似て非なるもの
カオスと観測問題
ある種の非線形方程式で記述される系は、初期条件のほんの僅かな違いで、ある
時間以降全く異なった振舞を示すことが知られています。このような現象のこ
とをカオスと呼んでいます。この場合、系の長期間にわたる予測が非常に困難に
なりますが、これは技術的に困難ということであって系の時間発展が決まっ
ていないということではありません。我々が初期条件を誤差ゼロで知ることが出
来なくても、その系はある一つの初期状態から出発して、その非線形方程式に従
って決定論的に時間発展していきます。
一方、量子力学ではこれとは全く異なり、系を記述する波動関数の観測前の
任意の時刻における値が(測定器まで含めて)完全に分かったとしても、観測後
に何が得られるかは、原理的にも、確率的にしか分かりません。つまり、量子力
学で完全な予測が不可能なのは、我々には知り得ない何かがあり、その挙動が予
測できないからではありません。シュレーディンガー方程式は線形ですので、た
とえ測定器まで系に含めたとしても、波動関数がカオス的振舞を示すことはあり
ません。カオスと
観測問題
とは無関係です。
いま、観測対象が物理量(オブザーバブル)X の固有状態の重ね合わせ
この状態で、X と交換しない物理量 Y ([X,Y] = XY-YX != 0) を観測すると、期
待値は
しかし、これで波束の収縮を説明したことになっているのでしょうか?
トレース操作と波束の収縮との関係
のところで述べたように、期待値を求めるときにすでに波束の収縮の仮定を使
っています。Y の期待値を計算するときの状態 (即ち、Y を観測する前の状態、
前述の例でいえば |P>)が sum_i C_i |X_i> ではなく
sum_i C_i |X_i>|ENVIRONMENT(i)> になっているというだけのことです。要する
に、シュレーディンガー方程式プラス波束の収縮の仮定から成る従来の量子力学
を、マクロな系に当てはめてみたというだけのことです。物理的な意味も明らか
で、一旦、観測対象が観測装置やその他マクロな環境と相互作用すると、観測対
象だけをもとの重ね合わせの状態に戻すのは非常に難しいという、よく知られ
た現象と矛盾しないと言っているにすぎません。
ただ一回の観測で、一つの状態 |X_i> だけが現れるのは何故でしょうか? つま
り、全ての状態は完全に対等な筈なのに、何故その状態だけが選び出されたので
しょうか? このとき、選び出されなかった他の |X_j> (i !=j ) は何処へいっ
たのでしょうか?このような問題には(これが、実際に我々が実験室で経験して
いる現象であるにもかかわらず)何も答えることができません。
このように、径路積分というのは今日量子現象を研究する上で必要不可欠な手法
となっています。だだし、これはあくまでも計算上の手法であって、個々の径路に
物理的な意味を持たせるのは危険です。径路積分で意味のあるのは総和(の絶対値
の自乗、すなわち確率)であって、個々の径路に対応する振幅は計算の途中に出て
きた項の一つにすぎません。その項は別の項とキャンセルして無くなるかもしれま
せんし、別の展開方法で計算すればはじめから出てこなかったのかもしれません。
中には、マクロな系に径路積分を適用し、そこに出てきた複数の(ある意味で)マ
クロな径路を多世界解釈における複数の世界に対応させて考える人達(ポストエヴ
ェレット派と呼ばれる人達)もいるようですが、間違いです。(この解釈では、分
岐して出来た世界の集合が一意には定まらず、互いに矛盾する世界の集合が同時に
複数現れてしまいます。径路積分の性格からいって当たり前のことですが。)特に、
(エヴェレットの)多世界解釈に出てくる確率というのは、このような複数の世界
への分岐率のことではありません。多世界解釈における世界というのは、特定の観
測者を通してみた世界のことで、そこに出てくる確率というのは、その特定の観測
者が自分の世界の中だけで求めた度数頻度(の極限)のことです。径路積分と多世
界解釈とは何の関係もありません。
量子的非干渉と観測問題
量子的非干渉 (decoherence) ということばが、観測問題におけるキーワードの
ように(一部の物理学者の間で)扱われているようですが、 これは波束の収縮
とは無関係です。 量子的非干渉は、波束の収縮がおこるための、必要条件でも
十分条件でもありません。波束の収縮過程を、観測対象とそれをとりまく環境
とのダイナミクスによる、量子的干渉の消失とみなすことはできません。
sum_i C_i |X_i>
になっていたとします。観測対象以外の全ての環境を力学変数としてハミルトニ
アンに含め、ある時刻における(環境の)状態を |ENVIRONMENT>で表すことにし
ます。このとき、系全体(観測対象プラス環境)の時間発展は
U(t) sum_i C_i |X_i> |ENVIRONMENT> = sum C_i |X_i> |ENVIRONMENT(i)>
となります。ここで、 |ENVIRONMENT(i)> は非常に大きな自由度からなる不規則
な状態で、各項の位相はほとんどランダムになっていると考えられます。
sum_{ij} C^*_i C_j <X_i| Y |X_j> <ENVIRONMENT(i)|ENVIRONMENT(j)>
となりますが、位相がランダムなので、 i != j の項を足しあげると非常に小さ
な値になります。あるいは、状態の数が少ないときでも、自由度が非常に大きい
ので |ENVIRONMENT(i)> と |ENVIRONMENT(j)> (i != j) は、 ほとんどの場合直
交している、すなわち、|<ENVIRONMENT(i)|ENVIRONMENT(j)>| 自体が非常に
小さな値になっていると考えることが出来ます。すると、上式は近似的に
sum_i |C_i|^2 <X_i| Y |X_i> = Tr{sum_i |C^i|^2 |X_i><X_i| Y}
となり、これは、X の観測後の状態が |C_i|^2 の確率で |X_i> になっていたこ
とを示しています。
径路積分と多世界解釈
確率振幅を求めるのに、シュレーディンガー方程式(微分方程式)を直接解いて求
める方法と、径路積分を使って求める方法とがあります。両者とも数学的には等価
ですが、後者では無限級数の各項を図形(ファインマンダイアグラム)を用いて表
し、直観に訴えるやりかたで効率良く求めることができます。つまり、始点と終点
を固定したあらゆる(古典力学では許されない径路も含まれる)中間的な径路につ
いて要素的な確率振幅を足し上げれば答えが出ます。また、プランク定数をゼロに
もっていった極限で、古典力学で許される径路以外からの寄与は互いに打ち消し合
ってゼロになります(径路積分とは exp(i(作用汎関数)/hbar) を可能な径路につい
て足し上げたもので、hbarをゼロにもっていくと作用汎関数の停留点、すなわち、
ラグランジュ方程式の解だけがこの総和に寄与することになります)ので、古典力
学的な解を第ゼロ近似として、量子力学的な補正効果を比較的容易に求めることが
できます。この古典力学的な解からの展開というのは、摂動(相互作用
が無いときの解を第ゼロ近似とし、相互作用の結合定数で展開する)とは全く異な
った展開になっており、摂動計算が有効でない領域における近似解が求まったりし
ます。
© 1997-2005 Toshifumi Sakaguchi
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