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随想 橡の木の葉 (六の五)
前頁より
七〇
昨年末の鬼怒川温泉は六人でしたが、東武鉄道の個室を二室予約、一室は父と母と妻と
娘で和気藹々、乗車時間が短いと残念がっていました。一室は就職の決まった子と私だけ
の仏頂面、窓外の景色が綺麗でした。
駅から宿へは、タクシーでは近すぎ、歩くには一苦労。距離が中途半端な場合は、遊歩
道でもありますと、初冬の景色を眺めながら歩けるのですが、水上にも裏磐梯にも鬼怒川
にも熱海にも、介護を要する高年者が自然を楽しみながら、のんびり歩けるような遊歩道
はありませんでしたので、風光明媚な観光地を訪れても宿に直行、ガラス越しの風景で妥
協せざるを得ませんでした。
私は子の時代、老後の生活に幻想を抱いていたことがあります。桂や楢や楓(カエデ)や
銀杏(イチョウ)の林に、ハーブ園と薔薇園と野草園と澄んだ湖水----。喧騒と自己顕示に
別れを告げ、死を諦観した二人ないし一人が、各室、独立して住まう瀟洒な住宅。
老後にとっての豊かさとは、介護も看護も終末医療も、現役のために開かれている地域
や住まいとは一線を画した静寂と自然の中で、選択は各自の自由ですが、逝く者だけの生
活が約束されている社会と思っています。
七一
A、B、C、D、E、五人の子がいるとします。老後、私は誰に面倒をみてもらえばよ
いのでしょう。長子のA? 相性のよいE? BとDは今一つなので、中をとってCにし
ますか。子の気持ちはどうでしょう。Eに頼みますと長子Aの面子が立ちません。私が死
ぬまで気分を害しているかも知れません。Cは大雑把にすぎます。配慮の行き届くEは、
Cと暮らしている私が窮屈なのを見て心を痛めるでしょう。一人っ子なら問題はないです
か?
父は死ぬまで夫婦だけの生活を守りました。残された母も死ぬまで一人で暮らしたいと
考えています。それには一つだけ必要なものがあります。お金です。
子が親の面倒を見るのは美風なのでしょうか。親の私はどのような子であっても、子に
は面倒を見て欲しくありません。
子としての私は看護士や親類縁者が驚くほど親への配慮が行き届いています。しかし私
は美風に従っているのではありません。我が家固有の事情に自然体で従っているにすぎま
せん。私が勤めていた頃は私も私の家族も、両親との交流は世間並みでした。
母はたった一人になりました。来る日も来る日もテレビの音を高め孤独を紛らわせてい
ます。ですから----、ですから母は、たった一人で晩年を送れる生活の保証を求めている
のです。しかし我々の社会では、よほどお金がなければ、許されることではありません。
二回目の入院の折、妻は父を見舞っている私の顔を見て、表情の穏やかさに驚いており
ました。母に接している今の私も、父の病床ほどではないですが、日常よりも穏やさか増
していると思います。妻や私が倒れた時は、この穏やかさを我が子にも認めたいと願って
います。
善意であれ見栄であれ鈍感であれガサツであれ、我々夫婦の生活に、子は穏やかな表情
以外、持ちこんで欲しくはありません。しかし穏やかな顔を、高年の伴侶を道連れにさせ
かねない家庭看護の場や、家族に重荷を負わせて成り立つ在宅介護の場で求めるとしたら、
私は随分横暴だと思います。
年が明けると娘の受験でした。美大はどこも受験会場が遠いので、画材一式を抱え、通
勤時刻に都心を抜けなければなりません。大学によっては作品の持ちこみもありますから、
混雑に神経質になります。
美大の受験は娘に教えられる連続でした。娘はすでに結果を読んでいました。娘との三
年近くの会話から、そのことが私にもわかっていました。幸い昨夏の研究所(美大の予備
校)通いによって、娘は自分の停滞の原因を発見、急速に二年間の遅れを取り戻しつつあ
りましたが、正月時点ではまだ技術不足で、受験本番の繰り返しを梃子にしないと合格の
