覚書通掲歎異抄12条・第10の金言  通掲の趣旨および資料頁へクリックOK!

本願を信じ念佛をまうさば(ぶつ)に成る、そのほか何の(かく)(もん)かは往生の要なるべきや。

まことにこの(ことわり)に迷へべらん人はいかにも〜學問して本願の旨をしるべきなり。(第12条)

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(柴田私釈)往生には『本願を信じて念仏すれば仏になる』これ以外なんの学問が必要というのか。

《しかし、どうしてもこの理が納得できないという人は、大いに学問して本願の中味を味わい知るべき

である。》

ただし第10条に“念仏には無義をもて義とす。不可称・不可説・不可思議の故に”(不可思議の仏の

願からもたらされているので自己の思慮を加えず、意味付けしないことが大切。)とも記されている。

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前編 続

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第一首目  弥陀(みだ)をたのむひと、至心(ししん)(しょう)す  ()(ぎゃく)謗法(ぼうほう)、なお摂す

@         A         B

このフレーズに於ける主語は「阿弥陀如来」であり、この如来さまが

たのむひとを至心に摂取し給い、また、五逆・謗法を犯す者をも、摂取

したまうという作意である。

また、「たのむひと」は私(達)であり、AおよびBで、摂取しようと

の阿弥陀如来のお目当てが、まさしく私(達)にほかならないことを示す。

 

上掲のように@〜Bに分け、この順に説明を展開したい。(柴田)+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

下記予備資料}出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(10.05.18柴田)

四十八願 (しじゅうはちがん)とは、浄土教の根本経典である『仏説無量寿経』(康僧鎧訳)

「正宗分」に説かれる、法蔵菩薩[1] が仏に成るための修行に先立って立てた48の願のこと。

(中略)浄土宗浄土真宗などの浄土教系仏教諸宗では、特に「第十八願」を重要視する。

 

第十八願 [編集]

  • 願名…念仏往生の願選択本願本願三心の願至心信楽の願往相信心の願

原文設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺

唯除五逆 誹謗正法

訓読たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれん

と欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を

誹謗せんをば除く。

意訳…わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国[4]

 に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができない

ようなら、わたしは決してさとりを開きません 。ただし、五逆の罪を犯し

たり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。

『浄土真宗聖典 浄土三部経』本願寺出版、1996年、29頁より引用)

 

@ 弥陀をたのむ

 

 

弥陀()たのむは他力の信 弥陀()たのむは自力の信

「法話昭和 56 年 (1981) 真宗教団連合HPより。(印、柴田)

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◎ふたごころなく如来をたのむこころの、ねてもさめても(おく)(ねん)(しん)つねにしてわすれざるを、

本願たのむ決定(けつじょう)(しん)をえたる信心の行人(ぎょうにん)とはいふなり(御文章1-2

◎これによりて『大経』(下)には「易往而(いおうに)無人(むにん)」とこれを説かれたり。この(もん)のこころは、

「安心をとりて弥陀を一向(いっこう)にたのめば、浄土へはまいりやすけれども、信心をとるひと

まれなれば、浄土へは往きやすくして人なし」といへるはこの経文のこころなり(御文章2-7

◎されば南無阿弥陀仏と申す六字の(たい)はいかなるこころぞといふに、阿弥陀如来を

一向にたのめば、ほとけその衆生をよくしろしめして、すくひたまへる(おん)すがたを、この

南無阿弥陀仏の六字にあらはしたまふなりとおもふべきなり(御文章3-4

  しかればこの阿弥陀如来をばいかがして信じまいらせて、後生(ごしょう)の一大事をばたすかる

べきぞなれば、なにのわづらひもなく、もろもろの(ぞう)(ぎょう)(ぞう)(ぜん)をなげすてて、一心一向に

弥陀如来をたのみまいらせて、ふたごころなく信じたてまつれば、そのたのむ衆生を

光明を放ちてそのひかりのなかに(おさ)()れおきたまふなり(御文章3-4

◎そもそも当流にたつところの他力の三信といふは、第十八の願(大経・上)に

「至心信楽欲生我国」といへり。これすなはち三信とはいへども、ただ弥陀をたのむ

ところの行者(ぎょうじゃ)帰命(きみょう)一心(いっしん)なり(御文章4-1

◎されば弥陀をたのむ機を阿弥陀仏のたすけたまふ法なるがゆゑに、これを機法(きほう)一体(いったい)

