【聳え立つ市庁舎】は
1998-07-05〜1999-02-17に
散歩者の夢想MLで連載した「随想 中町にて」の抜粋です。


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 【聳え立つ市庁舎】


都心の下町の、ある地主を、私の偏見ないし思い込みをもってご紹介しま
しょう。記憶にあるのは大正時代からでしたが(記憶は嘘です)、東京の下
町には借地借家が広がっていたと思います。地主から土地を借りて家を建
てたり、借家に住むのがあたり前だった市街に、私も一時期、住んでいた
ことがあります。

例えば省線の次の駅まで、自分の土地を伝って歩けたという地主も知って
おり、また家業ではそのような地主からも、土地を長年、借りていたこと
がありました(家業の借地は一箇所ではなく、また借地の地主も一人では
ありませんでした)。

地代は固定資産税の、例えば数倍というような「相場」がありまして、値
上げの根拠も明解で、契約期間も二十年という長期を延々と更新し続け、
そこには借りる側にも貸す側にも「調和」ができ上がっていたと思います。
(一〇)
借地の私の話は、法律的には間違いだらけだと思います。行間にある哀感 だけを読み取って欲しいと思います。 底地は売れない、と相場が決まっていたのですね。大金を投じて底地を買 い上げても、借地権者が居座っているのですから地代しか入りません。底 地を買い漁ったお金は寝込んでしまいます。 契約の中身にもよりますが、長期契約の場合の評価割合は、底地権二ない し三、借地権八ないし七、これが私の知っている相場でしたので、地主が 借地権を買い上げるのは大変でした。まあ、地主は地代さえ入れば、底地 権を売却して税金をおさめるのもつまらない訳で、底地権は買う者なし、 また相続でも生じない限り、底地権は売る者もなし、と信じていました。 だから何十年も住んでいる土地であっても、借地のままでよかったのです。 尤も祖父は戦前に、小さな病院の乗っている底地権を買い上げ、祖母に譲 り、地代収入によって、祖母の老後の安定を図ったことがあるそうです。 底地権の不自由さと違って借地権は、売買の対象としても通用します。新 たに借地権を買い上げた者は、地主に相続が生じた折などに、底地権を買 い取る意向もあったようです。 地主は地代を期待していたと思います。しかし泡の時代には、亡者が腐る ほど湧きました。(一一)
泡の時代になりますと、事務所ビルが不足するという報道が目につくよう になりましたが、確かに大手金融機関の支店長も、不動産業者顔負けの熱 心さでしたから、底地に目をつけた亡者が雲霞のごとく現われたとしまし ても不思議はありません。亡者は地主に言い寄り、裏金で誘い、法律は、 初対面の借地権者にさえ裏金を口にするほど甘く見られ、誘いにのらなけ れば掌を返すように常套手段、つまり脅しをかけてきたのです。 一方、昔からの地主も、折りからの泡風に浮き足だっておりました。地価 の高騰と相続が重なれば、地主は追い込まれてしまいますから、売れない はずの底地権を買い上げてくれる亡者は地主にとっては救いの神。 借地権者でも普通でもない者が底地権を買い漁りました。亡者は底地権の 買い漁りによって、百年単位の生活習慣を根底から覆したのです。捨て値 と引き換えに借地権者が立ち退くまで、新しい地主は抵当権の設定にもビ ルの建設にも頑として応じなかったのです。幾重にも転がされた痕跡を辿 りますと、続くはずのない資金の出処(でどこ)がわかってきます。 ある日、突然、影の見え隠れする筋から新しい地主であると通告が来る。 借地権を地主に戻せと「お願い」が来る。応じなければ民事訴訟の内容証 明が送達される。明け渡し請求の根拠などおよそ法律の埒外なのに、相手 の弁護士は敗訴承知で(弁護料が儲かる)裁判沙汰、気の弱い個人や弁護 費用の続かない零細企業はそれだけでくじけてしまいます。街宣車が繰り 出せば、結構しっかりした事業主でも青くなります。その資金が「どこか らか」出たばかりに――(超一流の金融機関に勤めていた地主が、借地権 者への通告抜きで、底地権を広域指定の団体に売却した事例も目のあたり にしています。当時は「例外」だと思っていましたが、この種の団体と取 引する感覚は、金融機関の一部従業員には当然だったのかも知れません)。 (一二)
地主が突然、広域指定の団体に替わったり、マンションや一戸建ての、隣 りに同様の団体が入居すれば、皆さんの毎日は、来る日も来る日もどうな りますか。 地主が広域指定の団体では、借地権の買い手が現われません。広域指定の 団体が地主では、抵当権設定の承諾も得られません。ですから、借地権を 担保に借り入れていた会社や、借地権の売却資金を当てにしていた事業主 には死活問題になります。そこが亡者の思う壷。 しかし今が大切です。話題を変えましょう。自然を愛し、これからの人生 を享受するのが「生きることを義務づけられた人間」の定めです。辺境の 食卓に、皆さんはどのようなお客様をお招きしますか。閑話休題、中町に 戻ります。(一三)
中町の来店者は主婦ばかりではありませんでした。若い消防士が夜勤明け に立ち寄ったり、主婦仲間の所属する団体の、関係者数人が背広姿で来店 したり、ラグビー部の学生さんも、お役所のある課のお仲間多数も、店の 前の、道路を舗装した会社の社長さんも来店され、皆さん半信半疑でした が服を買い、それがきっかけで、月一や季節毎に、来店されるお客様が増 えました。 若い消防士は独身寮住まいでしたので、夜勤明けの雑談相手が欲しかった のでしょう。ラグビー部の学生さんは就職後も何度かやってきました。お 役所の担当者と道路会社の社長さんが、店内でお仕事を打ち合わせたこと もありました。ある団体の、職員にしては背広のバッジが光りすぎの面々 が、黒塗りの自動車で遠路はるばる、来店された経緯もわかっていました。 平日の昼日中の、来店者は圧倒的に近所の主婦とそのお仲間でしたが、私 道を隔てた赤提灯の女将(おかみ)が訪れたこともあります。(一四)
女将の、制服で登校していた下の子は中学生だったと思います。上の子は 暴走族好みの単車を所有しており、胡散臭い若者と、私道でたむろする姿 も目にしています。 女将は午後になると洗い髪で姿を現わし、歩道の掃除にとりかかるのが日 課でしたが、連れ添いの姿は見たことがなく、夕刻になると、馴染みとお ぼしき中年の、素人とは思えない人影が入り浸り。 繁華街に遠く、飲み屋には向かない民家の、縄暖簾を垂らしただけの居酒 屋では、歩行者も見逃してしまい、常連客に限られていたと思います。 女手ひとつで飲み屋を営み、二人の男の子を養っていたのですから、昼間 はやつれて見えたのも無理ありません。その女将、私が投げ売りを始めて しばらくは、視線さえ合わせなかったのですが、気さくな雰囲気に気づい たのか、ある日フラッとやってきて「子のために何か買ってやりたい」  (一五)
子らの、気に入る服があったらよかったです――。残念そうにして帰って 行ったのが最初で最後。やがて女将の姿が見えなくなり、赤提灯の入り口 に「しばらく休む」の墨書が貼られ、さらに数日しますと、女将そっくり の老女とその連れ合いが住み込んで飲み屋を再開、二人の子を世話するよ うになりました。(一六)
偶然です、二階の窓から通りを見たのは。 黒塗りのステーション・ワゴンが背後のドアから、台を引き出したまま停 まっていました。特殊な車であることは一目でわかります。白い棺が運び 出され、老夫婦と兄弟二人が見守る中を、ステーション・ワゴンは走り去 って行きました。 目に焼きついた情景は、感慨のかけらも湧かない関係でも、書き残すまで 脳裏から離れません。一つだけ理解したことがあります。飲み屋では不幸 は、決して人目に曝してはならないということです。飲み屋の経営に感傷 の入り込む余地はありません。老夫婦の働く姿がそう教えてくれました。 (一七)
飲み屋の老夫婦はいつまで働くのでしょう。誰が退職金を支払ってくれま すか。二人にとって人生は重荷そのもの、なのでしょうか。(一八)
