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折々の文章 |
──────────────────────────── クリスマスの季節 −152− ──────────────────────────── 明るく穏やかな曲があります。曲名を明かしたことはありませ ん。繰り返し聞きます。やがて盤は壊れます。流行(はや)らな い曲なので、探しても同じ演奏が見つかりません。盤が壊れた ときはあきらめます。折々、内から湧いてくる旋律に期待して。 早朝、闇に立ちますと、足りなくなった着替えを買いに、母は ホテルに残ってもらい、娘と出かけたスペインの夜風が蘇りま す。寄り添う兄妹の人形は、異国の首都と結びついています。 出先で陽だまりを目にしますと、夏の日、門前で送ってくれた 父と母が浮かんできます。子育て時代の家族は、戦場ヶ原に刻 まれています。中禅寺湖から湯の湖へかけての、妻と三人の子 の、動作の一つ一つも憶えています。 毎回、橡展に鉢が一つ届きます。三人連れの一人が抱えてきま す。鉢の大きさはクリスマスのシクラメン相当。それに花が加 わりますから嵩(かさ)が張ります。今朝(二十五日)になって も、花は一つも欠けていません。母娘(おやこ)と母(富)を 撮った写真を、拡大して皆に渡しました。母は草土舎に額装し てもらい寝室に飾りました。カミサン曰く「アナタは私を撮る のがヘタね。ほかの人はよく撮れているわ」 橡展の、鉢花の美を表わす媒体は文字です。現物や写真はなく ても足りますが、現物や写真だけで表わすのは不可能でしょう。 花の美しさも、美術作品も風土の美も、対象の属性はほんの一 部、「より大切な美」は感受する側の営為です。 辺境の凍土や荒野に単身赴任してみますと、関東平野の原風景 がいかにありがたいか、沃野を根絶やしにする市街化がいかに 都蛮(ヤバン)であるか、解るかもしれません。解ったときは手 後れです。東京圏は、凍土より固く荒野より殺風景。伴侶は疾 (と)うに愛想を尽かし、座卓に残されたのは離縁状一通限り。 それも古すぎて、紙がボロボロ崩れます。 風土の「より大切な美」は、風土を壁に掛けるだけでは現われ ません。風土資本が風化する所以(ゆえん)は、家庭資本が蓄積 を阻(はば)まれ、家庭の土壌も覆(くつがえ)されてしまう労働 事情と根は同じかも。 家庭も風土もその美は、特に家庭の「何よりも大切な美」は、 家庭や風土が存在するだけでは足りません。足りないのに気づ いていないのでしょうか。だからなのでしょう、風土の沃野を、 異国の風車や無国籍の公園に差し換えて綺麗と感じていられる のは。あるいは単身赴任を強いながら、先進と信じていられる のは。 単身赴任は家庭性に反しています。転職の巨大市場育成に手を 拱(こまね)く産業社会は人間性に背いています。議員や公務員 は、労働事情の後進性に、恥ずかしさのあまり、国際社会に顔 向けできないと思うのですが、そうではなさそうなのがとても 不思議。 ※ 前項の三人連れは、カミサンと、カミサンの母さんと姉さんで す。橡展の帰りは女三人で同窓会(?)を開いています。子の残 る一人が、自立した今年は寂しかった。そんなとき、署名簿に ウントモスントモの名前を発見してビックリ。ソーカ! 見に 来てくれたのだ! この一ヶ月、子と顔を合わせたのは延べ五、六回。その四、五 回までが一瞬ですから、素早く顔色と表情を読み取り、過々労 に陥っていないかを判断します。不足する情報は、カミサンが 問診した結果報告で補っています。 先々週の日曜の早朝、症状が心配でしたので、かかりつけの病 院に出かけ検査をお願いしました。救急車で知らない病院を訪 ねるよりも、いつもの病院に容体を伝え、指示を仰ぎ、私の車 で都心に出たほうが、日曜の早朝に限りますが、速やかに治療 を受けられます。 母の胸の痛みは、昨年も描き終えてひと月ほど続きました。今 年は痛みがひどく、神田時代から、先生は二代、患者も二代が お世話になっているお医者さまを、大病院が苦手な私は年に一、 二度、恐らく母は数十年ぶりに訪れ(←先生も奥様も母をご記 憶でした)診察していただき安心していたのですが、日曜の朝 の痛みには別の不安があり、電話口の勧告に従い駆けつけた次 第です。 日曜の早朝の検査はその場で心配なし。