の南無阿弥陀仏といへるはこのこころなり(御文章4-11

◎さればわれらごときの愚痴(ぐち)(あん)(どん)の衆生は、なにとこころをもち、また弥陀をばなにと

たのむべきぞといふに、もろもろの(ぞう)(ぎょう)をすてて、一向(いっこう)一心(いっしん)に後生たすけたまへと弥陀を

たのめば決定(けつじょう)極楽に往生すべきこと、さらにその疑あるべからず(御文章4-14

◎南無の二字は衆生の弥陀をたのむ機のかたなり。また阿弥陀仏の四字はたのむ

衆生をたすけたまふかたの法なるがゆゑに、これすなはち機法一体の南無阿弥陀仏

と申すこころなり(御文章4-14

  このほかにいろいろの法門どもありといへども、ただ一念に弥陀をたのむ衆生は

みなことごとく報土(ほうど)に往生すべきこと、ゆめゆめ疑ふこころあるべからざるものなり

(御文章5-6

◎されば一念に弥陀をたのむ衆生に無上(むじょう)大利(だいり)の功徳をあたへたまふを、発願(ほつがん)回向(えこう)

とは申すなり(御文章5-13

  さればその信心といふは、いかやうにこころをもちて、弥陀をばなにとやうにたのむ

べきやらん。それ信心をとるといふは、やうもなく、ただもろもろの(ぞう)(ぎょう)(ぞう)(しゅ)自力(じりき)

なんどいふわろき心をふりすてて、一心にふかく弥陀に帰するこころの疑なきを真実信心

とは申すなり(御文章5-15

やうもなく  衆生の方よりは何のはからいもなく。

  余行をすてて念仏をするは、阿弥陀仏をたのむこころのひとすぢなるゆゑなり、これ至誠心なり

(後世物語)

  他力といふは、弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあづかるなり(蓮如上人御

一代記聞書1

聖教(しょうぎょう)をよくおぼえたりとも、他力の安心(あんじん)をしかと決定(けつじょう)なくはいたづらごとなり。弥陀をたのむ

ところにて往生(おうじょう)決定(けつじょう)と信じて、ふたごころなく、臨終までとほり候はば往生すべきなり

(蓮如上人御一代記聞書12

安心  信心。  往生決定  お浄土参りの定まったこと。

 「毎日の浄土真宗」HPおよび「親鸞聖人七百回大遠忌記念出版昭和48111日第十版「真宗聖典」永田文昌堂発行を参照。10.05.17(柴田編集・着色)

 

A 至心に摂す

 

他力回向

 「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。
 至心に回向せしめたまへり。かの国に生ぜんと願ぜば、すなわち往生を得、不退転に住せん」

【注釈版聖典212頁・本願成就文】

説明: 説明: http://www2.synapse.ne.jp/syouhukuji/10a10.gif

 上の御文は『大無量寿経』下巻の本願成就文で、第18願が衆生に届いた状態を説明しています。
 「あらゆる衆生が、阿弥陀仏の名号を聞いて心に信心を得て、歓喜して一声余りの念仏を称えます。その称名念仏は、阿弥陀さまが至心(まごころ)をもって衆生に回向せられたものです。阿弥陀仏の浄土に往生しようと願えば、現世(このよ)において往生が決定し、不退転の菩薩の位につくことができます」という意味です。
 原文の「至心回向」は、従来は、「至心に回向して」と読み、衆生が真心をもって仏に回向する、「自力回向」と解釈されていました。
 ところが、親鸞さまはこれを至心に回向せしめたまへり」と読みかえられ、阿弥陀仏が我々衆生に向って回向してくださる、「他力の回向」であるとされました。
 つまり、衆生⇒仏(自力回向)を仏⇒衆生(他力回向)と回向の方向を全く逆にして、自力回向から他力回向へと方向変換されたのです。


◆即得往生、住不退転
 本願成就文の解読には、他力回向のほかにもう一つ大事な教義が説かれています。
 それは「すなはち往生を得、不退転に住せん」という二句、「即得往生、住不退転」の解釈です。
 普通に読めば「信心をいただいて念仏し、浄土へ生まれたいと願えば、やがて(死後に)往生して、(浄土にて)不退転の菩薩に住するであろう」という意味になります。
 ところが親鸞さまの読み方はそうではありません。
 『一念多念文意』2「即はすなはちといふ。ときをへず、日をもへだてぬなり。また即はつくといふ、その位に定まりつくといふことばなり。・・・・・とき・日もへだてず、正定聚の位につき定まるを『往生を得』とはのたまえるなり」と記されています。
                    【注釈版聖典678頁】
 従来、死後のことと考えられていた「往生」が、ここでは信心を得た「信の一念」において、往生が確定し、日時を経ることなく即座に、菩薩と同じ位(正定聚の位)につく、という意味になっています。
 言い換えますと、死後の往生が、現世の往生確定へとタイムスリップし、浄土に於いて与えられる不退転の菩薩の位が、現生正定聚になって、何れも信の一念に回向されるという、実に画期的な教義が展開されている訳です。

