(C)Copyright 2000 SHIMADA, Ichiro. All rights reserved.
  随想 青い闇  −3−

 28 Nov 2000

 我が家では洋菓子は買いません。

 娘の高校時代、首都圏には珍しく積雪があり、休み時間、校庭でハシャギまわって
いた美術組を、進学組が、最上階から羨ましそうに眺めていたそうです。

 昨日は夕食後、人形焼を食べ、歯を磨いてしまった後で、家族の人数分の洋菓子が
持ちこまれ、お菓子を二度も食べました(今朝は二キロ余計に走りました)。

 昔、商品化を担当していた頃、成否の鍵の一つ、容器のデザインを頼むため、再三
関西に出かけたことがあります。その部署と我々の関係が美術組と進学組。嗚呼、俺
の職業生活、暗かった!(今もそう)。

 成否の鍵のもう一つ、謳い文句の制作部署は、文字を扱うせいか、哲学的暗さがあ
りました。

 優れたデザインを前にした教授が学生に、娘を引き合いにして「○○を見習いなさ
い。ドン底の作品も、もっともらしい説明で通してしまう。説得できる話術がなけれ
ば、どんな作品も採用されない。」

 その教授、休み時間の娘に「○○のバイトの話、聞くのが楽しみになった」

 筆者注:娘のバイトの話は、活字にするのが憚られます。ただ、冬休みは毎日出る
ように頼まれ、最近はレジ締めもやらされるなど、どうしようもない訳でないことだ
けは確かです。お店の責任者が週に一、二度、売れ残りを、家族の人数分だけ持たせ
てくれますから、我が家では洋菓子は買いません。

 29 Nov 2000

 中町のお店には、真鍮の骨組みに、ガラスの飾り盆を嵌め込んだ手押し車がありま
したので、ウオッカ、ラム、ジン、バーボンの瓶を並べ装飾効果を高め、誰にも遠慮
は要りませんでしたので、試飲しながら働きました。当時は自宅でも流しの下に、主
婦用ではなく主人(私)用にウオッカを収納、ビールも室温で飲みますので、ウオッ
カも生(き)のまま楽しんだものです。飲むと陽気になった私が、お酒を飲まなくなっ
て、周囲はつまらなく思ったでしょう。

 よく頑張りますねと言われると悲しくなります。早朝(!)のランニングでも同じ
言葉をかけられます。そうではないのですが、話しても先ずわかってはもらえません。
最近は笑いながら聞き流しています。

 ロンダ(スペイン)の古い闘牛場に立ち寄って、無人の場内中央に立ったとき、空
のあまりの青さに娘は感嘆の声を上げ、母は怖くなったと話しています。冬の関東平
野にも真っ青な空が現われますが、闘牛場の空は、青さの凄みが違いました。

 30 Nov 2000

 十数年前、ある画廊の代表者と半日ほど「面談する機会」がありました。偶々その
画廊は税務調査の後で、大企業管理職の生涯賃金相当額を追徴課税、されただけでな
くコンピュータ内の顧客情報まで調べられ、得意先一軒一軒に調査が及び、コンピュ
ータに対する嫌悪感を露にしていました。その折

 日本画は近代の作でも、ある年次以前の作品は古物の扱いを受けること、一流の作
家も物故すると、値段が上がるのではなく下がる例があること、贋作があたり前の世
界なので、素人は特に古物には手を出さないこと、精巧な贋作は鑑定が難しいので、
履歴を重んじること、投機や財産「保全」には、再販の見極めをつけてから購入する
など、およそ美とは無縁の話でした。これら諸々の危険を回避するには、作品の所在
を追跡、作品の情報を蓄積するのが最善ですが、その方法として導入したコンピュー
タに裏切られた形でした。

 絵に何を求めているのでしょう。怖くなるほどの青い色! 私の場合はそうです。

 01 Dec 2000

 デッサン力をおいそれと真似るわけには行きますまいが、彩色は先生そっくりに仕
上がる例を見聞きします。技量の優れた絵は好き同士、公募展での当落を読み取れる
でしょうから、絵を学ぶ目標もひとえに受賞できる技量に傾斜します。権威を借りず
に場を確保するのは至難です。お手本があまねく行き渡る所以です。

