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編集中記 【No.125〜No.137】

【No.125】

  東伊豆に今井浜という小さな海水浴場があります.昔、どなたかの別荘であったと
いう木造旅館の、浜に突き出た一室に暫く泊ったことがあります.確か部屋には昼間
も寝床が敷いてあったと思います

  障子とガラス戸を一杯に開けると、爽やかな潮風が絶え間なく吹き抜ける、その心
地よさに誘われ、つい裸足のまま縁側から浜辺に降り、波打ち際で水遊び、肌理の細
かい砂を踏みしめていると、脇腹の不快感や、熱のこもった鈍い痛みを意識しないで
済みました

  中学時代の今井浜は盛夏でも海水浴客が少なかったので、海の家もあるかなしか.
古タイヤの浮き輪に腰を降ろし、背の立つ深さを漂いながら、短い竿でキスを釣る海
水浴客がいたように、波打ち際にもたくさんの小魚が群れ、何とかして掴みたいと空
しい努力を重ねたものです
                                         Aug 07, 1997  plnssnr@reverie-prmnr


【No.126】 今井浜の行き帰りに付き添ってくれたのは問屋従業員のAさんです.彼は中学を卒 業後すぐに問屋に住み込んだので、50年間、一つの職場で働き続けたことになります 首都圏の、専属の下請けの整理から始まり、四国の工場を閉鎖、東北や九州への委 託加工を中止、直営工場の閉鎖を以って海外生産への移行を完了.その時点で数十 年働いてきたAさんの仕事も必要なくなったのですが、勤続の短い従業員の解雇や 下請けの整理には眉一つ動かさなくても、永年勤続者は始めからリストラの対象外. 長く根づいた杉や檜は、根回ししても動かせば枯れてしまう、その危惧が現実にな った場合、雇用関係の消滅を盾に免責を主張しても容れられるものではありません 自分も整理されるという不安に駆られたのでしょう、リストラの吹き荒れた時代に Aさんも「辞める」と申し出たことがあります 辞意を漏らした従業員は、補充の目処がつくまで上辺は引き留め、本音は追い出し、 仮に従業員が辞意を翻しても、整理の対象に含めてしまう事業主も少なくあります まい つまり勤務先の大小を問わず、正と臨時の別なく、特に中高年従業員は、万全の代 替雇用先を確保しない限り、おくびにも辞意を漏らしてはならないということです. 同様に、雇用主から提示された再就職先ではなく(あるいは雇用主との関係が分か っている人材銀行からの紹介先ではなく)「外部」から引き抜きの声がかかった場 合は、現在の雇用主が裏から手を回した体のよい人減らし、その引き抜き先には何 かある、程度に考え、まずは人材銀行を20も30も総当り、中高年転職市場の実体と 「慢性的」募集主の内情を具に調べ、人材銀行個々の「中高年に対する態度」を的確 に把握、中高年を視野に入れている人材銀行の「最初の紹介先」には躊躇なく応募、 零細を侮らず、大手の系列であっても出入りの激しい受入先には慎重に構え、主体 的に判断しても損にはならないと思います 幸いにも選択の余地が生まれ、中小や零細の企業情報が必要になった場合は、大手 パソコン通信でも検索できる「帝国データバンク」や「東京商工リサーチ」などの 信用情報が役立ちます.但し現在、検索は「該当あり」1件につき百円位、調査結 果は概略の表示だけでも1件につき千百円程度は必要です.また1分400円などと時 間単位で徴収される信用調査情報は、操作をまごつくと、みるみる数千円から1万 円を超えてしまいますので、事前に自分の足で十分な下調べを重ねた上でご利用下 さい Aさんを引き留めに転じたのは、過去に終身雇用を前提に就労させてきた雇用主は、 法律はいざ知らず、事業が存続の危機にある場合を除き、かつ経営者本人が自己の 報酬を同世代の平均まで削った場合を除き、永年勤続者に対して、転職先の条件が 著しく悪化するのを知りながら手の平を返すのは許されない、と考えるからです 永年勤続者を突然お払い箱にすることは、勤続者本人への影響はともかく、その子 の教育の金銭的危機を招くので、安易に実施すべきではないと思います.転職や解 雇が常態の社会であれば、家族も年功給を期待せず、それぞれの家計に応じて逞し く育っていくのでしょうが、今は過渡期です.永年勤続者も、子どもの教育に重大 な支障が生じない一事をもって、自分も家族も「平和」と考え、勤務先の風当たり が強くても、給与や退職金を減額されても、過去からの職場に居座るのが無難だと 思います(生活を他者から余り物とみなされては困りますが、個々の心には「区切 り」があると思います.皆さんは何時から「余生」が始まるとお考えですか?) 西日のあたる問屋の居室は炎熱地獄.