《くすのき》は せらぴーるーむ れいめい のエネルギー・ヒプノセラピー・スクールを卒業された方が、霊的向上のための勉強を続けたいという自主的な希望から生まれた勉強会です。



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第3期  12回  『くすのき』  感想文  2009年9月13日


※ 今日も皆さんの貴重なお話を聞かせていただき、たくさんの刺激をいただき感謝します。ありがとうございます。

自分を見ると感情だしはできておらず、また最近お経もさぼり気味で一つ間違うと人を傷つけてしまうような自分の生き方に反省を促すような現象が起きてきており、これは何とかしないといけないなと反省していたところへ、良いタイミングで皆さんがお経をはじめいろんなことを頑張っておられるお話を聞かせていただき、改めて頑張る力がわいてきました。

特にMさんのお話でお経をあげていると雑念を浮かべる暇がないというのはなるほどと思いました。私の場合は、雑念に振り回されてお経をあげることも十分にできていないというのが実態です。

また、今日は般若心経の勉強で『正見』に始まる「八正道」を実践して、一歩づつでも霊的進化の道へと進んでいくためには、お経の力がどうしても必要だというのを勉強させていただきました。もう一度目標を決めてお経に専念したいと思います。そして感情だしの実践も。

ありがとうございます。

 

※ 今日は子連れで参加させていたき、ありがとうございました。
皆さんのお話を聞き、やっぱりお経の力は素晴らしいと思わされました。

自分の中の感情の変化(怒り)の波が小さくなっている事に気付き、日常の生活において、心の平穏をもたらしてくれるものだと再度実感させていただきました。それでも怒りの矛先を子供に向けてしまうことがあるので、今後は“感情出し”が私にとっての大きな課題になるんだと考えさせられました。

それと、どうしても周りには言い出せなかった自分の気持ちをこの【くすのき】で吐き出せたことは、やっぱり自分は幸せなんだなぁ〜と実感しました。周りに支えられていることをこのスクールで何度も感じさせていただいています。

般若心経では一節一節の文に本当に深い意味の教えがあることを痛感させられました。本当の意味では真の理解ができていないと思うのですが、回を重ねるごとに、以前はボーっとしていたことが見えてきたように思います。

過去(カルマ) →  (結果) ≪現在≫(未来へのカルマ) → 未来(結果)

この大きな成り立ちの中に生きる自分にとって、どの道を通るか、考えさせられる回でした。

        今回も皆様に逢えた事、嬉しく、また感謝いたします。

爽やかな秋の訪れを感じつつ、一方ではせみの鳴き声に残暑を感じて、【くすのき】を楽しませて貰っています。

皆様の朝の挨拶で、共通していた言葉に「般若心経を唱えていると心が暖かくなる」ということがありました。不思議でした。今日の勉強は般若心経だったからです。・・・これって・・・?!!!
何だか嬉しいです。

私に関しては、日常の生活においての自分の心の動きに色々と気付きがありました。《相手に言った言葉はもしかしたら押し付けではなかったのか?》とか《・・・自分が怒りを我慢していたから、あの言葉を言ってしまったのよね・・・》色々問い掛けている自分がいます。

般若心経の勉強はやはり難しいなぁ。
今、何より大事なことは精神の目覚め!!それがなくては何事も始まらないし精神はいつまでたっても『苦』の世界を堂々巡りだ!という教えがありました。その言葉は私の心の言葉として響きました。

いやな感情に自分の心を任せてしまっていては、心はますます歪むばかりなのだから。その歪みを自分から取り払おうとするには、自らの心を常に良い角度で働かせようとする意志と努力が必要だということ。

やっていこうと心に誓いました。

 

☆ 改めて素晴らしい勉強の場であることを感じさせて頂きました。有難うございました。

「八正道」で出てきた『善と悪』『正と邪』は考えさせられることが多く出てきた。自分では正しいと思い、正しい言葉で相手に投げかけているが、『正と邪』の『正』ではなく、我意識から出ている『正』かもしれない。
では『我』はどうすべきか?

『正と邪』を正しく判断する根拠も経験も持っていない(正眼は忘れている)状態で、正しく思い、正しく言葉を発し、正しく行動することは至難の技のように思えるが、今日の勉強を終えて、自分がすべき事は「真剣に思い、心を込めて行動すること」だと思った。
たとえそれが『正と邪』の『正』ではなくとも「自分がやれる最大の事をやりつづけること」これを今日勉強させてもらったと思う。
それから『正念』で出てきた『感謝』に心が止まった。

最近、般若心経を唱えている中で「愛一元」「光の存在」を意識しようとするが、なかなかイメージがつかめない為に、『感謝』をイメージすると比較的入り込み易い感覚があった。身体に感じる温かい感覚やしびれる感覚、心がボーっとする感覚に感謝すると、更にそれらの感覚が強まるような気がする。
今日「八正道」を読んで、それで良いんだなぁと思った。

今日はたくさんのことを感じさせてもらいました。今この瞬間からの日常の生活で、今日感じたことを常に意識していきたいと思います。
有難うございました。

 

☆ 今日は朝から目が開きづらく、頭もボーっとして考えもまとまりづらいような状態で来ましたが、感想文を書いている今は、目も開き、頭もだいぶんスッキリしています。(痛かった背中や腰もポカポカと温かくなっています)

今日皆さんのお話を聞いたり「般若心経」について読んだりして学んだことは、「こうあらねばならぬ!」という思い込みが苦しみを作り出しているということです。「正しい」にもいろいろあって、自我意識の言う正しいことと普遍意識の言う正しいことは違うよなぁ〜、と最近の出来事や歌の歌詞を思い出しながら、あらためて感じます。

また、“自分はひとりだ”と孤独を感じる時や未来や変化に対して不安を感じる時は自我意識が優位に働いているんだなとも思いました。普遍意識の存在に思いを巡らせば、その孤独や不安は存在し得ないからです。

「正しい」(普遍意識の)フォームでボールを放れば、時間差はあっても必ずゴールに決まるのだから、皆さんのお話を励みに私もやっていこうと思いました。

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    第3期 11回       『くすのき』感想文        2009年8月9日 


 

☆ 今日は3ヶ月ぶりに参加させていただき、懐かしい皆さんと共に楽しい時間を過ごさせていただきとてもうれしかったです。皆さんのお話を聞いたり、自分の話を聞いていただいたり、一緒にお祝いしたり・・・・

“色々なことを分かち合って学んでいくって素敵だなぁ〜”とあらためて感じました。

ちょうど同じ時期に同じような感情の揺れを体験された方がいて、不思議に感じたり、別の方のお話を聞いては“私もこんなことがあったなぁ〜ウンウン”と共感したりしました。

また「般若心経」の中の“「我」の感情を「無」にするということは、我意識の波動によってかき消されている精神の本質の波動を、意識の表面に浮き上がらせること”と言うフレーズに、“まさに今やっていることだなぁ〜、大昔から言われていたんだ!普遍だ!素晴らしいなぁ〜”とつくづく思いました。(2日前の出来事や、ここ3回のセッションの中身・・・小学生や高校生だった頃のことが出てきました・・・)

また、“霊”と“肉体生命”についての記述は、つい先日読み返した漫画に似ている表現があり、また普遍を感じて、ありがたいことだとあらためて思いました。

 

☆ 皆さんのお話を聞きながら、皆さんそれぞれが起きてくる様々な現象に意識を向けて、そこにあるメッセージに気付き、学び、向上されていることにとても素晴らしいなぁと深い感銘を受け、又自分もそうありたいと強く思いました。
きっと私にもたくさんのメッセージが、今まで与えられていたのだろうけど、そこに気付かなかった、気付こうとしなかった自分を残念に思い、それでも与え続けてくれていることに感謝の気持ちが湧いてきました。

また、自分の話をしている時に先生に指摘していただいて、まだ起きてくること、湧いてくる感情に良い悪いの判断をしている自分に気付くことができました。
頭では分かっていたり、知識としては知っていても、まだ行動が伴っていないことがたくさんあるので、それをもっと生活に生かせるようになりたいと思いました。

 

☆ 久しぶりに熊本でくすのきに参加させていただきありがとうございました。やはり直接に皆さんの波動を感じながら、さらに今回は3人の子供達のエネルギーを感じることができたのは良い経験でした。
とくにSくんは偶然にも、いや必然か本日2才の誕生日を迎えて、皆でお祝いをしてあげて、いやSくんが皆を見守ってくれてお祝いしてくれているのかもしれないと思いました。
皆さんのお話の中から、そしてまた自分自身も映画を見て感じたこととして、組織の中で決められた体制に対して、それを変えることを諦めてしまっているというか、それを疑うことなく当然だと思ってしまっていることが、ままあるなということです。
自分自身が本当はどうしたらいいのか、どうしたいのか、諦めてしまっていることはないかを見直してみることは大変重要なことだと思いました。それが自分だけでなく組織全体にとっても大きく成長していくことに繋がっていくと思いました。

次に般若心経のお勉強から、まだ最後までいってないので途中までで感じていることですが、わずか262文字の般若心経の中にこれだけの深い意味が込められているということに感銘すると共に、ここまで解釈されている桑田二郎さんの才能に感謝したいと思いました。
改めて般若心経を唱える際に、今まで何気なく唱えていましたが、この解釈の内容を心に抱きながら唱えようと思いました。ありがとうございます。

 

☆ 久々のくすのきで皆さんに会えるのを楽しみにしてきました。皆さんが元気で毎日を向上心と気付きで過ごしていらっしゃることを聞かせていただき、私もパワーをいただきました。また今から前向きに頑張っていきます。

お話を聞かせていただいて、自分に再度言い聞かせたことがあります。いつもいつも感じることですが、非常に難しい感情出しです。自分を解放する手立てが感情出しです(私の場合)。物の考え方、習慣への執着心・・・そこに新しい風を入れる。今までのことに安心して慣れあっている事で新しい朝鮮をどこかで受け入れられない心!!そういった心に目を向け言葉にしてみる。そして自分の心に素直になることが、大事なのかな・・・と。心に素直に!!

般若心経の勉強について。精神性の高さ、魂の進化・・・などのことか、帰宅して勉強します。本日はまだ難しく、次回にじっくり勉強させていただきます。

 

☆ 今日はS君の誕生日で、抱っこさせてもらったが、何となく不思議な感覚があった。自分の子供を抱っこしていた頃の赤ちゃんを抱いた感覚ももちろんあったが、ボーとするような、意識の波が治まるような気持ちのよい感覚だった。
ありがとうございました。
さて今日は久々の参加であったが、皆様のスピーチは日常の中で感じる微妙な心の揺れが表現されており、確実に成長されているのを感じた。まさしく現象そのものに真の意味があるのではなく、現象が成長させてくれるのがよく感じられた。

「般若心経」に関しては、数週間前に、しばらく離れていたせいか暗誦できなかった。
そこで、再度本を読み返しながら唱えてみたが、このときも不思議な感覚があり、特に【・・・不増不滅・・・】のところで、身体にぞくぞくとの感覚があった。
日常ちょっとしたことが気になり、また人の眼が気になりと心が揺れ動いているが、そんなものは実相ではないんだよ、とあらためて教えてもらったような気がした。今日は途中までではあるが、あらためて勉強させてもらって、内容の深さを再確認させてもらった。
【黎明】の本の中に書いてある内容が、短い文の中に込められているのがよくわかる。自分を苦しめているのは「我意識」そのものであって、自分の外側に勝手に苦しみの現象を作っている。その意味をよく理解することで、自分自身をよく見つめる。
課題を認識するという認識を新たにして、日常の生活に臨んでいきたいと思う。有難うございました。

 

☆ 今日は桑田二郎さんの【漫画で悟れる般若心経】を先生が文章にしたものをテキストとして輪読したが、何となく感覚的に理解できたかなと思う位である。ただ思うのは、この現象世界を本物だと取り違えずに、普遍意識へ意識を向けて日常生活を送りたいと思う。
我意識という事で私もこの世に生まれて
(何度も)経験してきた数多くの苦の中で、そこにどっぷりとつかり、意識を上に向ける事すらしない、というのか知らない状態で我意識を膨らませてきた部分があったのではないかと思っている。
ただこの苦から逃げたい、解決したいと思って、この人生の中でいろいろな精神修養や宗教に足首突っ込んで、目に見えないけど確かな存在を求め続けて来た。現在、そういう団体等の色んな制約から離れ、自由な身になれた今、本当の自分探し、普遍意識への旅立ちが始まったのではないかと思う。

このテキストを読んで、今の自分に必要なのは、やっぱりもっと事あるごとに、感情だしをする事。
この表面に現れる自分はすべてではない。
もっと素晴らしい神に通じる存在を秘めているのだから、それを信じて自分をもっと愛し、周囲の人や物、事柄にも愛をもてる存在になりたいと思う。
進歩しているのかしていないのか分からないような日でも、きっと良い事になっていると希望をもって暮らそう!と思う。やっぱりいつでもどこでも、目に見えない大いなる存在に守られての毎日なのだと実感してしまう。

 

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    第3期 10回       『くすのき』感想文        2009年6月21日 


☆ 今日も皆さんのお話からたくさん学ばせていただきました。ありがとうございます。

Mちゃんはしっかり感情だしを行っていて、やってもやっても果てしなく続いてると感じると表現できるほど感情を見ているのがすごいと思いました。自分はまだ足踏みをしているだけでそのスタートラインにも十分に立っていない。

Mちゃんの“不安と恐れからそうならないように決断するのではなく、喜びを持って決断することが大事”という言葉は、大変参考になりました。

過去に何度も決断したといってずっとできていないのは、自分の決断が不安と恐れからそうならないように決断する。そういう負のイメージであったような気がします。

そうだ喜びなのだ。

そうしたらYさんのように、“楽しんですればよいという開放感がうれしい。自分を出せる自分がうれしい”と表現できるようになってすべてがうまく回りだすのだなと思いました。

そして今回の勉強“症状に耳を傾ける”からですが、一か月続いた咳の症状、そして今あらわれている大腸のポリープの症状といい私にぴったりの勉強でした。
この症状からもっともっとしっかり学んで成長しよう。成長することは喜びである。感情だしを喜んでやろう。仕事を喜んでやろう。何でも喜んでやろう。生きることは喜びである。ありがとうございました。

 

☆ 今回も来るまで、行きたくない気持ちが何度もわいてきて、何とか理由をつけて欠席の連絡を先生に入れようと思ったのですが、心の奥の本当の気持ちは行きたいと思っているので、なかなか連絡を入れないまま日が過ぎ、結果、今日も無事参加させていただくことが出来て良かったなと思いました。

今回もみなさんの色々な体験を聞かせていただいて、たくさんの気付きや感動、自分も頑張ろうという勇気を頂くことができました。

同じような経験でも、自分の時には気付けなかった事が、他の方の話を聞くことで気付くことができたり、分ったつもりでいた事が改めて理解することが出来たり、ひとりでは出来ないたくさんの学びを頂けて、本当にありがたいなぁと思いました。

そしてまた皆さんの話を聞きながら、感情を見ることと行動を起こすことは本当に大切だなと改めて思いました。自分の感情を見ていると、見たくない、知りたくない、認めたくない、いやな醜い感情がたくさん出てきてそんな自分がいやで、自分を責める気持ちがどんどん出てきて苦しくなって、この感情がなかったことに出来たら、楽になれるのにと思うのだけど、やっぱりそこをきちんと向き合って、今まで押し込めていた、気付かなかった、見ようとしなかった感情を少しずつでも出していきたいなと思いました。そしてその奥にある愛をいっぱい出して、表現できるようになりたいと思いました。

また、瞑想を通して、もっと自分の気持ち、自分の事、自分自身を大切にしようと思いました。そしてもっと自分を信じて、前向きに明るい気持ちで行動を起こしたいと思いました。

 

☆ 今日のくすのきは、参加人数が少なかったのですが、皆さんのお話は、自分も同じように感じ、苦しんでいたこともあり、とても深く聞き入ることが出来ました。

現在(今、この時)、苦しみ悩んでいることも、先(未来)の私から見るときっと、“何であの時は苦しかったんだろうな”思えることなのかもしれません。皆さんの話を聞きながら、過去の私に思いをはせ、今の自分があのときよりも進んでいるなぁと感じられたことは、私にとって大きな成長であり、気付きだと思います。

またYさんは、家のこと、ダンナさんのことをしながら、自分の好きなことをするエネルギーあふれる人だなと感心したのですが、それぞれの夫婦、家族の形を見せてもらった気がします。

また、Uさんにいたっては、今日の“病気の気持ち”や“症状の気持ち”を実践されており、そこから学べる多くのことは私にはまだ考えつかないところにあるかと思いますが、ご自身の気持ちを知ることで、私たちにも仮想体験させてもらっているのだと思います。

先生がよく言われるように“良い”“悪い”ではなく、その現象から“何を学びどう行動するか”今後も自分によく言い聞かせ、忘れずに過ごしていきたいです。

 

☆ いつもありがとうございます。今日も≪れいめい≫【くすのき】に来れることがとても嬉しく、皆さんに会えること!そして貴重な話を聴かせて貰えることに感謝しています。また本日も、改めてそうだなぁ〜と沢山の共感をさせられました。

素直な心。私には夫婦関係。家族とのあり方として、夫がいるのに相談事を外へ(実家の母だったり)して、夫を無視していた、相談事を外にしていた事で、夫にも辛い思いをさせていたこと(・・・その事実には気付けず、辛い思いをしているのは私よ!・・・)と、気持ちに余裕がなく、自分の事に執着していました。

今も色々な出来事で自分で事を進めていきますが、夫には声をかけています。(そこが大事だと言うこと)を教えていただきました。それに対して、相手がどう反応しようと・・・。そしてこの事に気付かせていただいた事に感謝をしています。

“病気の気持ち”“症状の言い分”では、・・症状を病と言う捉え方ではなく、いかに自分へのメッセージ(大切な何かに気付くように私達を促してくれているものだという事)を学ばせていただきました。自分の身体にももっと気を配り、症状の声を聴いていきます。

先生、皆様ありがとうございました。

 

☆ 体験発表の中で「〜ねばならない」「〜しなきゃならない」等の言葉が沢山出てきて、まだまだ自分を縛る、決めつける心が強いなぁと思った。

以前よりも自分の気持ちを見れるようになってきたと思う。良くない事は思ってはいけない、と思わないようにしてきた事が本当の自分に背を向け知らんぷりして本当の自分を傷つけ、成長を妨げて来たんだということが解って良かった。自分の感情を認めてやることが出来るようになったことは、自分にとって素晴らしい変化だと思う。

感情を認めて、フーっとその感情を自分の中から出して、光に帰す練習をしている段階だが、その方法を学べた事は、自分の人生に大きな方向転換をもたらしてくれたと思う。今日はその光を対象とする相手の方に投げかける方法を改めて教えて頂く事が出来て、自分の人生のカルマの解決、心のほどき、気付きに繋げることが出来ると思うと、又一つ道が大きく開けた気がしている。

肉体の働き以上に心の働きはパワーが偉大なり。心の持ち方、思い方を明るく前向きにする為にも感情出しをしていこう!と思う。

テキストの【病気の言い分や症状の気持ちを聞く】ミンデルの文章を輪読して、セッションの中でやっている事と同じだと思った。これを感情出しと同じように自分で出来るようになれたらいいなと思っている。自分と周囲との外応にもっと敏感に気付ける自分になりたいと思う。

 


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    第3期 9回       『くすのき』感想文        2009年5月10日 


☆ 今日のMさんのお話を聞いて、最近見た本のセリフで「相手は自分を写す鏡であり、相手の言動や行動は自分が決めているのである」というのがあったのを思い出しました。幾度となく先生に言われてきたことではありましたが、自分の気持ちや言葉一つで相手の出方が変わるということを改めて感じさせていただきました。その時、最近の私は家族に対して誠意のある言葉を伝えていたのか?と反省させられました。

相手に対してイライラするだけではなく、自分が感じている気持ちを、感情を抜いて伝えられるように、もう一度見つめなおしてみたいです。家族ではなく部下に対しての接し方を変えられた・・・(それによって状況が変わった)Mさんは、本当に素晴らしいと思えました。

また、Mちゃんの話を聞き、自分が父親に対しての感情があまり湧いてこないことにも気付きました。そのことに対して自分に驚きました。父との関係を考えることが近々必要になるのかなと考えています。

Mちゃん親子は遅れてもいつもちゃんと参加し、なおかつ、自分の気持ちを素直に言えるところが素晴らしいと思います。本当の気持ちを伝えて、お母さんはそれをちゃんと受け止める覚悟があり、逃げない強さを持っているんだなぁと思いました。

私は妻・娘・妹としてどこか表面的に“良い子”でありたい気持ちがあり、本音を言わないところが今でもあります。でも、今日の全体を通して、本当に必要なことや相手を思うことが何かを触れられた気がします。 夫婦・親子・姉妹・自分と他人など全ての人たちとの関わりを良くする為に、今日は自分を見直す、よい機会になったと思います。

◎人生は長く生きればよいと言うものではなく、どう生きたかが大切なんだ!→この言葉を肝に銘じておきます。

 

☆ 少しずつですが、自分のことを素直に皆さんの前で話せるようになれてきて嬉しく思いました。まだまだ話すことは苦手で、緊張もするし、話しながら自分が何を言いたいのか分らなくなってきて、頭が混乱することもあるけれど、それでもいいのだと、少し気持ちにゆとりを持って話せるようになってきていると感じました。

いつも【くすのき】で自分の体験を話させていただくときは、感情がどんどんあふれてきて、なかなか冷静には話せないけれど、それでもそんな私の話をただ聞いてくださる皆さんがいることがとてもありがたいなと感じました。今まで、自分のことは言いたくないし、知られたくないと思っていたけど、それは本心ではなく、その事によって、相手が自分をどう思うかが恐くて話せなかったのであって、本当は、心の奥には聞いてほしい、知ってほしいと言う気持ちがあったのだと気付かされました。

れいめいにご縁を頂いてから自分の感情と向き合うようになり、気付かなかった、見ようとしなかった本当の自分の気持ちに気付かせていただきました。これからもしっかり自分の感情と向き合って、少しずつでも開放していきたいなと思いました。

また、皆さんの話を聞いて、やはり“実践する”と“行動に移す”ことがとても大事だなと思いました。いつも頭で考えすぎて、動けなくなってしまうので、小さなことでも“行動に移す”ということを大事にしていきたいと思いました。

出来ない自分を責めるのではなく、出来たときの自分を褒めながら、前向きに頑張っていきたいと思いました。

 

☆ 今日も皆さんの体験を聞かせていただいて、全て自分のことに置き換えて同意したり、反省したりする自分がいた。ここでの話は自分にとって1つ1つ貴重なものであると思う。

Yさんの家の中、身の周りの物を整理処分する話に対して、私自身もずっと物を手放したいと思いつつなかなかはかどらない事に悩んでいたので、Yさんに対して先生の言われる言葉に解決の糸口をつかめた気がした。

物を捨てる(手放す)作業は、それにまつわる自分の感情を見て放す作業である事(だからさっさと出来ないのもあるな、と納得!)。 自分を生かす為に要らない物を1つずつ感謝の気持ちを持って、光に返していこうと思った。物さんにも感情があるから殺さず、光に返して転生させるようにしようと思う。

テキストの「宗教」<黎明より>を読みながら、今まで自分が所属していた所の様子と文章を比較していたが、所属していた時に、その宗教の教えが真理だと思い、組織活動の中での人々に矛盾を感じて、矛盾を感じる自分が間違っていると、自分を責めて等、色々悩みながらもそこが絶対だと思っていた頃から、勇気を出して自分の中で組織と決別出来た事は感謝です。

今はそこで学んだ良い所を生活に生かし、自由なひとりの人間になりたいと思っている。そのためにはずっと押し殺してきた自分の感情を、もう一度見つめ直して、出して、光に返すことを心掛けて実行したいと思う。

【くすのき】に来る日が近づくと、いろいろな邪念が湧いたりして、来る気が萎えたりするけど、参加できて、この感想文を書いているときは、いつもやっぱり来れて良かったと喜んでいる自分がいる。 本当に有りがたい事です。

 

☆ 今日は朝から久々にイライラして子供達を怒鳴ってしまい、「今私はとても悪い状態だ・・・」と思いながらこちらに伺いました。心の状態は勿論というか、心に引っ張られて身体も重い気が・・・。行きたくない気もするけど、行かなかったらもっとキツいだろう・・・と思いながら、朝から準備したのですが、重いはずの身体なのに、お弁当の準備等がいつもより早く出来たりして、成長した面(動ける自分)と未熟な面(怒鳴ってしまう自分)を感じて、何だか不思議な気持ちがしました。 (「怒鳴ってしまう自分」というのは裏を返せば、2階に寝ている夫に「子供達の準備の声かけを手伝って」と言いたくて、言えない自分なのでした。状態が悪くなると素直に物が言えなくなるし、そのことにも気づきにくくなるようです)

