編集中記 【その42〜その49】
【その42】
蜘蛛はお好きですか.私の家には蜘蛛の居候がおります.観葉植物の植木鉢に何匹
かの小型の蜘蛛が、大家を無視して居座っています.最近は蜘蛛嫌いが多いですね.
大の男が小さな蜘蛛を嫌がる様子は、思わず笑ってしまいます
夏になると鬼蜘蛛や女郎蜘蛛が巣を張って、みなの通行を邪魔します.家人は嫌が
りますが、蜘蛛の巣を観察するとチャドクガもかかっているので、蜘蛛を避ける理由
が分かりません
蜘蛛の巣は素肌に触れてもどうということはありませんが、チャドクガは、幼虫の
群れが他に移り、坊主になった枝であっても、さわった跡が痒くなり、しばらく腫れ
がひきません
危険といえばイラガの幼虫です.毎年発生し、ひそかに勢力を拡大します.芥子粒
大でも触れると強烈な痛みが走ります.電気的な不愉快な痛みなので、人によっては
吐きたくなるかもしれません.何にさわったか分らないこともありますが、痛みの走
った木や草の特に葉裏を点検し駆除しないと、ほかにも被害者が現れます.また刺さ
れた跡も虫さされ程度ではすまないので、早めにお医者にかかることです
蜘蛛が好き、なのではありませんが、手のひらに乗せる位は何でもなく、居候蜘蛛
にも寛容な態度で接しています.そう、蜘蛛からはじめましょう
小学校の通学路、といっても当時は好きに道を選べたのですが、道幅一間程度の裏
道に塀のない平屋があり、庭先には椎だの珊瑚樹だのがありました.その根元に張り
ついている袋状の蜘蛛の巣を、地中から慎重に引き抜くと、めでたく土蜘蛛が採れま
した.土蜘蛛は逃げ足が早く、すぐに逃げられてしまいますが、袋を引き抜くのが面
白くて、寄り道をしては遊んでいました(私が土蜘蛛と読んでいたのは、ジグモとか
フクログモと呼ばれる種類だそうです)
May 21, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【その43】
珊瑚樹も懐かしい樹木です.脂ぎった大型の葉、煤によごれた武骨な幹、鋏の入れ
ようのない乱れた樹形、とても愛着の湧く樹木とは思えませんが、このガサツな樹が
年に一度、輝くときがあります
残暑が過ぎてから色づく「珊瑚の実」、一粒は小振りですが、小粒が集まって房状
に垂れ下がる、その一粒一粒の輪郭が際立っており、黒ずんだ緑の茂みに赤く輝く、
この赤に弱いのです.この時だけは、マタタビを前にした猫の気持ちが、痛いほど分
かります
ピラカンサ、ウメモドキ、クロガネモチ、ナンテン、センリョウ、マンリョウ、ベ
ニシタン、ガマズミ、イイギリ、ナナカマド、グミ、ニシキギ、アオキなど、赤い実
のなる樹木はいろいろあり、それぞれ誘いかける何かがありますが、「珊瑚の実」は
さながら媚薬級です
May 22, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【その44】
珊瑚樹を後にして少し歩くとお墓があります.奥行があり、遠くにはお寺の甍も見
えています.墓石の密集している乾いた墓地、なのに見てしまったのです、人魂を!
