釜ヶ崎・暑い夏





目次


1、熱狂のるつぼ
2、釜のホームレス
3、2007年夏、朝の寄せ場
4、1961年夏、暴動


熱狂のるつぼ

大地は涸れつくし、海は滅んでいく。
いつの間にか世界は、繁栄という化け物と地球という生命との絶滅を賭けた最終戦となった。

その夏、追われゆく人たちは、どうしたのか?
悪臭と自堕落の底でむせかえりながら、どよめき、身じろぎし、ばか騒ぎに興じる敗残の巨人どもは?
釜ヶ崎――そこは斃人の里、差別と偏見の処理場、はきだめの聖地だ。
そこには差別はない。
偏見もない。愛も慈悲も憐憫もない。
おそれるものなど無い。
飢える人たちが飢え、渇く人たちが渇き、死にゆく者たちが死ぬ。
過去はここでは何の意味も持たない。ここでは、年金も、保護も、白手帳も、カン・マン(アルミカン集め)も、物乞いも、ひとしなみに醜いはらわたをさらしてほっつき歩く。

緊急夜間宿泊施設に長蛇の列を作り、日雇い現金一万にありつき、五千七百円の高齢者清掃事業の順番を待ち、炊き出しをむさぼり食う。

センター

労働福祉センターのメインフロアーは野戦病院の暗がりを思わせる。
傷ついた者たち、矢尽き刀折れた者たちが、禁断、脳症、そこひ、妄想、幻覚、疥癬、身体欠損の、あらゆる障害、あらゆる病巣をさらして、静かにまどろんでいた。
そこには隣人に対する敬意があった。
無秩序の秩序があった。
卑こそが聖であり、悪臭こそ郷愁であり、懶惰こそ秩序であり、困窮こそが正義であるというひそかな悟りと矜持があった。
日がな、魂の嘆きに聞き入り、節々から響く遠い痛みに耳を傾けているかのようであった。

おごれる者は去れ。
われは野の民、掟を知らず。
されど人を苦しめ、裁くことなし。         ―プーシキン―

三角公園

その日の午後、ひとりまたひとりと、どこからともなく集まってきた人たちが、襟を正した。
死者たちの名が記された粗末な祭壇で、読経がはじまっていた。
2005年の死者たち、2006年の死者たち、そして、2007年、この年の8月までに死去したものたち、51名の氏名が記され、記されたあとから加わった死者たちが急遽11枚の短冊にしたためられ、画鋲でとめられていた。
誰がどこでどういう風に死んだか誰もわからない。
それでも本能と直感が嗅ぎ取った不在の確かさが、新たに短冊を付け加えたのである。

人は死ぬ。
ここでは法の罪悪が鼻歌まじりで人々の運命を狂わせる。事故死も病死も殺人死も遺棄死も、撲殺ですら、やすやすと行旅死亡人となる。何万人もが不当に差別され、むなしく滅んでいった。
そういう土地が求め、そういう土地が必要とした人たちがいた。
川瀬誠治(32歳)は、大正建設のケタオチ飯場でブルに敷き殺された。
ある者は、国粋会金町一家に刺殺され、別のある者は射殺された。
船本州治(29歳)は、皇太子の沖縄訪問に抗議して、米軍嘉手納基地正面ゲート前で、焼身死した。

その日、威力業務妨害罪で有罪判決を受け、裁判の不正に食いついている4名の男たちが真っ先に焼香した。
そして、後に続く人々はどう冥福を祈り、どう悲しんだのか?          
しばしば、祈りは狂気にかたちを変え、悲しみは熱狂の色彩をまとう。
虐げられた土地からやってきた無名の人たちは、土埃の舞う悪臭と懶惰の人たちに巻き込まれ、抱え込んだ悲しみを、持って行き場のない憤怒のありったけを爆発させた。
血が騒ぎ、怒号が乱れ飛ぶ。
人々は熱狂のるつぼと化した。
ビールを浴び、空になったワンカップが山をなす。人いきれでむんむんした。四方八方を支離滅裂なバリケードで固めた三角公園は久しい以前から砦だった。その砦に嵐が吹き荒れた。
手に負えない荒々しさが吸い込まれ、反抗が、拒絶が、憎悪が、憤怒が、渦を巻いて燃えあがった。
考えている者は誰ひとりいなかった。
それぞれがそれぞれの激情に身をまかせた。
はらわたをさらし、わめき、叫びながら倒れればいい。
死ねばいい。
群衆の英雄が次々に飛びだした。
身振り手振りをまじえて、文句を吠え、あざ笑い屋が係員の制止を振り切ってマイクを奪い取った。
精悍で鋭く、身のこなしの敏捷なしゃれ者が、みょうな形のサングラスを掛け、実行委員会のメンバーを舞台から追い払った。
「第三十六回・釜ヶ崎夏祭り」は、収拾がつかなくなった。
ああ!
熱狂を熱狂のあるがままにまかせよ!あざ笑い屋からマイクをむしり取ったスキンヘッドが叫んだ。
「こっぴどい目にあわそうぜ」
「そうだ!」
「あいつらは西成警察に守られて、冷房にかじりついているぜ」
「警察をやっちまおう!」
忘我の陶酔が一瞬滞った。
血塗られた遠い昔の悪夢が蘇った。
息を詰めた凝視が、熱烈な沈黙が舞台を見守った。
四十六年前、西成警察署を襲撃し、焼き討ちをぶち込み、暴力団とつるんでいた野村刑事課長を正門ゲートでつるし上げたときから、警察は、難攻不落の要塞となった。
襲撃には劣化ウランの貫通力がいる。バズーカ砲とミサイルがいる。

幻の女

群衆のなかからひとりの女が現れ、舞台へ近づいた。
「あれは、ばたや(クズ拾い)に捨てられたチャンコロの娘っこだぜ」
「朝鮮人二世か」
「いいや、混じりっけなしだ」
そんな噂がささやかれた。
彼女は民族衣装で飾られていた。
更紗のあでやかさと黒の暗さが彼女の曲線を際だたせていた。
胸の傾斜、肩から腕にのびる白さは牛乳のように透きとおっていた。
彼女がマイクに向かうと群衆は静まりかえった。

親のない鳥が、親をさがしてないていた。

♪青い月夜の 浜辺には
親をさがして なく鳥が
波の国から 生まれ出る
♪濡れたつばさの 銀の色

そこには悲しさがあった。
叫びたくなるような切なさがあった。

群衆は息をのんだ。
死につけ狙われ、なお煩わしい生命を持てあましている人たちにどうして涙が残っていたのか?干あがった者どもの干あがった眼窩の奥から、なぜとめどなく涙があふれるのか?
その、物憂い旋律の遠い悲しさは、渇いた心のどこに触れ、どこに沁みたのか?
あたりには音もなくさらさらと流れる涙の筋だけがあった。
誰の目にも彼女は霞んで見えた。
見えなくてもよかった。
霞んでいてもよかった。
そこに、見捨てられた女がいた。そのひとは冷たい声で、歯を食いしばった苦悩、忘れることのできない侮辱の数々をはるか遠く、虚空の彼方へ解きはなった。

