2009.6.26

M・ジャクソンさん死去

米ポップス界のスーパースター、歌手のマイケル・ジャクソンさんが25日、ロサンゼルス市内の自宅で心肺停止で昏睡状態となり、市内のカリフォルニア大付属病院に運ばれた。ロス市当局は午後2時過ぎ、ジャクソンさんの死亡を確認した。50歳だった。米メディアによると同日午後零時半ごろ、ジャクソンさんの自宅から市消防局に救急搬送要請の通報があった。会見した兄のジャーメインさんによると、自宅で倒れたジャクソンさんをかかりつけの内科医が発見、救急隊とともに1時間以上心肺蘇生に努めたという。救急隊到着時には既にジャクソンさんは呼吸をしておらず、心臓麻痺を起こしたとの報道もある。米メディアによると、ロス市警当局者は、現在のところジャクソンさんの死去に事件性は無いと語った。死因は検視局が26日に解剖して調べる。
 ジャクソンさんは1958年8月、米中西部のインディアナ州生まれ。兄弟で組んだグループ「ジャクソン・ファイブ」に5歳で加わり、リードボーカルとして頭角を現した。その後はソロで活躍し、特に82年発表のアルバム「スリラー」は全世界で1億枚以上と史上最高の売り上げを記録。グラミー賞を8部門で獲得した。「ムーンウォーク」と呼ばれるダンスも話題となり、80年代の音楽シーンを席巻。「キング・オブ・ポップス」と呼ばれた。しかし最近は、児童性的虐待罪に問われるなど奇行でマスコミをにぎわせることが多く、経済的にも困窮が伝えられていた。来月にはロンドンで連続公演を予定し、芸能活動での復活を図っていた。

フォーセットさん死去 米女優

AP通信によると、米女優のファラ・フォーセットさんが25日、がんのためカリフォルニア州サンタモニカの病院で死去した、62歳だった。フォーセットさんは1970年代に日本でも放映されたテレビドラマ「チャーリーズ・エンジェル」に出演、人気を博した。2006年に肛門がんと診断され、その後肝臓にも転移が発覚。闘病生活を続けていた。今年5月には末期がんと闘う姿を追ったドキュメンタリーが米国で放映され、感動を呼んだ。今月に入り長年のパートナーだった俳優のライアン・オニールさん(68)から病床で求婚され、受け入れたばかりだった。オニールさんは「がんとの長く勇敢な闘いの末、愛するファラは逝ってしまいました」とのコメントを発表した。

2009.5.27

石本美由起さん死去 作詞家

 「憧れのハワイ航路」「悲しい酒」などのヒット曲で知られる作詞家の石本美由起(本名:石本美幸)さんが27日、死去した。85歳。広島県出身。第二次世界大戦中、歌手の東海林太郎に感銘を受け、作詞家を目指した。復員後、歌謡同人誌に投稿を続けた結果「長崎のザボン売り」が作曲家の目に留まり1948年にプロデビュー。同年、岡晴夫の「憧れのハワイ航路」が大ヒットした。日本コロムビア専属となってからは、美空ひばりさんの「港町十三番地」「悲しい酒」など人気歌手の代表作を多く手掛けた。作曲家船村徹さんとの名コンビでも知られた。83年に「矢切の渡し」、84年に「長良川艶歌」で日本レコード大賞を受賞。作詞した作品は3500曲を超えた。日本音楽著作権協会(JASRAC)の理事長を89年から94年まで務めた。84年に紫綬褒章、98年に勲三等瑞宝章を受章。

2009.5.20

瀬近美津子(よりちか・みつこ。本名:鹿内キャサリーン美津子)氏 元NHKアナウンサー

 17日、心不全のため死去、53歳。広島県出身。NHKに78年入局、ニュース番組のキャスターなどを務めた。81年にフジテレビに移籍し「小川宏ショー」などに出演。フジテレビの鹿内春雄副社長(当時)と84年に結婚、引退したが88年に死別した。NHKの音楽番組司会者として復帰。クラシックコンサートの司会も務めた。

2009.5.11

三木たかしさん死去 作曲家

 「時の流れに身をまかせ」「津軽海峡・冬景色」など多くの演歌・歌謡曲のヒットを生んだ作曲家三木たかし(本名:渡辺匡 わたなべ・ただし)さんが11日、岡山県内の病院で死去した、64歳。東京都出身。2006年に下咽頭がん手術を受け、療養していた。中学卒業後歌手を志したが作曲家に転身し、1967年デビュー。明るく伸びやかなポップスから、哀愁味のある演歌までこなす音楽性の幅広さで、70年代は売れっ子に。「ブーメランストリート」の西城秀樹さんをはじめ、アグネス・チャンさん、岩崎宏美さんらに曲を提供した。
 77年石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」が大ヒットし評価を固めた。80年代は作詞家荒木とよひささんとのコンビで、台湾の歌手テレサ・テンさんの「つぐない」「愛人」「時の流れにー」を作曲。テレサさんの日本での黄金期を築いた。
 近年は舞台音楽家としても活躍し、ミュージカル「李香蘭」など劇団四季の昭和三部作の音楽を担当。人気アニメ「アンパンマン」のテーマソングも手掛けた。代表作は他に「めだかの兄弟」「追憶」「夜桜お七」など。04年から日本作曲家協会理事長。05年紫綬褒章受章。歌手の黛ジュンさんは妹。

2009.5.3

忌野清志郎さん死去 ロック歌手

 ロックバンドRCサクセションのボーカリストとして「雨上がりの夜空に」などのヒットを放った歌手の忌野清志郎さんが2日、がん性リンパ管症のため東京都内の病院で死去した。58歳。東京都出身。2006年7月に喉頭がんと診断され、入退院を繰り返しながら治療していた。高校在学中にフォークグループとしてRCサクセションを結成し、1970年デビュー。「ぼくの好きな先生」(72年)がヒットした。
 70年代半ばからは、エレキギターを導入してロックバンドに。シンプルな言葉でつづった歌詞を泥臭く歌い上げるスタイルが受け、「トランジスタ・ラジオ」(80年)や、ソロとして坂本龍一さんと共演した「い・け・な・いルージュマジック」(82年)など、ヒットを連発した。派手な衣装とどぎついメークも親しまれた。ステージ上で「愛し合ってるかい?」と叫ぶなどとっぴなトークが人気で、社会派の論客としても活躍。88年には反原発の曲を含むアルバム「COVERS」を所属レコード会社が発売中止。急遽別会社から発売する騒ぎになった。
  RCサクセションは91年に活動休止。90年代以降は、ソロとして「パパの歌」をヒットさせたほか、演歌歌手の坂本冬美さんやジャズミュージシャンらとジャンルを越えた活動を続け、99年には「君が代」のパンクロックバージョンを発表した。

2009.4.24

ケン・アナキン氏 映画監督

 AP通信によると22日死去、94歳。家族があきらかにした。今年2月に心臓発作と脳卒中で倒れていた。ジョン・ウェインら当時の大スターが揃って「史上最大の作戦」(62年)で共同監督。故石原裕次郎さんが出演した「素晴らしきヒコーキ野郎」(65年)などの作品も残した。

2009.4.22

清水由貴子さん死亡 タレント

 21日、静岡県小山町大御神の冨士霊園で、女性が倒れて死亡しているのを職員が見つけ119番した。県警によるとタレントの清水由貴子さん(49)=東京都武蔵野市で、硫化水素による自殺を図ったとみられる。そばに母親とみられる車椅子のお年寄りがおり、病院に運ばれたが命に別状は無いという。県警などによると、清水さんは父親の墓前で倒れていた。頭の下には洗面器の入ったポリ袋があり、硫化水素が検出された。「ご迷惑をかけてすいません」などと手書きされた紙を持っていた。以前所属していた事務所によると、清水さんは2006年3月、病気がちな母親の介護のため事務所を辞めた。
 清水さんはテレビのオーディション番組「スター誕生!」で優勝し、1977年に「お元気ですか」で歌手デビューした。バラエティー番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」などに出演。ドラマや映画でも活躍した。

2009.3.31

土屋耕一氏 コピーライター

 27日、肝細胞がんのため死去、78歳。東京都出身。東京コピーライタークラブ会長を務めた。代表作にヒット曲の題名にもなった「君のひとみは10000ボルト」など。

2009.3.18

迫間健(はざま・たけし。本名:岸本敏一)氏 劇作家・演出家

 12日、老衰のため兵庫県西宮市の自宅で死去、89歳。大阪府出身。テレビ時代劇「銭形平次」「暴れん坊将軍」の脚本を手掛けた。

2009.3.2

柳瀬観(やなせ・のぞむ)氏 映画監督

 2月21日、前立腺がんのため東京都荒川区の自宅で死去、77歳。東京都出身。日活撮影所に入社し、63年に「探偵事務所23・銭と女に弱い男」で監督としてデビュー。代表作に「仲間たち」「花咲く乙女たち」など。

2008.12.25

元タレント飯島愛さん死亡

 24日元タレントの飯島愛さん(36)が東京都内のマンションの自宅で死亡しているのを知人女性が見つけ、119番した。警視庁渋谷署の調べによると、飯島さんは室内のリビングで、普段着姿でうつぶせで死んでいた。目だった外傷はなかった。渋谷署は事件性は薄く、病死か自殺とみている。25日に解剖し、詳しい死因を調べる。知人女性は、飯島さんと数日前から連絡が取れないのを不審に思って訪ね、管理人に鍵を開けてもらったという。
 飯島さんは1990年代、テレビのバラエティー番組の司会などで人気を集め、2000年に「プラトニック・セックス」を出版。自らの半生を告白した自叙伝的小説としてベストセラーになり、映画化、テレビドラマ化もされた。06年に腎臓の病気などで体調が思わしくないことを公表。昨年3月に「目標や夢が見出せず、頑張れないのなら生き残っていくことは不可能」として芸能界からの引退を発表した。

2008.11.11

デイヴ平尾(本名:平尾時宗)氏 歌手

 10日死去。63歳。横浜市出身。食道がんのため入院治療中だった。67年に「ザ・ゴールデン・カップス」のリーダー兼ボーカルとしてデビュー。本格的なリズム・アンド・ブルースを演奏するグループサウンズで「長い髪の少女」「愛する君に」「銀色のグラス」などのヒット曲を飛ばした。

2008.11.8

筑紫哲也さん死去 記者出身、TVキャスター

 テレビのニュースキャスターとして長く活躍したジャーナリストの筑紫哲也さんが7日、肺がんのため東京都中央区の聖路加国際病院で死去した。73歳。大分県出身。2007年5月にキャスターを務める番組「筑紫哲也NEWS23」でがんを告白し、闘病を続けていた。早稲田大学政治経済学部卒。1959年朝日新聞入社。政治部、米統治下の沖縄特派員を経てワシントン特派員となり、ウォーターゲイト事件などを取材した。その後「朝日ジャーナル」編集長時代には企画「新人類の旗手たち」が話題になり「新人類」は流行語となった。
 89年に退社しTBSの「筑紫哲也NEWS23」のメインキャスターに。独自の視点で論評するコーナー「多事争論」が人気で、TBSがオウム真理教幹部に坂本堤弁護士のインタビュー映像を見せた問題では「TBSは死んだに等しい」と発言、大きな反響を呼んだ。98年に当時現職のクリントン前米大統領をスタジオに招き、市民との直接対話を実現させた。
 治療のためキャスターを後藤謙次・前共同通信編集局長に譲った後も、スペシャルアンカーとして番組に時折出演した。日米関係や米軍基地問題に詳しく「総理大臣の犯罪」など著書は多い。雑誌「週刊金曜日」編集委員、立命館大客員教授も務めた。映画や音楽、演劇にも造詣が深く、番組でも文化や芸術を積極的に取り上げ、黒沢明監督や指揮者の小沢征爾さんらがゲスト出演。作曲家滝廉太郎は大伯父で、大分県竹田市の滝廉太郎記念館の名誉館長だった。

2008.8.3

赤塚不二夫(本名:赤塚藤)氏 漫画家

 2日肺炎のため東京都文京区の病院で死去、72歳。旧満州(中国東北部)生まれ。小学生のとき手塚治虫さんの「ロストワールド」に感激し、漫画家を志す。中学卒業後に上京、工場勤めをしながら漫画修行を続けた。1956年「嵐をこえて」でデビュー。東京都豊島区のアパート「トキワ荘」で石ノ森章太郎さん、藤子不二雄Aさんら漫画仲間と腕を磨いた。62年「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」が大ヒット。67年「天才バカボン」で戦後を代表する漫画家に。「シェー」「ニャロメ」などの流行語を次々に生み、独自のギャグ感覚で読者や後進に大きな影響を与えた。65年「フジオ・プロダクション」を設立、「ダメおやじ」の古谷三敏さん、「釣りバカ日誌」や本誌サンデー版連載「元気くん」の北見けんいちさんらを輩出した。「人生はギャグ」を信条に、芸能プロダクションの設立や漫画雑誌の発刊などを次々に手掛け、タレントのタモリ(森田一義)さんのデビューにもかかわった。
 97年日本漫画家協会賞文部大臣賞受賞。98年紫綬褒章受賞。2003年には東京都青梅市に自作の原画などを展示する「青梅赤塚不二夫会館」をオープン。本誌には1986年、コラム「この道」で「いま来たこの道帰りゃんせ」と題して連載した。酒豪としても知られ、98年には食道がんであることを告白。02年には脳内出血のため緊急手術を受け、入院生活を続けていた。付き切りで看護にあたっていた妻真知子さん(フジオ・プロダクション社長)が06年7月、くも膜下出血のため急死した。

2008.6.29

レイモン・ルフェーブル氏 仏ピアニスト、作曲家、指揮者

 27日パリ郊外で死去、78歳。死因不明だが長く闘病生活を送っていた。1929年フランス北部カレー生まれ。パリ音楽院卒。在学中にジャズに親しみ、56年には自らの楽団を設立した。60年代に「バラ色の恋」が米国などでヒット。次いで「シバの女王」がヒットした。70年代から90年代にかけて特に日本で人気を博し、「レイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラ」を率いてたびたび日本ツァーを行った。

2008.6.22

グレート草津(本名:草津正武=くさつまさたけ)氏 元プロレスラー

 21日多臓器不全のため死去、66歳。熊本市出身。熊本工高、八幡製鉄(現新日鉄)のラグビー部で活躍。八幡製鉄の黄金時代を担い、日本代表にも選ばれた。65年日本プロレスに入団。国際プロレスに移籍し81年に引退。昨年5月に食道がんで入院していた。元K-1選手の次男賢治さんは父のリングネームを継いでいた。

2008.6.21

神戸みゆき(本名:神戸美有紀=かんべみゆき)さん 女優

 18日心不全のため死去、24歳。神奈川県出身。ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」の3代目セーラームーンを務め、映画「バトル・ロワイヤルU」、ドラマ「仮面ライダー響鬼」、日本テレビ系バラエティー番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」をはじめ、CMや舞台など幅広いジャンルで活躍した。昨年公演の舞台「レ・ミゼラブル」でエポニーヌ役に抜擢されたが体調不良を理由に降板。以後入退院を繰り返していた。

2008.6.20

ジャン・ドラノワ氏 仏映画監督

 18日仏中部ウールエノワール県ガンビルの自宅で死去、100歳。パリ郊外のノワジルセック生まれ。俳優出身で「カサノバ」(33年)などに出演後、監督としてデビューし、劇作家ジャン・コクトーとの共作「悲恋」(43年)で有名に。「田園交響楽」(46年)でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞したほか、「メグレ警視」シリーズなど多くのヒット作を世に送り出した。

2008.6.11

水野晴郎さん 映画評論家

 「いやあ、映画って本当にいいもんですね」の決めぜりふで親しまれた水野晴郎さんが10日、肝不全のため東京都内の病院で死去した、76歳。岡山県出身。1956(昭和31)年20世紀フォックス社に入社後、日本ユナイト映画に移り宣伝総支配人として活躍。72年独立、海外映画の輸入配給などを手掛けた。「夕陽のガンマン」など多くの海外映画作品の邦題を決めたことでも知られる。映画評論家としても活躍し、同年から日本テレビ系「水曜ロードショー」(後に金曜ロードショー)の解説を97年まで務めた。
 映画「シベリア超特急」シリーズの製作、監督、脚本を手掛け自身も出演、人気を集めた。83年当時の新自由クラブから参院選に出馬したが落選した。内外の警察事情にも詳しく「世界の警察」などの著書がある。

2008.6.3

ボ・ディドリー氏 米ロック生みの親

 米ロック歌手のボ・ディドリー氏が2日心臓疾患のため南部フロリダ州の自宅で死去した、79歳。「ボ・ディドリー・ビート」といわれる独特のサウンドは黒人音楽ブルースとロックンロールをつなぐ役目を果たし、ローリング・ストーンズやブルース・スプリングスティーンら多くの音楽家にも強い影響を与えた。サングラスに黒い帽子で四角いギターを演奏するスタイルも有名。日本でもたびたび公演を行っており、ファンが多い。
 1928年ミシシッピー州生まれ。シカゴに移ってからギターを習い、十代でストリート・ミュージシャンとして活動。55年にデビュー・シングル「ボ・ディドリー/アイム・ア・マン」が大ヒット。その後も数多くのヒット曲を生み、87年にはロックの殿堂入り。昨年5月に心臓発作で倒れるまで演奏活動を続けていた。

2008.6.2

内田勝氏 ソニー・ピクチャーズエンタティメント顧問、元週間少年マガジン編集長

 5月30日肺がんのため死去、73歳。北海道出身。週間少年マガジン編集長として「巨人の星」「あしたのジョー」などの人気漫画を手掛けた。「あしたのジョー」に登場した力石徹が漫画の中で死んだ際に「告別式」を企画、話題となった。

ウガンダ トラ(本名:佐藤信一郎)氏 5月31日死去、55歳。東京都出身。グッチ裕三氏、モト冬樹氏らとコミックバンド「ビジーフォー」で活躍し、解散後はタレントとしてフジテレビ系の「オレたちひょうきん族」などに出演。最近は糖尿病などの持病が悪化、入院していた。

2008.5.27

シドニー・ポラック氏 映画監督

 「愛と哀しみの果て」「追憶」などの作品で知られる映画監督シドニー・ポラック氏が26日、米ロサンゼルスの自宅で死去した。73歳。死因は癌。1934年インディアナ州でロシア系ユダヤ人移民の両親のもとに生まれた。高校卒業後、俳優を目指しニューヨークへ。その後ハリウッドへ移り監督業に打ち込んだ。
 ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライザンド主演の「追憶」(73年)がヒットし、一躍有名に。ダスティン・ホフマンが女装役で登場するコメディー「トッツィー」(82年)でさらに名を高め、アフリカの大地を舞台にした「愛と哀しみの果て」(85年)でアカデミー賞作品賞を受賞した。

2008.5.26

大谷和夫氏 作曲・編曲家、キーボード奏者

 18日死去、61歳。東京都出身。ロックバンド「SHOGUN」のメンバーとして参加したほか、西城秀樹さんの「YOUNG MAN」や「アンパンマンのマーチ」なのの編曲を手掛けた。テレビ「火曜サスペンス劇場」の音楽を25年間担当した。

2008.5.16

塚田茂氏 放送作家

 テレビ草創期から活躍し「8時だヨ!全員集合」などのヒット番組を手掛けた塚田茂さんが、死去していることがわかった、82歳。東京都出身。1945年東宝に入社。その後日劇で舞台演出家を務めた。放送作家として「シャボン玉ホリデー」「夜のヒットスタジオ」などにかかわったほか、構成作家らの企画制作集団を設立、後進の育成に尽くした。

2008.4.17

ヘイゼル・コートさん ホラー映画女優

 15日心臓発作のため米カリフォルニア、ネバダ両州にまたがるタホー湖近くの自宅で死去、82歳。英国生まれ。50年代後半に渡米、60年代にかけて英米のホラー映画やテレビで活躍。主な主演作品に「火星から来たデビルガール」「フランケンシュタインの逆襲」などがある。

2008.4.16

オリバー・ジョンストン氏 米ウォルト・ディズニー社のアニメーター

 14日ワシントン州の老人ホームで老衰のため死去、95歳。カリフォルニア州生まれ。スタンフォード大卒業後同社入りし、「ピーター・パン」「101匹わんちゃん」「眠れる森の美女」「バンビ」などのアニメ作品を手掛けた。登場キャラクターを感情豊かに描く技術に優れ、同社創業者に「ナイン・オールドマン」と信頼された9人で最後の存命者だった。

2008.4.14

諏訪三千男氏 映画・テレビ編集者

 12日就下性肺炎のため死去、70歳。東京都出身。「喜劇・駅前漫画」「御用金」「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」などの映画や、テレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」の編集を手掛けた。

2008.4.11

下飯坂菊馬(しもいいざかきくま)氏 脚本家

 10日急性心不全のため死去、80歳。東京都出身。ドラマ「鬼平犯科帳」「華の嵐」など、テレビや映画で数多くの脚本を手掛けた。

2008.4.8

川内康範(かわうちこうはん)氏 作家

 テレビ創成期の人気番組「月光仮面」の原作者で、「おふくろさん」などの作詞でも知られる作家の川内康範さんが6日、青森県八戸市の病院で死去、88歳。北海道出身。川内さんは数日前に肺炎を患い、入院して療養していた。さまざまな職業を経て1958年に放送が始まった「月光仮面」の原作で売れっ子となり、「愛の戦士レインボーマン」「まんが日本昔ばなし」などテレビ番組、映画を手掛けた。作詞家としても活躍。主な作品に松尾和子・和田弘とマヒナスターズが歌って第2回日本レコード大賞を受賞した「誰よりも君を愛す」(60年)ほか、「伊勢佐木町ブルース」(68年)などがある。作家としても数多くの小説を残した。
 84年にはグリコ・森永事件の犯人グループ「かいじん21面相」に「1億2000万円プレゼントするからもう手を引け」と呼びかけたところ、「わしらも 月光仮面 見たで おもろかった」という返事の手紙を送られ話題となった。2007年には歌手森進一さんが「おふくろさん」の歌詞に語りを加えていたことを理由に「もう歌わせない」と表明。森さんが謝罪を申し入れる騒ぎになった。
 国民新党の亀井静香代表代行が同年の参院選用のテレビCMで、川内さんが作詞作曲した「おかあさん」を熱唱した。1992年に勲四等瑞宝章を受章した。

2008.4.7

チャールトン・ヘストン氏 米映画俳優

 映画「ベン・ハー」(1959年)でアカデミー主演男優賞を獲得した映画俳優チャールトン・ヘストン氏が5日、ロサンゼルスの自宅で死去した、84歳。死因不明。同氏は晩年、全米ライフル協会(NRA)の会長として、銃規制に反対する保守派の象徴にもなった。
 1923年10月4日、イリノイ州シカゴ郊外のエバンストンに生まれた。大学で演劇を専攻し、ラジオ番組にも出演。兵役後ニューヨークに移り、俳優を目指した。ハンサムな顔立ちで、当初は舞台やテレビドラマに職を得たが、50年代から映画で本格的に活躍し、「十戒」(56年)の預言者モーゼ役で脚光を浴びた。
 二輪戦車のレース場面で有名な「ベン・ハー」ではローマ時代に数奇な運命をたどる青年を好演。同作品はアカデミー賞を11部門で受賞した。数々の歴史人物者で映画史に残る名声を確立し、「猿の惑星」(68年)や「ソイレント・グリーン」(73年)などSF映画や、「大地震」(74年)など多彩なジャンルの映画にも進出し、新境地を切り開いた。映画俳優組合や米映画協会の会長としても尽力した。2002年にはアルツハイマー病にかかっていることを告白。03年にはブッシュ大統領から映画人生をたたえて自由勲章を贈られた。

2008.3.29

アビー・マン氏 米脚本家

 25日心不全のためカリフォルニア州ビバリーヒルズで死去、80歳。ナチス・ドイツの戦犯を裁く法廷の模様を描いた「ニュルンベルク裁判」を執筆。61年に映画化され脚本を担当、アカデミー脚色賞を獲得した。プロデューサーとしても活躍、73年にテレビ映画「刑事コジャック」を生み出した。

2008.3.27

リチャード・ウイドマーク氏 米俳優

 24日コネティカット州ロックスベリーの自宅で死去、93歳。最近、脊椎を骨折、容態が悪くなっていたという。14年ミネソタ州出身。47年、映画「死の接吻」の殺し屋役でデビュー、アカデミー賞助演男優賞候補となる。ギャングなどの悪役が持ち味の俳優として知られ、「アラモ」などの西部劇に出演。「ニュールンベルグ裁判」の検事役、テレビドラマ「刑事マディガン」の主役もこなした。印象的な風貌から日本にもファンが多く、故手塚治虫さんが自作の漫画に登場するキャラクターのモデルにしたといわれている。

2008.3.26

マイウェイ昌彦(本名:森山昌彦=もりやままさひこ)氏 タレント

 19日脳内出血のため死去、46歳。東京都出身。マジックの芸で浅草の演芸場やテレビのバラエティー番組で活躍した。

2008.3.24

イスラエル・ロペス氏 「マンボ」生みの親の一人

 22日米フロリダ州コーラルゲーブルズの病院で死去、89歳。死因は不明。「カチャーオ」の愛称で知られる。キューバの首都ハバナ生まれ。ベース奏者として10代のころから地元の交響楽団で演奏。30年代後半、兄オレステス・ロペス氏とともに、ゆったりしたリズムのダンス音楽「ダンソン」の即興演奏をする中から「マンボ」を生み出した。62年に米国に渡ってからは、故ティト・プエンテ氏ら有名なラテン・ミュージシャンと共演。04年にリリースしたアルバムはグラミー賞を受賞した。

小林紘(こばやしひろし)氏 映画プロデューサー

 22日肺がんのため死去、65歳。東京都出身。映画「竜二」「狂い咲きサンダーロード」などの製作に携わった。

2008.3.23

小沢重雄氏 俳優

 20日脳梗塞のため死去、81歳。東京都出身。「夕鶴」などの舞台、テレビドラマに出演。声優や民話の語り部としても活動した。

2008.3.19

アンソニー・ミンゲラ氏 英映画監督

 18日がん手術後の合併症のためロンドンの病院で死去、54歳。54年1月英南部ワイト島生まれ。脚本家などとして活動した後、91年に映画監督としてデビュー。96年の「イングリッシュ・ペイシェント」で米アカデミー賞の作品賞、監督賞を受賞した。このほかに「コールドマウンテン」などの作品がある。

