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クリスマスの季節 −124−
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前四頁分の画像は「できるだけ軽くに配慮、掲載を見送ってい
た写真」から抜き出しました。常時接続が大勢の今は「先ず載
せよう!」に方針転換。似たものばかりですが、関東平野の土
壌は二番手の写真でも目減りしません。
成田
成田には思い出があります。その割に成田山には出かけていま
せん。幼い頃、煉炭か炭団(たどん)かの行火(あんか)を車内に
置いて、タクシーで市川市菅野の我が家を出発。下総中山(当
時の最寄駅は京成八幡駅と省線本八幡駅。下総中山は本八幡の
隣り駅)からゲーゲーを開始。延々一日。吐くものがなくなっ
た苦しさを今も記憶。
成田の手前の、酒々井(しすい)や印旛沼にも思い出があります。
遠足の栗拾い。父に連れられ舟でフナ釣り。
子育て時代も出かけました。我孫子を経由して木下(きおろし)
から南下。あるいは鎌ヶ谷から下市場を経由して。沼南(手賀
沼の南)や印西(印旛沼の西)の田園が好きです。
今は下総航空基地の北端をかすめ十六号へ出て、小室で北総・
公団線の沿道に乗り入れ、線路の尽きる辺り(←現在の話)で
右折、日本医大を見ながら少し進んでようやく一息。沿線の広
大な空き地がニュータウンの現実? つくばの新線事業は、北
総・公団線の開発規模では収まりますまい。
今の本八幡は都営新宿線の終着駅です。その密集が私の思い出
を砕きました。今朝は常磐線の車窓彼方に江戸川を渡る車両。
新婚の住まいから徒歩少しの所に北総・公団線の矢切駅。下矢
切のネギ畑から懐かしさが消えました。
二年後は徒歩約十分に新線新駅。島嶼の人口が続伸するとは聞
いていません。低層を解体して平屋化する様子も、高層を中層
化する工事も、中心から周辺へ逃げ出す流れも見えていません。
しかも情報技術は高度化。取引は国際化。
市境や県境を外す狙いが、巨大な砕流では困ります。故郷が遠
い成功者は、故郷に帰ってご商売なり暮らしなりを続けて欲し
い。雇用の機会が分散すれば、庶民も故郷に帰って就労なり暮
らしなりを続けられます。生産現場は空洞化しました。先端の
頭脳労働と、頭脳を支える周辺労働に首都も地方もありますま
い。田野を根こそぎにする瓦礫の含み資産が、生産性に資する
だろうか。荒廃を未来に押しつける刹那の成長は、自慢にはな
りません。
つくば
何を撮ったかおわかりですか?
ピンぼけですから。
樹木の奥
母親と三人の子が進む先
戦場ヶ原」の彼方。
千葉
おわかりでしょう
故郷(ふるさと)を撮ったのです。
オロオロハラハラの手を放れた子が
右手の傾斜で転んでしまった二十八年前
はじめて知ったのですよ
子には何が大切かを。
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