

   9  14,071     19日 11,047     29日 13,540

  10  13,762     20日 11,597     30日 12,234

  11  12,690     21日 19,992     31日 21,885

  12  16,371     22日 14,017    61日 15,184

  13  13,244     23日 11,544      2日 19,108

  14  18,886     24日 12,795      3日 20,559

  15  13,716     25日 14,867      4日 16,189

                            5 13,512

付記:2012年初頭現在まで毎日、同程度の個人的歩数を保っている。

 

 

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