 市川時代、S先生から贈られた進学祝「岸田劉生の画集」と「男体山(日光)の油
絵」が、私が本職の絵を意識した最初です。実家にあった「男体山」は、先生の弟さ
んの作だったことを忘れていました。額縁は傷みましたが、四十年後の今も印象は変
わりません。

 竹橋で再会した五歳の「麗子」は懐かしかっただけですが、上野の「麗子」には震
えが来ました。母が描いている孫娘の顔部分も、微笑んでいる「麗子」を無視する訳
には行きますまい。折しも、岸田劉生と「麗子」の話題が放映されましたが、民放の
三十分は、明日開かれる商取引の、露払いの印象です。

 服装や化粧のお手本を除きますと残るものは何でしょう。主義も観想も過去を遡れ
ばお手本の組み合わせです。本職も素人も、お手本を除くと現われる色彩にお気づき
ですか。

 04 Dec 2000

 高層住宅街の紅葉はサクラから始まりました。次いでケヤキ、カエデと続き、イチ
ョウが散ると並木も枯れ木。

 色づいた桜は赤褐色に見えます。梢の紅葉が散る直前、暖かい並木を歩いています
と、春爛漫の鬱陶しさが嘘のようです。落葉樹林や照葉樹林を、来る日も来る日も歩
いていたいのですが、首都圏に住む限り、望むことさえ無理でしょう。

 わずか半日でしたが、博物館の駐車場に停めた車が染みだらけになりました。青イ
ンクそっくりの染みが塗装にこびりつき、ワックスで拭っても簡単には落ちません。
我が家では、庭木の間に車を割り込ませていますので、夏は虫の糞、冬はヒヨドリの
糞、夜は羽を休めるキジバトの糞に猫の足跡が加わって、車の汚れには慣れっこでし
たが、黒い実のなっている今の季節、クスノキに囲まれた駐車場を利用するのは考え
ものです。

 素人が自分で考えた衣服の量産を試みましても、資材や型紙や縫製の、業者を見出
す段階でお手上げになるでしょう。一方、本作りは想像以上に簡単でした。完全原稿
とデザインを携え、印刷業者を端から当たれば、素人でも、量的には市販本と同程度
の書物を生産できます。相性のよい印刷会社に巡り合えますと、編集と校正は注文主
の見様見真似になりますが、仕上がりの品質を落とさずに、見積り相場の一割は削減、
納期も大幅に短縮できます。

 05 Dec 2000

 読者からのご連絡で知ったのですが、いくつかの公立図書館では、ある年までの私
の随想が読めるそうです。図書館にない分は、最近の三冊を除き絶版状態ですから、
読者は望んでも読むことができません。なぜ図書館は扱いをやめたのでしょう。図書
館に欠けていた随想は、出版社が取次さんAから扱いを断わられた以降の数冊です。
しかし出版社を変えましたところ、再びAのリストに載るようになりました。図書館
員も取次さんも書店主も、題名一覧や短文の紹介だけで、氾濫している新刊本すべて
を看破することは出来ないでしょう。図書館に揃っていた私の随想は、主体的に取り
寄せられたのではなかったのかも?

 新聞に書評の載った随想が発売直前、別の取次さんからも配本を断わられました。
その随想の原稿を抱え、出版社を探していた折、引退した編集者が「島田さん、直販
なさい」

 文章表現の「出版社、取次さん、書店」の役割は何でしょう。表現の自由および機
会について、書籍取引の関係者は、どのように主体性を維持しているのでしょう。他
業界の会社が自己の資金で製本、広告、直接受注しても読者は困りません。インター
ネットを利用すれば資金負担を除き、著者個人でも商業出版は可能です。特定の読み
物一つを、出資者を募って出版する動きもありますから、実績のある著者の場合、個
人による商業出版も現実味を帯びてきます。しかし実績のある著者は既得権益の享受
者ですから、自己の拠る基盤を自ら覆すとも思えません。