アーサー・C・クラーク氏 SF作家

 19日スリランカで死去、90歳。長年ポリオ後症候群を患っていた。英国生まれ。少年期から宇宙への関心を抱き、1945年ころから小説を書き始めた。50年ころ小説、ノンフィクションの執筆活動を本格化。キューブリック監督との共同脚本による映画「2001年宇宙の旅」(68年)はSF映画の名作とされる。56年にスリランカ移住。2000年、英国のナイト爵位を授与された。ほかの代表作に「幼年期の終わり」「「海底牧場」「都市と星」など。

2008.3.17

田井洋子(本名:丸茂ふぢ子)さん 脚本家、元日本放送協会理事長

 13日老衰のため死去、96歳。東京都出身。TBS系「東芝日曜劇場」などのテレビドラマやラジオドラマ、舞台の脚本を数多く手掛けた。

2008.3.1

原田昌樹(まさき)氏 映画監督

 2月28日、心不全のため死去、52歳。長野県佐久市出身。テレビのウルトラマンシリーズや、裁判員制度の広報映画「審理」などを手掛けた。

2008.2.23

ロビン・ムーア氏 米作家

 21日、米ケンタッキー州の病院で死去、82歳。25年マサチューセッツ州生まれ。ニューヨークの麻薬密輸事件を取り上げた「フレンチ・コネクション」(69年)や「グリーン・ベレー」(65年)で知られ、いずれも映画化された。本名はロバート・L・ムーア・ジュニア。

山崎猛氏 俳優

 22日、呼吸不全のため死去、63歳。東京都出身。テレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」「ありがとう」などに出演した。

2008.2.22

ダン池田(本名:池田啓助)氏 バンド指揮者

 昨年12月25日、東京都内で死去、72歳。旧朝鮮・京城府(現ソウル市)生まれ。音楽バンド「ダン池田とニューブリード」の指揮者として、テレビ番組「夜のヒットスタジオ」「オールスター家族対抗歌合戦」などで活躍した。

2008.2.14

市川崑監督

 13日、肺炎のため東京都内の病院で死去、92歳。三重県伊勢市出身。少年時代に見た伊丹万作監督の「国士無双」に感動し、1933年、後に東映になる京都のJ・Oに入社、漫画映画の下絵描きに従事した。戦後東宝大争議で新東宝に移り、48年「花ひらく」で監督デビュー。しばらくはメロドラマを主に監督し、「三百六十五夜」などをヒットさせた。51年に東宝に戻った後の1作目「結婚行進曲」は、早口言葉の応酬の実験映画。53年の「プーサン」は横山泰三の原作で、知的風刺コメディーとして高く評価された。その後「こころ」など文学作品を元にシリアスドラマに挑戦。日活で「ビルマの竪琴」(56年)を撮影し、ベネチア国際映画祭でサン・ジョルジョ賞。「処刑の部屋」「炎上」「破戒」と文芸路線を歩んだ。
 一作ごとにスタイルを変え、色彩に優れた感覚で”映像の魔術師”といわれた。人工美の追求に意欲を見せ、「作りものの底を極め真実を突き当てる」ことを狙った。ドキュメンタリーで”記録か芸術か”と物議を醸した「東京オリンピック」(65年)も実験的作品だったが、空前の興行成績を挙げた。
 映画界の不況と共に自前のプロダクションを設立。ATGと提携した「股旅」などでも実験精神を燃やし続けた。夫人だった脚本家の故和田夏十さんとコンビで「恋人」から「東京オリンピック」まで26本を作った。高倉健さん主演の「四十七人の刺客」、四騎の会でともに活動した黒澤明監督らとの共同脚本を映画化した「どら平太」、岸恵子さん主演の「かあちゃん」など、長く一線で活躍。2001年「かあちゃん」でモントリオール世界映画祭功労賞を受賞。「犬神家の一族」「獄門島」など金田一耕助シリーズでも人気を集めた。テレビドラマでも才を見せ、「恋人」や「冠婚葬祭」「木枯らし紋次郎」などのヒット作品がある。30年ぶりに自らリメークした06年の「犬神家の一族」が遺作となった。

2008.2.13

ロイ・シャイダー氏 米俳優

 10日、米アーカンソー州リトルロックの病院で感染症のため死去、75歳。多発性骨髄腫と診断され闘病中だった。32年11月、ニュージャージー州オレンジ生まれ。代表作は世界的ヒット映画「ジョーズ」(75年)で、凶暴な巨大サメと闘う小島の警察署長役を演じた。71年「コールガール」と「フレンチ・コネクション」に出演、アカデミー助演男優賞にノミネートされた。79年にはボブ・フォッシー監督の自叙伝的映画「オール・ザット・ジャズ」でアカデミー主演男優賞にノミネート。78年の「ジョーズ2」にも主演した。

2008.2.6

古谷哲也氏 コンガ奏者

1月26日、肺がんのため死去、76歳。大阪市出身。日本のコンガ奏者の草分け。「ドドンパ」のリズムを考案した。アイ・ジョージさんや坂本スミ子さんのバックを務めたほか、テレビ番組「夢で逢いましょう」「ヤングおー!おー!」などに出演。「インナー・ジャラクシー・オーケストラ」のメンバーとして海外のジャズ祭でも演奏した。最近は小学校を回って音楽の楽しさを教える活動が多かった。

2008.1.23

ヒース・レジャーさん 米若手人気俳優

 22日、ニューヨーク・マンハッタンの自宅アパートで死亡しているのが見つかった、28歳。自殺の可能性が高い。米メディアによると、レジャーさんはマッサージの予約を入れた後、ベッドの上で倒れているのを家政婦が発見。遺体の周囲には大量の錠剤が散らばっていたという。レジャーさんはオーストラリアのパース出身。19歳でハリウッド入りし、2005年には映画「ブロークバック・マウンテン」で同性愛のカウボーイ役を演じ、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。「パトリオット」などの代表作もある。

2008.1.16

チコ本間(本名:本間保睦・ほんまたもつ)さん 歌謡グループ「ロス・インディオス」バンドマスター

 07年12月25日、東京都の自宅マンションからの転落事故で死去、67歳。東京都出身。62年に結成し「コモエスタ赤坂」「知りすぎたのね」「別れても好きな人」などをヒットさせた「ロス・インディオス」でバンドマスターを務めた。ラテン音楽の要素を取り入れ、アルパ(インディアン・ハープ)などの弾き手としても知られた。

2007.12.21

田中徳三監督

 20日、脳出血のため病院で死去、87歳。大阪市出身。48年、大映京都撮影所に入社。溝口健二監督「雨月物語」や黒澤明監督「羅生門」で助監督を務めた後、監督に昇進した。市川雷蔵主演の「眠狂四郎」シリーズ数作をはじめ、時代劇中心に作品を量産し、大映の黄金期を支えた。代表作はほかに「兵隊やくざ」「悪名」(いずれも勝新太郎さん主演)シリーズ。71年の大映倒産後はテレビで「必殺」シリーズや二時間ドラマなどを監督した。近年になった、大映映画時代の作品を再評価する声も高まっていた。今年11月。30数年ぶりに監督した映画「田中徳三監督 少年河内音頭取り物語」が完成。大阪市内で行われた記念上映会には、元気な姿を見せていた。 

2007.12.13

フレディ・フィールズ氏 米映画プロデューサー

 11日、肺がんのため米ビバリーヒルズの自宅で死去、84歳。リチャード・ギア主演の「アメリカン・ジゴロ」(80年)や、シルベスター・スタローン主演の「勝利への脱出」(同)のほか、「グローリー」(89年)などの映画でプロデュースを担当。米大手映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の社長も務めた。

アイク・ターナー氏 米ミュージシャン、女性歌手ティナ・ターナーの元夫

 12日、カリフォルニア州南部の自宅で死去、76歳。死因不明。ミシシッピ州出身。51年発表の「ロケット88」は、草創期にあったロック音楽で初のアルバムとも評される。妻ティナ・ターナーとコンビを組み、数々のヒット曲を生んだが、70年代に離婚。コカイン所持で逮捕されるなど不祥事でもメディアを騒がせた。91年、元妻と共にロックの殿堂入りを果たした。

2007.11.30

三沢郷氏 作曲家

 20日死去、79歳。福岡市出身。「デビルマン」「エースをねらえ!」などの人気テレビアニメ、ドラマ「サインはV」などの歌を数多く手掛けた。76年から米国に移住し、音楽活動や映画の吹き替えなどをしていた。

2007.11.27

金子正且(かねこまさかつ)氏 映画プロデューサー

 21日、肺炎のため死去、89歳。群馬県出身。89歳。小津安二郎監督「小早川家の秋」、成瀬巳喜男監督「乱れ雲」、今井正監督「あにいもうと」など多くの映画の製作を手掛けた。東京・銀座の名画座「並木座」を経営、ココハマ映画祭の審査委員長も務めた。

ケビン・ダブロー氏 米ロックバンド「クワイエット・ライオット」のボーカル

 25日、ネバダ州ラスベガスの自宅で遺体で見つかった。52歳。クワイエット・ライオットは1980年代に人気を誇ったヘビーメタルバンド。アルバム「メタル・ヘルス」がヘビメタバンドとして初めてビルボードのヒットチャート1位に輝いた。

2007.11.14

ニック岡井(本名:岡井邦彦)氏 ダンスクリエーター

 11日死去。60歳。70年代にグループでデビュー。ソウルステップの第一人者として後進の指導に当たる一方、東京都内のDJとして活躍していた。

2007.11.12

草薙幸二郎(くさなぎこうじろう、本名:幸次郎)氏 俳優

 11日、間質性肺炎のため死去、78歳。東京都出身。劇団民芸出身。冤罪事件をテーマにした今井正監督の映画「真昼の暗黒」(56年)の主演に抜擢され注目を集め、日活のアクション映画などに出演。存在感のある悪役など個性的な脇役として、舞台やテレビドラマで活躍した。出演作に時代劇「必殺シリーズ」「太陽にほえろ!」、NHK連続テレビ小説「こころ」など多数。長男仁氏も俳優。

2007.11.1

谷口千吉さん 映画監督

 10月29日、誤嚥性肺炎のため病院で死去、95歳。東京都出身。喪主は妻の女優八千草薫(本名:谷口瞳)さん。1947年黒澤明監督との共同脚本で、三船敏郎さんを起用した「銀嶺の果て」で監督デビュー。50年の「暁の脱走」では、第二次世界大戦下の中国を舞台に、兵士と慰安婦の恋愛を通して戦争の矛盾を正面から描き、話題を呼んだ。他の作品に「ジャコ万と鉄」「潮騒」「カモとねぎ」など。70年の大阪万博では公式記録映画の総監督を務め、戦後史を飾るイベントをフィルムに残した。

2007.10.24

晴乃ピーチク(本名:直井利博)氏 漫談家

 23日、肺がんのため死去、82歳。栃木県出身。漫才コンビ「晴乃ピーチク・パーチク」として活躍。コンビ解消後は似顔絵漫談で人気を集めた。

2007.10.23

山田真二(本名:常高・つねたか)氏 俳優、歌手

 15日、間質性肺炎のため死去、70歳。東京都出身。映画「夏目漱石の三四郎」に出演するなど、二枚目俳優として活躍。歌手としても「哀愁の街に霧が降る」がヒット。NHK紅白歌合戦にも出場した。

2007.10.10

旭五郎(本名:大内重昭・おおうちしげあき)氏 歌謡漫談家、東京ボーイズのリーダー

 8日、原発不明がんのため死去、63歳。福島県出身。1964年に東京ボーイズ結成。楽器演奏に物まねなどを交えた「歌謡漫談」で人気を博した。

2007.10.5

北村弘一(本名:北村一・きたむらはじむ)氏 声優

 2日、肺炎のため病院で死去、75歳。大阪府出身。アニメ「ダックテイル」のスクルージ役や、「アンパンマン」のやぎじいさん役などに出演した。

2007.10.2

末田健(すえだたけし)氏 映像ディレクター、「ドリームズ・カム・トゥルー」ボーカル吉田美和さんの夫

 9月26日、肺細胞腫瘍のため死去、33歳。ドリームズ・カム・トゥルーなど人気ミュージシャンのプロモーションビデオを手掛けた。04年吉田さんと結婚、婚姻届は出していなかった。

2007.9.26

逢坂浩司(おうさかひろし)氏 アニメーター

 24日死去、44歳。「機動武闘伝Gガンダム」「劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」など、人気アニメのキャラクターデザインや作画を手掛けた。

2007.9.24

マルセル・マルソー氏 パントマイムの神様

 22日死去、84歳。1923年フランス東部ストラスブール生まれ。いったん職人になるための学校に入ったが、幼い頃からチャプリンらにあこがれていたこともあり、演劇の道に転身。40年代半ばに演出家のシャルル・デュランの門下生となり、エティエンヌ・ドクルーの下でパントマイムを学んだ。ピエロを20世紀風にアレンジした役柄「ビップ」を創造。パリにパントマイム国際学校を創設するとともに、自らのパントマイム劇団を率いて世界各国で公演した。代表的なパントマイム劇にゴーゴリ作の「外套」など。
 歌舞伎や能など日本の伝統芸能に影響を受けたとされ、来日公演も多数。日本のパントマイムの名手で2001年に死去したマルセ太郎さんの芸名の由来ともなった。

2007.9.6

ルチアーノ・パバロッティさん テノール歌手

 6日、イタリア北部モデナの自宅で療養中死去、71歳。昨年7月にすい臓がんの摘出手術に成功したが、発熱のため先月先月モデナの病院に入院。症状が安定し自宅に戻っていた。
 1935年イタリアのモデナ出身。61年レッジョネレミリアの声楽コンクールで優勝し、同市立歌劇場で「ボエーム」のロドルフォ役を歌ってデビュー。典型的なベル・カント唱法と、輝かしく張りのある美声は「キング・オブ・ハイC(高いドの王様)」と呼ばれた。映画やテレビにも出演。プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの両氏とともに世界三大テノールとして親しまれ、世界各国でコンサートを開催。2002年には横浜市で開かれたサッカー・ワールドカップ(W杯)日韓共催大会を記念したコンサートでも共演した。
 06年のトリノ冬季五輪開会式では得意とするオペラ「トゥーランドット」のアリア「誰も寝てはならぬ」を熱唱。1971年NHK主催イタリア・オペラ公演の一員として初来日以来、日本でもアペラ公演やコンサートなどにたびたび出演した。ナゴヤドームの完成を記念した公演も行っている。

ナンシー梅木(本名:梅木美代志)さん

 8月28日、米ミズーリ州の養老施設でがんのため死去、78歳。北海道小樽市出身。70年代に引退した後の生活は近親者以外に知る人は無く、伝説的な存在となっていた。歌手を志し米軍キャンプで歌うようになったのがきっかけで、55年に渡米。テレビショーの出演が関係者の目に留まり映画界入りした。1957年の米映画「サヨナラ」では、第二次世界大戦後の日本で米兵と恋に落ち、最後に心中する悲劇的な日本人女性を演じ、アジア出身者として初めてアカデミー賞の演技部門を射止めた。現在にいたるまで同部門で受賞した唯一の日本人。その後ブロードウェー・ミュージカル「フラワー・ドラム・ソング」にも出演人気を博したが、72年にショービジネスから引退した。

2007.8.24

柳沢恭雄(やすお)氏 元日本電波ニュース社長

 23日、老衰のため死去、98歳。京都府出身。東京帝大を卒業後、NHKの前身である社団法人日本放送協会に入局。報道部で終戦時の玉音放送にかかわり、放送を阻止しようとした陸軍将校とのやりとりが映画「日本のいちばん長い日」に描かれた。50年にNHKを退職。テレビ、ラジオ用のニュースや番組を制作する日本電波ニュース社を60年に創設し、初代社長を務めた。

大貫哲義(本名:寛・ひろし)氏 脚本家、作家

 17日、脳梗塞のため死去、79歳。神奈川県出身。アニメ「エイトマン」や「火曜サスペンス劇場」「あぶない刑事」などテレビ番組の脚本家として活動する傍ら、サッカーを題材に多くのノンフィクションを発表した。

2007.8.9

奈良陽氏 元TBSアナウンサー

 8日、肝臓がんのため死去、65歳。東京都出身。77年に「おはよう700」、84年には「おはようニュース&スポーツ」など報道・情報系番組でキャスターを務めた。

2007.8.2

阿久悠(本名:深田公之・ふかだひろゆき)さん

 「勝手にしやがれ」「UFO」など、昭和の歌謡界を代表する作詞家として活躍した阿久悠氏が1日、尿管がんのため東京都内の病院で死去、70歳。兵庫県出身。1967年サラリーマンを経て「悪友」をもじった「阿久悠」の名で作詞家デビュー。尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」、山本リンダさんの「どうにもとまらない」、森昌子さんの「せんせい」、都はるみさんの「北の宿から」などポップスから演歌まで、幅広くヒット曲を生み出した。特に70年代半ばからは沢田研二さんとのコンビなどで「時の過ぎゆくままに」などのヒット曲を連発。オーディション番組の審査員としてピンク・レディーや山口百恵さん、桜田淳子さんを発掘、歌謡曲の全盛期を築いた。手がけたのは5000曲以上におよび、日本レコード大賞や古賀政男記念音楽大賞などを受賞した。
 作詞やエッセーのほかに小説も手がけ、淡路島で育った体験をもとにした「瀬戸内少年野球団」(直木賞候補)は映画化もされた。多年にわたる作詞家活動で97年菊池寛賞、99年に紫綬褒章。2005年には作詞活動40年の集大成としてCD5枚組ボックス「人間万葉歌〜阿久悠作詞集」(全108曲)を発表した。2004年1月から2006年9月まで本誌(中日新聞)朝刊生活面で、「歌謡歳時記」を連載した。

2007.8.1

アントニオーニ氏 イタリアの監督

 現代人の孤独や絶望感を描いた「太陽はひとりぽっち」や「赤い砂漠」で知られる、イタリアの映画監督ミケランジェロ・アントニオーニ氏が30日、ローマの自宅で死去した、94歳。死因は不明。ボローニャ大卒業後、ロッセリーニやビスコンティといった名監督の下でシナリオを執筆。1950年に「愛と殺意」で監督デビューした。60年の「情事」で人間にとっての愛の不毛や存在の不確かさをとらえ、以降もこのテーマを掘り下げる作品群を発表した。特にカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受けたアラン・ドロン主演作「太陽はひとりぽっち」(62年)や、米アカデミー賞の監督、脚本賞にノミネートされた「欲望」(66年)で名声を高め、フェリーニ、パゾリーニ両監督とともにイタリア映画を支えた。ベルリン、ベネチア、カンヌの世界三大映画祭で最高賞を獲得したことでも知られる。80歳を超えても「愛のめぐりあい」(95年)を手がけ、95年度米アカデミー賞の名誉賞を受賞した。代表作はほかに「さすらい」「砂丘」「ある女の存在証明」など。

柾木卓(本名:鈴木正二)氏 タレント、名古屋放送芸能家協議会副理事長

 31日、直腸がんのため死去、68歳。愛知県岡崎市出身。NHK「中学生日記」「君の名は」などドラマの脇役や、東海テレビの幼児向け番組「すくすくぽん!」で大魔王の声を演じた。

2007.7.31

ベルイマン氏

 スウェーデンからの報道によると、同国の世界的な映画監督、イングマール・ベルイマン氏が30日死去した、89歳だった。老衰とみられる。複雑な心理描写と斬新な手法が国際的に高く評価され、黒澤明、イタリアのフェリーニ両監督らと並び称される巨匠。1946年に「危機」で映画監督としてデビュー。57年の「野いちご」でベルリン映画祭金熊賞を受賞、2003年に引退するまでに50を超える作品を手がけた。「処女の泉」(60年)、「ファニーとアレクサンドル」(82年)など3作品でアカデミー賞外国語映画賞も受賞した。ベルイマン氏はスウェーデンのウプサラ出身。晩年は主に舞台演劇の演出、脚本家として活躍した。

2007.7.30

カール・ゴッチ(本名:カール・イスタズ)氏

 ”プロレスの神様”として知られ、日本のプロレス界に貢献したカール・ゴッチ氏が死去したことが30日わかった。日本のプロレス関係者によると28日、米フロリダ州タンパの自宅で死去、82歳。死因は不明。1961年に来日しジャーマン・スープレックス・ホールドなどの荒技を披露。引退後はコーチとして日本に滞在し、アントニオ猪木、藤波辰爾らを指導した。新日本プロレス、UWFなどで若手育成に寄与し、最後は無我ワールドの名誉顧問を務めていた。

2007.7.16

鏡味次郎(本名:川崎治良・はるよし)氏 曲芸師、落語芸術協会参与

 15日、多臓器不全のため死去、74歳。東京都出身。曲芸コンビ「キャンデーブラザース」で活躍。

2007.7.15

谷川明美さん 東海ラジオアナウンサー

 14日、乳がんのため死去、40歳。名古屋市出身。朝のワイド番組「小島一宏モーニングあいランド」などに出演していた。

2007.7.13

西山千(せん)氏 同時通訳者

 2日、老衰のため死去、95歳。米国生まれ。日系2世として生まれ米ユタ大学卒業後、日本国籍を取得。同時通訳の草分け的存在として活躍した。69年のアポロ11号月面着陸のテレビ中継で「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな躍進だ」というアームストロング船長の言葉や、「こちらヒューストン」などの交信を通訳し話題になった。ソニー顧問や日本翻訳家協会会長を務めた。日本ペンクラブ名誉会員。著書に「誤解と理解」「英語のでこぼこ道」などがある。

2007.7.2

エドワード・ヤン(楊徳昌)氏 台湾の映画監督

 6月29日、結腸がん併発症のため米カリフォルニア州で死去、59歳。中国上海市生まれ。台湾の交通大学を卒業後、米国留学。台湾映画「クーリンチェ少年殺人事件」(1991年)を監督。イッセー尾形さんが主演した「ヤンヤン夏の想い出」(2000年)でカンヌ映画祭の監督賞。侯孝賢監督らと並ぶ台湾映画界のニューウェーブの旗手だった。

2007.6.30

中江真司(本名:佐藤良孝=さとう・よしたか)氏 ナレーター・声優

 28日、肝細胞がんのため死去、72歳。告別式は7月2日午前11時、東京都出身。 「仮面ライダー」シリーズや「トリビアの泉」、ドラマ「特捜最前線」などのテレビ番組でナレーションを担当した。

2007.6.26

谷幹一(本名:西村昌明=にしむらまさあき)氏 俳優・コメディアン

 25日、脳出血のため死去、74歳。東京都出身。高校中退後、コメディアンの修業を始め、1950年代から浅草・フランス座で渥美清さん、関敬六さんとトリオを組んで活動。テレビ草創期のドラマ「月光仮面」におっちょこちょいの探偵助手役で出演し、笑いをとった。他のテレビ出演作に「どてらい男」「あかんたれ」など、映画では「男はつらいよ・夜霧にむせぶ寅次郎」などがある。

2007.6.4

羽田健太郎さん 作編曲家・ピアニスト

 テレビの題名のない音楽会21」の司会で知られる羽田健太郎氏が2日、肝細胞がんのため東京都内の病院で死去した、58歳。東京都出身。桐朋学園大在学中から頭角を現し、卒業と同時にスタジオミュージシャンとして歌謡曲やポップスのレコーディングに参加した。テレビドラマや映画のテーマ曲も手掛け、代表作にドラマ「渡る世間は鬼ばかり」やアニメ「超時空要塞マクロス」、映画「復活の日」などがある。
 「ニュースステーション」などテレビ番組の出演も多く、2000年4月から「題名のない音楽会21」の司会を務めていた。またクラシックの演奏にも力を入れ、近年は指揮者としても活躍した。体調を崩し5月中旬から入院していたという。
 「ハネケン」の愛称で親しまれた羽田氏は昨年、音楽生活35周年を迎え、クラシック音楽のピアノ演奏に本腰を入れていた。名古屋では昨年4月15日、名古屋市民会館で西本智実さん指揮の名古屋フィルハーモニー交響楽団と、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第二番」を共演。同年12月6日、同市中区のしらかわホールで若手と組んだピアノ三重奏の「トリオ・アパッショナート」に出演したのが最後の名古屋公演となった。

2007.6.2

石立鉄男氏 俳優

 1日、急性動脈りゅうのため静岡県熱海市の自宅で死去、64歳。神奈川県出身。70年、コメディードラマ「おくさまは18歳」で人気を獲得、72年の「パパと呼ばないで」では、当時人気子役だった杉田かおるさんとのコンビが大人気になり、石立さんのせりふ「チー坊」は話題となった。独特の口調とアフロヘアで親しまれ、「噂の刑事トミーと松」「スチュワーデス物語」などテレビドラマのほか、映画や舞台でも活躍。68年5月、中日劇場での文学座公演「美しきものの伝説」にも出演した。

2007.5.28

坂井泉水さん転落死

 ヒット曲「負けないで」などで知られる人気ポップスグループZARDの坂井泉水(本名:蒲池幸子)さん(40歳)が東京都新宿区の慶応大病院の非常階段から転落、27日午後3時10分、脳挫傷のため死去したと所属事務所が28日発表した。警視庁四谷署と所属事務所によると、坂井さんは昨年6月から子宮頸がんのため闘病生活を送っていたが、肺への転移が見つかり、今年4月に再入院していた。26日早朝、慶応大病院の非常階段の3メートルの高さから転落、後頭部を強打した。同署は事故と自殺の両面で調べている。所属事務所は転落の原因について「日課の散歩から病室に戻る途中、前日の雨により踊り場で足を滑らせた」としている。
 坂井さんは神奈川県出身。1991年、ZARDのボーカルとしてデビュー。94年の選抜高校野球開会式の入場行進曲にもなった「負けないで」でスターに。作詞も担当し、作曲家織田哲郎さんとのコンビで「揺れる想い」「この愛に泳ぎ疲れても」「マイフレンド」などヒットを連発した。さわやかな歌声と親しみやすく印象的なイントロとメロディーで人気を集めた。DEENやWANDSなど同じ所属レコード会社のグループとともに「ビーイング系」と呼ばれ、90年代を代表するグループのひとつだった。

