粘り強く耐え続ける建物を造るには
第30回 施工技術
建築施工のうち、骨組に関しての施工技術について記述することにします。
建築物を施工する場合に、設計図書として図面の他に標準仕様書や特記の仕様書もあり、材料や仕事の手順や度合などが記入されています。ここでは、設計図書等に記入されていない、現実の施工時の大切な技術の有りようについて記述することにします。
建築施工において、本当の意味での「やり直し」は絶対にできないものです。この事は大切なことで、仮に「やり直し」をすることで「元」に戻せたり、本来のものにすることは不可能ということです。
全体を基礎から新規につくり直すことであればまだしも、全体の一部分や局部のやり直しは、全体として本来のものにはなり得ず、全構造体の本来受持つ性能を保持できるものではありません。
例えば、10階建の2階の梁を造り直したという場合、コンクリート造であればコンクリートをはつり落として打直したり、鉄骨造であればガスバーナで梁を切り落として再度溶接をして新しい梁を取付けるような場合です。
新たなコンクリートの打継ぎの一体性の確保、鉄骨の工場溶接と現場溶接の違いによる性能の確保等は、本来のものになる訳がなく性能が落ちるのは当然のことです。
施工者が「手直しをする」という言葉をよく使います。しかし、上記のように本当に「直す」ことは本来できるものではないという事をよく知っておかなければなりません。後で「手直し」するということで、工事中に対応することなく一気呵成に工事を進めるためのものです。
「手直し」部分があった場合は、その部分が後になって多くの場合トラブルの元になるのが現実です。これは、建築の骨組に関する設計・監理の仕事だけを長い間続けて来ての実感です。まるで人生の過去は取返すことが出来ず、やり直しの出来ない人生と似ています。
経験豊かな人からの施工技術を受け継いで、ミスの無いように仕事をする事は大切です。しかし、基本的には施工を担当する技術者の想像力が大切だと思っています。今手掛けているこの仕事を、この様にして行った場合にはどのような結果になるかと考えたり想像したりする力、自然感覚が大切だということです。そのことがミスをなくすことにつながり、次への発展的な技術になると考えます。
しかし、頭の中で考えることの限界もあり、現実性を失う場合も多々あります。この落とし穴をつくらぬために、現実の納り・姿を図面に書いて、そして又考えるという作業が必要です。それが施工図です。
その施工図も本来は自分の手を動かして、担当する人達が作るのが原則です。現実的な切実感が伴なわなければ、間違いを見つけたり想像力を働かせたりできません。ところが、施工図が儀式化され、最近ではコピーとか設計図のCADデータを構造設計者から入手することを考えている施工者が多くなってきています。
又、今は、外国(主に中国)に外注して、Eメールでの往復により作図しているのも現実です。日本での留学その他で建築の設計図・施工図の作り方を学んで帰国した人が中心になって、設計図や施工図作成の会社を作っているようです。この事は他に意匠図・ソフト・アニメなど多くの分野がこの流れになっています。
自分たちの手を使わずに国の内外を問わず外部に依頼する流れは、古くからありました。しかし、現在はその度合いが大きくなってきています。ここで考えなければならないことは、実際に手を動かしている所へ技術が移ることです。本当の実力は手に技術を有する末端にしか有り得ません。
大企業は下請に外注して成り立っている仕組です。人の手による仕事の質や量は1人は1人だけのことであり、その能力は2倍も3倍にもなるものではありません。1人はおそらく1.3人か、1.5人が最大の能力で、作業の要領がよく能率を上げることはあっても、やはり1人は1人です。
下請に依頼する場合の最悪なことは、完全に下請に仕事を「任せきりでやってもらう」ということです。特殊な技術が必要で、その職人しかいないような場合はその人を表に立ててお願いことになります。しかし、工事現場の職別の一般的な外注先は、大企業と言えども施工現場に近い地場の中小零細の関連企業がほとんどです。
工事現場の仕事を下請に依頼する場合、やってもらうという元請側の技術レベルでは上質な施工の確保はできません。仕事の質を向上させ継続的に確保していくためには、下請業者の能力も向上させながら仕事を進めてゆく技術力・指導力を施工技術として保持する必要があります。
技術力・指導力をマニュアル化して、組織で保持することもある程度は可能と思いますが、本当に理解し仕事をすることと、書いてある通りを鵜呑みにして仕事をこなしていくことでは、大きな差になってしまいます。本当の実力を身につけ、質を見抜く力が必要なのです。
施工の大きな目的の1つは、設計に示された骨組の性能を確保した建築物を造ること、2つは、経済的な利益を上げるということです。資本主義の社会の出来事ですから、利益の追求は当然と言えます。役所自体が技術者を保持して施工するケースはごく稀のことで、現代は企業という利益追求型社会の仕組になっています。
さて施工技術の現実は、この2つの目標のためにあるといっても差し支えないでしょう。しかし、実際は競争がはげしく、予算不足の苦しい施工が多いようです。最悪でも、赤字を最小限に留めるという施工現場も多くなっています。良い施工技術とは利益を上げられる技術という位の勘違いさえ起きています。大企業は大企業なりに、中小零細もまたそれなりにきびしい利益追求型になっているのです。
このことは否定できないものの、一度造ると永年その形と性能を保持されなければならない建築物に対し、障害になるものは否定しなければなりません。利益追求のために多くの人命を失った鉄道事故の終始顛末に類似することは、絶対に否定しなければなりません。その企業の経営方針も、言葉ではなく末端に至るまで統一された思想と技術に貫かれていなければなりません。
このように考えてきますと、施工技術の良し悪しは、企業の大小やその組織のあり方によるものばかりではなく、担当する者の能力(特に自然感覚)であり、最大は想像力であると言えると思います。そして「やり直し」はタブーとし、ロスのない仕事をすることが、利益を上げることにもつながってくると考えます。これは、施工技術に限らずどのような仕事にも共通する条件なのかもしれません。
文化人類学的には原始時代から現代に至るまで、どのような地域や社会にも、賢い人は少数ですが一定の割合で存在すると言われています。
理想的な全人的人物を望むのは難しいことですが、少なくとも今、事を遂行しようとするときに、「これで良いのか」と自分に問い直して考え込み、ミスを最小限にする習慣だけは保持していてほしいと思っています。資格を持つことなどでは得られるものでないと思っています。
技術と利益の2者の選択ではなく、2者のバランスの選択であってほしいと思います。これも考え込む能力、想像力が必要です。施工は本当に多くの要素から成り立っていることだけに、たずさわる人間像としては多くの要素のバランスのとれた人物こそが、より良い施工技術を保持することになると確信しています。これも又、全ての仕事に共通する事だとも思っています。
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