2001年3月10日  上野〜金沢〜狼煙・禄剛崎


3月9日,上野駅地平16番ホーム

向こうには,通勤電車の発着する高架のホームが並んでいますが、

こちらは,ひっそりと長距離列車を待つ地平ホーム。

23時54分発,急行「能登」号金沢行きは,JR西日本の座席急行なのですが,

通勤の最終電車として,高崎までは帰宅につくサラリーマンも乗ってきます。

8号車の自由席の窓側の席に座ると,次から次へと客が車内に入ってきて,

あっという間に満席。通路にもデッキにも人があふれています。

金曜日のサラリーマンに加え,所々に長距離客も混じっているという状況で,

一体,この電車の主役は誰なのかと思ってしまいます。

接続待ちと,車両のトラブルのため,実際に列車が出発したのは,18分遅れの0時12分。

 

それでも、熊谷に着く頃にはサラリーマンの大半は降りてしまい,車内は空席が目立ってきました。

高崎で先行の「ムーンライトえちご」を追い抜き,新前橋で急行「アルペン上越1号」を追い抜き,

いよいよ上越国境の山越えです。景色が白くなっていき,いつしか深い雪の中を走っていました。

 

気が付くと,列車は逆向きに走っていました。小雪がぱらつく中,富山県に入ると,

たびたび停車する駅で客を降ろし,高岡を過ぎる頃には車内はガラガラになっていきます。

石川県との倶利伽羅峠越えで、再び積雪が深くなります。

金沢には7分遅れで到着。

 

金沢からは,七尾線の各駅停車に乗って,羽咋を経て七尾へ。

七尾駅の中間改札を通り向けると,のと鉄道のディーゼル列車が待っていました。

 

能登半島というのは,かなりスケールは大きいですね。

たとえば、金沢を起点に考えると,のと鉄道の終点蛸島までは、160.1km。

これは、金沢から小松を過ぎ,福井を越え,敦賀の先,滋賀県の近江今津あたりまでの距離です。

東京を起点にすると,那須塩原や富士川あたりの距離。あるいは、京都〜名古屋の距離です。

ちょっとした半島、というわけにはいきません。

なんせ、金沢〜蛸島は、普通列車で約4時間

サンダーバードと「急行能登路」の乗り継ぎでも3時間です。

羽咋市と輪島市が約3万ずつ,七尾市が約5万,珠洲市が約2.5万など4つも市もありまして、

それなりの人数が半島で生活していることになります。(金沢は50万弱)

 

うとうと眠っていると,いつのまにか列車は珠洲まで来ていました。

1時間くらい眠っていたようです。その間に,有名な恋路海岸も過ぎたのです。

 

終点の蛸島は,線路1本にホーム1つの,簡素な駅です。もちろん,無人駅。

駅舎の駅員の部屋は,もう何年も前から使われていないようでした。

駅前のバス停からは,狼煙(のろし)行きのJRバスが出ています。

この狼煙海岸の先,禄剛崎こそが,能登半島の最果てです。

 

JRバスは,地元の客が10人ほどと,明らかに余所者が僕を含めて5人ほど。

蛸島を出ると,閑散とした漁村かと思いきや,さにあらず,道路沿いは住宅が立ち並び,

さすがに積雪の中,人影こそ少ないものの,多くの人が生活している気配はわかります。

なにせ、ここは、禄剛崎まで含め,全部が珠洲「市」のエリアですから。郡部ではないのです。

 

海沿いに走っていたバスも,霞が浦温泉のあたりで,小さな山越えとなります。

さすがにここには人家はありませんが,カーブの多い雪道を,出際よくバスは進みます。

そして、もういちど海沿いに降りると,そこは終点の狼煙バス停。

何件かの食堂や喫茶店,土産物屋の並ぶ路地です。ここも20cmくらいの雪。

くるぶしの少し上まで雪に埋もれてしまいます。

バスで来た旅行客のうち,僕とあと1人を除いては,結局同じバスの折り返しで戻ってゆきました。

 

バスが去ると,僕以外には,同じバスに乗っていた青年が1人。

あたりを見渡すと,周りの店はほとんど閉まっている。まあ、この季節,この雪に,観光客は来ないだろう。

青年は,高崎に住む大学生で,前日の急行「能登」で来たようだ。

このまま,反時計回りに半島の周囲を輪島まで抜けたがっていたが,

その途中[木の浦]までのバスは,3時間近く来ない。

 

