5月3日 豊岡〜玄武洞〜鎧〜三田

 

朝、やや朝寝坊気味に、豊岡駅に向かいます。

山陰線、豊岡発の城崎行きという、短区間の各駅停車の電車は、

朝10時過ぎという半端な時間もあって、まるで回送かと思うくらい空いていました。

で、玄武洞駅に下ります。

無人駅。駅を出て狭い割に交通量の多い国道を渡ると、目の前は円山川。

城崎温泉から日本海に続く円山川ですから、もう海も近いので、とうとうと流れています。

 

川沿いの民家風の建物が、渡し舟の事務所。家族でやっている風です。

往復の券を買い求め、15人ほどでいっぱいになろうかという小船に乗ります。

いすに腰をおろすと、いすではなく、板が渡してあるだけで、

板の反対側が跳ね上がりました。驚いて立ち上がると、船が大きく揺れました。

恐怖です。というのは言い過ぎで、用心深く乗り込んで、円山川を渡ります。

帰りの船は?と聞くと、船頭のおっちゃん、「船着場に立っておいてよ。迎えに行くから」

かなりアバウトな返事。とはいえ、今日は観光シーズンだから、頻繁に往復するとのこと。

陸に上がると、目の前に土産物屋。さらにその向こう、狭い道路を渡った先は

山になっていて、その中に入ってゆくと、すぐに玄武洞です。

いやあ、見事だ。六角形の断面の柱状節理が、いろんな向きに重なり合って、

洞窟ができています。

しきりに、観光客が写真を撮っています。

客筋は・・・家族連れが大半、女の子同士のグループ、初老の夫婦、・・・

さすがに、若いカップルはいませんね。

家族連れは、近距離に住む人でしょう。

その他は、城崎温泉あたりに来て、付近の観光地をぶらぶらしている人でしょう。

浅い茂みの、登れそうで、少しだけよじ登って、

柱状節理の断面を眺めました。五角形にも見えます。

南朱雀洞

玄武洞公園は、玄武洞が有名ですが、

他にも、青龍洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞とか、いろいろあります。

中国の、四方を守る神の名をとったようです。

というか、黒いから玄武洞、龍の登る姿に準えて青龍洞と、2命名した後は、

この際、いってまええ、といった感じで、残りも命名したと想像するのですが…。

青龍洞は、洞窟の前に池が出来ているような、なかなかきれいで、

ライトアップすれば、パイプオルガンのあるコンサートホールか教会のようにも見えます。

公園内で、最も長い節理の場所だそうです。

青龍洞。手前は池。

 

さて、付近に、「玄武洞ミュージアム」なる博物館があると聞いたのだが、…

きょろきょろしていると、土産物屋の2階がミュージアムでした。

ううむ、さほど新しくもない、どこにでもありそうな土産物屋の上が「ミュージアム」とは。

レジで入場券を買って、階段を上ると、狭いながらも、わりと充実した展示室がありました。

玄武洞というよりは、ごく普通の鉱物の展示であり、各種鉱物、岩石、砂漠のバラなど、

博物館の定番が並んでいます。説明はやや古く、素人には少々分かりづらいところもありますが、

見回すと、おじさんが説明をしています。

学芸員なのか、研究家なのか、管理人なのか、ボランティアなのか、知らないですが、

色々と詳しい人のようです。高校だか大学だかを退職されて、招かれた人なのかもしれません。

奥に行くと、一角だけ新しい展示物があって、

丹後地方の地史・地質が、わりと新しい観点で述べられていました。

この手の博物館で、10年以上展示物に手入れをしていないところは、

プレートテクトニクス以降の学問の進歩が反映されていないところもあって、

説明を読んでも、分かりづらいことが多いのですが、

ここは、見かけは古びた展示室ながら、このようなパネルを準備しているのは、嬉しいものです。

なぜか、その向いは、鉱物ではなく、地元の工芸品や特産品の展示でしたが。

 

で、一番奥に、岩石の残留磁気の測定器などが置かれ、やっと、玄武洞の説明がありました。

突き当たりは映画を見るスペースで、暗幕で暗い部屋だったのですが、

その暗い部屋に、大事な説明書きがあって、もっと明るいところに置けよと思いました。

で、説明を読んで不明な点があったので、さっきのおじさんに質問しようととすると、

すでに姿はなく、消えうせていました。下の売店に行くと、売店のおばさんも

探しているようです。「先生」と呼んでいました。先生、どこへ消えた?

