折々の文章


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クリスマスの季節 −7−
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あしかがフラワーパーク


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釣り! 好きでしたね。特に父の実家の小川。

父の実家は国鉄の線路沿い、いえ、国鉄の線路が実家沿いに走
っていました。遠い昔、何軒かの農家が分担して駅と線路の用
地を提供、その一部の移転登記が漏れていたとかで、長〜〜い
年月の賃借料を自治体が支払うという「子どものお年玉」相当
額の用件を、相続権者の父は笑って相手にせず、伝えに来た縁
者に一任、顛末を知らされる前に父は亡くなりました。

父の実家は分家です。分家でも当時は広大な梨畑を所有(いつ
頃? 広さは? 確かなのは、戦後、揉め事を嫌った父が相続
を放棄、と書きますと、今度は父がお大尽の太っ腹、なんて思
われてしまいますね。遺された土地は縁者が所有)、関東大震
災で父の家族は、実が落ちてしまった梨畑で一夜を明かしてい
ます。

カボチャ嫌いの理由は不明でも、梨を遠ざけた理由は判ってい
ます。父親が蒙った損害と、梨畑で経験した余震の恐怖を(満
六歳)思い出したくなかったのです。父は店や工場も耐震にこ
だわり、資材と構造の堅牢さで定評のあった棟梁一家に、深い
信頼を寄せていました。


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観光養鱒場を除きますと、父が釣った魚を、見た記憶がありま
せん。

百日算(父の名前は旧姓)と共通項があるのでしょう、父は碁
も将棋も強かった。中学校(旧制)時代は、走り高跳びで県大
会へ。ゴルフは、所属クラブや銀行のコンペで飛び賞稼ぎ。

一方、私は

珠算は、新入社員研修時、居残り組。碁と将棋はヘボ以前。短
距離走は、父と互角。ゴルフは、球を歪めないと真っ直ぐ飛ば
ず、探しましたね〜、丸いボールを。

炎天下の探しものは喉が乾きます。つい飲みすぎて、午後は球
が二重写し。一回打つと二打申告。あの頃は正直でした。

私は、子どもの頃に釣った魚の、種類と数を列挙できます。好
きでしたが、釣れなかった。

今の団地の南側は、大学ができるまで畑や休耕田に囲まれ、水
溜りでは、大人までザリガニ獲りに夢中、道路を隔てた煙草屋
は、竹串に刺したゲソをバラで売り、暫くはよい商売だったと
思います。水は浅く、人出もあり、煙草屋の道路に気をつけれ
ば、幼い子も遊べました。

上の子が小学校に入った頃、魚釣りも教えてやろうと俄かに準
備、近くに釣り場があれば、親の出る幕はなかったです。

練り餌の残骸は糞尿と区別できず、菓子袋と空き缶はゴミ溜め
を連想させ、脂ぎった鮒や鯉が釣れてしまい、さながら棄てら
れた汚染魚を往時の夢の島で拾う風情、その時から、釣りはや
めました。


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魚は影さえ見えませんでしたが、富士の家の水の流れは、見て
いて飽きることがなかったです。清流に出合いますと、魚影を
発見する楽しみも私の「釣り」には含まれます。

小学二、三年の頃、花壇と花壇の間に池を掘りました。お椀を
二つ並べた瓢箪形で、縁取りしてからセメントを流しました。
深さは膝まででしたが、小二の計算力ではとても無理、アク抜
きの知恵もなく、我々兄弟は緊張と興奮の面持ちで同意を求め、
父は静かに頷(うなず)きました。

とても期待しました。踏み込める場面は加わりました。しかし
考えや発案が結果するまで、はしゃぐことも騒ぐこともしませ
んでしたよ、大人の、それも限りなく信頼している両親の、意
見や行為の悉くに対して。

解ることもできなかったです、当時の両親の内面を。

結核で通学が困難な子と、成長の遅れた子と、自身も健康不安
を抱えながら、家族に栄養剤と抗生剤を注射すれば、病状に対
する「自己責任」も重くなります。加えて暮らしは「自助」頼
みでしたから、夢でうなされるのは当然ですね。

釣りという言葉の中身は、皆さんと私では違っています。仕事
の語感も、皆さんそれぞれの所属によって、特に入れ換えを排
除された職場では、違っていると思います。一所に腰を据えて
しまえば、別所の理解は遠退きます。不具合が生じても責任を
問われない職場では、危機感が深まることもありますまい。情
況が厳しくなれば、理解の距離は、狭まるのではなく拡大する
のですね。無理なのでしょう、閉ざされた澱みに、別種の流れ
を注ぎ込むのは。


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市川の住まいの敷地は東西に長く南北に狭く、接近していた隣
家に日差しを遮られ塀際は年中ジメジメ。寸断されたドブ川が
残っていたのもこの塀沿いですし、オマケに杉の木まで植わっ
ていました。

幸い、西側半分は杉も建物も途切れ、ドブ川を埋めてからは仔
猫仕様に変容、炉を切るなど粋(いき)な計らいもできましたが、
塀に近い瓢箪池(行水二人分の面積)は日照不足で、真冬はガ
チガチに凍りついてしまい、フナもメダカも消えてしまった!