♪夜なく鳥の 悲しさは
親をたずねて 海こえて
月夜の国へ 消えていく
♪銀のつばさの 浜千鳥  (詩、鹿島鳴秋。曲、弘田龍太郎)

彼女を見つめる群衆の食い入るような瞳は、世界はかれらが生きるからこそ生き、かれらが滅びるときに必ず滅びるという抗しがたい真実の、明証そのものであった。

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釜のホームレス

アメリカのホームレスはくっきりと生きている。
多様な人種が少しも奇異でないように、ホームレスも何ら奇異な存在ではない。
それは「アメリカのホームレス」でふれるようにごく当たり前の隣人だ。

ぼくたちのホームレスは偏見と差別の絶対対象として存在する。
非人、はみだし者、エタ、乞食、不浄なものども、奇異な存在、異人種として存在する。
あるものは追われた。ほとんどは飢饉と搾取に踏みつぶされて逃げた。市民社会から拒絶され、大都市へ流れ込み、かつての人足寄せ場や河原に吹き寄せられた。

時代の底が割れ、繁栄がピラミッドの底辺を食いつぶしにかかると、公園や地下プロムナードにテントや仮設小屋を掛けてひっそり住みついていたものたちにも受難の時代が来た。
「カードとマイカーを持っていた」都市型ホームレスがなだれ込んで来たのである。
人々は、異常発生したネズミを退治するように地方自治体をけしかけ、公園から追い払い、地下プロムナードの面目を一新した。

両陛下の目に触れないように国宝級イベントが開催されるたびに隠蔽された上野公園のテントの群れも、都の「地域生活移転事業」によってすでに完全に姿を消した。
大阪・西成公園をはじめあらゆる公園は、名もない公園にいたるまで錠前がかけられ、見るも無惨な鉄条網の砂漠と化した。

離散した人々は、孤立し、明日のない不安のなかで、差別という殺戮、偏見という撲殺におびえながら、座して死を待つのか、「フライパンを持って立ちあがるのか」の二者択一に直面している。

武器はあるのか?
それはある。
カッターナイフがあり、金槌があり、しゃもじがある。

戦えるのか?
それはむつかしい。
筋力トレーニングにも奸智にもレバニラ炒めライスにも見離され、この世のもっとも弱き者たちがもっとも強くなるための最高の武器、連帯という結束が無い。
相互扶助も、情報交換も、金もない。
飢え、おびえながら、あきらめのうちに朽ち果てて行くよりほかに方法はない。

(参考・「行旅死亡人 官報より抜粋」)


釜は最後の砦

山谷は事実上崩壊し、今や、釜ヶ崎が最後の砦となった。
釜ヶ崎には、まだ、横になることができる場所がある。
センターがのふきっ晒しのメインフロアーがある。
1,040人を収容するシェルター(
写真@)がある。
路上があり、アオカンにもってこいのセンターの庇がある。
三角公園には頑強にしがみつく小屋がけの牢名主が住みつき(写真A)、今なお南海電鉄沿いの道路にはブルーテントがひしめいている(写真B)。
労働する者たちは早朝二時からアルミカンを集め、そうでないものたちには福祉がある。
ボランティアの炊き出しがある。

ドヤも野宿もシェルタもテントも、誰が誰やら見分けはつかない。
露営の思想はある。
しかし、それを殊更主張するようなやつはいない。
拒絶や反逆の思想はある。
しかし、それはあくまではらわたの奥に錠前を掛けてしまいこまれている。
黙るがいちばん、あいまいが隠れ蓑だ。
それでみな、曖昧模糊と蠢いている。
個人として目立つことを嫌い、群れのなかに埋没したがっているかのようだ。
くっきり生きていくことはできない。
立ちあがる誘惑から逃げ、ずるずると沼にはまりこみ、底まで沈んでヘドロにくるまってまどろんでいるかのようだ。

出身も性別も名前もちがう。
来歴も年齢もちがう。
それでも、みな同じように渡り歩き、列島のあちこちから流れつき、群れの掟に従って、存在無き存在、まどろみつつ存在する非在となってさ迷っている。
曖昧模糊が長蛇の列をなす。
曖昧模糊が胸をなでおろし、曖昧模糊がうどんにありつき、曖昧模糊が喰う。
曖昧模糊が横たわる(写真C)。
曖昧模糊が背を向け、曖昧模糊がどんちゃんやる。
いつでもどこでもとろんとしている。
しかし、用心するがいい。
ろくでなしどもめ、いつ躍りかかるかはその時の「俺たち自身が決める」。
侮辱されれば、いつでも食ってかかる腹だ。



斃人の里

三連単の舟券に興奮して飢え、酔いに崩れ、禁断、ドラッグ、結核、脳障害、肝臓、麻痺、そこひ、HIV、虚言、幻覚、疥癬、ありとあらゆる病巣を抱え込んで、ずるずると斃死していくことを望んでいるとでも?
とんでもない!
今日がないのに明日が何だというのか!
気は確かか?
もちろん。
昨日が何であったか、明日が何であるかもわからなくなってしまったとでも?
かつて自分が何であったかも、自分が誰であり、どんな名前であり、いくつになるかも忘れてしまったとでも?
かつて、怨嗟が爆発し、四日間荒れ狂ったことも遠い記憶になってしまったとでも?

気は確かだ。
もちろん!
東田町派出所を焼き払い、警官が閉じこもる西成警察署を包囲し、パトカーに火を放って欣喜雀躍して踊り狂ったこともあったっけ。
暴力団を投石で蹴散らし、出動した6000人の機動隊に鎮圧されたことがあったっけ。

あれから46年、やがて釜ヶ崎暴動・50周年記念が来るだろう。
その時は、全国に散らばっている野営主義者が次から次へと集まってきて、たまりにたまった恨みを爆発させるだろうか。
釜のそこここに、難攻不落のバリケードを築き、歯を食いしばった忍従、持って行き場のない憤怒を盾にあっかんべを食らわして、とことん暴れ狂うだろうか。
大衆を巻き込んで、破壊と狂気、正義と権利に燃えあがるだろうか。
差別と偏見の血塗られた歴史にまんまと一杯食わすだろうか。

差別のいやらしさ、偏見のエゴイズムを恥じ入らせ、狙撃隊に吹っ飛ばされ、かつて誰ひとり経験したこともない栄光の死を死ぬのか?


