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編集中記 【その25〜その30】

【その25】

  休みに美術館をめぐるのも楽しみの一つです、が、本当の目的は美術館内の珈琲と
西洋菓子、ですから都心を超えるのはイヤ、混雑も渋滞もイヤ、となると新宿渋谷は
考えただけでうんざり、世田谷川崎はうんざりして考えることもできません

  意外に近く、駐車にも困らないのが東京都現代美術館(に隣接する公園の地下には
何がありますか?)  距離はややありますが、庭園の素敵な川村記念美術館(私もコ
ギャルもそのオオギャルも、Niki de Saint Phalleの特別展には大満足、ナナと一緒
に雀躍りしました)

  同じ佐倉でも市街に入ると佐倉市立美術館(ここは運次第ですが、Miroの舞台芸術
展は秀逸でした.闇にうごめく霊獣をまのあたりにして、暫くその場を動けなかった)

  市立美術館の近くには名にしおう国立歴史民族博物館、昔は何度か訪れましたが、
展示品が多すぎてもてあまし気味、隣りは城址公園、お弁当はこちらでどうぞ

  佐倉市立美術館      〒285千葉県佐倉市新町210    電話043-485-7851
  国立歴史民族博物館  〒285千葉県佐倉市城内町117  電話043-486-0123
  川村記念美術館      〒285千葉県佐倉市坂戸631    電話043-498-2131

