編集中記 【No.221〜No.230】
【No.221】
管理人の朝の雑談です。
おはようございます。今朝は暖かく、空気も湿っていました。途端に体が軽くなり、
走る距離がぐんぐん延びます。
今朝の食卓の材料は、卵、ベーコン、野菜、チーズ、ジャム、パン、そして紅茶で
す。どれもスーパーの特売品。私は朝の食事を、小一時間かけて楽しんでいます。
朝のバタバタが一服しましたところで、さて、書物を著わす雑談の続きです。
ある自分史の会の、主宰者の評に「ヨイショ」を目にすることがあります。これが
とても気になります。文章を印刷物にしますと「残ってしまう」のですね。大袈裟に
言いますと、一生自惚れをさらしたり、末代まで恥ずかしい思いをさせてしまう----
ような文章ですと、書いている時は得意であっても、印刷後に気づくようでは手遅れ
です。ですから「ヨイショ」のような態度で評するのがよいかを考えてしまうのです。
「自己嫌悪」という言葉を繰り返しますが、ある種の文章表現は「後悔との戦い」と
言ってもよいと思います。自己嫌悪が生まれないような文章ですと、結局、自分の利
益にならないのではありますまいか。この利益とは、私の場合「感受性の深まり」を
意味しますから、とても大切にしています。
タイヘンナンデスゾ、文章のデッサンを続けることは。ちょっと批判された程度で
厭になってしまうようでは、お先真っ暗----。
よく考えますと、我々は大人になってから、自分だけのための考えや、自分だけの
ための行為を、他人から面と向かって批判されたことがないのですね。あるいは最も
大切な自分の想いを、他人から面と向かって無視されたことがないのですね。文章表
現に挑んだことのない我々は自惚れ屋さん----は言い過ぎですが、仕事や生活に対す
る批判とは違い、自分の「心」を他人から評されるのですから、文章表現にも安易な
態度は通じないと思います。
Jan 20, 1999 plnssnr@reverie-prmnr
【No.222】
「草原に朝の食卓ML」の案内文にあります「料理」の例を、管理人のある日の雑談
からご紹介しましょう。
おはようございます。鰯(イワシ)のステーキの件、調理法がわかりました。新鮮
な鰯の、頭を落として、ワタを抜きます。次いで塩胡椒を表裏すりこむように、また
腹の内側にも。
鰯の表裏を小麦粉の上に「ごく」軽くおく。ムニエルですね。しかしビーフのステ
ーキでも小麦粉に置くことがあるので、まあ、料理名はなんでもよいです。フライパ
ンにサラダオイルで焼きます。
鍵はこの後だそうです。フライパンの油を紙で拭き取って、バターを一人ひとかけ
ら程度、火にかける。焦げないようにして下さい。溶けたところでバターと等量の中
農ソースを混ぜればソースの出来あがり。鰯も立派な料理になります。
中農ソースは、例えばケチャップと混ぜて生牡蠣のソースにするなど、レストラン
でも通じるソースになるとか。
私は料理通ではなく、出された食事は何でも食べてしまうので、調理する側は張り
合いがないと思いますよ。私の最も贅沢な料理は家族の顔です。我が家では昔から妻
の方針で、九時にずらしても家族ワイワイの食卓が多く、朝四時に起きてしまう私は
居眠りしながらの夕食もあります。梯子酒の頃は、自分の顔が食卓になかったのです
から、私も随分身勝手だったと思います。
Jan 22, 1999 plnssnr@reverie-prmnr
【No.223】
以下は「草原に朝の食卓ML」管理人の雑談を書き直しました。
昨晩もお一人、新しい方がお入りになりました。入会に関する案内文は、これでよ
いのでしょう。ホッとしています。さて、次は、会話が続くか、ですね。
会話の鍵は、そう、ゆっくりゆっくり、オソルオソル、かな?