今日は「宗教」や「生命」について読んだり話したりすることが多かったと思うのですが、結局のところ「どういう見方をするか?」が大事なんだと思いました。人間一人一人が光の存在であること、目に見える部分だけが生命ではないこと。そういう大きな大きな、ある意味では研ぎ澄まされた観点でもって、ブレずに事物をとらえていけば、もっと心は楽になるのかな、と思いました。

 

☆ ごめんなさい。皆さんの話を聞かせていただきながら、ず〜と眠くて眠くて寝ていました。

自分の感情を見るということの大切さ、そして難しさ、めんどくささもあったりして・・・の中で、最近、自分の感情を素直に観れるようになった喜びを感じています。Mさんの子供の頃の抑えていた感情を今観れるようになり、受け入れられ、それによって自分の喜びとなっていることが、ああ、そうなんだよね!!って自分の気持ちを、感情を観て直に心を聞き、言葉にすることが、こんなにも悦ばしく、とてもとてもありがたくて、嬉しくて、この感情をもっと良い表現ができたらと思いますが思い浮かびません。・・・とにかくこの開放感が満足ですね。だからMさんのことがとてもよく分るし、本当に嬉しく思いました。

そして光の伝達者となって、周囲の人たちに(ヒントや刺激、心の平安等)愛を伝えられたらと思います。その為には握り締めているものを一つ一つ開放していき、もっともっと己を見つめて意識向上して自分を変えていこうと、そして喜びを感じていきます。

今日も色々と学ばせていただき、心から感謝いたします。ありがとうございます。 

 

☆ 今日も皆さんのお話から、たくさんのことを学ばせていただきました。ありがとうございます。

自分の親に対して、私の場合も自分の思いを表面に出せないで、また出さないほうが良いと思うところがあって、それを元の妻にも求めているところがあって、つらい思いをさせたなぁとあらためて思いました。親に対する感謝の念と、自分を出さないこと、つまり、親の期待に応えることを一緒にしてしまっているところがありました。今でもまだ完全に消化できていないところがあるような気がして、しっかり感情出しを行ないたいと思います。

それから、部屋の片付けについてですが、私の場合も実家にまだ整理できていない自分の持ち物がたくさんあって、親に任せてしまっていましたが、何か心に引っかかるところがあってスッキリしないと感じていました。自分で機会を見つけてきちんと整理したいと思います。

そして、長く生きることが重要ではなく、どう生きるかが重要というテーマについてですが、頭では解っているつもりでも、実際には、明日があるという思いで生きていることが多く、今日やることを明日へ、明後日へと伸ばしてしまっていることを改めて感じました。もう一度気を引き締めて、、今ここをいきたいと思います。

たくさんの気付きを与えていただいてありがとうございます。

 


 

         第3期 8回       『くすのき』感想文        2009年4月12日 


☆ 今日のK親子、Kちゃんの話を聞いて、この世に生を受けたその理由を見せて頂いたような気がした。人と人との関係、目の前に起きていることの意味、苦労や苦しみの意味が集約されているように感じた。

自分の体験に照らし合わせてみれば、自分の身に起きている事も全て同じ意味をもっていることになる。これまでの辛い経験やこれから起きるであろう困難も、自分の感情の歪みを取る為に存在していることになる。あたかもシワや塊がある布を、きれいにアイロンをかけたりするように布にイメージが湧いた。

この様に考えると「善と悪」の中に出てきたように、現象の中には善悪は存在しないものになる。私たちはよく日常生活の中で、他人の言動に対して善し悪しを判断することがある。ある目的に向かった行動の中で、その方向からズレる言動を排除することを行なうが、この過程の中で個人的な感情や私的な心に支配されてしまうと、まさしく迷いの中に入り込んでしまうのだと思った。

これから、これまで以上の人たちと仕事をしていくことになるが、今日感じた感覚を大事に日頃の言動に注意を払っていきたいと思う。明日からの仕事に生かしていきます。

ありがとうございました。

 

☆ 今日は子連れの参加でとてもにぎやかな≪くすのき≫になりました。お姉ちゃん、お兄ちゃんのお陰で、楽しく過ごせたようでした。私も子守りをしながらだとイライラしてついつい怒鳴ってしまうのですが、今日は気持ちの上で、比較的穏やかに過ごせたと思います。感謝です。

現在の私の課題である自分の気持ちや言葉を相手に伝えるということを実行する必要があるんだと再確認させられました。自分で話していた課題が、午後の読み込みの中でも出てきたことには驚かされましたが、確かに「これでもか!」というくらいに現象は起きてくるので、今日を境に決心したいと思います。

また、久しぶりに自分の感情を外に吐き出し、表現することが出来て、スッキリしました。ただ話を聞いてもらえる、受け入れてくれる、皆さんのお陰で自分自身が救われたように思います。

皆さんのように、自分も相手を受け入れる存在になりたいと思います。



☆ 今回も皆さんのお話からたくさんのことを学ばせていただきました。

まず一つ目はホメオパシーのレメディについて。これまでは、体の具合が悪いときはホメオパシーを自分の意志で飲んでいたけれど感情面に対しては、勧められるままに飲んでいて自分の意志で積極的に飲んでいなかったので、感情面に対してもこれから飲んでいこうと思いました。

次に、皆さんが自分の感情をしっかりと感じそしてその感情を素直に表現していらっしゃる姿を見させていただき、自分にはこれが足りないなということを痛感させていただきました。自分の感情に対してしっかりと向き合っていきたいと思いました。

そして言いたいことをきっぱりと言うことの重要性について、これは皆さんのお話に出てきて今日のテキストにも表現されていていました。 自分の場合も曖昧にして自分の意思をはっきりと表現できずに誤解を生じることがありました。はっきりと言うためには判断と決意が必要だと思いました。

最後に感情出しの重要性について。 ほどいて、ほどいてひっかかりを外していく。現象から学ぶ。現象から学ぶ。自分の感情を見なくなったら進まない。やる気があるから現象が出てくる。やる気があることは素晴らしい。

このように言われて耳が痛く感じました。自分の場合はやる気が不足していることを痛感しました。これでは先へ進まないのも当然だなと思いました。 「ほどいて、ほどいてひっかかりを外していく。現象から学ぶ。現象から学ぶ。自分の感情を見なくなったら進まない。やる気があるから現象が出てくる。やる気があることは素晴らしい。」

この言葉をかみしめて感情だしをしっかりと行い現象から学ぶことをしっかりとやっていきたいと思いました。 そして自分の身の回りにいる人に対して光の投げかけを実践していきたいと思いました。  今日はたくさん学ばせていただきありがとうございました。

 

 ☆ 前回のくすのきから今日までのお話は、私自身は先日セッションで気付いたことをお話させていただき、自分の体験としては特段に新しい気付きはなかったのですが、皆さんのお話を伺ってたくさんの気付きをいただき「まるで何人分もの人生をいっぺんに送っているようだなぁ!」とあらためて、このような集まりにご縁をいただいてありがたいと思いました。

また、自分がした話の中では新しい気付きがなかったのですが、先生から指摘していただいて、自分が今日知らずに取っていた行動(あえてしていなかった行動)が、先日のセッションで得られた気付き『自分(の頑張り)を認めてあげよう』、そして他人の評価等を気にせず、やることをやっていこう』を生かせてなかったことに気付きました。

子供に対して、悪いと思ったときに、声をかける(叱る)だけではなく、頑張ってるな、お利口さんだなと思った時にも声をかける(誉める)、他人がそれをどう思うのかは気にせずに。

“出来て当たり前”の減点評価を自分自身が嫌だなぁ〜と思っているのに、同じことをしてたんだ・・・ショックも受けましたが、解決法(素直に言葉にして伝えること)も同時に学んだので、これから実践していきたいです。

輪読では「めんどくさいって何?」の余談の部分が、「成長とは、我慢せずに生きられるように自分が変化すること」が心に響きました。以前の私は「我慢して」「せんといかんことをする」のが成長(大人)と思っていました。しかし今日の輪読にも出たし、先日のセッションで、同じ行動をするのでも、「せんといかんからする」と「自分がしたいからする」という意識のもち方、言葉の表現の仕方で全くの別物であることを学んだので、これを日常に生かしたいと思います。

 

☆ 仲間の体験談を聞いていつも思うのだけれど、人の話だけれども全部人事ではなく、じぶんの心の中にある物を代弁してもらっているようにも感じる。皆とは肉体的には別々なのだけれど、深層部分では繋がっていると思う。今、仲間の話は、全て自分に気付きを与えてくれる貴重なものとなっている。

自分の身体の中を見つめるイメージ作業を行なって、ここ近来自分の中で、物を捨てるということを意識しながら、思い切って出来ずにいる状態を身体の方の意識が表現してくれていて、やっぱりと思った。

にっちもさっちも行かない窮屈感や、死にそうなくらいの圧迫感、もうどうにかしてという叫びに、掛けてあげた言葉は「捨てるから!」のひと言しか思い浮かばなかった。その言葉かけに『早くして!』といいながら光に還ってくれ、虹色のシャワーとなって私に降り注いでくれた時、私の心の中は、持たないことの清々しさと自由さを手に入れた喜びで満たされた。今の気持ちを忘れることなく、自分の中から物はもちろんだが、精神的な事まで必要以上の物は持たない生活を送れるよう心掛けて実行していきたいと思う。

テキストの中で「善悪」についての文章を読み、今の世の中で通用している善悪となる基準は、必ずしも正しくないというのをまた改めて実感した。日常生活の中で自分がややもすれば陥りやすいワナに落ち込まないようにしたいと思う。童話「リトルトリー」を読んでみたいと思った。

先生のお話で、やっぱり自分の感情を見つめ、出して、光に返していくことが本当に大切で、日常生活の中でもっと実践していきたいと思う。

起きてくる事柄、そして相手は自分の中に在る物を気付かせてくれるキーパーソンということを肝に銘じて、その場の感情に振り回される事なく見つめ、出して光へ返すことを一つでも多く実行して、自分を生長させていきたいと思う。

「怒る」について心当たりが多くあり、もう一度テキストを読み、上手なやり方を身に付けたいと思う。

 

☆ 改めて感じたこと。沸いてきた感情を感じ受け止め、自分を解放していくことの大事さ!!目の前の現象に惑わされないこと、自分の心の中に在るものを投影しているだけだという事!を理解すること。

ただいい判断というもの・・・あらゆる観念を手放した透明無垢の状態にあるときには、普遍意識の表現が自然に現れてくる・・・と黎明の本の中には書いてあります。

私もそうなれるように日々己を知り、開放していき、前向きに頑張ります。

そして≪くすのき≫の皆さんと共に、自分の握り締めているものを手放す悦びを感じられることに感謝しています。

ありがとうございます。  

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         第3期 7回       『くすのき』感想文        2009年3月15日 


☆ 今回も皆さんに貴重なお話をたくさん聞かせていただきありがとうございました。

周囲を気にし自分をよく見せようとしている自分がいることに気付かせていただいたこと。 相手に対ししっかりと向き合ってお話を聞いてあげることの重要性。相手のためにやってあげるのではなく自分がやることを喜びそしてその喜びを相手と共有するということの重要性を教えていただきました。 ありがとうございます。

そして『黎明』の≪チャネリング≫から

今回宗教に勧誘されるという経験をしました。「黎明」の中で「組織的なエネルギーが絡んでいると厄介な事態になることがほとんどで大きな混乱を招くことを覚悟していただきたい」という説明がありましたが、中学の同級生に対するよしみで深みにはまってしまいそうでしたが深くかかわる前に思いとどまらせていただきありがとうございます。

自分の意志を強く持つことが必要であることを強く感じました。

そしてホメオパシーの勉強から、ホメオパシーはヒプノのお勉強と非常に似ているところがあることを感じました。  
わいてきた感情、あらわれた症状をそのままにせずに感情をしっかり見て深い所を出していく作業とあらわれた症状を心の中までさかのぼってレメディでしっかり出し切っていくことはよく似ていてこれが我々人間に本当に必要なことなんだろうとあらためて思いました。



☆ 今回の『くすのき』は、いつも以上に少人数だったせいか、他の方のお話をいつも以上に身近に、自分のものとして聞くことが出来たように思います。
今回もいろいろ学ばせていただき、ありがとうございました。

また自分のこともその時々に起きる事柄(お試し)への対応が、如何にそのときの自分の状態を反映しているか、感情は感情で認めてあげて、感情的にならずに対応することの大切さを再確認することが出来ました。
今回は『くすのき』に対するテンションが低目で、正直「行かなくても・・・」という思いがよぎらないでもなかったのですが、あらためて「来てよかったなぁ」と思います。

午後の部の最初の瞑想で、花畑に行きました。
そこで花から
“自分達は天に向かって伸び、花開くことで本来の自分を生きている(愛を表現している)あなた達(人間)もそれぞれ独自に備えている花を咲かせなさいよ”
というメッセージをもらいました。

それは、午前中に話した子供達との関わり方(ちゃんと向き合って受けとめてあげることで、安心して自分の道を歩いていける)や、午後に皆で読んだホメオパシーからの本の抜粋“病気になるのは本来の生き方とずれている”という言葉にも重なって(瞑想の時のイメージでは人間は、独自の花を備えていながら、何かに抑えられていて歪み、本来の状態では花咲いていない感じ)、生き方について大変重要なことを示してもらったなぁと感じます。

カエルカードも引かせていただいたら、“どういう生き方をしたいの?他人の真似ではなく・・・”と出たので、自分も他人も花咲かせられるように出来たら素敵だと思います。



☆ 今回は少人数で、いろいろな話を聞かせていただき、いつもと一味違うよさを感じることが出来ました。

さて、今日の瞑想で感じた「人間社会」とその深層の「本質的な世界」は、今日【黎明】を読んだ時に「自我意識」と「普遍意識」ではなかったのかと思った。改めて≪チャネリング≫の章を読んでみると、今の自分がいかに「自我意識」に支配されているか、言い方を換えれば「自我意識」を発せざるを得ない環境にあるのか、さらには愛一元の状態から遠ざかっているのではと考えざるを得なかった。

不平不満を感じざるを得ない日常生活の中で、いつしか不平不満を言っている自分に気付いてはいたが、今日改めて考えてみると、この現実の中で、いかに愛一元でいられるのかを試されているのだと気付かされた。

カエルカードで出てきた「機会」という文字は、目の前の現実が、自分が本当に成長できる「機会」であることを教えてくれたのだと思う。
このお試しに落ちない様、この成長の「機会」を逃さぬ様、現実の見方に細心の注意を払っていきたい。

それから、ホメオパシーにはこれまで少し距離を置いている状態であったが、改めて生命というものに対して本質的な存在であることが理解できた。
これまで「外部のものに頼る事は良くない」という観念にとらわれていて、ホメオパシーに対する抵抗があった様に思う(※効果を体感しているにもかかわらず)
こだわりをひとつ開放し、素直に委ねていきたいと思う。
今日もたくさん気付くことが出来ました。
有難うございました。



☆ 自分と相手との対話・・・・何を聞いてほしいのか?・・・何をやってほしいのか?・・・・
聞いているようであり、相手から欲求されることに対して、、自分的にはちゃんと対応しているつもりでも、実は自分の心の中にあるものを優先に、うわべでしていることを相手に読まれている?!ことで、その対応の仕方によって自分に返ってくる。

現象に揺れる自分がいるということを知り、正面から向かい合うことが出来るように、自分に気付き、余裕を持って生活できるようにしていきたい。

≪チャネリング≫を勉強して、『日常の生活で様々な現象に否定的な想念を持ったりすることがあった場合等、マントラを唱えて否定的な想念が現象化する前に打ち消し、ヴァイブレーションを高めていき、自分にも否定的な波動を受信する要素がなければ、誰かからの被害をこうむることはないという自然法則』
を改めて学び、日々の生活の中で、己を知り、気付き、心で想い言葉にして、行為する。そして、ニコニコと笑顔でいられる日々を実践していきたいと強く感じた。
皆様ありがとうございました。


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         第3期 6回       『くすのき』感想文        2009年2月15日 


☆ 今日皆さんのお話を聞きながら、今更ですが、自分と共感することが多く、納得しながら聞いていました。

責任感の強い方だからこそ感じる怒りや(会社にとってはプラスになっていますが…)、人の眼が気になる方のお話は、とても解る気がしました。また、子供の話を聞かずに感情で叱ったら、10円貯金をするお話は、気持ちを見直すひとつのアイデアとして、やってみようと思うくらい、自分でも怒りすぎているなぁと考えさせられました。

午後のワークでは、もともと書くことが苦手なので、頭で一生懸命に難しく考えて書いており、先生に注意されてから初めて、何事も楽しんで書くことから始めてみようと思いました。

自分の心を楽しんで表現する事が、これから先の私には必要なことと思います。

 

☆ 皆さんのスピーチを聞いていて、それぞれがそれぞれにふさわしい場面で、それぞれにふさわしい学びをされているのだなぁと思いました。そういう意味で、自分の今置かれている場面も、自分に最も必要な場面であるのだなぁと思いました。

今日のワークをしている時に、全ての言葉が自分と他人との分離意識から発していると感じながら書いていました。しかし、最後の瞑想の時に、そうではなく全体との一体感こそが本来目指すべき方向性であることを改めて再確認させて頂きました。

そういう意味で今置かれている場合を振り返って見ると、分離意識を強く感じざるを得ない状況であり、本当に“お試し”の良い機会を与えられているのだと思います。

“お試し”をクリアすることに意識を集中し、ぜひ克服したいと思います。大事なことを忘れかけていました。明日から、また厳しい環境が続くことは予想されますが、自分の進むべき方向をしっかり見つめ、3次元の世界で表現していきたいと思います。

有難うございました。

 

☆ 潜在意識と潜在意識のギャップの開放をしました。

自分自身に“許可を与える”作業をしたのですが、自分に禁止令を出している事柄は出ても、それを解く方法が上手く出て来ませんでした。ポジティブに自分を解放できずに、どちらかといえばネガティブなことになってしまいました。

自分の中に迷いを抱えていると、先が見えず、ネガティブな方向へと気持ちが向いていくようです。

最後に“自分に許可しさえすればどんな人間にもなれます”とありましたが、もう少しじっくりと自分に許可を与えられていない所ときちんと向き合いたいと思いました。


 毎回皆さんのお話が聞けて経験を共有できてともに成長させていただきありがとうございます。

今回のワークはできない自分自身に許可を与えるワークでした。

できない自分自身に対し、なになにしてもいいんだよと許可を与える方法でしたが自分のなりたい姿になかなか結び付かずうまく表現できなかったような気がします。

とくに魂次元の目覚め、つまりいつも瞬間瞬間に光の方向を向いていること、そしてそれを自分が意識し目覚めていることが自分でできないと思っていることに対して、いつも瞬間瞬間に光の方向を向いていていいんだよ。そしてそれを自分が意識し目覚めていていいんだよという許可の表現をしましたが、アファーメーションとの違いがいまひとつはっきりせず、もっと具体的な表現の方法があったような気がしました。

最後の瞑想で出てきたのはできない自分と出来ている自分をつなぐかぎはゆるぎない決心であると不動明王様に教えていただきました。

やはり自分には決心が必要であると思いました。ありがとうございます。



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         第3期 4回       『くすのき』感想文        2008年12月14日 


 

☆ 午前中は感情というものをあらためて見つめるお話を聞かせていただきました。

最近は“感情が揺れる”こともなく、何事も地を這うような感覚を過ごしていましたが、自分の気持ち(思い)を出せることの素晴らしさや必要性を、お話を聞きながら思い、ただ出す思い(感情)は、お互いにとって受け入れられないものになるということを、改めて思い知らされました。

自分の気持ちをきちんと感じること(感情のみをぶつけるのではなく)をもう一度見ていきたいと思います。

午後のワークでは、思い出として、子供の頃の楽しくなかった時代を思いだしましたが、ただただ抱きしめて「大丈夫だよ」と言ったそのひと言で絶大な“安心感”を得られた感覚はとても温かかったです。

自分の中では障害のある二男の事が人生で一番印象に残ると思いましたが、小さい頃の出来事がこんなにもくっついてくるものなのだと知りました。

それでも小さかった頃の私の中に安心感を与えられ、これから先、同じような出来事があってもあの頃とは違う対応が出来るだろうと思います。
   ・・・・・果てしなく道は続いて見えるけど、この両手は光を抱ける・・・・

☆ いつもありがとうございます。

皆さんの話を聞かせていただき頑張っておられるなぁ、又、自分と同じ揺れておられる話で、だんだんと自分のネガティブな心に変化があることが見えてきました。

日常の生活で、相手から言われた言葉に対し、余裕のない自分の言葉で相手を怒らせるのではないか・・・と感じ、もっと発する言葉に意識をし、己に問うことが大事だと改めて感じさせられました。

又、トイレ掃除のこと、自宅はもちろん、公共のトイレ掃除を勇気をもって挑戦され出来たとのこと!!すばらしい!!

