2000年4月4日(火)  福島〜米沢〜山形


朝、福島

ここから、奥羽線で、米沢を目指すのですが、…

奥羽線の、福島〜山形は、山形新幹線とレールを共用していまして、

(正確には、在来線の奥羽線に新幹線車両が乗り入れてきて「山形新幹線」を名乗っていて)

特に県境の山越えが絡む、福島〜米沢間は、普通電車の本数が極端の少ない区間です。

で、朝の普通電車、米沢行き。

わりと客が多いと思ったら、多くは、1駅か2駅で降りてしまいました。

市内の事業所か学校に通うのでしょう。

 

身軽になった電車は、だんだん山に迫ってゆきます。

前方の山は、吾妻連峰でしょうか。明るい空に、白い山頂の峰峰が鮮やかです。

山に入ると、いよいよ、板谷峠越えです。電車は朝日の中、軽快に走ってゆきます。

そして、周囲は、いよいよ雪景色へと一気に白く変わって行きます。

赤岩、板谷と停車するごとに、雪の深さは増していきます。

陽光に照らされて、表面はきらきら光り、水滴へと融けていっています。

車内は、昼間よりむしろまぶしい光が満ちています。

駅到着。まるで、どこかの倉庫の中に停車しているような感じです。

屋根囲いがついて、簡単なホームがありますが、

無機的な構造物のわりには、どことなく人臭さのする駅です。

でも、さすがに朝、「峠の力餅」の立ち売りはいませんでした。

観光客らしいオッサンも、扉の外をきょろきょろしていましたが、残念、時間が早すぎました。

峠駅を出て、米沢にだいぶ近づいています。

このあたりの駅は、かつては急勾配のため、スイッチバックが連続していたと聞きますが、

現在は新幹線も通る幹線。スイッチバックは解消されています。

車窓からは、使われていない設備の跡があちこちに見られました。

 

米沢到着。

てくてくと道を歩き、最上川にかかる相生橋から、新潟県との境を作る白い山々を眺めます。

さすがに、道路に積雪はなく、ただ雨の跡のように濡れている程度でしたが、

歩道には、除けた跡の雪の塊(泥入り)が置いてあり、

道路の南側は、その南に接する家の陰になるので、融けずに残っていました。

歩くと、白く大きな洋館があり、歴史を感じさせます。米沢女子高校だそうです。

さらに進むと、左側に、工事中の広い空き地があります。(米沢工業高校の跡地?)

何やら公園が出来る様子。その突き当りに、堀があり、「毘」の旗がなびいています。

毘沙門天、とく来れば、上杉氏の居城、米沢城跡です。

今は、松岬公園(まつがみさき)として整備され、神社と上杉記念館が置かれています。

米沢の誇りと来れば、上杉鷹山。J・F・ケネディーも尊敬していたという政治家です。

米沢藩の危機的財政を切り抜け、名産品を作って収入を増やし、財政をきっちり再建させたことで、

あまりにも有名な人(だそうです)。

「なせば成る、なさねば成らぬ、何事も、成らぬは人のなさぬなりけり」

現代にも生きる名言ですな。入り口右側に、像が立っていました。

しかし、雪解けの季節。公園内の遊歩道の両側に、除けた雪の塊があるのは季節の風景ですが、

遊歩道そのものも、水浸しで、先に歩くのは、かなり困難です。

余所者の僕にとって、地元の人の毎日の苦労は想像するしかないのですが、大変だと察します。

と思っていたら、その中を、売店かどこかのワゴンが、泥水を撥ねながら通過していきます。

いくら火曜日で、観光客が少ないといってもねえ。

で、泥の水溜りを避けつつ、やっと上杉博物館までたどり着きました。

と、ところが、上杉博物館は、長期的に休館中。内装を大幅に変更するようなことが書いてあり、

何ヶ月か先にしかみることが出来ないようです。ううむ。

とりあえず、横の上杉神社を眺める。

 

さて、僕としては、上杉氏もともかく、伊達政宗の生誕の地としても興味があったのですが、

政宗(梵天丸)の匂いは感じられませんでした。もう、上杉氏一色です。

 