一度の発言にあれもこれもと盛り込みますと、読む側が面倒臭くなってしまいます。
その辺の随筆を手にとって、ページをめくってみて下さい。出来事についての記述
が意外と少ないでしょう。心理描写が丁寧に書かれていますでしょう。
ビジネスの世界では、要点や要件を詰め込んで書くシキタリがあって、我々はあれ
もこれもと書き込みますが、それですと、MLでは読んでくれないと思った方が無難
です。
という風に会話のMLでは、細かく段落に分け、空行を増やすのも手です。
決め手は「相手本位」だと思います。自分をわかってもらうには時間をかけ、会話
に参加しながら、ゆっくりゆっくり、自分の雰囲気を知ってもらう必要があると思い
ます。
ただただ自分の出来事を発言し続けるのは「相手抜き」になってしまいます。自分
史のメールマガジンや随筆を同人誌に発表する場合は、それでよいのですが----。
発言のはじめは簡単な挨拶からオソルオソル、ですね。コワゴワという気持ち、と
ても大切です。
こんにちは、おはよう、よろしく、という風に、ゆっくりゆっくり発言して下さい。
自分のヘマを書くなど寛げる話題もお願いしますよ。恰好よすぎる発言ですと、ほか
の方が畏縮します。
「相手本位」デスゾ。誰でも皆さん、恰好悪い面、十分にお持ちですし、悩みや困っ
たこと、たくさんありますから、また病気で苦しんでいる人もいますから、そのよう
な人やそのような情景を想定しながら、味噌汁の味でお願いしますよ(えっ! 手前
味噌になる、ですって----。オヤマア)
Jan 28, 1999 plnssnr@reverie-prmnr
【No.224】
歓談ゆえ、なのでしょう----、個性化の難しさは
MLを主宰して二年近くになりますが、多くを勉強させられます。既に数例にのぼ
りますが「歓談の要求」もその一つです。
交流のMLで、話題を絞り、案内文に重きを置き、読むだけの参加者も歓迎、静か
で、落ち着いた、などと、これは個人のサロンが大切にしている「雰囲気の楽しみ」
に関する要件ですが、この種のMLに固有する悩みがあります。
公開のMLは、例えば「月刊ML紹介」には1999年2月5日現在、2084も登録されてい
ます.また中高年対象の歓談の場も Nifty Serve のFMELLOW(1月末現在 7671名)など
充実した機会が少なくありません.私自身、現在参加しているMLやフォーラムは、
その数さえわからないほど多数にのぼり、必要に応じて精読したり、気分によって読
まなかったりしています.MLは、多数の会に参加してつかず離れず、会の主題や会
の個性に応じて使いわけるのが、長くつき合うコツだと思うのですが----。
これまでの経験から推量しますと、静かなMLは、かえって歓談資質にも居心地が
よいのですね。自由会話で盛り上がっているMLですと、少し活発程度の歓談資質で
は霞んでしまいますが、静かなMLですと、自分たちだけのお喋りの場として使えま
すので、会の趣旨に関係なく、自分たちの歓談に嵌まるのだと思います。その極端な
例が、盛り上がりを率先したある会員の「読むだけの参加者は、何が楽しくて参加し
ているのかわからない」という発言にみられます。この発言者の頭には、読んで楽し
んでもらおうとする「読者」や、読んで考えてもらいたい「読者」がいないのです。
「案内文を変えなさい。それが私の存在を認めることになる」とか「話題の制約のな
い場が必要である。制約がないとMLは成立しないのか」と主張する人も、嵌まり込
んでいる自分たちの話題が、案内文の趣旨から逸れていることは認めているのですね。
それならなぜ入会したのでしょう。入会時は案内文の趣旨に興味をもったのだと思
います。入会して発言してみますと、ホストが応答に気を遣いますから居心地がよく、
MLでの発言が面白くなってしまう、という感想を漏らす参加者を、MLの初心者の
中で見かけました。やがて他の歓談資質も仲間に加わり、自分たち専用の会話で盛り
上がってしまい、挙げ句に「ミニ株式投資のすすめ」など、会の趣旨とはまるで違っ
た話題まで持ち出してしまいます。
勧奨退職者がこのMLに参加するのは、持ち株で儲けるためですか? 蓄財の自慢
話など聞きたくもない、と想っている参加者は偏屈ですか?
