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 旅  −2−

 29 Mar 2000

 両親には、約三十回の海外団体旅行の経験があり、その多くが、ある優れた添乗員
が自ら催行する、旅程も案内も個人の力量に負った観光でした。しかし我々が参加し
た今回の団体は、現地のさまざまな定期観光の相乗りに過ぎず、費用面は不明ですが、
観光部分は個人参加と変わりないことを知りました。それが二人から催行できる理由
であり、一方、定期観光のお膳立てがなかった「バレンシアの火祭り」は、旅行社単
独での催行人数が集まらなかったのでしょう、流れてしまったのだと思います。

 定期観光だけでなく、パリ(----の参加者は一行の三分の一にも満たず、件の添乗
員一人が随行----)パリで雇ったガイドと車も、これは添乗員に直接聞いたのですが、
添乗員は単に電話を取り次いだだけで、支払った相手は、欧州の観光案内で目にする
別の旅行代理店でした。端的に言いますと、今回、我々が参加した観光は、まったく
同じ内容を、この旅行社を通さず、個人参加で実現できることを、昨晩、インターネ
ットの各サイトで確認しました。比較していませんが、多分、宿舎を含めた費用面で、
事前にセットされた団体旅行が有利なのでしょう。

 エコノミークラスの航空券も、団体で搭乗手続きした場合は機内後尾が専らでした
が、帰国時は団体の人数に満たず、個人として搭乗手続きした結果、後尾の煩わしさ
から解放されましたので、この点でも、宿舎や航空券だけ団体扱いの「個人参加」が
よかったと思います(しかし一般の高年者は、個人で海外旅行できるでしょうか?)

 因みに当初、母と妻にはCクラスを予定していました。しかし参加者が三人に減っ
たこと、および母自身の強い意見もあって団体席に決めましたが、我々に必要だった
のは、ますます小さくなる母への空席ではなく、個人客としての搭乗手続きと、それ
以上に、先輩に対する反感をお客に当てるのではなく、八十歳に対する思いやりだっ
たと思います。八十歳が受ける嫌がらせの打撃は、中年や若年の比ではありません。
場合によっては、精神や頭脳が復せないほど病んでしまうことを、十分に認識すべき
です。

 パリの飛行場のお酒の免税店では、黒人の女性がレジのカウンターから身を乗り出
して、母の両手をとり、満面の笑みと、祝福の言葉をかけてくれました。

 外国語に堪能で、淀みない説明と、一歩も譲らない交渉力は、閉鎖社会の立身出世
には役立つでしょうが、また帰国後、私の所にも届いた釈明の長電話には、事業に携
わる関係者の誠意も感じられましたが、母に必要だったのは、特別やら格別やらが横
行する我々の社会に最も欠けている----と私が勝手に思っている----感性の表現力だ
ったと思います。余分な座席など無用のこと、初見の折、件の添乗員に(あるいは我
が国のすべての添乗員に)八十歳を包容する表現力があったなら、我が国の高年者の
海外旅行も、もっと豊かになる筈です。

 マドリードの観光は、母と娘との三人だけに決めました。

 30 Mar 2000

  先に引用した娘の「怠けている」には続きがあります。「日本人は怠けている、だ
から私は住みやすい」ナンダソウデス。娘と同世代で、海外での生活がほとんどのあ
る帰国子女は「日本人は嫌い、でも日本は住みやすい」

 パリで雇ったガイドは、学生の頃にパリに留学、孤独との闘いが二年間続いたそう
です。私の娘と同世代のお子と生活、近年、パリに留学に来た日本の子女を、八ヶ月
ホームステイさせたとか。猫の親子が留守番してました。

 パリでの留学費用は、学費込みでも月に十数万円(? 聞き違いかも知れません)と言
われました。費用だけ考えますと留学させない手はなさそうですが、厳しい選別と孤
独との闘いは、昔も今も変わりなさそうです。日本の「無作法なマスコミ取材者」か
らもらったという上等の緑茶を、大振りのマグカップに並々と注いでくれましたが、
話題は、長年パリで生活していた日本人が、パリでの生活をやめた話や、留学生とそ
の親の気持ちの齟齬など、半生をパリで送りながら、日本が頭から離れない様子。