丑三つ時の首都高には、亡霊が唸りを上げて飛び交っており、アクセルを 踏めば踏むほど、耳元でささやくのです、こっちへお出でと。 都心の建物を眼下に、月明かりの中を飛ばしますと、宙を飛んでいるよう な錯覚に陥ります。何もかも忘れて解放感に浸れます。懸案が何でしょう。 理性も、良識も、善悪さえも足蹴にする、息苦しさに楯突く最初の試みだ ったと思います。 坐して考え、坐して議することが苦手です。勤めには向いてないのです。 表向きは自分でも厭になるほど坐して働き、坐して意志を通わせましたが、 本当は単純な生き方が性に合っているのです。 確かに、辞めてからは大変になりました。しかし、首都高を走るときは、 勤めを辞めた解放感を――、まあ、周囲は後々まで歓迎してはくれません でしたが、それがこの社会の常識ですから無理もありません――、勤めを 辞めて得られた自由を思う存分味わえる、嬉しかったですね。妖しいまで に嬉しかった。 深夜の都心を飛び越し、高井戸の出口から環八を経て井の頭通りに入りま すと、中町のショールームはすぐそこですから、先に朝食を済ませなけれ ばなりません。この時間に、駐車場があって、開いている店となりますと ファミリーレストランぐらいです。毎朝同じ店だと厭なので、立ち寄る店 を数店舗、探してありました。(二二)
宴は夜更けまで続きました。何組もの夫婦が上下抜きで、親しく、愉快に すごしている様子は、歓談の席が苦手で、おまけに外国人の中に紛れ込ん でいた私にも好ましく思われ、窮屈も退屈も忘れ、飲み、宴の果てるまで 寛いでいたと思います。 Aさんの会社では、仕事関係者も職場を一歩離れますと、上司にへつらう 必要がなく、配偶者を締めだす愚も犯さず、生活を楽しんでいたように思 われます。それが標準か例外かは知りませんが、少なくともどこかの国の カイシャのように、連日連夜、職場の人間関係を引きずり、人格の上下と は寸毫(すんごう)も関係のない役職にひれ伏し、あるいは自惚れ、夜更け まで伴侶抜きで飲み歩き、休みともなれば接待ゴルフに打ち興じ、先ずは 配偶者、先ずは家族、が当然であるその家族や配偶者とすごす時間を、反 省の微塵も、後悔の切れ端も抱くことなく打ち捨てて――。 恐らく、晩年になっても気づかない人が多いのでしょう。自己の加害性を 認識しないで、自らが創り出した傷口を舐めながら、世の中の風潮を他人 事のように批判し、さらなる自愛を求めて、満たされないままで果ててい く――。  飲酒運転での帰宅でした。  「大丈夫ですか、Aさん?」  「ええ、安全運転していますから」  「えっ、!◎*?*◇??×・・・」 安全の解釈まで我々の国とは違っていました。配偶者に対し、家族に対し、 安全に対し、築くべきことを築き、果たすべきことを果たすのは、習慣や 規則ではなく、自分の意志、理性、そして感性なのですね。自己耽溺でも 「ワタシ探し」でもないのですね。アメリカでの宴の一夜は、辞めようと 心に決め、職場への置き土産のつもりで働いていた三十四歳の私の、目減 りを知らない退職金になりました。(三二)
宴席で重役が管掌部門の社員を前にして裸で踊る。もうその頃は、自分の 愛想笑いでは、周囲を誤魔化せないほど転職の気持ちが強まっていました ので、その表情を誤解されたのかも知れません。 参謀部から新規事業の立ち上げ部隊に移っていながら、そこでも案づくり と決定の根まわしを委ねられ、新規事業のエライさんは何をしているのや らと思ったことは否定しませんが、当時の私がクール(冷淡)の度を増した のは、新規事業であれ従前の業務であれ「もうここには充分勤めた」とい う想いが理由で、社内の人間関係など眼中になかったです。 鍋奉行という言葉を知ったのもこの時でした。今も私は、社内の宴会は末 席を選び、宴席料理にはほとんど箸をつけません。皆が遠慮するとまずい ので、食べる振りは続けますが、料理が豪華になればなるほど、家族と一 緒に食べたい気持ちが募って、箸をつける気持ちがわきません。 当時も隅に着座した私の、向かい側にわざわざ出向き、同じ鍋を囲んでの 忘年会で、奉行が指揮采配を十全に発揮、鍋の料理を全員に分けていまし たが、健啖な社員であれば無礼講に卑猥な踊りですから、日頃のわだかま りも解消できたでしょうが、そもそも白紙に戻りつつあった私には、何の 意味もなかったです。裸踊りとは自己陶酔の一種なのでしょうか。(四八)
自由とは名ばかりで、超国家的利益代表の恣意的統制(としか私には思え ませんが)によって期限を切られ、あるいは線を引かれ、今は借りられる はずの資金でさえ引き上げられてしまうご時勢になりましたが、いつの時 代でも赤字が続けば、さらに担保を上積みしても金融機関から返済を迫ら れ、早く採算をとらないと、起業家は踊らなくても裸になってしまいます。 大企業の勤め人が、既存業務の仕事振りで新規事業に臨むようでは、事業 を軌道に乗せるのは難しいと思います。しかし、殺人的時間外勤務を計上、 身を粉にして遮二無二に働く新規事業も、自分の事業ではないのですから 不自然です(国内では評されるかも知れませんが、過労の人柱で成り立つ 事業に、海外の投資家は関心を示すでしょうか)。 兵卒はどこに出向いても大差はないです。しかし指揮官や参謀には、担当 する役員も含め、失敗すれば「職を失う状況」が必要であると思います。 それが自然にできるのは女性と若者、どちらも立派な地位や豊かな収入は 先ず得られない時代でしたから(今もそうかな?)新規事業の適性はオン ナコドモの「状況」にある。次いで、もし一般の勤め人を新規事業に駆り 立てるのであれば、やはり足場の梯子を外してしまうのがよいです。 「公」の状況にも同じことが言えます。職業の轍はとても深いので、「食 えなくなる恐怖」を欠いた人間に起業を委ね、新規事業に参加させるのは 不合理に思えます。また、飲み食いすればやせ細るカイシャと違って、徴 税に足場を置く「職場ないし職業」に「自粛」を促しても、爪に火をとも すような節約は、期待する方が無理だと思います。(四九)
枠組そのものを改廃し変更しなければ、「未知」に応じる力は得られませ ん。新規事業を既存の采配に委ねることは、創造性を妨げ、起業の活力を 低下させると想うより実感していました。 簡単なことです。飲み屋を開いていた人間が本屋を始めるのであれば、飲 み屋の枠組は一度清算して、本屋の枠組を準備しなければならない、つま り「リストラ」が起きてしまうのですね。 梯子は、外す側には問題は少ないですが、外される側にとっては死活問題、 熟年に入っては生き甲斐の喪失にもなりかねません。ですから、起業の大 義に服し、仕事本位を装っても、既得の地位および既存の足場に固執する 側は、枠組みを外そうとする相手に対し、不安や恐れを、反感や敵意を、 募らせるのが人間的と言うものです。 半世紀間、我々は何も感じなかったのでしょうか。既存組織の対応だけで は、子らの世界は十分に機能したとは言えますまい。起業に必要な時間は、 充分にあったと思うのですが。 梯子を外され、逃げ場を失っても、自由を胸いっぱいに吸い込んで、解放 感に酔い痴れることができるのでしょうか我々は。 私が「ともに考え、ともに歩く」というときは雪原のラッセルを連想して います。 踏み固められたゲレンデであれば、抱き合って相互愛に溺れるのも、自虐 に耽るのも自由です。しかし、新雪を踏みしめて進む荒野では、事情が異 なります。 平坦であれば横一線に並んで、急峻であれば先頭を交代しながら、ともに 考えともに歩くのに、自己愛や名誉欲の入り込む隙はありません。「とも に歩く」報酬は、開かれた雪原で遊ぶ子らの歓声、登攀した先に開ける眺 望、そして自由です。(五十)
会社勤めは本当にウチを向いておりました。今もウチを向いております。 しかし、今は常に自己を客観的に観察しており、自己のやってきたこと、 やっていること、やるであろうことについては、自己批判を免れることは できません(但し、自己批判は職業に関してのみです。私事については、 私はとてもいい加減)。 同時に企業人が客観を装ってマクロの論評におよぶとき、特にそれが金融 問題や環境問題にあっては、自己批判を棚上げにしているように思えてな りません。 誰もが、自己を棚上げにして他者を語り、マクロを評するのであれば、い つになったら当事者の表現を聞くことができるのでしょう。しかし、雇用 関係や所有関係などの「利害」がある以上、誰もウチ向きから逃れられな いとも思っています。 ウチに批判的な従業員がいる? それは例えば、容れられない反感が生ん だ不満のことでしょうか。ウチに対する批判者を、仮に重役や経営者に抜 擢すると消えてしまうような批判は、ここで言う自己批判とは異なります。 新規事業に携わっていた当時は、上へのウチ向きだけでなく、下に対して も、ウチを向いている役職者がおりました。新規事業だけでなく、通勤電 車の中でも、昼食時の勤労者も、ほとんどが自分のカイシャのこと(ウチ のこと)で頭がいっぱいなのではありますまいか。 ですから、一般的勤労者がウチから切り離されますと、頭脳の営みが真っ 白になって喪失感に悩まされる? だけに経営者や自営業者は一層強く、 住み慣れたウチを後にすることを厭がるのだと思います。(五一)