●昭和初期の風俗作家・武田麟太郎は、短編『釜ヶ崎』(昭和八年)で、釜で生きる男娼、浮浪者、芋粥の主人、露天商人のせちがらさ、抜け目のなさ、「使いかけの石けんやハトロン紙の封筒を露天に売る」よくよくの女などを書いている。
その末尾に、彼は
「大阪市不良住宅地沿革」で官が記録した釜ヶ崎を以下のように(注・一部、現代文に改めた)紹介している。

「現在の釜ヶ崎密集地域も明治35年頃までは、わずかに紀州街道に沿って、旅人相手の八軒長屋が存在していたにすぎない。
その後、東区の野田某がはじめて、労働者向けの低廉な住宅を建設して、労働者を収容したるが、なお当時においても依然として百軒足らずの一寒村にすぎなかった。
以後、大阪市の発展にともなって、下寺町、広田町方面に巣くっていた細民は次第に追い出されて南下し、安住の地を求めて、期せずして密集することとなった。
それが現在の『釜ヶ崎』である。
そこにうらぶれた長屋部落が形成された。
激増する下級労働者、無頼の徒、無職ものが住みつき、街道筋にこびりつく木賃宿は、各地から集まってくる行商人、旅芸人たちの巣窟となり、近隣住民にはなはだしい悪影響を及ぼした。
児童の大半は就学しない。
学校に通っている学童も、三年か四年でやめ、銭を賭けて路上賭博に打ち興じている始末だ。
下水設備がなく、不潔なことは言語に絶する。水道のないところが多く、みな、井戸を使っている。」



●太平洋戦争では陸軍報道班員として糊口を凌ぐことになった往年のプロレタリア作家は、風俗を描きながらも『人間の破滅状態』のなかで生活しているそれらの人々の『浮浪者魂』を紹介することは忘れなかった。
本題とは関係ないが、そのことだけは、最下層の貧民のふところにもぐり込み、同情を持って描いた我が国では数少ない小説家の名誉のために附記しておきたい。




                                               
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2007年夏、朝の寄せ場


午前五時、センターのシャッターが動きだすと、労働者は色めき立つ。
日当は一時の半分だ。
今では、相場は10、000円だ。
名古屋の平均11、000円より落ちる。それでも九州の7、600円よりはるかにましだ。
15日、30日の長期ケタオチ飯場のマイクロバスも激減した。55歳を過ぎるとすべての仕事から見離される。
釜ヶ崎は、またたく間に厳しい労働の街から福祉の街へころもがえしてしまった。

労働はずっと買い手市場が続いていた。
売り手が物色し、奴隷を値踏みするように選別する。
手配師が労働者の生死を握る。
特別高齢者清掃事業の行政が金玉を握り、建築・製造・運輸の雇い主が胃袋を支配する。

労働者はますます奴隷になったのか?
ばかをいえ。
労働するものが誰よりも労働を知り抜いている。奴隷状態が今まで以上に続くかも知れないが、労働するものは、未だかつて一度たりとも奴隷であった例しはない。

労働者となるとき

おおぜいの男たちがセンターの出入り口の高床や、柱の出っ張り、階段のあちこちに腰掛け、荷物を置いて、構内を行き来する人々の動きを眺めていた。
ほとんどは、仮設シェルターを出て、ここにやってきた人たちだ。誰もが歳もとり、しなび、浮かないようすをしていた。

駐車エリアいっぱいに並ぶ二次、三次下請けのマイクロバスは、常雇いを確保し、あとは出発時刻を待つだけの体勢になっていた。呼び込む手配師もいなければ、売り込みの労働者も見えない。

ふと、福祉医療センターの方向から、ひとりの七分ズボンに地下足袋の男がやって来た。
かれは、あたりを見回しながら落ちついた足取りで、センター中央よりやや駐車エリアに近い柱のそばで、人待ち顔でそっと立ち止まった。

それを駐車エリアの手配師がめざとく見つけ、早足で、へその下にぶら下げたウエストポーチをちんちんみたいにぶらぶらさせながら近づいてきて、「頼むわ」と声をかけた。
男は振り向いた。
一瞬の間合だった。
かれはわずかにうなずいた。
すると手配師は、ウエストポーチからわしづかみした札束のなかから一枚を、素早く手渡す。
その瞬間、こみ上げる満足感とともに、かれは、労働者となった。
労働がすべてだ。
労働するものが労働する。
労働者に敵はない。必要とされる人間の勇気と大胆さを取り戻し、行きたいところに行き、やりたいことをやればいい。
かれは、一万円を手にまず行きつけの一膳めし屋まで鯖のみそ煮定食を食べに行った。それから、ドヤへ戻って三日分のドヤ代3,600円を前払いし、自動販売機で缶コーヒーを買って、ゆっくりセンターへ戻ってきた。
柱の出っ張りにひとつ空きがあった。
そこに腰掛け、缶コーヒーをちびちびやりながら、いつものように出発前の一服に火をつけた。

6:17am、センターの暗がりは、影のような人たちの影のような行き来でざわざわしていた。ワンカップをすすっているやつ、スポーツ新聞をめくっているやつ、呆然としているやつ、30半ばの若いあんちゃんもいる。70過ぎもいる。女もいる。みんな窶れていて、年寄りばかりのように見えるが、本当の年齢は、聞いてみなくてはわからない。

男は、53歳だった。
彼もあちこちを渡り歩いてきた。
北海道から沖縄の石垣島まで、静岡でも、神奈川でも、茨城・大分でも働いた。
北海道では道路を造った。
石垣島では、牛の世話をした。マグロの船にも乗った。
日産の追浜ラインで発狂しそうになりながら普通免許を手に入れた。
東電の3次下請けで、配管の水漏れを拭き取ったとき、赤ランプが点灯して、汚染されたというので髪の毛もまつげも爪も切り落とされたこともある。
トンネル工事で足を折った。
二度折って、二度目に病院から逃げようとしたとき、追いまわしに追いつめられ、死ぬつもりで七メートルの崖を飛び降りた。
どうしてなのか、今もってふしぎだが、くるぶしをぐしゃぐしゃにしただけで、なぜか死ななかった。
女房とふたりの娘がいた。会うたびに気まずくなり、この十三年会ったことはない。
十年ぶりに釜をたずねてからもうすぐ一年になる。

かれは立ちあがった。
今日の仕事は、鳶の手元だ。尼崎の液晶テレビ工場の孫請けが急がされている鉄骨十階建ての八階だ。
80メーターほどの車寄せには、二次下請けのマイクロバスがずらりと並び、乗り込んでいく労働者たちのざわめきと笑い声がはじまっていた。陽気な冗談が飛び交い、身の引き締まるような労働の予感がぴーんと張りつめていた。

6:30am、かれはお目当てのマイクロバスに乗り込んだ。
12人、見知っている顔が4人いる。
軽く顎を引いて挨拶を送り、最前列の補助席にゆっくりからだを預けた。

マイクロバスが次から次へと発車していた。
府内に行くアズマ組、大建、アラマサ、中邨組、新和、岐阜に行く美希産業、富山へ行く田所組、茨城へ行く新滉建設、羽振りのいい三太井建設……。
送り迎えのドライバーを兼ねているウエストポーチの旦那が、永井建設の発車にあわせてアクセルを踏んだ。
さあ、戦いだ!
ゆったりと構え、気を緩めず、危険きわまりない地上24メートルの労働に食らいつき、どんな理不尽な仕打ちにも、ぶち殺したくなるようにむかつきにも立ち向かわなくてはならない。

