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クリスマスの季節 −129−
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十日の走路
今朝は空気が澄んでいました。
六日の上野
先週末、院展に出かけました。頂戴したお葉書を持参しました
ところ、二人まで無料……ですが、ご挨拶が書き添えられたお
葉書を、受付で回収されてしまいました。
美術館脇の緑地にも防水布。
いつ頃だったのでしょう、映像も記憶していますから、本八幡
駅前の和洋の映画館で、時代劇や西部劇を見た折、ニュース映
画で知ったのかも。
この連載でも、菅野時代の失業者に触れた記憶があります。不
安でした。当時の気持ちを表わすのに、頭に浮かぶ今の言葉は
不条理。
菅野時代にニュース映画で学んだ観念は、長期の失業者には、
焚き出しと、宿泊所と、働く場所を用意すること。
お金だけの問題ではないですよ。尊厳に係わることです。汗水
流して働く日々は充実できます。明るく前向きになれます。何
よりもメシがうまい。働ける個人にとって、暮らすと働くは一
つです。失業対策事業が終息するのは、人類が滅びてから。政
(まつりごと)の根本に、手を拱(こまぬ)く政治思想が私には解
りません。
七日の江戸川でも河川敷に警告看板。隅田川でも荒川でも、水
辺に出ようと、遊歩道に降りたり、葦(あし)を掻き分け進みま
すと、突然、臭気とゴミと防水布が
伝統技法で描いた絵画展、海外文明の至宝展、樹木や河川と渾
然(こんぜん)一体。島嶼一般の生活感覚は少しヘンです。
日曜午前の、里見公園の写真を見てカミサン曰く「誰もいなか
ったの?」
二人いました。蒸留酒のポケット瓶を置いた一人と、布を敷い
て寝ていた一人。
河川敷の競技場で、大人が指導する少年野球や少年サッカーを
別にしますと、島嶼の戸外で子の笑顔を見るには、欠けている
何かが、ほかにもあるのかも知れません。
※
稲の写っている写真の奥が走路の終盤です。写真中央の、樹木
が欠けた場所で道路を横切り、手前に駆け下りますと今の季節、
写真の右方向から太陽が昇ります。
走り始めは写真の稲田を手前に南下。それはオカシイ? いえ、
走路は長円なのです。十日は星を見ながら走り始め、写真を撮
ったのは走路の後半。
並んでいる電柱の右手に小学校。上の子が入学する時、高台の
林から田圃の真ん中に引っ越してきました。ある日、今の通学
路脇にレッカー車と整備小屋。大破した事故車を引き取るのが
お仕事(?)。無惨な車列。早朝も、事故車を牽引したレッカー
車に出合います。
通学路脇にはその後、高い塀で囲われた広い作業場も。中の様
子は分かりません。木材を裁断する機械音が響くことも。整備
小屋も作業場も、電柱が並ぶ通路に(すれ違いがやっとの車道
と、自転車と歩行者のどちらか一方が車道に出ないと通れない
歩道に)写っている筈。←見えませんね。
今は広い範囲を金属板と網の柵が囲っています。稲田を撮るに
は工夫が必要。上端の雑草が金属塀の根元。
幾度運動会があったのだろう。小学校だけで十三回? カミサ
ン、小学校の役を解かれたときは、長々ご苦労さまということ
で、書状か何か頂いたかも。
席取りは無用でした。運動場の、隅の小山でお弁当が我が家の
慣例。子らに待ち合わせ場所を伝えたのは僅か数度。中の子も
下の子も幼稚園時代から、小学校の運動会は一日の行動を自分
で判断。交通事情も見通しも、今とは違っていたのです。
運動会は休日が相場。決まって稲刈りと重なり、刈り取りを見
ながらお昼を食べ、刈った匂いを嗅ぎながら居眠りしました。
※
誰もが知っている名前を思い出せないと、つくづく老いを感じ
ます。荒廃が進み、塵芥(ちりあくた)が堆積、我が身が廃墟に
感じられ、うっとうしさに息がつまります。
なぜ走るのでしょう? 本当のことをお教えします。←本当が
いくつもあったりして。持てあましたのですよ我が身を。
週末の走路は住宅の密集地。鉄道の駅A〜B〜CとDの手前を
往復。以前、有料道路の高架脇で私服警官に呼び止められまし
た。変死体が発見されたそうです。改造車につけられたり、群
れた若者にからまれることも。資源ゴミを持ち去る自転車とト
ラックの顔も記憶しました。
居酒屋の梯子酒も、高級料亭での打ち合わせも私には向きませ
ん。思い出せない名前のもどかしさは晴れません。
観客席で熱狂するより、毎朝十キロ走るほうが爽(さわ)やかで
す。政壇や論壇で潰し合う活力があるのでしたら、道路や広場
で荒れる精力があるのでしたら、毎朝十キロ走って欲しい。深
酒はもってのほか。会議は居眠り。謀議も策略もどうでもよく
なってしまい、本当に大切な何かでないと目が覚めません。
忘れた名前のもどかしさが始まったのは菅野を引き払ってから。
半世紀も続いています。今の菅野は違います。
忘れた「名前」を、例えば「通学路」に置き換えてみて下さい。
田圃の真ん中に小学校が引っ越して四半世紀。思い出そう思い
出そうと焦りました。もどかしさが高じて、ほかのことは考え
られませんでした。会議でも宴席でも居眠り。都市計画が仕事
でしたら失格ですね。
私の感性では、稲田に幅三十〜メートルの並木道ができる筈だ
ったのですよ。歩行者と自転車が譲り合う必要はなかったです。
トチノキやマロニエやクスノキが茂り、木の椅子が並び、老夫
婦が寛(くつろ)ぎ、お菓子とお茶を楽しみ、寄り道三昧の悪ガ
キが往き来する通学路が津々浦々に! 私にはどうしても思い
出せませんでした、見た筈の名前を半世紀も。その情けなさ!
農作業も樹木の手入れも、不足する労働力は失業対策事業の貴
重な機会。
お金? 権利? そうではなかったです。博覧会事業やニュー
タウン事業や新線事業では、広域も「一瞬」で根こそぎにされ
ますから。涙国の現代人は、後世に何を遺(のこ)すつもりなん
でしょうね。風土と資本の荒廃? 無辺動物園に住まなくても、
技術は革新できるのですよ。
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