株式投資はこのMLの基本精神に相通ずる、という趣旨の発言も見かけました。で
すが、このMLの自然観は案内文にはありません。管理人自身、書けば書くほど考え
が揺らいでしまい、自然観も基本精神も著わす見通しが立ちません。管理人の頭は自
我、環境と状況、関係の鉤、二重生活、生活の轍、そして「足元」などいろいろな言
葉が絡み合って収拾がつきません。しかしそれでは皆さんも混乱しますので、大雑把
に感想を述べますと
都会や郊外で、二次三次の産業に従事している(従事していた)勤労者や家族を想定
した場合
自然美を彩りに添える文章では、本旨の所在は自然描写の外にあると思います。こ
のMLでも、文頭や文末に花鳥風月を記述、本文では贔屓球団の優勝話を展開するな
ど、自然美の記述が、お喋りの添え物や、話題自由の査証になっている例を見かけま
した。
慰安や逃避の場としての自然は、各自の置かれている状況如何で、必要が薄れもし
強まりもします。状況が好転しますと、逃避は観光や娯楽に転じ、慰安は趣味や憧れ
に変わります。慰安や観光の自然は、読むだけの参加者も楽しんだり羨んだりできま
すので、私も楽しみにしています。
社会運動としての自然は、管理人は学ぶのが精一杯です。
自然美に溶け込んだ身体の運動は、支離滅裂な管理人の唯一、明解な実体です。こ
の感覚を私は「自由」と表現することがあります。
毎日走っている管理人には、足元の自然が何よりも大切です。ですから、生活に溶
け込んでいる自然についての描写を期待し、通学路が自然遊歩道に変わり、義務の学
校が田園で囲まれることを望み、実現するには一万年はかかるであろうと、今日もた
め息をもらしています。
皆さんはいつも音楽が聞こえていますか。私は近年、音楽だけでなく、絵画も「聞
こえる」ようになりました。連載のMLでその辺を詳述していますが、自然にも、音
楽や絵画と同様の楽しみ方があります。
「踏踊」の情景は人によって違いがありますが、「踏踊」の様式美には普遍性がある
と思います。しかし現実の職業生活とはなかなか両立できません。葛藤が生まれます。
などと延々とお話しますと、混乱がひどくなるのでやめますが、兎も角、自然美を心
の中に抱えていますと、生活に落ち着きが出てきます。----さて、
ミニ株式投資には専門サイトがいくつもありますが、いずれのサイトでも株式投資
の精神は、「自己責任」や「損害が出る場合がある」で言い尽くされていると思いま
す。なのに「年金暮らしの方にはかなり参考になる」----、ですか。
見かねて話題の不適切を指摘しますと、はじめは認めますが、歓談の相方が「指摘
は偏狭」と側面から援助、それ以降、ご本人も相方も、管理人の発言を無視するのが
類型になっています。
対応に苦労させられます。「管理人も読むだけに徹します。どうぞご自由に」と引
き下がってしまったこともあります。しかしその時は名指しされ「歓談」の場に引き
戻されてしまいました。
話題に制約を設けず気ままなお喋りを楽しむ場は、MLをはじめ、掲示板、チャッ
ト、インターネット電話等に無数にあります。しかし私は、自由会話での盛り上がり
が合わないのでこのMLを開きました。自分のサロンに自分の居場所がないでは困り
ます。そこで「自由会話を望まれる皆さんは、自分の思う通りのMLを主宰して下さ
い。MLの開設は簡単ですから」とお願いするのですが、先ず耳を貸そうとはなさい
ません。
一つ、大きな支えがあります。また引き下がる管理人は不実以外の何ものでもあり
ません。読むだけの参加者の、退会の動きを見ていますと、管理人のなすべき態度が
絞られてしまいます。
自由会話の盛り上がりを放置すれば、読むだけの参加者がやめて行きます。当然で
す。読むだけの参加者は、お喋りに嵌まるためにこのサロンに参加されたのではない
のですから。それを思いますと、摩擦が生じて心苦しいのですが、会の雰囲気を案内
文の個性に戻さなければなりません。連載のMLはもちろん、草原に朝の食卓MLで
も、十人中九人までが読むだけの参加者です。長い間、忍耐強くROMされている参
加者が支えです。
MLでは、ごく私的な話題にも読者があります。控え目な会話と、相手本位を強調
する所以です。
Feb 05, 1999 plnssnr@reverie-prmnr
【No.225】
おはようございます。今回も「草原に----ML」の管理人の雑談を編集しました。