そういう風にして、労働者たちが300人、どうかすると500人が、それぞれの作業現場へ向かっていく。
あとには、怠惰な、あてどない、懶惰なざわめきが残る。


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1961年夏、暴動


1、くつろぎ
2、生きている死骸
3、破壊
4、暴動
5、うおー

くつろぎ

その街は、労働するものたちの街だった。
午後九時を少し過ぎると、街はいちばんおだやかな時間を迎える。
その年の八月、その日も路地のあちこちに日焼けした男たちが赤い顔をして、たむろしていた。
明日は水曜日だった。
土曜日まであと四日乗り切らなくてはならない。
「どっちだ?」
「アオカンした方がましや」
「飲むのか、飲まんのか?どっちだ?」

「飲む」
「待ってろ」裸の男は、瓶ビールを半ダース買ってきた。「わしのおごりや。気にせんとやってくれ」
「おおきに」
「トレンチ、打ったんか?」
「いや。明日の午後からや。長靴持って行かなあならんのや」
「何メーターもんや?」
「十メーター」
「何じゃそれ。おまんらあの監督はあほか」
「あほや」
「どついたろか?」
「どついたがな」
ここでしか生きられないものも、ここでなら生きていけるものも、みな、あなたがたが決して近づかない労働を生業としていた。
ここでは隠し立てすることなど何もない。
嘘もなければ、ごまかしもない。
蔑むやつは蔑めばいい。
わしらは働く。
土羽をうち、赤土をはね、砂糖袋を担ぐ。
ワイヤーを掛け、足場に登る。
ふくれあがって働く。
あなたがたが決してたずさわることのない仕事のすばらしさなら誰よりも知り抜いている。
ふくれあがって働いたからには、誰にも文句はいわせない。
昨日まで乗り切ってきた。
今日も乗り切った。
明日だって、あさってだって乗りきるさ。
その満足感が、みんなを饒舌にしていた。
元請けのおやじのこと、手配師のこと、世話役のこと、昼の痩せこけた干物みたいなサンマのこと、新しく沖縄から来た屋台の女のこと、競輪の八百長のこと、扇風機付きのドヤが高過ぎること。
いつも同じ話題だが、いくら話しても尽きることはなかった。
明日が早いのでそろそろきりあげてドヤへ戻るものたちもいた。
知りあいに誘われて、立ち飲み屋へ向かうものも、屋台へ繰り出すものもいる。

どすんと音がしたのは、そういうときだった。
タイヤのきしる音もした。
南霞町駅のこちら側の交差点のあたりだ。
東田町交番のすぐそばだ。
たいした音ではなかったが、ひとりの男がはいつくばるような格好で路上を滑るように走って、歩道のへりに突っこむのが見えた。
「また事故やで」
誰かがつばを吐いた。
「動かんで」
「くたばったんかいな?」
「あんなもんでくたばるか!」
「動いたらあかんのや」
「当たり所が悪いとあかんぜ」
このあたりを通過する車は、このあたりのことをよく知っていて、みな、心持ちスピードを落とし、前方注意を怠らなかった。
二十九歳のタクシー・ドライバーも、制限速度を守り、時速四十キロで空車を走らせていた。しかし、はっと思ったときには、銭湯に向かう爺さん(62歳)に接触していたのである。
あたりに人だかりができた。
119番したらしい男が、脈をとったり、胸に耳をあてたりしている。
よくあることだ。
釜ヶ崎と知ると、なかなか救急車が来てくれない。
3分が過ぎ、5分が過ぎた。
10分、そろそろ、いくら何でも来るころだ。
路上のあちこちでたむろしている男たちは、なぜとはなく不安になった。
どんなに耳を澄ましてもサイレンの音が聞こえないのである。
15分ほど過ぎた。
やはり来ない。
本署の西成署から四人の警官が出てきた。
かれらがゆっくり事故現場へ向かっているのをみんな、狐につままれたような気持ちで見ていた。
どうしたのだろう?
うんざりしたような足取りでいやいや進んで行く。
なにかおかしい。

警察がおかしいのはわかりきっている。
ひどいの何のって!
何にもしていなくとも、どんなやつも罪人とみなして痛めつける。食ってかかろうものなら、殴って蹴られ、水をぶっかけられて氷屋の裏路地に捨てられる。そんな暴行は毎度のことである。いっぱい引っかけてドヤへ戻っていると、「ちょっと来い」とふたりがかりで両腕をとられ、引っ張り込まれて裸にされ、けつの穴までむしられることもある。

警察は、街を目の敵にしている。「虫けらどもは、たたきつぶせ」といわんばかりに、警棒でめった打ちにして、ぐうの音も出ないほど痛めつけておっぽり出せば、それで、二度と文句は吠えないと確信していた。
警察は、事実、街じゅうの男たちを敵視していた。
警察の味方なんてひとりだっていやしない。
やつらが狂っているのは、ににんがしと同じくらいわかりきっている。
わかりきっているが、しかし、目の前を行く警官隊にはどうも嫌な予感がする。
何ともいいようのない変な空気がある。
やっぱり!


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生きている死骸

警官隊は、瀕死の男を歩道に引きずりあげ、派出所から菰を持ってきたのである。
何をする?
まだ生きてるじゃないか!
生きてるのに菰をかぶせるのか!
瀕死の男は路上を滑ってふんどしが引きちぎれ、血と泥に汚れ、ずたずたのすだれみたいに転がっていた。
流れ出る血から湯気があがっている。
警官隊は、人だかりから飛ぶ抗議を無視して、菰をかぶせたのである。
あちこちにたむろしていた男たちが、あちこちでさっと腰を浮かした。
飛んでくるものもいる。
「おまんら、何するねん?」
警察官は、すべての抗議を無視して、実況見分をはじめた。
「それでも警察か!」
「虫けら扱いか!」
「くそったれが!」
「病院に行くのが先やろうが!」
人だかりは、ふくれあがった。
あちこちから男たちが殺到した。
六発の弾が詰まった六丁の拳銃で応戦してもとても持ちこたえられない。警官たちは、派出所に逃げ込んで、本署に応援をもとめた。
タクシー・ドライバーも恐ろしくなって派出所に飛びこんだ。
「おいこら、運ちゃん。待て、待て!撥ねたおまんが、病院に運ばんかい!逃げるな!おいこら、運ちゃん、出て来こい!」
二、三十人の人だかりは、いつの間にか、百人ほどになっていた。
やがて応援が来た。
パトカーはサイレンを鳴らしてやってきた。
あたりは静まりかえった。
パトカーから降りてきた警官は、菰をとって“死骸”を確認し、思いついて脈をとった。
それから互いにうなずきあって菰をまた“死骸”にかぶせたのである。
群衆は固唾をのんだ。
それから、口々に叫んだ。
「早く病院に運べ」
「手遅れになるぞ!」
「みんなどけ。これから実況見分にかかる。邪魔するやつは、公務執行妨害で逮捕する」
警官隊は殺気だった。
「待て待て、糞野郎。待たんか!どうして救急車を呼ばん?」
「救急車は来ない」警官は、どなった。「救急車で死体は運べないことになっている。みんなどけ、これから実況見分をする。どけ!どけ!」
「だったらパトカーで運べ!」
そう叫んで、誰かがパトカーを蹴った。
十七、八のあんちゃんである。
警官たちが激怒して、その男に襲いかかった。
ぶちのめし、たたきのめす……それがパトカーを蹴るなどという、不届きものへの当然の罰である。
そうでなくては、くそったれどもはつけあがって始末に負えない。
震えあがらせ、性根を入れかえてやる!
警官は、武術でいう「裏をとる」という決め技で若者の両腕を羽交い締めにした。その技が決まると、どんな怪物でも動けないのである。若者は宙づりになった。空を蹴って抗がったが、どんなにばたばたしても、「裏」は外せない。
そして派出所に連行された。