城を出て、横の上杉記念館(二の丸跡、旧上杉伯爵邸)の前を通りましたが、

米沢牛の郷土料理には惹かれるものの、ここは懐と身の程に相談して、我慢して、

またテクテクと駅に戻りました。路上には、特産品のABCが代わる代わる描かれており、

=appleりんご、=beef牛肉、=carp鯉 を表しているそうです。

町中をうろついたあと駅に向かいます。再び最上川を渡る住之江橋には、

欄干に、少女などをかたどった像が並んでおり、遠くの山と、なかなかの景色を作っています。

しかし、雪の日には、寒々しく感じるだろうなと思いました。

と、遠くを見ると、最上川の中で遊んでいる子ども。

もちろん、服は着ていますし、川の水には入っていないと思うのですが、元気なものです。

川のほとりの米沢一中の生徒でしょうか。

 

米沢駅に戻り、駅弁を買い求めて、ホームで食べました。

駅弁屋は、改札を出て両側にスタンドがあり、この両側が「新きねや弁当」「松川弁当店」

どうやら毎日交互に位置を変えているようです。

どちらかというと、階段のある側の、改札出て右側が売れる位置取りのようです。

昨年は、新きねや弁当の「牛肉どまん中」を食べたので、

今回は、松川弁当店の「牛肉道場」

米沢牛を使った牛肉そぼろ弁当です。美味い。

楕円形の容器の7割くらいにそぼろのご飯が入っていて、なかなかの味です。

よく、米沢の駅弁にはハズレが無いといわれますが、

2つの弁当屋がいい意味で競い合っているのかもしれません。あとは、素材の良さでしょうね。

と、僕はグルメではないので、あんまり書くとボロが出るので止めといて、

 

米沢から普通電車で南陽市の赤湯駅へ。

東口をJR、西口を山形鉄道が担当しています。

まず、東口のJR側に下りてみると、どこにでもあるような駅前でしたが、駅舎はなかなかこっていて、

横長の偏平な形、ハンググライダ−の翼を模して作った駅舎だそうです。

確かに、駅は横長ですから、このデザインは面白いかもしれません。

逆に、狭い改札内通路を、西口に回ってみると、こちらはこじんまりとした山小屋風。

ただ、駅前の整備は、これが完成品なのか、途中で頓挫したのか、えらく中途半端なわりには、

工事をしている風もなく、妙な風景でした。

さて、ここから、山形鉄道のフラワー長井線に乗り換えます。

これが、中古なのか何なのか、車両の外見は、塗装をして小奇麗にしてあるものの、

中身のシートは汚れがひどく、全体に暗いので、ひどく粗末に見えます。

なかなか車両を更新するのは難しく、経費も切り詰めている、第3セクターの苦労があるのでしょう。

観光地も沿線には少ないので、僕みたいな余所者が乗ることは想定していないようです。

でも、せめて、シートの張替えをするか、またはカバーをかけて洗濯できるようにして欲しいものです。

 

うとうとして、たまに目を覚ますと、JRとのもうひとつの連絡駅、今泉駅を通り、

わりと平坦で広い土地の真ん中を走っていたり、山間に入ったりしていたようです。

最上川を渡って、終点荒砥は、平凡な住宅と畑があるところ。白鷹町(しらたかまち)。

一体、何があるかも調べずに、とりあえず降り立ってみました。

まずは、駅から役場方面に向かって歩きます。

わりと大きな道路に出たところ、コンビニ発見。

個人的な商店からコンビニに改業した感じのコンビニでしたが、その軒先に、

「ミニ観光案内所」の看板があります。なるほど、町のあちこちの商店が

このような案内所になっているのでしょう。

飲み物などを買うついでに、パンフレットと地図をもらって見ると、色々なものがある町のようです。

白鷹山の麓、朝日連峰を望み、最上川の流れる町は、

「文化の地方山塊」と言われているそうで、深山地区には貴重な文化財があるとのこと。

伝統工芸の和紙や紬もあり、アウトドアの施設も多く、豊かな町を感じさせます。

しかし、しかし、僕には足が無い。

役場の脇を抜けて、山形交通バスのターミナルに来ますが、どこへ行くのか分からんので、

荒砥の町中を歩き回ることにしました。いやはや、のどかでありますが、雪はなく、春です。

まだ桜の季節ではないので、寺院の名物の桜も見ることはなく、

まあ、いい散歩になりました。今度来るときは、クルマじゃないとね。

 

山形交通バスで、1時間弱山形市街地。

これでは、迂回する山形鉄道は、客がつかないでしょうね。

 

あと、適当にうろついて、奥羽線を戻り、

再び米沢入り。宿泊。

今日一日は、気付いたら、やたら歩いていた。20kmは軽く越していると思います。

それだけ歩いて何があったかといわれると、結局何も見なかったような…。