役員の名代で研修旅行に出かけた折は、指導する学者の言葉が難しすぎて、 報告書が書けずに困りましたが―― たまたま大平原に聳(そび)え立つ巨大なビルを訪問、当時、複合企業に分 類されていたその社の名前の、意味とか由来とかを尋ねたその答えがふる っていました。 「メイク・モア・マネー」と言ってウィンクしたのです。Mが三個! 私も会社の経営は「もっと、お金を、もうける」ことだと思っています。 上り調子で、人員整理が念頭にないときは特にそうです。 環境にやさしいとか、我が社は社会のために役立っている、などと言う必 要は更々なく、思う存分お金を稼ぐ、それでよいと思う訳は 会社勤めだけでは、人生を消化したとは思っていないこと、および、人は 自分に対して適材適所を発揮できる、つまり自分の不得手や無能な部分を 自覚して、人は自分を更迭できるからです。 もっと気軽に、もっと伸び伸びと、もっと世界に向けて、お金を稼ぎたい と思っています。ガラス張りで、透け透けの枠組の中で、子時代の良識を 生かしながら稼ぎたい。お金もうけは人生の半分にすぎませんから、自由 であっても奔放であってもよいのです。 もし企業内での仕事や、職業としての学問や、職業としての政治がすべて であるなら、そこでの成否が人生のそれと一致しても不思議はありません。 だとしますと、自分を更迭する余地も閉ざされてしまい、とても伸び伸び とはできません。そして自己の轍を、前にではなく真下にえぐってしまい ます。(五二)
過日、テレビの番組で、よく知られている作家が、インターネットは顔が 見えないので、情報媒体としては疑問があるという発言がありました。ま た他の機会には別人の、インターネットから発せられる情報には価値がな い、という批判も耳にしたことがあります。 地表には、顔の見える発言者がどれ位いるのでしょう。日本にも、発言可 能な人間は一億近くはいるのでしょう。その何人が顔を見せながらものを 言えますか。テレビでは星の数ほど芸能人が現われては消えていきますが、 画面で発言できる人間は、代わり映えしない見飽きた顔がほとんどではあ りますまいか。 確かにインターネットでは、その多くが顔も素性もわかりません。しかし 顔の見えない何十億もの人間が、ネットワークではなく――租界や団体や 組織に属さず――個人の資格で発言できる媒体を得られたのです。これほ ど自由な技術革新を、私はほかには知りません。 インターネットで流される情報に意味や価値があるかないかは、情報を受 理する側の個人的事情にすぎません。二歳の子には、経済新聞の活字も墨 の汚れと変わりありません。 マクロはもうたくさん、という感想を私はもっています。世の中を震撼と させている金融不安も、組織に属そうと個人であろうと、個々の人間のお 金儲け、ないしその職責が結果したものではありますまいか。「自然労働 ――、および棄民と負民の人間労働」を搾取しながらマネーゲームに奔走 する加民の誰もが無知と貪欲の虜、というのであれば、まだ理解もできま すが、高度の知性を有し、先端技術を駆使する姿をみてしまいますと、今 の高等教育にも、胡散臭さを感じてしまいます。 私には「素顔」を見るのにテレビは必要ありません。政界人や財界人や、 技術者や作家の上辺の顔は必要ありません。「素顔」を見るには、金銭欲 や名誉欲や、支配欲や権力欲や、性欲や家族愛や奉仕精神や自己愛やなん やかやを見るには、当事者の文章表現があれば充分です。一方「素顔」の 見えないシステムには、もし「鉤(かぎ)」が失われているのであれば、そ れが行政であれ金融であれ不安になってしまいます。 先日「草原に朝の食卓メーリングリスト」の案内文に、家計を軸にした五 十歳以上の分布を追記しましたが(その後、再び削除)、この表を皆さんは どのように受け取られましたか。様々な立場にご配慮を、というお願いが 第一ですが。 水と油、水蒸気と氷塊、なんですね状況の違いによって我々は。理解なん てできないし、歓談なんてありえない、と思いますよ、もし過去の轍を踏 みながら他者に対するのであれば。 私は自由が好きです。思いやりとか気配りよりも孤立の自由を選びます。 そう、鉤は「踏踊」にあり、なんですね。氷や水にとっては、水蒸気や油 から気配りされても、嬉しくはありません。 ときどき謎めいたことを書きますのは、対話で発散させるのではなく、一 緒に考えて欲しいからです。(五四)
再び横にそれます。これもメーリングリストによる連載の「特長」です。 この国では、「ある自由」を自覚していない人が少なくありません。もし 「それ」を自覚したなら、もっと吟味した発言が増えると思います。ウチ には数年前まで、英語に堪能で、日本の就労ビザを取得していた即戦力の 韓国人がおりました(韓国中心の時代では韓国籍、中国中心の時代では中 国籍が雇用の基本になります)。 彼の対日感情には微妙なものがありましたが、「日本の魅力は何か」と尋 ねましたところ即座に「自由にものを言えること」という答えが返ってき ました。言論も報道も思想も自由、その自由を我々は自覚し、魅力を感じ て発言しているとは思えません。 電話や電子メールは「安定」の生命線ですから、海外との直接交信に、神 経質になっている国があっても不思議はありません。逆に言えば、関係組 織の一歩上の段階でも、さらにその上の段階でも、海外との直接交信がで きない場合、地域を統括する有力者が口をきけば、たちまち通じてしまう ことがある訳です。なお、暗号の使用を認めていない国もありますから、 日本で育った社員がそのような都市に駐在するときは、自由にものを言え るありがた味と、通信の秘密が漏れた場合の困難さを、事前に講釈するこ とにしています。(六三)
自助、自己責任、痛みのわかち合い、ジャーナリズムで盛んに流されてき た言葉です。では現在の自助は一体どこに? 棄民や負民や零細に向って は、社説も評論も自己責任の大合唱ですが、いざ金融機関破綻の危機に直 面しますと、公的資金まで投入して他助を云々する厚顔に、液体窒素なみ の白けを感じてしまいます。 私には、金融機関の臨床的、さらには根源的対策を云々できる知識や資格 はありません。薄氷を踏む思い――が冷たい怒りに火を点じるのです。相 対的な人の気持ちに、必要な手立てがとられていません。 私一人であれば、野垂れ死にしてもサバサバしています。しかし、私には 妻があり子があり家族がありますので、破綻しては絶対に困ります。です から、編集委員も論客も高処で筆をとる前に、場の痛みを実際に満喫――、 いやいや、傷んでは心臓が綻びますから、せめて厚氷の上で震える程度の 学習は、高処にいたる過程で必修となし、負・棄の実情に合った言論を、 などという他者頼みには、幻想も出つくしました。 わからないのだと思います、その状況に置かれてみなければ。 親子関係や夫婦関係や家族関係も同じです。論じるための男女や家族では ないのです。実践抜きの、机上の男女や机上の家族は要りません。 轍は深い、ですから関係の「鉤」と、子への贈り物が要るのです。理解な んて食傷気味。(六五)
昔、いや、大昔でしたか、私は随分、夢を見ました。国家に夢を託したこ ともあります。政党に、官僚に、指導者に、英雄に、作家に、企業家に、 知識人に、哲学者に、思想に、信仰に、お酒に、技術に、報道に夢を見た こともありました。しかしみな幻想でした。見た夢の相手はことごとく幻 想でした。自恃(じじ)でさえ幻想だったのです。(九七)