二百人ほどの群衆は、罵声を浴びせかけた。
「出てこい!」
「出てきて、病院に運ばんか!」
「逃げ込むな」
「くそったれ!」
どこからか、石が飛んできた。
窓ガラスが粉みじんに吹っ飛んだ。
急遽一個小隊の応援が西成本署から到着したときは、すでに罵詈雑言は収拾がつかなくなっていた。

毒づき、わめき、いきなり躍りこんでくる。
石がびゅんと飛んでくる。ビール瓶も叩きつけられた。どこにあったのか、軽トラックのドアが一枚くるくる舞いながら飛んでいった。
隙を見て殴りかかるものもいる。
このままでは騒動になりかねない。
パトカーがひっくり返され、火でもつけられたらどうなるか?
炎は人を興奮させる魔力を秘めている。
警察は、あわてた。
素早く、器物損害で現行犯逮捕したあんちゃんを釈放し、みんなのいうとおり、「瀕死の男」をパトカーに乗せ、相原第2病院へ運ぶと約束したのである。
火に油を注がないように群衆の要求に屈したのである。
残された20人ほどの警官たちは、パトカーが消え去るまで、敬礼して見送った。
「最初からそうすれば、たすかったんだ」
ひとりの爺さんが飛びだしてきて、尻をまくって四つんばいになった。
煮干しみたいにしなびた爺さんだったが、尻は白く、女の乳房のようにつやつやしていた。
「これでも食らえ」
爺さんは、屈服した警官隊へ向けていきなり尻を突きあげた。
それとまったく同時に、誰かが飛びだしてきて、何かをひとかたまり、警官隊の隊列に投げつけたのである。
笑い声がどよめいた。
あたりにぬかみその臭いが飛び散っていた。
一膳めし屋から、誰かが、ほんの少し前、偶然、ぬかみそを樽ごと運んで来たばかりだったのである。
「そら!もう一丁!」
数人が爺さんを真似て、尻をまくった。
「そらそら!」
群衆ははやしたてた。
あっちでも、こっちでも、尻がまくられた。
笑い声が噴きあがった。
誰かが尻を突きあげるたびに、ぬかみそが投げつけられ、警官隊は、一人残らず派出所に逃げ込んだ。
「そらみたことか!ぬかみそごときに、まいったか!」
群衆は躍りあがって喜んだ。
事実「ぬかみそごとき」を全身に浴びて立ちはだかる一人の警察官もいなかったのである。
そうして、公安が「騒動」と名づけ、街の人たちが「暴動」と呼び慣わしている疾風怒濤の暴虐が荒れ狂うこととなった。

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破壊

どの時代でもいつでも暴動は孤立したひとりの人間の衝動からはじまる。
あるものは、腹の底から絞り出す怒りを突きつけ、あるものは、自分自身の存在をめちゃくちゃにしたいがために躍りこむ。
別のあるものは、復讐の爪を立てる。死にものぐるいで敷石をはがし、「否」という衝動を投げつけ、腕がばかになるまで終わらない。
ただめくらめっぽう破壊したいだけである。
それだけである。
見境なく、上からも下からも、暗がりからも、正面ゲートからも、屋根づたいからも、線路からも、大通りからも、空き地からも、斜めからも、路地の取っつきからも、塀と塀の隙間からも、穴倉からも、いたるところから顔を出して、破壊を投げつけ、姿をくらまし、破壊がぜんぜん足りないことを知って、さらに燃えあがる。
敷石を投げつけ、射的場の人形の景品を投げつけ、はがした板を投げつけ、むかつきを投げつける。つぶされた夢の残骸を投げつけ、瓶を投げつけ、枕木をむしり、看板を振り上げ、車をひっくり返し、駐在所に火を放つ。
暴動が渇望するものは、この世の破壊であり、この世に対するまったき「否」なのである。

反乱は指導部を持っている。
計画があり、準備があり、戦略がある。分析があり、洞察力と情報網がある。絶対少数だという自覚と矜持がある。立ちあがれば死ぬという悲壮感に引き締まっている。
反乱は常に、正義を掲げ、後に続くものたちを鼓舞する理念と希望の「プラカード」をひるがえして立ちあがる。
「敵を殺して死ぬ」(ビクトル・ユーゴー)。

暴徒には敵はない。
味方もなく、指導部もない。
暴徒には、何もない。
主張などないのである。
暴徒にとって正義も理念も糞にすぎない。
倦怠もニヒリズムも、権利も人権も糞だ。
憲法が何だというのだ。
世界憲章がどうだというのだ!
この世の一切合切が糞だ。
暴動とは、まったき絶望であり、まったき破壊であり、すべてに対する糞まみれの全否定である。
爆発するのは、個々の激情であり、狂気であり、何よりも社会を、この冷酷で、矛盾に満ち、不正と差別、偏見の渦巻く、このけだものの息の根を止めたいという衝動だけである。
反乱はしばしば革命をもたらす。
だから、反乱の鎮圧は、主として軍隊によってなされる。
軍隊が反乱軍に寝返りを打って、新しい体制が誕生すれは、反乱軍は正規軍となり、新体制は革命国家と呼ばれる。
暴動は破壊以外の何ものも目ざさない。
何ものも要求しない。
最低賃金千円を要求するでも、資格証明書の撤廃や認定基準の見直しを要求することもない。
暴動は民衆の発作であり、やみがたい破壊の衝動だからである。
しかし、その破壊はどこへ向かうのか?
望み通り、何もかも破壊し尽くしたあとどうするというのか?
株式市場が壊滅し、生産が停止し、軍事行動が止まり、インフラが麻痺したあと暴徒は何を期待しているのか?
世界が崩壊したあと、何をどう夢見ているのか?
飢えと疫病が下火になったあと、何がどうあればいいと夢見ているのか?
株券が紙切れとなり、雇用が消滅し、ダムが破壊され、瓦礫の山のただ中で、どうすればいいと思っているのか?
歴史をひっくり返そうとでも?
「このまま破滅していく」よりその方がはるかにましとでも?
十年前か?いや、百年の昔にか?それとも千年前に戻ろうとでも?
糞尿を担ぎ、荷車を曳いて?
あるいは、太古に戻ろうとでも?
農耕と漁業と狩猟のそもそものはじめから?
弓と槍で?
土器と棒切れで?
鍬と水車で?
蓑をかぶって、わらじで?
肥沃な大地をもう一度裸足で踏みしめ、また再び豊穣な海のきらめきに感謝の祈りを捧げたいとでも?
たしかに、破壊の根源的衝動には、魂の叫びに似た何かがあるかも知れない。
暴動――たしかに、そこには、あり得ない何かを夢見る心地よさ、陶酔、ひきつるような狂喜があることもみとめよう。
吼え狂う絶叫と血の沸騰があることもみとめよう。
おそろしい歓喜があることもみとめよう。
稲妻に打たれるような戦慄もみとめよう。

