都市に住むことの切実なる一面

ここは首都圏近郊都市の一角。たまたま通りがかった際にみかけたギョッっとする景観である。
南側に新しいマンションが建設されるため、影を受ける北側のマンション住民が一体となって建設会社や販売会社に対して反対の意を表明している図である。
おそらく住民の方々のほとんどは分譲マンションを購入して自ら住んでおられるのであろう。見たところ新しいマンションである。黄色で統一された旗には「子供たちの太陽を奪うな」、「俺たちはもぐらか?」、「住民無視の設計を考え直せ」、「境界線50センチからの建設反対」、「市民の皆さん今は人ごと明日は我が身ですよ」など書かれている。ここまで一体化した行動に至るは相当の経緯があったのだろう。
このマンションで起こっているトラブルの現状は存じ上げない。さらには、解決にむけて私自身が申し上げられる有効なコメントは何もない。マンション建設反対の行動はどこの街にも起こりうる、あるいは起こっていることだがそれぞれ個別の事情や地域性もからんでいよう。
ここでは、この写真だけを手がかりにして、想定される問題のありかを少し推理してみたいと思う。
先行して建っているマンションをA、新たに建設されようとするマンションをBとしてみよう。
(DATA : Ricoh GR1 28mm ネガフィルム使用)
@まず、Aを分譲した売主のことをかんがえてみる。
こうなったということは、Bの敷地にマンションが現計画のように建つことを知ってか知らずかを問わず、売主はこうなる可能性を明確にアナウンスしていない。Aマンションを買った方々がそろって反対活動をされているということは、Aの販売時にその予定(気配)さえなかったのであろう。
おそらく、Aの売主は販売時、将来こうなりうるという姿はあえて告知しなかったと考えられる。むしろ、「B敷地の現用途がかくかくしかじかなので当分の間は、日当たり良好ですよ」と、口頭で囁いていたのかもしれない。一方で、売買契約時の重要事項説明でさりげなく問題を示唆しておけば、あとあと問題はなかろうという程度の義務感しかもっていないのが通例だろう。
さらにいえば、仮にAの売主(販売会社)が、B敷地に近い将来問題になりそうなマンションが建つことを知っていたとして、買主さんたちに告知しなかったとしたらどうだったか。その場合、宅建業法そのものの「法の精神」には抵触すると考えられるが、「知らなかった」「予想不可能であった」「事情が変わった」などと言い張れば宅建業法上免れることができてしまう。つまり売った者勝ちであるということが、その場合の表面的な問題になる。
しかしながら、本来的にはA敷地に隣接するB敷地は「宅地」であるので都市計画法や建築基準法などに抵触しない限り何が建ってもおかしくないのである。たとえ、販売時点にB敷地にどんな施設があろうとも。そのリスクを明示せずとも不動産売買をして法的瑕疵を問われないということを、一般消費者は知らないというところに基本問題がある。
A次に、Bの売主のことをかんがえてみる。
先に触れたようにBのオーナーからみれば、B敷地に何を建てようとも都市計画法や建築基準法などに抵触しない限り、自由なのである。
したがって、Bの売主は既存の都市法制に抵触しない限り、もっといえば建築確認が下りさえすれば、多少おかしいところがあっても法的には問題がない。ここの場合、市の要綱等に基づく周辺住民への説明義務も所定の手続きをクリアしました!ということであろう。
しかしながら、実態はAの住民の逆鱗に触れる建築計画をしてしまった。たれ幕のコメントが正しければ敷地境界から50cmまで建物の建つ設計をしたということである。つまり各戸の南面ベランダから隣の建物まで手が届きそうな壁ができるということである。法律上(この場合は民法)は問題ないが、社会通念上いかがなものか。成りたちの古い民法が想定している隣地との距離規定は戸建て住宅のことである。そもそもマンションの林立など予定していないのである。
最近大手ディベロッパーの中には周辺住民の支持を得られる建築計画を模索した例が出ている。供給したマンションに住まれる方々、そして周辺住民から評価されるマンションを供給することは地域の良好な近所づきあいも期待でき、長期的に企業メリットも獲得できる。現時点でこうした価値観は、同業界からは「甘い」との声も出ているそうだが、これからの時代に必要な立派な企業戦略とみても良いのではないか。
B悪意の第三者の介入はあっただろうか。
あまり考えたくないが、相談に乗るフリをして裏でトラブルを鼓舞し、補償金などの上前をはねる専門屋が暗躍しているという場合も考えられよう。嘆かわしいことに、こうした悪行を市民の代表ヅラした議員が平然とやっていることすらままある。(個人的にはこうした恥知らずアホ議員と面会することもあったが、多くの議員はこうした神経の麻痺した人種であることを学習した。)
そうしたヤカラがことを大きくしていることはないだろうか。
CAの買主に油断はなかったか。
Aの住民の方々はほんとうに気の毒である。物件を買うとき一生をかけた大変な買い物だったに相違ない。物理的環境をみると、単なる補償費闘争ではない。
しかしながら、Aの住民の方々はこうした事態を予測できなかった。販売業者が提供する情報の検証が不充分ではなかっただろうか。多くの方がB敷地の現状用途に油断されてしまったのではなかろうか。都市法制の落とし穴にはまってしまわれたようにみえる。
以上、4つの視点で個人的な推理を羅列してみた。しかし、いずれの場合にも空しい現実がたちはだかっている。それは背景にある、都市に住むためのルールが未成熟であるということである。
話が広がりすぎるが、土地はだれのものか、そもそも個人で所有できるものなのか。都市に良好な近隣コミュニティを求めることは無理なのか。今の日本人は折り合いをつけることが苦手になったのか・・・・・・など、難しい問題がいくつもあげられる。忙しい日々の生活の中でおいてきぼりになってしまったようだ。
一点、具体的な問題は、いまの日本の都市行政法は難しすぎるということが、基本問題として明確に存在する。一般市民は理解不可能である。もっといえば、業とする人間でさえ(私を含めて)良く理解している人はほとんどいない。これはなんとかしなければ、ここにあるような悲劇を繰り返すこととなろう。
昭和時代の最後あたりから都市法制の規制緩和が進んでいる。それ自体は社会ニーズに対応したもので市民コンセンサスが得られれば結構なことである。しかし、一部には便利な都市に住むんだから日当たりの悪い住宅をいっぱいつくってもしょうがないじゃないかとおっしゃる人も少なくない。それはとんでもないことだと思う。自然との関係を重視した住環境づくりは、人間の精神にかかわる重大なテーマであると思う。
たれ幕のコメントのとおり「明日はわが身」である。
都市計画を業とする分野に身を置く者として、こころしてこうした現状を熟慮するとともに、真摯な態度で業務にのぞまなくてはならないと思った次第である。