2007.5.19

塩沢とき(本名:登代路=とよじ)さん 女優・タレント

 映画やテレビで個性的なわき役として活躍した、女優でタレントの塩沢ときさんが17日、胃がんのため東京都内の病院で死去、79歳。東京都出身。1947年東宝ニューフェースに選ばれ芸能界入り。映画、テレビドラマ、舞台で、コミカルでくせのある役を多く演じた。トーク番組では奇抜なヘアスタイルと大きな眼鏡、過激な発言で人気者となった。舌がん、2度の乳がん手術などを明らかにし、闘病生活を送りながら活動を続けていた。

2007.5.16

はな寛太(本名:西村一文=にしむらかずふみ)氏 漫才師

 15日、食道がんのため死去、61歳。兵庫県出身。60年に松竹新喜劇に入門し、藤山寛美の門下生に。漫才コンビ「はな寛太・いま寛太」で活躍。いま寛太の「ちょっとまってね」のギャグに、鋭い突っ込みを入れる芸風で人気を集めた。

2007.5.7

北村和夫氏 俳優

 6日、肺炎による呼吸不全のため東京都内の病院で死去、80歳。東京都出身。早大文学部を卒業し文学座入り。53年「欲望という名の電車」のスタンレー役に抜擢され、「女の一生」の栄二役で注目された。長年にわたって故杉村春子さんの相手役を務めた。テレビ、映画出演も多く、テレビでは「太閤記」「おしん」「ちゅらさん」など。映画では小学校以来の親友だった故今村昌平監督の「にっぽん昆虫記」「黒い雨」などに出演。男ぽさの中にのぞかせる、とぼけた雰囲気が持ち味だった。長男北村有起哉さんと長女北村由里さんはともに俳優。97年から日本新劇俳優協会会長。
 北村さんは名古屋地方の劇場にもしばしば出演した。文学座の公演では名古屋・中日劇場や名古屋演劇鑑賞会で故杉村春子さんの代表作「女の一生」など十数本に出た。2000年には中日劇場の「祇園の姉妹」に出演し、商業演劇の分野でも手堅い演技で活躍した。また名古屋地方の「劇塾」など若い演劇者の指導にもあたり、後進の育成にも尽した。

池宮彰一郎(本名:池上金男=いけがみかねお)さん 作家

 「四十七人の刺客」などの時代小説で知られる作家で脚本家の池宮彰一郎さんが6日、肺がんのため東京都内の自宅で死去した、83歳。東京都出身。静岡県立沼津商卒。1952年に脚本家として独立し、映画「十三人の刺客」「大殺陣」、テレビドラマ「必殺仕掛人」などのシナリオを本名で執筆した。92年、忠臣蔵を題材にした時代小説「四十七人の刺客」で69歳の時に作家デビュー。誰もが知る仇討を合戦として描いた斬新さが高く評価されて、新田次郎文学賞を受賞、高倉健さん主演で映画化もされた。その後「高杉晋作」「本能寺」など、歴史上の有名人や事件を題材にした作品で人気を集めたが、柴田錬三郎賞を受賞した「島津奔(はし)る」と、「遁(に)げろ家康」に司馬遼太郎さんの作品と類似した記述があると指摘され、絶版・自主回収となった。

阿知波信介(本名信雄=のぶお)氏 アクターズプロモーション社長・元俳優

 4日死去、67歳。島根県出身。テレビ番組「ウルトラセブン」にソガ隊員役で出演。俳優多岐川裕美さんと結婚、離婚した。アクターズプロモーションなどによると、鹿児島県霧島市の犬飼滝で4日、遺体で発見された。以前から高血圧治療などを苦にしており、自殺の可能性が高いという。

2007.5.1

小林利雄氏 アドギア顧問、日本初のテレビ映画「月光仮面」製作者

 4月29日、腎不全のため死去、86歳。静岡市出身。アドギアの前身である広告会社宣弘社の社長として戦後、ネオンサインを中心に屋外広告の第一人者として活躍。テレビ草創期に「月光仮面」を企画制作したことでも知られ、その後も「怪傑ハリマオ」「隠密剣士」「光速エスパー」「シルバー仮面」などのヒーローものや、アニメ「サザエさん」など人気番組を世に出した。

2007.4.30

映画、テレビ「スタートレック」シリーズの宇宙船機関長役で親しまれ2005年に死去した、米SF俳優のジェームズ・ドゥーアン氏の遺灰を乗せたロケットを、宇宙空間に打ち上げる「宇宙葬」が28日、ニューメキシコ州で行われた。宇宙葬を実施した民間の宇宙サービス会社「UPエアロスペース」によると、ロケットにはドゥーアン氏のほか約200人分の遺灰が積み込まれ、打ち上げは成功。現幕では「エンタープライズ号」で宇宙空間を縦横無尽に旅したドゥーアン氏は、初めての宇宙旅行で永遠の眠りについた。1997年に始まった宇宙葬は複数の民間会社が事業化しており、日本人を含む多数の人々の遺灰が打ち上げられている。ドゥーアン氏は05年7月、ワシントン州で85歳で死去した。

2007.4.17

大久保怜(本名:捨次=すてつぐ)氏 タレント

 2月12日、慢性腎不全のため死去、86歳。横浜市出身。51年から民放ラジオに出演し、多くの演芸・音楽番組で司会を担当して人気を得た。60年にスタートした毎日放送の長寿番組「素人名人会」では審査員を40年間務めた。2000年に芸能界を引退。タレントの大村崑さんは一番弟子。

2007.4.14

バリー・ネルソン氏 米俳優

 ペンシルベニア州を旅行中の7日、死去。89歳。死因は不明。40年代に活躍し、ホラー映画「シャイニング」(80年)などに出演。スパイ映画007シリーズはショーン・コネリーがジェームズ・ボンド役を演じた初代だが、それ以前の54年、米テレビドラマで既にボンド役を演じていた。

2007.4.10

村上冬樹(本名:済州=さいしゅう)氏 俳優

 5日、胃がんのため死去、95歳。福岡県出身。「ゴジラ」「シコふんじゃった」などの映画でわき役として活躍。「大地の子」「マイ★ボスマイ★ヒーロー」などのテレビドラマ、舞台に多数出演した。

2007.4.7

ルイジ・コメンチーニ氏 イタリアの映画監督

 6日までに死去、90歳。戦後イタリア映画を代表する映画監督の一人。代表作はジーナ・ロロブリジーダ、ビットリオ・デ・シーカが共演した「パンと恋と夢」(1953年)。ほかに「ブーベの恋人」「天使の詩」。ピノキオの映画化など、子供の世界を描く映画でも知られた。

2007.3.28

植木等さん

 映画「無責任」シリーズなどの軽妙な演技で高度成長期の大衆の気分を体現した、コメディアンで俳優の植木等さんが27日、呼吸不全のため東京都内の病院で死去した、80歳。三重県宮川村(現大台町)出身。植木さんは今年1月から食欲不振などを訴え、入退院を繰り返していたが、3月中旬から病状が悪化したという。
 浄土真宗の寺に生まれ、父親の後を継ぐため上京。僧侶の修行をしていたが、東洋大在学中に歌手を志して音楽活動を始め、1947年にNHKラジオ「お昼の軽音楽」でデビューした。57年からハナ肇さん率いる「クレージーキャッツ」のメンバーとして活躍。61年に「チョイト一杯のつもりで飲んで〜」の歌いだしで愛された、青島幸男さん作詞の「スーダラ節」がヒットし国民的人気者に。翌年の「ニッポン無責任時代」に始まる東宝映画「無責任」シリーズなどでブームを巻き起こした。
 テレビでは72年まで11年間続いたバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」などで、「お呼びでない?!」を始め多くの流行語を生んだ。50歳で主演した北条秀作の舞台「王将」で新境地を開き、性格俳優としても活躍。名古屋・中日劇場では96年の「名古屋嫁入り物語」を皮切りに、「嫁入り物語シリーズ」で花嫁の父を味わい深く演じた。93年に紫綬褒章、99年勲四等旭日小綬賞を受賞した。

2007.3.19

船越英二(本名:船越栄二郎)さん 俳優

 映画、テレビドラマで活躍した俳優の船越英二さんが17日夜、脳梗塞のため静岡県内の病院で死去した、84歳。東京都出身。戦後大映に入り、1959(昭和34)年の映画「野火」で認められ、「夜の蝶」など約200本に出演。70年代からテレビドラマに進出、「時間ですよ」などに出て親しまれた。妻は元女優の長谷川裕見子さん。長男は俳優の船越英一郎さん。

2007.3.15

ギャレス・ハント氏 英俳優

 14日、ロンドン南部の自宅で死去、65歳。2年前にすい臓癌と診断され闘病生活を続けていた。主演した英国の人気テレビスパイシリーズ「アベンジャーズ」が、1998年に同名で映画化された。同テレビシリーズは、日本では「おしゃれ丸秘探偵」などの題名で一部が放映された。

2007.3.14

鈴木ヒロミツさん 歌手、俳優

 歌手やドラマの脇役などとして活躍した俳優の鈴木ヒロミツさんが14日、肝細胞がんのため東京都内の病院で死去した、60歳。東京都出身。1967年、グループサウンズ「モップス」のボーカルとしてデビュー。「たどりついたらいつも雨ふり」「気らくにいこう」などのヒット曲を出した。その後俳優に転身。「夜明けの刑事」などのテレビドラマや、映画などの脇役として多数出演したほか、歌番組「レッツゴーヤング」の司会などで幅広く活躍した。

2007.3.9

小林恭治氏 声優、ナレーター

 8日、くも膜下出血のため死去、75歳。東京都出身。外国テレビドラマ、アニメの吹き替え、ナレーターとして活躍。アニメ「おそ松くん」で「イヤミ」の声を担当し、決り文句の「シェー」は流行語に。NHK人形劇の「ひょっこりひょうたん島」では「マシンガン・ダンディ」を担当。独特な渋味のある声を持ち味とした。ほかに「ローハイド」「巨人の星」など。

2007.2.28

高松英郎(本名:武市哲郎)氏 俳優

 26日午前、心筋梗塞のため死去、77歳。高知県出身。51年、大映にニューフェイスとして入社。その後テレビに活動の場を移し、69年からのドラマ「柔道一直線」では、主人公に柔道を教える厳格な師匠役で人気を集めた。NHK連続テレビ小説「空のじゅうたん」や、大河ドラマ「八代将軍吉宗」などに出演、渋味のある脇役として活躍した。88年に米アカデミー賞の作品賞などを受賞した「ラストエンペラー」には軍人役で出演した。

2007.2.23

フォンス・ラデメーカーズ氏 オランダの映画監督

 22日死去、86歳。肺疾患のためジュネーブの病院で治療を受けていた。俳優デビュー後に映画監督となり、58年の初監督作品「川の村」でオランダ人監督として初めてアカデミー外国語映画賞にノミネート。86年に「追想のかなた」でオスカーを獲得した。

岸本吟一氏 映画プロデューサー、川柳作家

 22日、肺がんのため死去、86歳。大阪市出身。独立プロ・東京フィルムを設立し「大江戸五人男」などの映画や、テレビ映画「白い滑走路」などを手掛けた。川柳文芸誌「番傘」の主幹も務めた。

2007.2.21

ジャネット・ブレアさん 米女優

 19日、肺炎による合併症で死去、85歳。1921年、ペンシルペニア州生まれ。コメディー映画などに出演した後、舞台女優に転身、劇場ミュージカル「南太平洋」に1200回以上出演した。その後は舞台とテレビを中心に活躍、70年代にはテレビシリーズ「ザ・スミス・ファミリー」で人気俳優ヘンリー・フォンダ氏の妻を演じた。

2007.2.11

韓国女優チョン・ダビンさん

 韓国の人気女優チョン・ダビン(本名チョン・ヘソン)さんがソウル市内の交際相手の男性宅で、タオルで首を吊って死んでいるのが10日朝見つかった。26歳。韓国では先月、歌手ユニさんが自殺したばかりで韓国メディアは芸能界の動揺を伝えている。チョンさんは日本でも放送された主演ドラマ「屋根部屋のネコ」で一躍人気女優となり、男性俳優ソン・スンホンさんとも映画で共演した。聯合ニュースによるとチョンさんは9日早朝、自分のホームページに「混乱して死にそう」などと綴っていた。

2007.2.6

ぼやき漫才の相方生恵幸子(いくえさちこ、本名:赤田松子)さん

 ぼやき漫才の第一人者として知られた故人生幸朗(じんせいこうろう)さんの相方でタレントの生恵幸子さんが5日、脳出血の後遺症のため大阪市内の病院で死去した、83歳。大阪市出身。1954年、人生幸朗さんとコンビを結成。幸朗さんが故並木路子さんの「リンゴの唄」を始め当時のヒット曲の歌詞や世相に文句をつけ、生恵さんがつっこむ「ぼやき漫才」のスタイルで人気を得た。漫才のクライマックスで幸朗さんが「責任者出て来い!」とけちをつけると、生恵さんは「ほんまに出て来はったらどないすんのん」と応じて存在感を示した。

2007.1.15

アリス・コルトレーンさん 米ジャズ音楽家、サックス奏者故ジョン・コルトレーン氏の妻

 12日、呼吸器不全のためカリフォルニア州南部の病院で死去、69歳。1937年デトロイト生まれ。7歳でクラシックピアノを習い、パリでジャズピアノを学んだ後、ニューヨークで音楽家として活動中にジョン・コルトレーン氏と出会い結婚。60年代に同氏とともに日本など各地で公演した。67年にコルトレーン氏が死去した後も音楽活動を継続。70年代以降はインド文化に傾倒し、ロサンゼルス郊外の山地に瞑想センターを設立するなど精神世界の価値を追求した。2004年には26年ぶりの新作「トランスリニア・ライト」を発表し話題を集めた。

マイケル・ブレッカー氏 米ジャズ・テナーサックス奏者

 13日、白血病のためニューヨークで死去、57歳。1949年ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。トランペット奏者の兄ランディとバンド「ブレッカー・ブラザーズ」を、ベース奏者エディ・ゴメスらと「ステップス・アヘッド」を結成。ピアノ奏者ハービー・ハンコックやギター奏者パット・メセニーら著名ミュージシャンと数多くのレコードを製作し、グラミー賞を11回受賞した。同氏が所属するユニバーサルミュージックによると、70年代に初来日して以来、40回以上の来日公演を行い、多くの日本人アーティストとも競演した。

2007.1.11

安藤睦夫氏 作曲家

 9日、急性肺炎のため死去、82歳。岩手県出身。1941年に「北上夜曲」を作曲。61年ごろ「和田弘とマヒナスターズ」などが歌いヒットした。

カルロ・ポンティ氏 イタリアの映画プロデューサー、女優ソフィア・ローレンさんの夫

 9日、スイス・ジュネーブの病院で死去、94歳。フェデリコ・フェリーニ監督の「道」をはじめ「鉄道員」(ピエトロ・ジェルミ監督)、「ドクトル・ジバゴ」(デビッド・リーン監督)など140本余の映画をプロデュースした。

2007.1.10

イワオ・タカモト氏 米日系2世のアニメーション作家

 8日、心不全のためロサンゼルスの病院で死去、81歳。1925年ロサンゼルス生まれ。高校卒業後、第2次世界大戦のためカリフォルニア州内の日系人強制収容所に入れられた。収容所内で別の日系人からイラストを学び、戦後ディズニーのスタジオで「シンデレラ」や「ピーター・パン」の製作にかかわった後、61年、米アニメ作家で昨年12月に死去したジョゼフ・バーバラ氏が運営するスタジオに入った。映画やテレビで人気となった「スクービー・ドゥー」で主人公の犬をデザインしたほか、「フリントストーン」など多くのアニメでキャラクターを製作した。アニメ「シャーロットのおくりもの」を監督したことでも知られる。

内藤 昭(あきら)氏 映画美術監督

 8日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)のため死去、79歳。京都市出身。映画の眠狂四郎シリーズや座頭市シリーズ、「悪名」「泥の河」などで美術を手掛けた。

2006.12.26

ジェームス・ブラウン氏 米ソウル歌手

 「セックス・マシーン」などのヒット曲で知られる米ソウルミュージック界の大御所歌手ジェームス・ブラウン氏が25日、ジョージア州アトランタの病院で死去、73歳(年齢には諸説がある)。肺炎のため24日から入院していた。激しいステップをとりながら力強く歌う姿はミック・ジャガーさんやマイケル・ジャクソンさんらにも大きな影響を与え「ソウル界のゴッドファーザー」と呼ばれた。精力的なコンサート活動を続け「ショービジネス界一の働き者」の愛称も。麻薬などで訴追され、服役したこともある。AP通信などによると1933年、サウスカロライナ州生まれ。「プリーズ・プリーズ・プリーズ」「アウト・オブ・サイト」などのヒット曲で知られる。92年グラミー賞の生涯功労賞を受賞した。
 日本では2003年「セックス・マシーン」の歌詞の一部を題名にしてジェームス・ブラウン氏を取り上げた、西田敏行さん主演の映画「ゲロッパ!」(井筒和幸監督)が上映された。

2006.12.21

岸田今日子さん 個性派女優

 映画「砂の女」や、アニメ「ムーミン」の声などで知られ、演劇でも活躍した個性派女優の岸田今日子さんが17日、脳腫瘍による呼吸不全のため東京都内の病院で死去、76歳。東京都出身。父は劇作家で文学座創立者の一人である故岸田国士。1950年に初舞台に立ち、文学座で「サロメ」などに出演した後脱退、劇団雲を経て演劇集団円の創立に参加した。主な舞台に「今日子」「更地」「ブラインド・タッチ」など。「こどもステージ」を始め、劇作家別役実さんの作品に数多く主演。ミステリアスな雰囲気で喜劇からシリアスな役まで幅広く演じた。
 安部公房原作、勅使河原宏監督「砂の女」(64年)で、昆虫採集に来た男を砂の世界へ引きずり込む女の役を演じ、海外でも高い評価を受けた。映画「破戒」「八つ墓村」や、テレビドラマ「傷だらけの天使」でも独特の存在感を示した。60年代から「ムーミン」の主人公の声や、ドラマ「大奥」のナレーションを務めるなど、独特の声質と語り口で人気を集めた。名古屋の中日劇場にも登場し、1972年10月に劇団雲の「マクベス」でマクベス夫人役、74年9月に同劇団の「十二夜」でオリヴィア役を務めた。著書「妄想の森」で98年、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞するなど執筆活動でも知られた。姉は詩人の岸田衿子さん。

中島忠幸さん お笑いタレント

 20日、急性リンパ球白血病による肺炎のため死去、35歳。福岡県出身。竹山隆範さんと92年に結成したお笑いコンビ「カンニング」で活躍したが、2004年末から闘病生活を続けていた。

2006.12.20

青島幸男氏 前都知事、テレビで活躍

 前東京都知事で参院議員を務めた作家でタレントの青島幸男氏が20日、骨髄異形成症候群のため都内の病院で死去、74歳。1934年東京日本橋生まれ。仕出し弁当店の二男として育った。早稲田大商学部卒、同大学院中退後、フジテレビ系の「大人の漫画」で放送作家としてデビューし、日本テレビ系の「シャボン玉ホリデー」などの台本を執筆。「青島だぁ」などの流行語を生み出した。植木等が歌った「スーダラ節」「無責任一代男」などの作詞も手掛けた。67年日本テレビ系「意地悪ばあさん」に主演し、茶の間の人気者となった。68年には参院全国区に出馬し、2位で初当選した。
 81年に小説「人間万事塞翁が丙午(ひのえうま)」で直木賞を受賞。89年参院議員を辞職した。同年7月比例代表で再出馬したが落選。91年悪性リンパ腫と診断されて手術を受けたが、92年参院比例代表で5回目の当選を果たした。95年4月の東京都知事戦では、170万票余りを獲得し初当選。政党の支援は一切受けず、自民党など五党が推した石原信雄元官房副長官らを破り、「無党派旋風」と話題を呼んだ。同年5月には公約通り世界都市博覧会の中止を決定。「リサイクルの青島」を掲げてごみの減量化などに尽力した。99年の知事選では出馬が確実視されていたが、告示の1か月半前に「なすべきことはした」として、立候補しないことを表明した。都知事が一期のみで退任したのは、これまでで青島氏だけ。2001年と04年の参院選にも出馬したが落選した。その後タレント活動を続けていたが、今夏には風邪をこじらせ体調を崩し、療養していた。参院議員当時は「佐藤栄作首相は財界のちょうちん持ち、男めかけだ」と本人を前に言ってのけるなど歯に衣着せぬ発言で知られた。

2006.12.19

ジョゼフ・バーバラ氏 トムとジェリー製作

 「トムとジェリー」など子供に人気のアニメキャラクターを作り出した米アニメーション作家、ジョゼフ・バーバラ氏が18日、ロサンゼルス郊外の自宅で死去、95歳。老衰とみられるが、詳しい死因は不明。1911年ニューヨーク生まれ。銀行勤務などを経て、アニメーション作家として30年代に映画会社MGMに採用された。故ウイリアム・ハンナ氏(2001年死去)とコンビを組み、「トムとジェリー」「スクービー・ドゥー」「フリントストーン」などのアニメーションを製作した。「トムとジェリー」シリーズはアカデミー賞の短編アニメ部門を度々受賞。「フリントストーン」は1994年に実写版で映画化された。

2006.12.12

ジョージア・ギブスさん 米歌手

 9日、白血病による合併症のためニューヨークの病院で死去、87歳。1919年マサチューセッツ州生まれ。10代の時からボストンで歌い始め、52年には「キッス・オブ・ファイヤー」が大ヒットした。ポップ、バラード、カントリーなど幅広いジャンルの音楽をこなし、ヒット曲を紹介する50年代のラジオ・テレビ番組「ヒットパレード」への出演で知られる。

2006.12.1

宮内国郎(みやうちくにお)氏 作曲家

 11月27日、大腸がんのため死去、74歳。東京都出身。代表作に人気テレビ番組「ウルトラマン」「ウルトラQ」のテーマ曲など。

2006.11.30

実相寺昭雄(じっそうじあきお)氏 映画監督

 テレビの「ウルトラマン」シリーズや映画「帝都物語」で知られる映画監督の実相寺昭雄さんが29日、胃がんのため東京都内の病院で死去、69歳。東京都出身。早大卒業後、ラジオ東京(現TBS)に入社。1960年代に「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などの演出を手掛け、独特の照明技術を駆使した陰影のある映像で日本の特撮映像の第一人者となった。
 1969年に「宵闇せまれば」で映画監督としてデビュー。TBSを退社して実相寺プロを設立し、情緒的なエロチシズムの中に人間の本性を描いた「無常」(ロカルノ国際映画祭グランプリ)「哥(うた)」などを発表した。荒俣宏さんの幻想小説「帝都物語」や京極夏彦さんの「姑獲鳥(うぶめ)の夏」も映画化。1970年代に演出した特撮番組のリメーク映画「シルバー假面」を完成させたばかりだった。オペラの演出も手掛けたほか、著書に「星の林に月の舟」「ウルトラマン誕生」などがある。東京芸術大名誉教授。

2006.11.24

アニタ・オデイさん 米女性ジャズ歌手

 23日死去、87歳。最近肺炎の発作に見舞われたことがあったという。シカゴ出身。ジーン・クルーパ楽団などで専属歌手を務めた後に独立。40〜50年代、白人女性ジャズシンガーの先駆者として活躍した。ハスキー・ボイスで知られ、代表作に「ジス・イズ・アニタ」「アニタ・シングス・ザ・モスト」「ピック・ユアセルフ・アップ」など。

フィリップ・ノワレ氏 フランスの男優

 23日死去、76歳。フランスのテレビによると死因はがん。日本でも大ヒットした「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988年)で年老いた映写技師のSルフレード役を演じたことで知られる。1930年フランス北部ルール生まれ。演劇活動を経て映画界へ。ルイ・マル監督の「地下鉄のザジ」(1960年)が代表作で、喜劇からシリアスな作品まで100本以上の映画で幅広い役柄を演じた。フランス映画の最高賞であるセザール賞の主演男優賞を、1975年の「追憶」と1989年の「素顔の貴婦人」で2度受賞した。

ベテイ・カムデン氏 米ミュージカル作家

 23日、心不全のため死去、89歳。ニューヨーク・ブルックリン生まれ。2002年に死去したアドルフ・グリーン氏とのコンビで数々の名作を残し、ミュージカル映画の傑作「雨に唄えば」(1952年)の脚本を手掛けたほか、コンビとしてのブロードウェー・デビュー作「オン・ザ・タウン」(1944年)は、後に映画「踊る大紐育」(1949年)に改作された。

2006.11.23

黒木 憲(本名=唐木克彦)氏 歌手

 21日死去、64歳。東京都出身。1967年にデビューし、翌年「霧にむせぶ夜」が大ヒット。代表曲に「別れても」「「おもいやり」などがある。

2006.11.22

ロバート・アルトマン氏 米映画監督

 20日、がんによる合併症のためロサンゼルスの病院で死去、81歳。カンヌ国際映画祭最高賞パルムドールを受賞した「M★A★S★H(マッシュ)」(1970年)など個性的な作品で知られ、ハリウッド映画の暴力表現などを批判。
 1925年米ミズーリ州に生まれ、第2次世界大戦で爆撃機パイロットを経験、大学で工学を学んだ後テレビドラマ監督を経て映画界入りした。大資本を投入するハリウッド本流とは一線を画した姿勢を貫き、反戦メッセージをこめたブラックコメディー「M★A★S★H(マッシュ)」ではパルムドールを受賞。複数の物語を絡め一つのテーマに集約する手法が発揮された「ナッシュビル」(1975年)「ショート・カッツ」(1993年)などが代表作。カンヌに加え、ベネチアとベルリンの世界三大映画祭で最高賞を受賞している。最近の「ゴスフォード・パーク」(2001年)を含めアカデミー賞監督賞に5回ノミネートされ、今年春には長年の功績に対してアカデミー賞名誉賞を授与された。