 出版の動機は一つではありますまい。私にも一、二の考えがあります。同時に出版
は考えを発展させる方法にもなっています。その考えを伝えるには、実際に読んでも
らう必要があります。機会が必要です。機会はこの国だけでも「個々の私」×数千万
人分は必要でしょう。洪水が始まるのはこれからです。

 07 Dec 2000

 報道も映画も動画も遊戯も芝居も推理もお笑いも競技も料理も観光も、洪水が始ま
るのはこれからです。しかし情報の受け手一個一個は当面(数世紀程度の先までは)
多次元同時処理が身につくとも思えませんので、興奮と衝撃の数年ないし十数年が過
ぎますと、いつの時代も声高なので目立ちますが、実際には一握りにすぎない顕示過
剰資質、強面支配資質、熱狂忘我資質は一層過激化する反面、過去も現在も未来も、
絶対多数を占めている平穏志向資質は麻痺で装備、無視に逃避、再び絵にも文字にも
渇きを抱く----。

 単行本「随想 橡の木の葉」の帯の文言で、出版社案「ノンフィクション」を削っ
てもらい、代わりに用意した「IT時代の表現」とは、ITを完璧に無視、千年もの
昔から(?)あまねく行き渡っている色彩を想定したものです。既にお読みいただいた
皆さんはお気づきですね。

 08 Dec 2000

 もう三十年も昔になりますが、盛んに「しすてむ」を強調した会社役員がおりまし
た。その後「しすてむ」は「いんふぉーめーしょん・しすてむ」に換えられ、さらに
「いんふぉーめーしょん」ではなく「いんてりじぇんす」とされましたが、今は再び
「いんふぉーめーしょん」に復古、但し「しすてむ」は「てくのろじぃ」に、発音も
「あいてぃ」に様変わり。

 三十年前に較べ、本質的に変わったことがあります。生活の質? 価値観? 人間
性? さあ、どうでしょう。一千年前に較べ、一万年前と比較して、根本から変わっ
たことがあります。その驚異を皆さんは、体の髄から感じていられますか? あるい
は感じるだけの「表現」に、腐心されてきましたか? ここに来て脅威を感じてしま
う個人や組織は、これまで、言論の自由および表現の自由を標榜してきたその言説と
実際の生き方に、乖離があったと思われます。

 これからは壇上の演舞も傍聴の熱狂も、古典の傑作も最先端の濫作も事例に変わり
ます。事例を前にして、歩を進めないのは余りに無欲。

 14 Dec 2000

 皆さんはインターネットのウェッブ・サイトに、TV受像機からアクセスしたい気
持ちはありましたか。パソコンが苦手な人には是非そうして欲しい、と期待していた
のは事実ですが、私自身はその逆の気持ちもありました。視聴者参加は今の状態で十
分であり、これ以上、視聴者の反応をTVに持ち込むのは「邪道」と思い、その種の
番組は観る前から敬遠するほど頑迷固陋、時代から遊離、一途に退歩し続けています
ので、番組の氾濫(番組選択の多様化細分化)と画質の向上を望む以外、私はTVに
期待するものがありません。TVもラジオも新聞も単行本も「古典」に過ぎます、表
現(!)の媒体としましては。

 16 Dec 2000

 中国の僻地、ではなく歴とした都会の後背地に、ウェッブ・サイトで知ったのでし
ょう、わざわざスペインから一見(いちげん)の事業者が訪れ(★実際に足を運んで★)
取引がはじまったと、中国の当事者が知らせてくれたその翌日、私の少年時代とは因
縁浅からずで、昔は泣く子も黙った老舗が解散か倒産かの二者択一。随想を贈った古
い友人の礼状に「それにしても貴兄がとてつもなく冷静に全てを受けとめている姿に
びっくりしています」とありましたが、商談の知らせも破綻の報も、気持ちが少しも
揺らがないのは、十六年も書き続けてきた生活と根は同じです。