出来るか?・・・今は…やれるようにします。

嫉妬の心理では、嫉妬と賞賛は同じエネルギーということを学ばせていだきました。賞賛のエネルギーで創造活用していこうと思います。

そして、感謝と言葉、問うて日々感情を出して、己を見つめていきたいと思いました。

   

☆ 今回も横浜からTV電話で参加させていただきました。

今回はTV電話の調子が良くてカメラの延長ケーブルもあって皆様の顔を間近で拝見できその場にいるかのような感覚で皆様の感情をリアルに感じさせていただきました。ありがとうございました。

特に毎回出てきますが感情を見つめることの大切さとそして運個が金運につながる話はためになりました。

過去から学びなおすワークでは今になって思えば愛を充分に出すことができなかった亡くなった前の妻の事が出てきました。前の妻は、私と結婚して「病気をしていい事がなかった」といって幸せを感じることがなかったように亡くなっていきました。

フィルムを巻き戻してあらためていっぱい愛してあげたら、亡くなる前に「結婚して、一緒に暮らしてくれてありがとう」という言葉を残して幸せな気持ちで亡くなっていった前の妻がいました。

おかげで私の気持ちも穏やかになりました。私に愛し方を教えてくれたように感じます。

これから今の奥さんに愛の出し方を実践していきたいと思います。

ありがとうございます。

☆ 我々は個であるがゆえにいろいろな経験をしている。また個であるがゆえに自我意識があり、その自我意識に支配され、結果的に苦しみ、自分自身を責めることも多々経験している。

最終的に普遍意識に到達する為に、またいろいろなことを学ぶために、自我意識が存在することは理解できるが、如何、自我でならなければならないのかは理解できていない。

今日の皆さんの話を聞いていると、個(自我)であるばかりに、いろいろな苦しい経験があり、心に傷を負っているように見える。

普遍意識を顕現するための最短の手段は、別にあってもいいのでは・・・と最近時々思う。これを考えても仕方のないことでもあるが・・・。

今の時点での私の結論は「日常の生活を楽しむこと」これは単に楽しいことをするという意味ではなく、深く味わうことだと考えている。

又一方では、カルマ・ヨガの実践のとして、一つ一つの事をていねいに行おうと意識しているが、そうすると他人の雑な言動が目に付いて、逆に自我意識が増徴しているようにも感じている。しかし、これらも深く味わうことでもいいのかなとも思う。

今日のキーワードの嫉妬や賞賛も、結局は深く味わった上での両側面なのかと思った。

個であるがゆえに個を楽しむ。

自分を非難したり、後悔したりしないで、自分を客観視しながら見つめていこうと思います。

ありがとうございました。

 

☆ 今回も“くすのき”の場を借りて、参加者の皆さんと共感し合えて、とても幸せでした。世間一般の多くからすれば、「へ〜〜」で終わってしまうこと、大したことではないとされること・・・その一つ一つが私達にそっと教えてくれていること、それに気付いて話し合える場があって幸せだなぁ〜とあらためて感じることが出来ました。ありがとうございます。

私個人としては、同じメッセージが形を変え、立て続けに3度届けられたことが、この1ヶ月間の中での興味深いことでした。浅く見れば最近の行動についての反省の促しであり、深くは人生のテーマ(目的と使命、潜在的可能性)でもあり・・・ありがたいことです。

午後イチはワークで、何度か自分でも感情出しをした20年以上前の過去の“こうすればよかった”と思うことが出てきました。それはこれからの生き方(人との関わり方)にもつながる大事なことでした。結局のところ、他人の目にどう映るかではなくて、自分の納得がいくかどうかが、悔いのない生き方のポイントだなとあらためて感じました。

午後の読み物が「嫉妬の心理」(他人に向けて破壊的に使うのではなく、自分に向けて創造的に使えばよいという話)で、またこの繋がりが面白いなぁと感じました。

 

☆ 今日は、今気になっている思い出を書き出して、それを自分がこうしたかった、こうしてほしかった事に書き換えるという事をしました。

思い出を書き出して誘導瞑想に入ると、今まで押し殺してきた感情が一気に噴出して、涙が止まらなくなりました。このワークの意図するところとは少しずれているのではないかと思いながらも、湧いてくる感情を抑えることが出来ず、皆さんの前で話しました。

人前で自分の事を話すのが苦手な私は、自分の感情を話すなどなかなか出来ずにいました。今日は話せてすっきりでした。

前日カードを引いたら「自分の思ったことを言葉に出す」というものでした。

そうか!思った事にそのまま蓋をしてしまわないで、口に出してみるといいのかと思ったところでした。

自然とそうしている人には解らないかもしれませんが、意外と湧いてきた感情を見ることなく、そのままにしている人が多いのではないかと思います。そして私のように口に出せなくなっている人も…。

自分の思いを言葉にできるようにこれからも努力します。 

 


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         第3期 3回       『くすのき』感想文        2008年11月9日 


  ☆ 今回自分の体験や感じたことを話しながら、自分自身あやふやだったものが、何だか少し整理されて、すっきりとした感じがした。

 私は子供の頃から、自分の事を表現する事が苦手で、作文や感想文が嫌いだった。いつも原稿用紙を前にしても言葉が出てこなくて、時間だけがどんどん過ぎていくことに焦りを感じ、またすらすらと書き始める周りと自分を比べては落ち込んでいた。「なぜ」自分は書けないんだろう。きっと無感情なんだ、無関心なんだ。そんな風に思っていた。

けれどその原因は自分自身の気持ちと向き合ってなかったからだという事にやっと気付くことができた。ずっと周りの目、周りの意見ばかりを気にして自分の気持ちを大切にしてこなかった。いつも後回しにして、ないがしろにしていた。

 そのせいで、いざ自分の気持ちに耳を傾けても、あまり感じることができなくなっていたのだ。

 これからはもっと自分自身の気持ちを大切にしていきたいと思った。小さなことでも、ちゃんと自分の気持ちを感じて、認めて、そしてその気持ちを素直に表現できるようになりたいと思った。      

 

☆ 左右に自分の短所と長所を置き並べて、それを先生の誘導に従って導いてもらった事で、短所も長所もお互い表裏一体の関係で切り離せない存在であることを確認できた。

両方を合わせて出てきたものは綺麗な黒く輝く黒曜石とハート型の大きな真珠になっていて美しい光を放っていた。

それを見て、自分の中の長所と短所と思っていたもの全て、いとしいものに思えてきた。浮かんできた言葉は、いつくしみなさい、共いつくしみなさい、と優しい愛情いっぱいの気持ちになれた。

大きな木に近づいて触れるイメージの時は、このところ、掻くありたい自分と現実の自分の食い違いに自己嫌悪していた私に、ゆったりと大きく優しい声で「頑張ってるね」と言われ思わず、「頑張ってない」と叫んでしまったけど、自分の苦手な、できない所ばかりにとらわれて責めるより、できる所、得意なところを認めて伸ばしていけばいいんだと諭されたとき、大きな幹の中に体半分以上入り込んで、大きな愛に包まれ癒されることができた。その言葉を忘れずにいたい。

二つのイメージに共通することは、この自分は善・好き、この自分は悪・嫌い・認めないと区別し、そしてできない悪と思う自分を良くしようと意識がとらわれていた事をはっきりと再認識させられた。

両方の自分がいて、私をもっと進歩向上させてくれているのだから、これからは両方の自分を認め、愛していきたいと思う。

『黎明』の地球の変容をテキストで勉強して、地球イベントの一大イベントの重要な時期に、地球人として重要なポイントに立たされているのだと思った。救いを待って助けてもらう例ではなく、地球のヴァイブレーションの向上に一役買う事のできる存在であると言う自覚を深め、日常生活の誇りを持って生きていきたいと思う。(黎明の文章に励まされた)

 

☆ 今日は自分の短所と長所をあげて、瞑想で左手に短所、右手に長所を乗せて感じた後、手のひらを合わせるという事をしました。

合わさった短所と長所は何も無くなって、花の香りがメッセージのように伝えられただけでした。私は短所は次々と沢山書けるのに、長所はなかなかかけないという状態でしたが、二つを合わせてみると、これでいいのかもしれないという気持ちになり、自分の短所を悲観する必要は何もないのだと思いました。

『黎明』の「地球の変容」の章では、転地異変や世界の情勢を見ても、地球も人も変わろうとしていると感じ、自分も変わっていこうと思いました。できるなら文中にあったように、自らが普遍意識を顕現して、地球のヴァイブレーションを上げる側に回り、あとに続く同胞がひとりでも多く未来の地球を表現の場とすることができるような、能動的な役割を果たしたいと思います。何も特別なことをしたり、修行をしたりすることではないので自分に気付いていく事で、人に愛をもって接する事ができるように心の浄化と身体の浄化を心がけていこうと思います。

 

☆ 今回も横浜からTV電話での参加となりました。

前半はTV電話の調子が悪く画像がうまく写りませんでしたが、電話ではっきりと皆さんの声が聞けていつも以上に皆さんの気持ちが伝わってきました。

今回の自分の短所と長所の勉強では、自分で意識していなかった自分のなかにいっぱいある短所、人に知られたくない所。そして自分の長所、意外といっぱい持っていた。人に知ってもらいたいこと等がいっぱい出てきました。そしてそれをすべて合わせて胸の中に入れると「これが自分なんだなあ。こんないっぱいの気持ちを持っていたんだなあ」というのがあらためて感じられてこの一つ一つの気持ちをもっと大事にしたいなと思いました。

それから「黎明:地球の変容」から、自分のいだく気持ち、感情が自分自身だけのものではなく地球全体、宇宙全体に影響を及ぼしているのだということつまりいい思いは全体を引き上げ悪い思いは全体を引っ張るということを改めて自覚するとともに宇宙全体を引き上げていこうという思いをもって日々、瞬間瞬間を生きていきたいと思いました。

ありがとうございました。

 

☆ だんだんと自分を掘り下げてみることが出来ている自分を発見でき、嬉しく思っています。今回の内容は少し恥かしく抵抗もありましたが、自分の感じた感覚を素直に話すことが出来てよかったです。

皆さんのスピーチを聞きながらも「そうそう、そうだよね」と共感する気持ちや、それに対して動く気持ちを見させて頂いて感謝しています。

今回のワークは、短所と長所でしたが、二つで一つだなぁと感じました。どちらも大切なのは「私」であること。マイナスは悪いものではなく、なくそうとするものではない、プラスとマイナスで一つであること。

『黎明』「地球の変容」の中での《自己の内なる神性に関心を持っている人であるならば……あとに続く同胞がひとりでも多く未来の地球を表現の場とすることが出来る役割を果たしたていただきたい》

その役割であることを自負して次の人へとバトンを渡して、つないでいきたいです。

 

☆ 毎回思うことですが、皆様のスピーチを通して、皆さまが確実に成長されていることを感じます。今日は特に自分の内側に深く深く、しかも緻密に感じておられるのだなと思いました。また顔の表情も何かが取れたように明るくなられた方も見られ、確実な変化が感じられます。素晴らしいことだと思います。

 さて、自分の短所(左手)と長所(右手)を胸の前で合わせると自分の生まれた頃の姿が出てきたのはどういう意味があるのだろうか?生まれたての姿は「自分のありのまま」を表していると感じた。「ありのまま」とは自分の全てであり、過去生をも含めた全てを包含しているのだと思った。要はこの「ありのまま」を受け入れ、このとき感じた、自分の人生への覚悟を決めて望んでいくことが大事なのだと思う。これからの生活の中でこの感覚を大切にしていきたい。

 ただ「全て」とは何か?《地球の変容》の中では『黎明』の読者である我々の役割に対して、記述してあったが、この役割に対して充分に理解できていないし、実践もできていないと思う。またこの文面を読みながら、日常の自分の生活の中で、反省させられる場面がいくつか思い出された。今感じている、微妙な感覚を感じながら普段の生活を眺めてみたいと思います。

 

☆ 久しぶりのくすのきでしたが、皆さんのお話が現在の私をすごく救ってくれたことが本当にありがたかったです。

子供が自分を出せる状況を作って上げられていたのか、抱き締めてあげるだけでどれだけ安心するのかを見せてもらえて気持ちを前向きに出来そうな気がします。

 短所・長所では、書きながら 短所=長所 だということがたくさん見えてきました。周りの気持ちを優先できるということは、即ち自分の意見がいえないとも取れますし、逆に周りの大切に思えると言う考え方のできますので、自分の考え方、周りからの見方で全く変わるので大変おもしろいと思いました。自分がネガティブ思考であれば、人の行動や言動を悪いほうにとってしまいますし、自分がポジティブ思考であれば、それが助言となり、救われた思いになれます。このことを肝に銘じてこれから先は生活していきたいと思います。またこのワークは、自分を見ることが大切ですね。前回も今回も内容はあまり書けず自分のことをまだ見ていないことが判りました。どんな気持ちや行動を取っているのかが、頭に浮かんでこないので、自分を出す練習もしていきたいと思います。

 

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         第3期  2回       『くすのき』感想文        2008年10月19日 


☆ 皆様のスピーチを聞いていると、皆様が皆成長され、かつ緻密な意識状態に変化しておられるのを感じます。日常の一般的には些細な出来事に対して、深くかつ緻密な心の動きを抱かれ、そこに意味を感じられることは素晴らしいことだと感じました。これからの自分の生活の中での心の持ち方にたいして今日もたくさんのヒントをもらうことができました。ありがとうございます。

それから今日は2回目の「右手と左手の会話」経験した。1回目の時は右手と左手が会話しながら進んでいったのに対し、左手が長々と回答(答え)を返してくれるという進み方が大きく異なりました。今日左手の答えの中には「捨てる】というキーワードが何度も出て来ました。立花大敬さんの文章の中にも同様の趣旨の言葉が見られました。どうやら本日の【くすのき】の私にとってのテーマはここにあったような気がします。
新しい仕事になり新しいメンバーと仕事するようになり、その仕事の意味は理解できるものの、その3次元的な制約に同時に不満を持っている自分を自覚しています。ただこの感覚は、過去の固定観や人に対する先入観で物事を見ていることに起因するものなのだと今日感じることができました。
大きな収穫だと思いましたが、明日からの日常の中で、今日得た感覚をきちんと表現すること、これが当面の課題と捉え、成長の糧にしていきたいと思います。

☆ 自分を見つめて、これまで勉強させていただいた感情を受け留め、その奥を見つめることで癒しをしていくのだということを再確認し、まだまだ癒されていない心の奥を見つめていきたいと思います。

何事も一歩踏み出すことで仏様に近づけるように努力してまいりたいと思いました。 また、祓い詞の解明で意味と知ることで尚一層こころがひきしめられました。

もっともっと色々な事に向かっていきます。

一緒に勉強させていただいている皆様の、日々の感情の想いを共感することで、自分の感情も見つめられそうだと納得し、先生のアドバイスを受けて自分もそうだと受け留めることができました。

ありがとうございました。  

    前日に心が揺れることがあったので、そのことをお話させていただきました。

先生から助言をいただいたことで気付き、感じたのは、“またか”ということでした。自分では気付いていなかったけど、なんと強固に親からの呪縛に囚われていることか。自由意志で行動しているつもりでも、親からのひと言に巧妙に縛られ、如何に私を主体とした柔軟性を欠いて行動していることか。親も意識的に縛ろうとしたわけではなく、私がその縛りの言葉と同じ次元にいなければ(同じ土俵にいなければ)追従することも、それに気付いて、心が揺れることもなかったのだ、と思うと、自分はまだまだだなぁと思いました。参加者の方々のお話を聞いて、自分も進歩しようと励まされました。親から子への好ましくない連鎖を切りたいと思います。

 午後の部の最初の瞑想でも、今思えば上述に関連することをメッセージで受け取りました。 もっともっと水の流れのように軟らかく、他者に流されるのではなく、主体として流れる、大きな流れを信()じてそれに乗る。“汝の欲することをなせ”(これはある小説の一文です)。しかし“汝とは?”(幾重にもかさなった層、破れて、より奥の層が見えている)もっと本質的なことをとらえられるようになりたいと思います。大変ありがたい言葉でした。

ワークで、“左手(潜在意識)と右手(顕在意識)の対話”をしましたが、以前にも経験していたのに、右手の出番を多くしてしまって、上滑りだったなぁと反省です。

その後皆で“個と全体”の話や“祓詞”について読みあわせをしました。日常思うことに“今、ここに生まれて、日本語が使える環境でよかったな〜”があるので、後者を読んでいる時にまた強く感じることが出来ました。そういう自分のバックグラウンドに感謝して、その気持ちを活かしたいと思いました。

ありがとうございました。

  

☆ 右手の質問に左手が答えて・・・のワークは、始めはやっぱり頭で考えてしまって書いていたけど、だんだんあまり考えずに、ただ思い浮かんできた言葉を書き出せるようになっていき、何を書いているのかよく判らなくなってきたけど、気持ちはもやもやしていたのが、なんだか少しすっきりしてきた。

自分を見つめることはやっぱり大切なことだと思った。ありのままの自分をまずは自分に対して出せるようになっていきたいと思った。

みなさんのお話を聞いていても、それぞれ自分の感情と向き合っておられて、すごいなぁと思いながら、自分も頑張って感情を見ていこうと思った。

 

 ☆ 今日は横浜からくすのきに参加させていただきました。パソコンを使ったTV電話でパソコンの画面を通してのTVくすのきになりました。仲間の方のパソコンを使わせていただき感謝しております。おかげさまで皆様の貴重な話を聞かせていただき、また今回も大きな刺激を与えていただき本当にありがとうございました。

自分自身と向き合うこと、自分の感情を見つめ感情だしを行うことの大切さを改めて感じさせていただきました。

右手と左手の会話で出てきた内容で、今この瞬間を光へ向かうのか影へ向かうのか。これは、われわれ誰もが皆、常に判断し行動していることで大変大事だと思いました。

大敬さんの言葉の中で、人間は逆円錐全体の多層的存在であり仏様のあなた、菩薩のあなたもちゃんと<あなた>のうちに完備されていて表に現れる機会を待っている。

電車の席を譲ってあげたときに菩薩のあなたが出現している。とありましたが、今この瞬間に光と影のどちらへ向かうか、席を譲るか譲らないかが大変重要になってくるのだと思いました。常に菩薩であるように心掛けたいと思います。

それから祓詞ですが、思えば光の意識は多少ありますが、毎日何気なく上げることも多い今日この頃でした。一語一語を解釈していただくと毎日あげている祓詞にあらためてもっと深く霊的太陽を思う気持ちが湧いてきました。

朝日を拝みながらの祓詞の実践を明日から21日間続けます。ありがとうございました。

 

      各自のお話を聞いていて自分をちゃんと見つめることが大切だと思った。

自分の気持ちを素直に書かかれた文章を聞いて感動した。素直に正直に書くことが、自分を認めてやれるようになれる事に、その変化の素晴らしさに感激した。

自分の話についての名和先生のコメントを聞いて、最初自分が批判されているような気持ちになって少し苦しかった。しかし、それもやはり自分の過去から持ち続けてきた、いろいろ場感情を出していないから、1〜10まで、大〜小まで、すべて一つ一つの事に反応してしまうのだと思う。(先生のコメントが私の中の一番痛い所 = 一番大切な部分を突いてくれて気付かせてくださった!)

右手と左手の対話の実践を行って、自分の中のテーマは、右手の質問に対して感情出しを早急にする事という左手の返事の言葉を書きながら、文字を読む私は胸が熱くなって涙がこぼれそうになっていた。ちゃんと自分自身のハイヤーセルフは答えを用意してくれるんだと嬉しかった。

  《くすのき》でみなさんと勉強することは、いつも自分に気付きと方向性を教えてくれると思う。 来るまでにいろいろ心揺れたりしたけど、感情出しで色々なものが解決していくと思う。

今日からこれに力を入れよう!!

  

☆ 午前中、参加者一人一人の方の話の中で、自分の中にある感情を見るという作業がいかに深く、単純にはいかないもので、またいかにそれが大切なことかということを感じました。

実際、先日のセッションのときにも表面的にあふれ出ていた感情を見ることによって、その時の奥にあった感情が出て、さらにそのことによって自分が小さい頃からため込んでいて、砲丸投げの球のようになってしまっていた感情を出すということを経験したばかりでした。

また午後からの左手と右手の会話でも、最近何気なく思っていた、どっか遊びに行きたいな!という気持ち(自分ではちょっとしたことのように思っていました)から、やはり小さいときからため込んでいた感情にたどり着いてしまいました。自分ではセッションの中で少しずつ出してきて、もうないと思っていたので、まだ持っていたのかとびっくりしました。これが感情エネルギーのすごさなんですね。

これからもわいてきた感情のひとつひとつについて見逃さず、ていねいに見つめていくことを続けていきたいです。

ありがとうございました。

 

 ☆ 一人一人の近況を聞いていて、皆も同じなんだなぁと感じました。状況は違っても、それぞれのペースで前進されている感覚を味わわせていただきました。

こういうことを言う自分は大人気ないかも、おかしいと思われるかもと、恐れを抱いていましたが、こう感じ、揺れ動いたかを素直に表現できるようになってきました。鹿児島ではこういう場がないので、れいめいで自分の内の気持ちを話すことが出来てとても感謝しています。

自分の悲しみ、淋しさを外に求め続けて、もっともっと、まだまだまだ足りない。満たされる物、人を見付けると、それを今度は維持させる為に必死になる。そのことにムダにエネルギーを使い、執着していたこと。

日常から自分の感情、動機まで見ていくことによって、いろいろな「自分」に気付いていくことができ、成長していくことが楽しくなってきました。自分をちっぽけに、小さく小さく扱わずに、もっと自信を持って進んでいきたいと思ってます。

 


 

         第3期  1回       『くすのき』感想文        2008年9月14日 


☆ ACの特徴は読みながら、まさに自分のことだと思った。

以前の私はACそのものであるけど自覚はないまま、そんな自分にたくさん悩んで苦しんできた。

れいめいに来るようになって、自分自身を見つめるようになり、自分のことが少しずつ解ってきて、少しずつ楽になってきた。

けど、またまだたくさん知らない自分、見えてない自分、自分があえて見ていない自分、認めたくない自分がいて、これからもずっと向き合っていきたいと思った。

なんだかとても遠く、果てしなくて全然先が見えず、前へ進めているのか不安になることもたくさんあるけど、それでも前を向いて、光だけを見つめて少しでも、一歩ずつでも進んでいきたいと思う。

 

☆ AC・共依存をテーマに学びました。

「AC」とは耳にしていたし、私もそうだとずっと思ってました。実際テキストのACの特徴を見て「ほぼ該当している!」と驚きました。

『自分を殺して違う自分に成り代わり、期待されている自分を演技する』

『かわいそうな私を隠すため、強くて何でもこなせてうまく生きている人』

悩みもありません。楽しいです。と特に職場ではしっかり者、強い私を長いこと演じてきました。

家に帰れば、「本当の私を誰も理解してくれない!」と嘆いていたのを思い出します。小さいときから自然に身に付けてきた、たくさんのパターンを改めてよく観てみようと思いました。

共依存においても、自分のことよりも他人の世話に一生懸命になり、その人の問題をすべて背負う、またそこに私が必要とされているのだと思い、生きがいを感じてきました。どこかでこの関係がなくならないように願っていたようにも感じます。

自分という存在価値をどう感じ、見つけ、どこに向けて生きていったらいいか分からなかったのです。

スクールで学び、自分自身も内観していくことを通して、「自立したい!」「自立して生きていくことができる!」という自身が湧いてきました。

ありがとうございます。

自分自身を一番に理解し、認め、愛することができるのは私しかいない。

 

☆ 今回のくすのきは、先月のスクール最終回に参加できず残念に思っていたところでの開催で、嬉しく思っています。参加できたことに感謝します。皆さんのお話がますます充実し、刺激をたくさんいただくことができあらためて感謝します。ありがとうございます。

今回の勉強は、『AC』と『黎明』地球生命系からでした。

ACについては、前回のくすのきで勉強し、自分の中のACを見つめ、少しは成長したと思っていましたが、改めてみてみると、特徴的な心理パターンで該当することがいっぱいありました。自分の判断に自信がもてない、常に他人の賛同と賞賛を必要とする・・・等々。

もう一度自分の行動、思いを振り返って見て、この心理パターンに照らし合わせて感情出しを行ってみたいと思います。

 それから『黎明』の地球生命系から。「自分の役割を完全に果たした上で、後は宇宙の働きに絶対的に信頼して全託するというあり方がもっとも懸命な合理的な人生の態度」

自分の役割をいろいろ考えてきましたが、なかなかこれにはたどり着けない。ただ今言えるのは、今現在自分に与えられている環境、立場でやるべき事をきちんと行うここと。これが自分の役割を完全に果たすことになるのかなと思っています。どこまでこれが深くできるのか、まだ今現在では十分にできていないと自覚している自分がいます。

自分の目の前にあること、今ここを心を決めて、愛を込めて一つ一つ実践していくこと。ここに心を注ぎたいと改めて決心します。ありがとうございます。

 

☆ ACに対して何となくイメージしていた自分の認識が違っていたことが分かった。

ACの特徴を読んで、自分に該当する部分がいろいろあって、なるほどだなぁと思った。

共依存の関係も、人間関係の中で自分も自分の知らないうちに築きあげている所があると、勉強して感じた。

前回からの1か月間の報告という全員個々の話を聞くと、とても自分にとって他人事ではない自分の問題として受け止めながら聞くことが多い。しかし皆さんいっぱい体験して、しっかり進歩されてあるな〜と自分も鼓舞される。仲間がいるって好い事だなと思う。

(時々自分はのんびり甘すぎると焦る時もあるけど、自分に人と比べることは止めにしようと言い聞かせています。)

先生の誘導瞑想でメッセージを頂いて、ホントに自分は永遠の旅人としてあきらめず、前進して行こうと決心したことをずっと忘れず、日々の生活にチャレンジしたいと思う。

ACの項で先生より感情出しの説明を受けたが、これを早く上手くできるようになりたいと思う。 もっと自分をしっかり見つめて、自分の中にたまった感情を手放して自由になりたいと思う。

      ACをどう捉えるべきか?親と自分との関係にて、あるいは自分と子供達の関係において、それは健全なのだろうか?テキストに載っているチェック項目のうち、思い当たる項目はいくつも見受けられる。自分の小さい頃のことを思い出すと、親の期待や評価に大きく依存していたことは多々あると思う。ではそれらのことが、親と自分との間にAC的な関係を作り出しているかは判断が難しい。では、自分と子供達との間ではどうか?妻と子供達との間ではどうか?様々な判断基準や価値観を与えることは、ある意味親の役割でもあると思うが、間違った自我意識で接することは、ACを生じさせる危険性を持っていることも理解できる。ではどうすべきかという解を現時点で持ち合わせていないが、本人たちを最大限尊重して接し、お互い勉強し合う関係であり続けることが、最も大切である様に思う。これからの自分の言動に責任を持って望みたい。

  それから、本日の皆さんのスピーチの中に、自分の内側に目を向けておられるのだなと思うところがしばしばでてきた。皆さん確実に成長されているのだなと思った。

最近『黎明』を読み返す中で、生まれてきた目的は何か?しかも地球に生まれてきた目的は何かを改めて勉強させてもらっているが、それが魂を成長させること、そして普遍意識を顕現することであるならば、自我の判断をなるべく入れない事となる。それぞれの人生を振り返って見ると、自我の働きによって様々な否定的な事象や感情が積もり積もって来たことが理解できる。

これからの将来の様々な場合において、自我の働きをどれだけ抑えられるか、というお試しがいくつも来るものと思われる。常に本来の目的を忘れぬように、今生の人生をじっくりと歩んでいきたいと思う。

       ACについては、主要な項目や習慣化された思考等を見ても、どれも当てはまっていると思われて、ACの考え方にどれだけ気付かないうちに染まっていることか、自分のこれまでの違和感のある行動に納得のいくところがありました。しかし、一番怖いと思ったことは、違和感もなく、全くそれと気付いていないことが多いということです。