                                         May  3, 1997  plnssnr@reverie-prmnr


【その26】 鳥山明の特別展があるというので、考えることもできない筈の川崎の美術館に、わ ざわざ出かけたことがありました.あの作家を知らないのですか? お孫さんが知っ てます さすがにオオドモだけでは恥ずかしいのでコギャルに声をかけると、普段はケンモ ホロロのアホガキが、今回はご一緒くださるとのこと、あっちへウロウロこっちへノ ロノロ、立ち往生すること幾千回、同乗者の悪態にひたすら耐え、ようやく駐車スペ ースを確保して一安心、車よ、これが川崎の太陽だ 館内のレストランで遅いお昼を済ませ、ドラゴンボールのTシャツをお土産に帰路 につきましたが、やはり出かけたのは失敗だった、のではなく面白かった 遠出した折、珈琲と西洋菓子と、清潔なお手洗いを求めて立ち寄る美術館の一つに、 笠間日動美術館があります.ここは裏手の一角に、公営でしょうか、広い無料駐車場 があるので、祝日や行楽の最盛期を除けば、駐車に困ることはありません.難点は喫 茶店が「入場料の奥」にあること、東京都現代美術館や佐倉の二つの美術館、あるい は幕張北澤美術館は、喫茶店とお手洗いが「入場料の手前」にあるので(都現代と市 立佐倉は駐車有料、幕張北澤は入場料を払えば無料、川村は駐車無料)安心して珈琲 を楽しめますが、笠間日動美術館の珈琲のお値段は、運不運に大きく左右されます ほとんど観客ゼロの状態で、手塚治虫展に遭遇したのは笠間日動美術館でしたが、 いわゆる漫画を、アートとみるようになったのはこの時からです.但し、特に漫画は、 作家一生の作品を豊富に展示して欲しい、という強い欲求があるためか、同じ美術館 で開催された他の漫画家の特別展には、作品ではなく展示の内容に、ひどく失望させ られました 私の渡航歴は少なすぎて、履歴書にも載せられませんが、なぜか純粋な観光旅行は 一度もなく、スケジュールの空白日、歩け歩けの暇つぶしに、偶然、出くわしたのが ニューヨークの美術館でありパリの美術館、いずれも昼食を忘れて痺れていました (見ず知らずの異国で一人、メニュもわからないレストランに入って、注文する気に はなれません.夜はもっと悲惨です.ホテルでも場末でも同じですが、家族や男女で 盛り上がっているレストランの、単身者の席は侘びしい限り、ましてそれが異国であ れば、美に飢えるのは当然です) 美術もまた、心の状態と展示環境が大切です.作家が全力で表現した作品を、鑑賞 するにはする側にも、それだけの感性と静寂が必要である筈ですが、展示品の数を減 らし、質を落とし、すし詰めを凝らし、鑑賞を妨げるのが主催意図であり来館目的、 である筈はありませんから、やはり「インフラ」の貧困でしょうか 私には大切な彫刻が一つあります.現代にも、あれほどの抽象美術は滅多にない、 四百年前のその作家の彫刻は、どれも具象にして完璧にすぎますが、例外が最晩年の 未完の作品、しかし私は、その現物を見たことがありません いつかはこの作品を見るために渡航します.しかし不思議です.感受性が衰え、物 忘れのはじまった人間が、心でこの作品を見ているのです.克明に、抽象の輪郭と陰 影を余す所なく見ているのです May 4, 1997 plnssnr@reverie-prmnr The Metropolitan Museum of Art 1000 Fifth Ave.(82nd St.) New York The Museum of Modern Art, New York 11 West 53rd St.(6th Ave.) New York Guggenheim Museum 1071 Fifth Avenue (89 St.) New York Whitney Museum of American Art 945 Madison Ave.(75th St.) New York ルーヴル美術館 Musee du Louvre、75058 Paris
【その27】 佐倉の近くに酒々井(しすい)という土地があります.私は小学一年の遠足で、酒々 井に栗拾いに行った記憶があります.京成電鉄の線路を見下ろしながら、雑木林で拾 った栗は、農家によって撒かれたもの、なぜかそのように思っていました.つき添い の母は世話係でお昼も戻れず、私はほかの親子と一緒でしたが、母を外から認識した のはこの時が最初です やはり子どものころ、印旙沼にマブナを釣りに出かけました.梅雨の雨が、朝から 音をたてていたので、父がいつ中止を宣告するかと不安でしたが、父は私を促して京 成に乗り、釣れないのに三時過ぎまで、私をかばいながら舟の中で濡れていました 母も父も達者です.今の母は栗拾いの母ではなく、今の父もマブナ釣りの父ではあ りません.しかし私には、当時の父も当時の母も健在です.両親が、その時の顔と姿 で、私の心に蘇ります.当時を見つめる私もまた、幼いままの私です May 5, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【その28】 国立西洋美術館が閉鎖されて随分になります.改札口のすぐ脇にあり、定期券の経 路内にある西洋美術館は気分転換の格好の場です.しかし、いつになっても再開の気 配がなく、ようやく工事が本格化していることに気がつきました 西洋美術館の閉館中はもう一つの「私室」、東京国立近代美術館を訪れることにし ていますが、考えごとには東京国立博物館、およびその前庭の、右にでる場所はあり ますまい.SOHOの世界はそうそう代わりもありません.一人が倒れれば連鎖反応が生 じ、複数の家族の、生活を破壊することさえ起こります.あくせくが嵩じて体を壊し ては取り返しがつきません.決定を誤った場合も悲惨さに直結します.ということで、 気分転換や考えごとの場所探しも大切な「仕事」の一つ、事務所や自宅では、気分が 逆転換して、墓穴を掘る決定が導き出されてしまいます 上野の森も竹橋も、鉄道の二駅分と少々の距離、歩いて行けば入館料を支払う前に 考えがまとまり、帰路には選択も決定も済ませていられる筈でしたが、最近は裏道ま でディーゼル車の排ガスが充満し、とても歩ける状態ではありません.やむなく電車 を利用し、入館料を支払っての考えごとに、国立近代は上下の移動が多すぎます 濃密な排ガスで地表をことごとく覆いつくす.自然労働にはお引き取り願い、人間 労働ですべてをまかなう.産業が興り経済は活気づく.息の詰まる環境には、スモッ グを下に見る天上の楽園を創り出し、清浄な水と空気と、紺碧の眺望を実現する.開 発の負担は万民に委ね、パイの配分は格差を拡大、選ばれた民に楽園の居住を約束す る.