寶林山 正福寺 様HPより10.05.17

 

至心に回向せしめたまへり

出典: 浄土真宗聖典プロジェクト『ウィキアーカイブ(WikiArc)』至心回向したまへり

 通常は「至心に回向して」と読む。親鸞聖人は、阿弥陀如来の義をあらわすために

このように読みかえられた。(大経 P.41, 信巻 P.212, 浄文 P.478, 三経 P.626)

 出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社)
 出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社)
 第一版文字データは山口教区都濃西組 浄信会版CDから転載しました。

 

 

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十方(じっぽう)微塵(みじん)世界(せかい)の 念仏(ねんぶつ)衆生(しゅじょう)をみそなはし

 

   摂取(せっしゅ)してすてざれば 阿弥陀(あみだ)となづけたてまつる

(浄土和讃、註釈版571頁)

現代語訳

十方の数限りない世界にいる、念仏の衆生をご覧になり、その者たちを光明の中に

摂め取って捨てることがない。それゆえに阿弥陀如来と申し上げるのである。

全体の味わい

念仏の衆生を照らす光明のはたらき(摂取不捨の徳)が、阿弥陀如来の名前の由来

であると詠われています。言いかえれば、阿弥陀如来が阿弥陀如来である由縁は、

摂取不捨の徳にあると示して、そのはたらきを讃えられたご和讃です。
如来の光明のはたらきを讃嘆するとともに、私たちがその光のなかにあって、大きな

安心を恵まれていることを喜ばせていただきましょう。

み教えのポイント

摂取不捨は信心の利益

·         摂取不捨の利益は、他力の信心を得るところに恵まれる利益である。

·         これを『教行信証』には「心光常護の益」と言われて、他力の念仏者が

現生に獲る十種の利益(現生十益)の一つとして示されている(註釈版251頁)

·         如来の光明に照らされるとは、如来のお心(大慈悲心)のうちに摂め取られ

ることである(註釈版659頁参照)