それでも、「全世界を破壊した後、いったいどうするのか?」と、問うは愚かなことである。

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暴動

後の世が「第一次釜ヶ先暴動」と呼ぶ、その熱風が吹き荒れる2年前、府警本部は、交通部長名で至極立派なマニュアルを通達した。

@人命を優先せよ。
A即死状態でも、死体に礼を尽くし、筵などかけるな。
B目を背けたくなるようないたましい死骸なら支給したビニール・シートで覆え。

通達は何かあったの時の責任逃れでしかなかった。
そして、いまそれが起こったのである。

労働者たちは次から次へと集まってきた。
噂が噂を呼び、あたりは熱くなった人びとであふれかえった。通称「ぎんざ通り」は埋め尽くされ、西成警察署の正面空き地はもとより、震源地となった「東田町派出所」のぐるりから路地裏に至るまで、地から湧いたような人々に占領され、南海電鉄南霞町交差点のはるか彼方まで人いきれでむんむんし、それぞれ、警察の、あまりに姑息であまりに汚いやり口にかんかんになって怒っていた。
警察が汚いのはわかりきっていた。姑息で、奸智にたけ、最後には何もかもうやむやにし、ほおかぶりするということなら、誰ひとり知らないものはなかった。
誰もが何度となくひどい仕打ちを受け、あきれかえっていたのである。
しかし、今怒っているのはむかついたひとりではなかった。
リンチにかっかしたふたりでもなかった。
5人や10人でもなかった。
600人から800人、ひょっとすると1000人をこえる人々が、足並みを揃えて怒っていた。
公然とだ。
おおっぴらに!――である。
だからこそ、警察が逃げまわり、群衆が追いかけまわすという前代未聞の本末転倒が、街じゅうを駆けまわることとなった。
                                              
当時の寄せ場風景

いや、社会はいつの時代でも暴動の種に取り囲まれている。
どこでも暴動は起こる。
いつでも不満があり、ねたみがあり、むかつきがある。
来る日も来る日も飢えの心配がある。
なぶり殺しの明日と死の恐怖がある。
誰もかれもが風前の灯火なのである。
誰もが、正直に働いて正直に生き、正直に死にたいと思っても、いつの間にか、ハンカチをなくすように家族を失い、屋根をなくし、靴をなくし、自尊心をなくし、肩を落としてとぼとぼ歩いていく。
ポケットの小銭を数える気力もなくなっていく。
つぶされた夢の残骸を引きずってよろめいて行く。
何かを考えると冷や汗がにじんでくる。
働こうにも口はない。いい仕事はもちろん、販売・運輸・製造・土木・建築の仕事もどこへ行ったか、便所掃除、アルミカン集め、ケタオチ飯場にも蟻が群がり、奪いあいをしている。
それに、口に出すのもおそろしいことだが、働いたからとてどうにもならないのである。
働けば働くほどあり地獄にはまっていく。
ぼろぼろにされ、頭がおかしくなる。
からだはゆがみ、腰が曲がらなくなっていく。手足のしびれがどんどんひどくなり、何でもないのにぱたんと倒れるようになってしまった。
道を曲がるのも骨が折れる。
知りあいはいつの間にかいなくなってしまった。
煙草をせしめる才覚に恵まれていたシベリア帰りの「二等兵閣下」さんは、どこかで車に当たって轢死したという。
むしろ小屋でけなげに生きていたみい婆さんは猫好きで知られていたが、死にゆく猫が姿をくらますようにふっつりと見かけなくなってしまった。
賽銭泥棒の松ちゃんは、刑務所のことなら何もかも知っていて、こわいもの無しを振りまいていたが、ある日ガード下のごみの山に足を突っこんで首をくくってしまった。
55歳だった。
色男の大室さんがやくざとトラブって殺されてからというもの「つかさ」の姐さんもすっかりしまりをなくした。身につけるものはどれもちょっとしたものだったが、髪はばさばさ、足手は真っ黒、臭うの何のって!
まるで悪臭の化け物だ。


これは誰だってそうだが、ねぐら探しにはいつも難儀する。
やっとそれらしいところに横たわっていると、警察から消防、町内会の自警団にいたるまでしっしっと追っ払いにくる。
寝ているところを蹴飛ばす警官までいる。
うかうかしていると、頭をたたき割られ、殺されてしまう。
どうすればいいのか?
死ぬ人もいれば、殺されるものもいる。
狂う人もいれば、松葉杖をついて茫然自失しているやつなんていくらでもいる。
わしらは、とっくに死んでいるのだろうか?
前もって殺されていたのか?
それとも生まれるはるか前から野垂れ死にを運命づけられていたのだろうか?
悲惨と窮死を代々相続していたのか?

わかるわけがない。
はっきりわかっているのは、どうあがいても、にっちもさっちも行かないということだ。
明日もまた同じみじめをはらいっぱいかっ食らい、涙も涸れ、ずぶずぶ沈む底なし沼に足を取られ、ひからびた心を抱きしめて朽ち果てる。
節約の高圧に押しつぶされながら、コンクリートの心、鋼鉄の無関心でどうやりくりしても、鳥肌がたつよう
な恐怖をどうすることもできないのである。
かれらはみな、額に素性無し、食いつめ、四つ、貧民、チャンコロ、片輪もん、悪臭、ごろつき、凶悪犯、非国民、あぶれもの、ルンペン、恥さらし、らい、狂人、担ぎ屋、死にぞこない、知恵おくれ、ばかったれ、糞、ゴキブリ、虫けら以下、すれっからし、よいよい、あほんだら、あばずれ、きちがい女、ばくち狂い、しょうもなし、懲役人夫、おたずねもの……の、ありとあらゆる侮蔑を押しつけられ、ぶすぶすくすぶっていたのである。

そういうふうに蔑まれていた人たちが、事故から二時間後の11:00pm通りという通りに裸体をさらした。立ち飲み屋も屋台も、一膳めし屋も、銭湯も、パチンコも、すべての商売が店を畳んだ。裸が闊歩し、夜の女たちが遠巻きに見守った。
男たちは汗に濡れ、ぎらぎらしていた。
女たちは、湯上がりのように上気していてた。やがてはじまる暴力と破壊の予感におののいて、子宮をぴくぴく痙攣させているようであった。