可能性はありません。父と母にはその通り伝えてありましたが、浪人するとなりますと、
以前の父ではないだけに長い一年になってしまいます。技術不足を補う予備校通いは本人
のためですが、合格して欲しかった----。
七二
先週の土曜、母と一緒に筑波の植物園を訪れました。来園者は我々だけでしたので、広
い園内をゆっくり歩き、静寂と自然を堪能しました。母はトチノキの並木で、色づいた落
葉を拾い上げ、五〜六枚の枯れ葉が、掌状に軸の先端につながっている仕組みをつぶさに
観察、葉が軸から離れてしまうのも意に介さず、愛用の肩掛け鞄に、大振りの枯れ葉一組
を仕舞っていました。
熱帯雨林やサバンナの温室でも、全景から花びら一枚に至るまで仔細に観察、ある日本
画家の精緻なデッサン力を話題にしながら、発見し学習する喜びの表情に、つき添ってい
た私も嬉しくなりました。
看護士資格の介護者から「居場所がない!」と言われた時は、母も我慢の限界を越えた
と判断、直ちに代わりを頼むことにしました。このままですと、母は自分の気持ちのやり
場に窮してしまいます。ある開業医の場合、やはり八十歳以上の、お父様のガンの在宅介
護中に、書類の上だけでしたが、お母様の籍を抜かないと収まりがつかないほど窮してし
まったのですが、その「まさか」との背中合わせが、高年の重い病気の夫を、半世紀以上
も連れ添った妻が介護する現実ではありますまいか。
父の死の二ヶ月前、父は突然退院を告げられました。しかし、退院の日取りを最初に告
げられた相手は、大学の授業を終え、家へ帰る途中に見舞った孫だったのです。平日も休
日も早朝も深夜も、家族は見舞いを許されている病院でしたが、平日はほとんど見舞い客
を目にしませんので、看護士にしてみれば、夕刻に訪れた見舞い客を、患者の事情に通じ
た親族と誤解するのは無理なかったのですが、二回目の入院時は父の衰弱が進んで、孫た
ちは世話できる圏外にありましたので、父の面倒を観ていた母と我々兄弟は、孫を介した
退院の通告にうろたえてしまいました。
父は帰れる状態ではなかったと今でも思っています。衰弱は回復し、お昼だけでしたが、
持参したお弁当の好きなおかずは食べられるようになったのですから、治療の施しようが
なかった父を、入院させて置く理由はなかったのでしょう。それ以上に父は、何よりも自
宅に帰ることを望んでいましたので、その気持ちを主治医が汲み取ってくれたのかも知れ
ません。
退院の数日前、訪問看護と在宅介護について、病院の担当部署と面談する機会を設けて
くれましたが、それが退院の通告だったことを父の退院後に気づきました。親切に相談に
応じてくれましたが、訪問看護科で教えられたことは、訪問看護に対する過大な期待が生
まれただけで、ある訪問看護婦さんによる「排便の手助け」を除いて、父の実際の介護に
は、母の労には、あまり役立ちませんでした。
七三
退院は月曜でした。介添えは母と私と、昭和二六年に入社した従業員のSさんです。地
下の駐車場に車を待たせ、石鹸、ティシュー、醤油、箸、スプーン、着替えなど身のまわ
り品一式は緊急入院用として包んで置き、雑誌一冊もCD一枚もない病室で、車椅子にい
よいよ腰掛ける段になって父の様子が変わりました。ほとんど寝たきりだった父が、介添
えを待たずに、自ら起きようとしたのです。
一階で入院会計を済ませ、レンタルで手配した車椅子に腰掛けてもらい、駐車場までは
順調でしたが、車に乗りこんでもらうのが一苦労。しかし父は苦痛を漏らさず、窮屈な姿
勢や車の揺れにも黙々と耐え、小雨の渋滞を抜け二人の城へ向いました。途中、携帯電話
で、住込みの介護人と待ち合わせの時刻を打ち合わせ、門前に到着した瞬間から在宅看護
は万全だと信じていました。
退院日の午後に父は発熱、三十八度、三十九度と上昇がやまず、病院に電話で相談しな
がら体を冷やす、その折の看護士資格の介護人は完璧な対応で、容体の不安が現実になっ
て、暗い気持ちに襲われても、慌てる必要はありませんでした。家には氷枕がなく、入院
