
商人の次女(手前の向かって左)と次女の幼馴染みです。大きかった
池も次第に埋め立てられ、表札の右手にあった水溜りが昭和二年当時
のお玉ヶ池でした。
関東大震災の前年に、商人の長男が九歳で病死しました。肺炎を患い、
殆ど快癒したので千葉県の勝浦で静養させたところ、付き添いの商人
の母親が伝染病にかかり急遽二人は帰京、長男の祖母はほどなく全快
しましたが、長男は肺炎を再発、急死しました。
関東大震災の翌年には長女も七歳で病死。はじめは風邪と診断された
のですが、脳膜炎を発症、死の数日前から意識不明になり、何の苦悶
も見せず眠り続けたまま死にました。
以下は自伝に残された商人の言葉です。
私は今でもそう思う。あの時、もっと手當てをよく志て遣ったら死ぬ
のではなかったであろうと。親としての私は、亡き児に済まぬような
思いが消えぬ。
戦後、商人は店の再建を次女夫婦に託しています。
His second daughter at the time of seven years old 1927.
She was sitting on the front left-hand side.
In those days, "Otama-ga-ike" (a pond in Kanda) was
in the right-hand side of the bench.
1922: His eldest son died of pneumonia at the age of nine.
1923: the Great Kanto Earthquake
1924: His eldest daughter died of meningitis at the age of seven.