旅 八十歳と出かけたスペイン旅行、あるいは「我が道」の歩き方 −1−

24 Mar 2000
やはり書いておきます。
今度の旅行は父の積み立てから始まりました。
私は観光で海外に出かけた経験がありません。妻は海外旅行そのものの経験があり
ません。お酒は飲まず、ゴルフもやらず、見本品や難あり着用がもっぱらなので、衣
料も買わずでしたから、私がその気になれば妻の海外旅行も可能でしたが、この四半
世紀、二人は観光で海外へ出かけた経験がありません。
父は晩年、嫁のために海外旅行の費用を積み立て、その遺志を果たすため、三月十
一日から二十二日までの団体旅行に申し込み、妻の同行が無理になったので積み立て
には手をつけず、母を慰めるために出かけました。
父の死後、母の元を訪れ、線香をあげてくれた人で、両親が敬愛していた旅行関係
者がおりましたので、一面識もない私もごく自然にコースの紹介をお願いしましたが、
その関係者の海外添乗中に、紹介されたコースが二つまで不成立になり、途方に暮れ
た折、同じ社の一般の受付で、締切り間際の代替コースを相談、半日後、参加可能の
返事をもらい、その場で申し込みました。
出発前々日の、添乗員からの挨拶の電話は不自然でした。威圧的で、棘さえ感じら
れました。
往路満席の機内の、指定された席に着座後、母と私の間に席がありましたので、交
代をお願いしようと待機していましたところ、誰の姿も現われません。怪訝な気持ち
で坐りなおしますと、中年の、大柄な女性添乗員があたりに響く声で「そこは○さん
のために用意したのですよ!」
満席の機内でも、団体席が一つ空いてしまうことは珍しくなく、たまたま空席の脇
に我々を割り当てたとは抗議後の弁解でした。やはり満席の帰りの機内では、我々の
前の列の、添乗員の脇が一席、空いたままでしたが、我々の受けた仕打ちは、ここま
で演出しなければならないほど大事になっていたのかも知れません。
離陸後、私がトイレに立ってから、無作法にも中年の男性観光客が母の顔を覗き込
んだことを、後日、ホテルで母から告げられました。往路の機内で、母は繰り返し父
の遺影を取り出し、父に話し掛けていましたが、その訳はこの空席にあったのです。
眠られず、食べられず、目をこすっていたのがまずかったのか、結膜炎の症状が再
発、乗り継ぎの飛行場で目薬を買いたい旨、メモ書きを渡しましたところ、再び静ま
り返った機内で「細菌性かアレルギー性かの違いによって薬が合わず、失明する危険
もあり、目薬と言われても買えるかどうかわからない」と大きな声で告げられ、満座
の中で脂汗を流しました。この説明は、気持ちの引き立て役に徹していたもう一人の
添乗員の受け売りでしたが、この添乗員が、自分の結膜炎の体験を話しながら、乗り
継ぎ地の飛行場で薬屋に同行、目薬を購入できたことが、今回の旅の励ましになって
います。
母と娘が一緒でなければ、あるいは昔の私でしたら、現地到着後、別に航空券を買
って帰ってしまったことでしょう。この歳になって、怒りにまかせた行動の愚かさを
母と娘から教えられました。二人の顔を見たら、なにも言えなくなりましたもの。
帰国後の昨夕、母のところへ旅行関係者から平謝りの電話が入りました。もしこの
電話がなければ、あまりに常軌を逸した出来事でしたので現実とは思えず、このメー
ルも書かなかったと思います。しかしあの態度は我々だけに向けられたのではありま
せん。むしろそのことが抗議の契機になっています。旅程の中ほどで、深夜から早朝
にかけファックスの原稿を作成、両親がお世話になった旅行関係者が帰国前でしたの
で、まわされたクレーム係に国際電話で朗読、応対した男性の、苦情処理の語り口が
沈黙に変わったことで、改めてことの異常さを確信しました。
特異な性格の、例外的な出来事だったのでしょうか。
25 Mar 2000
乗り継ぎに要したのは数時間です。盗難時の煩わしさを考えクレジットカードは持
参しませんでした。帰路はこの国を経由しませんから、喫茶用に両替した残りで雑貨
