日記1(2000年6月、7月@)
6月8日「新たなる一歩」
今日街で衝撃的な本と出会った。
それはある心理カウンセラーがアダルトチルドレンについて書いた物だったが、内容は我が目を疑うような酷い物だった。
本来アダルトチルドレンとは、「安全な場として機能しない家庭で、虐待(身体的・精神的・性的など)を受けて育ったために、心に傷を受け、『周囲が期待しているように振る舞おうとして、自分の自然な感情を押し殺してしまう』、『見捨てられるのが怖くてNOと言うことができない』、『自分に価値があるように思えず、自己評価・自尊心が低い』、『他者に、“ありのままの自分”を受け入れてもらうことを諦めてしまうために、常に“寂しさ”を抱え、人生を苦しいものと感じている』、『孤独恐怖から逃れたいために自分を必要としてくれる者にしがみついてしまう』、『周囲の期待からはずれたことを自覚すると、自己破壊・自殺などの自己処罰の感情にとらわれる』などの症状を持つ、生きにくさを感じている人」である。
ところが今日出会ったその本には、「アダルトチルドレンとは、大人になり切れなかった未熟な青年のことで、愛されることばかり求めて自分は人を愛することができない、人の心がわからない、反社会的で厳しく罰しなければならない存在」と書かれていた。
私はアダルトチルドレンだ。確かに人の心がわからないところはある。すぐに情緒不安定になって助けを求めるのは、愛することばかり求めて自分は愛さない姿なのかもしれない。
それでも私は、そんなふうに否定されなければならない存在なのだろうか。
目の前が真っ暗になった。怒りと悲しみで胸が一杯になった。
一緒にいた親友のサキは、「こんなくだらない本、気にするなよ」と言った。しかし、もう一人一緒にいた私の友人であり治療者の冴子は、「ラディウスさん、抗議の手紙を書きましょう」と言ったのだ。私は驚いて冴子を見た。
冴子は言った。「社会的なしがらみのある相手なら表立った抗議などできないものかもしれませんが、この人はあなたとは何のしがらみもない人。不当にプライドを傷つけられたなら、抗議をしても何の問題もありませんよ。そもそも相手の理論は間違っているのですから、泣き寝入りする必要などないのです」と。
私はしばらく考えた。私が抗議しても、「病的なたわごと」だと片付けられてしまわないだろうか。
それでも、そうなったとしても構わないのかもしれない。
肝心なのは、私が自分の怒りや悲しみをきちんと相手に表現すること。相手にどう思われたって構わないのだ。
私は抗議の手紙を書くことに決めた。傷つけられたまま、痛みにもがいているだけなのはもう嫌だ。それで相手にどう思われても構わない。
私は諦めない。自分を守るために。私には戦う力をくれる仲間がいる。
そう言ったら、冴子がうなずいて答えてくれた。
「そうですよ。がんばりましょう、ラディウスさん。私は力を貸しますよ。共に戦いましょう」。
踏み出す新たなる一歩。気がつけば私は、いつものように世界(IPの庭)を壊してしまうことなく、歩き出せていた。
6月18日「『人を試す』とは?」
昨日、サークルの友人Yに電話で近況を話した。Yは私を、「あなたの生き方は間違っている。人を試している。失礼だ。やめなさい」と非難した。
今日サークル帰りに車で送ってくれた親友Oにも、「うん。君は人を試して生きて来たよ」と言われた。
私には人の心がわからない。だから確かめる。確認する。
それがいけないと言うのなら、私はどうしたらいいのだろう。
壊れて変質してしまった心は、もう元には戻らないのだろうか?人でありながら人でないような自分が、もどかしくてならない。答は私の中にある、とは思うのだけれど。
6月22日「信じた道」
結論は出た。私は今まで通り自分の信じた道を行く。確かに世間一般的には間違ったやり方かもしれない。それでもたくさんの肯定的な言葉に励まされ、私は自分のやり方を変えないことにした。私は自分を試したいのだ。どれほどまでに人を信じられるのかを。ちゃんと人を信じられる人間になりたいのだ。
指針となる言葉をくれた皆さんに、心から感謝します。
ありがとう。
23日から千葉の妹の所に静養に行く。そこで私はカウンセリングを受けることになっている。ちゃんと人間になるために、私は自分と戦うのだ。
6月23日「謙虚さではなく」
昨日あったnからの書き込みを見て考え込む。私は謙虚なのか?
違う。私は謙虚なんかじゃない。自分を認めてやることができないのだ。どんなに誉められても、自分でそうだとは思えないのだ。それは謙虚さではなく、自己肯定感の無さ。
どうしたら、自分を認めてやることができるようになるだろう。千葉に行くのに一つ宿題ができてしまった。
旅立ちが迫っている。
7月2日「自分の価値」
私は千葉への5日間の旅の中で、大きな気づきを得た。
自分が価値のある人間であること。私を思ってくれる人を悲しませないために、私は友達を大事にするのと同じように自分を大事にしなければならないこと。それを生まれて初めて心から実感することができた。うれしくて涙が出た。
友達の温かな思いが私を人間に近づける。更に前に進むための力になる。
私を思ってくれるすべての人に感謝したい。
7月4日「何を信じたら」
待っていたのは私の方だというのに。何を信じたらいいのかわからない。
7月5日@「迷い」
私は迷っている。
なぜだろう。zさんに対して、1ヶ月前のような素直な気持ちになれない。
もう少し時間が必要だ。
7月5日A「誠実さの証明」
心は決った。今回、私は自分の打ち明け話はしない。自分の正体をすべてさらすことが誠実さの証明とは限らない。あえて、もうそんなことをする必要はないのだ。
やはり私は今まで急ぎ過ぎていたのだろう。しかしそういうステップを踏まなければここまで気づかずにいたのも真実だと思う。
週末にまた旅に出る。一泊二日の近場の旅はたいてい一人でだったものだが、今回は親友Oが同行する。「俺は運転するからプランは頼む」と言われ、大分県久住への計画を立てる。高原に、風をつかまえに行こう。