 スペインの一人部屋では、娘はドラエモン、ポケモン、タイムボカーン、マジョッ
コチックルなどを入れっ放しにしていましたが、声音も日本語版を真似ていましたの
で、日本でテレビを見ている気分。

 住みやすい日本も環境と状況は変わります。犯罪同様、確実に国際化します。です
が我々の自我が、個の内部ではなく、状況の住みやすさに居場所を見出している構図
は相変わらずだと思います。手振り身振りは国際化を演じますが、狭い状況でもたれ
合い、自我は「なすべきこと」を回避、怠けているのではありますまいか。

 ※

 貸し金庫を娘に借りさせたことがありました。私が署名、引き上げようとしますと
係が娘を引き留め、もう一人署名できる欄を教えましたので娘も署名。国内の貸し金
庫と似ています。

 別のホテルではパスポート三冊と、胴巻きと、母のアクセサリーを革袋に入れ、貸
し金庫に納めた動作が無造作でしたので、金属容器がドサッと響いて、大仰に驚いて
みせた係に「お休みなさい」「お休みなさい」

 スペインの観光は、パスポートはコピーで足りました。マドリードの犯罪は、押し
倒され、胴巻きまで奪われ、抵抗すると刃物で切られると警告されていました。

 最初の訪問先バルセロナでは、防犯を考え、娘と私が母を挟んで歩きましたが、こ
れは失敗でした。母を引きずるような歩行になる上、視野が狭まり、犯罪者が現われ
た場合、被害に遭うまで相手の姿がわからないので、見えない影に怯えてしまい、観
光ではなくなってしまったのです。実際には、終始、腕組みして武張っている屈強な
添乗員と、現地の大柄な人物が、我々の後を固めていましたので、恐怖心を煽る必要
はなかったと思います。

 南スペインの、ホテルで出会ったドイツの中年の一団は、野放図そのもので、手を
焼いた統率者がロビーの机に上って、旗を振り、大音声(おんじょう)で説明していま
した。英国の学生の一団は、観光バス専用の出入口を塞いでしまい記念撮影、警笛に
は嬌声で応じていました。

 マドリードの、団体の観光に参加した一行と、夜分、ロビーで落ち合った時、疲れ
きった顔の皆さんが入れ替わり「別だったのですね、参加されなくてよかったですよ」

 この一行には、恐怖心を煽らなければならない必然性があったと思います。バルセ
ロナだけでなく南スペインでも、我々はついて行くのがやっとでした。ようやく一行
に追いつくと、もう移動では、観光ではなく健脚会です。次々と移動するには、一行
を追い立てなければなりません。母は疲れたとは言いませんでしたが、母親や母親の
知人と一緒だった十五、六歳の女の子は、日程の中ほどでロビーの床にへたり込んで
しまいました。標的になり易い日本人団体の、群れからはぐれた羊は狼の恰好の獲物
ですから、追い立て追い立てしながら群れを固めておかないと、無事には終わらない
のでしょう。治安にかかわらずせわしい旅行は、私には観光とは思えません。

 治安の悪い土地では、団体旅行を主催する事業者は「列を離れたら襲われると脅さ
れ、バスに戻れてホッとするような名所」は組み込んではならないし、一箇所に十分
な時間を割き、密な日程は組むべきではない、と思います。犯罪の特に頻発する名所
は、自由時間に、自己の責任で観光すればよいのです。私がスペインの観光を望んだ
のは、単に、太陽と空気を知りたかったからです。バルセロナには、もう一度、出か
けなければなりません。

 若くはありませんので、今の治安状態では、マドリードへ、私は二人では出かけま
せん。一人でない場合は、二、三歩離れ、二人の後から歩く誰かが必要です。視野が
広がり、気持ちに余裕が生れます。そのマドリードでは

 まったくの手ぶらにジャッケット着用、財布は持たず、お金は裸のまま出し入れし
ました。カメラは三人とも断念、娘は肩掛け式の小物入れにその日の買い物予定額を
持参。母は服装も所持金も望む通りにしましたが(観光を続けたいのであれば、高年
の母には、制限してはならないものがあります)愛用のリュックサックは諦めてもら
い、肩掛け式の財布は、やはりお気に入りのレインコートで隠してもらいました。