技術は無限、企業家精神は軒昂、自然讃歌の興行に、名声と蓄財の機会を読み、 緑に焦がれる大衆を動員、空前のヒットを達成、低賃金と臨時雇用の協働者を尻目に、 楽園の居住権を獲得する----.新しい美が生まれています.でもカワイクナイ 国立博物館にも国立近代にも岸田劉生の「麗子」があります.しかし私は、博物館 の薄暗い広間の「麗子」が好み、この絵には、麗子に対する作家の気持ちが、ほとば しり出ているように思われます 国立西洋の常設展示場には、ゴッホの薔薇の小品がひっそり展示されていましたが、 私が度々国立西洋を訪れたのもこの絵が目当て、特別展に疲れた観客は見向きもしな いゴッホですが、薔薇を描く絵筆の流れに、作者の「健康」な精神が感じられ、嬉し くなってしまいます 新しい国立西洋美術館には、未来に相応しい設備が加わります.新しい美には新し い器が必要です.願わくばそれが、貧しい懐の「にんげん」であっても、気軽に居住 できる「私室」であって欲しいものです May 7, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【その29】 伊藤若冲や曾我蕭白に凝っていた頃は、私にとっての美は内向きなものでした.そ れがある日、現代美術に鞍を替え、書きなぐりとも思える抽象アートにさえ、関心が 向くようになりました.平面から空間へ、技巧からパワーへ、精神状態が変わりつつ あるようです.画学生の、その卵の影響、と言ってしまえばそれまでですが、ずっと 以前に干からびさせていた「楽しい感じ方」「嬉しい感じ方」を教えられ、「好奇な 感じ方」「躍動的な一体感」を取り戻すことができたのです.しかし、繕えない感性 もあります.社会臭が観念的に、あるいは告発的に入り込んでいる作品は、若い世代 は敏感に感応しますが、私は「青くさい」とか「消化不足」と感じてしまう、これは 演劇に対しても同じです Niki de Saint Phalleの小品は Nikiの宇宙の一つの扉、Keith Haringの「人の形」 はHaringの宇宙の一個の象徴、George Segalの個々の作品は Segalの宇宙のそれぞれ の要素、私が必要としているのは、いくつもの新たな宇宙であり、○○展や△展で壁 一杯に並べられた一品料理の寄せ集めでは、とても満足できません.オークションや 装飾品の品定めには、烏合の展覧も役立つでしょう.食うためには、換金作物の連作 もやむをえますまい.迷った心には「大切な一作」が何よりの支えになります.しか し、個人の平安や企業の蓄財はそれで足りるとしても、geijutsuってその程度のもの でしたか? chihyou no uchu wo mechakucha ni site garakuta wo buchimaketa chikyujin ga kawari no uchyu wo souzou surunowa touzen no tsumihoroboshi da. sorenanoni sakka ga konoissaku-shugi ni kodawari sakuhin sougo no myakuraku ya touitsu wo ushinatte irunowa doushita kotoda. soremade no sakuhin wo ichidouni nara beru to zuta-zuta no bara-bara ya nitari-yottari no yoseatsumeni suginai to shitara sono sakka no kansei to seishin wa rikai ni kurushimu (←冥王星から の投稿です) もう我々には、地表のもともとの宇宙は、ほとんど残されてはおりません.来世紀 になれば、事態はもっと深刻になるでしょう.大自然の中での自由、躍動、解放、陶 酔は、過去のものになりました.その代わりを、パソコンが担うとでもいうのでしょ うか.仕事の必要を除けば、パソコンなど叩き潰しても、解放の益にはなっても害に はなりません.地表の宇宙とは、かくも貴重であったのです 以後、新しい宇宙を創造する人間が、うぬぼれることは許されません.新しい宇宙 には、死に絶えていく自然の、怨念がこめられているのですから May 8, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【その30】 国立近代美術館を出て千鳥ヶ淵方面に出むくには、歩道を少し歩いて土手を登ると、 お濠を眺めながらのんびり歩くことができます.反対に、竹橋を毎日新聞社側に渡り、 神保町の交差点をめざすと、私立の女子校が目に入りますが、その背中合わせに、区 立の中学が狭い一角を占めています.昔は長方形のぐるりに校舎があり、中庭が唯一 の校庭でしたが、校庭はさながらコンクリートの駐車場、中庭を羊羹に見立ててスラ イスすると、片端に25メートルほどのプールができ、夏場はプール側の体育館に渡 るのに、十メートルほど泳ぐ必要(?!)がありました オフのプールは板で蓋をしますが、朝礼は中庭を埋め尽くしてもスペースが足りず、 背の高い生徒がプールの板をガタつかせ、よく怒鳴られておりました----.当時は怒 鳴ったり殴ったりする先生が本当にいたのです.それも尋常の怒り方ではなく、生易 しい殴り方でもありません.エタジマ出身とかグンタイあがりとか噂されていた教師 も一、二おり、油をこぼしたり工具を落とすと、恐怖心で張り詰めた教室に、鉄拳が 飛び交う授業もありました.屋上で原付自転車に乗る授業でも、殴られる生徒がいま したが、殴られる生徒の側も、チェーンを隠し、机に飛び出しナイフを突き立て(教 室に持ち込まれた飛び出しナイフは、まっすぐに押し込んで鞘に収める刃渡りの短い タイプと、「く」の字に折りたたむ刃渡りの長い鍔つきがあり、鍔つきは床に投げる と、唸りながらゆらゆら揺れる危険な代物、これを1年の時に、すでにクラスで投げ ていた生徒もおり)、あるいは近所の中学と喧嘩したとかで、包帯の上から詰め襟を 羽織って登校する、そのような時代でありました 1学年が11クラスから13クラスもある中学の昼休みは壮観です.長辺の両サイ ドに、肩を触れながら1列に並び、向かいの生徒とボールを投げ合う、そのボールの シャワーが乱れて逸れたボールを、追いかけて中庭に飛び出す生徒は格好の餌食、途 端に投げる相手がかわったものです May 9, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
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