ものを言うのは簡単ではありません。ものを言うには勇気が要ります。自 己嫌悪につきまとわれ、非難され攻撃されることも起こります。言論の対 価は決して甘いものではありせん。しかし誰もが機会や媒体を得られたと しましても、その方法が普及することはできないと思います(言論は、誰 もが真似られる、という振りではありません)。まして子の世界であればな おさらです。 以前、私は自身を叙事詩人と言い表わしたことがありました。また筆名に 徹し、自己紹介も省いていますから、それを韜晦とみなされたこともあり ます。韜晦の叙事詩人――? しかし実名を書き履歴を添えたところで、 それに何の意味があるのでしょうものを言える媒体を持たない人間には。 私はふつうの人間です。もともと私には「ものを言える媒体」はなかった のです。出版にも報道にも日記にも同人誌にも縁のない人間が著わせる文 章とは、年賀状か遺書ぐらいのものでしょう。出版社探しもたったの一人、 本作りも見よう見まね、ですから、当然、特記すべき履歴もありません。 そのような人間が、つまり身の丈一個が権威とか複写効果に与からず(力 量のなさゆえに与かれず)ものを言っても、砂漠にまくコップ一杯の水な のです。 身の丈一個の人間とは、砂漠にまく水滴一粒と同じです。身の丈一個にと って言論とは、権威や権力が指し示す綱領や公約にすぎず、決して能動的 働きかけには(十全の集中を約された思想には)なれないと思います。い かに画想を練ったところで、画材を欠いては、自らの思想は、広告できる 訳がありません。 言論は趣味ではありません。自己の生活を条件づけられている環境および 状況に対する「もの言い」です。その言論を、仮にうまく表現できたとし ましても、その表出が、誰にでも生き甲斐になりやり甲斐になれるほど、 機会は均等ではないのです。 機会の制約が、言論もまたエリートに私物化を認めてしまったように思わ れます。このことは、足許から取り払われた自然環境にも、足許から持ち 去られた身体の運動の機会にも言えることです。自然も身体の運動も、御 輿担ぎや舞台の観劇とは無縁だったと思います。しかし今や、自然は保護 運動の神体に、身体の運動はエリート輩出の事業にすり替わってしまいま した。 言論も、足許から隔離された自然も勝利の拳の運動も、身の丈十全の「踏 踊」にはなれません。もっと身近で、もっと自由です「踏踊」は。  (一〇〇)
自己の頭脳を覗いてみますと、皆さんの「畑」には何が見えますか。恥ず かしいことに、私には、まだはっきりとした輪郭が見えてこないのです。 私が消えるときには、一体何が残るのでしょう? もし何も残らなければ、 私は「鉤」を見出すことができなかったことになります。 自然の戒律とか自然の律法の話です。以前、ある随想で触れたことのある 「自然法」の話です。皆さんはどのような規範に従ってお子さんを育てら れましたか? 無意識に? ということは何らかの目に見えない標準とか 手引きとか手本に従っていたのでしょう? そうでないと、初めての子育 てを「自然」に行うことなど不可能です。従う規範が「関係の海」に漂う 目に見えない風潮や支配的習慣であったとしましても、子育てにとっては、 行為や考えを支配される「法」が存在していることに変わりはないのです。 例えば信仰者は、人為の法を引き継いでいきますでしょう。しかし信仰者 の律法は、ある時代の特定の環境、特定の状況、特定の思潮が結果、さら に同様の要素に条件づけられて変化し続ける「人が人に要求する拘束」な いし「自らが想起し自らが創作した自己の規範への服従」であって、明文 であれ口承であれ、信仰者と異端者の色を分け、遵法者と異邦人を識別す る態度ゆえに、信仰照応そのものに馴染めない人も少なくないと思います。 同様のことは高度産業化の轍にも言えるのではありますまいか。現在は現 在で、我々は目に見えない「法」に拘束され、時代に普遍する奔流に支配 され、むしろ流れに乗るために現在の「法」に積極的に帰依しているので はありますまいか。 「法」が避けられない轍である以上、私もその一人として平然と居座って おりますが、同時にそれだけでは信仰照応に対すると同様に、空間でも時 間でも、今一つ納得できない何かがあるように思われます。例えば、少し 古くなったはやり言葉を真似てみますと、現在の社会を席捲している「法」 は今一つカワイクナイ。 現在の「関係の法」には、「自然の法」の視点が欠けているように思われ ます。(一〇三)
もの書きと呼ばれる人々の、巨視的論説や総括的評論を読むときも同様の 感想を持っています。学問の場合は調査研究の段階がはっきりしています。 私がものを書き始めた当初から、学者の表現を尊重し、学者の発言に重き を置いている理由もここにあります。 総括したり、物語ったり、仕切ったりするのは、その資質の者には楽しい でしょうが、その立論の根拠である「学」とか「報」とかにとりましては、 地味で、労の割に報われない職業だと思っています。その労に基いて展開 する理論や分析であれば、研鑚を積んだ学業や実査に基く労作として居住 まいを正して傾聴しますが、「学」抜きの評論や実査抜きの論説には、さ あ、どのように解釈すればよいのか、戸惑ってしまいます。 「鉤」は何なのでしょう――。どのような法に基いて展開し、どのような 規範を遺そうとしているのか、皆目、つかめないことがあります、いわゆ る巨視的評論には。 わかっている、という前提があるのでしょうか? 皆さんはそうなのです ね。巨視的評論や総括的論説を読むときに、皆さんはすでに共通項をお持 ちになり、明確な「自然の法」に従っているのですね。しかし私の場合は 子育てがそうであったように、環境や状況に漠然と流されてきただけであ って、この社会で生きるということに、納得のいく規範を見出すことがで きないのです。 私はとても奇妙な孤立感を感じています。今の私にとって一番大切なのは、 子らが未来に希望を持てる社会、幻想を持つのではなく、現在の歩みの中 でも、未来に希望を持てる「鉤」が、今実際にこの場に存在する社会です が、私の気持ちにかなう「鉤」が、あるのかないのかさえわからない、と いうのが、今まで参加してきた社会の現実です。展開された論評なり見解 なりが正鵠を射、またその通りになったとしましても、さて、一個の私に は、別の一個の私には、さらに一個の私には、もう一個の私には、一体ど のような希望が生まれるのか? 評論の主体もまた環境と状況の子です。当然、能力や資質や経験に応じて、 それぞれ人間固有の照応に従います。人は絶対者ではないのですから、秘 めている内面の思想や感情もさまざまであるはずです。その様々すべてを 代表することは、一個の人間にはできるはずもありません。一方、社会で も(社会には自我がないのですから)やはり一個一個にとっての幸福が必 要なのです。従って巨視的論者は、自己が実践している「鉤」を開示して くれませんと、ただでさえ目の前の現実と独立している抽象論や概論には、 その私的根拠や一個一個への影響を推し量れない点で、傍観者的距離や職 業的自慰を認めてしまいます。 企業や役所や議会が意志を決め選択するその主体は、抽象的組織ではなく 生身の人間です。しかも生身の人間には、感情もあり資質もあり、誤謬も あり錯誤もあり、だれ一人天才はおらず、だれ一人標準もありえないと思 います。その人間が「絶対的判断」など下せるのでしょうか、少なくとも 「自分と自分の家族」以外に対して。 意識しようと無意識であろうと、選択や決定は何らかの「価値判断」に基 いているのだと思います。その「価値判断」が自然体でできてしまう状況 に(環境も状況も刻々と変わっていくのに、自然体が崩れず暗黙の合意が できてしまう社会に)奇妙さを感じないではいられません。(一〇四)
大人って勝手ですね。面白くなかったら、お酒を飲めばよいのだし、主婦 はお喋りで発散させればよいのでしょう。その勝手な大人が子に対すると 「勉強なさい」はマシな方で、小学校から塾に駆り立て、ふたこと目には 「将来のため」――。 ではお尋ねします。子の将来とは、子が大人になったときの話だと思いま すが、それでは今の大人の社会とは、そんなに大層なものでしたか。今の 大人にとって大層なのは「子育て」だけ、子の仕合わせだけではなかった かしら? 私にとって失業がつらいのは、貧困によって子が不仕合わせに なるただその一事(すまないのは妻に対してですが、それは妻に見る目が なかったと諦めてもらっています)。 大人は「そうならないために」と言います。その「そう」が何を意味して いるかわかりませんが、そのためとやらを達成して獲られた特典が、御輿 担ぎの絶頂であり采配の有頂天であるなら、それはひと握りの勝利の拳に すぎますまい。大多数の人間にとっては、条件反射の塾勉は幻想なのです。 せっかく六三ないし六三三ないし六三三四という歳月を勉強に費すのです から、なぜその膨大な努力を、御輿担ぎの下支えの、社会を形成する圧倒 的多数の、充実や、喜びや、生き甲斐に、直接、力強く、結びつけようと はしないのでしょう。(一〇五)