本位の生活でしたので氷も切れたままで、Sさんも帰してしまった小雨の中を、コンビニ
やドラグストアの店そのものを探しまわり、小一時間かけ、ようやく目あての品を手に入
れましたが、氷だけでなく二人の城には、家庭介護の「基本」そのものが欠けていました。
父の容体が落ち着いた退院初日の夕食から、二人の城は二人のものではなくなりました。
家庭介護人にはあたり前でも、母には初めてのことばかりです。看護側や介護側との意識
や感覚や生活態度の溝が、夫を介護する重圧と相俟って、七十九歳の心と体を容赦なく攻
撃しました。
末期ガンの患者が退院して家庭介護を始めたその日に、疲れきった伴侶がなぜ定年世代
の介護人から、海外在住の波乱に富んだ半生を得々と教えられ、豊富な看護経験を長々と
聞かされ、有名企業の孤独な創業者を、あたかも介護人自身が妻のように臨終を看取り、
一族に感謝された話を講釈されなければならなかったのか。しかしこれは、はじまりにす
ぎませんでした。
父の闘病中に接した介護や看護の、善意と献身にはいささかの疑念もありません。です
が母は、二度と家庭介護は望みますまい。父の死後、母の言葉のはしばしに、自分が動け
なくなった時の入院や入居施設を、希望し心配している様子がうかがわれます。
介護人の交通手段は「ご主人」の車でしたが、辞めてもらうまでの三週間に一度も休暇
を取らず、近所への買い物以外、外出もせず、トイレ付きの個室ではテレビを見た様子も
なく、父と母の寝室を自分の居室と心得、無論、悪気はなかったのですが、来る日も来る
日も母の椅子に坐り、母の居場所を奪い、近所の買い物から帰った母が、自分のベッドで
寝こんでしまった介護人を見出した折は、母はどんなにつらかったでしょう。しかしこの
人の考えや態度が例外だったとは思えません。第一線の訪問看護士ですら、訪問看護の婦
長さんに苦言を呈した折、よくわかりますと答えながら、結局、わかってはいなかったの
です。
七四
婦長さん、あなたはおわかりになってはいません。そう、今、あなたがお坐りになって
いるその椅子です、それは母の椅子ですよ。週に二回の訪問看護の、皆さん四人がその椅
子でしたら、私もそういうものかと諦めますが、酸素の値も血糖値の測定も、かゆみの治
療も排泄の処置も、お一人だけ、母の椅子に坐らない看護婦さんがいるのです。しかし、
これは椅子の話ではありません。
お一人を除いて、婦長さんも看護婦さんも、話しかける相手が間違っています。高年の
配偶者では話にならんと言うのでしょうか。病院ではお医者さまが絶対です。次いでお医
者様の指示に従う看護士さん、検査技師、また院内の家政婦さんや清掃夫さんが、完全看
護の病室では治療や介護の総勢でしょう。もし患者が、医師や看護士を無視すれば治療は
成り立ちますか。もし見舞いに来た家族が、医師や看護士を退けたら、患者はどうなりま
すか。
末期ガンの患者を朝も昼も夜も深夜も、文字通り二十四時間、世話を焼き、看護し、治
療するのは二人の城では母なのです。その医者であり看護士であり家政婦であり清掃人で
ある母を差し置いて、たった一人を除いた訪問看護の皆さんは、一体、誰に指図し、誰を
注意しているのですか。即刻、父のかゆみをとめて下さい。それなら無視されても「勝手
な治療」を注意されても母は納得できますから。
世間の子や孫の中には、老いた父や老いた母の、また祖父母の、入院中や介護中の衰え
に接して、まるで幼児に対するように言い聞かせたり、無知に対するように諭す光景を見
かけますが、もしそれが我が妻や我が子であるなら、私は決して容赦しません。しかし婦
長さん、八十二歳の父や七十九歳の母には遠慮や立場があって、家族にも医師にも看護士
にも、言いたくても言えないことがあるのです。訪問看護士の話しかける相手は、百人百
様の「二人の城」では、患者でも派遣介護人でもなく母なのです。一人を除いて皆さんは、
処置の不適切を注意する以外、主治医である母の存在が頭にありません。医師を注意する