2006.11.18

仲谷 昇(本名=仲谷昇流:のぼる)さん 俳優

 渋い個性派俳優として舞台、映画、テレビで活躍した演劇集団円の代表の仲谷昇さんが16日、慢性閉塞性肺疾患のため死去、77歳。東京都出身。中央大学法学部を中退し、1950年に文学座演劇研究所入りし「武蔵野夫人」で初舞台。1963年に文学座を退団し、芥川比呂志さん、後に離婚した元妻の岸田今日子さんらと劇団雲を設立。1975年に脱退し、円の創設に参加した。理知的な顔立ちとクールな語り口で、舞台だけでなく映画やテレビドラマに数多く出演。フジテレビ系の深夜バラエティー番組「カノッサの屈辱」では、進行役の教授を演じて話題となった。代表作は舞台「リヤ王」「二階の女」、映画「猟奇日記」「砂の上の植物群」「ひき逃げファミリー」など。

ルース・ブラウンさん 米歌手

 17日、心臓発作による合併症のため米ラスベガスで死去、78歳。1928年、米バージニア州生まれ。幼少のころからゴスペルなど歌に親しみ、ナイトクラブ歌手などを経て、1949年「ソー・ロング」で本格デビュー。「ティアドロップス・フロム・マイ・アイズ」などのヒット曲で人気を集め、”R&Bの女王”と呼ばれた。1970年代には舞台女優としても活躍、1993年にロックの殿堂入りした。

2006.11.17

石川 賢(本名=賢一)氏 漫画家

 15日、急性心不全のため死去、58歳。栃木県出身。1969年に漫画家永井豪さんのアシスタントになり、翌年デビュー。永井さん原作の「ゲッターロボ」で作画を担当したほか「虚無戦記」などを発表した。

2006.11.15

渡辺謙太郎氏 メディア・スタッフ会長、元tbsアナウンサー

 14日、心不全のため死去、75歳。東京都出身。アナウンサー時代はスポーツ中継を中心に活躍。巨人黄金時代にプロ野球の実況を数多く担当し、「謙太郎節」と呼ばれる名調子で親しまれた。

2006.11.11

はらたいら(本名=原平)さん 漫画家

 クイズ番組の名物解答者として知られるはらたいらさんが10日、心不全のため埼玉県富士見市の病院で死去、63歳。高知県出身。十代のころから漫画雑誌に投稿を始め、1963年にデビュー。「ゲバゲバ時評」「モンローちゃん」などを発表し、批評精神の利いたナンセンスギャグが注目された。1977年からは博識ぶりを買われて、TBS系テレビのクイズ番組「クイズダービー」にレギュラー解答者として出演。正解率が約70%と高かったことから「はらたいらさんに○○点!」というフレーズで親しまれ、約15年にわたってお茶の間の人気者となった。パソコンや英語の挑戦など等身大の目線で中高年を応援する著書も多く、50歳前後から苦しんだ男性更年期障害には正面から向き合って体験記を出版した。1988年1月から1989年9月まで本誌(中日新聞)夕刊で4コマ漫画「セロりん」を連載した。

ジャック・パランス氏 米映画俳優

 10日、カリフォルニア州の自宅で老衰のため死去、87歳。西部劇の名作「シェーン」(1953年)で殺し屋役を存在感たっぷりに演じ、名悪役と評された。出演作は「突然の恐怖」「カルタゴの大逆襲」など多数。テレビドラマ「刑事ブロンク」にも主演した。「シティ・スリッカーズ」(1991年)でアカデミー助演男優賞を贈られた。

2006.11.10

ベイジル・ポールドゥリス氏 米映画音楽作曲家

 8日、がんのためロサンゼルスで死去、61歳。ミズーリ州カンザスシティー出身。1980年代からアーノルド・シュワルツェネッガー氏(現カリフォルニア州知事)が主演した「コナン・ザ・グレート」や「青い珊瑚礁」「ロボコップ」「レッド・オクトーバーを追え!」「傷だらけの青春」「ジャングル・ブック」など多数の映画音楽を手掛けた。テレビドラマ「ロンサム・ダブ−モンタナへの夢」でエミー賞を贈られた。

2006.11.9

村田耕一(本名=清照)氏 アニメ作画監督

 7日、くも膜下出血のため死去、67歳。新潟県出身。高畑勲、宮崎駿両監督の映画やテレビ作品で作画の中心メンバーとして活躍するなど、多くのアニメを手掛けた。高畑監督「セロ弾きのゴーシュ」などではプロデュースも引き受けた。

2006.11.6

内山田 洋(本名=内山田道生:みちお)氏 元「内山田洋とクールファイブ」リーダー

 3日、肺がんのため死去、70歳。福岡県出身。前川清氏をリードボーカルに据えた「内山田洋とクールファイブ」を率いて1969年にデビュー。「長崎は今日も雨だった」や「そして神戸」などのヒットを飛ばした。バックコーラスを務めるとともに作曲家としても活躍し、代表作に「東京砂漠」ほかがある。前川氏が1987年にグループを脱退した後も、最近まで音楽活動を続けていた。

レナード・シュレーダー氏 米脚本家

 2日、ロサンゼルスの病院で死去、62歳。近年、がんなどのため健康状態が悪化していた。1969年から1970年代にかけ日本に滞在、大学で米文学を教え、作家三島由紀夫氏に出会った。主な原作、脚本は共作を含め「ザ・ヤクザ」(1974年)、「男はつらいよ・寅次郎春の夢」(1979年)、三島氏をテーマにした「ミシマ」(1985年)、「蜘蛛女のキス」(1985年)など。「蜘蛛女」はアカデミー賞にノミネートされた。沢田研二さん主演の「太陽を盗んだ男」(1979年)の原案、脚本も担当したとされる。

2006.11.5

ポール・モーリア氏 フランスの指揮者・作曲家

 3日、南仏ペルピニャンの病院で死去、81歳。イージーリスニング界の第一人者で特に日本でファンが多かった。1925年、南仏マルセイユ生まれ。マルセイユ国立音楽院を卒業後、1965年に「ポール・モーリア・グランド・オーケストラ」を結成し、1968年に「恋はみずいろ」を世界的にヒットさせた。母国以上に日本で熱心なファンが多いことでも知られ、「蒼いノクターン」「オリーブの首飾り」「そよ風のメヌエット」など、立て続けにヒットを飛ばした。日本のアーティストとの共演も多い。日本と韓国で開いたコンサートは計1200回に及ぶ。1998年の日本ツアー大阪公演を最後に指揮者を引退し、来日は同ツアーが最後となったが、同オーケストラはその後も別の指揮者によって日本公演を続けている。

2006.10.26

大木金太郎(本名=金一:キム・イル)さん 元プロレスラー

 26日、ソウル市内の病院で死去、77歳。必殺技の頭突きで日本と韓国のプロレス界で活躍したが、最近は糖尿病や内臓疾患などで長期入院していた。1929年2月、当時日本統治下だった韓国全羅南道生まれ。1958年に故力道山にあこがれ、貨物船で日本に密入国。拘束されるが力道山が身元引受人となり、1959年日本プロレス(当時)に入門。故ジャイアント馬場、アントニオ猪木とともに若手三羽ガラスとも呼ばれた。1972年にボボ・ブラジルを破りインターナショナルヘビー級王座に就いた。「猛虎」の異名で馬場、猪木と激闘を重ねた。1981年に日本を去り、韓国プロレスの発展に尽力。1995年に東京ドームで日本での引退式が行われた。

2006.10.23

ばってん荒川(本名=米崎一馬:よねざきかずま)氏 タレント

 22日、心不全のため死去、69歳。熊本市出身。「お米ばあさん」として軽妙な熊本弁の語りで人気を博した。「火の国一代」で歌手としてもデビュー。福岡や熊本のテレビ・ラジオ局にレギュラー番組をもっていた。

2006.10.21

藤岡琢也さん 俳優

 テレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の父親役などで知られ、テレビ、舞台の名脇役として活躍した藤岡琢也さんが20日、慢性腎不全のため東京都内の病院で死去、76歳。兵庫県出身。広島の陸軍幼年学校在学中に敗戦を迎え、その後入学した関西学院大を中退。後に上京し1957年、劇団「葦」に入団。外国映画の吹き替えやテレビドラマの端役で下積みを重ね、NHKの人気ドラマ「事件記者」に出演、注目を集めた。NHK「横堀川」の”ガマ口”役で、個性的な脇役としての評価を不動のものに。「関西弁でいきがって見せるが、根は善人の小心者」というキャラクターが重宝がられ、喜劇映画などに多数主演した。こっけい味だけでなく、柔和な表情の奥に凄味を感じさせる演技も見せた。
 ホームドラマやCMなどでも親しまれ、TBS人気ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」では1990年の放送開始時から大家族の父、岡倉大吉役を演じたが、今年2月に病気のため降板した。藤岡さんは中日劇場の「人生とんぼ返り」(1969年3月)、名鉄ホールの「浪花恋もめん」(1993年8月)「雪の花見小路」(1998年1月)など、名古屋での舞台にもたびたび出演。東海テレビ製作のドラマ「名古屋嫁入り物語−初孫戦争の巻」(1993年)でも祖父役を好演した。

2006.10.12

華 ばら(本名=木下千鶴子)さん 漫才師

 7日、肝不全のため死去、69歳。神戸市出身。1961年、華ぼたんさんをリーダーに女性漫才トリオのフラワーショウを結成。「ようこそ〜みなさま〜」という歌い文句で人気を集めた。

2006.10.11

柳家小せん(本名=飯泉真寿男:いいずみますお)氏 落語家

 10日、肺炎のため東京都内の病院で死去、83歳。東京都出身。お笑い番組で使った「ケメ子」が流行語になった。

2006.10.10

多々良 純(本名=田足井重二*たたらいしげじ)氏 俳優

 9月30日、肺機能不全のため死去、89歳。宮城県出身。戦前に舞台デビュー。広島で被爆した移動演劇隊「さくら隊」の前身「苦楽座」に所属し、戦後は劇団民芸「炎の人ゴッホ」などに出演。映画でも積極的に活躍、「七人の侍」「人間の条件/第1・2部」「無法松の一生」などの作品で、脇役として異彩を放った。その後も映画やテレビドラマに多数出演し、喜劇的な演技もこなせるベテランとして存在感を示した。

2006.10.2

三原さと志(本名=小山田晃:おやまだあきら)氏 コーラスグループ「マヒナスターズ」のボーカル

 9月30日、呼吸不全のため死去、71歳。中国の青島生まれ。マヒナスターズは「誰よりも君を愛す」や「お座敷小唄」などのヒット曲があり、三原氏は結成時からのメンバー。

2006.9.26

丹波哲郎(本名正三郎)さん 俳優

 24日、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去、84歳。東京都出身。劇団文化座などを経て1952年に「殺人容疑者」で映画デビュー。以後ギャングのボスや、やくざの兄貴分といった役どころで異彩を放った。人を食ったような豪快な演技が持ち味で、1960年代には米映画「太陽にかける橋」への出演をはじめ、「007は二度死ぬ」でショーン・コネリーと共演するなど、国際的にも知名度を高めた。
 「暗殺」で非業の最期を遂げる幕末浪人役、「砂の器」で殺人犯を追い詰める刑事役で陰影ある演技を見せ、「不毛地帯」「二百三高地」「たそがれ清兵衛」など、日本映画の大作や話題作に多数出演した。テレビでも創生期から活躍し、時代劇「丹下左膳」「三匹の侍」などに主演したほか、アクションドラマ「キイハンター」「Gメン75」のボス役などで人気を得た。霊界研究家を自称し、心霊関係の著書は多数。映画「大霊界」シリーズの総監督も務めた。

2006.9.21

曽我部和恭(本名=和行)氏 声優

 17日、食道がんのため死去、58歳。千葉県出身。1970年代からアニメ声優として活躍。「破裏拳ポリマー」の主人公ポリマー、「ヤットデタマン」のの主人公ワタルなどの役で知られた。

2006.9.5

スティーブ・アーウィン氏

 4日、オーストラリア北東部沖のグレートバリアリーフの海中で、ドキュメンタリー撮影中にアカエイに胸部を刺され、心停止のため死去、44歳。テレビ番組「クロコダイル・ハンター」シリーズで有名になった。2002年の映画「クロコダイル・ハンター・ザ・ムービー」では、自ら主人公を演じた。

2006.8.26

高木東六さん死去

 戦後の流行歌「水色のワルツ」で知られる作曲家の高木東六氏が25日肺炎のため埼玉県の病院で死去した、102歳。鳥取県出身。東京音楽学校(現東京芸大)を中退してパリに留学。帰国後、宝塚歌劇の作曲や指揮を担当した。西洋的ハーモニーの美しさを強調した作風で、オペラ「唐人お吉」をはじめクラシックの作品も多い。
 1945年5月に東京の自宅を空襲で焼け出されたため、長野県伊那市に疎開。約7年暮らした。そこで作曲した代表作の「水色のワルツ」は、二葉あき子さんの歌で戦後大ヒットした。「伊那市の歌」も作曲し、同市の名誉市民になった。大垣女子短大(岐阜県大垣市)などの教壇に立ったこともあり、「家族そろって歌合戦」などのテレビ番組で辛口審査員として人気があった。晩年は横浜で60歳以上の女性ばかりの合唱団を指導。毎日のピアノ練習を欠かさず、演奏や講演などで全国を飛び回った。

2006.8.23

関敬六さん死去

 東京浅草を中心に活躍した喜劇俳優、関敬六(本名:関谷敬二=せきやけいじ)さんが23日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。78歳。栃木県足利市出身。復員後1952年に榎本健一のエノケン一座に入り、コメディアンの道に進んだ。浅草を中心に活躍し、渥美清、谷幹一と結成した「スリーポケッツ」で人気となった。75年には自身の劇団を結成。舞台が中心だったが、映画「男はつらいよ」で車寅次郎のテキ屋仲間のポンシュウ役を演じたほか、テレビでもNHKドラマ「おていちゃん」などに出演。最近は浅草で「お笑い浅草21世紀」と称した喜劇に出演。「浅草の唄」をヒットさせた。

大塚莞爾さん 映画監督

 18日、舌癌のため死去、72歳。東京都出身。フジテレビの「ライオン丸」シリーズや教育映画「八月の暑い空」などを手掛けた。

2006.8.17

ブルーノ・カービー氏 米国の俳優

 14日、ロサンゼルスの病院で白血病のため死去、57歳。ニューヨーク生まれで父親も俳優。名脇役として知られ、「ゴッドファーザーPARTU」(1974年)や「グッドモーニング・ベトナム」(87年)、「シティ・スリッカーズ」(91年)などに出演した。

2006.8.11

鈴置洋孝(すずおきひろたか)氏 声優

 6日、肺がんのため死去、56歳。名古屋市出身。アニメ「ドラゴンボールZ」の天津飯や「機動戦士ガンダム」のブライト・ノアを演じた。洋画ではトム・クルーズさんらの吹き替えを担当した。

2006.8.9

国田栄弥(くにたひでや)氏 俳優

 7日、心不全のため死去、75歳。大阪市出身。1957年に結成された関西芸術座創立メンバー。主な出演作にNHK連続テレビ小説「あすか」「ほんまもん」など。朝日放送製作のドラマ「部長刑事」のレギュラーも長年務めた。

ダニエル・シュミット氏 スイスの映画監督

 5日、スイス東部で死去、64歳。癌で闘病生活を送っていた。テレビ映画の監督として実績を積み、「今宵かぎりは…」(1972年)で初の劇場映画を撮った。「アメリカの友人」(77年)には俳優として出演したほか、ドキュメンタリー作品も多く撮影。「書かれた顔」(95年)では歌舞伎の坂東玉三郎を主演に据えた。

2006.8.6

武内亨(たけうちとおる)氏 俳優

 4日、肝内胆管癌のため死去、79歳。愛媛県出身。劇団俳優座に所属。舞台「石棺」などに出演、テレビの時代劇「大岡越前」「水戸黄門」でも親しまれた。

2006.7.24

マコ・イワマツ氏 米国の日系人俳優

 21日、カリフォルニア州南部の自宅で食道癌のため死去、72歳。1933年神戸生まれ。15歳の時に既に渡米していた両親を追って米国に渡り、軍役を経て演劇の道に。スティーブ・マックィーンと共演した「砲艦サンパブロ」(66年)で、アカデミー賞助演男優賞候補になるなど、アジア系の本格俳優として脚光を浴びた。「コナン・ザ・グレート」(82年)ではシュワルツェネッガー現カリフォルニア州知事と共演。ほかに「セブイ・イヤーズ・イン・チベット」(97年)「パール・ハーバー」(2001年)や日本映画の「梟の城」(1999年)にも出演した。

2006.7.22

ジャック・ウォーデン氏 米俳優

 19日、ニューヨークの病院で死去、85歳。詳しい死因は不明。1920年ニュージャージー生まれ。ボクサー、第2次大戦での落下傘兵などを経て映画界入り。落ち着いた演技の性格俳優として知られ、「シャンプー」(75年)、「誘惑のアフロディーテ」(95年)、「フランダースの犬」(98年)などに出演。「シャンプー」と「天国から来たチャンピオン」(78年)でアカデミー賞助演男優賞に2度ノミネートされた。

2006.7.13

薗田憲一(本名:市川船昇=いちかわせんしょう)氏 ジャズ・トロンボーン奏者

 12日、食道癌のため死去、76歳。高知県出身。60年に「薗田憲一とデキシーキングス」を結成。旧ソ連で演奏活動をするなど、海外でも活躍し、77年に米ニューオリンズ市から名誉市民の称号を贈られた。

ジューン・アリスンさん 米女優

 8日、カリフォルニア州の自宅で呼吸器系疾患のため死去、88歳。1917年、ニューヨーク州ブロンクスで貧しい家庭に生まれ、ブロードウェーのコーラスガールなどを経て女優に。40〜50年代に「甦る熱球」(49年)、「グレン・ミラー物語」(54年)などに出演、朗らかなキャラクターで「米国人男性があこがれる理想の妻」と呼ばれた。

2006.7.12

シド・バレット氏 英国のロックバンド「ピンク・フロイド」元メンバー

 バンドのスポークスマンが11日明らかにしたところによると、数日前に死去、60歳。死因は不明。BBC放送によると糖尿病による合併症。1965年にロジャー・ウォーターズらと共にピンク・フロイドを結成。ギターとボーカル、作詞を担当して活躍するが、麻薬吸引などが原因で精神のバランスを崩し、68年に脱退。70年代半ばからは実家で隠居生活を送っていた。

甲斐智枝美(本名:長谷部智枝美)さん 元タレント

 10日、心不全のため千葉県の自宅で死去、43歳。福岡県出身。オーディション番組「スター誕生!」をきっかけに1980年、シングル曲「スタア」で歌手デビュー。女優としても活躍した。90年に結婚。引退した。

2006.7.6

七尾伶子(本名:臼井伶子=うすいれいこ)さん 女優

 2日、肺梗塞のため死去、81歳。東京都出身。42年にNHK東京放送劇団に入り、ラジオドラマ「えりことともに」「君の名は」などに出演。映画「黒い雨」やテレビドラマに出演後、76年に文学座に入座し、活動の場を舞台中心に移した。

2006.6.27

坂上道之助氏 振付師

 26日、大腸がんのため死去、70歳。東京都出身。ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」「ラ・マンチャの男」の日本版で初演から振り付けに携わった。NHKテレビの番組「おかあさんといっしょ」でも長年振り付けを担当した。

2006.6.26

川合伸旺(かわいのぶお)氏 俳優

 24日、脳梗塞のため死去、74歳。愛知県豊橋市出身。映画や舞台、テレビドラマなどに幅広く出演。ニヒルな悪役が多く、「水戸黄門」「暴れん坊将軍」など時代劇の悪代官役で知られた。声優としても活躍、米俳優ポール・ニューマンの声などを担当した。

2006.6.13

岩城宏之さん死去

 日本を代表する指揮者の一人岩城宏之さんが13日、心不全のため東京都内で死去、73歳。1932(昭和7)年、東京都生まれ。東京芸術大学音楽学部に進学。在学中から指揮者を志し、56年にNHK交響楽団を指揮してデビュー。音楽への深い愛情に支えられた情熱的な指揮ぶりで国内外で人気を博し、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなど世界的なオーケストラの指揮台に迎えられた。名古屋フィルハーモニー交響楽団の初代音楽総監督、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督、札幌交響楽団桂冠指揮者などを務めた。「棒ふりの控え室」など音楽家の舞台裏を描くしゃれた文筆でも人気が高かった。サントリー音楽賞、紫綬褒章など受賞多数。采配を振るったオーケストラ・アンサンブル金沢は1996年、第49回中日文化賞を受賞。中学時代は岐阜県多治見市の多治見中学校(現多治見北高校)に疎開。46年、瑞浪市の音楽コンクールで木琴で「ドナウ川のさざ波」を演奏し、特別賞を受賞、音楽人生の第一歩を踏み出した。

2006.6.7

アレックス・トス氏 米SFコミック作家、アニメ製作者

 5月27日、心臓麻痺のため死去、77歳。ニューヨーク市出身。有名コミック出版社に就職したが、コミックで暴力表現が増加するのを嘆き、子供向けのアニメ番組制作に転向。1966年「スペースゴースト」のテレビ放送開始、日本では67年から「宇宙怪人ゴースト」として放送された。「バットマン」のアニメ化にも大きな影響を与え、SFアニメ製作者の先駆けとして活躍した。

2006.5.30

岡田真澄さん死去

彫りの深い顔立ちと長身を生かし、映画からテレビ、ミュージカルまで活躍した二枚目俳優の岡田真澄さんが29日、食道がんのため東京都内の病院で死去した。70歳。フランス・ニース生まれ。昨年6月、食道がんが見つかり手術、芸能活動を再開したが、体調を崩し療養していた。日本人の父親とデンマーク人の母親の間に生まれた。1952(昭和27)年、日劇ミュージックホールで初舞台。54年に日活入社。「初恋カナリア娘」で映画デビューし、石原裕次郎氏主演の「狂った果実」や、「幕末太陽伝」など100本以上の作品に出演した。日活退社後は、東宝ミュージカルなど舞台を中心に活動。劇団欅を結成し、シェークスピア劇に傾倒したことも。
 テレビでは人気番組「マグマ大使」の父親役を演じたほか、NHKドラマ「若い季節」などでも活躍。バラエティー番組やショーの司会役でも人気で”ファンファン”の愛称で親しまれた。司会者の故E・H・エリック氏は兄。60年に舞踏家ヨネヤマ・ママコさんと期限付きの”契約結婚”を発表し、翌年に別れた。その後、女優藤田みどりさんと結婚、離婚。95年恵子さんと再婚した。

2006.5.23

ヴァル・ゲスト氏 英映画監督

 10日、前立腺がんのため米カリフォルニア州パームスプリングズの施設で死去、94歳。1911年ロンドン生まれ。10代からの映画雑誌への寄稿、俳優業などを経てコメディー映画を監督。英国と米国で主にSF映画を監督し人気を得た。主な作品に「原子人間」(1955年)、「007カジノ・ロワイヤル」(1967年)、「恐竜時代」(1969年)など。

2006.5.19

田村高広氏 俳優

 16日、脳梗塞のため東京都目黒区の病院で死去、77歳。京都市出身。昭和初期から戦後にかけ「バンツマ」の名で愛された時代劇スター阪東妻三郎の長男で、弟の田村正和さん、田村亮さんも俳優。同志社大を卒業後会社員になったが、53年に父親が急死し松竹に入社。翌年、木下恵介監督「二十四の瞳」で教え子役を好演し、豪放さが売り物の父親とは異なる二枚目路線を歩んだ。故勝新太郎さんとの共演で65年から始まった「兵隊やくざ」シリーズは代表作の一つ。勝さんが演じる傍若無人な主人公とは対照的に、知性的でニヒルな上等兵を好演。その後も「天平の甍」「泥の河」「海と毒薬」などで味わい深い演技を見せ、テレビドラマなどでも貴重な脇役として存在感を示した。91年紫綬褒章。99年勲四等旭日小綬章を受章。

2006.5.8

曽我町子さん 声優、女優

 7日、東京都国立市中の自宅マンションで死去しているのが見つかった、68歳。1961年にNHKの人形劇「チロリン村とくるみの木」で声優デビュー。「オバケのQ太郎」の初代声優として有名で、盆踊りなどで使われている「オバQ音頭」もヒットした。特撮の「レインボーマン」「電子戦隊デンジマン」などにも女優として出演し、個性あふれる女王や魔女役として活躍した。

松山恵子さん死去

 「未練の波止場」などのヒットで知られる演歌歌手の松山恵子(本名岡崎恒好=おかざきつねこ)さんが7日、肝臓がんのため死去した、69歳。愛媛県出身。約10年前にC型肝炎と診断され、その後肝臓がんを発病。芸能活動の傍ら治療を続けたが、昨年秋に症状が悪化。今年4月、闘病中であることを告白していた。中学2年で歌唱コンクールに入賞したのを機に1955年デビュー。「未練の波止場」のほか「お別れ公衆電話」などがヒット。NHK紅白歌合戦に8回出演した。庶民派歌手として”お恵ちゃん”のニックネームで親しまれ、ヒット曲「だから云ったじゃないの」(1957年)の歌詞に登場する”あんた泣いてんのね”は当時流行語になった。69年に交通事故に遭い、芸能活動が危ぶまれたが復帰、コンサート活動を続けていた。

2006.4.30

沼田曜一さん死去

 映画「きけ、わだつみの声」(1950年)の主演などで活躍し、民話の語りをライフワークにしていた俳優の沼田曜一(本名美甘正晴=みかもまさはる)さんが29日、心不全のため自宅で死去した、81歳。岡山県出身。NHK大阪放送劇団を経て映画界入り。太平洋戦争での学徒兵の悲惨な最期を描いた「きけ、わだつみの声」で注目を集めたのをはじめ、仁侠映画の悪役もこなした。主な出演作に「真空地帯」「天平の甍」「深い河」など。一方、旅先で聞いた各地の民話収集に興味を持ち「大地の劇場」を設立、全国で民話を語り聞かせる手づくり公演を続けた。著書に「愛と哀の人間ばなし」などがある。

