一回裏の西濃運輸、一番依田が歩く。三菱重工名古屋の森田は外、外に外れがちで制球が苦しそうだ。四死球で早くも一死満塁。五番杉浦はフェンス直撃の先制タイムリー。普通の球場ならホームラン性の当たりだが、やはり簡単には入らない。
さて僕はどちらかと言うと「ホームランはヒットの延長」と考える方で、「一発を狙う」という行為に対し、頼もしさの反面、若干の不実さも感じてしまうのである。「ホームランは野球の華」という考えと対峙しているわけでは決してないが、僕は「ジャストミートがスタンドまで届いた」というのが、劇的という意味で本当のホームランで、しかも、4-1でリードを許し、満塁のチャンス、ここで一発出れば逆転というような、本当に欲しい時にだけ出てくれればいいと思っている。それが本当の「野球の華」だとも思うのだ。
その反面、中村紀洋のように全打席、いや全球ホームランを狙っていると公言してしまうような潔い選手の存在も面白かったりする。要はホームランにも色んな思想の裏付けがあるのが面白いのだが、ひとつ言えるのは「広い球場で打ってこそホームラン」という事だ。
 試合前のキャッチボール。選手を間近に見れるのがアマのいいところ。
二回裏にも二番松尾がセンターへギリギリのフライ。これも惜しかった。しかし応援団のため息も野球本来の「あるべき姿」(と僕は思っている)を楽しんでいる僕には一種の快感である。なかなか出ないからホームランの有難味は増すのだ。
まだ日本球界全体が野球場の国際規格というものに無関心だった頃、ファンは今よりも無条件にホームランを喜ぶ風潮があった。ただでさえ浅い外野にラッキーゾーンを付けて強引にホームランを増やすという、今では考えられない恥ずかしい事もやっていた。もっとも当時の僕もそれを恥ずかしいとは別に思ってなく、それが多数派野球ファン共通の認識でもあったのだが。
それが何時の間にか、広い(と言ってもアメリカを基準に見れば普通なのだが)球場が主流になると、ホームランに対する意識もそれに合わせて変わり、狭い球場で打ったホームランに対し「球場が狭いからね」といった冷めた声も聞かれるようになった。もちろん「両翼99.1m、中堅122m」というサイズがなぜホームランをホームランと認めるか否かの基準たりえるのかという事は考えない。結局「アメリカがそうだから」という認識でしかないのだが、これは日本の野球が色んな部分でアメリカの後を追いかけているという事実からやむを得ない所がある。
 広い岡崎市民球場。フェンスも低くはない。
だから、すでに2本のホームラン性の当たりを阻んだ、この「プラス4m」の奥行きに、野球本来の面白さを生かし、かつホームランの価値を高めようという、これまでの日本の野球場には見られなかった主体性というか思想のようなものを感じるのである。
岡崎市民球場は、中堅126m(両翼99.1m)と深い。125mの球場なら上野市と瀬戸市にあるが、プロ野球の公式戦を開催できる球場の中では唯一である。当然、右中間と左中間も117.5mと深い。これは福岡ドーム以上で、もちろんプロの全常打ち球場以上となる。特筆すべきは、まだ狭い球場が主流だった91年の開場である事。中央総合公園の広大な敷地に恵まれているとは言え、なぜこの時代にあえて中堅126mの野球場を造ろうとしたのか。僕にとってこの球場に対する興味はその一点に集中していた。
 プレ都市対抗の趣。
この中堅の深さにどんな思想が込められているのか。僕はわざわざ岡崎市の公園課に頼んで開場当時の新聞まで取り寄せたりしていた。どれも当時の様子を伝えるものとしては申し分のない資料だったが、この球場が特に広いものであるという記述がある以外、「なぜ126mなのか」という核心に迫るには至らなかった。