とりあえず,その大学生と,禄剛崎灯台(ろっこうざき)を見に行く。

灯台は日本海に突き出た丘の上で,バス停からは2本の上り坂があって、

どちらを通っても15分ほど歩けばいいらしい。ただし,この日は,20cmの雪

足を踏ん張りながら坂道を登るのは,運動不足の僕には、なかなかつらいものがある。

だいたい、途中もすべて雪に埋もれていて,道かどうかも分からん。

足がだんだん痛くなったが,何とか上りきって,丘の上の公園らしきところに着く。

公園も一面が白い世界で,人の足跡もありません。その100mほど向こうに灯台がありました。

 

突端に突き出た丘の上の,高さ12mの灯台は,日本海航路の需要な道しるべとして明治16年に完成。

遠く立山や大陸も見えるらしいが、この日は全然ダメ。

公園の標識には,ウラジオストックまで772kmなどと書かれていて,まさに最果てなのですが,

雪の白と,曇りとはいえ光があるせいか,さほど寂寥とした雰囲気ではありませんでした。

灯台。左側と奥側が日本海

大学生は,とっとと歩いていくので,僕はのんびり歩いたのですが,

さすがに、ここから外浦沿いに伸びる「岬自然歩道」を1人で歩いていく勇気もないので,

(何かあったとき,絶対に誰も助けに来てくれないだろうし)

もうひとつの道を伝って,バス停まで降りていきました。

一足先に下りていた大学生は,どうしても輪島方面に抜けたいらしく,ヒッチハイクを敢行。

それはいいのですが、雪の中,狼煙の集落には(これでも珠洲市内)車もほとんど来ず,苦戦。

でも、そのうち,軽トラックの荷台に乗って,西の方に去っていきました。

狼煙漁港

帰りのバスまで1時間近く空いていた僕は,唯一開いていた,「民芸」という食堂に入りました。

おばちゃんが1人いるだけで,ストーブに当たるように,カウンターに案内されました。

近所のおっちゃんもやってきて,端から聞けば名古屋弁にも聞こえそうな方言で,話を聞きました。

 

幹線道路は,ラッセル車が来てくれるので,不通になることもなく,生活には不自由しないようです。

3月にこれだけの雪は,能登でも珍しいのだそうですが,それでも,この日の雪質は重く,

水分を含んでいて,スキーには向かないと。春が近い雪だそうです。

そもそも,能登には寒いイメージがありますが,海沿いの集落では,0度を下回る日は,冬に数日しかなく,

これも,日本海の暖流の影響のようで,よほど金沢市内の方が寒くなることがあるようです。

 

東京の雪は,もっとベチャベチャしているのですが,能登にとっては,これでも水分の多い雪だと。

今年は東京にも大雪警報が出ましたが,あの程度で大雪警報が出ていたのでは,能登の人に笑われます。

 

テレビでは,西武VS読売のオープン戦。ここは中日ファンが多いと思いきや,

読売を熱心に見ているようで,なるほど読売の松井選手は,石川県の人だからですね。

そういえば,もう一人の石川県の有名人森喜朗首相は,この数日大騒ぎでして,

内閣不信任案が否決されたのに,与党からも辞めろの声と,シロートには何だか分からんことになっています。

おばちゃんも、「人はいいんだけどねえ」といいつつ,あんまり石川県のヒトとは認めたくなさそうでした。

 

食堂「民芸」で食事を済ませ,雪道の出ると,

バス停横のスペースの「日本の灯台50選」の写真パネルの展示を見ました。

先ほどのおばちゃんの話だと,禄剛崎が50選に入ったのを記念して,

近所の住人で,観光客向けの展示を作ったとのこと。

シンプルで飾り気のない展示でしたが,地元を愛する人の心意気は感じました。

(でも、せっかくだから,地元の禄剛崎の写真を多めにしたらいいのに。前50枚のうちの1枚ではねえ。)

 

帰りのバスは,行きとは違う内陸を通る山越えで,スリップしたらどうしようと恐い箇所もありましたが,

さすが,運転手も慣れたもので,ほとんど平時のスピードを維持して,珠洲駅まで走り抜けました。

珠洲駅は珠洲駅で,雪のため,10分ほど列車が遅れているとのことでしたが,

駅員は手押しの除雪車を使って,ホームまでの通路を確保していました。

待合室にいた地元のおばあちゃんが言うには,観光客は海が見えるから列車で来るけど,

地元の人間は,金沢に出かけるときにはバスを使うと。

列車は4時間かかるけど,バスなら2時間と少しで,金沢の市街地(兼六園下)まで行ける。

のと鉄道にとっては,人口も少しはあって,観光地も多いのに,営業は苦戦するというのは,

ここいらの事情も大きいようですね。

 

しかし,10分程度の遅れで,列車はちゃんと動いています。

こないだは、東京でちょいと雪が降っただけで,あちこち電車は止まって大騒ぎ。

いかに都会が軟弱か分かりますね。

 

この日は七尾市内のビジホに宿泊。