2006.4.24

アリダ・バリさん イタリアの女優

 22日、ローマの自宅で死去、84歳。死因は不明。10代で映画デビューし、イタリアの国民的女優になった。ヒッチコック監督「パラダイン夫人の恋」やキャロル・リード監督「第三の男」などに出た後、ビスコンティ監督「夏の嵐」の伯爵夫人役で名声を不動にした。控えめだが個性的な演技で知られた。

2006.4.13

ジューン・ポインターさん 米歌手

 11日、がんのため米カリフォルニア州の病院で死去、52歳。3人の姉とともに幼いころから同州中部の教会で歌に慣れ親しみ、1970年代「ポインター・シスターズ」としてデビュー。80年代に「スロー・ハンド」などをヒットさせた。

2006.4.11

森川周三さん ジャズトランペッター

 10日、悪性リンパ腫のため死去、75歳。「原信夫とシャープ&フラッツ」に所属し、リードトランペッターとして活躍した。

ビルゴット・シェーマン氏 スエーデンの映画監督

 9日、ストックホルムの病院で死去、81歳。脳出血を患っていた。1967年に問題作「私は好奇心の強い女」を発表。その政治性と過激な性描写が話題を呼び、米国では上映禁止となった。ほかに「491」(1964年)などの作品がある。

2006.4.4

ザ・カーナビーツ アイ高野(本名高野元成)さん ミュージシャン

 1日、心不全のため死去、55歳。福岡市出身。1966年、グループサウンズ「ザ・カーナビーツ」でデビュー。ボーカルとドラムスを担当。”おまえのすべて!”と叫び「好きさ好きさ好きさ」を大ヒットさせた。以後、「ザ・ゴールデン・カップス」に加わり、80年代には「クリエーション」に参加。「ロンリーハート」などがヒットした。

市川喜一氏 映画プロデューサー

 3月31日、脳幹出血のため死去、82歳。群馬県出身。映画「ここに泉あり」「砂の女」「犬神家の一族」など40本以上の作品でプロデューサーを務めた。

2006.4.2

松本竜助さん死去

 漫才コンビ「紳助・竜助」で人気を博したタレントの松本竜助さんが1日、脳出血のため死去。かつてコンビを組んでいたタレントの島田紳助さんが都内で会見し、「一緒に漫才やった8年間、戦友でした」と涙ながらに語った。

2006.3.27

リャード・フライシャー氏 米映画監督

 25日、ロサンゼルス郊外の病院で老衰のため死去、89歳。ニューヨーク出身。SF映画などの大作を数多く手掛けた。主な監督作は「海底2万マイル」(54年)「ミクロの決死圏」(66年)「マジェスティック」(74年)など。旧日本軍による真珠湾攻撃を描いた「トラトラトラ!」(70年)では共同監督を務めた。

2006.3.22

宮川泰(みやがわひろし)さん死去

 「宇宙戦艦ヤマト」や、双子の歌手ザ・ピーナッツのヒット曲で知られる作曲家の宮川泰さんが21日未明、虚血性心不全のため東京都の自宅で死去した。75歳。北海道留萌市出身。大学で作曲を学び、ジャズバンドのピアニストとして活躍。作曲、編曲家に転じ、ザ・ピーナッツが歌った「恋のバカンス」(1963年)が大ヒット。「ウナ・セラ・ディ東京」(64年)で日本レコード大賞を受賞した。クレージーキャッツの映画音楽や梓みちよさんらの曲も手掛け、米国ポップスを基にした明るい曲調で、高度成長期の日本を彩った。70年代にテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の主題曲が大ヒットした。

2006.3.14

安達瞳子(あだちとうこ)さん 華道家、花芸安達流主宰

 10日、急性肝不全のため東京都内の病院で死去、69歳。東京都出身。華道の家元の家に生まれ、1968年に独立。73年に日本の生け花の伝統と、西洋の芸術を癒合させた花芸安達流を創設し主宰。NHKの人気番組「連想ゲーム」などテレビでも活躍した。著書に「花芸への道」などがある。

モーリン・ステイプルトンさん 米女優

 13日、慢性肺疾患のためマサチューセッツ州の自宅で死去、80歳。ニューヨーク州トロイで高校まで過ごした後、ニューヨーク市の俳優養成所で演技を学び、1946年にブロードウェー初舞台。米演劇界で最高の栄誉とされるトニー賞を2度にわたり受賞したほか、映画「レッズ」で81年のアカデミー助演女優賞獲得した。はかに「大空港」(70年)「コクーン」(85年)などに出演。

2006.2.28

「警部マクロード」 デニス・ウィーバー氏 米俳優

 24日、コロラド州の自宅で癌に伴う合併症のため死去、81歳。ミズーリ州生まれ。スティーブン・スピルバーグ監督の初期の作品「激突!」(72年)で主演し、トラックに追われる不条理な恐怖と闘うドライバー役を熱演した。このほか人気テレビシリーズ「ガンスモーク」「警部マクロード」などに出演し、米俳優組合会長も務めた。

2006.2.26

佐々木守氏 シナリオライター

 24日、病気のため死去、69歳。ラジオ・テレビ・映画のシナリオ、劇画の原作を執筆。主な作品はテレビドラマ「七人の刑事」や「アルプスの少女ハイジ」「ウルトラマン」「柔道一直線」「赤い運命」など。

2006.2.9

映画「ゴジラ」の作曲家 伊福部昭氏が死去

 映画「ゴジラ」「ビルマの竪琴」などの音楽を手掛けた文化功労者で、作曲家の伊福部昭(いふくべあきら)氏が8日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した、91歳。北海道出身。90歳の誕生日を迎えた2004年5月に都内で開かれた記念演奏会で「(ゴジラのことは)自分の身のように感じている」と元気な姿を見せていた。今年1月から腸閉塞のため都内の病院に入院していた。北海道帝国大(現北海道大)農学部在学中から学生オーケストラのコンサートマスターを務め、作曲活動も始めた。卒業後、北海道内の森林事務所に勤務する傍ら、積極的に作品を発表。1946(昭和21)年に東京音楽学校(現東京芸大)講師に就任、芥川也寸志氏や黛敏郎氏らの作曲家を育てた。
 47年「銀嶺の果て」で初めて映画音楽を担当、以降「原爆の子」(52年)「ゴジラ」(54年)など話題作の音楽を次々に作曲。中でも「ゴジラ」のテーマ曲は、印象的なフレーズの繰り返しで怪獣の恐ろしさを表現。56年には「ビルマの竪琴」「真昼の暗黒」などを手掛けた。76年から87年まで東京音楽大学長。03年に文化功労者に選ばれた。

吉田佐(よしだたすく)氏 作曲家

 7日、胃がんのため死去、68歳。北海道出身。内山田洋とクールファイブが歌って大ヒットした「中の島ブルース」を作曲した。

2006.1.25

クリス・ペン氏 米俳優

 カリフォルニア州サンタモノカの自宅で死去、43歳。死因は明らかでないが、犯罪が絡んでいる形跡はない。俳優ショーン・ペンの弟で、クエンティン・タランティーノ監督の「レザボア・ドッグス」(91年)や、「フットルース」(84年)など多くの映画に出演した。

フランツ・ザイツ氏 ドイツの映画プロデューサー、監督

 故郷のドイツ南部バイエルン州で19日に死去、84歳。長く重病を患っていた。ノーベル文学賞作家ギュンター・グラス氏の原作を基に同名の映画「ブリキの太鼓」(79年)製作を手掛け、同年カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)、80年にドイツ映画としての初のアカデミー賞(外国語映画賞)を受賞した。約80本の映画制作に携わり、脚本家としても50本以上執筆した。

2006.1.16

舟橋和郎氏 シナリオ作家

 15日死去、86歳。東京都出身。代表作に戦没学生の手記を基にした映画「きけわだつみの声」(50年)や、「兵隊やくざ」シリーズ、「与太郎戦記」シリーズなど。小説家の舟橋聖一氏は実兄。

シェリー・ウインタースさん 米女優

 ロサンゼルスの医療施設で14日、心臓疾患のため死去、85歳。1920年、イリノイ州イーストセントルイスで生まれ、高校時代から演劇を志しブロードウェーを経て映画女優に。映画では当初ブロンドの美人役が多かったが、性格女優に転向し人気を集め、「アンネの日記」(59年)、「いつか見た青い空」(65年)でアカデミー賞助演女優賞を受賞した。その後も「ポセイドン・アドベンチャー」(72年)など、計約130の作品に登場した。アンネの日記で得たオスカー像は、アムステルダムのアンネの家に寄付した。駆け出し時代のマリリン・モンローさんとハリウッドのアパートで同居した時期もあった。

越純平(本名:村田好清=むらたよしきよ)氏 作曲家

 16日、悪性リンパ腫のため死去、73歳。東京都出身。一節太郎の「浪曲子守唄」を作詞、作曲した。

2006.1.14

本田竹広氏 ジャズピアニスト

 13日午前、急性心不全のため東京都内の自宅で死去しているのが見つかった。60歳。岩手県出身。国立音大在学中からジャズピアニストとして活動。1973年渡辺貞夫カルテットに参加、78年にはフュージョングループ「ネイティブ・サン」を結成して幅広いジャンルで活躍した。95年と97年に2度にわたって脳内出血で倒れ、左半身まひとなったが、リハビリに励み、コンサートを開くなど音楽活動を続けた。

2005.12.27

白羽大介(本名:勝俣定彦)氏 俳優

 26日、肺炎のため死去、82歳。大分県出身。吉本新喜劇の旗揚げに参加し、座長も務めた後、故ルーキー新一氏とルーキー爆笑劇団を結成。1974年に松竹新喜劇に移り、主に脇役として活躍した。

2005.12.17

ジョン・スペンサー氏 米俳優

 16日朝、心臓発作のためロサンゼルスの病院で死去、58歳。ニュージャージー州生まれ。松田優作の遺作となった犯罪サスペンス「ブラック・レイン」(89年)、「推定無罪」(90年)、「ザ・ロック」(96年)、「交渉人」(98年)などに出演し、性格俳優として知られた。大統領やスタッフの日常をリアルに描き、日本でも放映されている人気テレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」では首席補佐官役。エミー賞の助演男優賞も受賞している。

2005.12.13

リチャード・プライヤー氏 米コメディアン

 10日、心臓発作のためロサンゼルス郊外の病院で死去、65歳。1940年イリノイ州生まれ。米社会の黒人差別を逆手に取った、過激なジョークで人気を集め、エディ・マーフィ、クリス・ロックなどのコメディアンに影響を与えた。60年代から映画にも多数出演。主な作品は「ビリー・ホリディ物語」(72年)、「スーパーマンV」(83年)、「サギ師とウソつき患者」(91年)など。レコードでグラミー賞も受賞した。長年アルコールや薬物中毒に苦しみ、近年は多発性硬化症などで闘病生活を送っていた。

2005.12.10

有澤孝紀氏 作曲家

 11月26日、膀胱癌のため死去、54歳。東京都出身。アニメ「美少女戦士セーラームーン」「ビックリマン」やドラマ、CMの音楽などを多数作曲。

2005.11.26

「ベスト・キッド」空手の熱血師匠役 パット・モリタ氏 日系二世の米俳優

 24日、老衰のためネバダ州ラスベガスの自宅で死去、73歳。空手の師匠役を演じた映画「ベスト・キッド」が日本でも大ヒットした。1932年6月カリフォルニア生まれ。第2次大戦中は日系人の収容所で暮らし、その後数多くのテレビドラマや映画に出演した。

ショパン猪狩(本名猪狩誠二郎)さん コメディアン

 13日、心不全のため死去、76歳。東京都出身。1960年代に「レッドスネーク・カモン」で始まる蛇のコントで人気を博した。このほか55年には日本初の女子プロレス団体を創設した。

2005.11.25

山下毅雄(やましたたけお)氏 作曲家

 21日、脳血栓のため横浜市の自宅で死去、75歳。神戸市出身。テレビドラマやCMの音楽を数多く作曲。「七人の刑事」の主題歌で1962年日本レコード大賞新人作曲賞を受賞。代表作に「ルパン三世」「大岡越前」「プレイガール」「ジャイアント・ロボ」などがある。

2005.11.22

高村倉太郎氏 映画撮影監督、日本映画撮影監督協会名誉会長

 21日、慢性心不全のため死去、84歳。東京都出身。主な作品に「幕末太陽傅」(1957年)「ギターを持った渡り鳥」(1959年)がある。

2005.11.7

本田美奈子さん死去 白血病闘病10ヶ月

 「1986年のマリリン」などのヒット曲で知られ、ミュージカル女優としても活躍した歌手の本田美奈子(本名工藤美奈子)さんが6日、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した、38歳。東京都出身。1985年に「殺意のバカンス」でデビューし、同年の「Temptation」で日本レコード大賞新人賞を受賞した。「Oneway Generation」「孤独なハリケーン」などがヒット。パンチ力のある歌唱とセクシーな衣装が話題となり、「和製マドンナ」と呼ばれた。92年にミュージカル「ミス・サイゴン」の主役の座を射止め、以後「レ・ミゼラブル」など数々のミュージカルに出演し高い評価を得た。今年1月、急性骨髄性白血病が判明して緊急入院、闘病生活を続けていた。

2005.10.29

お笑い番組で人気 三笑亭夢楽(本名渋谷滉しぶやひろし)氏 落語家、落語芸術協会相談役

 28日、肺不全のため東京都内の病院で死去、80歳。東京都出身。1958年、真打に昇進。「寄合酒」や「三方一両損」といった長屋物を持ちネタとした。明るく軽妙な芸風で、テレビのお笑い番組でも人気を集めた。

2005.10.25

二枚目役で活躍 根上淳(本名森不二雄)さん 俳優

 24日、脳梗塞のため死去、82歳。東京都出身。1947年、大映演技研究所の三期生に合格し49年「母三人」でデビュー。50年に「二十歳前後」で初主演を果たした。以後「牝犬」(51年)、「金色夜叉」(54年)など二枚目役で多数の映画に出演。65年にペギー葉山さんと結婚して話題となった。60年代以降は脇役に転じ、主にテレビで活躍。代表作に「人間の条件」(TBS系)、「あしたこそ」(NHK)、隊長役を演じた「帰ってきたウルトラマン」(TBS系)などがある。

2005.10.19

漫才「Wけんじ」 宮城けんじ氏死去

 漫才コンビの「Wけんじ」で人気があった宮城けんじ(本名寺島文雄)氏が19日、肺がんのため死去、81歳。宮城県出身。映画の子役や歌手春日八郎さんのショーのショーの司会などを経て、1961年(昭和36年)、東けんじさんと漫才コンビ「Wけんじ」を結成。63年NHK漫才コンクール一位を受賞。コンビは「やんな!」などのギャグでも親しまれ、テレビや映画でも活躍した。99年に東さんが死去した後は、漫談家として活動した。

2005.10.18

角梨枝子(本名角泰枝:すみやすえ)さん 元女優

 12日、心不全のため死去、77歳。広島市出身。初代ミス広島から映画界入り。青春映画「山の彼方に」に主演したほか、成瀬巳喜男監督の「山の音」やテレビドラマ「キーハンター」などに主演した。

2005.9.28

ドン・アダムズ氏 米俳優

 25日、肺感染症のため米ロサンゼルスの病院で死去、82歳。昨年、腰を骨折して以来体調を崩していた。高校中退後、米海兵隊に入隊。第2次世界大戦に参戦後、コメディアンとして芸能界デビューした。1965年にスパイ映画を皮肉ったコメディドラマ「それいけ!スマート」(NBCテレビ)で主演し、人気を確立。このドラマでエミー賞を3度受賞し、テレビアニメの声優としても活躍した。

2005.9.23

三石千尋(みついしちひろ)氏 スタントマン

 21日、肝不全のため死去、64歳。旧満州生まれ。日本のカースタントの草分け的存在。テレビドラマシリーズ「大都会」「西部警察」などで活躍した。

2005.9.16

「ウエストサイド物語」監督 ロバート・ワイズ氏死去

 ミュージカル映画の傑作「ウエストサイド物語」(1961年)や「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年)の監督で知られる米ハリウッドの巨匠ロバート・ワイズ氏が14日、心不全のためカリフォルニア大学ロサンゼルス校の付属病院で死去した。91歳だった。1914年インディアナ州生まれ。1933年、兄が働いていた映画会社RKOにフィルムの搬送係として入社。音響担当などを経て、オーソン・ウェルズ監督・主演の歴史的名作「市民ケーン」(1941年)の編集に携わり、高い評価を獲得。「キャット・ピープルの呪い」(1944年)で監督デビューした。
 約40本の映画を手掛け「ウエストサイド物語」と「サウンド・オブ・ミュージック」ではアカデミー賞の作品賞と監督賞を受賞した。このほか「砲艦サンパブロ」(1966年)、「アンドロメダ」(1971年)、「スター・トレック」(1979年)などの代表作を残し、劇場用映画としては「ルーフトップ」(1989年)が最後の作品となった。10日に91歳の誕生日を迎え、近親者と祝ったばかり。14日朝になって急に体調を崩した。

黒沢映画に出演 中北千枝子さん 女優、本名田中千枝子

 13日、急性心筋梗塞のため東京都の自宅で死去、79歳。東京都出身。黒沢明監督の「素晴らしき日曜日」に主演、「酔いどれ天使」などにも主演。成瀬巳喜男監督の代表作「浮雲」「流れる」でも重要な脇役を努めた。夫は東宝映画元会長の故田中友幸氏。69年から86年まで日本生命のテレビCMに出演、「日生のおばちゃん」役で親しまれた。

2005.9.1

昭和枯れすすき作曲 松村孝司氏氏 作曲家

 8月31日、心不全のため死去、70歳。群馬県出身。むつ・ひろしの名前で、ザ・キング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」、さくらと一郎の「昭和枯れすすき」、小田島和彦の名前で和田アキ子の「どしゃぶりの雨の中で」を作曲するなど多くのヒット曲を手掛けた。

マイケル・シアード氏 英俳優

 8月31日、英南部ワイト島で死去、65歳。代理人によると、癌を患っていた。1940年スコットランドのアバディーン生まれ。英王立演劇アカデミーで学んだ後、テレビドラマなどに出演。映画では「スター・ウォーズ帝国の逆襲」(1980年)に出演した。ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーや親衛隊(SS)隊長のヒムラーの役を何度も務め、「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」(1989年)ではヒトラー役で登場した。

2005.8.25

米アニメ脚本家のランフト氏事故死

 米アニメ製作会社ピクサーの著名脚本家ジョー・ランフト氏(45歳)が今月中旬、交通事故死していたことがわかった。米紙サンフランシスコ・クロニクル紙などが伝えた。ランフト氏は同社のアニメ「トイ・ストーリー」(1995年)の脚本でアカデミー賞の脚本賞にノミネートされたほか「バグズ・ライフ」(1998年)などの作品を手がけた。

ブロック・ピータース氏 米俳優

 23日、すい臓がんのためロサンゼルスの自宅で死去、78歳。ブロードウェーを経て映画、テレビドラマで名脇役として活躍した。人種差別問題を扱った名作「アラバマ物語」(1962年)ではグレゴリー・ペック扮する弁護士が扱う、暴行罪で誤って起訴された黒人青年役を切実さを込めて演じた。SF映画「スタートレック」などに出演し、ファン層を広げた。

2005.8.15

山田正弘(本名梅原正弘)氏 脚本家、詩人

 10日、肺がんのため死去、74歳。東京都出身。吉田喜重監督とのコンビで、アナキスト大杉栄を描きシドニー国際映画祭南十字星賞を受賞した映画「エロス+虐殺」や「煉獄エロイカ」「告白的女優論」などの脚本を執筆。テレビでも「ウルトラQ」や「ウルトラマン」「中学生日記」などの脚本を書いた。現代詩の詩人としても知られ、詩誌「氾」を舞台に堀川正美、三木卓両氏らと活躍した。

2005.8.11

バーバラ・ベル・ゲデスさん 米女優

 8日、米メーン州の自宅で肺がんのため死去、82歳。ニューヨーク生まれ。ブロードウェーの舞台女優を経て映画界へ。陽気なキャラクターで人気を集め、ヒッチコック監督の「めまい」(1958年)などに出演した。米テキサスを舞台に富と権力、愛憎をテーマにした、70年代後半から90年代前半のテレビドラマシリーズ「ダラス」に出演。石油で財を成した一族で、控えめでしんが強く誰からも信頼される女性像を演じた。

2005.7.26

杉浦日向子さん死去

江戸風俗研究家で元漫画家の杉浦日向子(すぎうらひなこ、本名鈴木順子)さんが、22日下咽頭がんのため死去、46歳。東京都出身。杉浦さんは時代考証家を目指していたが、1980年に「通言室乃梅」で漫画家としてデビュー。一貫して江戸風俗を描いた作品で人気を獲得し、84年に「合葬」で日本漫画家協会賞優秀賞を、88年に「風流江戸雀」で文芸春秋漫画賞を受賞した。93年に漫画家としての活動をやめて「隠居」を宣言。江戸風俗の研究に専念し、市井の人々の暮らしを題材にした、人情味あふれる内容の「江戸へようこそ」「大江戸観光」などのエッセーを発表、小説家としても活躍した。
 NHKで昨年春まで放送されていた「コメディーお江戸でござる」では、江戸風俗を解説するコーナーを95年から担当し、、視聴者に親しまれた。そば愛好家としても知られた。98年には中日新聞東京本社主催の「21世紀東京新聞フォーラム」に参加、江戸時代の品川を巡る知識を披露して好評を呼んだ。

岡八朗さん死去

 「奥目の八ちゃん」の愛称で親しまれたコメディアンの岡八朗(本名市岡輝夫)さんが26日、肺炎による呼吸器不全のため死去した、67歳。兵庫県出身。俳優修行をしていた21歳の時、花菱アチャコの推薦で吉本新喜劇に入団。一時期浅草四郎と漫才コンビを組み人気を得るがコンビを解消、新喜劇に戻った。独特の風貌と「えげつなー」「くっさー」「スキがあったらかかってこんかい!」などのギャグで30年以上の間、人気コメディアンとして活躍した。1989年吉本新喜劇の再編成に伴い、テレビ、商業演劇など同喜劇以外にも多く出演、幅広く親しまれた。93年胃がんのため入院して手術したがまもなく復帰、活動を再開した。心機一転を図り2003年に芸名を「八郎」から「八朗」に改名していた。著書にアルコール依存症から抜け出す苦闘をまとめた「泣いた分だけ笑わしたる!」など。

2005.7.21

ジェームズ・ドゥーアン氏 米俳優

 20日、米ワシントン州レドモンドの自宅で肺炎などのため死去、85歳。1920年カナダのバンクーバー生まれ。軍役を経てトロントで演劇を学び、ニューヨークへ移住、66〜69年に米NBCテレビのSFドラマ「スター・トレック」シリーズの「宇宙大作戦」に、宇宙船エンタープライズ号の機関長役で出演。70年代から90年代にかけての映画版「スター・トレック」でも同じ役を演じ人気を集めた。

2005.7.5

天野滋(あまのしげる)氏 フォーク歌手

 1日、脳内出血のため死去、52歳。岩手県一関市出身。フォークグループNSP(ニュー・サディスティック・ピンク)のリーダー。1974年天野氏作詞作曲の「夕暮れ時はさびしそう」が大ヒットするなど、NSPは70年代を代表するグループとして活躍した。87年に事実上解散するが、2002年に復活。今年2月に19年ぶりの新曲を出したばかりだった。

ピエール・ミシュロ氏 フランスのジャズ・ベース奏者

 3日、パリで死去、77歳。死因は不明。1940年代にディジー・ガレスビーやマイルス・デイビスら米ジャズ界の巨匠と数多く共演。ルイ・マル監督の映画「死刑台のエレベーター」(1957年)でマイルスと共に演奏。ベルトラン・タベルニエ監督の映画「ラウンド・ミッドナイト」(1986年)にも出演した。

2005.7.3

レナルド・ベンソン氏 米男性ボーカルグループ、フォー・トップスのメンバー

 1日、肺がんのため米デトロイトの病院で死去、69歳。グループは1950年代から歌い始めレコードを出していたが、モータウン・レコード移籍後に「愛・キャント・ヘルプ・、マイセルフ」「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」などヒット曲を連発。5000万枚以上のレコードを売り上げ、米国の代表的なボーカルグループとなった。ベンソン氏は60代になってからも積極的で、1年の3分の1以上を歌の活動に充てていた。今年4月8日にグループで歌ったのが最後だったという。

2005.7.2

ルーサー・バンドロス氏 米国のポップ歌手

 1日、米ニュージャージー州の病院で死去、54歳。「愛はパワー」などのヒット曲で知られ、グラミー賞を4回受賞した。ニューヨーク生まれ。柔らかい歌声のバラードで人気を集め、1980年代のブラック・コンテンポラリーと呼ばれた黒人音楽の代表的歌手。マライア・キャリーさんら人気女性歌手とのデュエットも多く、世界で計2500万枚以上のアルバムを売り上げた。2003年4月に脳卒中で倒れた直後に発売された最後のアルバム「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」は2004年のグラミー賞最優秀楽曲賞を受賞した。

ブルース・マルムース氏 米アクション映画監督

 6月28日、食道がんのためロサンゼルスの病院で死去、71歳。ニューヨーク出身。陸軍従軍中にドキュメンタリーを手がけ、除隊後に映画界入りした。シルベスター・スタローン主演の「ナイトホークス」(81年)や「ハード・トゥ・キル」(90年)などを監督。日本でも人気となった「ベスト・キッド」(84年)には俳優として出演した。

2005.6.29

松村達雄さん死去

 映画「男はつらいよ」シリーズのおいちゃん役など、名脇役として知られた俳優の松村達雄さんが18日、心不全のため死去した、90歳。横浜市出身。法政大でラグビーの名ウイングとして活躍。戦時中は軍隊に入り、復員後に劇団「五十人劇場」を設立したが1957年(昭和32年)解散、映画やテレビドラマに出演するようになった。独特のせりふ回しと温かみで名脇役として重用された。主な映画に「上意討ち」「どですかでん」「四十七人の刺客」、テレビでは「若い季節」「赤い疑惑」、舞台では「罪と罰」など。
 当たり役は山田洋次監督の人気シリーズ「男はつらいよ」のおいちゃん。1972年から故森川信さんに代わり二代目に。とぼけた持ち味が人気を呼び、1974年まで演じた。脇を固め作品を引き締める役どころが多かったが、1993年の黒沢明監督作品「まあだだよ」では文豪内田百阮で主演を演じた。