私は母親との間に共依存の問題がありますが、それを子供に少しでもバトンタッチしないように気を付けていきたいと思います。子供かわいさについ口や手を出してしまい、自分の価値観だけでものを言ってしまい、自分の思いどおりに子供を支配してしまう。

言葉に書けばちょっと恐ろしいことのように感じますが、以外に当たり前のように、知らず知らずのうちにしてしまっているのではないでしょうか。

自分自身に気付き、癒していくことで、ACの問題にも取り組んでいきたいと思います。

 
 ☆
   ACについて本日学びましたが、私自身に該当する内容がたくさんありました。

また、家族内にも共依存、ACの現象の多くが該当しており、ACである部分の把握と理解をして接する事を心掛けたいと思いました。妻やその家族の行動に「おかしい」と思い、家族内で争いになったこともありましたが、今回の学習で「おかしい」の疑問の部分が理解できたので、見方を変えてみたいと思いますACの現象である事の把握と、現象が現れそうになった時の対処などを妻と相談しながらお互い支えあって成長していきたいと考えました。

自分では「一つの個性」と思っていた現象もACの現象の一つである内容もあり、驚いた面と、新たに理解できて良かった面もありました。

「自分自身を理解する」と言った意味では大きな勉強になったと思います。

『黎明・地球生命系』より。まず、この地球上に肉体を持って生まれてきたことに大きな喜びを感じました。魂の成長のためには大きな決断を持ってこの世界で生きているということを知り、生きていること自体が学びであることを知ることにより、全ての現象、物事がムダでは無く、成長に必要なものであるということを理解できることにより、これから起こる現象も容易に受け入れられるような気がします。

 

       ACのことについて勉強をさせていただき、なる程と納得することができました。

我が身に置き換えてみた時、今まで何となく変?だけど、その変?が何か解らず、自分を嫌だと感じてしまう部分がありました。しかし今日ACの勉強をさせていただき、違和感を持っていた部分を認め、受け入れることで、これからの自分をどのように立て直すかが判ったように感じます。

これからも色々な事を勉強させてください。

ありがとうございます。                                                                       

                                              


 

2期 第11回・12回 『くすのき』感想文       2008年2月9日


 

☆ 「般若心経」の中には、人が霊的に進化するための方法が凝縮されていると思った。普段の生活の中で「般若心経」を唱えていても、意味まではなかなか考えたり、勉強したりということはしていなかったので、今回改めて、お経の中に書かれている意味を勉強した上で唱えるのとでは、自分の霊的な部分が変わるのではないかと思う。

般若心経とは、自分自身を光の存在へと導いていただける経文だと思った。今後唱えるときには、霊的にも人のためにも宇宙のためにも光を届けるという意識で唱えていきたいと思う。最近の生活の中で実践していることで、目に見える変化は解らないが、それでも見えない存在に見守られていると感じることがあったので、その感覚を忘れずに唱えることで、私を導いてくれる方々とのつながりを信じて実践する楽しさも出てきたと思う。

 

 

☆ 冒頭の皆さんのスピーチの時に、皆さんの中に黒いもモヤモヤとした霧のような存在を感じた。これが皆さんが持っている課題であり、般若心経が言っている「苦」なのだろうか?ただその「課題」もしくは「苦」に対して、正面から向き合い、成長・進化しようとしている姿は、やはり素晴らしいと思う。

さて、2回に渡って般若心経について勉強したが、我々がこの3次元の世界で持っている価値観と、宇宙の法則であり、絶対的な正邪の法則とのギャップにより、様々な苦悩や問題が生じていることはよく理解できる。3次元の価値観は人によって様々であり、ここから言い争いや衝突が生じている。これこそが人間を成長させる源であり、これを正しく理解し、感謝することによって、自分のみならず、周りの人も成長できることは、日常の生活の中で感じられるようになってきた。素晴らしい変化だと感じている。

ただ、成長するためになぜ「苦」が必要なのか?また、なぜ成長する必要があるのか?人間や霊魂の全てが無限に成長していった先には何があるのだろうか?これらの疑問に対する答え(イメージ)は今の私の中には持ち合わせていない。早くこの境地を知りたいと思う。このために必要なのが「瞑想」なのだろうか?桑田二郎さんには何が見えているのだろうか?名和先生には何が見えているのだろうか?そしてこれから私は何が見えてくるのだろうか?興味と共に疑問も増大してくる。大いなる宇宙の愛に身を委ねて今後の自分の変化を楽しみたいと思う。ありがとうございました。

 

 

☆ 八正道の中の一つでも自分に出来ていることはあるのかな?と思いながら、夢の中に半分入りかけていました。子供が自分の思い通りにならないだけで、ひどい言葉をぶつけたり、たたいたり・・・。自分のしたことで落ち込んでいる私に、「怒っているママは本当のままじゃないからいいよ」と言ってくれる娘の方がよっぽど人間できてるなと思います。

『正語』の中にあった「相手をやり込めようとする、話の内容が正しければ正しいほど、かえって強力な武器となり、やり込められる方としては、反論もできないと感情的になり、言葉をヌキにした暴力に出たりすることにもなってしまう」と言う文章がすごく心に残っていて、私は人と口論すると、相手の逃げ道をふさいでしまっていたなぁとあらためて気付きました。

『正業』の中の、「心だけに悪意を持つより、言葉だけで人をののしるより、具体的な行為において人に害を与えるほうが災いもはるかに大きい!しかもそこにはいやおうもなく進化の法則どおりに、悪のカルマが形成され、いずれは何らかの形で本人の運命の中にその結果が現れてくる」と言う文章を見て、ずっと続いてきた暴力の連鎖を自分で終わりにしたくてここにきたのに、このままだったら一番引き継いでほしくない娘にも引き継がれることになってしまうとすごく不安になりました。それでも、衝動に駆られないように、どんな時でも実践を続けていこうと思いました。

 

 

☆ 2008年始めのくすのき1月2月は、“般若心経”がテーマでした。2500年前にお釈迦様が伝えていたお経には、私たちが今学んでいる宇宙意識のしくみが記されていたことを知ってびっくりしました。

私が般若心経と出会ったのは22歳の頃。今から16年前。私が病気となる原因の生活をしている真っ只中の時期でした。本でかじった程度の意味しか分からず、ただただあげているだけでしたが、今思えば、その頃から、「目覚めなさい、気付きなさい」とお経の中で言ってもらえてたんですね。そして、病気になり、先生との出会い、光の勉強、実践、お経の実践に導いていただきました。

先生と出会って6年目になります。本当に多くの宇宙意識を勉強させていただいています。その学んでいたことが、お経の中に記されていたことは、本当にありがたく、素晴らしいお導きなのだなぁと感謝いたします。毎日の生活が、気付きの実践舞台です。自分の内側を見る機会を沢山頂いています。奥の感情を見るときはとても苦しいです。落ちそうになることもあります。でも、実践を続けさせていただいているお陰で、おれそうな自分が、お経を上げることで「光上しなさい」と立て直して頂いている気がします。光を沢山頂いている気がします。

お釈迦様の愛を感じながら、感謝の気持ちであげさせていただきます。沢山の愛をありがとうございます。ありがとうございます。

 

 

☆ 自らの精神を目覚めさせる。自己を表現する。自分の感情を出す。自らの気付きを思い出す・・・。内面を見つめるときの手段として、経文を読むことを近年少しずつ取り組んできた。一人で出来ることとしてこれからも続けていくが、今は、続けなければいけない、そうするべきなんだ、と感じてしまう。以前に比べると意識が低くなってきていると思う。それでも、もっと落ち込んだり、目に見えた問題、解決の難しい問題に直面したとき、また私は手を合わせると思う。今は、手・足・口が怠けいる状態。少しずつでも動かしたい。

“道諦の真理”八正道のように具体的に説明してある文章は理解できる、というか実際に自分が心がけることが再確認、気付くことができた。正直解らないところもあるが、一歩ずつ・・・。ナンセンスをおもしろがったり、自分の心が共鳴するものをみて、我意識をみることができる。自分の価値観がゆがんでいるかどうかは、常に糺していかないとすぐ引きずられると思う。

瞑想もむやみに行うものではない、ということは思っていたが、では何を想って・・・?というのはあまり考えていなかった。感謝をもっと自分から積極的に運んでいこう。気付きがあればそのたびに感謝へと意識を向けられるはず・・・。今までも感謝には無意識ではなかったと思う。けれども我意識が強く働く常では、感謝の意識を強く思う努力は要る。

今回、特に“正語”が気になった。相手を言い負かそうとする心が言葉のウラに働いていたのでは“正語”ではなくなる・・・。“やりこめたい”という気持ち…とまではいかないと思うが、ズレている、違う、と感じたときには、・…ということでは・・・?と伝えたくなる。良い結果が実現されることを願って発言しても、時には自分でも途中で狂いが生じてしまったり、相手には気分を害した反応となった…という結果もおこる。最近実際に経験して戸惑った。

八正道はそれぞれが具体的にされて入るが、ひとつのかたまり。自分のすることを具体的に捉えること。読んで気付きを深めて、行為につなげたい。

 

 

☆ 子供たちの順応力には、本当に驚かされます。新しいお友達と遊べて楽しそうでした。

般若心経は今まで、意味のある言葉とは聞きながらも、その意味を知ることがなく、何度となく読んでいましたが、実に奥深い理があるものだと思わされました。正直、今の私には理解不足の所が多く、後半は難しく感じていましたが、その中でも、“正語”の部分は一番印象に残った所でした。

“言葉”によって結果が変わる。“言葉”の中に込めている気持ちが何かによって、同じものでも結果が違ってくるのだということを、しっかり受け止めたいと思いました。

また、人間の精神ひとつで、世界の流れを変えることができるんだということを、この時代から伝えられていることを知り、本当の意味での『真理』に近づくようにしていきたいと思います。

 

☆ 「般若心経」を唱えると良いとはよく聞きますが、その中身の紐解いていくと、とても奥深いことに感銘しました。『真理』を何千年も前にお釈迦様が説いておられるのに、なぜ人間はいまだに物質欲にとらわれ、怒りや憎しみにおぼれているのか不思議に思います。私には学ぶことがまだまだ多く、霊的進化の向上に向けて、「般若心経」の教えを少しずつでも理解していきたいと思いました。

今日私が一番惹かれたのは“正語”でした。言葉は大切だと解っていても、なかなか正しく使うことができず、子供たちや母に対して、私は正しいと言わんばかりに、相手をやり込めて、反論できない言い方をついしてしまって、言い過ぎたと、後でよく反省しています。言葉が、人の心や精神に傷を負わせる凶器になりえるのだと改めて考えさせられました。人を傷つけるということは、自分も傷つけることになるので、他人を思いやる言葉が、たくさん発することができるように、もっと自分と向き合っていきたいと思いました。

 

 

☆ 『くすのき』のラスト2回は、【マンガで悟れる般若心経】(桑田二郎著)を読みました。元はマンガだったものを文章に直していただいたもの。前に、別の”般若心経”講釈本をちらっと眺めたことがありますが、いかにも難しげで読むにいたらず・・・。

【マンガで・・・】の原本は、文章はより平易で、「よく解らないなぁ」というところも、漫画という形態のお陰もあり、読み了ることができました。さすがに、それも文章だけになると、少し込み入ったところは眠気との戦いもあったりしましたが、参加者のみなさんとこの本の内容を共有し、読み進められたのは大きな喜びです。以前から、お経として知ってはいても、その内容は長いこと知りませんでしたが、知ってみると「すごいなぁー、こんなこと言っているんだ、こんなことまで言ってるんだ」と素晴らしさにびっくりしました。(まだまだ難しいところもありますが)自分が生きていく指針となるものに触れられて幸せだなぁと思います。

瞑想では左手のひらに現在の自分、右手のひらに3年前の自分を感じました。

現在の自分・・・・・黄色やオレンジ色の光。『これから飛び立つゾ』というヒナの鼓動。上昇と言う方向性。

3年前の自分・・・・・下に下に続く、らせん状。砂のような色。上目使い、目の下のクマ(昨日見た映画の登場人物のよう)まさに「うらめしやー」ねたましい気持ち。

見和子先生の誘導に従って、2つの自分を合わせると・・・・・大きな流れ、動いている、深みのある色。赤紫で大きなハートを形つくり、青紫で龍を形作っていた。メッセージは「リ・ボーン(再生)」で、「苦しかったことにより、深みが出たのだ。(他人のことに共鳴する要素を得た)生きている間に何度でも生まれ変わることができる」という風に受け取りました。これまでの『くすのき』で、参加者の方々のお話を聞くことで、自分の中にある同じことを思い出し、たくさん共感させていただきました。ありがとうございました。

今回で『くすのき』は終わり、来月からは新しい方々を迎えてスクールが開催されます。できるだけ参加して、また新たな出会いと共に学ばせていただこうと思います。

 

 

☆ 2回の『くすのき』を通して、般若心経を勉強しました。般若心経は、15年位前から意味はよくわからず唱え始めており、親しみがありました。いろんな解説文を読んできましたが、桑田二郎さんのように深く真理を説いておられるものはありませんでした。この本は1年程前に読んでいたものですが、表面的に読んでいて、そこから自分を振り返って自分の行動を改めるところまでは至っていませんでした。今回新たに勉強してみて、感じるところ、心を揺さぶられるところがいくつかありました。それについて以下に述べます。

実践であるところの<八正道>、頭の中では解っているつもりで、なかなか実践できていない自分に気が付きました。特に“正念”。最近、感謝をして涙を流すことがほとんどなくなっていることに気付きました。自分の中では感謝が大事だということは、わかっているつもりでいましたが、以前流していたような感謝の涙が最近は全くなくなってしまった。つまり、感謝できていないと言うことを意味しています。感謝をさせていただくような事象はいっぱい起きていますが、感情出しをやっても涙が出てくるところまでいっていない。深く、充分に感謝をするところまでいっていないということだと思います。今後の感情出しの中に、深い感謝を意識していきたいと思います。

それから“正命”について。運命に振りまわされる状態から、運命そのものを自分の力で操作していく状態へと進化していくこと。自分の行動を振り返ってみると、運命(他の人)に振り回されることが比較的多いような気がします。特に会社での仕事の進め方を見ると、その傾向が見られます。だから、不平不満の気持ちが自分の中に生まれて、怒りとして自分の中にたまっているのだと思います。

自分がもっと能動的に動いて、運命を自らの力で操作していくよう意識して、仕事を、そしていろんなことを実施していきたいと思います。

 

                        

 


 

2期 第10回 『くすのき』感想文       2007年12月8日


☆ このからださんと共に今生に生まれ37年がたちました。光の勉強を始める前は、からだは自分の所有物としてみてきた気がします。自分のからだにいつも不平不満を言い、どこかが痛くなると文句を言い、乱暴に扱ってきたこともあります。

今は、からだの細胞さん一つ一つから、いかに生かされているか、細胞さんたちのおかげで生きている、そのことにようやく気付くことができました。だから、今日の「“病気の気持ち”“症状の言い分”に耳を傾ける」がとても大切な意識であり、気持ちであるかがわかります。

“病気や症状は私たちに何か大切な人生のメッセージを送り届けてくれているのだから、それを大切に敬うべきだ”

本当にその通りで、病気は私たちの魂を光上させるための大切な気付き、ギフト。その気付きが何であるか、そこに意識を向けて、みていくと痛みのある病気にもたくさん感謝できました。光上するために、細胞さんが痛い思いをして教えてくれている。その役割をしてくれている。感謝と共に病気を受け入れる、抱きしめることができるようになってきました。学びの段階でまだまだ不摂生をしてしまい、からださんに負担をかけてしまう私ですが、生かし、支えてくれるこのからださんに、たくさんのありがとうの光を送りたいと思います。

からださん、いつもいつもありがとうね。

キラキラ輝いてくれてありがとうね。

 

☆ 最近感じていることですが、身の回りに起きる事象に対して、まだ素直に動けていない自分を感じています。

仕事についても、すぐに動かなかったために問題になったり、家庭でもインターネットの取り付けが、ぐずぐずしていたためにうまくいかなかったりと、入ってきた情報に対して素直にすぐに動かないために問題が生じるという事象が、いくつも起きています。

今回学んだ諸富祥彦さんの“病気の気持ち・症状の言い分に耳を傾ける”の中で、人生のプロセスは私たちが気付く必要があることに気付くまで同じメッセージを送り届けてくれる。私たちがそのメッセージを自覚的に生きるまで続く、とありますが、まさしくその通りだなと感じています。

新しい生活を始めて、実践をしていくことによって、私にとっての解消すべき成長のための課題が顕在化してきています。

それから、桑田二郎さんの孔子についての勉強で、今回認識をあらたにしました。今まで、孔子の教えは古臭い道徳でなんとなく縛られるような感覚があり、遠ざけていたような気がしますが、今回の勉強で、その道徳観念の背景には、私たちが目指している“命の真理”が秘められているということが、桑田二郎さんの解釈で紐解かれて、大変興味深く感じました。

「本来は正しくないことと分かっていても、精神は低次元の欲求に打ち勝てない場合が多いのだよ」という表現の中に、今の自分の状態を見ているような気がします。

桑田二郎さんの孔子観、是非勉強してみたいと思います。その他、停滞している桑田さんの「観音経」も、手をつけていきたいと思います。

 

☆ 皆さんのスピーチを聞いていると、すごい勉強のステージに立たせてもらっているのだなと感じます。これまで学校や社会で勉強したこととはまったく別次元の精神の勉強であり、また、皆さんがそれを実生活の中でそれを実践されているのは素晴らしい事だと思います。

今日の瞑想の中で、妻と結婚した意味についてのメッセージがありました。確かに改まって振り返ってみると、妻の無邪気さと天真爛漫さは衝撃的であり、私にないものを持っているとの魅力を感じたことを想い出します。また、最近家族の一員となった、ミニチュアダックスフンドもまた、無限の無邪気さを振りまいています。改めて自分の課題と今後の指針を見させてもらった気がしました。

さて、今日の前段の諸富祥彦さんの文章においては、病気や症状にはさまざまなメッセージが込められている事を、実例をもとに述べられていますが、これまで私達は、その現象を取り除くことにエネルギーを費やしてきました。小学6年生の時に切り取った盲腸は、何を訴えていたのだろうか?結婚1年目の内臓からの大量出血は、何を訴えていたのだろうか?最近になってようやく、身体の症状だけではなく周りの人の言葉や情報の中に、大切なメッセージが込められている事を、おぼろげながら意識できるようにはなってきていると思います。また、このようなことを感じること、一人ではないんだなとも実感できます。もっともっとたくさんのことを感じられるようになりたいと思います。

後段の孔子の部においても、本質的には同じことを言っているのだなと思いました。精神がその気になれば、魂の意識が現れ、また、その奥にあるいのちの真理が見えてくるようになると述べられていますが、それはこの現実の世界の事象を、一つ一つじっくり吟味することから始まるのだと思います。また、この作業を楽しめるようになれば、最高だと思います。このすばらしい勉強の機会を与えてもらっている事に感謝いたします。

 

☆ “病気や症状の言い分に耳を傾ける”ということを学びました。自分の気持ちや身体の症状になかなか目を向けることができない私にとっては、感慨深いテーマでした。

自分が“病気の気持ち”“症状の気持ち”になって問いかけてみる。そこから感じるものに、大切な人生のメッセージが隠されていて、それを受け入れることで、ガンや頭痛、肩こりなどさまざまな病気が治ってしまう。いかに心と身体がつながっているかを改めて考えました。

私は今、転職をして何かするとすれば、人の身体を癒すことで、心も癒せる仕事に就きたいと思っていました。人の身体を癒したいという気持ちがどうしても頭から離れずにいたのです。それも私にとってひとつの道なのかもしれませんが、別の方法もあると思えました。この『生きていくことの意味』の本を読みたいと思いました。

病気を治そうと思ったら、戦うのではなく、受け入れること。身体を見るより心を観る方が早道と聞いていても、本当に心に沁みこんで来るまでに時間がかかったと思います。私の学びはまだ序の口です。これからもしっかり学んでいきたいと思います。

 

もうひとつのテーマは、孔子についてでした。

孔子は偉い人だけど、その教えはなんだか堅苦しいと思っていました。講師と釈迦は同じ時代に生き、釈迦は「いのち」の真理を説き、孔子は正しい精神とその生き方を説いたことを知りました。今は何だか入ってこないのですが、いつかまた向き合うときが来るかもしれません。それまで、目の前のことをコツコツ、クリアしていきたいと思います。

 

☆ 今回のくすのきの2.3日前に、心が揺れる出来事がありました。

そのことを話しているうちに、自分の課題が明らかになってきました。以前に比べて、自分の中の感性のアンテナの感度は上がっている。故に現在、自分には合わない、要らないと思われる情報はなかなか耳に入れまいとしている。今の課題は、自分に合わない情報を耳に入れつつも、動じないタフさを身につけることである。

自分の調子がいいときは、サラッと流せることも、調子が悪いときは大きな重荷に感じられます。しかし、そう感じさせているのは、自分自身の思い込みなのです。

「○○さんにこう言われたら、そうしなくてはならない」

言われることが問題なのではなく、自分の心にある、戒め(くせ)が問題なのです。(大体、他人の言葉にすぐのり易いですし・・・。)

「食べなくては生きていけない」「眠らなくてはいけない」等等も思い込みなのだ、と今日学ばせていただきました。『「原住民の禁忌(タブー)で、「バナナを食べると死ぬ」と言われていた男性が、食べた後に「バナナだった」といわれて亡くなった話を思い出しました。笑えない話です。自分自身ももっと大きな枠組みで、とらえて、常識と思っていることが、常識ではないかも・・・という支店で考えることは大事だと思いました。

また、参加者の方の話を聞いて、ある出会いをうらやましく思い、「私の出会いはちょっと期待外れだったなー」と思っていたら、今日、後日談で「実は宗教の勧誘だった」とのことでした。「なるほど、自分は宗教のは一度味わったので、今回は、その出会いはなかったのだ。私のは私ので、いい出会いだったんだなぁーと思えました。(具体的には、畑の手入れに来ていたおばさんと紅葉を愛でました)

瞑想では、身体の声を聞き、片方の肩の凝りからは、“まだまだ大きな流れに乗ってなくて、(前述のタフさを得る方法を実践してなくて)、力んでいる”ことを、首と足の冷えからは“もっと表面的でないケアの必要性と食べ過ぎる傾向”を教えてもらいました。「おっしゃるとおりで、う〜ん、参った」という感じです。“ケアをするのでこれからもよろしくね”と思います。

みんなで読んだ文章が、“症状の言い分に耳を傾ける”と孔子の「論語」に関するもので、ともに心に惹かれる分野と、昔々に興味津々で、でも字面しか追えなかったもの(我十有五にして〜)だったので、それを深い視点から垣間見ることができて、とても嬉しかったです。

それから、最近『勉強したくても金銭的な問題で取り組めない子供達を支援する団体に寄付したいな〜』と思うようになったのですが、「もうすぐ家のローンも始まるしな〜、そんなんでしていいのかなぁ〜」と思ったりしていたのですが、参加者の方にとーってもいい方法を伺ったので、実践しようと思います。ちょうど自分の興味が向いているところの情報が入ってくる、「求めよ、さらば与えられん」ってこういうことかな?と感じられることの多い今日この頃です。ありがとうございます。

                                                 

 


 

2期 第9回 『くすのき』感想文       2007年11月17日


☆ いつもながらみなさんの話を聞いて、大変な勉強をしているのだなと思います。また、皆さんの目が純真であることは素晴らしい事だと思います。

さて、瞑想のときに感じた「宇宙(4次元)と3次元の境界」の感覚は、初めての感覚でした。先生から、人間そのものがまさしくそれそのもの、と聞いたときには、なるほどと思いました。また、世の中が相似現象で出来ているとすれば、すべての事象に境界がある事になります。私たちの意識の焦点は3次元の向こう側にある、4次元に向けるべきなのかもしれない。

今日の『黎明』それから阿部さんの言葉は、それに対して、いっぱい示唆を与えてくれたような気がします。言葉にするのに非常に難しいのですが、漠然とした感覚を感じています。

3次元の世界が、たくさんの人間や動物や物や金や感情や時間や空間が存在するが、これを先ほどの境界で、4次元に変換すると、すべてがたたみ込まれて全てが無いようで、全てがある状態なのだろうか・・・?

