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アインシュタインも、「人の英知は神秘なものを心に感じて生れる。この神秘なるものを
感じる心が、宗教や芸術のみならず、科学を産みだす源泉である」と言った
しかし現在は自然科学が余りにも発達したため、自然科学の成果に心を奪われ、自然科学
の動機になった驚き、自然科学が強くした驚きには不感性になるものが多い。(中略)
自然科学の進歩によって、迷信としての神が消え去り、それとともに自然界に不思議もなくなった
と思うならば、それは大それた思いちがいである。それどころか、自然科学が進歩するほど、
自然現象は、ますます不思議なものとなったのである。自然現象は、せんじつめれば、不思議
ならざるものはない。
宇宙は不思議に充ちており、神秘そのものである。 同上33〜34頁
自然科学は自然現象だけを扱うもので、一切の存在を研究するものではない。自然科学で
研究されないものは、他にないと言うことはできない。
人間の価値の別とか、理想の実現とかは、日常我々が経験していることで、これは厳然たる
存在であるが、自然科学では、それを無視する。
自然科学はまた、人間の経験の或る見方にすぎない。事物の或る面や性質を抽きだし、それに
よって事物を捉えることを抽象というが、自然科学も、多数の事物に共通な性質を抽象して研究
するものである。
言いかえれば自然科学は、普遍的なものの普遍的関係だけを対象にするものである。
然るに人生観は抽象的と反対の具体的に、人生そのもののありのままを見ようとすることである。
以上を考えると自然科学からの人生観は、唯一のものでないことは勿論、まちがいであるとしなけれ
ばならぬ。
さらに重要なことは、自然科学が理想を持つことである。その研究は完成を目的とし、理想に向って
の活動であり、研究させるのは理想を追う熱意である。
すると自然科学でも、、人間を単に自然物としてでなく、理想を実現するための存在物と考える
のである。
人間はほんらい、内から発展しなければ止まないもので、そのために理想を持っている。
人間は本能の満足というようなことでなく、内部的発展のために、理想を実現しようとする
もので、それが人間の生命である。
つぎに、自然科学の研究は、自然界の真理を追究するためであるが、人生にも真理が
ある。人間はまた、道徳の善、芸術の美、宗教の信を理想として実現しようとするもので
ある。それも内面的発展のためであり、その活動に自己を捧げることが、人間としての
本分である。
以上で自然科学の真の意義が明白になる。自然科学者は実用を考えず、ひたすら真理
の研究に身を捧げ、小なる我を棄てて、敬虔な心で実在の一面である自然と一つにならね
ばならぬ。それによって科学者としての使命を全うすることができるのである。
同上35〜36頁
ここまでの抜書きを著者、故 原田三夫先生に捧げます。
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