しかし両親は忙しくて休めない、ということ で往路と復路はAさんに付き添ってもらい(Aさんは、無愛想で、訥弁で、地理が分 からず、状況の把握も苦手、なので、Aさんには僥倖の夏休み、付き添ったのは私の 方かも)静養とも気分転換ともつかない日々を送りました Aug 08, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【No.127】 下田寄りの磯は時間の経つのを忘れます.波が寄せては引いて行く、その強い潮に 流されないように、近くの岩をしっかり掴み、水中メガネを頼りに底を覗くと、海草 が揺れ、蟹が潜み、ウニが棘を動かし、ベラやメジナやゴンズイの泳ぐ今井浜の昼下 がり、風通しのよい部屋で、潮騒を聞きながら夢を見ました 夢は大人の平安を願う子どもの想い.大人は「家族のため」「我が子のため」と言 いますが、子どもの祈りに比べれば、大人は「自分のため」だけを考えているのと変 わりなく、子どもの祈りを知らない大人は「苦しんでいるのは自分だけ」と思い込ん でしまいます Aug 09, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【No.128】 バブル期に住宅を購入したため、住宅を売却してもローン返済の目処がつかなくな った大人がいるとします.さらにその大人がリストラの煽りを受け年収も減額された 場合、その大人の不安と動揺は相当なものでしょう.バブル以前の緩やかな物価上昇 と年功序列は、経済的安定は、その大人の心理にも投影され、我が子への接し方も、 我が子の気持ちも、ともに平穏無事でいられましたが、追いつめられた大人は笑顔を 忘れ、親の苦境を見抜いてしまう子どもの心は不安に塞がれ、子どもはただただ親の 平安を祈ります 不安にさいなまれる子どもは、避暑地にあっても癒されず、風のそよぎも潮の香も、 親の苦しみが除かれない限り、心からの慰めにはなりません 「余生」に達していない永年勤続者を、特に落ち度もなく、時代の勢いや競争力減退 の懸念を理由に整理する者は、永年勤続者の、子どもの平安も覆す自己の行為に、何 らかの償いをなすべきではありますまいか.バブルを煽った金融機関も同じです.家 族とは雇用関係がないのだから、家族は契約相手ではないのだから、家族が苦しんで も関係ない、とは思えない Aug 10, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【No.129】 今から20年以上前に5年ほど、千葉県の下矢切に住んでいたことがあります.矢切 には中矢切と上矢切もありますが、演歌に歌われた「矢切の渡し」の最寄り駅、下矢 切のバス停から数分の所、近所には「野菊の墓」の文学碑もある、と書くといかにも 情緒タップリですが、私の住まいは何の変哲もない住宅街.それも乗用車が入って行 くと自転車もすれ違えない路地に沿った小さなマンション、3階建で合計9室、1室 はどれも6畳三間、そこに人間とバスとトイレとキッチンと玄関と押し入れが同居す るアパートに入居していましたが、十数年も問屋に住んでいた私には、この平凡さが、 普通の勤め人のアパート住まいが、涙の出るほど嬉しかった 自宅を下矢切に選んだことと「矢切の渡し」や「野菊の墓」は関係ありません.そ のどちらも意識したのはマンションに入居後の、江戸川の土手や河川敷を散策した偶 然からです.当時の渡し舟は休日だけの営業でお客も少なく、「野菊の墓」文学碑の 界隈もひっそりとして、矢切は行楽地ではなかったと思います 懐かしい小学校の西側半分の生活圏、つまり真間川、里見公園、式場病院、江戸川 と、40年以上も昔の想いが染みついているこの土地の生活は、国鉄の、市川に出るに も松戸に出るにも渋滞でうんざりさせられ、業を煮やして松戸駅から歩いて帰ったこ ともありながら、勤め先の安定と身の回りの平穏ゆえに、十分に満たされておりまし た もう住みたいとは思いません.葱畑が目に見えて減っていく矢切は、小学生時代の 記憶も20年前の記憶も削がれるだけです.「野菊の墓」の舞台は、美の装いは、記念 碑と流行歌に差し替えられ、すでに過去となりました Aug 11, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【No.130】 里見公園近くの昔の江戸川は、ぬかるんだ泥の河川敷が一部にあり、猫の死骸が捨 ててあったり、犬の死骸が腐っていたり、陰湿な光景に、人間の骨もある筈だと本気 で思い、転がっている骨のかけらを探しては、あれは大腿骨だ、あれは鎖骨だと、想 像を逞しくしたものです.しかし同じ江戸川の、下流では今よりも豊富にハゼが釣れ たので、水質そのものは見た目ほど汚れてはいなかったのでしょう.むしろ河川敷の 泥には無数の掃除屋が生息して、人間が垂れ流す汚物を夢中で片づけていたのかも知 れません ハゼは東京湾の何処かの岸辺やボートを借りて、投げ釣りや脈釣りをやりましたが、 小学生の頃の、江戸川河口のハゼ釣りがもっとも印象に残っています.