お墓の奥で首吊りがありました.首吊りは小学校の図工室でもありました.図工室
の首吊りは、ほんの一瞬、その姿を見てしまいました.それは同じ人だったのかも知
れません.違う人だったのかも知れません.亡くなった人は、このお墓の奥に埋めら
れました.やがて地面がへこみ、そのとき人魂を見たのです.闇の中で鬼火が揺らぎ、
うちひしがれた魂が一つ、すすり泣きながら遠ざかって行きました
面と向きあうと、死は悲しいものです.そして死は恐ろしい、その心象が夜のお墓
に現れます.でも、この通学路を使う限り、恐怖から逃れることはできません.陽の
あるうちは脱兎のごとく駆け抜ければよいのですが、黄昏どきや陽の落ちた冬の帰路
は、お墓にかかる手前の角で、恐怖心が子どもの足を釘付けにします.待つしかあり
ません.誰かが来るまでひたすら待って、そのすぐ後を必死の形相で就いていく、そ
の筈でしたが、ふと気がつくと大人は消え、墓石の前にいたのです.恐怖は頂点に達
しました
金縛りを解いたのは人声です.主婦だったのでしょうか.人声が近づいてくるその
澄んだ響きで我に返り、墓石につまずきもし、手足をすりむきもしながら、なんとか
我が家に辿り着きましたが、その後はコの字に迂回して、お墓に立ち寄ることはあり
ませんでした
May 23, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【その45】
お墓の先、迂回路と交差する角に、箒やタワシを売る雑貨屋がありました.店内は
昼なお暗く、さながら悪鬼が潜んでいる様子なので、とてもガラス戸を開ける勇気は
ありません.足早に通り過ぎると、そこから学校までの一駅分にはお店がなく、クロ
マツの古い林に、広い屋敷の散在するこの辺りでは、この子の叩ける門は見当たりま
せん.だから雨の日は弱りました
傘の嫌いな子どもでした.この時代この学校で、男の子が女物の傘をもつことは悲
劇的なことでしたが、傘が少ないのであれば致し方ありません.靴は黒革の編み上げ、
黒無地の半ズボンに蛇腹で縁取りした黒の詰め襟、硬い鍔の黒の制帽、この子の発育
とこの子の生活では、ここに無理があったのかも知れません(権威のある先生だった
そうです.その園長先生が「大丈夫です」と保証してくれたので進学できた学校でし
たが、外から見れば知恵も体も発育不良、三年になり四年になれば、特にこの種の私
立にあっては、一層孤立が深まります)
帰路、どしゃ降りになったある日、学校から角の雑貨屋まで、傘なしで帰ってきた
ことがありました.女物の傘はもうたくさん! だったのです.家族が一本でも出先
に置き忘れた傘があると、この子の黒い傘が持ち出され、残りは母親の女物の傘、で
すから雨でも傘なしを選んだ日があったのです.男の子は黒い傘、女の子は赤い傘の
登校時に、女物の傘をさした男の子は確かに滑稽です.一斉にからかわれる男の子に
は、濡れる方がよかったのです
雑貨屋の軒下で震えながら、雨滴のはね返る通学路を眺めていました.もう帰ろう
とする気持ちも起こらなかった、その冷え切った男の子に、傘を差し掛けてくれた若
い母親
同じ私立の、一年でしょうか、幼い子の手を引いた母親が、子どものさしていた黒
い傘を取り上げ、「これをお持ちなさい」と渡してくれた、その言葉は男の子には聞
き取れなかった、暫くは何の意味かも分からなかった----、やがてこっくりうなずい
て、小走りに走り出したその子の顔は、もっと濡れていたのかも知れません
May 24, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【その46】
当時の住宅街や農道には自動車や単車は見当たりませんでした.自転車や荷車はあ
ったのでしょうが、通学時に自転車を避けた記憶はなく、車を意識したのは、紙芝居
の自転車を見かけた時ぐらいでした(編集中記は記憶を頼りに書いています.内容は
心象の断片であり、写実や考証や全体像ではありません)
クロマツの古い林、車はもとより、人さえも見かけない深閑とした通学路、この一
角に、崩れかけたカラタチの生け垣がありました.今の住宅街にカラタチの生け垣は
無理でしょう.カラタチの棘は、大人の手の平を突き通すほど長くて鋭いのです.し
かしクロマツの古い林では、カラタチがどんなに棘を伸ばしても、子どもが意識して
近づかない限り傷つく心配はありません.道は広く、しかも真ん中を自由に歩けたの
ですから----.そのカラタチの生け垣にアゲハの幼虫が住んでいました
アゲハの幼虫は、鳥の糞そっくりの状態から、やがて鮮やかな緑に変わります.緑
の幼虫は頭をつつくと、ちょっとした反撃を仕掛けてきます.橙色をした蛍光色の角
を突き出し、奇妙な臭いを発するのです.この臭いは「調合を間違えた芳香剤」のよ
うな異臭ですが、決して腐臭や汚臭に類するものではありません.敵を脅すのが目的
でしょうか.しかし異臭も男の子には効果なし、指でつまんで持ち帰り、カラタチの
葉を与え続けた数日後、幾何的な蛹に変身し、体をピクつかせておりました
蛹になると放っておくだけになります.図鑑が手に入る状態ではなかったので、羽
化する日取りも分かりません.机の引き出しに入れておいたところ、ある朝、蝶に変
わっていました.それもキアゲハではなくクロアゲハです.体を伸ばし、羽根を一杯
に広げたクロアゲハが、まさに飛び立とうとする瞬間に出会えたのです
アゲハも蝉も羽化の瞬間が捕まえる好機です.しかし、羽化に立ち会ったあとでは、
もう昆虫を採ることはできなくなります.今でも、庭にミカンや山椒を植えておけば、
アゲハの幼虫は簡単に「飼育」できます
アゲハの幼虫の発する臭いを「悪臭」と表現する百科事典があります.アゲハの幼
虫は「見つけしだい捕殺しましょう」とする園芸書もあります.しかしアゲハの幼虫
の発する臭いは、飼育を躊躇させるような「悪臭」ではありません.また家庭園芸で
は、幼虫の数を間引くことで、ミカンの収穫と共存させることもできると思います.