皆さんのインターネットの経験はどの程度ですか。年数だけでなく、一日の利用頻
度によっても、趣味と職業の違いによっても、インターネットに対する印象や評価は
違ってくると思います。私の場合、インターネットで最も役立ったのは
海外との連絡、特に電子メール添付による表計算ファイルや画像ファイルの送受
電子メール添付やパソコン通信によるファイルの送受は、お金には換えられないほ
ど貴重です。しかもインターネットの場合はタダ同然、となりますと、もう何と言っ
て感謝してよいのやら。
インターネットを貶める発言を見かけます。それは電話を貶める発言と変わらない
と思います。有用性や弊害は使い方一つ、利用する側の問題です。
ですが、電子メールによる「意志疎通」は手放しで喜べる状態にはありません。
英語圏との違いは「打鍵」ではありますまいか。手書きではなく、キーを叩く方が
書きやすい、と思っている日本人は少ないです。私はもっと極端で、悪筆ゆえですが、
メモ一つ、キーボードがないと書きたくありません。これが大きな「溝」を生んでし
まいます。
電子メールのやりとりを避けている人を見かけます。社会そのものに、書き物によ
る意志疎通を嫌う傾向があります。会話に依らないと意思や気持ちが伝わらない、と
される割には会話も貧困?
先ず面談だよ、のビジネス社会でカタカタ打っていますと、神経に触る人もいるの
でしょう、気を遣うこと限りなし、ですがそれも時間の問題、仕事は効率の世界です
から----。
では、気持ちよくキーを打てたとしまして、電子メールは、仕事以外で必要かと言
いますと、これがまた疑問です。例えば我が家の会話は
口頭と電話で足りています。家族内での電子メールは、半ば家庭新聞の性格を帯び、
会話になりますと、電子メールは、家庭では無くても足ります。
電子メールが無かったら成立しなかった「会話」もありました。私ではないのです
が、子が友人同士、電子メールで遣り取りを始め、やがてホームステイの話がまとま
ったのがそれです。相手が海外在住であったこと、どちらも子の活発さで、キーやパ
ソコンを茶碗並みに扱えたこと、詳細についての「会話」がそのまま記録に残り、具
体的打ち合わせに齟齬が生じなかったことなど、電子メールがなければとても実現で
きなかった「会話」です。
電子メールによる意志疎通には、海外との交信や旅程の打ち合わせなど、電子メー
ルを利用する積極的「必要」が必要だと思っています。
電子メールによって「必要」が効果的に満たされる、そのような「必要」を抱えて
いますかどうか、仕事以外で我々は----。
皆さんは、政治活動に興味を持ったことがありますか。奉仕や援助活動にも参加さ
れていますでしょう。さらに私は、家庭的で、自由で、もっと根源的な「必要」も探
しています。
Feb 11, 1999 plnssnr@reverie-prmnr
【No.226】
編集中記【No.225】の関連発言もご紹介します。題名は「2月11日の珈琲」
普段は事務所で入れる珈琲ですが、休日の朝は家族へのサービスです。
雪か雨の筈が、陽が射しています。
昨日の発言を書き直して編集中記【No.225】に載せました。「編集中記」は掲載後、
さらに書き直すことがありますのでご了解下さい。
Web Siteは訂正が簡単です。しかし書物になりますと、製本後は訂正が効きません。
ですから事前に推敲を重ねるのですが、私の随想は近年、一デッサンが一冊になって
しまい、謂わば金魚の糞なので、読み返しが大変です。
二百頁分の文章も、始めから終わりまで目を通して、不都合を書き換え、リズムを
確認しますが、訂正が多くなりますとリズムが崩れますから再び読み返す、なんてこ
とを繰り返しますと、本一冊を覚えてしまうほどです。これが誤字脱字の命取りにな
ります。
目が紙面を追うのではなく、記憶を紙面に戻しながらリズムを確かめるようになり、
目の前の誤字が見えていません。編集者や校正者がその誤りを正すのですが、書物に
は出版の世界の決まり事がありますから、「デッサン」のつもりの私にはなかなか馴
染めず、エーイ、誤字も無知も表現のうち、と宣言して、近年は校正も自分一人です。
恥ずかしい思いを繰り返しています。ですが私には、誤字一文字も、思い違い一つ
も、矛盾一個も、無知一箇所も現われていない書物の方が、奇怪(きっかい)に思えて
しまいます。
よい週末を!