2005.6.27

ポール・ウィンチェル氏 米国の腹話術師

 24日ロサンゼルス郊外の自宅で死去、82歳。ディズニーのアニメ映画「くまのプーさん」のトラのティガー役の声優として人気を博した。2体の人形を駆使した腹話術で、テレビの子供向け番組の人気者になるなど、60年以上にわたって腹話術師として活躍した。ティガーの声を長年担当し、1974年にはプーさん映画の歌でグラミー賞を受賞。発明家でもあり、初期の人工心臓や使い捨てカミソリなど30もの特許を持っていた。

2005.6.24

水島弘氏 俳優、本名水嶋弘道氏

 19日肺炎のため死去、72歳。東京都出身。53年の劇団四季旗揚げに参加した創立メンバーの一人で、長く主要キャストとして活躍したほか、テレビや映画にも数多く出演した。同劇団での主な作品は「ひかりごけ」「オンディーヌ」など。93年の「オペラ座の怪人」を最後に病気療養していた。

高津利治氏 映画小道具会社高津商会代表取締役

 22日肺がんのため死去、78歳。京都市出身。映画小道具の第一人者。溝口健二監督の「山椒大夫」など数多くの作品で小道具や時代考証を手がけた。

2005.6.19

岡枝慎二氏 映画字幕翻訳者

 5月23日心筋梗塞のため死去、76歳。東京都出身。英語、フランス語、ロシア語など7カ国語に通じ、2000本以上の映画字幕の翻訳や監修を手がけた。代表作に「スター・ウォーズ」「プラトーン」「エマニエル夫人」「惑星ソラリス」などがある。

2005.6.8

エド・ビショップ氏

 謎の円盤UFOでエド・ストレィカー司令官役、キャプテン・スカーレットではキャプテン・ブルーの声を演じたビショップ氏が8日死去、73歳。

バンクロフトさん死去

 映画「奇跡の人」(1962年)でアカデミー主演女優賞を受賞、「卒業」(1967年)ではミセス・ロビンソンを演じた米国の演技派女優、アン・バンクラフトさんが6日、がんのためニューヨークの病院で死去、73歳だった。ニューヨーク・ブロンクス生まれ。ニューヨークで演劇を学んだ後、ハリウッドの「ノックは無用」(1952年)でデビュー。だが人気が出ず舞台女優に転身、その後再び映画界に戻り「奇跡の人」に出演。視覚障害などを抱えたヘレン・ケラーの教師役を好演した。
 青春映画の名作として知られる「卒業」では、主人公のダスティン・ホフマンを誘惑する年上の女性を演じ、話題となった。ほかに「エレファント・マン」(1980年)「アサシン暗殺者」(1993年)など出演作は多数。後年のインタビューで、ミセス・ロビンソンの印象が「奇跡の人」の役より強く映画ファンの印象に残っていることに不満だと語った。

2005.6.3

マイケル・ビリントン氏

 謎の円盤UFOでポール・J・フォスター大佐役をやっていたビリントン氏が3日死去、63歳。

2005.6.2

本田英郎氏 劇作家

 1日肺炎のため死去、90歳。秋田県出身。演劇「帰らぬ人」やテレビドラマ「判決」「七人の刑事」などの脚本を手がけた。

2005.5.28

エディ・アルバート氏 米映画・ブロードウェー俳優

 26日肺炎のためカリフォルニア州の自宅で死去、99歳。数年前からアルツハイマー病を患っていた。イリノイ州出身。サーカスの空中ブランコ乗りなどを経て俳優に。「ローマの休日」(1953年)では、オードリー・ヘップバーンさん扮するアン王女を隠し撮りするカメラマン役を軽妙に演じ、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。サンタモニカ湾の浄化など、自然保護活動にも尽力した。息子のエドワード氏も俳優。

2005.5.26

イスマイル・マーチャント氏 英国の映画制作者

 BBC放送が事務所の話として伝えたところによると、25日にロンドンの病院で死去。68歳。死因は明らかにされていない。1936年インドのムンバイ(当時はボンベイ)生まれ。ニューヨーク大学で経営を学ぶ。ジェームズ・アイボリー監督と出会い、61年にマーチャント・アイボリー・プロを設立。「眺めのいい部屋」(86年)が大ヒットしアカデミー脚色、美術監督装置、衣装デザインの各賞を獲得。監督としても「ボンベイの踊り子たち」(82年)などの名作を生んだ。

2005.5.14

井下靖央(いのしたやすお)氏 テレビ演出家

 13日、肺がんのため死去、66歳。香川県出身。早稲田大を卒業後、1961年にTBSに入社。脚本家山田太一氏と組みドラマ「それぞれの秋」「想い出づくり」「ふぞろいの林檎たち」などで登場人物の感情を丁寧に描き、人気を博した。ほかに「渡る世間は鬼ばかり」シリーズなどもヒットさせた。

2005.5.8

小林勝彦さん死去 大映二枚目スター

 時代劇の二枚目として知られた小林勝彦(本名陽一)氏が6日、肝細胞がんのため死去した。68歳。東京都出身。高校在学中に劇団結成に参加。1961年の「潮来笠」で主演するなど、大映の時代劇映画の二枚目スターとして人気を得た。映画「大菩薩峠・完結編」で故市川雷蔵らと共演したほか、「暴れん坊将軍」「水戸黄門」など多数の人気テレビ時代劇に脇役として出演した。米映画「スター・ウォーズ」の吹き替えや、テレビアニメの声優としても活躍した。

2005.5.7

猪又憲吾氏 脚本家、日本シナリオ作家協会常務理事

 1日、食道がんのため死去、64歳。東京都出身。石原裕次郎主演の映画「ある兵士の賭け」でデビューし、テレビ時代劇シリーズ「子連れ狼シリーズ」「必殺シリーズ」などの多くの脚本を手がけた。

2005.4.30

福井敏雄さん死去 独特の語りで天気予報

 独特のイントネーションで親しまれた、お天気キャスターの福井敏雄氏が27日、老衰のため大阪市内の病院で死去した、84歳。徳島県出身。大阪管区気象台の天気相談所長などを務め、1980年に気象庁を退官。テレビ番組の天気予報コーナーを担当し、独特の語り口で解説する様子や、きまじめな人柄がお茶の間に親しまれた。

2005.4.28

マリア・シェルさん 映画「居酒屋」の女優

 26日、肺炎のためオーストリア・ケルンテン州の自宅で死去、79歳。ドイツ語圏で国際的に活躍した最後の女優の一人といわれた。ウィーン出身。ナチスの迫害を避け、移住したスイスで育つ。16歳から女優として活動、ヘルムート・コイトナー監督の「最後の橋」(1954年)でカンヌ映画祭の女優賞、ヌネ・クレマン監督の「居酒屋」(1956年)でベネチア映画祭の女優賞を獲得し、トップスターに。ハリウッドでも活躍し、マーロン・ブランドらと共演した。晩年は病気を繰り返し、療養生活を送っていた。

2005.4.22

ポール牧(榛沢(はんざわ)一道)さんが自殺

 22日、東京都のマンションで飛び降り自殺、63歳。日ごろから仕事が少なくなったと悩んでいた。牧さんは1941年北海道の禅寺で生まれた。上京後の1968年、漫才コンビ「ラッキーセブン」を結成。その後役者としても、舞台やテレビなどで活躍。「指パッチン芸」で人気を博した。96年に出家した。

2005.4.11

居作昌果(いづくりよしみ)氏 タイクス社長、元TBS製作局長

 10日、肺がんのため死去、71歳。東京都出身。TBSでバラエティ番組のプロデューサーとして「8時だヨ!全員集合」「お笑い頭の体操」「「クイズダービー」などの人気番組を手がけた。

2005.4.7

中山大三郎さん死去

 「人生いろいろ」や「無錫(むしゃく)旅情」などのヒット曲で知られる作詞・作曲家の中山大三郎さんが7日、咽頭がんのため東京都の病院で死去、64歳。宮崎県出身。法政大学在学中に「南国の春」で作詞家としてデビュー。クラウンレコードの専属となった後フリーに。尾形大作さんのデビュー曲として作詞作曲した「無錫旅情」がヒット。1987年には作詞した島倉千代子さんの「人生いろいろ」が大ヒットし、日本レコード大賞作詞賞を受賞した。1989年から日本作詞家協会の常務理事を務めていた。

2005.3.16

星ルイス(本名藤江充夫=フジエミツオ)氏 漫才師

 10日肺がんのため死去、56歳。東京都出身。昨年7月にコンビを組んでいた星セントさんが肺がんのため、56歳で亡くなったばかりだった。72年に「セント・ルイス」を結成。早口で長身のセントさんとのコンビで、「田園調布に家が建つ」などの辛口ギャグが人気を集め、80年代の漫才ブームを牽引した。2003年にセントさんとのコンビを解消していた。

2005.3.1

那須博之氏 映画監督

 27日肝臓がんのため死去、53歳。東京都出身。東大卒業後、日活の助監督に。フリーとなって監督した「ビ・パップ・ハイスクール」(1985年)がヒット。ほかに薬師丸ひろ子主演「紳士同盟」など。昨年秋の「デビルマン」が最後の劇場映画監督作となった。

2005.2.25

羽生未来(はにゅうみく)さん タレント

 22日肺がんのため死去、30歳。東京都出身。NHK教育「英語であそぼ」のお姉さん役で人気を集め、幼児教育番組で活躍。1999年には歌手デビューした。

2005.2.24

シモーヌ・シモンさん(仏女優)

 22日パリで死去、93歳。1911年マルセイユ生まれ。モデルなどを経て31年に映画デビュー、多くのハリウッド映画に出演した。名優ジャン・ギャバンと共演した「獣人」(38年)が有名。ほかに「乙女の湖」(34年)」「黒い瞳」(35年)「キャット・ピープル」(42年)などがある。

2005.2.23

イ・ウンジュさん自殺 韓国トップ女優

 日本でも公開された韓国映画「ブラザーフッド」でヒロイン役を演じた女優イ・ウンジュさん24歳が22日、ソウル近郊の京畿道城南市内の自室ドレスルームで首を吊って死亡しているのを、同居の兄が見つけた。
 イさんは韓国トップ女優の一人で「ブラザーフッド」では、日本で人気を集める”韓流スター”のウォンビンさんやチャン・ドンゴンさんらと共演。盆唐警察署によると、イさんが書いたと見られる家族にあてた遺書が見つかり、自殺とみられる。通信社、聯合ニュースによると、遺書は「仕事をたくさんしたかった」などとの内容で、自室ベッドの上には鉛筆削り用のナイフと血痕があり、イさんの手首にはためらい傷があった。

2005.2.19

映画監督 岡本喜八さん死去

 奇想天外な喜劇や太平洋戦争を取り上げた映画で知られる、映画監督の岡本喜八(本名喜八郎)さんが19日午後死去した、81歳。鳥取県出身。戦前東宝に入社したが、軍事工場に動員され、豊橋陸軍予備士官学校で終戦を迎えた。復員後「結婚のすべて」で監督デビュー。中国戦線で部隊の不正を暴く兵隊の活躍を描いた活劇「独立愚連隊」(1959年)で人気を集めた。戦後の経済成長になじめない戦中派サラリーマンを描いた「江分利満氏の優雅な生活」(63年)や、日本の敗戦を取り上げた大作「日本のいちばん長い日」(67年)、終戦時期の青年をコミカルに描いた「肉弾」(68年)など、戦争にこだわった。
 70年代後半からは「ダイナマイトどんどん」「ジャズ大名」「大誘拐 Rainbow Kids」などの娯楽色豊かな作品に力を発揮。幕末期に海を渡った武士が西部劇の舞台で活躍する「EAST MEETS WEST」(95年)で、長年温めた企画の映画化を実現した。プロデューサーも務めた妻みね子さんとともに、映画への愛情と気さくな人柄がファンに愛された。2001年製作の時代劇「助太刀屋助六」が最後の作品となった。

ダン・オハーリー氏(アイルランド人俳優)

 米カリフォルニア州の自宅で死去、85歳。アイルランドの首都ダブリンで70以上の演劇の舞台に出演。「マクベス」(48年)の貴族役でハリウッドデビューを果たし、54年には「ロビンソン漂流記」でアカデミー主演男優賞にノミネートされた。その後も「スター・ファイター」(84年)、「ロボコップ」(87年)など多くの映画のほか、米テレビシリーズ「ツイン・ピークス」にも出演した。

2005.2.12

「セールスマンの死」米劇作家 アーサー・ミラー氏死去

 「セールスマンの死」など現代を代表する米国人劇作家アーサー・ミラー氏が10日夜、コネティカット州の自宅で死去した、89歳。心臓病、がん、肺炎を患っていた。
 ミラー氏はニューヨークのユダヤ系の家庭に生まれ、ミシガン大学を卒業。在学中から作品を発表し、1944年に「幸福な男」でブロードウェー・デビュー。49年に「セールスマンの死」でニューヨーク演劇批評家賞とピュリツァー賞を受賞。同作品は99年にトニー賞にも輝いた。56年には女優マリリン・モンローと結婚したが、5年後に離婚。作品は家族や倫理、個人の責任を強調するものが多い。米国の高校では授業の教材に多用されている。国際ペンクラブ会長も、65年から4年間務めた。

2005.2.6

デービッド・ジョーンズ氏 元パンアメリカン航空極東地区広報支配人

 2日夜、心不全のため米ネブラスカ州オマハで死去、89歳。米カリフォルニア州出身。大相撲本場所の千秋楽でパンアメリカン航空賞の表彰を約30年にわたって務めた。「ヒョー、ショー、ジョウ」の大きな声と、開催場所の方言を交えたユーモラスな日本語で人気を集めた。1992年に帰国し、2002年からオマハに住んでいた。

エリック・グリフィス氏 ビートルズの前身バンド、クオリーメンの創設者の一人

 1月29日、すい臓ガンのため、英エディンバラの自宅で死去、64歳。1940年、英ウェールズ生まれ。4歳でリバプールに移る。地元の学校に在学中、ジョン・レノンらと友人になり、50年代後半に学校の名前を取ったバンド、クオリーメンを結成。同バンドはその後ポール・マッカートニーらの参加を得て、60年にビートルズになった。

2005.1.28

北原謙二(本名北原謙太郎)氏 歌手

 26日、虚血性心疾患のため死去、65歳。大阪市出身。1961(昭和36)年歌手デビュー。翌年「若いふたり」が大ヒット、独特の高音と伸びのある声が親しまれ、「若い明日」「若い太陽」「ふるさとのはなしをしよう」などをヒットさせた。

2005.1.25

桜むつ子(本名佐藤文子=さとうふみこ)さん 女優

 23日、肺がんのため東京都の自宅で死去、83歳。東京都出身。「あきれたぼういず」や劇団新風俗などを経て1950年に松竹に入社。下町的な雰囲気を持ち味に、大船調喜劇やメロドラマの名脇役として活躍、63年フリーに。代表作に小津安二郎監督作品「東京物語」「東京暮色」。ほかにテレビドラマ「私は貝になりたい」。映画では「スウィングガールズ」が最後となった。

2005.1.20

コンチネンタルタンゴの王様 アルフレッド・ハウゼ氏

 14日ハンブルクで死去、84歳。死因は不明。「真珠採りのタンゴ」「黒い瞳」などの名演で「タンゴの王様」と呼ばれた。第2次大戦敗戦後、北ドイツ放送ダンスオーケストラの指揮者となり、コンチネンタルタンゴの楽団を率いてドイツ戦後音楽界の一翼を担った。65年以降、同楽団とともに何度も来日し、日本でのタンゴ音楽ブームに火をつけた。ドイツ・ミュンスターで造船エンジニアの息子として生まれ、子供の頃からバイオリン、サクソホン、ピアノなどを学んだ。

ルース・ウォリックさん 米女優

 肺炎による合併症のため死去、88歳。1941年の名作「市民ケーン」で主人公ケーンの妻役を演じた。ミズーリ州生まれ。俳優オーソン・ウェルズの劇団に入り、ウェルズが監督・主演の「市民ケーン」でハリウッドにデビューした。その後テレビドラマでも活躍し、エミー賞にノミネートされた。

2005.1.13

ゴンサロ・ガビラ氏 映画音響効果技師

 9日、循環器障害のためメキシコ市で死去、79歳。米映画「タワーリング・インフェルノ」(74年)、「続・夕陽のガンマン」(66年)などの音響を手掛け、「エクソシスト」(73年)ではアカデミー賞の音響賞に輝いた。

2005.1.11

筒井啓介(本名小西理夫=こにしまさお)氏 児童文学作家

 8日、腎不全の為死去、87歳。東京都出身。童話作品に「かちかち山のすぐそばで」「じんじろべえ」など。1958-63年に1395回放送されたNHKのテレビドラマ「バス通り裏」の脚本なども手掛けた。

2005.1.10

小森和子さん死去 映画評論の「おばちゃま」

 「小森のおばちゃま」の愛称で親しまれた映画評論家の小森和子さんが8日、呼吸不全のため東京都の自宅で死去した。95歳。東京都出身。10数年前から仕事をやめ、自宅で療養していた。雑誌記者などを経て、雑誌「「映画の友」編集長だった淀川長治氏の勧めで、戦後映画評論の道に入った。テレビやラジオの洋画解説やトーク番組などに出演し、「おばちゃまはね…」「モア・ベターよ」など独特の語り口で人気者になった。
 ジェームズ・ディーンの大ファン。無名時代のシャーリー・マクレーンを自宅に招いたのが縁で、ハリウッドにも交友関係を広げた。フランク・シナトラら多くの著名人にインタビューするなどして活躍した。
 1992年、”日本映画再興のために”と、山田洋次監督を通じ松竹に3000万円を寄贈。著書に自伝「流れるままに、愛」、「おばちゃまのモア・ベター人生論」などがある。

橋本幸治氏 映画監督

9日、心疾患のため死去、68歳。栃木県出身。登山中に倒れ、搬送先の病院で死亡が確認された。監督作品に沢口靖子さん主演の「ゴジラ」(84年)、「さよならジュピター」(84年)がある。元東宝映画常務。

2004.12.24

リーガル天才(本名曽我忠一=そがちゅういち)さん 漫才師

 22日、パーキンソン症候群のため死去、80歳。東京都出身。黒縁メガネをトレードマークに、リーガル秀才さんとのコンビで女性問題や時事ネタで活躍。1870年には芸に対する放送業界の扱いを不満として、テレビ・ラジオに出演拒否を宣言、話題となった。93年から98年まで漫才師の組織「漫才協団」会長。

2004.12.15

松原みきさん シンガー・ソングライター

 10月7日子宮けいがんのため死去、44歳。大阪府出身。1979年にデビュー曲「真夜中のドア」がヒット。81年に「ニートな午後三時」が化粧品のCMソングに選ばれるなど活躍した。近年はテレビアニメ向けの楽曲など、主に作曲活動をしていた。

2004.12.8

ウィリアム・サックハイム氏 米脚本家

 脳障害により1日にカリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で死去、84歳。シルベスター・スタローン主演でヒットした「ランボー」(82年)の脚本の共同執筆者だったほか、テレビドラマ制作でエミー賞を受賞した。

2004.12.3

新田昌玄氏 俳優、本名まさはる氏

 11月18日、食道がんのため死去、70歳。徳島県出身。文化座経て1960年に民芸に入団。「桜の園」など数々の舞台で活躍する一方、テレビや映画の脇役としても存在感を示した。

2004.11.27

島田正吾氏 

俳優の島田正吾(本名=服部喜久太郎)氏は26日、脳梗塞のため東京都目黒区の自宅で死去、98歳。横浜市出身。2002年8月に軽い脳梗塞を起こし入院していた。故辰巳柳太郎さんとともに新国劇の両輪として活躍。「一本刀土俵入」「関の弥太っぺ」「瞼の母」などの舞台のほか、「王将一代」「八甲田山」など映画にも多く出演した。1987年に新国劇が解散した後も、一人芝居の「白野弁十郎」公演や、NHK連続テレビ小説「ひらり」出演など90歳をすぎても精力的に活動し、新国劇入団以来の俳優生活は約80年に及んだ。69年紫綬褒章を受章。名古屋でも中日劇場や御園座、名鉄ホールなどで多くの舞台に立ち、最後の舞台は96年12月の「天守物語」(中日劇場)だった。

2004.1126

「大空港」「ホテル」の著者 A・ヘイルー氏

 カナダの作家アーサー・ヘイリー氏が24日、バハマのニュープロビデンス島にある自宅で死去した、84歳。子音は心臓発作とみられる。代表作に「大空港」「自動車」「マネーチェンジャーズ」「エネルギー」「ストロング・メディスン」「ニュースキャスター」「ホテル」などがある。ストーリーテラーとして知られ、作品は次々にベストセラーとなり、多くが映画化された。
 英国生まれ。第2次世界大戦中に英空軍パイロットを務めた後、1947年にカナダに移住、テレビ番組の脚本を手掛けるようになった。59年に作家デビュー。69年からバハマ在住。数回訪問している。

2004.11.18

ミッシェル・コロンビエ氏 フランスの映画音楽家

 米カリフォルニア州サンタモニカの自宅で14日、がんのため死去、65歳。100以上の映画やテレビ番組で音楽を手掛けた。米人気歌手マドンナが主演した「スウェプト・アウェイ」(2002年)などの映画音楽のほか、バレエの音楽も担当。クラシックからジャズ、ロックの要素を自由に組み合わせた、独自の曲調で多くのファンを魅了した。

2004.11.15

俳優、「スター千一夜」司会 荻島真一さん死去

 テレビドラマに多数出演したほか、「スター千一夜」の司会などで知られた俳優の荻島真一さんが、11日胆管がんのため東京都内の自宅で死去した。58歳。東京都出身。劇団四季へ入団後、1971年に舞台「信長記」でデビュー。フジテレビ系「スター千一夜」の司会を務めたほか、NHKのドラマ「おていちゃん」「あした天気になあれ」や、TBS系「隠密剣士」などに出演、舞台でも活躍した。昨年秋からがん治療を受けていた。
 憂いを秘めたクールな二枚目として、名古屋の舞台にも数多く出演。名鉄ホールのストーンウェル公演のほか、中日劇場での公演、最近では昨年7月、御園座で開かれた五木ひろしさんの特別公演に出演している。

2004.11.11

「私は貝になりたい」演出家・映画監督 岡本愛彦さん死去

 旧日本軍BC級戦犯の悲哀を描いたテレビドラマ、「私は貝になりたい」の演出などで知られる映画監督、演出家の岡本愛彦(おかもとよしひこ)氏が、10月24日前立腺がんのため、神戸市の病院で死去していたことが10日わかった。79歳。朝鮮黄海道生まれ。
 陸軍航空士官学校在学中に終戦を迎え、慶応大卒業後NHKを経て東京放送(現TBS)に入社。「私は貝になりたい」(1958年)と実在の企業倒産をモデルにした「いろはにほへと」(1959年)の演出により、芸術祭大賞を二年連続で受賞した。

2004.11.10

木村瑛二氏 映画録音技師

 7日、間質性肺炎のため死去、73歳。東京都出身。代表作は山口百恵さん主演の映画「伊豆の踊り子」や「一杯のかけそば」など。日活芸術学院講師を務めていた。

2004.11.9

「元禄太平記」など時代小説 南條範夫さん死去

 「元禄太平記」などで知られる時代小説のベテラン作家で経済学者の南條範夫(古賀英正)氏が10月30日、肺炎のため杏林大病院で死去していたことが8日わかった。96歳。東京都出身。東大卒。満鉄調査部勤務を経て戦後、雑誌の懸賞小説に応募を始め、1956(昭和31)年、遣唐使の悲劇を描いた「燈台鬼」で直木賞を受章した。
 人気作家として著書は多く、映画化された「武士道残酷物語」、テレビドラマにもなった「月影兵庫」シリーズ、NHK大河ドラマの原作「元禄太平記」、吉川英治文学賞を受賞した「細香日記」などがある。経済学者として国学院大教授を務めた。75年、紫綬褒章受章。

2004.11.8

ハワード・キール氏 米ミュージカル俳優

 7日大腸がんのため死去、85歳。死去の場所は不明。1919年米イリノイ州生まれ。本名はハロルド・クリフォード・リーク。自動車修理工などを経て、ロサンゼルスでコンサートを聞いたのをきっかけに声楽を志し、その後ニューヨークでミュージカルに出演するようになった。
 ブロードウェイのミュージカルを映画化した「アニーよ銃をとれ」(50年)や、「ショウ・ボート」(51年)「キス・ミー・ケイト」(53年)なドの作品に出演。その後は78年から始まった人気ドラマシリーズ「ダラス」に出演、注目を集めた。

2004.11.1

春風亭柳橋氏 落語家、落語芸術協会副会長

 本名駒木根(=こまきねまさお)氏。31日消化管間葉系腫瘍のため死去、69歳。東京都出身。1952(昭和27)年、三代目桂三木助に入門。六代目柳橋門下に移り、64年に真打ち昇進。82年七代目柳橋を襲名。今年2月に同協会副会長に就任。「芝浜」「「化物使い」など古典を得意とした。

2004.10.16

三宅義行氏 映画カメラマン

 14日肺がんのため東京都杉並区の病院で死去。78歳。本籍岡山県。「濹東綺譚」「三文役者」など、新藤兼人監督の作品を手掛けた。

2004.10.12

スーパーマン、車椅子で活動 C・リーブさん死去 52歳

 映画「スーパーマン」シリーズで人気を集め、落馬事故で半身不随になった米男優のクリストファー・リーブさんが10日、心不全のためニューヨーク州の病院で死去した。ニューヨーク市出身。10歳で演劇を始め、大学卒業後はテレビドラマやブロードウェイの演劇などに出演。1978年に米人気コミックを映画化した「スーパーマン」の主役に抜擢された。恵まれた体格と知的な風貌を生かして、新聞記者クラーク・ケントが変身して悪と戦うヒーロー役を好演。シリーズは87年の第4作まで続き、大スターの仲間入りを果たした。
 95年、馬術大会の競技中に落馬し、脊髄を損傷する大怪我を負った。首から下の身体機能は不自由になったが、翌96年に車椅子姿でアカデミー賞授賞式に出席。98年にはヒッチコック監督の名作「裏窓」をリメークした、テレビドラマの製作と出演の両方をこなした。懸命な闘病生活を続ける一方で、環境問題や障害者の権利向上など社会活動に積極的に参加。近年は難病や傷害治療に役立つとされる胚性幹細胞(ES細胞)研究の推進を訴え、先週末の米大統領選の候補者討論会で、民主党候補のケリー上院議員がリーブさんの取り組みを紹介したほどだった。2年程前から、体の一部が動くまで回復したが、今月9日にニューヨーク州の自宅で心臓発作を起こし、病院で治療を受けていた。