水の温(ぬる)んだある日、銀色の閃光に、もう、嬉しくって楽
しくって、家中にご注進! クチボソもタナゴも、お碗の底の
石の隙間で、身を寄せ合って生きていたのですね。


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大雨が降った翌日の学校帰り、水が引いた側溝で、真っ赤なエ
ビガニが螯(はさみ)を持ち上げていましたので、難なくつかみ
上げ、腹側を見ますと卵がビッシリ! 気味が悪いので放しま
したが、それからは雨のたびに側溝を覗き、真っ赤なエビガニ
を探しました。因みに私がザリガニという言葉を使うようにな
ったのは、神田に越してからです。

夏祭りだったのでしょう、私鉄の駅近く、線路沿いの路地に夜
店が並び、明るいうちに父に連れられぶらぶら歩き。

金魚掬(すく)いは運よく一匹か二匹を持ち帰っても、すぐに死
んでしまい嫌気。ところが鯉を売っている夜店があったのです。
掌(てのひら)大の緋鯉でしたが、水中花に夢中になる位ですか
ら緋鯉にも見惚れてしまい、物欲しそうに眺めていたのでしょ
う(成田山の土産物店でも祭りの夜店でも、自分から欲しいと
は言えなかったです)父は緋鯉を選び、さ〜てと、容器は何で
したか、入れ物ごと持たせてくれましたので、興奮してその夜
のその後は上の空。


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カメは釣ってきたクチボソを餌にして飼ったことがあります。
雷魚は暴れてバケツから飛び出し、地べたで一晩明かしても獰
猛さに変わりなく、エビガニは剥き身にして四つ手の餌でして
から(竹を十字に組んだ頂点から糸を垂らして寄せ餌とする)、
瓢箪池の住人は正統派に限っていました。

筆頭はクチボソとタナゴ、珍客はコブナ。コイは私には釣りの
対象から外れていましたので、夜店の緋鯉は夏蝉に混じった玉
虫、ベゴニアの花壇に咲いたカトレア、甘酒売り場の吟醸酒。

真鯉と緋鯉は私には同じコイではありません。江戸川の河口で
コイが釣れてしまったことがあります。変異した天然種が釣れ
るほどコイは身近ではなかったです。改良種が混じってしまっ
たのでしょう。緋鯉でも錦鯉でもなく黄赤(きあか)の無地で
したが、あの鯉、襦袢姿じゃなかったのかなあ。昔の自然を保
存している公園で錦鯉を見たこともあります。野草園や万葉植
物園に胡蝶蘭を置くだろうか。

夜店の緋鯉は闇に咲いた睡蓮の花。湿った庭に原色の彩り。


 ※


梅雨のある日、退屈に業を煮やし、縁側から糸を垂れ、鯉だか
金魚だかを釣り上げた、と書いたのもこの池です。

緋鯉を放した結果、問題が生じました。晴れた日は飛び跳ね庭
に着地。雨の日は流れにまかせ花壇に移住。どちらも目を放せ
ません。知恵は働かすと湧くのですね。網を被せることに気づ
き、作りました、子どもだけで。

道具を欠くと生活に、いえ、遊びに差支えますから、木工具も
ペンチもハンダ鏝(こて)もヤスリも砥石も、親の使っている道
具は何でも使えました。池を覆う網作りも許可を得る必要はな
かったです。網はどうやって手に入れたのだろう。

夏は掃除の掻い掘り。やがて庭に溶け込んでしまい、住人は間
借り人から我が世の春へ。引っ越すとき、縁側から眺めた庭で、
真っ先に目に付いたのが瓢箪池。

環境が違っていました。生活様式も別でした。机上の勉強(あ
るいは暗記)は今も昔も変わりないですが、遊び一つ、工夫が
生きましたよ。

違いますね、当時を真似ても限られた場所と時間では。素(そ)
振りと実際の違い、真似と創作の距離、画一と多様性、受動と
能動、依存と自立、烏合と自助、籠の中の安逸と自由「を」生
きる歓び。

舞台と客席の距離は無限です。テレビの画像と実生活は一体化
できません。しかも生活は何処も似たり寄ったり。一万キロ彼
方の環境を選ぶことも、二万キロ彼方の様式を試みることも、
所属する社会は短時日では替われませんから、とても「自然に」
とは行きません。挙句に、くるくる変わる法規に右往左往、掻
き回される制度に右顧左眄(うこさべん)、内規は芽生えの段階
で摘まれてしまいます。一人旅の均等な機会、実現させたいで
すね。


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東京夢の島マリーナ




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