 自宅と事業所の別なく、内外と二十四時間、面談感覚、タダ同然で、インターネッ
トのテレビ電話やテレビ会議を利用、意志を通わせお喋りを楽しむ、そのじりじりす
るような渇きに、開発する技術者や提供する事業者は何をのんびり!と、世の中の先
進性に嘆息、既成様式を横滑りさせる風潮に薄ら寒さを覚えています。

 地球(の表面)は旅の可能な球体ですから、天変地異がない限り、一千年後はスペ
インとか中国とかの区分けも徴税の便法に様変わり、旅行に冠する「海外」は煩わし
くなるでしょう。生活時間の奪い合いになりました。情報の媒体にとっては死活問題、
過激化するのは避けられますまい。ようやく一千年前に戻れます。

 18 Dec 2000

 昨日の国立西洋美術館は年内最後の開館日でした。出かけるのが来週でなくてよか
ったです。常設展示場とレストランがいつもの順路、鑑賞の要点は二つ、ロイスダー
ル(十七世紀、オランダ)の「樫の森の道」に描かれている人の数、およびアンリ・
ルソーと他の展示品の距離。

 昨冬、神保町の喫茶店で待ち合わせ、元編集者(Aさん)に、祖父の自伝の原本複
写を差し上げたところ、「変体仮名まじりの原稿、面白く読ませて頂いています。数
十年ぶりにおめにかかる仮名文字は『あげそめし前髪』のころに引き戻してくれまし
た。衰えた脳細胞フル回転、デス」

 喫茶店ではもう一人と初対面のご挨拶。現役時代は編集に従事、引退後は校正のお
仕事(当時は古典の戯曲の翻訳)でしたが、今後も仕事を続けるかやめるかの悩みを、
他人事のように話されていました。そのご婦人が私の随想も校正。第一作で懲りてし
まい校正者の「介入」を嫌っていた私に対し、Aさんはその後も一、二度、出版社の
立場で必要な手続きを踏んでいたのです。ご婦人曰く「校正した随想の印象から、し
かつめらしい人物を想像していましたが、★実際に会った★印象はその逆ですね」

 実際に会わずに文章だけで、旧知には表現抜きで、お互い、どこまでわかり合える
のでしょう。しかし昨日までは、文章表現は媒体に与れる一握りの私物だったですし、
これからも開示に、権益が絡みつくのは避けられますまい。

 19 Dec 2000

 電子出版のお勧めが舞い込むようになりました。なぜデジタル化のお勧めに、色刷
りの大封筒を使用し、明治の方法を(祖父も従事したことのある郵便配達を)選んだ
のか、今一つ理解できていません。また新刊も既刊も、自らが推敲し自らのサイトに
掲載すれば足りますから、営利の「書籍デジタル化・電子出版サイト登録」のお誘い
には、御輿担ぎから外されるような侘びしさを覚えてしまいます。紙の本は、先ず出
版社の格式がものを言いましたでしょう。電子出版も、先ずサイトの格式がものを言
うのでしょうか。金融の泡はしぼみましたが、演出の泡に踊らされる(便乗する)構
図は今も健在です。

 年賀状も、郵政省のお世話になる必要はありますまい。その取捨は、これからの若
者が決めるでしょう。泡なのです、郵便配達に依存する紙の賀状は個人にとって(個
人の表現活動にとって)(一個一個の充実にとって)

 技術は進みます。演出の泡もやがてはしぼみます。満足の、仕組み瓦解は金融の泡
同様、誰にも責任をとれますまいから、こちらも未来へツケをまわす?

