管理者略歴紹介
昭和4×,12,13 東京都で生まれ、現在に至る。
幼少の頃より麻雀牌を積み木代わりに慣れ親しむ。
こんな時代もあったらしい…幼少の頃、幼稚園時代〜小学生時代
この頃より、親父について回り、競馬、競輪、麻雀、パチンコ、花札、カブ等
日本で出来るあらゆるバクチを仕込まれる。
有段者の祖父より将棋を教わる。当時は、大山、中原全盛の時代。
将棋の入門書から専門書まで読みまくり、あらゆる定石は全て記憶していた。
この頃、将来の夢は将棋の棋士になる事だったらしい。
しかし、守り重視の性格で定石や型に執着する余り、攻めが全くダメだったとか。
親父の友人の集まりで大人と麻雀を打つようになる。
当時のレートは1000点100円のワンツー。
作曲に興味を持ち、自宅にあったピアノ、ギターにて
お手製の五線譜に記録する事を憶える。
洋楽に興味を持ち始める。当時のヒット曲で、一番のお気に入りだったのは
hall & oates 「I can't go for that」だった。
競馬馬「テンポイント」が骨折薬殺。
騎手が止めるにも関わらず、折れたままの脚で走ろうとする彼を見て号泣。
この頃、競馬競輪等、技術介入の余地が無いバクチは辞める事を決意。
作曲コンテストで小さな賞を貰い、演奏はお任せで、アナログレコードに吹き込む。
雀荘やパチンコ屋へ親父が行かなくても、一人で行くようになる。
パチンコは当時チューリップのみのALL15個、貸玉100円で35個→25個。
台単位で電子機器は一切使われておらず、当たりと打ち止めランプだけだった。
この頃より、パチンコは手打ち式からモータによる自動式へと変っていった。
当時、雀荘は半自動卓主流で全自動卓出初めの頃、牌は一組しか使用されておらず、
楽ではあったが手で積んだ方が早かった。その頃、合わせて赤五筒も出回り始めた。
レートは1000点100〜200円のワンスリー
一発・裏ドラ・赤ドラは一個1000円のチップ、役満御祝儀10000円。
子供でも常連面で、金持ってれば打たせてくれる良い時代だった。
ちなみに産まれてこの方、小遣い、お年玉の類は一度も貰った事が無く、
種銭は新聞配達等のバイトで凌いでいた。
雀荘で3人麻雀が流行する。
一萬、九萬、北が全て抜きドラで一個1000円。
更に、得点形式ではなく1飜に付き1000円の現金即金払い。
万札が飛び交う恐い麻雀だったので、余り参加はしなかった。
パチンコ台単位に電子機器が投入される。
電子機器が役物に及んだ初の機種は「メテオ」と言う台。
落とし以外の当たりは全てトリガーになっていて、
役物部分が一定回数開閉、あるいは開放する物だった。
出玉率UPし、賭博性が高まったため、
台の構造が変り、玉上げ機なる物が必要となる。
更にその後、羽物元祖ゼロタイガー、デジタル機元祖フィーバーが登場する。
この頃からALL15個台は無くなり、ALL13個が主流となる。
その後、ビッグシューターやブラボー等、他社から上記と同様の台が発表となり、
更に一発台が出現した。技術介入の余地がなくなり、ここでパチンコを見限った。
中学生以降の学生時代は、フリー麻雀一筋だったため特記無し。
社会人になって〜♪(〜現在)
就職活動として、3社に絞る事にした。
警●、N●K、そして現在働いている会社。
NH●は諸事情のため断念。
●察に関しては、入社時の自己紹介の時点で捕まりそうだったんで断念。
現在の会社は当時、日本一社員数の多い会社だったんで、
俺一人サボっててもバレないだろうと言う甘い考えを持っていたのだが
入社して解ったのは、世の中そう上手く行かないと言う事だった。
旅行へ行く度に、時間を作っては現地の雀荘を探索し、フリーで打ちまくる。
東京〜北海道間の雀荘の基本ルールは、何処もかしこも完全先付けであった。
極僅かではあったが、麻雀プロ所縁の店に限って、有り有りルールだった。
会社の先輩に誘われ、パチンコ屋再デビューする。
ここで俺がハマったのは、一気にパチスロ人口を引き上げた名機「クランキーコンドル」
とにかく、技術介入の余地がありまくりなので、とにかく打ちまくった。
コンドルが下火になりかけた頃、同系列会社から出た「タコスロ」に再びハマる。
そしてクランキーコンドルの後継機種「クランキーコンテスト」が発表され、
少しやってみたが、面白さ半減のため、そこで見限った。
都内に一戸建てを建築。ローンは40ちょいくらいには払い終える予定。
老後は楽して麻雀打ちまくる予定だったが、
良く考えたら、現在の種銭不足にまで頭が回らなかった模様。
ある作曲コンテストで最優秀賞を受賞する。
不景気のためか、雀荘に客が集まらなくなり、そのためフリーで打てなくなる。
仕方なく、競技麻雀に手を染め、生まれて初めてクイタンを上がり感動する。
数年間、競技麻雀を打ってきたが、マナーに関する五月蝿さに閉口し、辞める。
会社の先輩に囲碁を教わる。
先輩が攻撃的な喧嘩碁の打ち手だったため、ナゼか俺も囲碁だけは守り主体ではなく
攻撃主体の囲碁を打つようになってしまった。
ただし、気合入れて覚えたのは死活だけなので、19路盤での勝負で相手の石を全部取ろうとあがいたあげく、
全部分断され逆に殺されてしまう。連絡系統は苦手らしい。
自宅にインターネットを入れる。チャットにハマりまくり、OFF会に出まくる。
チャラけた軽い性格と見た目のギャップは大きいらしく、初めて会った人の感想は全員揃って「恐い」だった。
不景気のため、作曲のバイトでお世話になってたゲーム会社が潰れ、
付き合いのあったもう一社からも仕事が来なくなる。
所属していたバンドでは、ドラムと作曲担当であったが、
インストメインのバンドだったため、リクエストがあると俺がボーカルも取っていた。
しかし、現在は自然消滅状態らしい。
現在はどちらも飛び込みのバイトが無いんで曲は趣味のみとなりつつある。
そして、まだ10年以上残っている家のローンが焦付きつつ、現在に至る。
性格・モットー・考え方:いついかなる時もボケまくる。何があろうと嘘をつかない。人のする事、我関せず。
好きな映画・音楽・選考学:音楽は80年代洋楽、映画はホラー一辺倒、心理学(除:児童心理学)、民事法律学
どーゆー奴?:慎重、守備重視で勝負事は保守的な割に、短絡的、暴力的で、思考回路はとにかく一般的ではない。
格闘技は打撃系を好まない割に、柔道、空手経験者。合気道に興味深々らしい。
所持している資格一覧:特定化学物質取扱主任技術者、ボイラ技師免許、乙4危険物取扱技術者、エネルギー管理員認定
救命技能認定、国内B級ライセンス、情報処理検定、計算技術検定、珠算一級等
現在、高圧ガス取扱主任技術者、自衛消防監督員、大型自動車免許検討中