アゲハの自然を狭めたのは我々ですから、お孫さんにも羽化の感動を----
そう、今はテレビと塾の時代です.マスコミで報道される自然が大切であり、入試
で出題される自然が問題なのでしたね.足元の自然は枯れました.今の人々の自然と
は、「自分の不利益にならない保護運動」の自然、映像で描写される自然、観光地の
自然、商品化された鉢植えの自然を指すのであって、自然遊歩道を通学することでは
ありません.しかし私には、蜘蛛が巣を張り、アゲハが羽化する足元の自然が大切で
す.音楽や絵画や文学より、景勝地や高山より、足元の自然を散策する方が大切です
May 25, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【その47】
小学校はクロマツの林の外れ、西側が住宅街で北は田畑、クロマツの地面から少し
下がった地点にありました.校舎は木造平屋で、西側の一角に図工室、舞台のある体
育館、音楽室があり、南向きに一〜三年の教室、職員室、保健室、さらに四〜六年の
教室が続きます.校舎の前には朝礼に使う校庭があり、校舎の東隣りには赤土の運動
場がありました(プールはありませんでした)
運動場はサッカー1面とバスケット2面相当の広さ、ソフトボールであれば一度に
3面はとれました(子どもは大人より豊かな空間感覚をもっています)、校舎のぐる
りには塀らしきものがありましたが、運動場の東側はクロマツや雑木が塀がわり、運
動場の出入り口には低い丸太があるだけで、夕方であろうと早朝であろうと、いつで
も自由に出入りできました
校庭の運動場寄り南側に小さな蓮池がありました.地面を垂直に掘った人工の丸池
なので、踏み外せばドボンですから、焦がした丸太で囲ってあった、その蓮池が昼休
みになると、生徒のエビガニ釣り場に早変わり、柵に腰掛けながら、柵につかまり身
を乗り出しながら、エビガニ釣りに興じていました
この小学校には生徒全員の居場所があったのでしょうか? 授業が分からず、自己
表現のたどたどしい「お荷物」にも居場所があったか? う〜ん、考えてしまいます.
