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まちかど観察記【011】
淡々と、いきいきと
2002年11月、台中震災後の現状視察のため台湾を訪問した。自由行動の際に訪ねた基隆(※)の街で感じたことをご紹介したい。
(読みはキールン、またはジールン、チーロンなど)
基隆は台湾の最北端に位置する港湾都市である。台湾と大陸との間でかわされた人と物の激しい流動の拠点として、そしていくたびと繰り返された各国からの進攻軍の受け口として、重い歴史と深い都市活動を積み重ねてきた街である。日本による台湾占領時代(1895〜1945年)において、産業インフラ整備の一環として基隆港の建設に重きが置かれ、いまの国際貿易港の基礎をかたちづくったようだ。
基隆はいつも雨が降っているそうだがこの日は幸い晴れていた。潮風が心地よい。
基隆の街は率直にいってお洒落でない。基調は湿ったグレーである。台湾の街という街を走り抜けるバイクの排ガスが日々、グレーのトーンを深くしているようにも見受けられる。それが私には懐かしい。神戸生まれの私にとって、華やかな三宮や元町でなく、昔の寂れた神戸駅周辺を彷彿とさせるものである。
知らない街を歩くとき、いつもそうするように視覚・嗅覚をたよりに市街地を散策してみた。
朝の仕事を終えてシャッターが閉じられた鮮魚卸店街を抜け、市場に入った。名は仁愛零售市場という。
(DATA : EOS RT + Flektogon 35mm ネガフィルム使用 右側が仁愛零售市場)
中を歩いてみるとかなり大きな市場であることに気がついた。1階は生鮮品(野菜・肉・魚・果物など)を中心に、延々と店が続いている。売り物の魚を見てみると台北で見た市場と違い、ピンピン跳ね上がってくるような新鮮さが印象的であった。売り手と買い手の真剣勝負も垣間見た。2階に登ってみるとそこには室内でありながら屋台が並んでいたり、服飾雑貨・美容院・マッサージショップといろとりどりである。なんと市場の中にも街があったのだ。
とくに2階は商業者の生活空間にもなっていることには驚いた。店だかなんだかわからないコーナーもちらほらと置かれており、そこでは商売のかたわら、自ら食事・喫茶・酒宴、そして子供の勉強場所(左下写真)に使っている。
とりあえず全体を見ようとしたところ、道路を隔てて2つの建物の低層1・2階すべてが商業店舗であることが判明した。売場面積はトータルで2万u程度はあったように思う。
(DATA : 左上・Powershot S40、右上と上・EOS RT + Flektogon 35mm ネガフィルム使用)
外部に出てさらに驚いた。上層階はごらんのように密集したマンション群である。照りつける太陽はうとましいものなのであろう。南国らしい居住形態である。おそらく公的機関が供給した庶民のための物件であろう。地下1・2階には自走式駐車場が設置されている。
詳細はわからないが、「いちば」を核とした再開発事業であろう。
まさしく生活の拠点というものがここにある。
と思ったとき、突然、プアーッ・プアーッ・ドドドドとバイク群の排気音が大ボリュームで聴こえてきた。
これは図らずも私自身のトランス体験であった。
基隆という街の、光、色、におい、音、人々の表情、売り物の造形に触れ、そして信号無視など当然のバイクやタクシー群のバイタリティに驚く。街の中に人々の生活の営みの一端が見えたような気がした瞬間であろう。バイクの音が弾きがねとなって、私の背中にある種の信号が走った。ゾクゾクする快感であった。
覚醒だろうか。ふだん経験しない神経の高ぶった浮遊感覚であった。音も光も風もふだんの数倍の大きさで感じられることが小一時間続いた。
(DATA : Powershot S40)
こうした体験は、不思議でもなんでもないものだと思う。おそらく自分が潜在的に欲している環境に触れた喜びがその背景にあったからだろう。
あとからすこしだけ分析的に考えてみると、たぶん台湾人の生活像に感銘することが大きかったことだ。
ひとつには、基隆には流れがあること。魚も、肉も、野菜も、人も、車も、風とともに流れがある。あらゆるものを、よどみなく淡々と流すことが生を実感させる。振り返ってみると今の私の生活は流すのでなく、ただ流されているだけという感もある。
そして、二つめに自然な賑わいがあることだ。
街の賑わいは人工的につくれるものではない。生活する人々のスタイルがうつくしいもの、それがアジア人であればアジア人にフィットしたものであることが、街、そして人々の間に賑わいをもたらす。当たり前のようでいて、実際に獲得するにはたいへん困難なものを、台湾の人々は大騒ぎせず、日々淡々と体現している。それが私にとってたいへん「いきいきしたもの」として感じられる。
こうした市場の姿は、日本でなかなか実現できない事例であろうが、たいへん興味深いものであった。今回は時間の制約があり、残念ながらゆっくりできなかったが、次に来るときはうまいものをじっくり堪能したい。
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