季節は何時だ ったか、人影のなくなった河口に潮がひたひたと満ちてくる、その潮に乗って、水面 に線を描きながら寄せて来るサヨリの鼻先に餌を垂れると面白いように釣れ、潮が膝 に達するまでやめられなかった 江戸川河口の干潟を歩き、波打ち際を船橋方面に歩くとシャコが採れました.はじ めて見たシャコは海老の変種の新発見、と信じ意気揚々と持ち帰り、たった一匹を茹 でて食べた、という怪しげな記憶も残っています Aug 12, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【No.131】 人間の行為を一点に寄せると、分散時に較べ破壊力が増します.身の回りの自然が 後退すればするほど、休日に残りの自然に殺到する度合が強まり、ゴミや屎尿が集中 的に排出され、押し寄せる人々の靴底が自然を痛め、凝集時の人数に見合う施設が築 かれ、自然は自己の治癒力を衰えさせます 雑踏と喧騒に踏み荒された自然は魅力を損ない、あるいは保護のため各種制限を課 せられ、凝集主義者の欲求を満足させられなくなります.その間も、住宅開発や博覧 会誘致等により、自然の絶対量は削られていく一方なので、特定の自然への凝集は一 層強まり、集団発生した幼虫が枝から枝へと葉を食い尽くして行くように、人間も自 然の行楽スポットを次から次へと集中踏破、過去には見向きもしなかった路傍の自然 も、過去には入山を阻まれていた広大な秘境も、休日の都度、膨大な自然愛好家によ って踏みしだかれていきます Aug 13, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【No.132】 小学校の頃に住んでいた家を北へ歩くと、雑草の茂った土手があり、土手から釣り 糸を垂れるには遠すぎて、何が釣れるか分からない小川がありました.水の深さは子 どもの腰の辺りまで、流れの幅は一間ほどの、小川の土手を南に下ると、東側の小川 と合流する水門に、ザリガニが水面から半身を乗り出して人の気配を窺っている、そ の水門を描いたクレパス画は、小学校時代の私の傑作 うまい訳です.今でも小学校では先生の指導の入った「傑作」が入選や入賞するこ とがありますが、絵でも文でも、先生や編集者が手を入れた作品は、「合作」であっ て「本人の創作」ではありません 強い不満があります、自分の作品に他人が手を加えることに対して.それは書物の 編集および校正についても同じです.個人の「表現」に関しては、誤字一字であって も、本人以外は原稿に手を入れるべきではない.誤植は正すのが当然ですが、原稿の 誤字誤謬は表現の重要な要素、とこれは昔の主張の繰り返し 素っ裸になってバシャバシャ遊び、炎天下で疲れ果て、土手の斜面で寝込んでしま った小川ですが、かき回せば茶色く濁るゆるい流れは清流とは程遠く、少しぐらいの 暑さだったら水遊びする気持ちは起こらなかった、その小川に添って住宅街へ下って 行くと、ドブのような狭い水路が立体交差、水路の底には蜆貝が住んでいたので、家 に持ち帰って蜆の味噌汁.セリを摘んだ時もそうでしたが、蜆をとった水路やセリの 生えているドブを実際に見たら、親は調理を拒んだと思います Aug 14, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【No.133】 小川をさらに下って水路から離れると、護岸用に板を巡らし、杭を地表まで等間隔 に打ち込んだ方形の池がありました.今なら調整池と呼ばれ、鉄の杭に金網の塀がぐ るりを囲み、立入禁止、魚釣り禁止、の看板が立てられるような池だったのでしょう. 池はいつも満々と水を湛え、黒く澄んだ水中には松藻が密生し、タナゴやクチボソの 銀鱗が輝き、釣り糸を垂らすのさえためらわれ、界隈の池という池の奥の院、のよう に大切に思っていましたが、今はショッピングセンターに呑み込まれ、ペットショッ プの金魚藻に昔が偲ばれるだけです 渋滞と雑踏と、喧騒と疲労がどっと押し寄せる休日のショッピングセンターに倦み、 自然を求め、公園の○池や観光地の△湖に、再び休日の渋滞を押して、費用と燃料を 消費しながら出かけるのが豊かな生活なのか、考えるのも疲れてしまう Aug 15, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【No.134】 この夏、70歳代後半の人が、パソコンをやりたい、是非やりたい、どうしてもやる、 と宣言したので、早速パソコンを物色、○社のDOS/V機で実買価格920米ドル相当の新 古品、と言ってもタワー式で、モニターにモデムにsound card付なので、周辺機器へ の出費は当面不要.外観も中身も現在私が使っているどのパソコンより優れもの、を 秋葉原で調達.早速、パソコンの前に電話機を取り付け----パソコン近くの電話機は 入門者の必需品----マウスと打鍵の練習にかかってもらい、同時にメール・アドレス を代行取得、孫と電子メールのヤリトリを始めてもらいましたが、ついでなので周囲 にも声を掛け「今ならパソコンが1台 920米ドルで手に入ります.