首吊りのあった図工室にはあったと思います.上級生の劇に感激した体育館の舞台に
もありました.しかし本当の居場所は通学路と運動場にありました.朝は一番に登校
し、暗くなるまで帰らなかったこの子の居場所は、教室の外にありました
休み時間についての注意とか、放課後の門限とか、部活やクラブの占有とか、校庭
の使い方についての指導や規制は一切なかった(この子の行動を妨げなかった)、一
歩教室の外へ出ると、この子は完全に自由になれた、それは素晴らしいことだったの
です
先生が子どもを厄介視すると、その気持ちは先生の表情に現れてきます.先生が相
性の悪い生徒を疎んじると、いくら上辺を繕っても、子どもは先生の心を感じとって
しまいます.それでも子どもは先生に権威を認め、先生を信じ、自分の落ち度と思い
込み、状況の改善を願います.子どもの苦悶が始まり、先生のストレスが募ります
すべての大人は聖人ですか? 先生と生徒の相性は必ずよいと決まっているのです
か? 世間知らずの大人もいれば、差別する先生もいる、それは自明です
大人は、自分の行為や自分の考えに対し、いろいろ理屈を捏ね、自分を言いくるめ、
自分を正当化し、自分と折り合いをつけることができますが、子どもは大人ほど厚顔
ではありません.大人は人間関係を運不運で片づけますが、子どもは大人ほど鈍感で
はありません.しかも子どもには選択権も決定権もないのです.では、居場所のない
子どもはどこで息をしたらよいのでしょう.自然を必要としているのは大人だけでは
なさそうです
May 26, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【その48】
まだ午後の授業がありますが昼休みです.少し外を歩いてみましょう.運動場の北
の小道には瓢箪沼があります.もしここに河童がいないとしたら、日本の湖沼のどこ
を探しても、河童を見つけることはできないでしょう.蛙と鯰と蛇と雷魚が息を殺し
て窺っています.ここは子どもの来るところではありません.引きずり込まれないう
ちに、早く沼から立ち去りなさい
落ちていた鉤がきっかけで、放課後に瓢箪沼で釣りをしたことがあります.蒸し暑
い六月のある日、餌は蓮池のエビガニの剥き身、針は蛙を引っかける三つ又の鉤、孟
宗竹の竿、これらを正月に使った凧糸で結び、鏡そっくりの水面に糸を垂らし、最初
の波紋が走り出した瞬間に、竹竿をグググと水中に持っていかれ、慌てて竿にしがみ
つきました.しかし、とても引きが強いので、嬉しさより不安に駆られ、早く取り込
んで、なんとかこの沼から逃れたい、と必死になるものだから、凧糸が魚にからんで
手も服もヌルヌル、やむなく編み上げ靴で踏みつけ、やっとのことで鉤を外し、凧糸
をほどいて放しましたが、雷魚は強靭です、怒りを体一杯で表わしていました
精霊の棲む沼は不気味な沈黙に支配されます.泉や清流であっても、悪霊の訪れる
時刻になると、生き物は悉く息を殺して身を守ります.警告を無視した瓢箪沼での出
来事は、今も苦い澱となって心の底にこびりついています
May 27, 1997 plnssnr@reverie-prmnr
【その49】
瓢箪沼を避け一本南寄りの小道を辿ると、金色の砂地に出会えます.片側は白い野
薔薇の生け垣、向かい側は低い竹垣なので、小道から逸れることはできませんが、砂
はきめ細かく乾いているので、編み上げ靴の紐をほどいて裸足になり、砂の感触を楽
しめます.砂地の陽のあたる地面には、親指と人差し指でつくった輪ぐらいの大きさ
の「擂り鉢」が並んでいます.この擂り鉢を、手の平で、まわりの砂と一緒に、出来
るだけ深くすくい取り、静かに砂を振るい落とすと、「アリジゴク」が鎌を開いて待
ち受けています.民家の軒下であっても、陽のよくあたる砂地には、大概、擂り鉢が
あるものです.試しに擂り鉢に蟻を落としてみて下さい.砂の底から攻撃が始まれば
そこは「アリジゴク」の巣ですから、静かにすくいとってみて下さい
私がこの小道を知ったのはエム君を通じてです.土曜の午後はお弁当がなかったの
で、さすがに遅くまではいられません.校舎にも校庭にも生徒の姿がなくなった昼下
がり、ノロノロ運動場を出ようとすると、エム君が声をかけてくれたのです.私はエ
ム君の存在を知りませんでした.私はいつも2組、エム君はいつも1組(どの学年も
1組みと2組だけ)、私はお荷物、エム君は眩しい少年、私が彼を認識の外に置いて
いたのも無理ありますまい
彼は私のことをある程度、知っていたようです.彼の住まいは私の家から5分程度
の距離にあり、普通なら私も彼を知っていてよかったのですが、エム君は電車通学が
主で、たまにこの小道を利用していたためか、私にはエム君の存在がわからなかった
ようです.そのエム君からある日突然声をかけられ、再びしどろもどろになりました
May 28, 1997 plnssnr@reverie-prmnr