をと考え娘に依頼、娘は、日本にもコーナーのある百貨店のお土産売り場で、兄や従
姉妹にと、熊のキーホルダーを五個選び、支払いを済ませ、母の手をとって私の元に
歩き出したその直後、ダークスーツの店員が小走りに歩み寄り、母に話しかけていま
したが、二人の驚きはもっともです。娘が買ったキーホルダーとは別にもう一個、免
税店の小さな袋に入れ、若い紳士が母に手渡してくれたのです。言葉はわかりません。
しかしそれが、八十歳になる母への祝福であったことは疑いの余地がありません。違
いが余りにも大きすぎました。そして恐らく、どちらも特異な出来事ではなかったの
でしょう。
26 Mar 2000
帰国した日、社会人一年生の我が子の、短時日の海外出張が決まっていました。行
先は我々の観光先でしたから、スーツケースや旅行の資料がそのまま使えます。以前
でしたら身内の喜びは伏せておいたのですが、嬉しいことは嬉しいと書くことができ
るほど気持ちに余裕が生まれています。自分の闘争心や執着心が、薄れてしまったの
かも知れません。
父の闘病中に利用した旅行社は、郊外に住む私の最寄駅近く、大手の営業所で、お
客が三人坐ると一杯になってしまう狭さでした。娘が高二のとき、はじめての飛行機
で単身、海外の友人宅(駐在員の娘さん宅)に遊びに行くことになり、航空券だけを
購入しましたが、数度にわたり渡航手続きの説明を受け、ご自分の趣味の切手まで持
ち出して市内観光の要領を教えてくれましたので、ただただありがたく、その後、両
親との温泉旅行は日程だけを告げ、行先も宿もすべてまかせてしまいました。その人
は父の死の四ヶ月前、記念の海外出張を最後に、定年で退職されました。窓口で初め
て会った双方には、金銭も、処遇も、露ほど「特別」はありません。しかし、父の死
の想い出に、この人を欠かすことは出来ません。
当初はバルセロナに一週間滞在、美術館と建造物を楽しみながら、現地の若者に人
気のあるお店で買い物を予定、その旨、両親が親しんだ旅行関係者にお手紙しました
が、折り返しいただいたご返事は「バレンシアの火まつり」のおすすめとパック旅行
の資料でした。
一方、私もガイドブックを読むにつれ、スペインの治安の悪さに不安を抱き「おす
すめ」で妥協、団体旅行に切り替えましたが、実際に出かけるまでは、旅行社の説明
や資料に「今のスペインの治安は西欧で最も悪く、イタリアの悪さの比ではない」と
いう文言は見当たらず、足の遅い母だけでなく娘も私も、行軍まがいの観光になると
は夢にも思いませんでした。しかし、スペインでも最も治安の悪いとされるマドリー
ド、および治安に不安の少ない最終地パリでは、一行の観光から離れる旨と、その予
定のメモを添乗員に渡し、家族だけで行動しました。抗議後の対応は特別から普通に
改まっていましたが、私にも旅行の要領がわかるようになり、行軍ではなく、母と娘
の三人で旅する喜びを取り戻したかったからです。
娘は一瞬も母のそばを離れませんでした。ホテルの、二人の部屋に入ってなお施錠
を気遣い、次第に神経が高ぶり、一時、私にあたるほどでしたが、母を気遣う姿を目
にした私が黙り、さらに一人部屋に移してからは気持ちもほぐれ、その後は娘に手綱
を預けることで「今一つの喜び」を知りました。日程の後半ではホテルの精算も娘に
させた、その娘が点検のため明細書を見ようとした刹那、「○さん! よく調べて!」
と鋭い命令が娘を直撃、一瞬、抗議前の暗澹とした気分に襲われました。
常に後尾にあって、必死について行く我々を見かねたのでしょう、参加したお一人
が「恐怖心を煽ることで日程をこなしている、これは観光旅行ではない」と話してい
ましたが、スペインの全行程で、笑顔の添乗員と現地のガイドとは別に、大都会では
警備員でしょう、男であれ女であれ無言で随行する一人と、件の添乗員が腕組みしな
がら看守長よろしく「囚人」の右往左往を傍観、するだけならまだしも、信号を渡る
とき、列に遅れたとき、全員に通る鋭い声で「○さん! 気をつけて!」「○さん!