などよして下さい。二人の城では、百人百通りの「二人の歴史」では、母が毒を盛るなら
それが正しい措置なのです。
私には二十年以上、散発的に激しい痛みの経験がありましたので、痛みだけは勘弁して
欲しいと願っていましたが、かゆみがこれほど苦痛だとは思ってもみませんでした。同時
に病室での治療と家庭での治療の違いが、優れた病院と無医村の差ほどあることも知りま
した。家庭での衰弱に対し病院での栄養剤点滴の威力、家庭でのかゆみに対し病院での注
射、薬剤投与、薬液点滴の威力がそれです。
放射線照射も、栄養剤の点滴も、かゆみの治療も「同じ」でした。医学的知識ゼロの私
の臆測ですから、間違っているか否かもわかりませんが、放射線照射に「二度目」はなか
ったですし、点滴も、死ぬ直前の父には短時日で不可能になりました。ですから父の病状
では、衰弱の進行は承知の上で在宅介護でがんばって頑張ってもらい、点滴や強い薬剤に
よる治療は、ギリギリまで避けたかったのではありますまいか。
できるだけ使わないで下さいとされた「錠剤」も処方されていました。しかしその錠剤
を与えても、父のかゆみも母の苦痛もやわらぎませんでした。それが最後の入院時、注射
か錠剤の投与か薬剤の点滴かによって、嘘のように鎮まったのですから(あるいは死期が
早まったのかも知れません)なぜもっと早く入院をといぶかったのも当然でしょう。
訪問看護経由の診断では、父が衰弱のため意識を失うまで入院の指示はありませんでし
た。あと一ヶ月在宅介護が続いたら、疾うに体重が四十キロを割っていた母は立ち直れな
かったかも知れません。訪問看護や家庭介護の観念には、伴侶の体と心が、介護する家族
の健康と穏やかな生活が抜け落ちているのです。
病院でないと施せない処置があります。気休め程度の処方を、在宅で伴侶の頭越しに施
されますと、伴侶まで追いやってしまいます----百人百様の家庭介護の二人の城では、伴
侶まで追いやられてしまいます----。
もし母ではなく誰かほかの身内が介護をとお考えでしたら、夫婦の絆そのものを勉強し
直して欲しいです。二人の絆には、父を介護する母には、我が子でさえ立ち入れない覚悟
があります。二人にはそれだけの「歴史」があるのです。
七五
母の決心は壮絶でした。派遣介護人を忌避すること。一切、寝室に入れないこと。二十
四時間、何から何まで自分一人で介護すること。
父は母に背中を掻いてもらうように頼むので母は眠る暇がありません。その労苦を他者
に振れるような歴史であれば、お金の問題を解決できた場合の話ですが、それはそれでよ
いのです。しかし、我が子や我が伴侶が死の床で苦しんでいるのを、自ら家庭で介護する
親族が、看護や介護の中心から退けられ下働きだけを課せられるのであれば、決して許す
ことはできないでしょう。
他人が父に対して、母のように親身になれるでしょうか? 一回に数時間程度、週に二
回限りの訪問看護は、観察役と応急措置と連絡役にすぎません。一方、住込みの派遣介護
人が二十四時間つき添うのであれば、夫婦の絆に介入することになってしまいます。伴侶
の晩年は、もし家庭介護を課せられるのであれば、私も自分自身で看取りたいです。また
伴侶に看取って欲しいです。気心も生活習慣も価値観もわからない他人が割りこんで来る
のであれば、そもそも感性が受けつけません。私が一人暮らしなら----なるようにしかな
りません。
看護士資格の介護人の、代わりにお願いした介護経験者の家政婦さんから、二泊三日の
休暇を申し出られた時は、ご主人はすでに亡くなっていたのですが、困ったのではなくほ
っとしました。因みにこの家政婦さんの休暇中に父は救急車で入院、十日後に亡くなりま
した。休暇中は臨時の家政婦さん(皆さん、定年世代)が来てくれました。この人は、最
近の看護士は自分で動こうとしないと評するように、実によく働き、入浴や排便の始末や
体を拭く手際も舌を巻くほど巧みで、これなら母も助かると思ったのですが、案に相違し