(少し違うかな?これだと   )

でも、3次元の事象に捉われるべきではないと言うことを共通して言っていると思います。

では、3次元の事象に捉われないとはどういうことだろうか?今持っている言葉の中から探すと、「何でも有々」「どうでもいい」という言葉がぴったりきます。でも、その奥にあるものを感じる・・・。これが大切なような気がします。この感覚が良いか悪いか、正しいかそうでないかを考えさせ、「どうでもいい」のかもしれません。が、しばらく、この感覚を大切にしてみます。有難うございました。

 

        今日は、子供の幼稚園の面接があり、遅れて参加させていただきました。

“遅れてしか参加できなかった”のではなく、“遅れても参加することが出来た”という喜びを感じていました。皆さんと顔をあわせて、お互いの話に耳を傾け、一つの文章を読み合わせていく、とても貴重な機会を得ているのだ、とあらためて感謝します。

久々に瞑想にも参加することが出来、なんともいえないさっぱりとした気分にもなりました。

『黎明』から〈宗教〉についての項を皆で読みました。

(“宗教とは何なのか”?・・・本来、人間が幸せになるためのものであろうに、宗教観の対立や、同じ宗教内での抗争、自分の信じる宗教を信じない人間への批判等を聞いてわいてくる疑問です。きっと各々の開祖もびっくりしているんじゃないかな?と思います。)

どういう宗教で、どんな様式をとり行うにしても、大事なのは参加者の心のあり方だというようなことを書いてありました。

これまでの人生の“儀式”を振り返ってみて、“確かに〜〜式”でとか“いくらで”という形式よりも、集まった人々が、心から気持ちよく祝った、あるいは見送ったということが、心に残っています。

ちょうど子供の七五三について“どうしたらいいだろうか?”と思っていたところがあり、先生から具体的に助言いただき、合わせて大変参考になりました。

皆で子供に成長を祝い、感謝する・・・・ぎょうぎょうしくはなくて、関わってきた人々が、心から分かち合えるような機会を設けたいと思います。

 

        今日のテーマは〈宗教〉でした。

宗教というと、どこかの教団に属して修行をすれば、悟りが開けてという形を今までは想像していたが、『黎明』の中では、はっきりと悟った人はほとんどの場合、協議や組織を造ろうとはしないと書かれている。何かに属したり、修行というものをしたりしないと悟れないということはなく、日常の生活の中で、日々の心の持ちようだったり、実践していくことで気付きがあって、悟ることが出来るのだと思った。

また、今までは、先祖供養をしないと災いが起こると信じていたが、そうではなく、その人の心の状態が災いを招くのであって、供養することで心が平安になって、物事がいいほうに動くようになるということが真実だと思った。

今、ちょうど実生活の中でも、自分の気持ちの持ちようが、周りに影響しているということを感じる機械がよくある。日々の生活の中で、人から言われたことで、自分の心が揺れるということは、自分の奥にあるから相手が見せてくれるということが、やっと解りはじめた。感情を抑えていたのもが、少しずつ開放できるようになって、自分が開放できたことによって、周りにいる人も影響されて変わっていくように思えるようになった。

「時間を越える」(阿部敏郎さん)については、「許し」ということは、感情だしをすることによって、相手に対する恨み、怒り、といったものは癒すことができると思うので、理解できると思った。他のやり方については、まだよく分からないと思った。

 

☆ 阿部敏郎さんの「時間を越える」の章でとても身につまされる思いで読みました。

今、私は会社で乗り越えなければならない問題を抱えています。それは今までは事務所で一人だったところに以西の人が常勤するようになったことです。

今、幸せを感じられない理由は、ストレス、不安、心配、病、怒り、悩み、嫉妬、公開、そんな諸々の苦しみが底に眠っている『恨み』という感情だと書いてありました。

『恨み』を手放す、すなわち『許し』という作用こそが幸せへの鍵だというのです。自分が誰かに傷つけられたという間違った解釈を手放すこと、一方的な見方を改めること。そして、自分を正当化したり、被害者意識や、自分は正しいという思い込みから自由になることだそうです。

もし、誰かにたいしてムカついたり、許せない気持ちを持ったらどうする?一番やりがちなのが、その本人に伝えたり、起こったり、あるいは間接的にそのことをわからせて反省させようとする。次に、もう少し大人になって、いかに自分が間違っていたかを、こちらの行動で教えてあげようとする。相手との距離をとるというものですが、私はどれもやってしまいました。こんなやり方では、お互い『恨み』だけが残ってしまう!まさしくその通りです。どちらも幸せにはなりません。

では、どうしたらいいかというと、自分で自分を癒していく、そのもっとも早道が『許し』です。

これがなかなか手ごわく、「何故悪くない私が折れるのか」「何故、悪い相手にこちらから近づくのか」と心の抵抗があります。

私はこれに嵌ってしまいました。

相手が、私を通して、安心や愛や勇気や幸せやポジティブな感覚を持てるように、心から暖かく接していく。相手がそれを受け取れるような状態を作ると良いことは分かっていても出来ないでいました。

それは私が『恨み』にしがみついているだけで、心の底で、自分が成長してしまうのを恐れ、新しいステージに進むのを恐れているからだと知って、私の恐れを一つ見つけた!と嬉しくなりました。

 

☆ 『黎明』の文章から少し遠ざかっていて、今回のくすのきで久しぶりに〈宗教〉の項を勉強しましたが、改めて普遍意識の重要性を認識しました。

最近、心が普遍意識を意識する気持ちから離れがちになって、いろいろな日常のことが形式的になりがちで、心があまりこもっていないように思いました。

特に家を新築しているということで、三次元的な楽しみに心を奪われがちのような気がしています。

〈肉体のある間に普遍意識の自覚が出来なかった人は、決して本来の天国を識ることは出来ない〉〈あらゆるヴァイブレーションの意識が出会うことが可能であり、解脱に関心が向くような刺激のある地上生活の間に、個人意識という迷いを克服しておくことは何よりも賢明な選択である〉

『黎明』のこの言葉は、生きることの意味をあらためて自覚させてくれました。

解っているつもりだけど、心と身体は一見楽に見えるような方向へ向かってしまう。

朝、眠たいと実践をさぼってしまう。感情だしに真剣に取り組んでいない。家族と向き合う時間を積極的に作ろうとしていない。

くすのきの勉強会は、そんな自分をあらためて普遍意識へ向かわせてくれる、すばらしい機会を提供してくれています。ありがとうございます。

今日の瞑想で見えた光景。

自分の心の中に広がる光と闇。下の部分は、下へ行くほど暗くなる闇の世界。そして、上の部分は、上へ行くほど明るくなる光の世界。その中間に自分がいて、上の光の世界を選択して、上へ昇って行った時の、目もくらむばかりのまぶしい光に包まれて、幸せを感じた自分・・・。

今、新居での当たらし生活を前にして、あらためて決心します。

光へと全力で向かうことを!

                                            

                                           


 

2期 第8回 『くすのき』感想文       2007年10月20日


☆ 今日皆さんの話を聞いていて、大きな課題を抱えながらも、みなさん確実に成長され、光の道を歩いているのがよくわかりました。素晴らしいことだと思います。果たして私はどうなのだろうか?私の課題は何なんだろうか?おぼろげながら日常生活の中で、それを感じるようになり、多少なりとも成長しているように思えます。それはそれで良いと思います。日常生活の中での心の動き、感情の揺れをよく観察したいと思います。

さて、【黎明】を久しぶりに読んで、「知覚されるものは自分の心の中にあるもの」「自分自身の意識を変えることが、あらゆる問題の唯一の解決策」とのくだりがあるが、改めて感情出しの重要性を感じた。三次元の世界のあらゆる事象が、自分自身の課題を気付かせる事象だとすれば、善も悪(に見えるもの)も、喜びや怒りも“何でも有”のような気がします。また、カルマを解消しながら、成長があるのだと思うが、カルマを解消しているつもりが、カルマを造っている、また、その逆もあるかもしれません。でもそれも“有”のような気がします。要は“何でも有”“全てを容認する”でいいような気がします。

では、日常の自分自身はどうだろうか?仕事の遅い部下に怒っています。わがままを言う部下に怒っています。でも、平静を装い我慢しています。無理難題と思える課題におびえています。でも、平静を装っています。やはり、ここに私の課題があるように思えます。要は“何でも有”と思えていないのです。三次元の事象に縛れているのだと思います。

今日瞑想の中で見た、シーンと静まり返った状態でも、微細な振動(たぶん生命の根源のような振動)を持った状態は、大きな指針を示してくれたような気がします。この状態とのギャップが感情のぶれであり、この状態を常に常に起点と考えればいいような気がします。貴重な体験でした。ありがとうございました。

 

☆ 今日参加者の方の話を聞いて、スクールやその他、先生がいつも話されていたことを考えさせてもらえるきっかけを頂きました。お父さんとの過去が、どれだけ根深いものだったかわかりませんが、本人が変わり、周りの人たちを本来の人格に戻せる手伝いをしたいという根気強い行動力には、脱帽します。(愛のなせる業です)

自分が変わると周りも変わったような気がしますと、別の方も言われていましたが、自分の決心ひとつで状況は変わるのですね。そして、自分が楽になりたいという気持ちではなく、必ず相手を思いやれる愛の光があるからこそ、見えない世界の力が、動き出すんだなぁと確信しました。

今日、子供のことを伝えようと思ってきましたが、心の中で、少しみんなの反応が心配でした。正直「大変だね」とか「かわいそう」なんて言われるとどうしても“いやだなぁー”と思う自分がまだいるのですが、話をしている時に、本当にそのまま受け取ってくれている、いえ受け入れてくれている気がして(上手く表現できませんが・・・)とても楽になりました。やっぱりこのスクールに来ているだけ有って、ある意味他の人たちと違うなぁーと思いました。でも、それが一番嬉しくて有り難かったです。子供もかなり長い間、起きていたので、たくさんの藍をもらえて嬉しかったんだと思います。

午後の“怒り”のテーマでは、他とは違って頭の中にすんなり入ってきました。他のところでは全く解らなかったくらい聞こえてこなかったのに“怒り”に突入すると、目が覚めたかのように、自分の頭の中に残りました。“怒り”の感情と今後は上手く付き合っていけるように、日々進んでいきたいと思います。

☆先日過去に『怒り』を感じた場面を久々に思い出しました。感情だしをするようになって、真っ先に何度もした感情でした。その頃、何度か「いい奴だ」と言われたことがありますが、その頃の私はまさに『都合のいい奴』だったろうなと思います。ネットではその『都合のいい奴』を巧妙に利用する種類の人間もいる、そういう人間からは離れたほうが良い、という文章を見つけて、「あー確かに利用されていたなぁ、でも離れられなかったよねぇ」と思ったりもしました。

今日【くすのき】に参加してみると、“めんどくさい”は「抑圧された怒り」である。【めんどくさい】=【怒りたいけど怒れない】「全く怒れない人は他人に利用されてしまう」(byあづまさん)・・・。うわー、まっぽしだー!!!ドキドキしました。確かにそうでした。【怒り】がそのまま【怒り】として出ず、違う感情として表現されたり、「怒り=悪いこと、してはいけないこと」と捉えていたゆえに利用されたり、利用されていることに怒っても、自分が悪かったと謝り、我慢して利用されつづけたり。でもその頃の自分は他人の承諾を必要としていたので、確かに利用されるだけの要素はあったと思います。

気付かぬうちに【我慢して】、本来の自分を抑圧していたからこそ、見えた世界もあったし、だからこそ今の場所にいるのだな、とも思います。当時、本当に友人と思える人は、依存しようとする私に、“好きなようにするたい”と答え、その時の私には、それが何だか寂しく感じられましたが、今思えば、それが自立した人間のあるべき姿だったのです。友達ってありがたいなって思います。勿論、利用した人たちも私を気付かせてくれたので、ありがたいのです。今では彼らとはすっかり縁遠くなりました。ありがたいことです(笑い)。(もし、今後関わることがあっても、当時とは違う関わりをすることになると思います。)

自分をきちんと確立していないと、自分の【怒り】を認めてあげられない。【怒り】などの感情は自然に起きるもので善悪はない。(自分の生んだ子供のようなもの)・・・・・・・・今日あらためて言い聞かせていただきました。ありがとうございます。

「機嫌よくいることが、本当に大事なんです。」・・・・・・・機嫌よくいうと思います。

 

 

☆ 「善と悪」「良いことと悪いこと」を日常無意識的に判断して生活しています。私は対人関係にかなりプレッシャーを感じていて、自分を上手く表現できません。自分を見る事も、受け入れることもできず、それと同時に他人にも「善悪」の判断を付けてしまい、どんどん距離を取ってしまう、そんなところがあります。

今日あらためて善悪の判断をしているのは自分自身の思いであり、自分の考え方次第で状況が変わることを学びました。このことは頭では解っているのですが、なかなか考えを変えることができずに、このように何度も学べる機会があることはありがたいと思っています。【くすのき】の仲間の体験談からも自分が変わることの大切さを教えてもらっています。じゃあ今日から変わります、となかなかいかず、もどかしい思いでいっぱいですが、あきらめずに自分に挑戦していこうと思います。

瞑想の時に周りにいる人たちを全部自分のところから離していったときに、残った私自身は、水晶玉のイメージでした。冷たく冷静な自分に「えっ、これが私?!」と思いましたが、確かに私でした。本来の自分と、これが私なんだ!と思っている自分は違うのかもしれません。本来の自分をもっと知りたいと思いました。

 

 

☆今日もまた、たくさんのエネルギーをいただきありがとうございました。5人のお子様たちには生きる元気なエネルギーを、メンバーのみなさまにはいつもそうですが、感動と自分の進む方向を再確認させていただくところがたくさんあり、自分が変わると周りの人たちが変わっていくということを実感させていただきました。ありがとうございます。

本日勉強したことから、“めんどくさい”と感じることが自分には多々あると思います。今まではこれが怒りだと感じたことは、全くありませんでした。だから感情出しの対象にこの“めんどくさい”というのをあげていませんでした。思えばめんどくさいというのが積み重なって、最終的には怒りとなって感情が爆発していたようです。特に仕事の上で、めんどくさいけれども我慢して、自分で背負い込んでやっている。そして我慢できないところにいたって爆発してしまう。または、違う方向に逃避してしまう、ということが過去の自分を見ると多かったと思います。そして、怒ることができないがために利用されることも多かったと思います。

爆発してはじめて感情出しを行っていたためにいろいろ面倒な事態が生じ、周りにも不必要な影響を及ぼしてしまっていたようです。“めんどくさい”と思ったその時に、感情出し。気張らずに、ちょっと息を吐いて、軽い気持ちで感情を見ていこうと思います。

 

☆ 今月の【くすのき】は「善と悪」がテーマでした。

三次元の生活の中で、これは正しい、これは間違い。この人は悪い人、この人は善い人と常識、非常識の社会的倫理や、幼い頃からの教えで二極面で人々を裁いたり、非難したり、自分を責めたりしてきました。

宇宙の仕組みはこれまで囚われていた、善悪の意味とはまったく違うもので、ただただ自分の内側を見せられている現象であり、相手はその役割をしてくれている。そして、それぞれの魂の段階で成長のために、その現実を経験している。                  そのことがわかるといろんな感情はまだまだたくさん出てきますが、一歩引いて見ることができ、相手うんぬんではなくて、私の成長のために私の今感じている感情を出してくれているんだなぁと、見る機会を与えてくれてるんだなぁと思えるようになりました。そしてその役割をしてくれた相手に感謝ができるようになりました。

奥にしまっておいたいろいろな感情は山のように出てきますが、その感情と向き合って、感情出しをした後、相手の光を見て、たくさんの光を送る。愛の光を送る。その光が届くことで、相手の雲に隠れていた光が少しずつ輝きだす。長い年月の中でこのすばらしい経験をさせてくれた父に本当に感謝しています。お父さんありがとう。ありがとう。ありがとう。

                光る   光る   すべては光る   光らないものは何一つない

                みずから   光らないものは   他から光を受けて   光る 

                                                    坂村 真民   

 ☆ 今回のテーマ<善と悪>は普段の中に起こる現象に対しては、善も悪もなくて、そう感じる自分がいるということだと思う。以前は自分に都合の悪いことが起こると、他人のせいにして○○が悪いからこんなことがおきたんだと決め付けていた。自分の中にその現象を起こす原因があったことさえ気付かないまま他人を責めていた。

今日学んだ【黎明】の<善と悪>の中にも書かれている自分自身の意識(参照はどう)を変えることが、あらゆる問題の唯一の解決法と書かれていた。                                                                      自分の考え方を変えれば、自分の周りに起こることを思い通りにしようとは思わなくなった自分がいる。自分に起きることは自分の中にもまだ握り締めている気持ちがまだあるから、三次元の現象として起きてくる。他人が見せてくれるからそこにまだ残っている感情に気付かせてくれるチャンスが来たと、人を責める前に最近は思えるようになったと思う。

もうひとつのテーマ、「めんどくさい」の本質は、『抑圧された怒り』とかかれていたのは以外だった。よく考えてみると、今までの自分は、人から嫌われないようにとか、自分が我慢すれば・・・とか、感情を出さないようにしてきた。感情を出すことをめんどくさいと感じていたのかもしれない。自分が怒ることで後々面倒になることを恐れていたと思う。                                  

「めんどくさい」も感情を出すことに尽きるとまた感じた。今後も何か心が揺れるたびに感情を開放したいと思った。

                                                       

 


2期 第7回『くすのき』感想文       2007年9月15日


☆ 今日は【黎明】のチャネリングのところでしたが、みんなで読むとやはり感じるものが違ってきます。

肯定的な想念を持つことの大切さや、言葉の大切さを改めて感じることが出来ました。私はすぐに悲観的なことを思ってしまい、否定的な言葉や想念を持ってしまうので、これからは出来るだけそのことに気付いて、「キャンセル」していこうと思います。こんな時は、ヴァイブレーションが下がっている気がするので、心が平安でいられるように、良い悪いの価値観や、あれもしたい、これもしたいと思う欲などひとつでも多くのこだわりを手放せるようにしようと思います。

瞑想をして、自分の体を見ていった時に、首の後ろが気になり、『時間がない』と言っている自分を感じました。驚いたことに何十年も前から、体を通してメッセージを送ってくれていたのに、私はまったく気付いていませんでした。病は気から・・・というように、この思いを手放していけたら、症状が軽くなるかもしれません。やっと自分の身体に目を向けてあげられるようになりました。

 

☆ 今回で【くすのき】も7回目になりますが、私にとってのテーマがはっきりしていたような気がします。

みなさんの話のときに、感情出しの話が出てきましたが、私の場合、感情出しがやれてないことによって、気付きを促すような現象が繰り返して起きていることを痛感しました。お話の中にもありましたが、私も感情出しをやるときにいろんな感情がいっぱい浮かんできてしまい、感情を客観的に見ることが出来なくなって、感情の中におぼれてしまっている状態がありました。なかなかうまくいかないことから、感情出しを避けてしまっている自分がいました。

先生の言葉にありましたように、感情をもっと客観的に見つめて、感情が湧いたらその場で光に返してやると言う作業を重く考えず、まめにやっていくことことが大事だと思いました。

 【黎明】のチャネリングの勉強からも、自分の意識レベルに応じた現象が日々起きてきて、起きてきた現象から一つ一つ自分が気付いて、そして自分の意識レベルを高めていくことが大事だと言うことを学びました。そして気付くためには、やはり感情出しが不可欠であることを改めて学びました。自分の中で感情出しを自分のものにしたいと思います。感情がたまって、爆発して、そしてやっと気付くというパターンから脱したいと思います。そして、ホメオパシーはその気付きを助けてくれるものだということも学ばせていただきました。ありがとうございました。

 

☆ 私達はこれまで、自分の意見をしっかり持ち、表に出すこと(自己主張)することが大事であり、またそのような人を優秀な人だと評価してきました(そのように教えられてきました)

これはこれで大切なことであり、決して否定はしませんが、今日勉強した【黎明】「チャネリング」の章によれば、大きなリスクを背負っていることになります。たいていの場合の自己主張は、自我意識からのものであり、自分と違う価値観を力で打ち負かす場面に時々遭遇するし、自分でやっている場合もあります。そしてそれがまかり通ったときに、自分は正しかったと認識しています。しかし、これらの事態に違和感を持っていること自体、本質的なことではないということだと思えます。

「チャネリング」の章の中に、『自分の主観が心の中で形造られる過程を静かに眺めること』とのくだりがあるが、非常に難しいことだと思うと同時に、常に心に留めておくべきだと思いました。だが一方では、今までの私の課題は「表現」すること、「表現」力を増すことであり、これとの関係は、どう捉えればいいのか?究極的には、普遍意識のレベルで表現できれば良いのだと思うが、そのレベルにない我々(自分)では、かえって自我意識を撒き散らす危険性をはらんでいます。この点については、日常の生活の中で自分を眺めながら、解を模索していって見ようと思います。尚、久しぶりに【黎明】に触れて、最終目標は『普遍意識を顕現すること』を再確認できました。(随分忘れていたようです。いいタイミングで読むことが出来たようです。)

また、ホメオパシーの章では、その本質が『感情出し』に、非常に近いんだなと思いました。決して抑圧するのではなく、気付いて開放すること。そしてそれは、他人に頼るのではなく、自分でやること。

冒頭のみなさんのスピーチで、今月は『感情出し』の話題が多く出たが、何らかの関連性があったように思うし、自分に必要なものを示唆してくれたようにも思えます。自分の内側に目を向けることを再度記憶していきます。ありがとうございました。

 

☆ 今日は保育園でのお手伝いがあり、遅れての参加になりました。保育園は、おじいちゃん、おばあちゃんの参観日になっていて、孫と一緒に昼食を食べるための準備の配膳のお手伝いでした。ニコニコしていっしょにお手伝いをしてくださるおばあちゃんもいれば、孫たちの前で「お吸い物がない!」と怒鳴るおじいちゃんもいました。少し前の私なら、怒鳴られたり、怒っているのを見るとびくっとして、ムカムカ腹が立ってきて「大人気ないなぁー」と思っていたのに、今日は不思議と何も感じず、「ハイハイ。お吸い物ですね」って自分の心が揺れなかったのがビックリでした。

でも、くすのきに来たら眠くて、眠くて、大事なところを上の空で聞いていました。ホメオパシーは何度も読みましたが、その都度にうなずいて、がんばろうと言う気になります。特に症状が悪化して出てきた時や、一度おさまったものが再度出てきた時は、やっぱり心の動揺も大きく、くじけそうになりますが、昔あった症状が揺り戻しみたいに出ると書かれてあるのを見ると安心します。今また、胸や手などに出始めていますが、レメディとビワ灸で身体の中にたまった毒を出していきたいです。

 

☆ 今回の【くすのき】は『チャネリング』の勉強でしたが、以前にも勉強しているのにもかかわらず、久しぶりに読んでみると、前回では難しくて意味もわかっていなかったことが、2回目で理解できました。

今回最初のみなさんのお話の中にも出てきた感情を出すということ。感情を出していく必要性が何であるのかと言うことを『チャネリング』の章にもかかれていて、それを解説していただいて、皆さんの感情出しのやり方のついての解説と合わせて、改めて自分の中で腑に落ちたと思いました。今まで、なんとなく感情を出した方がいいのは解っていはいたのに、やり方がまずかったのか、いつもセッションでやってもらっているからという安心感も会って、そこまで真剣に取り組んでいなかったかもしれません。

【黎明】の中に、浄化は少しずつ少しずつ出てくるのが普通で、明らかな改善は見られなくても、忍耐強く、欠かさず続けていくことが大切で、また本人に「良くなろう」という意思が必要で、自分で努力することをせずに治療家に依存しきっていては上手くいかないと書かれていて、私も先生に依存していて自分の中での感情出しが、やっぱり足りてなかったと思います。なので、実践と感情を感じて開放していくことをもっと意識してやりたいと思います。効果は少しずつと思い取り組みます。ありがとうございました。

 

☆ チャネリングについては漠然としたイメージしか持っていなかったのですが、今回まず、他人の考えや感情を推測するときに、心の波動をそのまま観察しているのではなく、自分の波動で参照し、観察している人の観念の反映としてみている、という部分にハッとしました。とらえ方は人それぞれ、と簡単には言っていましたが、ここまではっきりと意識したことはなかったです。

親子について、共通の波動を多く持っているがために、親の想念が子供に影響を与えているということについて、自分の親を思いました。父親はいつも最悪な事態を想定しろ、そこまで考えが及ばないと浅はかであるといっていました。母親はいつも話をするたびといっていいほど、否定されたり、相手にされなかったりして、自分の言葉を伝えても、すぐにそれを打ち消すクセが身についています。そんな二人の会話は何かに付け口論になることが多く、子供に目から見れば口調の強い父親の方に非難の気持ちがありました。関係は今も変わらず、父親、母親と個別に接するときはいいのですが、3人ではいつも落ち着かず、悲しい気持ちになります。ここの感情を自分でどう出していけばいいのか・・・。幾度か感情をぶつけ、あきらめてきた過去があるので、考えています。この二人を見て悲しい気持ちになる時も、自分の波動、観念としてみているということであれば、実際にはそれが二人の関係であるということだけで、私だけが過剰に感じてしまっているだけなのでしょうか。手放したい気持ちはいつもありますが、これからも課題です。