この機会にパソコ ンを始めませんか」と頼まれもしないのに電気店の----段ボール箱を並べてあるだけ で機器の展示のない電気店の----売り子を買って出た次第(開梱と設置と動作確認と 後片づけもやりますから、秋葉原の「配達兼設置専業者」の役目も代行) 高年者や子どものパソコン入門を手伝うには、パソコンが届いたその日から打鍵の 練習にかかれるように下準備するのが大切な仕事.つまり有らずもがなのゴチャゴチ ャした「附属物」の、半永久的置きっ放し場所の確保も必要になります 高年者が孫と電子メールのヤリトリを始め、孫は孫で自分の友達に声をかけ、まだ パソコンを扱えない人々を電子メールに誘い込む.そのためには 920米ドル相当でも (日本円だと金額が大きく見えるので米ドルに換算しても)やけに高いとは思いませ んか? Aug 16, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【No.135】 コギャルが「えっ、インターネットで電子メール! スッゲー」というパソコンを、 ○○ッチ感覚で使いたいと思っても、まったくの初心者には荷が勝ちすぎます.パソ コンをゼロから始める中高年や子どもには、是非とも「対面サービス」が必要でしょ う.ということで、パソコンを教えて欲しいと密かに願っている人々は、援助者に遠 慮は無用、泥の大船に乗ったつもりで、おんぶに抱っこされることをお勧めします もしパソコンの入門をゼロから援助するのであれば、毎週末、半日程度は「家庭教 師」する必要があるかも知れません.お昼のサービスは固く断わって、無償の家庭教 師を数ヶ月程度続ければ、下準備したパソコンにも魂が入る? ある程度パソコンを使えるようになってお礼がしたくなったら、援助者に対してで はなく、自分の周囲の新たな初心者に援助を申し出たらよいと思います.そして幸運 にも、気が置けない通信相手がどっさり集まった場合は、例えば個人で海外を旅行す るその情報交換など「生活の必要」に役立てると、千米ドルの出費も多少報われます Aug 17, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【No.136】 今のパソコンはワープロや表計算以前に通信機器であり、それも電話やファクシミ リに+αする生活の必需品であると思います.前に触れたことのあるコギャルは、英 字のキーボードを自在に叩ける事と、ある電子メールソフトを、そのほんの触りを扱 えるだけで、パソコンやインターネットについては何の知識もありませんが、今年か ら始めた電子メールのヤリトリによって、生まれて初めて飛行機に搭乗し、一人で海 外に出かけ、ニューヨーク旅行を成し遂げてしまい、現地では友人のパソコンで毎日 のように印象を電子メール、17歳で感受した海外旅行の豊かな表現力に驚かされたも のです 電話は費用と時差が壁になり、ファクシミリは家族に読まれてしまいますから、ニ ューヨークの友達との数ヶ月に及ぶ電子メールのヤリトリがなかったら、この子の貴 重な体験は、広い世界への最初の一歩は、実現出来なかったと思います Aug 18, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【No.137】 パソコンと相性のよい子は独習で使いこなせばよいのです.しかし高年者の多くは 違います.またパソコンに縁のない家庭では、子どもの取りつく島のないのがパソコ ンです.だから高年者や子どもには、泥の大船であってもないよりはマシ、パソコン の購入から立ち上げ、説明、そして電子メールの操作を一人立ちできるまで援助する ----.電子メールを使いこなし、新しい世界へ一歩を踏み出す子どもの姿に、泥船も 喜びに浸りながら溶けて行く 中年でも、我が子に電子メールを使いこなす機会を与えたい、と考えているパソコ ンの未経験者がいるのであれば、高年者や子どもに対するのと同じ援助を惜しみませ ん(中年にどうのこうのと条件づけているのは表向き)(組織的運営ですか? 構え る前にまず一歩、打ち合わせよりも美術館で珈琲と西洋菓子)(過保護になるのは、 現在のパソコンがまだ道具としてお粗末だからです) 打鍵練習ソフトは以前、安物を購入して懲りたことがあったので(余計な飾りや蛇 足のメニューが絡みついて、まったくの初心者を混乱させるソフトもあるようなので) パソコンの代金 920米ドルの他に、少し贅沢ですが打鍵練習ソフト代として80米ドル 位が必要になります.また内臓モデムは相性や当たりはずれを経験しているので、イ ンターネットの必要性が高まった段階で、ISDNへの切り替えも含め、再検討する必要 があるかも知れません Aug 19, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
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