充実とは無縁の言葉が後から後から降ってきます。舞台壇上の主体にとっ ては、紛れもなく充実でしょうが、下支え側との格差があまりにも大きす ぎます。たまたま私の場合は、小商人の根性が骨の髄まで染み込んでいま すので、こけても落ちても空手(くうしゅ)では復しません。従って無策押 しつけの自助でありましても、高処傍観の痛みのわかちあいでありまして も、下支えだけの自己責任でありましても、すぐにどうのこうのというこ とはありませんが、もし私がふつうの勤め人として生活しているのであれ ば「リストラの思想」一つとりましても、その思想に与する同世代勝ち組 に対しましても、もう何も言えないほど距離を感じてしまいます。 六十五歳まで、俺はどうしたら食っていけるのか。改めて職を探すとして、 果たして再就職できるのか。仮に職を得られたとして、就労の喜びは復せ るのか――。 子がみな自立した後も、この社会に在ることに自信がありません。人生は 生きるに値する、と前の随想で書いたのですが、子離れした後、私はこの 社会での人生に充実の予感が持てません。「醜いな――」なんて言うこと もできないほどお先真っ暗な木の葉にとって、楽隠居を口にできる人がと ても不思議。 「毎朝十キロ走る」と言いますと、「#◇〜※×〜?○☆――!〜?※× −×$――☆!?―」というようなご感想をいただくことがあります。あ るいは、私など露知らない専門知識や心理的解説や医学的評論をご教授い ただけることもあります。これがゴルフやテニスですと、無数に同好の士 がいらっしゃるので、「ゴルフはどうも」とか、「ハンディはおいくつ」 などの対話が成り立つのですが、早朝十キロのランニングともなりますと、 とてもとても。 あらゆる(というのは不確かですが)情報が、時間と空間の隅々まで浸透 している社会ですと、我々は何でも知っているような錯覚に陥り、何でも 知っているように直ちに応じ、微塵も経験していない例外事項でさえ、反 射的に口をはさんでしまいます私自身。 自分で走ろうとはしません。しかし口をはさむ社会があります。 これからの子には、文章で表現できる人間になって欲しいと思います。文 章で表わせば、未経験の課題に対しても、後日、自己批判と他者批判を受 け取れます。真摯な充実を、美に値する充実を、知って欲しいと思います。 (一〇六)
先週の週末は、金融機関破綻の報道に釘づけにされました。その会社には、 対外的にも活躍している同期生がおりました。彼については、彼の友人と、 米国からの留学生の四人で出かけたユースホステル利用の北海道旅行が思 い出されます。 システム破綻の責任と、下支え一個一個の行為は別です。 この社会では、私は、例えば会社に入り、限られた選択肢の中で精一杯働 き、自分で生き甲斐を感じる以外にウマイ生き方を知りません。しかしそ れだけに、自分の歩んでいる轍を突然断たれますと、転職が常態にはほど 遠く、再就職の門戸が極端に狭く、せいぜい「失意就業」の機会に巡り合 えれば僥倖とされる我々の多くは、たちまち生活に行きづまり、喪失感、 さらには絶望に囚われてしまうことさえ稀ではありません。 どのような労苦もことごとく過去になります。その間、朝の太陽は大いな る癒し手として支えてくれます。しかし辛気(しんき)臭いこのような物言 いが、子にはどれだけ役立つのでしょう。 仮に――、仮と言う言葉自体、欺瞞に満ちていますが、仮に粉飾や不正が あったとしましても、それはまったくの結果論だと思います(二重生活の 一面では――)。もし、その方法によって乗り切れるのであれば、粉飾を 回避して実態を露呈させてしまう選択こそ、人為の法に殉じ、自然法を蔑 ろにしていると判断されます。 秘すのは何も「政」や「軍」の特権ではありますまい。我々もまた、表面 はいか様につくろっても危機を隠し、時間を稼ぐべきだと思います。後日、 破綻で終わった場合も、隠蔽や粉飾に対して浴びせる倫理的非難は現実的 ではありますまい(結果を問われる営為では――)。下される裁断はひと えに修復力の拙さ、読みの甘さ、および傷口を深めてしまった監査・環視 体制のお粗末に対してであり、同様に当事者の感じる不本意も、外圧に対 してではなく、自己の状況判断の甘さに対して矛先を向けるべきだと思い ます。 破綻しては、妻や子の、不安や悲しみは避けられません。手段を選ばない で引き延ばし、有耶無耶にさせてしまうやり方を、私が当事者であれば率 先します。人為の法に対する遵法精神や形式主義は足枷になるだけです。 しかし同時に、結果主義から得られる利とは(現実的な手段を採用するそ の根拠とは)、ウチウチの利得のためでは決してなく(利己主義の発揮で は決してなく)、下支えの万人に普遍する「様式」として、という前提が 必要であり、かつその「様式」とは、下達される上意では決してなく、振 りを問わない様式美でもなく、利益を享受する個体が自ら舞うことで具象 化させ、引き継いで行くことのできる「踏踊」であると考えています。   (一〇七)
今一つ釈然としない舞い方に「配分」の問題があります。私はこれまで著 わしてきた随想から、同じ社会にあっては、人間一個が獲得できる稼ぎは 身の丈どまり、という考えを抱くようになりました。人間一個の努力や能 力がいかに優れていましても、同一時間内で、一般的人間一個の稼ぎの五 十倍百倍に達する稼ぎは不可能である、一般的勤労者が一生かかって実現 する稼ぎを、わずか一年や半年や三ヶ月で稼ぐことはできないと思ってい ます。それが可能なのは、労働の「複写効果」と、情報媒体の寡占状態と、 エリート階層の利己心などがあるためと考えています(「棄負加の分離」 も「複写価値」も「二重生活」も私固有の定義や考えがありますので、興 味のある方は随想のバックナンバーを――、とお願いできるほどの在庫は ありません――)。 分業と協働の社会では、人間一個の労働が幾重にも複写され伝達され、莫 大な富を特定の組織や団体に偏在させてしまいます。人間一個に超人的努 力があったとしましても、マスコミに乗らなければ、あるいはビジネスや 団体が介在しなければ、一人相撲に終わるのですから。 報酬は個人の努力が結果するのではなく、情報化社会の構成員、つまり視 聴者も含む関係者全員の演技と観劇の結果であって、配分に与かるべきは システムの参加者全員である、という風に考えます。また、特定の個人に 莫大な報酬を割り振って成り立つ事業であれば、それは観客からの徴収分 が多すぎるとも思っています。 分業下では、各自の労働は質が異なるのが当然であって、それだけに、労 働の結果を測る客観的基準など、あるいは職人と起業家の労働を金銭に換 算できる「正当」な基準などありえないと思います(以前の私は労働時間 に重きを置いていました)。だから身の丈一個にも、一年で百年分もの稼 ぎが実現できるのではありますまいか。努力と能力の当然の帰結ではなく、 「関係の海」の歪みと、媒体の寡占と、配分システムの未熟の賜物です。 子らは巨富と薄給の違いを宣伝され、どのような思想教育を授かるのでし ょう。実現された報酬の違いを以って、努力と能力の多寡と考えるのかも 知れません。その能力とやらが、そもそも偶然の産物にすぎないのに。 平準化? 今の私にはそのような発想が湧きません。私の関心は分限者に はなく、身の丈一個の充実と、身の丈一個の希望に限られますから、栄光 を手にしている人々は関係ありません。巨富の妥当性は、分限者や関係者 が、自己との対話によって判定すればよいのです。 知性の象徴であるような文筆の世界にもある感想を持っています。私はこ れまで度々「書くことに卑しさを感じる」と書いてきましたが、これも配 分に関係があります。文筆の配分には権威と自惚れが含まれます。毎日働 いても、自惚れ一つ得られないのが生産労働や商業労働だと思っています。 一方、執筆労働は、一度書物に仕立てますと、すでに当該労働はミイラ化 しているのに、自惚れや権威の亡霊が跋扈します。 自著の矛盾および誤謬の、最も厳しい弾劾者は著者自身だと思います。ま た矛盾も誤謬もない文章などありえないとも思っています。報道について も同じです。しかし現代は、書物も報道も完璧な表現が多すぎます。自ら が自己の誤りを指摘しない限り、自惚れや権威の亡霊がついてまわります。 社会的評論や経済的書き物は、時代が経てば、必ず内容を書き足し、書き 直す必要があると思います。過去の論説や主張の陳腐化を列挙、生涯、追 究し、生涯、書き続けるのが文筆家の良心と考えますから、文筆は割に合 わない労働(蓄財の効率は知りませんが、自己の誤謬や錯誤を一生曝して いかなければならない苦汁に満ちた労働――)ではありますまいか。  (一一〇)