Feb 11, 1999 plnssnr@reverie-prmnr
【No.227】
おはようございます。昨日は雪と霙と雨でした。予報より降るのが遅かった、朝の
陽射しが一時強まった、ためにカミサンが洗濯物を庭に干したのですが
食品スーパーでの買い物の帰り、すでに降り始めていた霙を、カミサンに伝えなか
ったところ、洗濯物がびっしょり濡れ、まあ、当然ですがおこられました。天気予報
が外れたと思い込んでいましたので、目の前の洗濯物が目に入らなかった----。柔軟
性が衰え先が案じられます、我ながら。
ハコベをご存知でしょう。一名、ミドリハコベとも呼ぶそうですが、この一名が実
によろしい。ハコベの魅力を語り尽くしています。
霜枯れの庭の、陽の当たる地面を、みずみずしい葉で覆ってくれます。真冬でも穏
やかな春の草。芝よりもアジュガよりもハコベです。
Feb 12, 1999 plnssnr@reverie-prmnr
【No.228】
暖かくなりました。とはいえ「人混みは避けよ」がお医者さまのアドバイス。油断
大敵です。まだ風邪が流行っています。
庭のコブシ、隔年開花の今年は満開予定、つぼみが一杯です。コブシは樹勢が強く
高木になりますから、二階の屋根など軽く越します。ズンドウに仕立てるため、二度
ほど幹にしがみついて梢を止めたのですが、また勢いを盛り返しました。
自由にさせてやりたい----気持ちは切ないほどありますが、家全体がコブシの傘下
に入ってしまい、陽が当たらないようでは困ります。
コブシは根も盛んで、大人の太股ほどの根が地表に盛り上がってしまい、周囲に草
花が育ちません。一緒に植えたツツジだけが、根にしがみついてコブシと同居。
幹や枝は柔らかいです。簡単に切れます。それだけ風雨にも強いのでしょう。花一
つ一つは濡れたチリ紙、ですが、満開の一瞬はとても見事。もう春!です。
「散歩者の夢想ML」では「随想 繊維問屋にて」の続篇「随想 中町にて」の連載が
終わりました。昨年の七月五日から今日までの一四八回、長かったのか短かったのか
----。連載の場ですが、暫くは雑談になります。前回同様、雑談が自然に新たな連載
に変わる筈です。ゆっくり走りましょう。
Feb 17, 1999 plnssnr@reverie-prmnr
【No.229】
春の陽に誘われて寝込んでしまい、さきほど目覚めたときはコブシは緑に、染井吉
野は八重桜に替わり、なっ、なんと、2ヶ月も眠り通したのです。その間、夢の中で、
ヤレ、見出しをつけろ、目次を入れろとか、印税や契約がこうのとか、出版業界の約
束事にはモウうんざり。
S社はよかったです。代表を退かれたAさんは「表現の自由」を愛しておられまし
た。編集者も校正者も抜きにして私の好きにさせてくれました。しかし出版も冬の時
代です。S社は役所関係の書物(一括納品)専業に変わり、既刊の随想は従来通りS社
の扱いですが、新刊予定の「随想 中町にて」は別の出版社を探さなければなりません。
「読者に媚びる」の意味が今になってわかりました。「売れるように化粧なさい」とい
うことらしいです。読者ではなく、出版社に媚びるのかも?
