●第二章 外科内科治療
事故の翌日近所の外科にかかり、あまりの激痛に耐えきれずレントゲンを撮るように初診の主治医にお願いしたところ、こう言われた。「レントゲンを撮るか撮らないかはは、患者の考えることではない。だまっとれ。」また、交通事故で受傷したことを告げるとこうも言われた。
「まずあなたの会社の健康保険組合に請求書を書かなくてはならない、そして加害者の損害保険会社に請求書を書かなくてはならないので面倒だから、治療費は自費で請求させてもらう。」。
激痛の中、2回請求書を書くという作業が面倒だという理由について説明を受けても、こちらとしてはパニック状態なので何のことか判らない。
それに事務員は、3人もいるの面倒だと言うのである。
後で判ったことだが、健康保険に切り替えするのは自由であった。単に主治医の怠慢である。
名誉毀損になるといけませんのではっきりとは言わないが、愛知県にある3文字の○×△外科とだけ言っておくが、最近後継者が無く閉院した。今では住宅が建っている。世の中には酷い医者もいるものだ。
患者をなんだとおもっているのか?。それでも医者か?。まあ今はなんとも思ってませんが。
何とも思わない自分が非常に不思議だ。
そうこうしているうちに、婦長らしき看護婦が見るに見かねて、主治医に上手く取り合ってくれて、紹介状を書いてもらい別の病院の整形外科に転院した。
あのまま通院していたらどうなっていただろう。想像するだけエネルギーの無駄使いだ。
後数年後、別の疾病の診察で同病院を訪ねたがこの医師はそしらぬ顔をしていた。忘れているのかとぼけているのかどっちだ?。さも何事もなかったように。
医師のみなさんあなたならどうします?。そしてこの医師の態度をどう考えますか?。
某有名国立大学の医学部を卒業した、年のころなら80歳の医師だ。
1995年5月23日より転院先の病院の整形外科にて治療開始。
漸く適切な治療が受けられると思ったのであるが、本当の悪夢はここからスタートするのである。
一応治療が進み痛みが収まってきた。生来おっちょこちょいなのか、少々無理(運動)をした。
頚部に激痛が走り、次診察時に即日入院決定。(しかし運動のせいではなかった。)
病院の整形外科の主治医が言うには「まあ、海外旅行にでも行ったつもりで入院しなさい。」ということだった。
後で加害者の保険会社の人に聞いたが、どうも当時私は被害者意識が非常に強く、辛そうだったそうだ。自分では全く気づかなかった。
被害者意識が強いと言っても、頚部が痛いのでそうみえるだろう。周りからは何とでもとらえることができるだろう。
入院手続きから入院費支払い、入院中でも加害者の損害保険会社との折衝、会社での手続き、全部独りでやった。
今にして思えば入院中におかしなことがあった。消灯時間になり就寝した。
夜中に突然の激痛で起きてしまった。このとき、異常な恐怖感が全身を襲っていた。
背筋が寒く、意味の無い恐怖が心を支配した。
もう不安発作が始まっていたのである。トラウマに捉えられた瞬間であった。気が付かなかった。
痛いから不安なのか、不安だから痛いのか分からないと看護婦には告げた。「先生呼びましょうか。」と看護婦に言われたが、夜間に自宅に居る主治医をわざわざ呼びつけることができるか?。
我慢してしまった。私は我慢ばっかりしている。
その後、痛みがとれたので、入院10日間にて退院。
ところが退院直後、最寄りの駅のホームに立った瞬間からまた頚部に激痛が走る。
こんなことってあるか?。
会社や自分の加入する生命保険会社、加害者の損害保険会社に電話をして退院の旨を告げた後だけに再入院するわけにもいかず診察のできる月曜日まで、七転八倒しながら我慢した。
私は我慢ばっかりしている。救急でかかれば良かったと述懐するが、当時痛みのためそこまで気が回らなかった。
その後通院して鎮痛剤、抗炎症剤、筋肉弛緩剤の投与を受けたが痛みは全く軽減しない。
赤紫色をした、太い注射を毎日のように注射された。ビタミンB複合剤の注射だ。打ち終るといつも口の中が薬くさかった。最後には血管が浮き出なくなってきた。もう打つところがないのである。
そんなとき、もう何年も前に死んだ祖母の事を思い出した。私と同じように晩年、注射漬けだった。もう注射を打つところがないと言っていたのを子供ながらに聞いたのを思い出す。