ホメオパシーはまだ浄化キットを使い切っていません。【くすのき】に来たときには「今度こそ」と思って帰るのですが・・・。また最初から始めます。感情出しをよりよく進めることに作用してもらえればと思います。

 

☆ 8月に次男を出産し、9月の【くすのき】に無事参加させていただくことができました。ありがとうございます。参加にあたり、最初は迷ったのですが、ここに来てみなさんのお話を聞くことができると、(まったくシチュエーションは違うのに)いろいろなヒントを得ることがあるので、気分、も向上できました。また、身先生を始め皆さんが子供を受け入れてくれる気持ちがあるだけで、私自身の気持ちが救われるように思います。

午前中はいろいろある話の中で、自分も含めて“感情出し”をいかに上手くやっていくかを知らされ、改めて自分と向き合うことの大切さを思い知らされました。

また、午後の瞑想では、気持ちを外に表現するという以前からの課題を振り返ることになり、自分の置かれている状況を再確認させられました。ある意味、自分を向上させるチャンスと思うので、できる限り自分の気持ちを表現していきたいです。

 

                        


2期 第6回『くすのき』感想文       2007年8月11日


☆ 今回のくすのきは7人の出席でした。まず、冒頭のお話の中から感じたことを1つ述べます。
それは、言葉の使い方、表現の仕方と言った方がいいかもしれませんが、先生から「〜だけど」と言う表現は否定的な表現だからしない方がいいよ、と言われたことです。私の場合、ついつい無意識に「〜だけど」というのを多用してしまいがちで、日ごろから否定的な表現が多いという感があります。また、あいまいな表現も多いです。
自分で意識しないと、これはなかなか直っていかないですね。
・・・と書いたら、“自分で意識すれば直っていくものですよね”と書いたほうがいいと訂正されました・・・。
自分を表現するというのは大変大事なことですので、次のワークで学んだパーミッションで行っていきたいと思います。


ワークについて
行動を抑圧している禁止令、力の発現を妨げている禁止令、セルフイメージを低くてしいる禁止令を抽出していく中で、いろんな事が自分縛っているのだなと言うことが表面化したような気がします。
自分ではわかっているつもりでも、こういう機会に心の中を点検することで、自分を縛っているところ、自分がとらわれているところを再認識することができました。
この中でも特に、私の場合は自分表現することを取り上げて、“もっと肯定的にそして明確に、自分を自由に表現していいんだよ”というのを毎日のパーミッションとして実行していきたいと思います。

立花大敬さんのお話から
「負けて負けて負け続けて、心はどんどん開放されていく。そうなるまで、ひたすら誠意を込めてやること」
いろいろな困難に会って会って会い続けても誠意を込めてやっていく。
やはり誠意がポイントですね。どの方の文章にも出てくるキーワード“誠意”。
なかなか実行できないですが、大きい小さいの区別をせずに、どんな些細なことでも誠意を込めてやっていきたいと思いました。
誠意とは、≪対象に対して、相手を想う愛の気持ちを持って接すること≫と私は感じています。



☆ 今日は午後からの参加で、午前中に話される皆さんの近況を聞くことができなくて残念でした。
午後のワーク『顕在意識と潜在意識のギャップの解放』では、「自分にはそんなことできない」と思い込んでいること『自分はこうあらねばならない』と思い込んでいることを書き出してみると、ただ自分の中でそう思っていることが多いように感じました。
書いたことの横に許可を与える「〜してもいいんだよ」という言葉を書くと、「ああ〜何だかやれそうじゃん」と思えるようなこともあって、最初から自分の中で制限をしていて、無理だと思い込んでいただけなのかもしれません。
今まで抑圧してきた感情を出して開放するのと、今日のワークを書いて開放するというのとは同じことのようにも感じました。

最近の出来事の中にあることが起こって、その時は誰も傷つけずにそのことを解決できたかのように思えていたところ、またまた同じような事件が起こり、その時には感じていなかったけれど、今回のことにより、実は私自身もそのことに苦しみ、不安になり、傷ついていたことに気付くことができて、ようやく開放することができました。何か事件が起こるということは、自分のことではないことでも、かかわりがあって何かを気付くきっかけになるということを理解できました。

立花大敬さんのねじまき鳥のお話の中に書かれていることは、どんな人も自分と同じひとついのちで、その時その時で悪人であったり、善人であったりするが、先に書いた事件のことも私の中のねじまきエネルギーを開放する為の出来事だったように思います。



☆ 『自分自身に許可を与える』というワークは、今の私にとってとても必要な事だと思いました。
私は「行動」を抑制している禁止令が多く、「〜してはいけない」「〜しなければならない」に対して、「〜してもいいんだよ」と許可を与えることで、心がとても軽くなりました。
親から幼い頃に言われた言葉やインナーチャイルドが深く関わっていると思いました。
何度もくり返し許可を与えることで、自分らしい行動ができるようになれば、今まで「出来ない、出来ない」と思っていた自分を認めてあげることが出来る気がします。これから続けていきたいと思います。

『ねじまき鳥』では、辛いことでも、いつの余暇に自分の中にねじまきしたエネルギーが現れたんだとして、ありがたくその結果を受け入れ、誠意を込めて、謝ることは謝まり、罰せられることであれば素直に罰を受けるという態度で、その心の中のねじまきエネルギーが見事に解消できれば、一つ仏に近づく、というところを読んで、今まで自分は誠意ある態度ではなかったことを反省しました。一つでも多くのねじまきエネルギーを解消できるように心がけたいものです。
私は普段、本をあまり読まないので、【くすのき】で色々な方の本を抜粋したものを読ませていただいて、いつも気付かせてもらっています。



☆ 悩みがどこからくるのか、なぜ悩むのか・・・。それができるのにできていない、そうなれるのになれていないから、という言葉にハッとしました。
ここに気付く=意識することができていれば、悩む、という行動の質が変わってくると思います。悩みとは以前から“どうしようもないのにそれをどうにかしようともがいてる状態”というのと“自分の中で求めている〈答え〉はわかっているのに、それを実行する意志から逃げていたり、決心できないでいる状態”とがあると思っていました。
決心でいない、というのもある意味認めるしかないことなのかと思っていました。思っていることを強引に、違う、できるはず!とか、そんな訳はない!と打ち消して考えていくのも、矛盾があると思っていました。
それらに“許可を与える”というのは、まず受け入れることからはじまると思います。まずは認めること、認める=受け入れるということです。受け入れるという作業が、抵抗があるときは、許す、ゆるす、という感覚でしょうか・・・。ここでも感じていく、ありのままを感じる、ということだと思います。感じることにブレーキをかけず、掘っていく作業。
ただ、それをどうするか→〜してもいいんだよ、というところを、〜してもいいんだ!間違ってないことなんだから、良い方向に換えるんだ!という風に早め早めに考えてしまうところもあり、そうなると、ブレーキがかかってしまう、と自分の内面を見つめました。
ワークシートに書き出した言葉は、自分が求めているものが、あっけらかんと出てきたような言葉で、迷って書き出したような気分でいたのが、こういうことになったのだなぁと感心しました。

ねじまき鳥のはなしは、誰しもに起こっている現象なのだと思いますが、そこに早く気付いて修正したり、気付かぬまま人生を終えたり何となくそう感じ気付いてはいるけれども行動に反映されなかったり、できなかったり、逆にそれに反発するような言動をしたりと様々です。
その気付きさえも、それぞれの“ねじまき”の結果でしょうか?

言葉を学んでいると、日々実感すると話しましたが、言葉を選ぶこともですが、伝えること自体においても行動とずれていると感じることがあります。
言葉と行動、自分の行動、内面を客観視して、言葉で伝えるズレを感じながら、伝えることを抑制し、言えないことを自分でフタをして消して、見ないようにしているもの・・・。
向き合わなければいけない・・・というのは、向き合わなくてもいいんだよというのではなく、いえないことがあると気付いて(感じて)いいんだよ、ということだと思います。
ワークシートを改めて感じることができました。



☆ 今回は、出産で欠席の方(おめでとうございます)、そのお手伝いで欠席の方もおられたりして、午前中6人、午後から仕事を終えられた方が参加されて7人、と久々に少人数での開催となりました。前回からの間隔も3週間と、いつもより短かったのですが、その間にどのような学びがあったか・・・・それぞれのお話はいつも通り、我が身に重ねて学べる濃い内容でした。

私は母とのやり取りに関することをお話したのですが、自分では全く気付いていなかったことを、参加者の方に指摘されました。相手の発言に同じ波長(次元)で応じていた私・・・。その発現は現象に過ぎず、それによって引き出された、普段は気付いていない自分の感情(子供を保育園に預けることへの罪悪感など)を見つめることが大事なのに、きちんと向き合っていませんでした。
現象が起こって自分の心が揺れる・・・現象に良いも悪いも無く、自分の心を見つめるチャンスなのだ。忘れないで実行しようと思います。(忘れていれば、同一平面上を堂々巡りするように、同様の現象が起き続けるのでしょうから)
ついつい、自分のめざす方向を忘れて、三次元の土俵で相撲をとってしまう・・・
そうならないために、この頃怠っている光の言葉に日々触れていこうと思います。

お弁当をおいしく、和やかにいただいてから、午後の部に入りました。
@ ワーク
自分自身を縛り、成長を妨げている、自分自身が持っている「ネガティブな信念」を外す「間違ったセルフイメージ」を変える。
「〜してはいけない」「〜しなければならない」「私には〜なんてできない」「どうせ自分は〜なんだから」と禁止令(ネガティブな思い込みや暗示)を書き出して、次に「〜してもいいんだよ」と許可をして書き出していったのですが、まぁ、出るわ出るわ“よくこんなにあったなぁ”と思います。
書いていくうちに、暗い、かたくなな気持ちになったりもして。
そしてそれを「〜してもいいよ」と書き換えて読んでいくと、人生ってもっと可能性があって柔軟なものなんだなぁと感じられました。これから子供を育てていく上でも、言葉の力の大きさを今、知ることができてよかったと思います。

A 輪読:立花大敬さんの本から
村上春樹さん(この方が“無意識の世界について書こうと小説を書いてきた”と言われたのを目にしたことがあります)の小説からの引用もあり、いろんな人がそれぞれの言葉で、皆の目指す方向性等について表現されているのに触れられると「ああ、こういうことか!」と想像の幅が広がって理解し易く、また、同行(好)の志がいるということに大いに勇気づけられます。どんなことも私のねじまきエネルギー(カルマ)のあらわれ。受けいれていこうと思います。
また、前回も似たようなことがあったのですが、@ワークでどうしても思いつかなかった表現や、自分の日常の悩みである片付けに関するキーワードが輪読の中に出てきて、『ありがたいなぁ』と思いました。



☆ これまで造り上げてきた価値観は、確かに自分の成長の糧になってきたことは事実であるが、一方では、自分に強い束縛を与えていることも改めて実感できた。
『自分に“許可”を与える』のところで、自分の奥底に、何かに強く縛られて悲鳴を上げているようなものを感じた。
具体的にそれが何かは分からなかったが、同時に小さい頃の記憶がよみがえってきて、母親から「男でしょ。長男でしょ。」と言われ、非常に窮屈な思いをしたのが想い出された。この頃から(実際にはそれ以前から)「こうあるべきだ」という価値観を築き上げて来ており、これが現時点でも強く作用している様だ。
夫として、父親として、会社の管理職として、こうあるべきだ・・・。
でも、できない・・・。
そのギャップが自分を苦しめている。
今日の『許可を与える』で面白いと思ったことに、単にできない自分に許可を与えるだけでなく「私には〜できっこない」と能力を否定する思い込みを外すことだ。年令と共に自分の能力に次第にフタをしてきていたようだが、なるほど、あきらめる必要は全く無さそうだ(気持ちが少し楽になれました。今日の大きな収穫だったと思います)。

それから「ねじまき鳥」のところでは、会社での1シーンが想い出された(午前中のスピーチのこと)。三次元の世界では「怠け者」でも、本当は一ついのちを目指して、ひたすら歩み続けている」のであれば、私(達)は間違った行動をとったことになる。では、三次元の役割を果たしながら、今後どのような行動をとればいいのだろうか?自分や他人に付けている『評価』から、まず離れる必要がありそうだが、具体的なことは職場に戻って実践の中で感じていきたいと思う。
ただ一つだけはっきりいえることは、「全ての人は自分の鏡」であり、常に自分を顧みることが大切だということだと思う。
まさしく「ぼちぼち」行きながら、でも少しづつ確実に成長していきたい。


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2期 第5回『くすのき』感想文       2007年7月21日


☆ 今日はまたしても子連れでの参加となりました。子供達も頑張ってくれましたが、やはり単身で参加した時のようにはいきませんでした。(この感想文も家に持ち帰って書いています。)
 午前中の参加者の一ヶ月間のお話も後半しか聞くことが出来ず、自分の話す番では下の子が途中で泣き出してしまい、話すことが出来ませんでした。
 午後の輪読(由井寅子さんの文章:子供の健康とホメオパシーについて・都留晃一さんの文章)も、現在の自分を省みて、大変興味深い文章のようでしたが、自分の順番をとばしてもらったり、と全部を読み合わせることは出来ませんでした。(しかし、前回の子連れ参加の時には出来なかった、午後イチの瞑想には参加することが出来てよかったです。)

 その後、子供と一緒にハイテンションで家に帰ったまではいいのですが、主人が「用事がすんだら『せらぴーるーむ』に子供達を迎えに来る」と言ったのに来てくれなかったことを思い、ひどく悲しい気持ちになり、一人でお風呂に入りました。
 「迎えに来るって言ったから期待しちゃったよー、出来ない約束ならしないでよー」という気持ち、「自分でも出来るなら来たかったんだよね、そう言ってくれた気持ちだけでも嬉しいじゃない?」という気持ち…そんな気持ちが湧いてくるうちに、「どうして(自分は)他人の言葉を額面どおりに受け取りすぎるのだろう?」という疑問が出て、次に過去のことを思い出しました。
 私は中学生の頃、成績が上位のほうでしたが、詰めが甘くて1番にはほとんどなれず、母親からよく責められていました。また、同級生からは―――冗談半分だったとは思いますが―――「ガリ勉」と言われ、嫌な思いをしていました。入試を経て高校に入り、「これで普通の人だー(母親からもうるさく言われずに済むだろう)、この中で私はどれくらいの順位?」くらいの気持ちで最初の中間試験に臨みました。結果は上から1/3くらいだったか、「(平均なら真ん中くらいの順位のはずだから)まずまずかなー」と思った私に対し、母は烈火のごとく怒っていました。なんでも、「1位をとったらどうしよう」と心配していたとか…。当時は「…計算出来んのか?大体、模試でもそんな成績とったことないのに―――」と思い、軽く失望していたつもりでした。(母はよく、自分が高校生の頃に如何によい成績だったかを語っていました。今になれば、自分の出身校(他県地方都市の最高学府)と私の出身校(県内でも2番目の進学校と言われていた)のレベルの差を全く考慮していないところが滑稽にも感じられます。)
 今日、初めてわかりました。「私は悲しかったんだ―――(I was so sad.)」 たくさん泣きました。
 また、同じ頃、私が鏡を見ていると「なん、いつまでも鏡見よるとね!」という母。それで、あまり構わないでいると、「○○ちゃん(従妹)は学校行く前に30分鏡ば見て行きよるてよ」…私にどうしろというのでしょう?
 高校に入り思春期真っ盛り、親とは違う価値観を確立しつつある同級生達に対し、そうではなかった私は、休み時間や昼休みにクラスにいるのがたまらなく苦痛でした。特に一年生の時には、部活をしている時だけが、生きていたような気がしました。そんな私に母は「何のために学校に行っているのか?部活はヤメなさい!」―――――弟が同じ高校に行き、比較できたため、益々苦しく感じられたのでしょう。(成績は私より下にもかかわらず、「合格ラインギリギリだったから通っただけよい。(持病があるから)健康のために部活をして欲しい」)…五体満足で身体が健康ならば、何を言ってもよい、生きづらさを感じないというのでしょうか?(そう言えば、今日帰る途中、小学校に「言葉にも心にささるとげがある」という標語がありました。)
 ああしてはダメだ、こうしてはダメだ―――そう言われ続けた挙句に、「自分らしくしなさい」と言われた子供はどこに行くことが出来るでしょうか?
 今、やっと、このように感じることが出来るのは、これまでに母親の言葉を真に受け続けてきたから、そして今、「(親子の間で)悲しいことがあってはいけない(意見の相違があってはいけない)」という禁忌が外れて、それらの言葉から離れることが出来たからではないかと思います。 いい加減に他人の言葉から離れてよいということなのでしょう。
(自分と物事の関わりについて思うとき、よく「聞・思・修・破・離」という言葉が思い浮かびます。まず知り(聞)、考え(思)、実行する(修)。いつかは、それを破り(破)、離れていく(離)―――結局は大きな道へ向かう手段に過ぎないのだから。仏教用語か、能に関わる言葉だったような気がしますが、はっきりしません。解釈もあっているかわかりません。でも、こうとらえて納得できることは多いです。もう十分に「聞・思・修」したのだと思います。)

他人の物差しで測られるのはツラい。
自分の物差しを他人に押し付けないように。

「素直でいい子」とか 「いい人」とか 言われてきたけど、
本当の「素直」というのは 他人の言葉ではなく、 内なる自分の声に耳を傾けること。

 これらのことは、都留晃一さんの文章の最初の方、「本当の奉仕」について書かれていたことに起因したようです。改めて読み直してみると、なんと的確に表してあることか!
 また、「せらぴーるーむ」では子供達とベランダに出ていて、触れられなかった文章も宿題の一つと思って読みました。するとどうでしょう、瞑想でハイヤーセルフに言われたようなことが書いてありました!(端的にいえば、「おそれなくてもよい、思いついたことを(考え込まずに)しなさい」ということ。)この文章にたどり着くために、今回は「くすのき」に参加させていただいたのでしょう。
 (午前中に「話そう」と思っていたことは、皆さんの話を聞いて共感したりして、「話さなくては!」という感じではなくなっていました。捨てる(手放す)ことで得られることが、シンクロニシティを伴って感じられたこと、自分の課題であるACの件で感情を爆発させてしまったこと、実践が伴わなくて足踏みしている気がすること等。)
 参加者の方々に会って、私もがんばる勇気をもらっています。
最後に、今日はもう1人子供さんが来ていて、子供達と遊んでくれました。また、手作りのお菓子をうちの子供達はたくさん食べました。それも含めて、ありがとうございました。



☆ 今日は最初から最後まで意識がどちらかに言ってしまい、なかなか皆さんの言葉が入ってこなくて残念でした。
ただ、予防接種の害を改めて学んだことで、現在も我が子を苦しめてしまっている中耳炎や鼻炎(もしかしたら軟便〜下痢気味の弁の状態もそうなのかなぁ〜)の症状もやはりそうなのかと反省させられました。現在は病院通いもやめて、レメディで対応しているのですが、不思議と自分の中で“病院はもういいか”と思えとたんに、子供に出ていた“アトピー”や“アレルギー”“皮膚症状”などが気にならなくなっていたことに気付かされました。
子供の為、周りがするからと受けさせた予防接種が、実は親子共々苦しむことになるとは知らず、次の子の時には、病気になったらなったで、『必要があるからかかるんだ』と思ってドーンと構えていようと思います。

また、子供の自立を親がどのように見守り支えていくかの章に出てきたことに、思わず線を引いて何度も読み直してしまいました。子供を守るつもりが逆効果になってしまうことのないように、私達もよく考えて行動をしていこうと思います。



☆ れいめいにお世話になり始めて、2〜3ヶ月位の頃から、身体にアトピー性皮膚炎がふき出し、半年近く出続けました。
薬には頼らず、自然に回復することに任せたことで、今ではすっかりその跡はなくなっています。ホメオパシーの文章を読んで、改めて、当時の行動の正しかったことを知ることができました。ホメオパシーについては、深く理解できている訳ではありませんが、あるレメディ(肝臓、右半身、人前での上がり症に効果のあるレメディ)を試み、確かに効果があることも実感できています。
今日、ちょうどいい機会に文章に触れることができたのかもしれません。意識を変え、もう少し積極的に向かい合っていきたいと思います。

それから、津留さんの文章に関しては、正直腑に落ちたと言うところまでは理解できませんでした。現実的に、3次元世界で生きる我々には、様々な問題が押し寄せ、的確な問題解決が求められ、迅速に対応できるものが、優秀と評価されます。また、様々な価値観を持つ部下達を、ある目的達成のために、考え方を強制的に変えさせ、ゴールに向わすこともしばしば行っています。
しかし、津留さんの言われるとおり、「体験することが目的」であれば、部下はそのままで良いわけです。その状態を体験しているわけですから。
ここに現実世界との大きなギャップを感じます。
では、どのように考え行動すればいいのだろうか?非常に難しい問題です。津留さん流に言えば、「問題解決をしようと思わないこと」「こうありたいと」いう結果をイメージすることだと思いますが、正直、今の自分にはこの心境は理解できていないようです。
ただ、少なくとも非常に限定された価値観の中で、生きている事は理解できます。これまで、良かれと思って築き上げて来た価値観ではありますが・・・。
まずは、これからの生活の中で(会社で、家庭で)自分が何を考え、何にこだわり、何を主張して生きているのか、できるだけ客観的に眺めてみたいと思います。
自分は何をしたいのか?自分はどうなりたいのか?
これからの展開を楽しみたいと思います。
有難うございました。



☆ 今回はホメオパシーで、予防接種の害を学びました。
予防接種は、バイタルフォースの回転を小さくし、病原体や環境の悪影響を跳ね返す力を弱め、それらの悪影響を受けやすくしてしまいます。血液に直接異物を入れる行いは、とても怖いことなのだと改めて感じました。私も子供も予防接種を受けているので、ホメオパシーで少しずつ改善していきたいと思います。

そして、湧いてくる感情を外に出すことの大切さも学びました。
表面的には穏やかにして「いい子ね」と言ったとしても、内面で「駄目な子」と思っている感情があれば、他の負のエネルギーを引き寄せてしまいます。
子供のように喜怒哀楽を出して、美しい、嬉しい、大嫌い、これ嫌だ、できない、などと心に思ったことはドンドン出していきたいと思います。
私は「正しいこと」「良いこと」「悪いこと」を考えて、なかなか自分の気持ちを他に出せずにいました。湧いてくる感情にフタをしていたと思います。
そして人の親切を疑ったり、複雑に物事を考えるところがあります。
『シンプルで単純な者は幸せ』という事をこれから実践して行こうと思います。



☆ ホメオパシーの中盤くらいからは、頭がモーローとして、眠気(?)との戦いでしたが、改めて感情出しと、ホメオパシーは心と身体にふたをせずに、開放するものなんだと思いました。

最近、また左のひじの内側に湿疹が出て、かゆくて辛かったのですが、それを意識しないようにすると、よけいに湿疹は広がり、かゆみはひどくなり、結局湿疹の方にしか目が行かなくなりました。
ところが今回は、前回の経験が生きたのか、先生の『感情出しよ!』の声が聞こえて、湿疹をなでながら感情だしをして、ホメオパシーを飲んで、ビワ灸をすると不思議なくらい心の揺れがなくなりました。
嫌だという気持ちも、気持ち悪いという気持ちも、早く治りたいという気持ちも認めて、抱きしめてしまったら、同じ状態なのに全然気にならなくなり、走行しているうちにいつの間にか湿疹も消えてしまっていました。

今回の体験で、感情出しの大切さと、ホメオパシー、ビワ灸の相性の良さを再確認しました。
でも、正直『感情出しよ!!』の声が聞こえた時は、面倒くさいから聞かなかったことにしようと一瞬思ってしまいました。
すみません。
でも、やって良かったです。



☆ 自分に起きてきた最近の現象を何とか解決しようと考えているところでした。
今日勉強した『ホメオパシー』も『津留晃一さん』もとても今の自分に当てはまる内容でした。

ホメオパシーが心と身体にある問題を押し出してくれることを再確認することができました。
もっともっとホメオパシーを活用して、自分の中に在るものを出していきたいと思います。
そして、自分の周りにも今まではなかなか進めることができなかったホメオパシーの存在を知らせて、心と身体を癒す手助けをしたいと思います。