2004.10.5

ジャネット・リーさん 米映画俳優

 3日、米カリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で死去、77歳。死因は明らかにされていないが、長い間血管炎を患っていた。カルフォルニア州生まれ。1947年に映画界に入り、「若草物語」(49年)やオーソン・ウエルズ監督の「黒い罠」(58年)「影なき狙撃者」(62年)などに出演。ヒッチコック監督の名作「サイコ」(60年)では、シャワーを浴びているところを殺害される役を演じ、アカデミー助演女優賞にノミネートされた。
 51年に俳優トミー・カーチスさんと結婚(その後離婚)。女優のジェイミー・リー・カーチスさんは二人の実娘。

2004.10.2

星吉昭氏 シンセサイザー奏者

 1日心不全のため死去、58歳。宮城県出身。1980(昭和55年)、音楽ユニット「姫神せんせいしょん」(後に「姫神」と改名)を結成しデビュー。東北の風土に根ざした作風で人気を得た。幻想的な野外ライブも評価が高く、エジプトのピラミッド前で演奏した。アルバム「縄文海流〜海の縄文V」で98年、日本レコード大賞・企画賞受賞。「神々の詩」などテレビ番組のテーマ曲も手掛けた。今年夏ごろに体調が悪化、療養中だった。

リチャード・アベドン氏 米写真家

 1日脳内出血のため米テキサス州サンアントニオ市内の病院で死去、81歳。ニューヨーク生まれ。1945年から65年までハーパース・バザー誌の専属カメラマンとして活躍、ポートレートやドキュメンタリーなどの手法を取り入れた革新的なファッション写真で注目された。66年から90年まではヴォーグ誌、92年からはニューヨーカー誌のカメラマンとして活躍。ナオミ・キャンベルなどスーパーモデルの撮影で知られ、99年には宇多田ヒカルのCDジャケットの撮影も手掛けた。
 57年に公開されたオードリー・ヘップバーン主演の米映画「パリの恋人」で、フレッド・アステアが演じた写真家のモデルとされる。2002年にニューヨーク・タイムズ紙の「世界一有名な写真家」に選ばれた。

金久美子(きむ・くみじゃ)さん 女優

 1日胃がんのため死去、45歳。長野県佐久市出身。在日韓国人3世で、劇団68/71黒色テント、劇団新宿梁山泊を中心に演劇活動が長く、「千年の孤独」「映像都市」などが代表作。映画、テレビなどでも活躍。映画では「全身小説家」「笑う蛙」などのほか韓国映画にも出演した。

2004.9.28

「天国にいちばん近い島」森村桂さん自殺か

 作家の森村桂(もりむらかつら、本名三宅桂=みやけかつら)さんが27日、長野県内の病院で死去した。64歳。学習院大卒業後、出版社に勤務。1964年にニューカレドニアに渡り、その体験を基に「天国にいちばん近い島」を執筆。明朗な文章が人気を呼んでベストセラーになり、映画化、舞台化された。その後もエッセーを意欲的に発表した。NHK朝の連続テレビ小説「あしたこそ」の原作も書いた。85年、軽井沢町に「アリスの丘ティールーム」を開き、手作りのお菓子の店として人気を集めた。絵画も手掛け、阪神大震災の犠牲者を悼んだ大作「人魚の涙」が神戸市役所に飾られている。父は作家の故豊田三郎さん。ここ数年は体調を崩し、入退院を繰り返していた。

2004.9.16

小田部通麿(おたべみちまろ)氏 本名釈通麿(ときみちまろ)氏、俳優、誠心時住職

 8月29日再生不良性貧血のため死去、77歳。福岡県出身。映画「青春の門」やテレビドラマ「燃えよ剣」などに出演し、主に悪役を演じた。

2004.9.9

フランク・トーマス氏 ディズニーのアニメーター

 8日、米カリフォルニア州ロサンゼルス郊外の自宅で死去、92歳。今年に入り脳出血を患っていた。2匹の犬が1本のスパゲッティを食べ合う「わんわん物語」のシーンを手掛けたことなどで有名。同州サンタモニカ出身。1934年ディズニースタジオのメンバーに。「白雪姫」「シンデレラ」「ピーターパン」などを手掛けた。78年には現役を退いたが、著作活動などを続けていた。

2004.8.30

ローラ・ブラニガンさん 米ポップ歌手

 26日脳動脈瘤のためニューヨーク州の自宅で死去、47歳。1980年代に活躍し、7枚のアルバムを発表。代表曲「グロリア」は全米で大ヒット、グラミー賞候補になった。96年に夫が死亡後、一時音楽活動を停止していたが、01年から再開していた。

2004.8.27

山本迪夫氏(やまもとみちお氏 ) 映画監督

 23日肝臓がんのため死去、71歳。新潟県出身。映画「野獣の復活」「悪魔が呼んでいる」のほか、「太陽にほえろ!」シリーズなどテレビドラマを多数手掛けた。

2004.8.25

江角英明氏(えすみえいめい、本名ひであき氏) 俳優

 22日胃がんのため死去、68歳。重厚な演技の脇役として知られ、舞台「午後の遺言状」、映画「東京流れ者」「四畳半襖の裏張り」のほか、テレビドラマでも幅広く活躍。人気アニメ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」などでも声優も務めた。

2004.8.21

池野成(いけのせい) 作曲家

 13日肺がんのため死去、73歳。札幌市出身。「氷点」「白い巨塔」など、200本以上の映画音楽を手掛けた。

2004.8.20

J・B・ハリス氏 (本名平柳秀夫氏) 元「百万人の英語」講師

 16日肺気腫のため死去、87歳。神戸市出身。ロンドンタイムズの特派員だった英国人の父と、日本人の母との間に生まれ、ジャパン・アドバタイザー(現ジャパン・タイムズ)に入社。日本国籍を取得し、戦時中は日本兵として従軍した。戦後は文化放送などで「百万人の英語」の講師を34年間務めたほか、「大学受験ラジオ講座」の講師も担当。多数の英語、英会話関係の著書、テープを手掛け、従軍体験記「ぼくは日本兵だった」がある。

2004.8.19

根本光晴氏 CMディレクター、書家

 15日、脳梗塞のため死去、64歳。東京都出身。1000本以上のCMを手掛け、丸大食品の「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」、浅田飴の「せき、こえ、のどに浅田飴」などは広く親しまれた。

2004.8.18

元チェッカーズ 徳永義也氏

 元チェッカーズのドラマー。17日舌がんのため死去、40歳。福岡県出身。1980年代に人気を集め92年に解散したバンド「チェッカーズ」でドラムを担当、「クロベエ」の愛称で親しまれた。

2004.8.9

イスマエル・ロドリゲス氏 メキシコの映画監督

 7日、呼吸器不全などのためメキシコ市内の病院で死去。86歳。メキシコ市生まれ。1942年に長編監督デビュー。主な作品にメキシコ革命で活躍した女闘士ラ・クカラチャを描いた「サン・ブラスの動乱 大砂塵の女」(59年)、「原始怪獣ドラゴドン」(共同監督、56年)など。「価値ある男」(61年)では三船敏郎が主演した。生涯に60作以上を監督した。

2004.8.4

個性派俳優 渡辺文雄さん死去

 大島渚監督作品やテレビの「連想ゲーム」などで活躍した個性派俳優の渡辺文雄さんが4日、急性呼吸不全のため東京都港区の病院で死去した。74歳。2か月ほど前に体調を崩し入院していた。東京大学卒業後、電通社員時代の1956(昭和31)年、小林正樹監督の「泉」に出演したことがきっかけで映画界入り。松竹大船撮影所と専属契約を結び、大島渚監督の「愛と希望の街」(59年)以降、「青春残酷物語」など一連の大島作品に出演し、個性派俳優としての地位を確立。「日本の夜と霧」の上映禁止問題をきっかけに松竹を退社した大島監督と行動を共にし、独立プロ「創造社」の創立に参加した。「八月の濡れた砂」「ヒポクラテスたち」などに出演、存在感のある脇役として欠かせない存在となった。
 テレビでも「連想ゲーム」のレギュラーや、「遠くへ行きたい」「くいしん坊!万才」のリポーターとして活躍。食べ物や旅の通として知られ「旅でもらったその一言」など多数の著書がある。東海地方にもゆかりが深く、岐阜県高山市の飛騨・世界生活文化センター館長、岐阜女子大客員教授。2000年度には三重県の職に関する補助事業で、イメージキャラクターを務めた。1983年1月から6月まで本紙夕刊「紙つぶて」に執筆した。

2004.8.3

マドレーヌ・ロバンソンさん 仏女優

 2日、スイス・ボー州で死去、87歳。1916年生まれ。主に50年代から70年代にかけて活躍。80本近い映画に出演した。代表作は「二重の鍵」(59年)、「審判」(62年)、「カミーユ・クローデル」(88年)など。

2004.8.2

脚線美で人気 朱里エイコさん 歌手

 朱里エイコ(本名=田辺栄子)さんは7月31日東京都の自宅で死去。58歳。死因は虚血性心不全。16歳で渡米し、歌の修行を積む。帰国後の72年「北国行きで」が大ヒット。脚線美で人気を集めた。母は有名なダンサーで振付師の朱里みさをさん。

ジャクソン・ベック氏 米声優

7月28日、高齢に伴う疾患のため、ニューヨークの自宅で死去、92歳。数々のラジオドラマでナレーターとして活躍。40年代に放送された「スーパーマン」の導入部の「弾よりも速く、力は機関車よりも強く、高いビルもひとっ飛び」は、名ぜりふとして後世に伝えられている。60年代後半には、テレビ版の「スーパーマン」でもナレーションを担当した。

2004.8.1

ラウラ・ベッティさん イタリアの女優

 31日死去。死因は明らかにされていない。北部ボローニャ生まれ。ジャズ歌手としてデビューし、映画界入り。ピエル・パオロ・パゾリーニ氏と親しく、「カンタベリー物語」など同監督の一連の作品に出演。ベルナルド・ベルトルッチ監督の「1900年」「ラストタンゴ・イン・パリ」にも出演した。

2004.7.29

「寅さん」のおいちゃん役 下条正巳さん死去

 映画「男はつらいよ」シリーズのおいちゃん役など、ひょうひょうとした演技で親しまれた俳優の下条正巳さんが25日、すい臓癌のため死去した。88歳。長崎県出身。1951(昭和26)年から71年まで劇団民芸で活動。74年の「男はつらいよ」シリーズ第14作「寅次郎子守唄」から、渥美清さんが演じる車寅次郎の叔父で「おいちゃん」と呼ばれる車竜造役を務め、シリーズ最終となった95年の第48作「寅次郎紅の花」まで出演した。おいちゃん役は森川信さん、村松達雄さんに次いで三代目だったが、出演本数は最も多い。主な映画出演作は「夜叉」「キネマの天地」「キッズ・リターン」など。長男は俳優の下条アトムさん。

2004.7.25

ピエロ・ピッチオーニ氏(イタリアの作曲家)

 23日、ローマの自宅で死去、82歳。死因は明らかにされていない。北イタリア・トリノに生まれ、1930年代後半にピアニストとしてデビュー。50年代から映画音楽を手掛け、監督のロベルト・ロッセリーニやルキノ・ビスコンティらと活躍。ブリジット・バルドーが出演したジャンリュック・ゴダール監督の映画「軽蔑」(63年)などの音楽を担当した。

2004.7.23

星セント氏 漫才師

 本名村山袈裟夫(むらやまけさお)22日、右肺がんのため死去。56歳。長野市出身。1972年、星ルイスさんと漫才コンビ「星セント・ルイス」を結成。「田園調布に家が建つ!」などの辛口ギャグが受け、人気者となった。その後も漫才の傍ら役者としてテレビや映画、舞台で活躍したが、治療のため2002年から入退院を繰り返し、ルイスさんとのコンビは昨年解消していた。

{猿の惑星」作曲 ジェリー・ゴールドスミス氏(アカデミー賞作曲の米作曲家)

 21日がんのためロサンゼルスの自宅で死去。75歳。「オーメン」や「スター・トレック」など数多くの映画音楽を作曲した。1929年ロサンゼルス生まれ。ピアニストを目指したが、ヒッチコック監督の作品で映画音楽に感銘を受け、作曲家に転身。「オーメン」で76年度アカデミー賞作曲賞を受賞したほか、エミー賞を5回受賞。音楽を担当した主な映画は「猿の惑星」「風とライオン」などで、近年も「エアフォース・ワン」「ハムナプトラ」などを手掛けた。

2004.7.21

湯浅憲明氏 映画監督

 6月14日、脳梗塞のため死去、70歳。京都市出身。大映に入社し1964年に「幸せなら手をたたこう」で監督デビュー。「大怪獣ガメラ」(65年)など一連の「ガメラ」シリーズを担当、大映特撮映画の中心として活躍した。テレビでも「コメットさん」(78年)など多くの人気ドラマを手掛けた。

2004.7.18

「お笑いマンガ道場」で人気 鈴木義司さん死去 75歳

 風刺とユーモアあふれる作風で知られる漫画家の鈴木義司(すずきよしじ)さんが、17日、悪性リンパ腫のため東京都港区の慈恵医大病院で死去した。東京都出身。戦後、胸部疾患の療養中に漫画家を志し、雑誌などに投稿を続け、1953(昭和28)年から夕刊紙で漫画掲載を開始。庶民的な視点から社会を風刺した作風で人気を集め、新聞、雑誌などで活躍した。代表作に「サンワリ君」「ケロリ子ちゃん」「キザッペ」など。テレビのバラエティー番組「お笑いマンガ道場」のレギュラー出演者として親しまれ、エッセーなども人気があった。2002年に日本漫画家協会賞大賞を受賞した。

2004.7.14

ドロシー・ハートさん 米女優

 ノースカロライナ州アッシュビルで死去。82歳。アカデミー賞に輝いた「裸の町」(1948年)など数十本の映画やテレビショーに出演し、6月死去したレーガン元大統領と共演したこともある。

2004.7.7

大貫雅吉志氏 映画監督

 本名正義=まさよし氏、6日急性心不全のため死去。77歳。神奈川県出身。テレビ映画「ドタバタ劇場」のほか、多くのCMやPR映画などを手掛けた。脚本家としても活躍、テレビシリーズ「ナショナルキッド」では原作も兼ねた。

エリック・ダグラス氏 米俳優

 6日、ニューヨーク・マンハッタンのアパートで、死亡しているのが発見された。46歳。警察によると事件性は無いが、遺体を解剖し死因を調べる予定。俳優カーク・ダグラスが再婚後にもうけた息子の一人。俳優マイケル・ダグラスは異母兄。映画「デルタフォース3」(1991年)などに脇役で出演したが、俳優活動は80年代から90年代初めまでで、薬物中毒などで逮捕されたことで知られていた。

2004.7.3

マーロン・ブランドさん死去 80歳 迫力の「ゴッドファーザー」

 「ゴッドファーザー」(1972年)でマフィアのドン、コルレオーネ、「地獄の黙示録」(79年)でジャングルの中に王国を築くカーツ大佐などを演じた米映画界の名優、マーロン・ブランドさんが1日、ロサンゼルス市内の病院で死去した。死因は公表されていない。「メソッド」と呼ばれた舞台出身の迫力ある演技と、口ごもったしゃべりの独特のスタイルは、ジェームス・ディーンやアル・パチーノ、ロバート・デニーロら、世界中の俳優に大きな影響を与えた。その一方、撮影の際にはトラブルメーカーとして知られ、奔放な女性関係でもゴシップ雑誌をにぎわせた。
 54年の「波止場」でボクサー崩れの不良テリーを演じて、アカデミー主演男優賞。72年には「ゴッドファーザー」で2度目の主演男優賞に選ばれるが、「米映画界は米先住民に対する扱いがあまりに不当」と反発して受賞を拒否した。
 24年4月、米ネブラスカ州生まれ。殺虫剤製造業の父と、地方劇団の女優だった母の間に生まれた。姉の勧めもあり、19歳でニューヨークに出て演技修行を始めた。23歳の時に舞台「欲望という名の電車」で、義姉の過去を暴く夫婦の夫を演じて、ブロードウェーで高い評価を受けた。26歳の時に「男たち」(50年)で映画デビュー。以後「乱暴者」(53年)で暴走族を演じた。60年には監督デビューし「片目のジャック」を指揮した。

2004.6.29

作家・野沢尚さん自殺 「破線のマリス」で乱歩賞 名古屋出身

 28日東京都内のマンションで、作家・脚本家の野沢尚(ひさし)さん(44歳)が、首を吊った状態で死亡しているのがみつかった。日大芸術学部を卒業。1983年にシナリオ作家の卵らに贈られる城戸賞の入賞を機に本格デビューした。人気テレビドラマ「親愛なる者へ」「この愛に生きて」「青い鳥」などの脚本を担当。99年に「眠れる森」で向田邦子賞を、2002年には「反乱のボヤージュ」で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。「その男、凶暴につき」「ラストソング」など映画の脚本も手掛けた。小説の執筆にも取り組み、97年には「破線のマリス」で江戸川乱歩賞を受賞。「深紅」など意欲的に発表を続けるマルチぶりを発揮していた。

2004.6.20

伊藤正次氏 俳優・伊藤演劇研究所所長

 19日、すい臓がんのため死去、68歳。東京都出身。映画「松川事件」やテレビで話題を呼んだドラマ「私は貝になりたい」などに出演。女優の樋口可南子さん、賀来千香子さん、裕木奈江さんらの演技指導にも当たった。

2004.6.18

峰純子さん ジャズ歌手

 本名石塚純子。17日、肺がんのため死去。58歳。山形県出身。1975年に「チャイルド・イズ・ボーン」でレコードデビュー。99年度日本ジャズボーカル大賞受賞。

2004.6.14

柳家つば女 落語家

 本名渡辺虎彦。12日、肝硬変のため死去、65歳。山梨県出身。1958年、故柳家小さんさんに入門。小助から小きんとなり73年真打昇進。80年六代目つば女を襲名。長男は落語家柳家小きんさん。

2004.6.11

和泉流狂言師野村万之丞さん死去

 和泉流の狂言師で、総合芸術家としても活躍した五世野村万之丞(本名=耕介)さんが10日、神経内分泌がんのため東京都渋谷区の病院で死去した。44歳。東京都出身。江戸時代、加賀前田藩お抱えの能楽師を発祥に、300年の歴史を持つ和泉流野村万蔵家に生まれた。祖父は六世万蔵、父は萬(いずれも人間国宝)。3歳で初舞台を踏み、伝統芸能の伝承と発展に力を注いだ。来年1月には八世野村万蔵を襲名する予定だった。野村萬斎さんはいとこ。オリジナル狂言を数多く創作したほか、新劇舞台への出演や、イタリアで古典芸能の公演を成功させるなど幅広く活躍し、「狂言界の風雲児」と呼ばれた。
 長野パラリンピック閉会式など、多くのイベントのプロデュースを手がけたほか、NHK大河ドラマ「利家とまつ」の芸能考証や、ドキュメンタリー映画製作など活動は多方面にわたった。能楽協会理事や、京都造形芸術大特任教授を務めていた。2001年にフランス政府から「芸術文化勲章シュバリエ」を受章。今年4月、北朝鮮で仮面楽劇を上演したが、その後体調を崩し入院していた。
 岐阜県が1997年に制定した「織部賞」の第1回受賞者。99年10月には同県で開かれた「国際文化祭・ぎふ99」の総合プロデューサーを務めた。ここ2,3年、名古屋をはじめ東海地方でも舞台をつとめていた。

冨田浩太郎氏 俳優

 10日、肺炎のため死去。79歳。熊本県出身。劇団民芸を経て、映画・テレビ・舞台で活躍。主な作品に映画「原爆の子」、テレビドラマ「少年探偵団」、「ウルトラマン」など。

盲目のソウルシンガー レイ・チャールズさん死去

 盲目のハンディを乗り越え、「我が心のジョージア」や「愛さずにはいられない」など数々のヒット曲を生んだ米国の黒人ソウル歌手、レイ・チャ−ルズさんが10日、肝臓疾患に伴う合併症により、カリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で死去した。73歳だった。米ジョージア州生まれ。7歳までに病気で完全失明。母親が言った「視力は失っても、心はなくすな」を心の支えとしたが、15歳でその母親も亡くなり孤児となった。盲学校でピアノとクラリネットを学んだのをきっかけに、音楽家になることを決意。1949年にデビュー、55年に発表した「アイヴ・ガット・ア・ウーマン」が大ヒットし、スターの仲間入りをした。
 しぼり出すような独特の歌声が特徴で、米南部の黒人教会に伝わるゴスペルやブルース、ジャズなど幅広いジャンルを融合した音楽スタイルはソウル・ミュージックの草分けとなった。発表したアルバムは60枚以上で、米音楽界の最高峰グラミー賞を12回受賞。晩年は米国の国民的歌手として親しまれ、「我が心のジョージア」はジョージア州の州歌ともなっている。わが国にもたびたび来日。サザンオールスターズの代表曲「いとしのエリー」をカバーした「エリー・マイ・ラブ」もヒットした。最後に公の場に姿をあらわしたのは、今年4月30日。自らが所有するロサンゼルス市内の音楽スタジオが、同市の重要歴史建築物に指定された記念式典に出席したが、他人の手を借りなければ立って挨拶できないほどだった。

2004.6.8

コロムビア・トップ氏死去

 社会時評を取り入れた辛口の政治漫談で知られる漫才師で、漫才協団名誉会長、元参院議員のコロムビア・トップ(本名下村泰=シモムラユタカ)さんが7日、呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。82歳だった。東京都出身。1997年にがんのため胃の大半を摘出、昨年7月にも手術を受けた。今年5月から入院し、8日に退院の予定だった。幼少時に両親を亡くし、兄に育てられた。戦争中は加藤隼戦闘隊員としてアジア各地を転戦。終戦後、初代ライトとなった故池田喜作さんとコンビを組み「青空トップ・ライト」の名で漫才界にデビューした。50年、池田さんが病死したため、声帯模写をしていた鳥屋二郎さんが二代目ライトとなって再出発。歌謡曲の司会などで有名になり、52年にはコンビ名を「コロムビア・トップ・ライト」に改名。時事問題をネタにした社会戯評で人気を集め、特に60年代にはテレビやラジオの出演も増えた。一方で障害者施設の慰問などを続け、それをきっかけに74年、参院全国区に立候補。初当選して二院クラブに入った。80年、83年の参院選では落選したものの、野坂昭如氏が衆院選出馬のため辞職したため、同年に繰り上げ当選。続く89年に再選。参院議員を通算3期務めた。

2004.5.18

黒沢映画、テレビで活躍 三橋達也さん死去

 1960年代のアクション映画をはじめ、「天国と地獄」など黒沢明監督作品で知られる俳優の三橋達也さんが、15日急性心筋梗塞のため東京の病院で死去。80歳。東京都出身。シベリア抑留を経て1947年に帰国後、俳優を志した。市川崑監督の「こころ」(55年)の演技で注目を集め、黒沢監督の「悪い奴ほどよく眠る」(60年)や「天国と地獄」(63年)で印象的な脇役を演じた。東宝のアクション映画シリーズにも主演。米映画「トラ・トラ・トラ!」(70年)では日本海軍の参謀を演じるなど、国際的に名を高めた。主な主演作は「連合艦隊」「鹿鳴館」、北野武監督の「Dolls」など。最後の作品は今年4月公開の「CASSHERN」。テレビではNHK「連想ゲーム」のレギュラーを長く務め、「十津川警部」などのドラマシリーズに多数出演した。趣味のクレー射撃は、指導員の肩書きを持つ腕前だった。

2004.5.7

小田切成明氏(番組製作会社アズバーズ会長、ドラマ演出家)

 4月29日肝臓がんのため東京都港区の病院で死去。70歳。大阪府出身。ドラマ演出家としてフジテレビ「風の盆恋歌」などを手掛けた。

2004.4.16

やけどで重体「鉄人28号」漫画家 横山光輝さん死去

 「鉄人28号」「三国志」などの作品で知られる漫画家の横山光輝(本名光照=みつてる)さんは、15日早朝、自宅で起きた火事でやけどを負い、重体になっていたが病院で死去した。69歳。神戸市出身。1956年から雑誌「少年」に連載された「鉄人28号」が爆発的にヒット。その後「伊賀の影丸」「魔法使いサリー」などで人気が定着、漫画界のスターになった。70年代以降は「三国志」や「徳川家康」など長大な歴史物が評判になった。91年「三国志」で日本漫画家協会賞優秀賞。90年代後半から病気や骨折などで闘病生活が続いたが、その後仕事を再開。一時代を築いた「鉄人28号」のテレビアニメの新作が、今月からテレビ東京系で放送され、事故直前の15日未明には第2回が放送された。また、実写版映画の製作も進んでいた。

2004.4.8

芦屋雁之助さん死去

 テレビドラマ「裸の大将放浪記」シリーズの山下清役などで知られる、俳優の芦屋雁之助(本名西部清)さんが7日心不全のため死去した。72歳。新選組の本拠で知られる京都市壬生出身。15歳の時に旅回りの劇団に入り、20歳過ぎに実弟の小雁さんと漫才コンビを組んだ。OSミュージックのコメディアンを経て劇作家の故花登筐さんと知り合い、上方コメディ「番頭はんと丁稚どん」のコミカルな演技で人気を得た。1979年には森光子さんと組んだ東宝現代劇「おもろい女」で芸術祭大賞を得た。1980年からは放浪の天才画家故山下清画伯をモデルにした「裸の大将」シリーズがテレビ放映され、16年間で82回を数える超ヒット作品にもなった。83年12月にテレビのショーの中で歌った「娘よ」が120万枚を超える大ヒットになり、翌年のNHK紅白歌合戦にも出場した。昨年4月、名古屋市の名鉄ホールでの舞台「とんてんかん とんちんかん」を急性心不全のため降板した後、療養していた。