て父が怯えてしまい、母には新しい家政婦さんに、家事を指示する負担が増しただけで、
掃除と留守番以外、介護の助けにはなりませんでした。
介護の手際がよすぎますと、患者の気持ちと患者の苦痛を読み取る時間が失われるので
しょうか。酸素吸入の必要な父は骨と皮の状態で、動くだけで苦しがっていましたので、
荷さばきの要領で扱われますとたまったものではありません。介護は効率を尊ぶ仕事では
ないのです。父が半日もかけて決断し、勇気をふるってシャワーを浴びる、その喜びを知
らない者には、介護も看護もお断わりしたいです。
母が寝室から締め出しましたので、居場所がなくなった看護士資格の介護人には引き取
ってもらい、代わりに頼んだ家政婦さんは、朴訥で、手際も達者とは言えませんが、一歩
下がっていながら、要所要所で母を助け、力の要る介護はその人なしでは無理だったです。
入浴係りの私も、最初は自分一人でシャワーを浴びせていたのですが、折々、手を貸して
くれるその様子を仔細に観察、よい勉強になりました。
母との相性に難はなく、私とも気が合ったと感謝しています。しかし父の死後、母が数
ヶ月振りで近所のお店に買い物に出かけた際、父の容体が筒抜けになっていて、思わず母
と、顔を見合わせてしまいました。
七六
ここでしばらく、父の闘病生活の最中に、メーリングリストに投稿しておいた記録を編
集しながら引用します。私の随想は記憶だけで書くのですが、今回は父の晩年の記録も兼
ねていますので、先に書き漏れ対策を施しておきませんと、落ち着いて書くことができま
せん。以下、過去の引用部分は(一)(二)----と表わします。父の亡くなった今年の三月
から七月にかけての記述です。
七六 (一)
景気が相変わらず落ちこんでいる、と思っていましたところ、南房総の、春休みの旅館
が満員のため、旅行社から断わられてしまいました。両親を一泊させてやりたかったので
すが、私は休日の都合がつかず、月曜一泊ならガラガラであろうと考えた読みが狂ってい
ました。父の体を考え、到着と同時に宿に入り、翌朝には帰ってしまう予定でしたから、
鉄道の指定席もとれるはずが、私の実感とは違い、余裕のある人が多いのでしょう。両親
と出かけられる残り少ない機会ですから、できるだけよい場所をと願っていましたが、南
房総は無理でした。
七六 (二)
昨日も今日も、末の子の卒展準備に振りまわされどうかなりそうです。バンやワゴンが
手元にないので、キャンバスやパネルを搬入できません。期日が迫り、制作点数が多いの
で親の私まで焦っています。しかし時間の多少に関係なく、手抜きは許されないのが制作
であり表現です。
昨夜は締め切りに間に合わず、今朝、会場へ直接搬入となった準備につき合わされ、私
まで徹夜しました。朝一で、幅一メートル、高さ一.三メートルの作品六点を会場へ、そ
のあとに事務所となりますとくたびれます。ようやく珈琲タイム、一息つけました。
中学までは「うまい・へた」の判断基準が今は「完成度」になりました。大きな画布に
フリーハンドで下図を描き、時間切れ必至なのに慌てもせず投げもせず、よい度胸という
のでしょうか。
職人職人しています、どの子も----。進路が決まっていようといまいと、卒業後の三週
間を制服姿で登校し夢中で描く、果たして中学一般や高校一般で、これほど実のある勉強
を主体的に課している授業があったでしょうか。それもウマイとうぬぼれるのでなく、自
己の技量の現在の到達点を友人同士、客観的に評価し合う。
作品は惨澹たる拙速であっても、よい勉強になったと思います。期日を切られ、しかも
量をこなす試練は滅多にないでしょう。親としては高校への感謝と同時に、なぜこれほど
出費しなければならないのか、嗚呼、広い展示スペース! という想いもありますが、こ
のような展覧会はついぞ観たことがありませんので、よい思い出になりました。
肩の荷が降りました。観るのが怖かった展覧会は初めてです。心配だったのは、本人が