忘年会で交わされた中国の話題を「草原に朝の食卓メーリングリスト」に 投稿しましたが、その忘年会でも、座が盛り上がっていくのとは反対に、 次第に冷めていく自分を見出しました。 犯罪の被害が身近に発生しています。幸い関係者に大きな被害はありませ んでしたが、今年の五月に、私がシステム化を手ほどきした若者の一人が、 中国東北地方の都市の路上で、三人組に額を割られ四針縫う怪我。その解 決法が、法治国では認められない「自助を前提とした雇用政策」に拠った もので、被害額は十二分に回収できたものの、改めて今の中国の治安の悪 さを認識させられた次第です。 また駐在員の一人は、現地警察の上席者と同じアパートに住んでいながら、 身辺に危険を覚え、引越しを考えておりますが、ひと昔前の中国ビジネス では、刑事事件など頭の隅にもありませんでしたので、その変容に失望を 禁じ得ません。国営企業の二束三文の叩き売りが始まった頃を境に、「な にもない者」による犯罪が―― 地方から都会に出て国営企業に就職後、 職を失い、お金がなく、家族もない失業者による犯罪が――「毒には毒を 以って」の自衛手段を講じないと仕事が成り立たないほど、現地関係者の 周囲にも危険が日々迫っているという報告です。 お酒の席であってもなくても、犯罪の話題が取り沙汰されますと言い知れ ぬ不安を覚えます。その対策の「現実的雇用政策」には頷きながらも(日 本では採用してはならない方法もあるのかも知れません。そうではあって も、その芳しくない解決策が、日本で皆無かどうかはわかりません)自分 の気持ちは一層冷めてしまい、東アジアでは、地球儀の線引きを消すなど 半永久的に不可能であろう、とか、中国の現況にくらべれば、我が国は物 も機会もありあまる状態なのに、少なくとも食うには困らない社会なのに、 凶行の被害がホームレスや子に及んだり、加害者の年齢が次第次第に下が って行く状況に、複雑な想いがあとからあとから湧いてきて、宴席の賑わ いにはとても溶け込めませんでした(心の奥で)。 通勤電車でも同様の想いを感じることがあります。車中には、経済新聞や 芸能新聞に夢中になっている大人、読書や書き物に集中している大人、眠 っている大人、話している大人、それに学生、生徒などが見受けられます。 しかし圧倒的に多いのは表情の貧しい、あるいは重い、無言の勤労者です (私もその一人)。そのほとんどの皆さんは、とてもよい服装をしています。 中国内での品質やデザインにくらべますと、衣食は充分に足りているのだ と思います。趣味の小道具も充実しているのだと思います。言論も、誇大 表現も、華麗も、演舞も、性描写も性風俗も、野放図と思われるほど恵ま れているのだと思います。しかし暗いです。そして重苦しい印象を、私個 人の心性ゆえでしょうが、消し去ることができません。 車内吊りに目を転じますと、私的な話題も、政治・経済・社会の話題も、 卓見に優れ、自己実現の熱狂や自己耽溺にあふれ、とても私には真似られ ない「振り」の氾濫に、子にはどのように舞って見せればよいのか皆目わ からず、やり切れない悲しみを覚えます。 「わたしはおもしろおかしく生活しているのだから、それでいいじゃない ――」。以前、中町で耳にした冗話に溺れている主婦の言葉でした。この ような折は私も全面的に賛意を表して「どうぞ、ご勝手に」と心の中で応 じています。美観の異なる者と競ったり争ったりするつもりはありません。 様式主義の主義とは、自らが舞う生き方の模索であって、感性の違う相手 は眼中にありません。それは租界に守られ、舞台壇上で采配を振るい、あ るいは知性を舞う権威や地位に対しても言えることです。噂話に夢中にな っている主婦との社会的交わりには無関心で対座、壇上の演技者や演出家 には二重生活の実利実益で功を称え、それで礼儀作法は尽くしたと思って います。二重生活の一面では様式を一にしても、他の一面では、様式の美 が異なる以上、融和できないと思います。 冷たい想いが消えることはありません。子の将来に向けた「舞い方」を、 身を以って示そうとはしない(下支えとしての努力が窺われない)表現に は。(一一三)
社会に対する批判は好きなだけ発言でき、社会の将来像も自由に描けます が、発言者本人の歩みとなりますと、果たしてどのような轍を踏んでいる のかよくわからない場合があります。 現在は、社会の法を犯さなければ大概の歩行は認められてしまうと思いま す。倫理に反する行為を露(あらわ)にしましても、地位や特権が揺るがな い事例も見られます。しかし私の場合はもっと極端で、政経のできごとに 関しましては、違法行為や反道徳的行為も、その行為を忌避した結果と採 用した効果を秤にかけ、懸念される損傷を回避するための選択であれば、 表に現われない違法行為は、有耶無耶のまま放置すべきだと思っています。 政経に関わる選択は、表向き法律や倫理で裁くのはやむをえないのですが、 現実には、達成する効果ないし被害や損傷を回復する効率で裁定すべきだ と思います。その場合は、有耶無耶か訴追かの裁定規準と効率の測定方法 も定めておきませんと、社会的公正は損なわれ、個人的平等も侵されてし まいます。ですが正邪ではメシは食えません。ですから、仮に社会的公正 が損なわれ、個人が不平等のままであったとしましても、特定個人に害を およぼさない配慮のもと「手段」を選んで危機を乗り切りメシの種を保全 するのが、決定者の義務だと思います。むろん、後日、隠蔽工作の綻びか ら、違法行為を暴かれた場合は断罪されるのが当然です。なにごとも結果 論です食うという営みは。 しかし、業績および効率を、法および倫理に優先させる選択は、いかに巧 みに隠しおおせたとしましても、個人の感性および個人の思念の次元では 認めることができません。私の場合、政経の選択では結果論として認めて しまうその唯一の根拠が、個人の次元では否認を招いてしまうのです(結 果論の勝者に対しても個人の次元では同じ考えをあてはめてしまいます)。 (一二〇)
最近、私はとんでもない思い違いに気づきました。書き物の内容は必ずし も思い違い通りではなかったのですが、ややもすると弱気になる心境から、 慰安の表現に汲々としていたと思います。 経営理念の大本には人間の「必要」と「欲求」があると思います。経済も 政治も技術も、人間の営みはことごとく「必要」と「欲求」に基き、また 支配されているのではありますまいか。そうであればマーケティングの概 念は商売だけでなく、生活にも政治にも適用されて当然です。 「必要と欲求」を満たすための短期長期の環境と状況づくりが体制の役割 だとしますと、今の世ほど密度高く効率よく、その役割を果たしている状 態は過去にはなかったように思われます。 同じ理由から、現在の社会様式と相性のよい生活者は、充分にやり甲斐と 生き甲斐を得られ、「必要」も「欲求」も申し分なく満たされており、そ れほど満たされている訳ではない人々も這い上がろうとして、あるいは落 ちこぼれないように、懸命に、地道に、子を育て、自分の持ち時間を消費 しているのだと思います。 ですが、もし「必要」と「欲求」の中身に個体差があるのでしたら、市場 は細分化されているとしましても(現実には世界規模で一つ方向に向かっ ています――)環境と状況づくりの骨組みはたった一つしかないのですか ら、不適合の度合が強まれば強まるほど、息が詰まるように感じてしまう 個体が現われても不思議はないと思います。私の思い違いはここにありま した。傍流と言いながら、実際には慰安の表現に終始していました。慰安 に終われば、決して傍流にはなれません。(一二一)
大自然に接しますと、人には不安や畏怖とは別に美と称される感覚が生ま れます。自然美は、個体差を問わず、誰もが発揮させられてしまうほど強 烈です。個々の状況いかんで、自然美に対する忌避の態度や反抗の行為も 生まれますが、自然美は人の思惑には左右されずに、対座するすべての人 を呑み込んでしまい、また人の側も目を閉ざす以外、仮に麻痺できたとし ましても、破壊に手を染めたとしましても、自然美の「実在」を否定する ことはできません。精神および感覚に特異なできごとや変調が生じない限 り、人は誰でも自然に対して、美を生みだすことができるのです。 私には自然美に匹敵する――、ないし自然美を遥かに凌ぐもう一つの美が あります。現在まで美照応で記憶に残り、しかも最も大切にしている美感 覚は、自然美とこの美(私は踏踊の美と表現しています)の二つだけです。 この美は、自らの心性や哲学性によって輝きもすれば濁りもします。人間 個々の内面は計り知れませんが、この美は自然美と違い、その美照応に要 する態度や振りが、今の世の中では滅多に認められない点で、この美を最 も大切にしている人、および、この美を最も求めている人がきわめて少な いと感じています。 自然美を観照しているときは、自然美に溶け込んでいる折は、私は言葉を 失うほど集中できます。反対に話に夢中になっていたり、喧騒と排ガスを 浴びますと、自然美には浸れません。その自然美に対する以上に、この美 の素材に対する折には、沈黙と、静寂と、自意識の克服が欠かせません。 意図して試みるだけでは不足です。長年の生活の反映であり、培養であり、 帰結でなければ、この美は定着できないと思います。自然美には、人が侵 さない限り力強さがありますが、この美には、対象の属性は様々に変わっ ても、嬰児の弱々しさしか備わっていませんから、照応の主体に数十年費 やして築き上げた(あるいは数十年の選択が結果した)確固とした扉―― 「踏踊の扉――」がなければ、この美は感知できないと思います。  (一二四)