 個人旅行を考えていたバルセロナは、暗記するほど調べましたが、マドリードは俄
か勉強でしたので、様子のわかった「点」に絞り、買い物はお店の地図も持参、行き
先をスペイン語で書いたメモを用意、ホテルの、玄関前に呼んでもらったタクシーで
美術館へ。

 31 Mar 2000

 タクシーから降りますと、心の底から解放感が湧いてきました。週末のマドリード
は、朝の太陽を浴び、舗道も建物も輝いていました。単独行動を決めたときから眠れ
るようになり、食欲も出たのですが、異国を旅する喜びが、タクシーを下車した瞬間
から蘇りました。反射的にタクシー乗り場を確かめ、歩道を横切って広場に入り、美
術館の入口へ。

 もの売りが近寄って来ましたが、軽くかわし、拳銃を腰にした警備員(警官?)の立
つ受付で、入場券の売り場を尋ね、館内を少し入った廊下で、入場券を買う列につい
たところ、何処から現われたのか、我々の頭越しに、「手配書」そっくりの男が、館
員に何事か尋ねる「素振り」

 娘も気づき、私に目配せ、手早く入場券を買い、お目当ては一つ上の階でしたが、
英語の案内板が見当たらず、大きな建物は暗く、寒々としていましたので、館内の廊
下を奥に進み、入場券の呈示を求められた会場は、現代作家の特別展でした。

 現代作家の企画展には足繁く通っていますが、よほど有名な作家を除き、閑古鳥さ
え遠慮して、深閑としている我が国とは違い、ヤハリと言ってよいのでしょう、規模
はもとより顧客の数も、マドリードは違いました。団体客の姿はなく、ゆっくり歩き、
のんびりしたところでひと休み、さて、上の階へはどう行くのでしょう。

 入場券売り場に戻る途中、館外に取り付けられた近代的なエレベーターを発見、い
よいよ巨匠の作品が観られると、心ワクワク、気持ちソワソワ。

 この展示場では、説明者に引率された各国の団体が、老若男女とりどりに、後から
後から現われましたが、なぜか日本人の団体には出合わず、日本人の個人客も気づい
たのは二人か三人。その頃には、母と娘は作品に夢中になり、添乗員の私は手持ち無
沙汰のため、関心を周囲から作品へ切り替えました。

 立ち止まっては歩き、立ち止まってはまた歩き、展示室ひとつひとつを丹念に鑑賞、
奥まった無人の部屋へ入ろうとした瞬間、緊張が走りました。部屋には「手配書」通
り「人相書き」通りの三人が、話しながら立っていたのです。薄手のシャツに、ヨレ
ヨレの細いズボン、素足にズックで何も持たずでしたから、娘はすぐに進路を変え館
央へ。「手配書」の三人は、作品には見向きもせず、別の展示室へ向かいましたが、
今、思いますと、相手がどのような職業であれ、三人は、我々には関心がなかったの
でしょう。

 美術館を出る際になって、賑わっている記念品売り場を知りましたが、この展示階
にも、隅に絵葉書売り場があって、お客は我々だけでしたのでのんびり吟味、しても
予約した食事の時刻(1時半から2時)には早すぎましたので、エレベーターに乗って
さらに上へ。その階で、我々は母国に戻りました。

 日本であれば娘も私も必ず訪れるであろう企画展、スペイン百年の、生活用品デザ
イン展(?)が開催され、スペインの、若者や親子が盛んに出入り、もし団体客が入れ
ば、通路が塞がれてしまう賑わいでした。しかし海外観光で、わざわざ訪れる企画展
でもなかったのでしょう、団体客は見当たらず、三人も週末を憩う市民として、旅行
や海外に縛られない、寛ぎのひと時を過ごしました。

 01 Apr 2000

 無料になる曜日や時間があると紹介されていたこの美術館では、机を廊下に置き、
一人で入場券を捌くような気軽さがあり、母を認めた係は、証明書を求めることもな
く、生年を問うこともなく、一枚だけ、色の違う入場券を寄越しました。無論、支払
った料金は二人分です。