·         『親鸞聖人御消息』には「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の

位に住す」(註釈版735頁)と示されている。今ここで確かな救いのはたらき

(摂取不捨)に出遇っているからこそ、必ず浄土に生まれ仏となることに

定まった身(正定聚の位)となるのである。

摂取の光明と衆生の煩悩

·         如来の光明に摂め取られたならば、私たちの側からその光を見ることが

できるようになるとか、ただちに煩悩から解放されると考えることは誤り

である。

·         「正信念仏偈」には衆生の煩悩が雲霧に、如来の光明が日光にたとえて

示されている。私たちには見ることができなくとも、如来の光明は私たち

の煩悩に遮られることなく今ここに届いて私たちを摂め取ってくださって

いる。この他力信心のありさまが「雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし」

(註釈版204頁)と示されている。

法話作成のヒント

摂取不捨のはたらきを讃嘆する

·         阿弥陀如来の摂取の光明は、左訓に「ひとたびとりて永く捨てぬなり」

(【語釈】「3.摂取」参照)とありますように、一度その光のなかに

摂め取ったならば、決して捨てることのないはたらきです。私たちを浄土に

生まれさせるその時まで、如来の心はつねに私たちへと向けられています。

·         同じく左訓には「摂はものの逃ぐるを追はへとるなり」(【語釈】「3.摂取」

参照)とあります。如来の心は、真実の世界を求める者だけに向けられる

のではありません。むしろ、真実から背を向け愛憎のなかに沈む凡夫をこそ

救わずにはおれないというのが、如来の大慈悲心です。「七子のたとえ」と

併せて味わうことができます。

光明に照らされた人生を語る

·         摂取の光明に照らされた人生は、大きな安心を恵まれた人生です。何が

起こるか分からないこの人生のなかで、如来がいつも私たちを見守って

くださっていることのありがたさを味わいましょう。

·         如来の光明に照らされた人生は、ただ死んでむなしく終わる人生では

ありません。たとえどのような境遇にあっても、私たちの人生には仏と

ならせていただくという尊い意味が与えられています。

語釈

1.  十方
東西南北の四方、北東・南東・南西・北西を加えた八方、そして下方、

上方をあわせた方角のこと。

2. 微塵
一つには非常に小さい物質のこと。二つには細やかに砕かれたものの

ように数の多いことを意味する。今は数の多いことをあらわしている。

高田専修寺蔵国宝本の左訓には「コマカナルチリ」(原典版解説・解説241

とある。

3.  摂取
如来の光明の中に摂め取られること。高田専修寺蔵国宝本の左訓には

摂めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり摂はものの逃ぐるを

追はへとるなり。摂はをさめとる、取は迎へとる(オサメトル 

ヒトタヒトリテナカクステヌナリ セフハモノヽニクルヲオワエトル

ナリ セフハオサメトル シユハムカエトル)」(註釈版571頁脚註、原典版

解説・校異241)と、その救いのはたらきが表されている。

4.  阿弥陀
「阿弥陀」とは、梵語アミターバ、アミターユスの二つを原語にもつ

音写語で、「アミタ」は無量(ア=無、ミタ=量る)を表す。

アミターバは無量光・アミターユスは無量寿と意訳される。

出拠とその解説

·         念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば」の出拠は、

『観経』に「(阿弥陀如来の)一々の光明は、あまねく十方世界

を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず」(註釈版102頁)

とあるご文です。

·         「阿弥陀となづけたてまつる」の出拠は、『阿弥陀経』に

「かの仏の光明無量にして、十方の国を照らすに障礙するところなし。

このゆゑに号して阿弥陀とす」(註釈版123124頁)とあるご文です

·         上記の『観経』『阿弥陀経』のご文にもとづいて、善導大師は『往生礼讃』

「かの仏の光明は無量にして十方国を照らすに障礙するところなし。

ただ念仏の衆生を観そなはして、摂取して捨てたまはざるがゆゑに阿弥陀

と名づけたてまつる」(七祖註釈版662頁)と「阿弥陀」の名前の由来を

示されました。

                教学伝道研究センターHP・「布教伝道の基礎」より引用。(10.05.18着色・柴田)

 

A  五逆・謗法、なお摂す

 

つみは(じゅう)(あく)()(ぎゃく)謗法(ほうほう)闡提(せんだい)のともがらなれども、()(しん)懺悔(ざんげ)して、

ふかくかゝるあさましき()をすくひまします弥陀如来の本願なりと

信知して、ふたごゝろなく如来をたのむこゝろの、ねてもさめても

(おく)(ねん)(しん)つねにして忘れざるを、本願たのむ決定(けつじょう)(しん)をえたる信心

行人(ぎょうにん)とはいふなり。(御文章1-2

 

十悪五逆・謗法闡提   ●十悪とは、殺生・偸盗・邪淫(身三)

妄語・綺語・悪口・両舌(口四)

貪欲・瞋恚・愚痴(意三)

               

●五逆とは、殺父・殺母・殺阿羅漢・破和合僧・出仏身血。

               

●闡提は、断善根、信不具足と訳す。仏法に会う因縁の全く欠けた人の意。

     

廻心懺悔 これまでの悪心を改悔し、自力心をひるがえして他力に帰すること。

他力の信を得れば、この二心共に具わっている。    

  

  機    仏教では、教法を受けるものを機という。衆生、人間のこと。

親鸞聖人七百回大遠忌記念出版昭和48111日第十版「真宗聖典」永田文昌堂発行663頁参照。

 

  抑止(おくし)(もん)  抑止

阿弥陀仏の第十八願文、並びにその成就文の結語に「唯、五逆と正法を

誹謗せんをば除く」とあるを云ふ。即ち、五逆と誹謗正法との重罪悪人

は、仏の救済より除かれると、抑え止めてある文で、古来、この文は、

阿弥陀仏の御誓ではなくて、五逆と誹謗正法の二は極めて重罪なる故、

衆生にこれを犯さしめざるやう、釈尊のあわれみより懇切に誡めてある

ものと解釈している。

 

(前略)他力救済の教にありては如何なる重罪悪人も、ひとたび廻心

して、信心を得れば、みな悉く救はれるのであるけれどこれは凡夫を

して重罪を犯さしめないやう、釈尊が方便に附寡せられたものである。

 

河野法雲・雲山龍珠 監修「真宗辞典」法蔵館(20069月新装版6刷)99頁参照。(表記一部現代化・柴田)

 

 

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