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クリスマスの季節 −136−
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筑波実験植物園
まるで弥生人か縄文人になったように目がよくなりました。古
代のヒトは目がよかった? 遠方の農婦の、焦点がズレた写真
を見ましても、何をしているか判ってしまいますから。
筑波実験植物園は各地の風土を模したのでしょう、上の写真の
ように筑波的でない場面が現われ、博物館で標本を見るような
印象が紛れ込んでしまいます。
筑波実験植物園に限りません。清水公園も佐倉城址公園も、よ
かったな〜と思い続けるには限界を感じています。それがはっ
きりしたのは、新線の「次の駅」周辺で写真を撮った時。
不足があるのは清水公園も佐倉城址公園も同じです。房総風土
記の丘も今は満足できません。武蔵丘陵森林公園はどうでしょ
う。やはり退屈感を拭えません。栃木県の井頭公園でも葛飾区
の水元公園でも、公園では満たすことのできないある状態に気
づいています。
橡四の会場を下見しました。往路は徒歩。言葉を慎重に選びま
せんと……。中町(武蔵野市)との類似性に驚きました。雰囲
気の異同は不明です。住宅街でありながら帰る場所が欲しいと
いうこと。どんな場所?
祖父の自伝を読んでから、曽祖父一家が「家賃二円、間口九尺
の店」を借りた商店街に、お昼休み、立ち寄ることがあるので
すよ。ところが、読んでからわずか数年なのに、鳥に出合って
しまいました。
宇都宮市でも水戸市でも、繁華街を歩きますとフ〜ッと鳥の気
配。オヤッ! と振り向いても滅多に姿を見せません。この鳥
は稀少であればあるだけよろしい。できれば絶滅して欲しい。
赤羽のアーケード街は盛んでしたが、今春、台東区の古いアー
ケード街を歩きましたところ、廃業した店舗が珍しくもなかっ
たです。街路の屋根が絶ち切られ、ペンシル・マンションの見
本部屋に、畳大の文字広告が止(とど)めの一撃。
明治時代の年表をご覧下さい。神田の火事の記事が社会面を賑
わしています。台東区や千代田区の下町は、往時、島嶼を代表
する市街だったのですね? 自由ヶ丘や吉祥寺「同様」浅草寺
界隈も「例外」としますと、往時の目抜きも今は市街の各所で、
駐車場とペンシル・マンションのほかに出口が見えず、総じて
事務所ビルも商店も、例の鳥が我が世の春!
筑波山の最初は小学校の遠足でした。科学博は家族と一緒に出
かけました。異国のビールがうまかった。ところが、学園都市
の今は折々、フ〜ッと鳥の気配。
事務所街も商店街も住宅街も、摘(つま)み食いに愕(がく)然と
させられます。土地が空きますと、透(す)かさず高層副都心!
河口が眺望に優れますと、我先に高層の事務所と住宅! 関東
地方の、田野根絶やしの浸潤は止(とど)まることを知らず、市
街化の境界はさながら膨張する宇宙。そ〜か! 普遍植物園は、
島嶼に住まう支配的感性には、暗黒を意味していたのですね〜。
関東平野を撮るのは自転車がよいです。しかし自動車との道行
きは常に危険。貧しいと思いますよ、135年の果実としては。
田園地帯で、勘を頼りに裏道・脇道・奥の道を進みますと、道
幅が次第に狭まり、心細くなることがあります。引き返そう引
き返そうと思案すれど、転換する場所を欠き、車両の左前部で
サワッ!と木の葉を煽(あお)る音、右後部でザワッ!と雑草を
擦(こす)る音、両脇でガサッ!と小枝に触れる音。車はセダン。
見渡す限り無人の田野で、裏道・脇道・奥の道に入るときは、
後進する癖がつきました。勾配(こうばい)のある細道、および
土手や湿地は歩きます。
森や林を探していた折、後進もできなくなった先に見たのが上
の写真。
前頁に、稲を刈り取った田圃(たんぼ)の写真を載せました。そ
の一点の、樹木右手の奥へ進むと新線の工事現場。日曜の朝は
無人。現場一帯は荒れ野で、自転車も自動車も見ませんでした。
心細さに勝って、やっと出られた林の外(はず)れで、手押し車
を脇に置き、しゃがんでいたのは腰の曲がった野良着の婦人。
降りて話しかけましたが、聞こえなかったのかな〜? 晴れた
秋に汗ばむ陽射し。
トラクターの農夫が、田園地帯で見かけた二人目です。私が立
つ舗道で降り返し、地面の状態を確認しながら、遠ざかる表情
が判りますでしょう。
秘密の花園…… 種をまく人……
絵画の名作や書物の傑作や話題の映画は、巨富に値するのです
ね。ところがその原風景は、根絶やしにしても痛痒(つうよう)
を感じないのが涙国近現代都市化の精神。
嬉しかったですね〜、数人の影。噴霧を準備している姿も。左
手の農婦が種をまく人。中腰に、籠を抱え、右手を振りながら
蒔(ま)く種は、粒まで見えたのですよ。化成肥料? いえ、動
作は種。
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