自分の作品をどう思っているかです。一晩で仕上げた二点は特にそう。
卒展の作品個々の評価は、当事者間で合意ができているように見えましたが、それは上
辺だけでしょう。各自の心には合意などまるでない、と確信できるほど作品の個性は違っ
ていました。ですから序列的な見方は、する気持ちも湧きませんが、本人が自分の作品に
不本意であっては困ります。
明日の夕刻、作品を搬出すれば、末の子は本当に卒業です。
七六 (三)
父は母と一緒に卒展を観に来てくれました。受験の経過と、合格後に卒展に集中した孫
娘の様子は逐一報告していましたので、二人にとっても特別な催しになりました。
七六 (四)
今朝ほど父が事務所応接のソファで熟睡、お手洗いに間に合いませんでした。連夜、プ
ロ野球の中継が気になって寝つくのが遅くなり、寝不足のため応接室のソファで寝こんで
しまったのです。時々のぞいていたのですが、熟睡して気持ちよさそう。咳も出ず十分に
休めたのですから、濡れたのはご愛敬です。途方にくれていた父に「眠れた?」と尋ねま
すと、自分から着替えを要求しました。
コンビニは便利です。ブリーフがすぐに手に入るのですから。ですが父はズボン下もな
いと我慢できない様子。普段は履かない私が、たまたま履いていたズボン下を脱いで渡し
ますと、落ち着いたのでしょう、自分のデスクに戻ってお昼のお弁当をうまそうに食べは
じめました。
父の下着の、事務所用に予備をと考え、母に持ってきて欲しいと言いましたところ、サ
イズがなかなかないとのこと。そこで母の代わりに、我が家で半ダース購入して渡します
と、父が「いくら」と尋ねます。よいのですよと笑って受け流しますと、父が怪訝な顔を
して、母に払いなさいと命じたのは、確かに私の対応が間違っていました。
父の足は骨の形そのものです。肌の色は黒ずみ、腰全体が縮んでしまって、立っていら
れるのが不思議です。歩けるなんて考えられませんが、杖も持たずに外出します。
出勤すれば先ず記帳、ついで椅子に坐ったまま寛ぎますから、背にクッションをはさん
であげますと、すぐに寝こんでしまいます。寝息が聞こえ、毛布がかすかに動きます。椅
子なら一人で立てますから手洗いも大丈夫。
公共料金の支払いも、朝食用のパンの買い置きも、年金の受給も、ぎこちなくなりまし
たが今でも自分で済ませています。
七六 (五)
五月二日に予定していた温泉行きは、違約金を払ってキャンセルしました。父の体が動
きません。プロ野球のテレビ中継を観るため、睡眠のリズムが狂ってしまっています。食
欲も落ちました。風呂に入るのも難しい。咳が治療前の状態に戻っています。
七六 (六)
救急車は『隣県から都内』であっても希望する病院に運んでくれます。症状が切迫すれ
ば、救急隊は最寄りの病院に運びますが、いまどき患者を手放さない病院はないでしょう
から、しばらくその病院で休養、落ち着いてからこちらの病院に移ればよいのです。
救急ベッドも一般ベッドも今はいつ来られても一杯です。すぐには入院できません。救
急の治療が済んだら病室が空くまでほかの病院を紹介します。しばらくはそちらに入院し
て下さい。
病院内を呼び出していますが○○先生は電話に出ません。来週、改めてお電話下さい。
○○先生が直接指示してくれます。緊急の場合は二十四時間受けつけますから、安心して
来て下さい。
以上が昨日の朝、かかりつけの病院の、外科の受付の看護婦さんが電話で教えてくれた
内容です。
七六 (七)
父の介護で困ったことは情報の不足です。お風呂で腰が抜けてしまったとか、つまずい
て怪我をしたなど、すぐに対策を考え、直ちに実行する必要があとからあとから湧いてき
て、父と母だけの生活が、親族との共同歩調に変わりました。
昨夜も、父の手洗いで母は六回も起こされたのですが、声がか細く、自力ではベッドか
ら立ち上がれない父が、隣りで寝ている母を呼んでも眠っていて気づかない、となります
と直ちに「呼び鈴」が必要です。さて、介護の用品や機器は一体どこに?