2004.4.7

三遊亭歌奴氏

 本名平田昭宏氏、落語家。6日、肝臓がんのため死去。62歳。東京都出身。59年三遊亭円歌の下に入門。73年に真打に昇進した。

2004.4.5

石田智(いしださとる)氏

 元バンド「ダニー飯田とパラダイスキング」のベーシスト。3日、肺がんのため死去。76歳。群馬県出身。

2004.4.2

「風車の弥七」役 中谷一郎氏

 本名中村正昭。1日、咽頭がんのため死去。73歳。札幌市出身。1955年に俳優座に入団。59年の映画「独立愚連隊」で注目を集め、以降「用心棒」「日本のいちばん長い日」などで存在感のある脇役として活躍した。TBS系の「水戸黄門」には69年の放送開始から、元忍者風車の弥七役で登場し親しまれた。米国のテレビ西部劇「ライフルマン」の主役(チャック・コナーズ)の吹き替えでも知られた。

2004.3.30

映画「ポアロ」役 ピーター・ユスティノフ氏(英俳優)

 28日夜、スイス西部の町ニヨンの診療所で死去。82歳。死因不明。21年ロンドン生まれ。16歳でロンドン・シアター・スタジオ入り。19歳でデビューを飾って以来、60年以上現役生活を送った。60年の映画「スパルタカス」、64年の「トプカピ」でそれぞれアカデミー助演男優賞を受賞。英作家アガサ・クリスティ原作の「ナイル殺人事件」(78年)、「地中海殺人事件」(82年)などでは名探偵ポアロ役を演じ親しまれた。71年から国連児童基金(ユニセフ)親善大使。90年にナイトの爵位を受けた。

「ライオン丸」製作 うしおそうじ氏(漫画家、テレビ映画製作者。本名鷺巣富雄=さぎすとみお)

 28日、急性心不全のため死去。82歳。東宝の特撮技師を経て漫画家に。その後映像製作会社ピープロダクションを設立し、アニメーション「ハリスの旋風」や特撮テレビ番組「マグマ大使」「スペクトルマン」「怪傑ライオン丸」などを製作した。

2004.3.35

三ツ矢歌子さん死去

 優しい母親役などで人気を集め「昼メロの女王」と呼ばれた、女優の三ツ矢歌子(本名小野田宇汰子)さんが24日、間質性肺炎のため死去した。67歳。大阪市出身。1955年新東宝のオーディションに合格し、翌年に「君ひとすじに」で銀幕デビュー。その後「天城心中・天国に結ぶ恋」「人間の壁」などに出演し、清純派女優として人気を獲得した。TBS系「愛の劇場」シリーズなど平日昼放送のテレビドラマに多数出演。ワイドショーの司会や調味料のコマーシャルでも親しまれた。

太陽にほえろ「長さん」役、下川辰平氏死去

 俳優の下川辰平(本名下川辰典=ときふみ)さんが25日、敗血症のため死去。73歳。福岡市出身。文学座を経て映画、テレビで活躍。「太陽にほえろ!」に人情味あふれる野崎刑事役で500回以上も出演し、”長さん”の愛称で親しまれた。映画出演も「黒部の太陽」「戦争と人間」「青春の蹉跌」「雨あがる」など数多く、実力派の脇役だった。

2004.3.24

「ブルース刑事」役又野誠治さん死亡

 23日午後俳優の又野誠治(本名又野成治)さんが、クビに布を巻きつけて倒れているのを発見された。病院に搬送されたが間もなく死亡が確認された。43歳。自殺の可能性が高い。1983年に「太陽にほえろ!」のブルース刑事役でデビュー、多くの映画やVシネマに出演してきた。

2004.3.21

いかりや長介さん死去

 お笑いグループ、ザ・ドリフターズのリーダーで、存在感のある俳優としても人気のあった、いかりや長介(本名碇矢長一)さんが20日、原因不明がん頚部リンパ節転移のため死去した。72歳。東京都出身。1961年にジミー時田さんのバンドに加入、64年にザ・ドリフターズを結成した。66年のビートルズ来日公演で前座を務め、TVのバラエティ番組でコミックバンドとして注目を集めた。69年から16年続いたTBS系の「8時だヨ!全員集合」は国民的な人気を集めたが、低俗番組との批判も受けた。同番組終了後は黒沢明監督の「夢」(90年)などで俳優として活躍。渋い脇役が多かったが、刑事役などで存在感を発揮。97年のフジテレビ系ドラマ「踊る大走査線」で、ひょうひょうとしたベテラン刑事を演じて高い評価を得た。

石黒高志氏(俳優、本名孝)

 19日、胃がんのため死去。61歳。新潟県出身。テレビドラマや舞台に出演。劇団「剣伎集団爽」の代表を務め、川崎輝のペンネームで舞台の脚本、演出も手掛けた。

2004.3.17

神山卓三氏(声優、本名神山敏夫)

 15日敗血症のため死去、72歳。東京都出身。テレビアニメ「チキチキマシン猛レース」のケンケン役や「おそ松くん」のデカパン役などの声を担当した。

2004.3.11

後藤田純生氏(ごとうだすみお、元NHKプロデューサー)

 1日、心不全のため死去。75歳。東京都出身。子供音楽番組「みんなのうた」を61年の開始当時から担当。定年退職後はフリーの音楽ジャーナリスト。

2004.2.27

漫才師 谷エースさん

 本名田村典文。26日胃がんのため死去。61歳。大阪府出身。故丘エースさんと漫才コンビ「Wエース」を組んで活躍した。

2004.2.18

ジャズピアニスト世良譲さん死去

 いきな演奏、軽妙なおしゃべりで人気を集めた、ジャズピアニストの世良譲(本名哲壮=てっそう)さんが17日、多臓器不全のため死去した。71歳。島根県出身。明治大在学中からプロ入り。1965年には日野皓正さんらとともに、白木秀雄クインテットの一員としてベルリン・ジャズ祭に参加した。豊富なレパートリーで、ライブやテレビ、ラジオの音楽番組などで活躍。歌心あふれるピアノ演奏に加え、話術も巧みだった。主なアルバムに「バッカス・スイング」など。2003年、ジャズに貢献した人に贈られる南里文雄賞を受けた。

2004.2.6

手塚しげお氏

 歌手、俳優。本名茂夫。4日肺がんのため死去。62歳。山梨県出身。1960年代、アイドルグループ”スリー・ファンキーズ”のメンバーとして人気となり、多くのヒット曲を出したほか、テレビドラマ「矢車剣之助」「ワイルド7」などでも活躍した。

2004.2.1

女性声優の草分け 加藤道子さん死去

女性声優の草分けで女優の加藤道子さんが31日、すい臓ガンのため死去した。84歳。東京都出身。父は俳優の故加藤精一さん、母も女優の故三井光子さん。1941(昭和16)年、NHKの東京放送劇団養成所に第一期生として入った。当初ラジオ番組だった紅白歌合戦の第1回紅組司会者。57年に始まったNHKのラジオドラマ「日曜名作座」で、森繁久弥さんと掛け合いで人気を博した。 

2004.1.8

新井光氏(脚本家)

 昨年12月31日、肺がんのため死去、64歳。東京都出身。「西部警察」「あぶない刑事」などテレビドラマの脚本を数多く手掛けた。

2004.1.6

「マヒナスターズ」リーダー 和田弘氏死去

 「誰よりも君を愛す」などのヒット曲で知られる「和田弘とマヒナスターズ」のリーダーで、スチールギター奏者の和田弘さんが5日不整脈のため川崎市高津区の病院で死去した。72歳。東京都出身。作曲家の浜口庫之助に師事した後、ハワイアンバンドを経て1953年にマヒナスターズを結成、翌年「和田弘とマヒナスターズ」としてコーラス主体のグループとなった。都会派歌謡にジャズヤハワイアンの要素などを加え、ムード歌謡の中心的バンドとして活躍した。ヒット曲は58年の「好きだった」をはじめ、松尾和子さんと共演した「誰よりも君を愛す」(60年に日本レコード大賞受賞)、64年の「お座敷小唄」など。

松井恒男氏(元NHKチーフディレクター)

 2日、脳血栓のため死去。75歳。広島県出身。連続テレビ小説「おはなはん」「繭子ひとり」「北の家族」などの演出を手掛けた。

2004.1.5

「テレビ小説」生みの親 坂本朝一氏死去

 元NHK会長の坂本朝一氏が12月31日、肝機能不全のため東京都内の病院で死去した。86歳。国家公安委員会委員、国語審議会会長、横綱審議委員会委員長などを歴任。早稲田大学文学部卒。1939年NHK入局。芸能局長、専務理事、副会長を経て76年、ロッキード事件の田中角栄邸訪問で引責辞任した小野吉郎元会長の後を受け、NHK初の生え抜き会長として就任、82年まで務めた。ラジオの「私は誰でしょう」、わが国初のテレビドラマ「夕餉前(ゆうげまえ)」(実験放送)をはじめ、「バス通り裏」「事件記者」などを手掛け、連続テレビ小説の生みの親として「おはなはん」などを送り出した。川柳が趣味の江戸っ子としても知られた。著書に「放送よもやま話」がある。勲一等瑞宝章受章。

2003.12.28

帆足まり子さん

 ラテン歌手・本名万理子。27日肝不全のため死去、71歳。鹿児島市出身。1952年から文化放送の洋楽番組「S盤アワー」のディスクジョッキーとして長年にわたって人気を集めた。三村氏(夫)とのデュオ「マルキータ&ジロー」としても活動した。

2003.11.27

小林千登勢さん死去 女優66歳

 女優でタレントの小林千登勢(本名山本千登勢)さんが26日、心不全のため死去した。ソウル市生まれ。文学座研究生からテレビ草創期のNHKのスターとなり、テレビドラマなどを中心に活躍。馬渕晴子さん、冨士真奈美さんとともに「NHK3人娘」と呼ばれた。1965年に共演がきっかけで俳優の山本耕一さんと結婚。出産、育児後の74年にNHKの連続テレビ小説「鳩子の海」で、ヒロインの育ての母を演じた。連続テレビ小説「おしん」や「ほんまもん」でも親しまれた。朝鮮半島からの引き揚げ体験を綴ったエッセーなども人気を呼び、マルチな才能を発揮。クイズ番組の解答者やワイドショーのコメンテーター、司会者などとして幅広く活躍した。

2003.11.18

江見俊太郎氏(俳優、本名黒川輝郎)

 17日肺がんのため死去、80歳。東京都出身。戦後東宝から新東宝に移り、映画「東海道四谷怪談」や、テレビの時代劇「眠狂四郎」などで人気を集めた。近年は「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」などにも出演した。

2003.11.12

アート・カーニー氏(米俳優)

 米コネティカット州自宅で9日死去、85歳。病気のため療養中だった。1974年に映画「ハリーとトント」で、ニューヨークからシカゴまで猫を連れて旅する老人を演じ、アカデミー主演男優賞を受賞した。56年に始まったテレビのコメディシリーズ「ハネムーナーズ」にレギュラー出演し、エミー賞を3回受賞。その後、ブロードウェーの舞台や映画に出演した。

2003.9.29

兄弟漫才半世紀 夢路いとしさん死去

 弟の喜味こいしさんと半世紀を越えるコンビを組み、上方漫才の第一人者として活躍した夢路いとし(本名篠原博信)さんが25日午前零時35分、肺炎のため神戸市内の病院で死去した。新派の役者を父に持ち、上方漫才の草分け荒川芳丸に入門し、芳博の名を貰った。1940年、2歳下のこいしさんと「荒川芳博・芳坊」の芸名でデビューした。転機となったのは48年の人気漫才作者、故秋田実氏との出逢い。若手漫才集団「MZ研進会」を結成し、芸名も「夢路いとし・喜味こいし」とした。

2003.9.25

ゴードン・ジャンプ氏(米俳優)

 22日、ロサンゼルス郊外の自宅で死去、71歳。肺繊維症を患っていた。映画「猿の惑星 征服」に出演。TVドラマ「かっとび放送局WKRP](78〜82年)で人気を博した。89年から今年7月まで、米家電大手メイタグのコマーシャルで修理工の役をユーモラスに演じ、話題になった。

2003.9.20

河原崎長一郎さん死去 「五番町夕霧楼」映画、ドラマ名脇役

 映画、テレビドラマで演技派の脇役として活躍した俳優の河原崎長一郎(本名河原崎統一)さんが19日午後4時26分、急性心不全のため神奈川県内の病院で死去した。64歳。「華々しき一族」(昭和45年)や、山田太一さん脚本の「沿線地図」「早春スケッチブック」など多くのテレビドラマにも出演し、誠実な父親の役などでも親しまれた。

2003.9.1

「荒野の7人」「さらば友よ」 C・ブロンソン氏死去 81歳

 男くさい風貌で日本でも人気のあった米映画俳優のチャールズ・ブロンソン氏が、8月30日肺炎のため米ロサンゼルス市内の病院で死去した。米ペンシルベニア州の炭鉱町生まれ。様々な職業を経て、1946年からフィラデルフィアで演技を学んだ。58年に始まったテレビドラマ「カメラマン・コバック」で注目を集め、60年の映画「荒野の7人」で村を救うガンマンの一人を演じて人気が高まった。

2003.8.9

沢たまき

 公明党参院議員、女優、本名山本昌子。虚血性心不全のため9日死去、66歳。「踊るウイークエンド」「ミスター・シャネル」「一番星」「プレイガール」などに出演。

2003.7.15

「仮面の忍者赤影」 坂口祐三郎氏(俳優、本名中村徹)

 13日、脳幹出血のため死去、61歳。福岡県出身。1967年からテレビで放映された特撮時代劇「仮面の忍者赤影」で主役の赤影を演じた。

2003.5.16

ロバート・スタック氏(米俳優)

 米ロサンゼルスの自宅で14日、心臓発作のため死去。 84歳。テレビ番組シリーズ「アンタッチャブル」で、シカゴのギャング一味と対決する連邦捜査局(FBI)のエリオット・ネス隊長役で出演、日本でも人気があり、エミー賞を受賞。映画でも「風と共に散る」(56年)でアカデミー助演男優賞候補となった。「東京暗黒街・竹の家」(55年)など多くの作品に出演した。

  ‥当館の[1961年」に収録。当時アンタッチャブルもネス隊長も、宮嶋茂樹風に表現すれば「実にシブイ」ものであった。それに比べれば、リメイク映画版は役者の顔合わせ興行にすぎない。

2003.4.8

アンソニー・カルーソ氏(米俳優)

 4日、米サンフランシスコ郊外の自宅で死去、86歳。死因は明らかにされていない。インディアナ州出身。悪役で知られ、1950年代の人気テレビシリーズ「怪傑ゾロ」や「ララミー牧場」に出演。映画「アスファルト・ジャングル」(50年)や「ゼブラ軍団」(75年)などでも活躍した。

2003.4.2

マイケル・ジェター氏(米俳優)

 3月30日自宅で死亡しているのが見つかった。50歳。1997年にエイズウイルス(HIV)の感染を公表していた。幼児向け人気番組「セサミストリート」のミスターヌードル役で知られ、90年のヒットミュージカル「グランド・ホテル」の熱演でトニー賞を受賞。92年にテレビドラマ「イブニング・シェイド」の演技でエミー賞に輝き、映画「天使にラブソングを2」(93年)や「グリーンマイル」(99年)「ジェラシック・パークV」(2001年)などで名脇役を演じた。

2003.3.8

フレッド・フリーバーガー氏(米脚本家、テレビ製作者)

 2日、米ロサンゼルス近郊の自宅で死去、88歳。死因は明らかにされていない。ニューヨーク出身。日本の怪獣映画のモデルといわれる映画「原子怪獣現る」(1953年)の脚本で注目され、60年代から70年代にかけ人気テレビシリーズ「スタートレック」や「スペース1999」などを製作した。

2003.1.24

ネール・カーターさん(米女優・歌手)

 23日、ロサンゼルス郊外ビバリーヒルズの自宅で死去、54歳。過去に脳動脈りゅうの手術を受けたほか、糖尿病を患っていた。 ブロードウェー・ミュージカル「エイント・ミスビヘイビン」に出演し、1978年トニー賞、同作品のテレビ放送で82年エミー賞をそれぞれ受賞。舞台を中心に活躍し、米国では80年代のテレビコメディー「ギミアブレーク」のレギュラー出演で親しまれた。「ヘアー」(79年)「スーパー念力マン」(81年)など映画にも出演している。

2003.1.4

ロイス・アップルゲート氏(米俳優)

 1日、ロサンゼルスの自宅で火災が起き、遺体で見つかった。63歳。「スプラッシュ」「ランページ/裁かれた狂気」「暴走特急」「オールド・ルーキー」などの映画で活躍した。「ダラス」「ツインピークス」「白バイ野郎ジョン&パンチ」などの人気テレビシリーズにも出演した。

2002.12.27

ケネス・トビー氏(米俳優)

 22日、カリフォルニア州ランチョミラ−ジュで死去。85歳。死因は明らかにされていない。1951年のSFホラー映画「遊星よりの物体X」で注目され、「ミシシッピ決死隊」「OK牧場の決闘」「マッカーサー」「ハウリング」など百本近くの映画に出演。「ローンレンジャー」など人気テレビシリーズでも活躍した。

2002.11.4

ラリー・ドブキン氏(米国の俳優)

 10月28日、心不全のためロサンゼルスの自宅で死去、83歳。「アイ・ラブ・ルーシー」「スーパーマン」「ライフルマン」など数多くのテレビドラマに出演。「十戒」「成功の甘き香」など65本以上の映画に出演。

2002.10.30

ジョン・ルーカス氏(米脚本家)白血病のためロサンゼルスで19日死去、83歳。

 「スタートレック・宇宙大作戦」「ベン・ケーシー」「逃亡者」「猿の惑星」などの人気テレビシリーズで脚本や製作を担当。「虐殺の街」「北京超特急」「赤い山」「海底都市」などの映画の脚本、脚色も手がけた。

2002.8.26

ディーン・リーズナー氏(米脚本家)病気のためロサンゼルスの自宅で死去、83歳。

 映画「追憶」「パリの休日」「マンハッタン無宿」「恐怖のメロディ」「ダーティハリー」「ダーティハリー3」「突破口!」「危険な天使」の脚本を担当。テレビシリーズ「ベン・ケーシー」「ローハイド」の脚本も手がけた。

2002.4.17

ロバート・ユーリック氏(米テレビ俳優)16日、がんのためロサンゼルス市内の病院で死去、54歳。

 米オハイオ州生まれ。ミシガン州立大で演劇を学び、1973年にテレビデビュー。78年から始まったテレビシリーズ「ベガス」の探偵役で一躍人気を獲得。日本でも放映された「私立探偵スペンサー」シリーズでは主役のタフなボストンの探偵を演じた。映画「ダーティハリー2」では悪役若手警官の一人を演じた。

2002.3.19

ウィリアム・ウィットニー氏(米映画監督)

 17日脳卒中に伴う合併症などのため、カリフォルニア州の病院で死去、86歳。1930年代以降「カルフォルニアの星のもと」などのロイ・ロジャース主演作品や、「西部群盗伝」「西部の列車強盗」など数々の西部劇映画や、「空挺肉弾部隊」「空飛ぶ戦闘艦」などの戦争アクションを監督。TVシリーズ「怪傑ゾロ」も担当した。

2002.2.24

「トムとジェリー」製作のアニメ監督チャック・ジョーンズ氏死去

 22日、心不全のためロサンゼルス近郊の自宅で死去、89歳。ワーナー・ブラザーズに所属し、バックス・バニー、ダフィ・ダック、ポーキー・ピッグ、トムとジェリーなどを世に送り出した。300本以上のアニメ作品を制作し、96年にはアカデミー名誉賞を受賞。

2002.2.22

「モース警部」主役ジュン・ソー氏(英国俳優)

 21日、食道がんのため英国南部の自宅で死去、60歳。オックスフォードを部隊に、相棒のルイス巡査長とともに難事件を解決する人気ミステリー番組「モース警部」の主役を務めた。英国ではモース警部の死亡する最終回の視聴率が、国民の2割に当たる1,250万人に達したそうである。
 この番組は去年BSで放映されており、何度か見た記憶があるが、モース警部は年の割には優等生あるいはスーパーマンといった正義のヒーローではなく、勘が外れる方が多かったようで、それに気がつくとバタバタ走りまわっていたように思う。それだけに人間味があってその上独身なのか、毎回登場の女性とのラブロマンスがあった。日本と違い緯度の高いイギリスが舞台とあって、映像の色彩に陰影が強くこってりとコクのある画面となり、モースの乗る英国車の赤色がひときわ印象的だった。

2002.1.10

レイ・パターソン氏(米アニメ製作者)

 12月30日、ロサンゼルス近郊の自宅で死去、90歳。10代からアニメ製作にかかわり、役70年間にわたって第一線で活躍。「ファンタジア」「ダンボ」の他、「トムとジェリー」のシリーズ、初期の「スパイダーマン」にかかわった。

2001.12.18

キャスパー生みの親 セイモア・ライト氏(米国の作家、イラストレーター)

 11月21日、ニューヨークで死去,83歳、死因不明。心優しく、人間と友達になろうと努力する幽霊のキャスパーを主人公とする漫画を創作した。1940年代に劇場用短編アニメとして公開。60年代にテレビアニメとして人気を集め、95年には映画「キャスパー」(製作総指揮スティーブン・スピルバーグ)が製作された。

2001.12.6

トーマス・タネンバウム氏(米映画・テレビプロデューサー)

 1日、心不全のためロサンゼルス郊外の病院で死去。69歳。人気テレビドラマシリーズ「新弁護士ペリー・メイスン」「スパイ大作戦」の製作を手掛けた。

2001.9.27

ジェラルド・メイヤー氏(米映画・テレビ監督)

 21日、肺炎による合併症のためロサンゼルス郊外の病院で死去、82歳。1960年代に全米で放送された人気テレビシリーズ「逃亡者」や「スパイ大作戦」などの製作を手掛けた。

2001.9.3

「避暑地の出来事」トロイ・ドナヒュー氏(米俳優)

 2日、心臓病のため米カリフォルニア州サンタモニカの病院で死去、65歳。「サーフサイド6」に出演、ブロンドと甘いマスクの二枚目として人気を得た。…65歳というのは意外に若かったと思うのだが、どんどん往年のスターが鬼籍に入り、時の流れと自らの老いを自覚させられる。絶大な権力を誇った秦の始皇帝でさえ、不老不死の薬を求めたがそればっかりはかなえられなかった。トロイ・ドナヒューといえばこういう話を聞いたことがある。”フォトジェニック”…写真写りが良いとかいった意味なのだが、並み居る男優・女優の中にあってただ一人、どこから撮ってもサマになる”フォトジェニック”な俳優だったそうである。よく聞く話が女優などで、この角度からは絶対撮らないで、というウイークポイントの面を持っているものである。それがないマレな男優がトロイ・ドナヒューであった。しばし合掌…

2001.6.28

ミーミン作者トーベ・ヤンソンさん死去

 森の中に住む空想の生き物「ムーミン」シリーズの作者として知られるフィンランドの女性童話・絵本作家トーベ・ヤンソンさんが27日、ヘルシンキ市内の病院で死去した。86歳だった。ムーミンは34ヶ国語に翻訳され、国際アンデルセン賞作家賞(66年)など多数の賞を受賞した。

2001.3.24

トムとジェリー ウイリアム・ハンナ氏死去

 米のアニメーション作家。22日、ロサンゼルス近郊の自宅で死去。90歳、死因は不明。ジョセフ・バーベラ氏と「ハンナ・バーベラ・スタジオ」を共同設立、60年以上に渡りアニメ製作に携わった。

2001.1.4

火星人、火星に帰れず地球で死亡

 表題のようには全く書いてない。新聞にはレイ・ウォルストン氏(米俳優)老衰のためロサンジェルスの自宅で死去。86歳とあり、テレビのコメディ番組「ブラボー火星人」で火星人役を演じ、全米で人気に火がついたと報じられていた。

2000.10.29

プージュリー氏死去(禁じられた遊びミシェル少年役)

 ルネ・クレマン監督が1951年に発表した、世界的ヒット映画「禁じられた遊び」で、準主役のミシェル少年役を好演した、ジョルジュ・プージュリー氏が28日パリ郊外の病院で死去、60歳だった。トラックの列が戦闘機に銃撃されるシーン、洞窟内の十字架を立てるシーンが思い浮かぶ…。あれから50年近い年月が過ぎていたのだ。スター・芸能人の晩年はうら悲しいものが多い…リック・ジェイスンしかり、都蝶々しかり…そして現在がどんどん過去という闇の中に吸い込まれていく…。

2000.10.18

ヘンリー少尉、銃弾に倒れる

 本当はそんなタイトルで新聞に載っているわけではない。このホームページをやってると、ついついそう錯覚してしまう。リック・ジェイスンはロサンゼルス郊外の自宅で、16日、頭部を銃弾で打ち抜いて死んでいるのを、妻に発見された。74歳だったそうである。末期ガンに耐えられず、ガンで死んだのか。

 前に書いたようにこうした往年のオリジナル・キャストで、昔の番組のリターンズをつくるとどうかと思うのだが、コンバットの場合、既にビック・モローは亡くなっており、無理な相談であろう。それに74歳では、その演技は滑稽をこえて痛々しく、見るに耐えないものになるだろう。

 指揮官先頭は、旧日本軍でも言われたことだが、今の社会に置き換えて考えてみると、指揮官を上司と置き換えるなら、指揮官が振り返ったら後ろには、誰もついて来ていなかった、などという事態が多々発生するのではあるまいか。それどころか後ろから味方の弾が飛んできて、あえなく戦死ということも考えられる。その点ヘンリー少尉はサンダース軍曹以下の将兵にとって、とてもよい上官であった。勿論後ろから撃たれることもなかった。見習うべきだろう…。

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