美術の「自由」が羨ましい----。ワガママを通すために次の一文を用意しました。
『この随想は画学生のデッサンになぞらえ、粗い筆跡のままの文章表現を試みていま
すので、仮名遣いや構成など、編集の一般原則から離れている部分があります。また、
先入主を交えず本文を直接読んで欲しいと考え、目次や見出し、解説、著者の略歴も
省きました』
来月は神田明神のお祭です。神田明神は両親が結婚式を挙げ、記憶にはありません
が、幼い私も疎開先から戻ってお宮参りに出かけた神社です。その明神様のサイトに
今年の例大祭の日程が
5月13日(木)夕刻 鳳輦神輿 遷座祭
5月14日(金)夕刻 氏子町会の神輿 御霊入れ神事
5月15日(土)終日 神幸祭(鳳輦神輿 氏子内を巡行)
5月16日(日)終日 氏子町会の神輿 宮入り参拝
5月18日(火)14時 例大祭式典(神社本庁献幣使参向)
里神楽奉納
5月19日(水)11時 献茶式(表千家家元奉仕)
とありました。たまたま氏子A町の、神田祭(かんだまつり)の行事予定も届きました
ので、ついでに辞典や事典を漁って神田明神をにわか勉強。
神田神社が本来のお名前でした。神田大明神という幟(のぼり)も見ますが、私には
神田明神がしっくりします。
日本書紀ができて十年ほど経過した天平二年 (730年)に武州豊嶋郡江戸柴崎、後の
神田橋御門柴崎に創建、元和二年(1616年、武家諸法度制定の翌年)に現在地(東京都
神田宮本町、今の住居表示は千代田区外神田)に遷座。御祭神は御三神です。
大己貴命(おおなむちのみこと、大国主神)
少彦名命(すくなひこなのみこと、少名毘古那神)
平将門命(たいらのまさかどのみこと)
大国主神(おおくにぬしのかみ)は、古事記ではスサノオノミコトの六世の孫。オオ
ナムチは大地主を意味するとされ、出雲国を拠点に広く国土を経営した農耕と大地の
神様。各地方の農耕神や大地神の象徴的存在となり、天下を支配した大神として、ま
た求婚物語の神話によって縁結びの神様として、今も広く親しまれています。
一方、大黒天は古代インドでは闇黒の神。仏教にとりいれられ戦の神と厨房の神に
わかれ、日本へは最澄が厨房の神の系統を延暦寺にもたらし、寺院の台所に祭られる
ようになったそうです。中世以降、神仏習合により日本神話の大国主神と同一視。大
国と大黒が似ていたからで、恵比須と並び、あるいは単独で、また農業の神様として、
人々に信仰されるようになったとされます。
少名毘古那神(すくなびこなのかみ)は、古事記では海上から植物の鞘の船でやって
来て、大国主神の出雲の国造りを助けた小人の神様。スクナは小の意味。日本書紀で
は病気災害を払う神様。
恵比須は「夷」で異民族の通称が起こりです。中世では武士も「えびす」と呼ばれ
ました。エビスが市場の守護神に変わったのもその頃からで、商業が発展し福神信仰
が盛んになって、財福を授ける福の神の代表が今日の恵比須様。ですが「えびす」に
は海辺に住む人の意味もあって、海の彼方の、常世(とこよ)の国から渡って来た漁労
の守護神が古事記の神話と結びついて、少彦名命と恵比須が一つになったとされます。
御利益は「家庭円満、縁結び、商売繁昌、財福到来」ですから大概の願いは叶いま
す。そのお祭----
氏子が神田,下谷,日本橋,京橋,大手町,一ッ橋など「一〇八ヶ町」に及んでいました
ので昔から大規模でした。延宝(1673〜81年、綱吉が将軍になったのは1680年)の頃か
ら丑,卯,巳,未,酉,亥の隔年になり、昔は9月14日が宵祭、15日が本祭。祭日が5月に
かわったのは明治以降です。
江戸時代は豪華な山車(だし)の渡御(とぎょ)が中心。徳川家が庇護し、将軍の上覧
を仰ぐ天下祭で、元禄元年(1688年)からは江戸城内にも神輿が入りました。明治以降
は市電の架線が邪魔になって、次第に山車の巡行ができなくなり神輿中心に変化。現
在でも氏子町会の神輿は二百基に及んでいます。
今年は三年ぶりの祭禮です。平成の御造替(ごぞうたい)で整備され、御社殿も、随
神門も、神楽殿も、明神会館結婚式場も、一層、華やかになりました。旧神田青果市
場(ヤッチャバ)の千貫神輿の宮入と、築地魚市場魚河岸会の大神輿の宮入、遠州横須