それから、感情を出していくことが自分を癒すこともようやく体感できるようになってきました。ホメオパシーを採り、感情を出すことにより、相乗効果があることを今日勉強して感じることができました。
生きている以上、感情が芽生えることはどうしようもないことなので、その時その時に出して、溜め込まないように意識していこうと思います。ようやくそのことに気付くことができ、本当に長い時間がここまでくるのにかかってしまいました。それも私にとっては必要な時間だったんだと思います。
これから、たくさんの時間を感情を出すことに使い、自分を成長させたいです。
ありがとうございました。



☆ 予防接種の害を読んで、病気の素因になるものがこんなにも入っていて、実際に身体の不調をきたすということがたくさん起こっていた現実をはじめて知りました。
これまで、予防接種は病気のもとになるものを少しだけ身体に取り入れて、そのことによって外敵に負けない強い体(強く戦えるもの?)を作ってくれるもののような認識しかありませんでした。
今年入院までしてしまった自分の体調について、そういえば、インフルエンザの予防接種は、去年か今年、初めて受けた様な気がする・・・と思い出しました。
インフルエンザにかかってしまうと、周りの人に迷惑がかかるというのは解りますが、今年は結果的にインフルエンザではなくても、同じように周りの方たちに心配をかけたり、お世話してもらうことになりました。雇い主の意向ではありますが、これからは受けたくないと伝えてみようと思います。
これまで熱が出たり、関節が痛み出してから、レメディを採りましたが、変化はよく解りませんでした。浄化キットを購入したまま使用していなかったので、また試そうと思っています。

津留晃一さんの話では、現象や現実、自分の感情などを、なるべくシンプルにというか、こういうことが起こっている、こういう気持ち、こんな言葉が出る、出た、反応する、を最初のまま、もともとある形のまま、まずは感じる、ということだと思いました。他人と関われる社会の中で、あるがままのものから幾重にも違うものをかぶせたり、置き換えたり、意味づけをしたり、結論を出したりすることが大人ということ、という“くせ”が身に付いてしまうように思います。

皆さんのお話を聞いていて思ったのは、楽しみたい=楽しくない、ということなんだなと感じました。私は掃除をしている時、無心に近いと感じます。集中して、ホコリやいらないものを捨てる。綺麗になった空間を眺めるときに自然と嬉しくなります。
無限であるとか思い通りである、ことを考えると、納得するかというと、・・・不安や悲しさはだいぶ減るだろうとは思います。普段から楽しいことのほうが好きだし、魅かれるので考え方も見方次第を再確認しました。
成しとげるのが目的ではなく体験が目的とありましたが、自分はまだ成し遂げようとした体験が無かった(少なかった?)かなと思っています。
ヒューマンセンサーなどでも私は、目的を意識して目標を定めて生きること(成しとげようとする体験?)をテーマとしている、と言われています。
・・・が、今日読んだ内容は・・・もう一回読んでみて・・・
読んでみます。


☆ 今日はたいへんにぎやかなくすのきでした。9人のメンバーの方々とそれから3人のかわいい飛び入りのゲストの方々。ゲストの一人は最初機嫌が悪くて泣いていましたがぐっすり眠った後はすっかり打ち解けていました。
昔なら泣き声をうるさいと感じていたように思うのですが、ほとんど気にならなくて、
自分でも心の成長ができたかなと感じています。
メンバーの方々のお話にはいつも感じさせられ共感することがあります。今回もいくつかありました。
ある方のお話で、長男で期待されてそれに応えようとしてもこたえられず自分を偽って生活してしまうACのお話がありましたが、私も少なからずまだ持っているなというのを感じました。そして「ありのままの正直な姿を見てもらって理解してもらうことが大事だよ」
という先生の言葉に自分の場合も「そうだな。家族にもっともっと自分を正直に表現して理解してもらおう」と思いました。

それからホメオパシーの話ですが、私はなぜか予防接種は嫌いで中学を卒業してからインフルエンザの予防接種を受けたことがありませんでした。また娘が小さい頃、妻が入院していたために予防接種を受けさせてやることができず水疱瘡にかかって少し跡が残ってしまい、心にひっかかるものがありました。
でも今回予防接種の害を勉強して、結果的に受けなくてまた受けさせなくて良かったことを知って、自分の信念とそれから妻の入院にありがとうございますと感謝の気持ちになりました。
それとともにホメオパシーの力を再確認しました。特にホメオパシーが感情だしを助けてくれることを再認識しました。
いつも先生からは言われているのですがあらためてホメオパシーをもっと勉強して、サボってできていない感情だしをしっかりやっていきたいという気持ちがわいてきました。
ありがとうございます。

それから都留さんの話、会社の昼休みにちょこちょこと都留さんの文章を読んでいるのでですが、なかなか考え方を変えるというところまではいきません。
経験を楽しむこと。考え方を変えることによって苦しみも楽しみに変わるというのは、何年か前に仕事が遅くまで残業が続いていたときに都留さんの本を読んで自分はこの経験を楽しもうと思ったことがあってほんの少しですがその境地を感じて心が楽になったことがありました。忘れていたのですが今回それを思い出してあらためて経験を楽しんでみようと思いました。
ありがとうございます。


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2期 第4回『くすのき』感想文       2007年6月16日


☆ 昨日、セッションを受けるまで、今回のくすのきは休みたいという気がしていました。
ここ数日、とても眠い日が続いていて、身体が思うように動かず、やる気も出ませんでした。でも、セッションが終わって先生に「明日は来れるよね?」と聞かれたときは、なぜか休みますとは言いませんでした。帰ってからも、やっぱり休みますと言えばよかったのにと思う自分と、いや明日は行きたいという自分がいたのですが、「行きます」といった自分が勝って、今日、参加することができました。
昨夜、何度か「行きたくない!」の感情出しをしたことが良かったと思います。
それよりも休んでいたら、くすのきの仲間の重大発表を聞けなかったと思うので、参加してとても温かい愛のあるお話を聞くことができて良かったと思います。
“おめでとうございます”

そして今日も、皆さんのお話が聞けてとても勉強になりました。
皆さんの話からも、感情出しが重要だということがよく解りました。
テキストの、名言セラピーの中に「私は人気者」という件がありましたが、やはり自分が話す言葉には、言霊があるということを再確認しました。自分のことを「人気者」だと言えるのはすごいことだと思います。私も日常生活に取り入れてみようと思います。
それと、「ありがとう」で奇跡は起きないと思っていたところがあって、まさに私のことだと知らされました。もう一度、「ありがとう」で奇跡が起きると信じます。
名言セラピーの中には、私にぴったりのことばかり書かれていて、「できると思ったらできる」もそうで、スプーン曲げは、以前やったときは曲がらなかったのに、今回はスプーンが折れるほど曲がったので、これも今までは曲がらないと思い込んでいたから曲がらなかった。「曲がると思ったら曲がる」「できると思ったらできる」んだと気付くことができました。何でもやれそうな気になれました。今日は参加して良かったです。
ありがとうございました。



☆ 人生、山あり谷ありで、これから先もそれが続いていくのでしょうが、おめでとうございます。正直、びっくりしました。そして今思うことは、山あり、谷あり、激流ありの人生だからこそ、多くの学びを教えていただけるんだと感じたということです。
今日のお話を聞いて、恋人から夫婦となり、家族を作る決意をした、数年前を振り返りながら、主人への気持ち、家族とのつながりをもう一度見つめ直してみようと思います。

今回はじめて、真剣に、親子、姉妹間の課題を取り組む決意をし、皆さんの前で話すことができました。そして、「できる」と自分で思うこと、信じることの強さを学びました。
一歩を踏み出すことが恐くて、いつも逃げ道を作ろうと考えていましたが、子供たちやくすのきの方々の行動を見ていると、今こそ進もうと思いました。次回こそ、皆さんに報告するぞー!!

私は体調が悪いと思った時や何かある時には、必ず実家を頼っていて、素直に主人に助けを求めていないことに気付かされました。自分の気持ちをメールでも伝えられる、その素直さや信頼する気持ちをいっぱい育てたいと思います。
最後に、大野さんの「大切な人の喜ぶことをするのが人生ぞ」とのメッセージは、やっぱり根底には『与える(愛)』があるんだろうなぁと自分なりに解釈しました。「与えられるより与えること」『分かち合うこと』言葉は色々ですが、人が喜び自分も笑える、そんな環境を作り上げて行きたいと思います。



☆ 今日は今の私にまた必要なメッセージに出会えました。
光の学びを初めて知った宇宙の仕組み。毎日の生活の中で、仕事の中で、家族の中で、出会う人々との仲で、いつもお試しがあり、実践の機会・光上の機会を与えていただいております。

今日のメッセージも、数年前に頂いたメッセージ。忘れていたわけではないけれど、ちょうどその実践ができなくなっていたときに、また再会させて頂きました。
自分や主人に対する愚痴や文句がが多くなり、楽しむこと、喜ぶこと、喜んでもらうことから離れていきそうな感じでした。
主人も猫も公園の樹々も、何も変わりなく私を見守ってくれている。自分だけがイライラざわついている。
私がここで笑うだけでも、ごめんね、ありがとうを言うだけでも大きく変わる。
その一歩が踏み出せない、うずうず悶々とした状態で、今日ポンと優しく背中を押してもらえた気がしました。
顔晴れよ、私。一笑懸命、顔晴るよ、私。
ありがとうございます。



☆ 前回のくすのきから1ヶ月・・・その間に通常ならセッションを2回のところを、3回挟んで(調子が悪かったので)の参加でした。
「1ヶ月間いろいろあったなぁ、今回は(も?)話すこと盛りだくさんだなぁ」と思っていたら、直前の金曜日にもう一波あってぐったりしてしまい、今日は朝からテンションが上がらず“キツいなぁ、行きたくないなぁ”という心の声がするようでした。
と同時に“キツいからこそ行こうよ!キツいのは生きてる証拠だよ。何かを教えてくれているんでしょ”という声も。
結果、20分ほど遅れて参加させていただきました。やっぱり来てよかった〜!
今日は初めて会う方も1名も含めて11名でのくすのきでしたが、皆さんのお話を伺ううちにだんだんと元気になってきました。
丸まっていた背筋が伸びる感じ、こわばっていた背中が温かくなっていく感じがしました。
“みんな、みんな(見和子先生も含めて)自分の課題を抱えて、時々揺れたりしながら、光に向かって行ってるんだなぁ”(感涙)という事実は、私にとって大きな励みとなります、いつもながら。・・・ありがたいです。

ACや家族のことについてなど皆さんのお話を聞いても気付きがあり、新しい課題が見つかったりします。“あ〜、うちも20年モノ布団を買い換えよう”とか・・・。
自分でも話しているうちに気付くことがありました。(調子の悪いときに出る、物事の偏ったとらえ方とか、他人の言動に揺れやすい心とか)こっけいなやり取りのところは大いに笑っていただき、私の心もまた少し軽くなりました。
また、話し終わった後に見和子先生から“それは『誰が〜〜〜だ』って言うんじゃなくて、あなたの心にフィルターがかかっているからよ”との指摘をいただき、調子が悪くて視野が狭くなっていた私は“あっそうか。全くその通りだ”と気付き、全くありがたい限りです。私がもっともっと直実に、誠実に気付きに対して実践していく必要性を感じました。
気付いたからには死にながら生きるのではなく、生き生きと生きるために。

皆でお弁当をいただいた後の読み合わせは“名言セラピー”のメルマガの中の「よっちゃんの人生Q&A」から2つと、大野勝彦さんの詩でした。どれも難しい言葉はないのだけれど、すごく素敵でした。
SF小説の一文に、「世界はきっと(今かじっている角砂糖のように)単純で綺麗なものからできている」とあって、ふとしたときに慰められていたのですが、それとても似ている感じがしました。“難しい文でないと真理はわからない”と言う固定観念を前に持っていたから、なおさら嬉しく感じた気がします。
“この世は難しく考えなくてもいい。美しい。”色々な見方が存在するから、学問として究めて行くことも大事だけれど、“あくまで見方のひとつだよ”と広い見方をキープしたいと思います。(調子が悪いと、狭い見方になってしまいます。)
“こんなことが起きた・・・私の知識で説明できない!現代の科学で説明できない!!”
“OK!OK!別にいいんだよ〜ん”



☆ 今日は11名の方々が出席されて、この場で私にとっては大きな転機、大きな成長への学びを始めたことを報告することができて、大変ありがたく思うと共に、上の方々のお計らいに大変感謝しています。

私にとって、今日気付いたこと、学んだことが二つあります。
一つは、くすのきの方々のお話を聞いて感じたことです。人との感情のやり取りを感じる繊細さ、私にはこれが少し欠けているように感じました。家族との会話の中で感じる感情、そしてそれに対する反応、そこから展開していく感情のやり取り。
私の場合は、いきなり大きな感情をぶつけてしまい、その途中の感情のやり取りと言うものがあまりないように思います。皆さんのお話を聞いていると、この感情のやり取りが大変楽しく感じられます。私もこれから、こんな感情のやり取りを楽しみたいと思います。そして、揺れた感情を、感情出しすることで成長し、より微細な感覚に目覚めていこうと思います。

もう一つは、名言セラピーの言葉から、「目の前の仕事を喜ぶこと」「頼まれたことを喜ぶこと」という言葉です。今までの自分は、仕事も、頼まれたことも、そして自分で決めたことさえも、〜しなければならない!ととらえて、義務感に負われてなかなか喜ぶことができませんでした。
それは、自分が無かったからのように思います。自分がどう感じているのか、そして自分がどうしたいのかが、自分の中に無かったからです。常に受身で生きてきました。ある意味、それが楽だったからです。そして、うまくいかないのを他人のせいにしていました。
自分で感じて、自分で決めて、自分で動く。
そうしたら、その結果がついてくる。まずかったら、自分でまた変えれば良い。自分が決めたことだから、他人のせいにすることはない。
そうしたら、これは楽しいですね。最近の出来事は、すべて私に、自分で感じて、自分で動くことの大切さを教えてくれていたのだと思います。
ありがとうございます。



☆ 大野勝彦さんの詩画集からの引用を読ませていただいたとき、涙が出てきました。
失意の底にいる人と、まわりでその人を思いやる人の心。本人と同じか、それ以上に心を痛めているかもしれない。それでも気遣う親心、子供の思いにどうしようもなくこみ上げてきます。
私の感情の変化にどんな思いがあるのか考えますが、ただ両腕を失ったことに対する可哀相という感情だけでなく、それぞれの立場?での愛情に感動したのか・・・。

人はやはり自分の力だけではどうしようもないことや、どうしていいかわからないことの前では、祈ることしかできなく(実際にはできることは色々あるかもしれませんが)手をあわせてしまうように思います。

私の父親はいつも「最悪のことを考えていろ、他人のことを優先に」という考えを持っていて、それを言われ続けてきたように思います(10代くらいに気付いたこと)。小学生のときはいつも、他人の意見を聞いて、賛同してみたり、批判してみたり。とにかく人がどうか、何をいっているのかのそことについて意見してみたり・・・と。
実際はそれで自分はどうなのか、という意識はありませんでした。周りの友達に無視されたり、拒否されたり、いわゆる仲間はずれのような経験をして、そのことに対して、「そんな意思表示は間違っていると思う」とたくさんの人の前で発表したことがあります。そのときから少しずつ、自分は自分の足で歩かせなければいけないんだなと思うようになってきました。

「大切な人が喜ぶこと」・・・大切な人・・・自分の中で、出会う人に価値の違いはあるのかと思うと、現実に大切にしていたり、大切だと考えてひいきしたり、迷う場面が多々あります。
喜ぶことも同様で、喜ぶことも様々であるし、単純に考えていいような気もするけれど、相手が望む(望んでいるであろう)ことが、進む方向でいいのか、自分のことも大切な人に含んで考えるのか・・・これまでも、今も模索中です。
そんなことを考えていると、結局はでも多分自分にも限界はあるし、考えすぎるとつらくなるし、できることしか多分できないし・・・と。あきらめてしまうのと同じような心境になってしまっていた(いる)んじゃないかと今日は感じました。
よっちゃんの言葉にあるように、自分の周りにあることは、自分で回答を見出せること、という前提を持つ、という気持ちに“は”っとしました。
前回と同じように、自分からの発信を見直していく、気付きをもらいました。
実践できるか・・・。きっと出来る、のかな?イキナリ弱きです。
課題ですね。



☆ おめでとうございます。
前回のセッションでの先生のひとことがきっかけで、長〜い間這いずり回っていた自分が、進む方向はちゃんと自分の魂は知っていて、違う方向に進みかけたら身体や心がストップをかけて、考える時間をくれるんだなぁと改めて思いました。

早起きして、だんなと子供と自分のお弁当を作るようにしました。だんなはとても嬉しそうです。自分もそんな顔を見ると嬉しくて幸せな気分になれます。でも、きついときは出来ないので、その時は「弁当は?」って聞かないでと伝えました。
心の中で『奥さんだからしなきゃいけない』とか『他の人が出来ることはできないといけない』などの義務感という枠がはずれたら、ものすごく心が軽くなって、今まで嫌だったのもが楽しくなってきました。



☆ 「心からの開放」これが最近感じている私のテーマですが、皆さんのお話を聞いていると、誰もが、心の中に束縛するものを抱えているが、皆さん確実に解放の方向に向かっているように感じました。皆、中身が違うとはいえ課題を抱えている。そして確実に開放の方向に向かっている。素晴らしいことだと思います。

さて、今日の「スプーン曲げ」は「心からの開放」に対して、大きなヒントを与えてくれた様に思えます。れいめいにお世話になって半年くらいの頃、スプーン1本でやってみたのですが、その時は全く曲がりませんでした。でも今回3本が簡単に曲がったのです。裏を返せば心を縛っている意識やこだわりがいかに大きな作用をしてるかが解ります。少なくとも今思っている方向性「心からの開放」が間違っていないと思えたことが大きな収穫です。

それから『名言セラピー』の中にも、いくつも心に残るメッセージを感じました。
「目の前にある仕事を喜んでやる」「ニコニコ引き受ける」「素直に喜ぶ」「人もお金も仕事も喜んでいる人のところに寄ってくる」「いま、ここを喜ぶ」・・・
なるほど!心の中に言い訳をし、自分を正当化し、困難を避けている自分・・・
でも、何となくですが、方向性が見えたような気がします。
『勇気を持ってまず動く』これを実践します。

また、大野さんのお話は感動ものでした。
やっぱり“感謝”が大事なんですよね。
「大切な人が喜ぶことをするのが人生ぞ」素晴らしい言葉です。有難うございます。
“類友の法則”で出会った皆様に感謝します。
最後に、本当におめでとうございます。



☆ 人前で話すのが大の苦手な私は、今日もやっぱり話ができない!と思ってしまって、メチャクチャ頭がパニック状態でした。なかなか乗り越えられない壁です。
少し良かったと思うと、すぐやっぱりダメという状態です。
自分の思い込みが、色々なことを引き起こしているとわかっていても、なかなか思い込みを変えることができません。

今日、スプーン曲げをしましたが、硬いと思うとても痛いし、確かに硬い。でも軟いと思うとわりと簡単に、スプーンが曲がった気がします。
私は今、仕事をするのが嫌で嫌でしかたないのですが、仕事を変わる事もせず、ただただその場でジッとして動かない状態でいました。
今日、名言セラピーのQ&Aで、“今、目の前にある仕事を「これは、本当は私のやる仕事じゃない」と思ってやっていると、自分が心から楽しいと思える仕事にめぐり会えない仕組みになっています”というのがありました。
私のやる仕事じゃないとまでは思わないまでも、ちっとも楽しくない、やりたくないと思っているので、自分がつらいのは当たり前だと思いました。
今の職場は、自分の思い次第で現実が変わることを体験できる場所なのかもしれません。辞めて逃げ出すより、もう少し『顔晴って』みようと思います

くすのきで、皆さんのお話を聞いていると、いろいろな気付きがあるし、自分ももう少し頑張ろうと思えて楽しいです。
ありがとうございます。




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2期 第3回『くすのき』感想文       2007年5月19日


☆ 前回くすのきに久しぶりに参加することができました。
自分の中で、どうしようもないくらいやる気が起こらない状態でした。
実践も続けられない、本も読めない、落ちた状態で参加しました。
久しぶりに会った方、初めて会う方の色々なお話を聴いたことで、何か落ちた状態にスイッチが入りました。
実践全本、毎日21日間を目標に始めました。それと1日108巻をできるだけすることに決めて始めたところ、この1か月間は頭痛に悩まされることがほとんどありませんでした。
やはり、実践することから遠ざかっていて、このことから実践の重要さに改めて気付くことができました。
前回くすのきで皆さんから頂いたエネルギーに助けられました。ありがとうございました。

今日のくすのきの中では、『黎明』の「地球の変容」には今の自分に必要なことが書かれていて、改めて読んで、自分に与えられた役割があり、周りに伝えていくことが大事なことだと思いました。
これからも実践しながら成長していきたいです。


☆ 今日は新たな方との出会いもあり、1か月の間に皆さんが色々と体験し、感じていたことを聞けて、また多くの収穫を得ることができました。
その中でも、最近自分の課題のひとつだと思えていた、言葉の表現(あいさつなど)についてのお話が出たときには、本当にびっくりしました。
たくさんある課題のひとつ、言葉(気持ち)を表現すると言うことを、実践してみたいと思います。
また、掃除に関するお話も皆さんが取り組んで、物質&自分の思いとの別れ(整理)をし始めているんだと思うと、少しずつでも自分でやっていこうと思えるようになりました。幸せを呼び込むためには、自分で流れを変える必要があるんですよね。誰かが手伝ってくれるのを待っていたりするよりは、自分がやり太陽に動く方が気持ちも違うんだと思えると、何だか出来るような気になってきたので、次回は掃除が進んでいる報告ができるように、気合を入れて決心しようと思います。

午後からは、まず誘導されて見た映像が、私と息子とお腹の子だったので、こんな所にまで来てくれたんだ〜!と思って嬉しくなりました。
最近は、何でも「イヤ」と言われ感情的になることが多く、手を上げてしまっていたのですが、映像で見えた息子は、とても大きな不安を抱え込んでいて、無条件に抱きしめて欲しかったんだということに気付かされました。そして私自身が2人の子供を同じように愛せるのかわからない不安が心の中にあったので、抱きしめるという行為に抵抗していたんだと知りました。
今日の映像は子供たちからのプレゼントだったように思います。
その後の勉強会は、なぜか眠くてたまらず、文章が目からも耳からも入らずに、よく理解できていなかったように思います。文字が苦手な私への投げかけなのか、(文章が続いていると思うと拒否したんでしょうね・・・)もう一度読み直してみようと思います。先生からも言われたように、何度か読んでいるうちに、だんだん理解できるようにしていきたいです。


☆ 午前中はいつものように、前回のくすのきから今日までの間に、自分の周りで起こったこと、そのことに関して思ったこと、気付いたことについて一人ずつ話しました。
今日は第1期スクールの卒業生で、始めてお目にかかる方もいらっしゃいました(いつもながら、こうして集い、共に学ぶ縁の不思議さを感じます)。
それぞれの様々なお話の中に、自分に照らし合わせて考える所、自分に向けてのメッセージだと感じられるところがあって、有り難かったです。いつも励みになっています(特に片付けに関して)。
自分の話す番では、これまでより落ち着いて話せたと思います。皆さんに笑ってもらえて嬉しかったです。自分の課題として、母との関係、父との関係をどう捉えるかというのがあるのですが、最近のセッションで、両親の関係は私が思っているほど悲観的ではない、と解かったせいか、そのことについて話す際に、前のように切羽詰っていませんでした。自分に余裕が生まれると、相手もゆったり構えられるのかな、と思います。

また、前回は2人の子供を連れて参加したのですが、そのことに関して、「ありがとう」と言われたのは嬉しかったです。今回は、携帯電話を忘れるほど、独り身を満喫しています。
子供からも学べるし、一人でも学べる。ありがたいです。また、一度は連れてきたおかげで、こうして独り身の時間を快く作らせてくれる主人にも、あらためて“ありがとう”を言おうと思いました。
午後からは、『足立育朗を語る』(森真由美)、『黎明』からの抜粋を輪読しました。『足立〜』では、中性子とか陽子とか免疫とか、昔学校で聞いたことのある懐かしい単語が出てきたけれど、その捉え方は学校で学んだこととは違いました。“全ては波動で説明できる”“理解した”とは言えないけど、何だか腑に落ちるものがありました。(やはり、むか〜し、“原子等の在り方は粒としてだけでなく波としても説明できる”と習ったことがありました。その時すでに、物理はすっかり解からなくなっていたので、数式なんかは理解できませんでした。ただ、“何だかきれいな話しだなぁ〜”と思ったことを覚えています。)
【れいめい】で学んでいることと科学は決して相容れないのではないというのは、とても心強いです。ただし、“現代”の科学という枠組みにとらわれて、自ら不自由になっている人が多いことも思わずにはいられませんでした。