なぜ子を産むのでしょう、と考えたことはありませんか。この歳になって、 強くこの問いを意識しています。若い頃には意味をなさなかった自問です。 瞬間瞬間に夢中であれば、また子育て時代は夢中に生きざるを得ませんで したから、「考えること」を棚上げにできたのです。しかし、今は夢中だ けでは自分を納得させられません。 他者に対してはどのような申し開きもできますし、取りつくろう必要もあ りません。しかし唯一無二の審判者、つまり自分に対しましては、この問 いを有耶無耶にすることはできません。なぜなら、今になってこの答えを 見出せないのであれば、無責任きわまりないと思えてしまうからです(子 育ての過程すべてが、同時に、この答えを見出す過程だったと思います)。 その答えは私の場合、美があるからです。自分にとって「生きるに値しな い世界」に子を送り込むなど、不条理もよいところ。 状況に操られ、嬉しくなったり沈んだりするのは人の常です。しかし、喜 怒哀楽のたびに揺らぐような答えですと、やはり無責任に思えてしまいま す。もし虚無や絶望に囚われたまま一生を終えるとなりますと、虚脱して いる状態を除き、子育て時代の子に対して(実際の我が子ではなく普遍概 念の「子」に対して)自分がつらくなってしまいます。(一二六)
私にとって美は、離れれば息苦しさを覚えるほど身近な存在です。 昨年の十一月、ある美術館で、本人の顔写真と、本人が美しいと感じた対 象の造形写真と、どのように美しいかを記したパネルを一組として、展示 室の壁面横一列に掲示してある企画展を見たことがあります。「三本マス トの船の絵はとても美しいと思います」「私の寝室の天井は美しい青を選 びました」「私の男友達は美しい」――、文章は多少変えましたが、実に 平凡で、実にあたり前の表現なので、最初はまったく関心が湧きませんで した。しかし、何かが違うのです。 目が見えない人だったのですね、それも生まれた時から。ですがそこには、 違和感を覚えた文章はありませんでした。 美は造形だけでなく、心や行為も対象になります。美しい心、とか、美し い行為、という表現の、心や行為もまた美の対象になることに、誰も異存 はないと思います。好き嫌いはともかく、心や行為にはある種の、場合に よっては造形美以上にしっかりとした、経験的、社会的、歴史的、美の基 準ができ上がっていると思います。しかし、私の美はこの次元にも属しま せん。特別なことは何もありません。子や老人の、自意識から解放され、 ひたむきに生きる折々に、美を感じるだけです。扉が開いて、「踏踊」が 無限に広がって行くのです。(一二七)
なぜ美に囚われてしまったか、と想うことがあります。 「芸術のための芸術」は私の美とは関係ありません。むしろ私の美は、純 粋芸術や芸術至上の対極に軸足を置いています。表現活動が日常の一コマ 一コマと一体化しませんと、私の「踏踊」は生まれません。反対に、強弱 はありますが、「静かに生活できる状況」では、漆喰の壁からも「踏踊」 が生まれてしまいますから、観念本位の表現者や現実を回避する表現者に は、その思惑通り、作者の理念や作者の哲学は寸分も考慮しないで、作品 だけを楽しませてもらっています。 誰も霞だけでは生きられません。同様に純粋芸術の背後には、やはり表現 者の生々しい現実が息づいています。芸術至上の表現にも、様式化された 観念や哲学が紛れ込んでいるのです。つまり、芸術のための芸術にも芸術 以外の、例えば政治が、例えば論争が入り込んでいますから、私も、例え ば造形の場合、表現者自身の主張や説明にはほとんど関心を払わず、無意 味として無視するか、意味があるとすれば、その言葉を新たな文章表現と して楽しんでしまいます。 家族ぐるみで夢中になっているある芸術家の造形はその典型です。豊富に 見聞している文章表現や演技の、その芸術家の主張にはとてもついて行け ませんが、造形群には強く惹き込まれてしまいます。反対に、深い愛着の ある二、三の作品を除き、造形そのものに距離を置いている別の芸術家に は、古い時代の文章表現に惹かれ、観念論や芸術論の文筆家にならなかっ たことを残念に思っています。 静寂および「足許の自然」も、沈黙および「生活と一体化した表現」も、 一般受けしませんでしょう。(一二八)
美もまた効率である、などと書きましたら不粋のきわみですね。しかし、 私の美は効率いかんで、現われもし消えもします。 侘び寂(さび)の境地を一つの「踏踊」の様式美と考え、実際には侘び寂と は無縁の生活を送りながら、その再現にこだわっている瞬間が少なくあり ません。しかし侘び寂の様式美には、現在、道具立てが欠かせない(足許 には舞台のかけらさえ見あたらない)と思い込んでいますので、私にはな かなか侘び寂の「踏踊」が訪れません。(一二九)
現実との関わりが「岐路」であると思います。現実から距離を置く装置や 作法が少なくないです、一般の芸術には。 いわゆる芸術の行き着く先には、洗練されたお道具があり、技術の粋を集 めた美術館があり、企画展に殺到する群集があり、租界での特権があると 思います。特別であればあるほど、高踏であり、高額であり、仮想をまと い、現実から遊離すればするほど、美しさを増し、感動を誘い、刺激に酔 い、新しい感覚を惹起され、帰依する悦楽を知り、囲う耽溺を味わえるの ではありますまいか。ですが、もしこの種の愉悦にこだわるのでしたら、 宇宙開発やSFXから与えられる刺激や興奮、蓄財や豪邸を競う楽しみ、 選良の特権、貴族の振り、社交界の演舞など、手をこまぬく名画鑑賞より はるかに「安直」で、直截の優れものがそれこそ無数にあるはずです。刺 激の度合はますます高まり、持たざる者との機会の溝も、一層広がると思 います。 厭離穢土(おんりえど)のような逃避の美術も、欣求浄土(ごんぐじょうど) のような願望の彫塑も、権勢の延長か、満たされない自己実現の反動や裏 返し、あるいは化粧の自己耽溺や着飾る自己愛と同じ轍にあると思います。 栄達の証として、選ばれた機会の美に耽り、日常からの逃避として、癒し の機会の美に塗れ、厚化粧に浸るような鑑賞は、もう充分すぎるほど堪能 しました。 二者択一ではないのですよ。たびたび二重生活とか傍流とか断わってきま したように、私は強欲ですから、その双方を享受して恥じるところがあり ません。(一三〇)
舞台壇上の陶酔に対して、以前の「随想」では、観客主体の群舞を対置さ せたことがありました。ですからそこでやめてしまったら「踏踊」には辿 りつけなかったと思います。しかし二重生活も、次第に両立が困難になっ ています。美意識に妨げられ、多重処理でも対応が効きません。 歳月の要素を忘れないでください。子には子だけに賦与されている感覚が あります。その鮮度は二十歳代でも復せますまい。対照的に、老いて、あ るいは精神的に老いて、初めて実現できる表現もあると思います。私は中 年まで自己実現に夢中でした。今なお夢中の人は、七十歳になっても八十 歳になっても壇上を目指せばよいのです。外装にこだわるのであれば、五 十歳からでも枯淡を重ね、表裏に質素絢爛をまとい、仙郷から俗界を睥睨 すれば、より実りある晩年を送れると思います。しかし、今の私には外装 も舞台もうっとうしい。不適合を起こしているのかも知れません。 私は自己の外装を飾り立てることに熱心ではありません。資質もあります が、それ以上に子の時代から、もっと深刻な関心事があったからです。今 も外装を忘れるような関心事がありますから、壇上の公演が煩わしくなっ てしまいます。ですがそれは、家族の息づかいが聞こえていますように、 単に多忙とか、単に夢中では説明のつかない轍であると思っています。 対象と情景が「踏踊」に値する必要があります。その対象と情景を観照し ながら自己の自由を発揮しますと、自己を客体化させ、感覚を遊ばせます と美が生まれます。美は扉の内部に蓄積され、内的充実を高めます。公演 には刺激があり壇上には興奮がありますが、美は、「踏踊」に必要な対象 と情景は、日常生活にあるのです。(一三二)