賀の練り物、小江戸川越の山車の里帰りもあると報じられています。
A町内の行事は5月14日(金)〜16日(日)。その実施要領(町会によって違います)を
見ますと、欲しかった祭半纏(はんてん)のお値段がありました。
祭半纏 8500円 半とはふつうの袖丈または着丈の半分の意味
祭半纏名入れ料 +7000円
帯 950円
祭腹掛(紺,どんぶり) 3200円 ドンブリとは腹掛前部の共布の大きな物入れ
祭股引(紺,どんぶり) 3100円
祭半股引(白,半タコ) 1000円 タコとは股引(ももひき)の隠語
鯉口シャツ(白,ダボシャツ) 2700円 丸首、太袖、前釦のダボダボした木綿シャツ
祭わらじ 500円
足袋(白または紺) 800円
貸し半纏 保証金10000円 全額返済。クリーニングしてから返却。
軒花提灯 9000円 鳶頭が依頼にまわる。取り外し料含む。
14日(金) 16時 お神酒所(おみきしょ)にて町会神輿の御霊入れ(みたまいれ)
17時〜 大神輿の町内巡行、半纏着用
15日(土) 終日 町会の神輿と山車の町内巡行
正午頃 鳳輦神輿の町内巡行
16日(日) 09時 町会の神輿お神酒所出発、神田明神宮入
隣りの町内では、マクドナルドが入居している貸しビルの、1階ショールームがお
神酒所代わり、町会の神輿がきらびやかに「展示」されています。
お祭の当日は芋を洗うようですから「神社にお賽銭を」の余裕はないでしょう。神
社に詣でたいのであれば、平日の曇った日がおすすめです。晴れますと、舗道の照り
返しが苦手な人には向きません。
小さな資料館が社殿の西側にあります。「休館は休日を除く月曜日」と入場券にあり
ますが、先週の休館は月,水,金でしたので、事前に社務所(電話03-3254-0753)にお
問い合わせ下さい。開館は午前10時から午後4時まで。拝観料は大人500円小人200円。
境内に人影のない平日の資料館は、不気味なほど静かですが、浮世絵で神田明神の
昔を偲ぶにはうってつけ。テレビの小さな受像機が低い天井の隅にあって、お祭のビ
デオも見られます。椅子で居眠りしていますと、つまり人の気配がなくなりますと、
ビデオ受像機も部屋の電気も自動的に切れてしまい、閉館までぐっすり休めます (^^;
----祭のサイト----
お祭りフォーラム http://www.nifty.ne.jp/forum/fmatsuri/
全国屋台祭りリンク集 http://www2.wbs.or.jp/~ikuma/link.htm
Apr 24, 1999 plnssnr@reverie-prmnr
【No.230】
Kさん、先日はありがとうございます。S社のお仕事は終わりましたか? Aさん
の引っ越し先をご連絡します。もう開店した筈ですから私もお花を贈りましょう。普
通ならとっくに引退されているお歳、それも出版社の経営から珈琲店への転身ですか
ら、本当にAさんはお元気ですね。しかし九州は遠いです----。
新しい随想はT社と契約しました。T社は数十年の歴史があり、取次店は五社、図
書館や大学生協への販路もあって、いつくかの書店には自社の書棚も確保している成
長著しい出版社です。「随想 中町にて」の評価も、私の考えていた要点のすべてを満
たしており、難解な表現は承知の上で出版を受諾、学生読者も想定するなどとても前
向きでしたので、お願いすることに決めました。
「随想 中町にて」は前回の続編なので、新しい随想は「随想 繊維問屋にて」の引き
にも繋がります。運がよければ既刊の随想全体にも及びますから、今回の出版社の切
り替えは、過去の随想の印刷会社であるKさんにも無縁ではないと思います。
Aさんには言葉に尽くせないほど感謝しています。ですが時代は変わります。書店
も取次店も出版社も、単独で、また共同でリストラに励むのですから、我々も変わっ
て行かないと、折角のAさんのお骨折りが霞んでしまいます。流通への働きかけをや
めたS社を離れ、新しい出版社にお願いするのは、結局、Aさんの労に報いることで
はありますまいか。Kさん、変化に期待しましょう。
May 01, 1999 plnssnr@reverie-prmnr