 

売店で資料集(『奇石の科学館、玄武洞ミュージアム』(株)玄武洞観光)を買い求め、

船着場に戻ると、おだやかな陽射し。たまには、こういう時間もいいものです。

10分ほどして、向こうから客を乗せた小船が登場。元の岸に戻ります。

駅でしばらく待つと、城崎行きの普通電車。今度はわりと混んでいます。

で、城崎駅で降りて、山陰線この先に行く乗り換えの普通列車を見ると、

なんと、たったの1両!!!!!!!!

何を考えているんだJR西日本

電化は城崎までだから、大阪や京都からの特急は、全て城崎で終点です。

その先の、香住や浜坂に行く人は、ここで乗換えなのです。

この日は、ゴールデンウィークの昼間

見るからに、特急から乗り換えたと思われる旅行客に混じり、

クラブ活動帰りの中高生で、車内はとんでもない混雑

都会の電車なみの混雑、いや、昼間は都会でもこんなに混んでいない。

なぜ3両編成くらいに増結しないのか、対応の悪さに腹が立ちます。

 

さて、混み混みのディーゼルは、ちらちらと日本海をかすめながら、北へ向かいます。

東京を出てからずっと、列車の中で、宮本輝の『海岸列車』を読みつづけてきました。

その中で、鎧駅というのが、全編を通じてのキーワードになっています。

そして、城崎から浜坂までにいくつのトンネルがあるのか、というのが、登場人物の生き方に、

大きな象徴的なこととして描かれています。海が見えたのかどうなのか、ということが。

いよいよ、その城崎を出発したのですが、押すな押すなの混雑、揺れる車両。

どう考えても、文学作品に思いを寄せて、風景を堪能することも出来ません。

結局、トンネルも数えずじまい。香住でやや車内に余裕が出来て、

いよいよ到着。

『海岸列車』以上に、NHK朝の連ドラ『ふたりっこ』で登場したことが有名だそうで、

駅には、ようこそ鎧へという看板に、三倉マナ&カナの写真が掲げてありました。

民家はそれなりにあるものの、特に何か見るべきものがあるわけはなさそうで、というよりは、

この駅自体が、最も人を惹きつけるところのようです。

鳥取方面のホームから、地下道を渡って、京都方面のホームに出ると、

ホームの向こう側は、日本海に向かった急な斜面で、その斜面の下に、

漁村と、入り江と港が広がっていました。

そして、入り江には、向こうの丘の中腹から、鯉のぼりが何匹も泳いでいました。

駅のホームには、この漁村を眺めるためなのでしょう、海に向かったベンチがあります。

鎧駅ホームから見下ろした鎧の集落。湾に鯉のぼりがかかっている。

暖かな陽射しと、やや青さを抑えた品のいい海、鯉のぼり、そして、

眼下には、整備して年数の経っていないと思われる、コンクリートの白い道と漁業倉庫。

『海岸列車』の老人が「香住の港にはフウと吹く。この鎧の港にはヒンと吹く。」

と、ここの風を『富』と『貧』で語呂合わせさせたセリフが出てきます。

目の前の風景にそれを感じるのは難しいのですが、それは、こんな天気のいい日に

こんなに上から見下ろしているからかもしれません。

『海岸列車』の描写は、実に細かくこの風景をとらえています。

すでに、ケーブルの跡は、わずかに痕跡を残すのみで、錆色の道もきれいに舗装されており、

ベンチも、ひとつではなくいくつも置かれていて、全体に小奇麗でしたが、

村へ向かう道、墓地など、作品を追体験するには、物理的には充分に可能でした。

ケーブルの跡と思われる残骸

 