母には調べるアテさえありません。仮に飯田橋駅隣接の、東京都福祉機器総合センター
を知ったとしても、歩行の覚束ない父と一緒に、あるいは父を残して、母は他県から電車
を乗り継いで見に行くことはできません。
都や県の、福祉機器常設展示場に電話で問い合わせ、私が代わりに出かけ、直接目で見、
直接耳で知ったことが役立ちました。介護には福祉機器の現物見本と、相談にのってくれ
る専門家と、四六時中協力してくれる家族や近所の人と、みるみる出費がかさむお金が欠
かせません。
父母には協力できる子や孫がいますが、それでも母の疲労は進みます。
母は孫娘の卒業制作に刺激され、日本画の新しい作品に意欲、その先生のところに出か
ける予定をとりやめました
七六 (八)
父の衰弱が進んでしまい、昨日入院しました。簡単な処置と点滴で元気を取り戻しまし
たが、しばらく入院するかも知れません。母の体も気がかりです。休息が必要です。不安
が募っているのでしょう、落ち着きを失っています。
お医者さまは入院の理由を、本人とその配偶者だけでなく家族にも告げようとして、ご
家族の方もご一緒に、と声をかけます。外来で診察を受けていた時もそうでしたが、診断
の際に「ご家族の方ですね、ちょっと」は、いたずらに伴侶の不安をあおってしまいます。
頑強で堅固な人が街にあふれています。しかし、その人もやがては痩せこけ、歩くこと
さえできなくなります。その折の経済事情と家族関係が、配偶者の、晩年の幸不幸につな
がります。
七六 (九)
連日病院に出かけています。お医者様は最近の透視写真を並べ、詳しい症状を伝えてく
れました。糖尿病の持病もありますので、その経過も厄介です。外科のお医者様が主治医
です。ほかの科の先生は外科のお医者様に遠慮されているように見えました。
一般的経過という前置きがありましたが、お医者様の説明は余りに明解で、家族の誰に
も疑問の余地はありません。しかし母は自分の診立てを信じています。
希望は大切です。この一年、お医者様が首をかしげるほど現われてくるはずの自覚症状
が現われてこないのですから。
周囲は子をあやすようにして見舞っていますが、父の理解力と判断力は衰えを見せませ
ん。昨日は父の言葉から、滅多に批判を口にしたことのない父の、ある辛辣な想いを知り
ました。
七六 (一〇)
入院した折、垂れ流しを見るに見かねて、背広を脱ぎ、ズボンの裾を折り返し、病室の
トイレのシャワーで父の下半身を流し、外来の診察室で取りつけられた点滴の、薬袋を袖
から引き抜き、裾の汚れたワイシャツを脱がせ、寝巻きに着替えてもらったところ、よう
やく寝息が聞こえてきました。入院があまりに急でしたので、病室に看護婦さんが訪れる
のが遅く、放って置ける状態ではなかったのです。石鹸と寝巻きと肌着など入院に必要な
身のまわりの品は、病院地下の売店で買いました。
病室内での骨折に気をつけなさいと注意されました。余力がないのだそうです。骨折や
風邪が大事に至るとのこと。
看護婦さんは大きな声で明るくはっきり話しかけ、患者の気持ちを引き立ててくれます。
患者が拒絶しても患者の利になることは、看護婦さんが我を通してしまいます。ちょっと
したコツです。反対にシーツの裾の汚れなど見た目だけの不潔は、承知しながら放って置
くこともあります。
病院の方針は知りません。しかし完全看護でも介護は家族がすすんでやってよい、看護
婦さんはそのように振舞っています。
今の病院は二十四時間お見舞い可です。見舞い客は受付に書類を出しなさいとあります
が、母も私も届けたことがありません。
七六 (一一)
昨日、母が見舞い帰りに転んでしまい足首をいためました。腫れがひどいので再び病院
