覚書通掲歎異抄12条・第10の金言  通掲の趣旨および資料頁へクリックOK!

本願を信じ念佛をまうさば(ぶつ)に成る、そのほか何の(かく)(もん)かは往生の要なるべきや。

まことにこの(ことわり)に迷へべらん人はいかにも〜學問して本願の旨をしるべきなり。(第12条)

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(柴田私釈)往生には『本願を信じて念仏すれば仏になる』これ以外なんの学問が必要というのか。

《しかし、どうしてもこの理が納得できないという人は、大いに学問して本願の中味を味わい知るべき

である。》

ただし第10条に“念仏には無義をもて義とす。不可称・不可説・不可思議の故に”(不可思議の仏の

願からもたらされているので自己の思慮を加えず、意味付けしないことが大切。)とも記されている。

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詩中「そは」「せば」の語句について。

 そは・・・・代名詞「そ」に係動詞「は」のついたもの。それは

 せば・・・・或る動作を行う古語「す」の仮定形に順接の仮定条件を表わす「ば」

       を付ける。したら。したなら。

       かの国の人来(こ)ば=来たならば;(竹取物語)

以上:旺文社古語辞典新版参照。

 

供花(お供えする花)について。

 仏教の供養として「十種供養」というのがあります。
1.華、 2.香、 3.瓔珞<ようらく>(装身具)、 4.抹香、 5.塗香、 6. 焼香、

 7.幡蓋<ばんがい>(荘厳具)、 8.衣服、 9.伎楽<ぎがく>(音楽)10.合掌

MSN search 参照

仏教では仏を供養する方法として、香華(こうげ)と熟語にし、供花を香とともに

仏に供養する代表的なものとする。(同上参照)

 

また大無量寿経(下)に

「一切の諸天、(みな)天上の百千の()(こう)(まん)(しゅ)()(がく)(もたら)して、

()の佛及び(もろもろ)の菩薩・聲聞(しょうもん)・大衆に供養す。」とある。

        永田文昌堂:眞宗聖典昭和48年版参照。

 

造花〜弥陀の御命、について。

 供花 (献花)は、お念仏が 正行(しょうぎょう) であるに対して助行(じょぎょう)である。

 

 

五正行とは、阿弥陀仏の浄土へ往生するための五種の正しい行のことです。
   善導大師の『散善義』に「行に二種あり。一には正行、二には雑行なり」ともいって、

五種の正行が説かれています。
 
   1読詞正行 浄土の経典を読諭すること
 
   2観察正行 阿弥陀仏とその浄土の姿を心に思い浮かべること
 
   3礼拝正行 阿弥陀仏を礼拝すること

   4称名正行 阿弥陀仏の名号を称えること
 
   5讃嘆供養正行 阿弥陀仏の功徳をほめたたえ、衣食香華などをささげて供養すること

(讃嘆正行と供養正行に分けて          

六正行とする説もある)
   

『散善義』はさらに、正行に「正定業」と「助業」の二種があると述べます。
    

正定業とは、正しく衆生の往生が決定する業因のことで、五正行の中のC称名正行を

指しています。
    助業とは、五正行の中の称名以外の正行で、称名の助けとなる行業です。
    この五正行以外のすべての行は「雑行」です。

寶林寺(奈良県)「数字の入った仏教語」参照

 

善行(よい行い)として私が仏前にお供えする生花も、虚仮(こけ)不実(ふじつ)の私には、所詮は生命の通わない虚仮

造花にほかならない。(薬師寺「(はな)会式(えしき)」の例のように法要として造花が意義付けられる場合は趣旨

が別である。)

 

また献花という私の行為(善行)も

 

虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし・・・(中略

修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞなづけたる

                    親鸞「愚禿悲嘆述懐」より二行抜粋

 

もし生命の通った生花と見た場合、実は、大生命の本体である阿弥陀仏が私に対して

お念仏としてお示しになるお働きであるにほかならない。

 

無慚無愧(むざんむき)のこの身にて まことの心はなけれども

弥陀の廻向(えこう)御名(みな)なれば 功徳は十方にみちたま

親鸞「愚禿悲嘆述懐」より二行抜粋

こうして、弥陀仏の永遠無量の御生命(おんいのち)に触れさせていただくよすがとして、お念仏に

ともなってこの助行をなすのである。

 

詩の仏花としての位置付け。

十種供養に「詩」が見当たらない以上の考察にかかわらず、

大無量寿経のなかの「讃仏偈」(仏をたたえる詩)のように、経典の中には詩を

仏にささげる場面が多数あり、念仏詩がその一翼とすれば、供花・献花と同列の行為である、

という位置付けをこの作品で示している。

 ここには宗教的あるいは文学的飛躍が伴っていると作品を性格付けることができる。

 

M E M O

 

ただ仏のみ

 ひとりあきらかに

 さとりたまえり

                 親鸞「教行信証」行巻

 

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