もっと早く!」「○さん! 急がないで!」----。
旅行関係者に対する部内の反目が我々に向けられたと思いました。同時に、団体を
宰領する添乗員の性格と現地の治安次第で、添乗員が王侯になれることも知りました。
件の添乗員は国際社会に精通した第一級のやり手だったのでしょう。確かに海外を知
るにつれ我々は海外の作法を採り入れ、言葉も立ち居振舞いも国際化しましたが、そ
れは上っ面の、我意に都合のよい国際化ではありますまいか。この想いは、私が随想
を書き始めた当初といささかも変わっていません。
27 Mar 2000
帰りの機内で娘から「お父さん、ありがとう」と言われました。帰国後、そのこと
を母に告げますと、娘は最初「お父さん、ご苦労さま」と言ったそうです。それを母
が「ご苦労さまではなく、ありがとうですよ」と教えたところ、娘は改めて言い直し
たことを知りました。ご苦労さまの方は私の耳に残ってません。ありがとうの方は心
に響きました。
団体旅行でしたが、一度も自己紹介の機会はありませんでしたので、お互い、名前
さえわからない旅でした。一方、私は矛先を和らげようと、朝食時からご機嫌をとり、
添乗員にものを頼むことはやめました。もう一人の添乗員は、交代後は何でも出来ま
したが、それまでは隅に押しやられ、小間使いさせられている印象でしたので、なお
のこと、件の添乗員を差し置いて頼んではまずいと判断、部屋の鍵(磁気カード)の
不具合も、添乗員を通さず直接ホテルに申し出----日本語と身振りと、応答した相手
の英単語を借用すれば、単身でも、外国客に開かれたホテル利用の海外旅行は、先ず
実現できるものです。私の場合、単身の海外旅行の辛さは、レストランでの和気藹々
の雰囲気にありました----
磁気カードの不調は、あるホテルではパソコンの操作で解決しましたが、別のホテ
ルでは、警備員同行での調整も失敗、とうとう鍵と把手の装置すべてをつけ替えるこ
とになり、改装工事が遅れ、空室なしのホテルでは、二人部屋に三人寝も覚悟、この
ような事態でも、件の添乗員に相談するよりマシと思っていました。因みにこのホテ
ルでは、頑丈な木製のドアに、磁気カード式の施錠装置を外付けしていましたので、
装置は短時間で替えられたのです。
この折の夕食が、各自、自分で食事できる最初の機会でしたが、地方都市のことゆ
え、下調べでは候補のレストランがわかりません。一行は、市街に出かける一団と、
中華料理店に出かける一団にわかれ、それぞれ添乗員が案内することになり、緊張し
通しの我々は迷うことなく後者を選択、ようやく寛ぎを得られると期待。大昔も、旅
行中に夕食の場所に迷った時は、先ず中華料理店を探したものです。
英語のメニューがあり、広い店内は、我々が帰るまで他に客はいませんでしたから、
各々希望の席につけ、好きな料理を食べられた筈です。また、人生を半世紀も経験し
た人間であれば、量の加減は失敗しても、中華料理の注文に困ることもありますまい。
しかもそれまでに、スペインのレストランは、一行の多くが体験学習していましたか
ら、単身の参加者がいない団体の、自由時間の夕食は、家族ごと、友人ごと、新婚ご
と、一つテーブルを囲みたかったのは当然でしょう。
十数人の一行は、すでに設えてあった二つのテーブルにわけられ、我々の向かいに
父と娘と思われる二人連れ、その隣りに添乗員が坐り、各自に手渡されたメニューを
開いて思案後、二人から七、八人までコース料理がありましたので、スペインの中華
料理入門のつもりで「六人コースがありますね」----。
コース料理を注文するのは野暮なのでしょうか。我々の席は鍋奉行が仕切っていま
した。関心を一品料理に向けられ、問われて答えた娘の希望は無視、五人の誰一人、
注文を口にするのが憚られ、各皿一人前を、皆で分け合うことになったメイン料理に、
国際人は健啖ぶりを発揮、白いご飯で食べていましたが、母の苦手を知っていました
ので、私の神経も二口、三口しか受けつけませんでした。
添乗員について母はそれまで一言も話しませんでしたが、ホテルに戻ってからの、
孫娘の注文が無視されたこと、およびもう一つについての口調から、このような状態
が続くようでは母も耐えられないであろうと判断、目が冴えていたベッドから身を起
こし、ファックスしようと決めました。
お話してもよろしいでしょう? と諾否も待たずに喋った内容は、向かいのお二人
のプライバシィに関わることで、個人的事情や勤め先での関係が料理の妻に差し換え
られ、母に強い不快感を与えたのです。
南スペインの都市では、立つのもやっとの足取りで、年老いたご婦人がお二人、観
光している姿を目にしています。老夫婦のお一人が、伴侶を支えながら旅されている
