クリスマスの季節 −433−
  
広域のロマン 千葉県我孫子市、茨城県取手市

茨城県と千葉県の境は利根川のハズですが、茨城県の
稲敷(いなしき)市・潮来(いたこ)市・鹿島郡神栖(かみす)町と
千葉県の、佐原(さわら)市・小見川(おみがわ)町の境では
千葉県が利根川を北に越え茨城県側に食(は)み出し

茨城県取手市と千葉県我孫子市の境では
茨城県が利根川を南に越え千葉県側に食み出す
その底の部分に古利根沼があります


利根川は昔
東京湾(江戸湾)に注いでいたそうです
利根川の東遷を手がけたのは江戸幕府
渡良瀬川鬼怒川小貝川常陸川などへ
川筋の付け替え工事が各地で始まり
銚子への流路が造られて行ったそうです
河口まで川筋が落ち着いたのは明治時代に入って

利根川の東遷を私が初めて知ったのは
江戸川の「起点」を訪れ
関宿城博物館で古い地図を眺めた折です
江戸時代には「広域のロマン」が
息づいていたのですね



 沼の南側から北東方向

 利根川は写真の左手方向

 写真右上が北東側の外れ

 トンボの群れと蜘蛛の巣

 沼の南側から北西方向

 利根川は写真の右手方向

 遠くに常磐線の鉄橋

 北西側の隅の辺り

 写真右手に沼、さらに川



古利根沼には幼い子連れで釣りに一度
松戸市の主水(もんと)池(まこも池)には
新婚時代に下矢切からバスを乗り継ぎ
出かけたことがあります

暑かった主水池では
体調がヘンだったカミさんがふらついてしまい
何しろ何もなくバスさえ珍しい(?)場所でしたので
近くの農家で事情を話しましたところ
冷たい飲み物をいただき縁側で休ませてくれました

古利根沼も主水池も当時は
周囲に溶け込んでいたのです

利根川沿い千葉県側の車道を幾度となく走っています
江戸川沿い千葉県側の車道はさらに幾度も走っています
その折々古利根沼の緑地を
主水池の立ち木を無意識に見てはいますが
利根川河口堰を撮らなかったら
古利根沼に立ち寄る気持ちは湧かなかったでしょうし
三郷排水機場を撮った江戸川の土手を
反対側に下りれば主水池ですが
こちらは未だに関心が湧きません

今の古利根沼は釣り人以外
立ち入りを阻(はば)む何かがあります
沼の南側にはある距離
東に向かって歩ける道があります
南側には北西に向かってやはりある距離
車の入れる道もあります ←こちらは縁に鉄線の柵があります
ですが歩ける道は草に覆われ
沼の縁は滑りやすくそして何より
一帯から遊離させられた肩身の狭さが
家族連れの訪問を拒んでいます


 ※

  
内院の関東ムラは政都を今の横浜市内へ
東京23区内は関東ムラの商都として再構築
関東ムラ全域は家庭資本と環境資本を高度に蓄積
外院は津軽海峡の南側、今の
青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜の龍飛崎地区へ遷都
現場から遊離、私怨に踊り、節操を捨て
蓄名に奔走する現代涙国の哀しき習性を
少し醒ます必要があるようです

競争社会から比較(比較する)社会へ
議会制民主主義から比較会議制現場主義へ

        ……2005年8月21日の関東ムラにて

等質社会の、大首絵人気投票政治から
ムラを相互に比較し
中央政壇の恣意と地方分権の勝手を制御する政治へ
中央集権を輪切りにする地方分権や道州制は
島嶼にお大名様を割拠させる力学を秘めています
分権には外院とは別に、比較会議の仕組みが必要です

ムラ政府への集権化




 ※


  
利根川水系 順不同

吾妻川
白砂川
谷川
湯檜曽川
発知川
片品川

湯川
鬼怒川
黒川
大芦川
思川
渡良瀬川
渡良瀬遊水地

小貝川

赤榛分水工
利根大堰
関宿水閘門
利根運河
北千葉導水路
利根川河口堰

そして江戸川

など



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