『黎明』の抜粋は「地球の変容」でした。“人は起こったことを見て嘆くけど、もともともっていたもの(潜在していた不調和なエネルギー)が現象化したにすぎない”、“一人一人が意識を高めていくことが、地球全体にとって、大事なこと”というのも、非常に安心を与える言葉でした。
ここまで書いてきて、私が“多くの人は〜”という場合、念頭に母親があることに気が付きました。なかなか縁が深いのだなぁ、ありがたいのだなと痛感しました。前回の【くすのき】から今日までの間に、【れいめい】で学んだことを投げかけることができるようになりました。これからも時々、投げかけてみようと思います。


☆ いつも思うことですが、先輩の方々、同期の方々お話の中に、共感するところ、気付かせていただくことが多々あり、自分が思っていたこと、やっていることに自信を持ったり、また、あらためてやっていこうと思わせていただいたことがあり、感謝いたします(トイレ掃除や、整理整頓、前回の子供さんからの気付き、ACに向き合っていくことや実践について)。

足立育朗さんの文章は過去に何回か読んだことがありましたが、今回勉強してみて、振動波の意味あい、そしてその自分のレベルが従来に比べて、確実に向上してきていることを感じました。最近頻繁に起きてきている現象から、気付きなさいよ〜、役割がありますよ!と言っていただいているのではないかと感じました。
この1〜2週間、家族全員が風邪を引いて、なかなか治らないでいること。私が実践を始めたことで、この現象が起きてきているような気がします。家族も私が真剣に課題に取り組むことにより、成長することを望んでいるのではないかと感じています。私の強い決心、そして何よりも、家族に真剣に向き合っていくことを実行すること。それには感情出しと光の言葉の力を貸していただくことが不可欠だと思っています。
決心して、実行して、体験して、味わって、そして成長する。自分が課題と真剣に向き合うことで、周りの人たちの成長に少しでも貢献していくこと。その経験を通して自分自身が成長して行きたいと思います。


☆ 最近はずっと不調が続いていて、自分の中で「このままでいいのかな?」とか、「全然成長していないどころか、前よりずっと後退していない?」って疑問が出てきていて、正直、セラピーに来ることの意味やくすのきに参加する資格が自分にはない気がしていました。
そんな自分の気持ちとは裏腹に、今まで全然見られなかった雲が、何筋も空一面に拡がっていたり、見上げた空に、今まさに雲を作りながら飛んでいる所を目撃したりと、現象はいろいろ起きてきていることに、さらに違和感を感じていました。
今日くすのきでは、自然現象のことをしましたが、「その人が高い波動を出せる可能性のある人だったら、相手側がレベルを下げて見せてくれる」と書いてあったので、悩むのも疑問を感じるのもすべてOKなのかなと思いました。
昔はもっと色々な事に対して素直だったと思うけど、最近は自分でもおかしいと思うくらいに感じられません。
今は苦しい時期ですけど、きっとそれを乗り越えたときに、新しい世界が見えるのかなと思います。
乗り越えたくない、進みたくない、やめたいと思って苦しくなるのは、やっぱり自分の奥に成長したい思いがあって、やめてしまったときの苦しみを潜在意識は理解しているんだと思いました。


☆ くすのきは初めての参加でした。
身近なこととして起こった自分の体調の変化の後だったので、「免疫」とは何か、の部分のついて深く理解したいと思いました。
実際には意味不明であり、波動で説明すると波動波で伝わるということでしたが、私の診断書の病名も『不明熱』でした。担当の医師は、何らかのウイルスに感染したのだろうけれども、ウイルスはたくさんありすぎて特定ができないとのことでした。
自分に何らかのエネルギー(波動?)が入ってきて、歪んでしまった結果の現象だったのか?友人の死に対して持っていた感情の波に、同調してきた波が起こした現象だったのか?

病院では光の言葉をたくさん唱えていました。

昨日、友人とれいめいに来ることができました。はじめの一歩、伝える(伝えた)役割と、それに対しての動き(友人と来れたこと)を嬉しく感じています。
文章を久しぶりに読んだので、理解力が弱くなっていたのかもしれません。
“伝える”ということについて。
自分自身にはそこまで抵抗を持っているようには感じていなかった。(というか気付いていなかった?)と思っていましたが、やはり話すときに、相手の反応や受け止め方を先に考えて、そこに共感しすぎては、同じ波動(?)←同調するだけになるのだから、そこに発見(気付き)はなかったかもしれません。
動きが起こらないことについて、今までは、相手の波や時期が来ていないのだな、と単純に思っていましたが、自分自身についても、目を向けることが足りなかったようだと気付きました。
素晴らしい事だ、愛の言葉だと自分で感じながら、人と話をすると、涙が出てくるので、少しセーブしているのかもしれません。
涙を流すのは必要なことなのでしょうか?
課題があるということなのでしょうか?
最後に質問になってしまいました。


☆ 皆さんのスピーチの中に、色々な気付きや、色々な霊的向上の行動されている内容が盛り込まれており、あらためて感動させられると共に、毎回新たな刺激を受ける事に感謝したいと思います。また、皆さんの表情に(変な表現ですが)深みが増していることに感動を覚えます。

「科学」(現代の文化)とは何か?「科学とは自然現象に理屈をつける事」と理解していますが、現代科学では解明していない領域がたくさんあることは理解できるし、一方では素晴らしい成果を残していることも事実だと思います。ただ、それが絶対的だと思い込んでいる所に無理があるわけで、言い換えれば、自分が知らないことに目をつぶってしまうところに問題があるわけで、これは日常の生活の中で大きな示唆を与えている様に見えます。

足立さん、森さんの本を改めて読んでみて、「謙虚に受け入れる事」がいかに大事であるかを再認識させられました。さらには、「実行して体験すること」が、EXA PIECOの成長につながるとのことですから、以前に足立さんの講演で聞いた「決心」「実行」を再度念頭に置いて、行動していきたいと思います。

この大きな地球変容の中、このような勉強をさせていただいている事は、恐らく大きな意味を持っていることだと思うし、『自分の役割って何だろう?』と最近よく考えます。
周囲の精神的に病んでいる人たちと接する中で、どう接すればいいのか、どう光を投げかければいいのか、との戸惑いに最近ぶつかることがあります。少しでも安らいでくれれば、と思いながら接していますが、一方では、自分の成長の機会を与えられているわけですから、与えられた機会に対して、誠意を持って対応していきたいと思います。

『自分の役割って何だろう?』早くこの解が見つかればいいと思うし、今生では見つけることができないかもしれません。でも、常にこの解を探しながら、日常の生活を過ごしていきたいと思います。
有難うございました。


☆ 今日は、目に見えない波動のお話、地球の変容のことなどを勉強させていただきました。
数年前に読んだ足立郁朗さんの本に、“すべては波動である”(だったかな・・・)のメッセージに、大きな気付きを頂いたことを思い出しました。
それまで物質を物質としてでしかとらえてなかっのですが、物質も波動なんだ、意識体であることに気付いて、人や動植物のように大事にしよう、ありがとうの気持ちをかけようと思いました。物に対する意識が変わった第一歩です。

このときは自分の手元で、大事に大事にしようでした。そして私の大事にしようは、大事に使おうではなく、大事にしまっておくでした。大事なものだからあまり使わないでおこう。大事なものだからずっととっておこう・・・。
ずっとそう思っていました。だから私の周りには、手放したくない、ずっとしまわれた物たちが増えていきました。
昨年、掃除をする実践を始めて、物に対する意識を変える学びを与えてもらいました。物を大事にすることは、しまうのではなく、使ってあげること。使ったら感謝して捨てる=転生させること。
大きな気付きでした。
しまい込まれた物たちは役目も果たせず、生殺し状態。そのエネルギーはよどんできます。私に気付かせてくれるために来てくれたたくさんの物質さんたち、本当に気付かせてくれてありがとうございます。
今ありがとうの気持ちで、一つ一つ卒業できています。
とらわれた物質も思考も
“捨てて軽くなる・捨てて捨てて軽くなる”
ありがとうございます。



2期 第2回『くすのき』感想文       2007年4月15日




※ 今日は、立花大敬さんの『禅』の文章を皆で読み回ししました。
大乗仏教について書いてある所に、"なんて端的な文章なんだろう!わかり易いなぁ"と思いました。勿論、全部が実感としてわかったわけではないのですが、「個と全体」について図でとてもわかり易く示してあり、「あー、ここ(れいめい)に来て、学んでいくことをどんどん進めていくと、こんな境涯にたどり着くのだなぁ」と想像できてよかったです。

「祓詞の解明」では、普段意味も解からずとなえていた、祓詞の意味が解かってよかったです。「深いなぁ〜、日本語ってよく出来てるよなぁ〜」と感心しました。唱えることだけでもよいことだろうけど、意味をかみ締めながら唱えると、またよいものだろうな、と思います。

今日は預ける予定だった主人に所用が出来て、子供2人を連れての参加でした。(最初は「今回は子供の面倒を見るので休みます」といったのですが、先生に「連れて来ていいよ」といわれて、大丈夫かなぁ〜?とおそるおそる連れて来ました。)初めは緊張していても、慣れるといつもどおりに元気を発揮した子供たち・・・私はこうしてくすのきに参加することが出来ました!
勿論、一人のときと同じようには行きません。でも子供たちにとってもいい経験になったと思います。「子供がいるから・・・」って全く出来ないわけじゃないのがよ〜くわかりました。
元気をふるっていた子供達をあたたかく見守って下さった、メンバーの皆さんに感謝です。ありがとうございました。


※ 今日は一緒に参加してくれた2人の天使に、笑顔の光をいただきました。ありがとうございます。
前々日から、怒りが出ていた私ですが、初めのワークも抵抗なくワクワク(ワークだけに)取り組めました。
短所も長所も大切な私。認めて、受け入れて感謝が出来てよかったです。
昔はどの私も嫌いでした。人には見せない自分の短所と、人には見せる(見られる)長所が、表と裏のようで、人前でいる自分とそうでない自分が、あまりにも反対で、どちらが本当の自分なのかがわからなくなりました。二重人格、偽善者、いろんな感情が自分を責め、卑下し、否定していました。大嫌いでした。
最近ようやく、短所の私を受け入れてあげたくなりました。そして、今日は長所の私にも感謝することを学ばせて頂きました。
今まで自分を褒めることに抵抗があったのですが、最近は、寝るときに自分のハートに手を当て、"・・・チャンは優しい子だね、かわいいね!大好きだよ、ありがとう!・・・チャン"って言って寝ています。
自分で自分に光の言葉を投げかけられるようになれて、本当に嬉しいです。ありがとうございます。


※自分とは何だろう?長所とは何だろう?短所とは何だろう?実は長所も短所も同じもので、見る方向(捉え方)の違いのように思えました。確かにイヤになる短所や、自分を責める自分がいますが、その自分がいるからこそ、長所を持った自分がいるように思えました。
ありのままの自分でいたいい。ただありのままの自分って何だろう?セッションを何度も繰り返していく中で、心の奥底に漠然とした何かがあるように思えます。様々な経験や様々な感情が入り組んだ何かです。これから少しずつ紐解いていければいいと思います。

それから今日、「個と全体」を勉強しましたが、個でありながら全体で在る感覚は難しいものがありますが、ただ最近感じている、集合意識が狂言まで広がったものが、全体である様に思えます。身近な存在と集合意識を感じれるようになることが、まずは大事なように思えます。では、集合意識を感じるとは何だろう?周りに愛をもって接する事、周りをすべて受け入れる事だと思います。

そういう意識で、この『くすのき』を見てみると、高い集合意識が形成されているように思えます。何となく感じる安堵感やボーとした感覚が、個の広がりなのかもしれません。個の感覚で日常生活を振り返ってみると、自分を守ろうとする自衛心や、恥をかきたくないといった感覚が、自分の広がりを抑えているようです。バランスを崩したヤジロベエが懸命に持ちこたえているように・・・。このリキミがどこから来るのか、自分自身を見つめてみたいと思います。

最後に、良い事が現れやすくなったと同じように、さぼっている事も、すぐ顕在化してくることが改めてわかりました。ただ、今後変化していくことを示せる良いチャンスなのかもしれません。次回までマスターしてきます。


※ 今日も皆さんの貴重な体験を聞かせていただき、本当にありがとうございました。随所に自分の足りない所、また共感できる所など感じることが出来、自分が体験しなくても、お話を聞くだけでも気付きがあり、成長させていただいていることを感じます。
今日は自分の長所と短所を見るワークでした。最初、短所ばかりが出てきて、なかなか長所がでてこなかったのですが、自分を素直に見つめ直してみると、これは良いところだよね、と認めることが出来ました。また、短所も裏を返せば長所だよね、ということもわかりました。短所も長所も自分が経験するために存在しているものであり、それを通して成長していくものであることを感じました。短所と長所のそれぞれを、左手と右手に感じて、その感覚に感謝して、自分の身体の中でその感覚を広げていくことで、元気をいただいたような感覚があります。ありがとうございます。

そして、大敬さんの言葉より、特に印象に残ったことを述べます。
「"個と全体"私とあなたの共感が、仏の座まで上昇すると、そこで二つの円がぴったりと重なって完全に共感する」という言葉です。
くしくも、今回一緒に参加していた子供たちに、この言葉の意味することを教えていただきました。
子供たちと一緒にはしゃぐ仲間の人に、「一緒に遊ぼう」と言われて、子供たちの輪の中に入ろうとしたら、子供たちが逃げていってしまう、という事が起きました。
その時、子供たちに対しては「遊んでくれなくて淋しいな」と言う気持ちが起きました。それと同時に見ていた仲間の人たちには、「仲良く遊ぶことができなったことを見られて、恥ずかしいな」と言う気持ちと、自分に対しては苛立ちを感じました。
その後、"個と全体"について学んだのですが、私の視線が子供たちと同じ視線になかった、つまり、私の意識が、子供たちと共感できる所になかったんだなという事がわかりました。
このままでは帰りたくないなぁ、よし、挽回しよう!と思って、自分も子供たちと一緒に楽しもう、と言う気持ちで子供たちと接したら、子供たちが打ち解けてくれて、一緒に遊んでくれました。
自分の中で一つハードルを越えることが出来たような気がして、嬉しくなりました。相手の立場に立つということ、相手と共感することの大切さに気付かせていただきました。私の気付きのために子供たちは『くすのき』に参加してくれたようです。
それから、祓詞。
あまり深く意味を考えずに、唱えていたような気がします。
「身の周りを整理し、それから肉体を思う気持ちをも捨て去る」
あらためて、そういう気持ちを意識して、唱えていきたいと思いました。子供たち、そして『くすのき』の皆さんに心から感謝します。ありがとうございます。


※ 前回お休みして、初の『くすのき』だったのですが、スクールのときと違って、初めてお会いする方がいらっしゃったのに、全く緊張しないで参加することが出来ました。
午前中の話は、自分に共感するところや、また、自分とは違った角度から見ている立場のお話もあり、2倍にも3倍にもなって自分が経験(体験)できる、ためになることばかりで、いつも教えてもらい目が覚める思いでした。毎度の事ながら、人の話を聞くことは多くのことを学べる機会だと思いました。

短所、長所のときは、いまだに自分自身を褒めることや、抱きしめることができない自分に気付かされ、参加者の方の「短所も長所もどの立場から見るかで、同じ事柄でも変わるんですよね〜」と言う言葉で「そのとおりだなぁ〜」と思わされました。自分を愛することも、私の課題だなぁと思いました。

また、『禅』等の話は少し言葉が難しかったのですが、感覚的には、内容を多少は理解できたと思います。「世界の中の一人」「一人がつくってゆく世界」また、言葉遊びのような祓詞の解釈の仕方はおもしろかったです。

最後に、昔は子供の声や出す音がイヤで仕方なかったのですが、今日はそれが愛しいと感じられる自分に気付いて少し驚きました。子供のパワーはやっぱりすごいです。そのことを気付かせてくれた皆さんに感謝です。
自分の子は、主人に初めて預けてちょっぴり不安もありましたが、帰ったらまず、「ありがとう」を伝えたいですし、子供を抱きしめたい気持ちになりました。


※ 久しぶりの『くすのき』再開に喜んでいたのですが、第1回目は来れずに大切な所をのがして残念でした。
ぜひもう1回、ACの所をやりたいです。
今日は自分の長所と短所のワークをしたのですが、同じものでも別の方向から見れば『長所』で、もう一方から見れば『短所』だよね・・・。とか考えていたらなかなか筆が進みませんでした。
今日はかわいい子供たちの参加もあって、にぎやかに過ごせました。
ここに来ている間に子供の面倒を見てくれているだんなさんに感謝です。
さっそく帰って「ありがとう」を言おうと思います。



2期 第1回『くすのき』感想文       2007年3月25日



※ 最近感じていることも含めて感想を述べます。
「現象ってなんだろう?」「現象とは、自分の過大を気付かせてくれる単なる舞台設定」したがって、現象を通して何を思い、何を感じ、どう行動するか!が本質であり、実相であるといった感覚です。
今日のくすのきのテーマ、【黎明】の地球生命系の部分にもまさしく、そのようなことが書かれているものと思います。
ただ一方、娘の受験を通して感じた感覚(志望校に合格して欲しい)は、やはり3次元的価値観にとらわれており、自分の気持ちの中に、大きなブレと戸惑いがあると同時に感じています。
今日の皆さんのお話を聞いていると、このような3次元的な価値観や事象に対する捉え方が、素晴らしく高い次元で捉えられていることを感じられ、大変な刺激を感じました。
一方で、3次元的価値観やこだわりがどこから来ているかを振り返ってみると、今日おこなった、父親や母親に対して思っていた事、感じていた事が大きく影響していることが認識できます。
あるときは反面教師、あるときは同調する考えもありますが、やはり親の影響は大きなものがあります。
ただ、今日思った事は
・親も同じように、その親の影響を好むと好まざるに関わらず受けてきたこと。
・決して悪意が合って子に接してきたわけではないこと。
が実感として伝わってきました。
戦後の不便な時代に育ち、個人の意志があまり尊重されない時代の人々にとって、必然的な価値観なのかもしれません。そういう意味では、真剣に子育てしてくれた両親に「感謝」「感謝」です。
自分の子育ての仕事の中に、いかに活かしていくかを常に念頭においておきたいと思います。
それから感情出しを行っているときに、自分の中に持っている「フタ」が開いたような感覚がありました。そうすると、「フタ」の奥から色々なものが溢れ出る感覚が感じられました。停止していたものが動き出したといった感覚です。大きな変化のように思えます。感情出しをうまくやるヒントかもしれません。
最後に【黎明】のくだりに「適切な指導者の所へ連れて行く段取りは指導霊が整えますが・・・」とありますが、仕事上大きな壁にぶつかったこと、同僚から名和先生を紹介してもらったこと、そしてこのように勉強していることも、大きな意味がある事と思います。全てに感謝です。
次回が楽しみです。


※【AC】
"れいめい"に来る以前から、「自分の育った環境は機能不全ではないか?」「自分はACではないか?」と思い、心理学系の本を読んだりしていました。しかし、知識は得られても何となく感じられる心の苦しさ、モヤモヤは解消することは出来ませんでした。
今回、約一年間セッションをしていただいた先生と、スクールで共に学んだ方々と一緒に【AC】というテーマに向き合った所、以前のように親に対する感情が、グルグル、ドロドロと渦巻くことなく(まだまだ感じられることはたくさんありますが)「あぁ、こういうことで苦しんでいたのは自分だけではなかったんだ。」「わかる、わかるよ、その気持ち」と 共感したりしました。こういう機会をいただいて有り難かったです。
両親に言われてきたこと対する感情出しは、父と母で対照的なイメージが面白く感じられました。両親との事は、これからも進行形で続いていくのですが、私が親と分離して、私自身の心で持って、健やかに生きていけるようよう、自分の子供もそうできるよう、今日の"くすのき"の経験を忘れずに大事にして意向と思いました。
【黎明】地球生命体
自分という地球生命体は、宇宙から見てどのような存在であるかを【黎明】から抜粋していただいた部分を皆で読み合わせ、疑問点を先生に伺いました。
ひと通り、自分でも【黎明】を読み通したつもりでしたが、字面を眺めただけで「こんな感じかなぁ〜」と好きなように想っていたところを、きちんと説明していただいたり、他の方の捉え方を伺えたりして、大変良かったです(もちろん、すべてを理解するには至っていませんが)。
あらためて、『【黎明】って深い!宇宙って面白い!』と思うと共に、自分の存在をとても頼もしく、勇気付けていただいたように感じました。
ありがとうございます。


※「ACの主要な特徴」「特徴的な心理パターン」「ACの習慣化された思考」
どれをとっても、あまりにも自分に当てはまることに戸惑ってしまいました。
それまでは、何らかのAC傾向はあるものの軽いものだと思っていましたが、常日頃、両親から言われていた言葉が、深く自分の人格形成に影響を与えていることに気付き、驚きました。
両親の良い子供であって欲しいという思いから発していた言葉が、ありのままの自分でいることを表現できなくしてしまっていたように感じます。
そして、またそれと同じ事を自分の子供にしていました。
今の自分を何とかしたい、でもできないという葛藤がいつもありました。自分はACだということは大きな気付きで、これは両親からのプレゼントかもしれません。ひとつひとつを乗り越えていったとき、魂が成長できるのだと思います。
私は、自分が持っている不安や、恐れなどACの習慣化された思考は、自分だけが抱えている問題だと思っていましたが、意外にも今日、時分たちもそう思ったりするといわれて、自分だけが特別ではないことにとても救われた思いでした。
瞑想で、父親、母親からの言葉で傷ついた自分を癒すことができ、たくさんの涙と共に洗い流せて、心がとても軽くなりました。
まだ、何度もこのことに取り組むことになると思いますが、そこにはいろいろな気付きがあると思うと楽しみです。


【AC】自分の中に見えている大きな課題。その始まりが、幼少期に祖父母に預けられたことにより、両親に愛されたい、かまって欲しいという感情。
その感情により、今に至るまでに両親だけではなく、妹たちも含めて、現象として起きている愛情を超えたかまいすぎるぐらい干渉してしまう行為。
これを解消するためには、現象として起きたことを一つ一つていねいに根気よく感情だしを繰り返していく。
そしてそのもとになった自分が愛されたい、かまって欲しい、という感情を出していく。その結果として、3次元の現象として、たくさんのカルマとしていろいろなことが起きてくるであろう。その一つ一つに前向きに取り組んでいく。さらにその結果として、今回の人生の課題を選んだ過去生が見えてくると思う。
まだまだ道のりは長いが、多くの魂の方々、守護霊の方々、指導霊の方の応援を受けながら、決してあきらめることなく、前向きに取り組んで行きたい。


※ 今までの勉強を通して、またあらためて今日'黎明'の地球生命系を読んで思ったのは
宇宙は経験を通して自分自身が成長することを選んだのだなということです。
私たち一人一人の一つ一つの経験が宇宙そのものの成長につながっていくのだなということです。一人一人すべて異なるからこそその経験が必要なんですね。
そして私たちはカルマの解消という手段をとりながら、粗い波動から精妙な波動へと進化していくその過程にあるように思います。
私たちが日々経験する出来事は現在の自分の波動に応じて起きている。それがカルマという形で現れているのですね。
私の場合は特にそれがACという形で現れているのを今日の学びを通してあらためて感じました。
見和子先生からACだといわれてはいましたが、今日勉強したACの特徴である項目のどれもが自分に当てはまるのを感じてまさしく自分がACなのだということを感じました。
特に他人から肯定され受け入れられるのを求めている。最初から最後までひとつのことをやりぬけない。本音をいえる場面でうそをつく。自分を批判する。等々
ACの家族の中にいるとそれがあたりまえでなかなかそれに気づくことができない。この勉強を通してあらためてそれに気づかせていただきました。
ありがとうございます。
今日学んだACの特徴を頭に置いて自分の行動を常にチェックしていきたいと思います。
そして起きる一つ一つの出来事をクリアしていきたいと思います。
そして最後に、どんな些細と思われる出来事もそれをおろそかにしていたのでは先へ進めない。一つ一つの出来事に真剣に取り組んでいく。
その覚悟をしたときに初めて魂のグループのかたがた、守護霊のかたの応援が得られるのだということを肝に銘じて取り組んでいきます。
気づかせていただいてありがとうございます。