姿もお見かけました。欧米人は老いてもご自分の足で観光できるのに、なぜ我々は行
軍に組み込まれ、八十歳になっても追い立てられなければならないのでしょう。治安
? 観光旅行と銘打って募集した以上、それは言い訳に過ぎますまい。
28 Mar 2000
ホテルに一行が戻ったのは、夕食を終え、疲れきった時刻でした。母と娘は部屋に
引き上げ、一行の半数が翌日の指示を受けるためロビーに残り、資料を受け取ってか
らそれぞれの部屋へ。
格式はそこそこでも設備は旧式でしたから、遅いエレベーターはどれも降りて来ず、
初老の、白人のご夫婦がエレベーターを待っていた、その姿をロビーで目にした一行
は、添乗員に階段の所在を尋ね、手荷物を抱えながら上がって行きました。
四人乗りのエレベーターは、巨躯のお二人で一杯でしたが、ボタンの位置にあった
ご婦人から「何階ですか」----。ご主人からは「お休みなさい」----。欧米人は総じ
て大きいので、いつも見上げる私は、海外では、張り子の虎の頷きと、頭を下げる挨
拶はやめていますが、「お休みなさい」の響きはよいものですね。
貸切りバスの乗降口とホテルの玄関が七〜八歩の距離でも、襲われることがあると
聞かされていた私は、ロビーでもエレベーターでも、外国人は誰も犯罪者のように思
っていましたが、夜分、東洋人に対したご夫婦には、挨拶と親切があっただけです。
私が一人部屋だった最後の日、深夜に書く抗議文など平常心を失っていますから、
書いては破りを繰り返してから、日本の旅行社へ国際電話、さらに自分の事務所とも
長電話しましたので落ち着いたのは朝の六時。シャワーを浴び、衣服を着替え、母と
娘を伴ってエレベーターで0階へ。
その朝、件の添乗員は現われず、別の一人がロビーで待機。
旅行中は、添乗員直接には、苦言の一語も、不満の一句も漏らしませんでしたので、
添乗員の主従が替わっただけで、その後も、二人の添乗員と我々との話題は変わらず、
ただその時から、私はご機嫌とりをやめ、件の添乗員は帰国まで、母の耳元で、弁解
の言葉をささやいていました。
階下に降りて行くのは不安でしたが、言いたいことを言ってしまった私の錯覚でし
ょう、もう一人の添乗員には、解放されたような笑顔が認められました。一方は眉一
つ動かさない猛者ですが、火の粉が飛んで、こちらの添乗員が沈んでしまったら困り
ます。しかし心配は無用でした。そのときの添乗員の挨拶は
おはようございます。
娘さんが可愛くてたまらないご様子ですね。
私も父から可愛がられました。お食事できてます。どうぞレストランへ。
添乗員や個人旅行者の、丁々発止の武勇伝を耳にします。俗語を駆使、現地の交渉
相手をやり込め、特例を勝ち取った話は、国際ビジネスに関しましても、私が社会に
出た頃、海外駐在員から聞かされています。中には駐在地で自分の起こした交通事故
を、ご自身で解決した自慢話さえありました。
私にとっての国際化は、国内の自分をそのまま待ち出すことです。皆さんは生きて
いる今、何が一番大切ですか? 私は「それ」をはっきり認識できていると思います。
エレベーターに乗る動作の、その背後にあるものは日本もスペインも変わりあります
まい。もし日本でそうであれば、スペインでも自然に挨拶が生まれ、よい余韻が残る
でしょう。もし日本でそうであれば、スペインの朝でも喜びが語られ、心が和むと思
います。しかし悲しいかな、我々の社会でもなかなかそれが見当たりません。それと
は、普遍的規範でも絶対的価値でもないのですよ。各自が内に抱えている美の塊----
と言ったらよいでしょう。
帰国後、娘は「スペイン人はのんびりだが真面目に働いている、日本人はせわしげ
だが怠けている」と話していました。その意味を私は汲み取れません。私なりに解釈
しますと
もし個々が大切なものを抱えていますと、国の内外を問わず譲れませんから、不具
合や軋轢や葛藤は生れて当然でしょう。状況に応じて自己を玉虫色に変え、うまい汁
を啜ろうとしましても、魅力は、あるいは喜びは、大切なものの方にある筈ですから、
年齢にもよりますが、体も心も、風見鶏のようには行かないと思います。順応性や適
応力とは次元が異なります。
方法は変化します。媒体や手段は、大切なものの有無に関係なく利用できますし、
積極的に採り入れればよいのですが、何のために!を欠いては、確かに場当たり的果
実は得られるでしょうが、効率を云々する以前に無作法が支配、混迷は深まるだけだ
と思います。まじめに、とか、怠けている、とは、誠意や努力ではなく、個々が抱え
ている美の、多寡、および不確実性から現われる態度の違いのように思われます。
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