に戻り、休日診療をお願いしましたところ、骨に異常はなく、内出血もとまり安心しまし
た。あたためず、寝る時は足首の下に枕を敷いておけば、数日で腫れもひくとのこと。
一時、気持ちが暗くなりました。
七六 (一二)
大事なことを知りました。生きる意欲につながることです。
八十歳近い母にはまだ自分の歯が残っています。自分の歯を支えにした入れ歯を使って
いますが、その入れ歯----
昔、両親が住んでいた市川の、近所のお嬢様が内科医兼歯科医(故人)に嫁がれた、その
先生がよい腕で、しかも安かったとは診てもらった患者共通の感想でしょう。その時に作
ってもらった入れ歯が合わなくなり、先生が亡くなった折、紹介されていた別の歯科医を
訪れたところ実に見事な腕でした。
高年者はすぐ合わなくなってしまうので、新しい入れ歯は難しく、入れ歯づくりを断わ
る例もあるそうです。父の現在も、入れ歯の不具合が介護の妨げになっています。
意欲と咀嚼が一つであることを知りました。高年になっても健康な歯を維持できる人、
あるいは新しい入れ歯づくりの可能な人は幸せです。
母の歯科医の支払いは気絶するほど高かったです。以前の歯科医が安すぎました。しか
し老後の意欲を考えますと、よい入れ歯には、家財をつぎこむだけの価値があります。
七六 (一三)
退院の話がありました。体力は一層衰えましたが、衰弱は回復、入院治療の対象外にな
り退院しなければなりません。突然の衰弱と緊急入院、そして突然の家庭介護に、母も家
族も戸惑ってしまいます。
自助を強く感じます。どうしても病院や自治体に頼りがちですが、父の場合、外部への
依存心は母の負担を増します。パック旅行的な介護体制があると錯覚していました。相談
は至れり尽くせりでも、どれもバラバラ。
七六 (一四)
今日は病院や介護ショップを跳びまわっています。お昼は病院一階のレストラン。休日
はすいています。料理も珈琲もうまいので寛げます。
七六 (一五)
幼児や高年者や病人にとって、肺炎は恐ろしい病気です。肺炎の引き金は風邪だけでな
く、痰やむせた食物が気道を狭めた場合も発病すると教えられました。ですが希望と意欲
を介添えにしますと、患者には落ち着きと睡眠が訪れます。
七六 (一六)
病院の六階から屋上庭園に出て、近くのお寿司屋さんの折詰を母と一緒に食べました。
食欲のある母ですが何しろ食べる量が少ないので、レストランなら半ライスを注文、お寿
司屋さんでは小さく握ってもらいます。笹の葉を重ねた折詰のお寿司を母は残らず食べま
した。
七六 (一七)
父は食欲がありません。無理もないです。ほとんど動けないのですから。しかし抗生剤
を投与された時は声も出なかったのに、今は自分の足を指して、細くなったろうと話しか
けられるほど回復しました。確かに細いです。歩く機会がないので筋肉が落ちたのでしょ
う。足先は艶がよい----。
「食欲がないんだよ」と訴えられるならもう大丈夫。外科のお医者様が何を食べてもよい
とおっしゃったのです。間食は不可ですが、三食は病棟の常識内で何でも自由です。一つ
問題があります。
病院の食事をどうするか。もったいないだけでなく、看護婦さんや当直のお医者様の食
べ残しの観察にも響きます。すかさず母が「持ち帰る」と提案、了解しました。
今はお昼近くに、最寄りの百貨店で父の好物を買い病室に持参、持ちこんだ惣菜や料理
の、父が食べた量に見合う病院食を私が食べ辻褄を合わせています。食が細いので、でき
るだけ贅沢な、例えば中トロの刺し身を持ちこみますと、父は心から満足します。
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