かつて警察襲撃は、30人から50人単位で敗戦直後に頻発した。
いきり立った朝鮮人たちがバット、鉄棒、チェーンで武装して躍りこんだのである。
牛馬のごとくこき使われ、締めあげられて殺されていった囚人労働の恨みが爆発すべくして爆発したのである。 工場や地底、原野で、戦場や銃後のいたるところで苦しみ抜いた民族の怒りは想像を絶するものがあり、そしてまた、帝国の軍・民・官のきちがいじみた暴虐ぶりは、事実、想像を絶するものだったのである。
奪い、辱め、虐殺したものどものは、奪われ、辱められ、虐殺されたものどもの復讐に恐れおののいた。
土方飯場も寄せ場も、復興工事も、どこもかしこも、朝鮮人が割り込んで取り仕切った。
ケツワリした世話役がたすけを求めて駐在所へ逃げ込んでも、助かることはなかった。
巡査だとて殺されたからである。
暴力団の幹部だろうと進駐軍だろうとはむかうものは叩き殺された。

● 疑うものは我が国の最も輝かしい土工のひとり、駒金哉さんの証言をみよ。



それから十五年、今、徒手空拳の群衆は、1000人の怒りを結集して、警察を襲おうとしていた。
どういうふうにか?
それは誰にもわからなかった。
群衆には群衆の本能があり、本能はあやまたない。今群衆の本能は、餌食を物色した。挑発して、警察の出方を探るためである。今、現にそこにある警察の力をあやまたず見極めるためである。群衆は、ふと、通りがかりのタクシーに目をとめた。事件の発端が、日雇いの爺さんを撥ねたタクシーの運転手だったからである。タクシーを止めて、車体に揺さぶりをかけた。支離滅裂な悪態をついた。共同通信のカメラマンがレンズを向けた。もう一つの餌食が見つかった。フイルムは犯行を証し立てる。警察に渡らないという理由はない。
「フイルムを捨てろ!」
「何も撮っていない」
「ふざけやがって!よこせ!」
ひとりがカメラを奪おうとして、もみ合いになった。
府警本部から応援にかけつけていた機動隊が、すかさずどっと割り込んで来た。 殺傷の牙を隠し持った警察にもまた警察の本能がある。
躍りこみ、暴徒の弱みにつけ込まなくてはならない。
先頭で粋がっているどうしようもない「あほう」を確保する。
容赦なくしょっぴく。
のぼせたやつらに銃を向ける。
威嚇射撃をぶち込む。
そうすればいくらか我に返るだろう。
ばかな真似は差しひかえるだろう。
機動隊は、騒々しいばかどものなかでいちばん派手なふたりに襲いかかって、「公務執行妨害」で現行犯逮捕したのである。
「何しやがる!」
「不当逮捕だ!」
「見せしめの挑発じゃねーか。釈放しねーとぶっ殺すぞ!」
罵声は毒を帯び、熱い怒気がみなぎった。
何がどうなっているかわからない後方から、人々が殺到し、あたりは密着する肉のかたまりとなった。
踏ん張る肉体と筋肉のるつぼとなった。
熱気でむんむんした。
「ぶっ殺せ!」
「やっちまえ」
「やれ、やれっ!」
「この野郎!」
機動隊とにらみ合っていた人垣がどっと崩れた。
肉の奔流がほとばしった。
つぶされて折り重なった人たちを踏みつけにして、人々が堰を切って殺到した。
カメラマンは踏みつぶされ、悲鳴と怒号のなか、撮影機材が投げつけられ、タイヤのないぼろ自転車が投げ込まれた。
やっぱをかます暇も、警棒をぬく暇もなかった。
機動隊は、確保したふたりを連れて、駆け足で待避した。
「逃げるな」
群衆は、手に手に煉瓦やベアリング、ありあわせのがらくたを握りしめて、東田派出所を遠巻きにして取りかこんだ。
建物の内部には、少なくとも30人、ひょっとすると50人からの武装警官が手ぐすね引いて待ちかまえている。
近寄ると、ぱっぱっとフラッシュのきらめきを浴びた。
あまり近づきすぎると、待ちかまえている糞どもに引きずり込まれ、めった打ちを喰うだろう。

                                                       トップへ
うおー


その時、奇妙な人があらわれた。
地下足袋を履いているので日雇いのようでもあり、作業ズボンがてかてかしているので浮浪者のようでもあり、指が蟹みたいだったので物乞いのようでもあった。皺にまみれていたので年寄りのようでもあり、しっかりした足取りだったので破戒僧のようでもあり、また、上半身に緋色の更紗をつけていたので女のようでもあった。
その人は新聞紙を丸めたメガホンを持っていた。
こともなげに、一歩二歩、三歩と東田町派出所の正面玄関に近づいた。
四歩めを踏み出したとき、氷屋の路地、窓の裂け目、玄関に並ぶ警察隊の後ろから、フラッシュの閃光がぱっぱっぱっときらめいた。
その人は佇んで、閃光の嵐が通り過ぎるのを待った。
いっしゅん、目がくらんだのかもしれない。
それから、また一歩踏みだした。
それにつられるように、見守っていた群衆が一歩踏みだしたのである。
その人は、ずいともう一歩踏みだした。
群衆もいっしょにもう一歩踏みだした。
そうして群衆は、力一杯石を投げれば人間が吹っ飛ぶ位置まで派出所に接近した。
警察官がどっとあふれ出て来て、警棒をぬき、派出所を背に、戦闘態勢をとった。
緊張が張りつめ、真空に飲み込まれたかのようにあたりは静まりかえった。
やがて来る恐怖を直感して群衆は固唾を飲んだ。その人が群衆の前方、四歩向こう側にいるうちは、退くわけにはいかない。警官隊の濡れた制服から湯気があがっていた。派出所を遠巻きにする人も、派出所を守る人たちも、上官が放つ「かかれっ!」の、絶体絶命の一声を待った。
遠くで、ののしる声や建物が破壊される音、瓶の叩きつけられる炸裂音などがしている。
街じゅうが潮騒のように沸きたっていた。
切迫した真空のおかげで、あちこちの騒ぎがわかった。
その人はメガホンを警察隊へ向けた。
「しかるべき責任者が、悪かったと、謝って欲しい!申し訳ないと、頭を下げればいい。少なくとも課長クラスが謝れ」
「そうだ!」
群衆は叫んだ。
「そうだそうだ!謝れっ!」
「責任者は出てきなさい。はいつくばって謝罪しろ」
その人はいった。
「謝れ!」
「警察は謝れ!」
大合唱が湧き起こった。
その人がいった『謝れ』のひとことで、状況は一変した。
群衆は優位に立ち、混乱収拾の職務に身を挺する警察官たちも、腰かけでやってくるキャリア組の若いエリート署長が群衆の前に土下座して『謝罪』している幻をいっしゅん垣間見たのである。
警察隊は全員派出所に退いた。
その人は、群衆のなかに姿を消した。誰もその後彼がどこへ行ったか知らないし、名前も知らない。だからこそ、その人が残していったことばが、人々の「正当な」怒りに火をつけたのである。
「謝れ」
「謝罪しろ」
大合唱が轟いた。
投石もまじった。
時刻は午前0時をまわっていた。
日が変わったのである。
そのころ、地下鉄動物公園の地下道入り口付近を通行中のタクシーが襲われた。客と運転手は逃げた。タクシーはひっくり返され、火をつけられて炎上した。
東田町派出所は、襲撃を想定して作られた鉄筋コンクリート二階建ての頑強な建造で、落札に参加した地元業者の間では「白亜の要塞」と呼ばれていた。そこから三百メートルほどの距離に本署があった。釜ヶ崎「ぎんざ通り」に面してそびえ立つ鉄筋コンクリート三階建ての西成警察署である。巨額の建築費を投入し、タッパーはひときわ高い。スラブ厚もあり、五階建てを凌ぐ偉容をそなえていて、大手入札談合業者の間で「白亜の殿堂」と呼ばれていた。住民敵視の底深さが、そのような「殿堂」を設計し、そのような「要塞」を建築したのである。