これも思い出した。祖父は交通事故で死んだ。無残な死に方だったそうだ。私が生まれる前に亡くなったので、私はこの母方の祖父の顔はしらない。
命拾いしたのは、この祖父のお陰のような気がしてならない。
MRI、レントゲンの結果は全く異常なしといわれる。
鞭打ちもないし神経の断絶も無いとのこと。ついでに血液検査もした。これまた異常なし。
では何でこんなに痛いのだ。首が回せないので振り返るときは体ごとまわした。下を見ることも出来ない、肩に手を置かれるだけでも激痛が走る。触るな俺の体に!。痛いのだ!。外傷が見えなくても痛いものは痛い。
メナミンという強力な鎮痛剤を肩に4回も注射してもらうが、全く効果無し。
むしろ副作用で吐き気がしてきた。これ以上強い薬となると麻薬みたいな薬となる医師に言われる。
退院後も約2ヶ月の通院をしたが痛みがとれない。加害者の損害保険会社の調査員からは「三ヶ月が目処なのでそろそろ治療を打ち切ってくれ」といわれた。事務的にいいやがって。
人の痛みを時間や金で推し量るな。いろいろ言われるのもストレスになるので、示談した。調査員の安堵の顔が目に浮かぶ。
通院中の整形外科でも、主治医からは何かしら怪訝そうな目つきで見られ始めた。
「今日は何か?。」と言われたのを覚えている。看護婦も面倒くさそうに注射した。
二次的外傷のはじまりである。
これも思い出した。この病院の産婦人科で私は生まれた。
主治医は反対したが、我慢するのは嫌になったので、思い余って鍼灸の施術をうけるがこれも全く効果なし。
その後、何か判らない症状(以下の症状参照)が出てきたので気功なら効くかもと思い行くことにした。行ったら霊障といわれた。真気功というものだった。
つまり”霊が憑依している”ということらしい。
最近スピリチュアルな世界にも足を踏み入れるようになり、その効果も理解できるようになってきたからこそわかることだが、普通霊障という表現は使わない。
最後の砦のつもりで来る患者さんもいるわけで、そこに霊のせいだと言われた自分の力や医療では治せないと思い愕然とし絶望感に陥り治るものも治らなくなぅてしまう。
本来の気功は絶対にそんな馬鹿なことは言わない。誰でも気分が非常に重苦しく、意味不明な恐怖感が襲っているところに霊が憑依しているといわれたら信じてしまう。
確かに科学では割り切れない部分もある。これは認めますが弱みに付け込むようなものは治療ではない。この気功研究所は移転している。
そうこうするうちに7月中旬に以下の症状が徐々に出始める。
内容で重複する部分もあるだろうがご容赦願いたい。
ある日などは、早朝覚醒があり異常に早い時間から出社したのを覚えている。
とりあえず同病院の内科にかかり診てもらうことにし内科に行く。
初診では心臓が苦しいと訴えると、心臓負荷検査と心電図測定をした。異常なし。
「何か飲みますか?。」と医師には言われたが、ここはBarか?顔を洗って出直して来い。
整形外科で筋肉弛緩剤の投与を受けていたこともあり、丁重にお断りした。
ところが、次の診察待ちの最中気分が非常に悪くなり、その場で気絶する。
急患扱いで点滴をしてもらったが全く効き目なし。急患扱いなのに診察まですごく待たされた。カルテには〇急の文字があった。
周りにいた他の患者さんたちが、逆に心配してくれ看護婦にとりあってくれた。
いったいどういうことなのでしょう。
その後再度内科で診てもらうが異常なし。
病院の内科(循環器科等)では計4回診てもらったが「内科的な問題ではありません。1人の医者が言うなら別ですが、3人の医者が言うのですから間違いないです。」と言われ精神神経科への受診をそれはそれは強く勧められる。(同病院内にありました。総合病院でよかったです。まさに不幸中の幸い。)
我慢とラッキーの繰り返しである。
§監禁
監禁というと手錠でもはめられたかのような状況を想像する読者もいるであろうが、それは違う。
暴力でなくても、十二分に監禁は出来る。それは心理的監禁である。
心的外傷は、この心理的監禁状態に他ならない。恐怖、危険という心理的監禁状態に追いやられるのである。
そして、この心理的監禁状態はいつ終わるのか全く分からないところに、更なる恐怖がある。