猛烈といってもよいです、現実に対する息苦しさは。もし皆さんが、お肌 や御髪(おぐし)を化粧する腕を払われましたら、冗談であっても不快を覚 え、相手が本気であれば許すことができないと思います。美はかくまで必 要で、生きている限り譲れない一線ではありますまいか。そして徹底的に 私的な営みです。 美術館で破られる静寂は、外出を手控えれば解決できますが、「踏踊」に 欠かせない静寂は、日常の生活を手控えることはできませんので、どうし ても譲れない一線になります。ですから私にはこの国の、喧騒に寛容な風 土を理解できません。広場や駅頭で大音響で展開する情宣活動も、それに 聴き入る群衆も、量販店の食品売り場の、他人の耳元もお構いなしの叫び 声も、住宅街まで侵入してくる大型トラックの轟音も、それが国政の頂点 に立つ政治家が率先し、財界を指導する経営者が採用し、しかも報道も市 民も表立って異議を唱えないのですから、静かな悲しみを覚えてしまいま す。よく耐えられますね、この国の人はこの喧騒に。(一三三)
私の美は、始めから趣味や娯楽とは違いました。若い頃は美という言葉そ のものに気恥ずかしさを感じてしまい、詩という言葉同様に敬遠していた と思います。では、その美や詩を再認識したのかと言いますとそうではな く、美の概念の多様性を、中年になって初めて知ったのであって、現在感 受しています私の美は、気恥ずしかさを感じていた昔の美ではありません。 私の美は最初、感受したのではなく、認識し、理解したのだと思います。 (一三四)
結果を讃美されながら、なぜ糾弾されてしまうのかわかりません。泡の破 綻に比べれば、興行と泡には巨善と巨悪ほどの差があると思います。湯水 のように投じられた金品も、巡り巡って消費に寄与、生産の呼び水になり、 そのうえ世界最大級の興行そのものが、莫大な経済効果をもたらしている のですから、その商業主義や饗応を、批判する根拠が私にはわかりません。 勝利の拳をめざし、棄負加の分離の、さらに複写効果の高い配分を願い、 頂点に立ち、特権を享受するのが、高度産業化におけるやり甲斐であり道 義である、と私は理解しています。団体の規則や自治体の法制に反する行 為は裁かれて当然ですが、我々個々の内面の、野心と、欲求と、饗応に涎 を垂らす性根を顧みますと、采配や取り巻きが批判される報道には同意で きません。 長野に決まった折は「随想」を著わしていましたので、その時の自分の印 象も記録してあります。当時、批判があったにもかかわらず、観客も報道 もこぞって歓迎したのは、興行の基本理念に、現実の経済との(生活の竜 骨との)同一性を見たからではありますまいか。 以上は「倫理」と「美観」の違いを説明するために挿入した一文です。私 には、選ばれた人々の「行きすぎ」を批判する倫理上の根拠がわかりませ ん。配慮の不足と取りつくろいのお粗末さ、程度のものでしょう、難じる ことのできる欠陥は。興行の裁定は結果次第です。徹底した弾劾は、経済 的失速を招き、あるいは環境を破壊した場合に限ります。法制に完璧に則 ったとしましても、もし、環境破壊および経済的破綻を招いた場合は、関 係者の報酬や競技者の経費まで詮議して、責任を負わせるべきだと思いま す。しかし―― 二重生活の一面では経済に貢献し、観客を熱狂させる興行の、精神を批判 できる規範は、今日の経済社会では存在できないと思っています。しかし、 もう一面では事情が異なります。私にとって最も大切な運動種目は、自然 美と切り離すことができません。拡張するのではなく自然美を削る運動種 目は、私の運動観の対極に位置します。さらに―― 観戦競技の演技者にも、競技観戦に興ずる観客にも、倫理上、批判できる 余地はありませんが、一銭もやり取りがなかったとしましても、二重生活 の傍流では、主客分離の運動種目を美しいとは思いません。私にはプロと アマの区分とは別に、もう一つの「法」があるのです。 思想の表現につきましても、私はある規範を設けています。結果とその論 拠を並べただけの思想は表現に値しない、思想には、形成にいたる過程の 表現が欠かせない、という想いです。ある日とつぜん生まれた思想や、あ る日とつぜん叙述の方向が変わった結論は、寸借や組み替えがないとしま しても、独創を口にする資格はないと思います。思想は、生活の回顧と、 迷いと、矛盾と挫折を曝しながら、生の轍として著わすべきではあります まいか。(一三五)
この一瞬に充実を得、この一瞬に喜びを見出すために生きてきました。少 なくとも中町の店を処分したあとは。 社会のため? 関係ないですね。未来のため? 本気でそう思っているの ですか。そうですか。世の中のためや後世のために生きていらっしゃるの ですか――。しかし私はそのようには生きられません。社会のためとか未 来のためとかの気持ちは、思惟や観念や報道や状況や環境や権威や義務の 力を借りませんと、簡単には持続できません。奉仕や慈善は、また社会運 動や政治活動は、二重生活の、会社の属する側にあるのかも知れません。 いや、そうなのでしょう。先ず認識が必要です。意志も同情も必要です。 場合によっては、罪の意識さえ必要になるでしょう。とてもうきうきと、 という訳にはいきません。会社も社会運動も、自己実現には並々ならぬも のがありますが、日常の感性と一体化した自由は、会社や社会運動とは別 の側に位置します。宙を舞っているような解放感や、うち震えるような喜 びは、足許の自然と「踏踊」の側にあるのです。現在の私はそのようにし か生きられません。(一四七)
今回の連載はここで終わりです。その前に二月一三日の、メーリングリス ト管理人(筆者)の雑談を引用します。
過去に私が一番つらいと思ったのは、一にも二にもお金、お金だけのこと でした。そのお金をすべて断念しましても、心が軽くなる方がマシ、と思 うようなこともありまして、今はただただ、家族が笑って生活できること を、最高の仕合わせと思うようになりました。 未来よりも今、なんですね私に大切なのは。そして一番つらいと思ったと きに、一番好きな音楽が支えてくれました。美しかったですよ、声楽曲。 家族が大切でならなくなりますと、いろいろ考えてしまいます、我が子の 喜びや悲しみを。我が子の喜びや悲しみを考えてしまいますと、自分の子 だけでなく、その辺で遊んでいる子の心も、我が子と同じように想ってし まいます。そんな風にして、大切なものばかり考えていますと、またまた お金、という風になりました。 未来も、地位も、職種も、立場も、自負も、どうでもよいのですね。大切 なのは先ず職を得ること、そしてお金を稼ぐこと、あとはなんにも関係な いです、子の喜び以外は――。同時に、早く巣立ってくれ、と毎日祈るよ うな気持ちです。一寸先は闇ですから、巣立つまでは先ずお金、そして巣 立ったと同時にバタ! でいいと思っています。老後とか、年金とか、未 来とかを考えられる人は恵まれているのです、いつの時代も――。
仙郷に達するにはあと何年かかるのでしょう。冷たい想いが解けません。 私の原風景には、子らが、通学路や野原を駆けまわっている姿があります。 ですから、自動車道も発電所も、聳え立つ市庁舎も超高層のオフィスも議 事堂も、自然遊歩の通学路や瀟洒な学園の再生のために機能する、と観念 しています。 国際競技も芸術劇場も娯楽番組も大人の生も、永遠に消えることのない子 らの、仕合わせのために存在し喜びのために存続する、子らの充実こそが 最高の名に値する、と想っていますから、車輪に接するような通学路には 衝撃が強すぎて、なかなか平常心に戻れません。 居眠りしながらでも事故に遭わない通学路、がないのでしたら(それでも 自然遊歩道には及びませんが)聳え立つ市庁舎を売却して、掘っ立て小屋 で執務しながらお金を工面、通学の安全を復して欲しいと思います。嬉し いでしょうね、自然遊歩の通学路に、田園に囲まれた義務の教育。 そう、喜びは自らの手で創り出す――、でしたね。
(一四八)





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