しかし、作品とは、季節も天候があまりにも違いすぎるのと、

宮本輝の文学に出てくる人々のように、生きることに真剣なまなざしで、この風景を見ているのか

どうかということで、どうしても実感できないところが多いのも、また確かなことです。

だから、文学作品というのはあるわけですからね。写真や映像では描ききれないのです。

 

ベンチに座って、『海岸列車』の続きを読みながら、京都方面へ戻る列車を待っていると、

一見して余所者と分かる、何人かの中年の男女がやってきて、

これまた、余所者である僕に、「地元の方ですか?」 と尋ねてきました。

僕の風体は、地元の人に見えたのでしょうか。

しかし、この人たち、どこから来たのだろう。近くに景勝地や温泉があるのかな。

 

豊岡に戻り、天橋立から福知山に抜けてみようと思い立ち、

再び、KTRのタンゴディスカバリ−4号で引き返すことにしました。

前方の自由席は、前方の展望が効いており、実にいい車両です。

駅弁の「城崎のかにずし」を食べながら、久美浜を抜け、

丹後大宮を過ぎたところに衝撃は待っていました。

 

列車が森の中を左にカーブしたところ、線路の上に素っ裸の子どもが直立しており、

列車は大きな警笛と、急制動をかけるものの、間に合いませんでした。

前方展望の効く車両の、前から右側2列目に座っていた自分を恨みました。

子どもは車体の下に巻き込まれたのでしょうか、その瞬間は車内から見えるわけではありませんが、

慌しく駆け回る運転手、車掌、聞こえてくる無線。医者か看護婦は乗っていないかと聞く放送。

しばらくして看護婦さんと思われる若い女性が、運転席から車外に降りてゆきましたが、

運転手は、「もうだめだと思うけど、念のため止血を」というようなことを言っていました。

だいぶ経ったように感じましたが、救急と警察が到着したようで、現場検証とのこと。

聞かれても大丈夫なように、僕も答えを準備していたのですが、車内での検証はなし。

おそらく、運転側の過失はないと判断されたからでしょう。その通りだと思います。

 

約40分の停止後、警笛を鳴らして、列車は運転を再開しました。

この状態で、おそらく痛々しい場面を見てきたに違いない運転手が、継続して安全運転をする

精神的な苦労を思うと、頭が下がるばかりです。

野田川駅の構内踏切では、やはり、神経質なくらい大きく警笛を鳴らしていました。

その警笛を聞くと、僕もギョッとしてしまいます。

(当分の間、電車の警笛が恐かったです)

40分間の間、丹後大宮〜野田川が不通だった訳ですが、行き違い列車、後続列車とも、

適切に駅を進み、退避していたのでしょう。さほど大きな混乱は起こっていなかったように

思います。17:44着予定の天橋立に、18:10頃到着。

もういちど天橋立をちらっとでも見物するつもりでしたが、時間的に無理。

そのまま、宮福線経由の特急はしだて8号新大阪行きに乗り換え、

接続待ちも、事故車の後続列車が、ギリギリまで間隔を詰めていたのでしょう。

わずか7分の遅れで出発が可能になり、福知山では3分遅れまで回復していました。

 

この日は、三田で宿泊。

宿泊したホテルのテレビで見た映像は、

佐賀発福岡天神行き西鉄高速バス「わかくす号」が、

何者かに乗っ取られ、広島で人質をとって立て篭もっているところでした。

この「わかくす号」、僕も佐賀在住の頃は、よく利用していたバスで、他人事ではありません。

けが人がいるとか、様々な報道がなされています。

 

今日ほど、旅行先で「考えさられた」日はないでしょう。

考えてどうなるものでもないのですが、

生命の現場に直面した、ということが、何ともいえない恐さというか哀れさを感じました。