向島百花園
墨田区東向島

八時半に雷門の地下駐車場に入り、浅草寺を
参詣してから、タクシーで向島の百花園へ。

大よそ七十年振りの言葉は「昔とは違う」で
した。草は茂りすぎ、樹木は伸び放題で、向
島百花園から「庭園」が消えていたのです。

茶室とは別に、障子と窓のある畳敷きの小屋
がいくつかあって、どの小屋も、障子を開け
ると萩のトンネルが見えたそうです。高さは
変わりませんが奥が浅く、昔のトンネルは遠
くからでも入口から出口まで見通せました。





長唄の佐吉さんが、百花園で浴衣浚い(ゆか
たざらい・浴衣でのお浚いの会)を開いたこ
とがあります。家元がお浚い会? 開く筈は
ありません。家元が二ヶ月毎に開いていたの
は勉強会(長唄芙蓉会)です。しかし、家元
が勉強会に姿を見せることはほとんどなく、
家元直属のお弟子(お師匠さんと呼ばれる中
でも高位の数人、一番弟子が佐次郎さん)が
段取り、舞台に上がるのは中堅のお師匠さん
延べ二十人、観客は在京のお師匠さんを中心
に毎回八十人ほど。万事控え目を余儀なくさ
れていた時代ですが、勉強会の客席には、女
性のお師匠さんも少なくなかったそうです。

百花園での浴衣浚いは、家元主催の園遊会だ
ったのでしょう。盛装して百花園に出かけ、
次々に舞台に上がる奏者が浴衣に着替えたの
が茶室でした。全国に散らばったお師匠さん
は、今の習いごと同様、素人をお弟子にとっ
て生計を立てていましたが、表舞台で演奏す
るお師匠さんに弟子入りできるのは、商売人
を志す男女か芸者で、撥(ばち)の根元で小突
くほど稽古がきつく、仮に素人が後援者の口
利きで弟子入りしましても、就いて行けずに
やめてしまい、百花園での浴衣浚いの出席者
も、高位のお師匠さん数人とそのお弟子、後
援者、それに家元自身に限られていました。

お茶の二見先生も、浅草の芸者に教えていま
したので、女学校を出るまで母の視野には、
芸者の姿が頻繁に現われています。百花園の
浴衣浚いで、佐吉さんが毒消し売りの仮装を
させたお弟子も、新橋の二十歳(はたち)の売
れっ子芸者でした。なお、今の百花園へは、
薮蚊に散々刺される覚悟でお出かけ下さい。






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