そうなると、試合自体にその意味を見出す外はない。第72回都市対抗野球大会東海地区一次予選。2002年から木製バットの使用が決定している社会人野球だが、これまでホームランの出ない社会人の試合というのは滅多に見ていない。しかし金属バットを使う社会人の試合で、安易なホームランが減り、大味さがなくなれば、それがこの球場に込められた「思想」と言って良いのだろう。
もうひとつ締まらなかった森田をリードする捕手の坂口。ミットを叩きつけて「低目、低目」と盛んに低目を強調する。四番小森に対し低目で勝負の森田、初の三振を取る。この球場なら多少高目にいっても大丈夫ではないかという僕の素人考えとは裏腹に、あくまで慎重なリードの坂口。高目はさんざん危ない打球になった事を考えると、ここは慎重にならざるを得ないかもしれない。
 好投する西濃運輸・原田
五回、一死二塁で追加点のピンチ。打者はまた四番の小森。高目に浮くたびに「低目!」のジェスチャーをする坂口だが、球に力が出てきたか、高目を後ろに打たせファール。2-1に。あと一つのストライクをどうするか。ここは打者の意識が高目にいってるところだから、アウトローに思いっきり真っ直ぐを投げれば踏み込めまい。いや多少高くなってもいい、という僕の素人考えの通りの球が来た。それも、かなりギリギリのところに。手が出ない小森。これで二死。その後四球とエラーで満塁とするも、西村を中フライに打ち取りピンチをしのぐ。やたら点が入る社会人の試合で、投手が持ち直したりするところが見れるのは面白い。
ある友人も言っていたが、僕は、野球の本質は「いかに点を取るか」ではなく「いかに点をやらないか」だと思っている(では本質とは何なのかと聞かれると困ってしまうのだが)。ファイターズの試合でも、攻撃よりも守備の時の方が力が入る。トイレに行くのはたいがい攻撃中である。その意味では点が入りにくい球場の方が「野球らしい」ゲームを楽しめると思うのだ。
 売店。東海地方のアマ戦によく登場する「飛騨牛の串焼き」がおすすめ。お腹が空いたら匂いを嗅ぎに行こう。
しかし野球は点が入らないと勝てない。それに社会人野球の「盛り上がり」は攻撃にある。これは野球の本質云々というよりは社会人野球の慣例である。実は、三塁側内野スタンドは三菱重工名古屋応援団がほぼ埋めているのだ。一次予選ながらノリは都市対抗本戦。しかも2-0とリードを許しているので、東京ドームと同じ楽しみ方をするお膳立ては整っている。そこで亀山の打球は右へかなりいい当たり。ここでソロホームランで1点返して盛り上がりたいところを、やはりあと一歩届かず。一斉に漏れるため息。そう、これがないと「野球は甘くない」という事がわかってもらえないのだ。ホームランを出やすくする構造は、野球を単なる「ストレス解消」に格下げしてしまう。
三菱重工名古屋が1点を返したのは七回。ストレートでぐいぐい押す西濃運輸の原田をようやく捕らえる。萩森がセンター前へポトリと落とすとすかさず二塁へ進む。坂口はライト前に。一発を「狙って」良いのはこういう場面。富田の左フライは1点を返す犠牲フライとなった。そう、いつもこういう野球が見たいのだ。
盛り上がる三菱重工名古屋だが、後は中之瀬に抑えられてしまった。結局ホームランはなし。では満足かというと、やはりまったくないのも寂しい。だからこそホームランの有難味も増すのだが。
山の上にある総合公園からの見晴らしは素晴らしい。しかし若干の寂しさも感じる。今時、野球場など交通至便な市街地には造られないだろうと思わされるから。しかし、だからこそ広く造る事もできる。僕は、そんな球場で育まれる戦術的な野球を「郊外型野球」と名付けよう。その郊外型野球が市街地に持ち込まれ、野球の本当の面白さを求めるファンに受け入れられるようになったら、野球は文字通り日本人に「受け入れられた」と言えるのだと思う。(2001.6)
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