 美術館を出る際は、上の階から外を観察、広場の様子はわかっていましたので、落
ち着いてタクシー乗り場へ。中年の男数人が、客待ちの先頭車両にもたれ、立ち話す
る光景は世界共通? 運転手の了解を得てから乗車、行く先のメモを渡しますと、す
ぐにはわからない様子で、走り出しからも、再びメモ書きを見せて欲しい----。

 心配は無用でした。荒っぽい雰囲気とは異なり、レストランの所在する路地を徐行、
後続車を待たせたまま、一軒一軒、建物を確かめ、メモ通りの看板を発見、大きな声
で教えてくれました。料金を支払ってから渡したチップは相場通りでしたが、お礼の
言葉には「生活」が感じられました。

 いつもは美味を引き当てる娘ですが、選択を誤ったのかも知れません。別の料理を
注文した母と私は十分に満足。しかも時間に制約がなかったのですから、旅行抜きで
も第一級の食卓でした。お祝いの席を除き、お酒を飲まない私も、スペインのビール
を注文、三人のグラスに注いで「乾杯!」

 いつもは、お茶を楽しむために食べるような食卓ですが、お茶がお水になりますと、
どうにも食が進みません。旅行の中ほどから、地元のビールか、さっぱりした赤ワイ
ンを注文、乾燥のせいでしょう、酒量を増しても酔いは感じませんでしたが、帰国の
機内ではお茶へ回帰、再びお酒から離れました。

 なぜお酒を飲まなくなったか? やめた理由は忘れました。今、お酒を飲まない理
由は明解です。喉が渇いたとき、先ず飲みたくなるのは緑茶です。私の場合、ほろ酔
いより素面の方が爽やかです。

 団体が立ち寄る免税店や、ガイドが案内する土産物店はどうも気乗りしません。バ
ルセロナの、一行が手洗いのため立ち寄った免税店で、私は、陶磁製の人形を買おう
とした母を制してしまいました。母は以前、高価な硝子器を、団体で立ち寄った免税
店で購入、日本に別送しましたところ、歪んでいて、蓋の合わない粗悪品を掴まされ、
幸い、その店を紹介した旅行社が直ちに交換を手配、損はなかったのですが、今回、
母が望んだ人形は、私には高すぎるように思われ、また出かける時間が迫り、別送の
手続きに不安がありましたので、いい加減な理由をつけ、やめさせてしまったのです。

 母は国の内外に関係なく、特産品や名産品についての知識が乏しく、名前だけで買
うことは先ずありません。しかし、自分が「よい」と思った品は躊躇なく購入、私か
ら見たら相当贅沢ですが、一度買った例えば衣服は、二十年も三十年も、自分で直し
ながら着続けています。父が健在だった頃は父の衣服も、擦り切れてしまったスラッ
クスは裾を解いて折り直し、痩せて不釣り合いになった上着は、身頃を解いて仕立て
直し、吟味して手に入れた一級品を、いつまでも大切に愛用しています。

 母は「これから」に不安を抱いています。父が亡くなってから、生活の基盤が崩れ
てしまったのです。考えは固まってきましたが、その実現には、いくつも関門を抜け
なければなりません。金銭上の壁もあります。しかし、歳のせいでしょう、母は親族
に「よいもの」を与えたいとする衝動が強まっており、贅沢は身銭を切って!を信条
とする私と、食い違うことがあります。先の齟齬には、このような事情もありました。
しかし、制してしまったことが気になっていましたので、レストランの後は、別送の
手続きが確かなお店で買い物を、と決めていました。

 マドリードでは、はじめにお土産を買うお店を決めてから、近くのレストランを予
約しましたので、午後、お店が開く時刻を見計らって、レストランの支払いを済ませ
足早に移動。

 駆け足の買い物は、品物の吟味も、品定めする楽しみも棚上げになってしまいます。
売り手から顰蹙を買うのは当然かも知れません。日本人の店員のいるそのお店も、や
はり団体客が押し寄せては去って行く、その「習性」を見続けていますと、陳列品と
団体客の間に溝を感じてしまい、一級品を製作する態度と一級品を漁る心性に距離を
感じてしまい、何やら恥ずかしい気分----。

 母はお土産用の人形を孫娘に選んでもらいました。私も買いました。端から丹念に
あたり、絞り込んだ一点が娘の好みと一致、帰国後、届けられた人形は、眠るように
寄り添っています。


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