 20 Dec 2000

 はじめてインターネット電話を試みたのは三、四年前です。有償ソフトを使用。繋
がった相手は米国在住の日本人留学生。先方は深夜、話し相手が欲しかったとのこと。
しかし当時は、通信の品質と使い勝手に難があり、こちらの必要を(国際電話の代替
を)充たしてはくれませんでした。その翌年の夏、フランス語圏で育った日本人高校
生が、我が家に泊まった折、夕食時から夜更けまで、フランスやベルギーの見ず知ら
ずと、凛々と響く声でインターネット。相手の一人はフランス人の青年医師を自称、
その真偽を確かめる長電話を、女の子三人で、はしゃぎながら楽しんでいました。

 事務所用コンピュータの、ハードディスク一台が数百kgの時代、振込や残高照合
のオンライン処理にと、義理で置いた「携帯タイプライター大の器械」が、パソコン
と気づくのに大して時間はかかりませんでした。当時、生産事務や貿易事務の、規格
はバラバラ、書類相互の関連も勝手気ままで、定型処理は不可能とされ、担当各自は、
多忙を以ってやり甲斐と感じ、私は内心あきれていましたので、件の器械を早速点検、
増設メモリなし、ハードディスクなし、マウスなしの、フロッピーディスクを左右に
挿入するだけの機種でしたが、ワープロは有名ソフトの四分の一の価格で購入、表計
算は有力ソフトの七分の一の値段で入手、後者はメモリ不足のため、日本語関連のフ
ァイルを全件削除、さあ、パソコンだ!と、勇んだ出鼻を挫かれました。なかったの
です、小売店頭にはこの機種に合うMS−DOSが。

 今も苦々しいです。フロッピーベースのパソコンに、なぜWindows2.1を抱き合わせ
で買わされるのか。入手したソフトの価格差が帳消しになった、その不条理!

 このパソコンは義理ゆえに、リース流れがあふれていると目星、その読みが当たり、
プリンターとセットで選り取り見取り、ウィンドウズ版のパソコンに切り替える頃は、
リース関係者が「置き場に困るので持って行って下さい」

 Windows2.1の、リバーシ(オセロゲーム)と、ペイントの円グラフ作図(白黒)を
何が何でもやりたかったです。そうでないと気持ちが治まりませんでした。職業では
経費の削減につぐ削減が、功労ではなく普通なのです。合理化に感情は立ち入れませ
ん。しかし、個人一個の内部は別です。前の事業所でも、数字は売上高予算業務で、
作文は調査の報告書や商品化の企画書で、文字と数字に追われッ放しの、書き手は大
の手書き嫌い、手で書くのが厭で厭でたまらず、ワープロと表計算には、その概念を
知る前から、強烈な必要と強烈な欲求を感じていました。

 パソコンでのオセロには好奇心が湧き、パソコンでの作図には鉛筆の汚れが蘇りま
した。どちらも「日本語」を外すことで動くようになり、このときから、パソコン抜
きの生活は考えられなくなりました。

 インターネット電話を始めた頃は、あと数年すれば内外の別なく、インターネット
のテレビ電話やテレビ会議はアタリマエ、と踏んでいたその読みが今度は外れ、電話
相手の画像と音声が24時間、放映されっ放しのモニターは、事務所や家庭のパソコ
ンを片端から覗いても、滅多に見当たりません。黒電話感覚で操作でき、面談感覚で
話せなければ、インターネット電話もWindows2.1と変わりありますまい。普及しなけ
れば箸にも棒にもかかりません。欲求はないと見ているのでしょうか。携帯電話の動
きを見ていますと、そうとも思えません。何をモタモタ----。

 個人一個の内部に、強烈な欲求、強烈な必要、強烈な好奇心がなければ、結局IT
を使うのではなく、ITに使われてしまいます。個人一個の内部に、人生経験が構築
した自己の展望、実現に向け努力する自己の夢がなければ、技術革新が生み出す経済
的不遇に対し、前向きで意欲的、しかも先端まで、機会均等を押し出す対応は生まれ
ません。内外の別なく24時間、タダ同然のテレビ電話が、経済的不遇な家庭でも、
アタリマエになるのはいつのことやら。

次頁へ
前頁へ


散歩者の夢想メーリングリストの表紙へ