●東田町はそれから5年後のドヤ火災から起こった暴動を契機に地図から姿を消した。現在の太子1、2丁目あたりだ。東田町派出所も姿を消した。今は、「南霞町」駅の向かいに太子派出所があって、やはり、街の人たちに毛嫌いされている。事実、通行人の通報を受け、10人がかりで出動し、骨折して動けない労働者(田谷大石さん・57歳)を取り囲み、「自分で病院へ行け」と放擲して引き揚げた。(2007/8/14、10:45am)
●放擲された田谷大石さん(茨城県出身)は、翌朝、うめいているところを通行人にたすけられた。無名の人たちが代わる代わるに背負って『厚生相談所』まで運んでいったのである。そこで松葉杖を借り、「治療依頼書」を貰い、社会福祉医療センターで治療を受け、ギプスでくるぶしを固定した。それから医師の診断書を持って再び『厚生相談所』へ戻り、生活保護の即決を受けた。
●全治4ヶ月の重傷だが、目下、天王寺の自立支援施設で治療中である。(2007/9/28現在)



謝れ、出てきて謝れ、の怒号に東田町派出所は沈黙した。
沈黙した要塞に石が、瓶が、鉄のかたまりが、ありとあらゆる危険物が投げつけられた。
次第に力がこもった。
群衆の英雄が次々に現れた。
投擲するものたちは、精鋭だった。
俊敏で、状況判断にすぐれ、膂力に秀で、おそろしく大胆だった。すばしこさといったらネズミよりはしこかった。燃え狂っていたが氷のように冷静だった。
かれらが、角材や丸太、石を手に接近戦に挑んだ。
機動隊が警戒に出て来ると、躍りこんでいって殴りかかるものもいる。
機動隊も牙をむいて、逆襲した。
精鋭たちは、すかさず退き、待って、ゆうゆうと様子を窺う。
鉄パイプを構えて挑発する。
ひるんでいる隊員を探しながら「要塞」のぎりぎりまで迫り、ここぞとばかりぶち込んで、次の瞬間、いちもくさんで姿をくらますものもいる。
接近戦は、体力の消耗戦であった。
守るものが、攻撃するものより消耗は激しい。
警察は次第に疲労の色を濃くしていった。
府警本部から援軍がやってきたが、投石の集中攻撃に見まわれ、催涙弾を打ちながら逃げることはできても、現場に近づくことはできなかった。
群衆は歓声をあげて躍りこんできた。
投擲は、勢いと破壊力を加速した。
武器調達のやつらが、どこからかでコンクリートを砕いて、手渡しリレーで持ち込んできた。
道路の縁石という縁石が運び込まれた。
投げ込むものを物色するものたちも、また精鋭であった。
南海電鉄阪堺線の軌道敷に投擲に適した石なら、ごろごろあった。線路に沿って投げきれないほど大量に埋め込まれていたのである。それをドラムカンに満載して、「白亜の要塞」を粉みじんにするために運び込んだ。
そればかりか、あちこちの建築現場が荒らされ、バールやパイプ、建築資材、鉄板、ワイヤー、ついには埋め込まれた地中梁が掘り出されて、重機で砕かれ、数人がかりで担ぎ込んで、「前線」まで運び込むのである。
破壊力のある新しい投擲物が現れると、群衆は歓声とともに拍手喝采した。
警察は懐柔作戦に入った。
午前1時をまわっていた。
そろそろ群衆も引き揚げるころだ。
警察は「事故処理の取り調べをしている」ので、「冷静に戻るように」と呼びかけた。
正面に出てきてではない。
2階の窓から、拡声器で呼びかけたのである。
「頼むから、もう、やめてくれ」と説得したのである。
「それだけやれば、じゅうぶんだろう。そろそろ矛を収めてくれ」と。
しかし、群衆はこの上なく適切なやり方で退けた。
うおー!
腹の底から噴きあがる唸りである。
はらわたから絞り出る絶叫である。
怒りが、むかつきが、絶対許せないという生々しい感情が、群衆をひとつにした。
うおー!
地響きのごときうねりが、「要塞」を、窓ガラスを、地面を、空を、建物という建物を、街を揺るがした。
うおーう!
それは虐げられたものどもの怒りであった。差別に対する「否」であり、偏見に対する「拒絶」であった。痛めつけ、絞め殺すやつは誰ひとり許さない、たとえ警察であっても!という宣戦布告であり、血であり、涙であり、歯を食いしばった苦悩の叫びであった。絶望を乗り越える希望であり、そして、何よりも、おれたちはいついかなる時でも、『まいったといわない』という暗黙の確認であり、もしこういういい方が許されるなら、働く者が底に秘める連帯の固さと凄さを全世界に向けて響かせたのである。

うおー!
怒り狂った群衆は、いっしゅん、一糸乱れぬ野獣となった。

その後、暴徒は高揚期で1万人を数え、地元暴力団をまじえて市街戦の様相を呈し、四日間荒れ狂った。2名が警棒で撲殺され、200人が逮捕され、ほぼ全員が起訴された。日赤奉仕団、民生委員、商店会は警察署長に自衛隊の出動を要請した(8/3)。
その間、難攻不落を誇る「白亜の要塞」は焼失し、「白亜の殿堂」に標的は移った。強硬方針が決定され、3日2;00pm6000人の警官動員が決定された。
記録に残されている正規の暴動だけでも、以後、年を隔てて現在まで23回を数える。


                                      2007/9/28  

附記
なお、2008/6/13 お好み焼きやの応対に端を発して、弟24次「釜ヶ崎暴動」が数日にわたって荒れ狂った。


                                                      トップへ