昨日(二十五日)は暫 く通院が途絶えていた科でも診察を受け、屈(かが)んで描く姿 勢が痛みに結びつく仕組みも解り、母はようやく安心しました。 先生からは「次の予約を入れておきます。三ヶ月毎でよいです から、忘れずに通って下さい」 痛みは孤独の引き金になります。描けなくなる恐怖心も生まれ ます。衰える記憶に焦りを覚え、そこに痛みの不安が重なりま すと、寝床から出る気力も低下します。高年者が描き続けるの は、ラクではないのですね。 予約変更係に電話を入れ、逃した予約日を改めてもらい、連休 開けの昨朝、一番で病院へ出かけたのですが、いつも早く終わ る科ですから、診察は八時半の少し前に済んでしまい、まだ精 算機が使えず、窓口で会計を済ませ薬局へ。 病院を最初に出た外来患者だったのでしょう。薬局で受け取っ た番号札も一番でした。薬を改め、タクシーを拾いました。 大病院はありがたいです。しかし最近、高年者については、私 の考えが変わっています。大病院本位だった母も、同様の考え をポツリ…… 母と別れ、事務所に着いたのは関東ムラ一般の出勤時刻。ムラ の朝の有効利用には、一考の余地があるのかも。 ※ 紅葉樹の下で…… お昼休み、会社員が寛いでいる芝生の真ん中に、それは見事な 紅葉がありました。なぜ紅葉を敷物と一つで眺めなければなら ないのでしょう。広い広場でした。樹の下で、敷物や雑貨を並 べ、胡座(あぐら)をかき、見事な紅葉は頭上に遠ざけ、周囲を 見渡す必要はないと思うのですが。大柄な定年世代。 占有(私有・公有)と専有と共有について。 満開の桜樹を専有する酒席も同じです。桜樹が繰り広げる春爛 漫の宴を、なぜ酔客と一つで眺めなければならないのでしょう。 紅葉の樹下の敷物も、桜の樹下の酒席も、美を共有する機会を 損なっています。 コッカに委ねれば解けるという幻想だけが、不幸を刻んだ訳で はなさそうです。私有と公有の通念にも誤りがありました。公 有と私有は対立概念? 公有も、司る実態は機関・組織です。 私感覚を有する具体的ヒトが、所有者の実質を行使します。 短期でも長期でもモノを公有化して、公有物の実質をヒト(私 感覚)に託すと、ドーシヨーもなくなるのでは? 新線開発で も、公が出資するのはなぜでしょう? 公有なのに、庶民が利用できない施設が無数にあります。公有 なのに、庶民の暮らし感覚とかけ離れ、お金が遣われる施設も 無数にあります。ナノニは間違いでした。国や自治体が出資や 私有するナニカニで、専有状態にある場合は、庶民の暮らし感 覚が立ち入るのは難しいのでは? 占有の主は自助が明らかな カイシャやコジン…… 占有と専有は違うのですね。もしオレガとお思いでしたら、一 人で起業し、一人で儲(もう)け、一人で食べて下さい。地球の 地表では、何よりも言葉を使わなければ暮らせません。言葉に は無償の共有権が確立していますので、誰一人として言葉への 感謝抜きで、オレガを誇ることはできません。他者のお蔭は分 業も同じ。学問も技術も媒体もそう。再配分に、私有者の表現 力が問われています。 約四十年前、大陸からの帰路、機内で女性乗務員と歓談しなが ら生(き)のウイスキーを飲み続け、絶海の孤島に降り立った将 校を見ました。乱れず、笑顔を絶やさず、眩(まぶ)しささえ感 じました。今でも機内の将校の様子は、その後の爆撃に結びつ きません。 約二十年前、中国青島の海岸に立った感想は最初の随想に記し ました。見えない筈の列島が、演習場の土塁(砲撃の的)に見 えたのです。一斉砲火を浴びたら一たまりもありません。前線 の出城としても格好の位置。 万一の備えは絶対ですが、万一が起こってしまったら、島嶼の 拠点拠点は壊滅するでしょう。戦争は回避して欲しいです。何 処(どこ)へ行くのだろうこの島嶼? 関東ムラ東京圏へ集中し 続ける感覚も、私の理解を越えています。 近年、私は飛ぶことができるとも書きました。今朝は(二十七 日)走る勢いに乗じて、関東ムラから舞い上がってみました。 驚きました。涙国は人材最貧国だったのですね。一億何千万人 ものヒトが暮らしているのに、壇上がたった一つしかないので すから。暮らしの政を、ほんの一握りが采配して競争がないの です。暮らし部分の政は、立法も司法も行政もムラ単位で独立、 互いに美を競って欲しいです。 満開の桜樹の下で…… 幼児が遊ぶムラは何処(いずこ)? ※ 風土資本の荒廃と家庭資本の貧困は、島嶼(とうしょ)津々浦々 金太郎飴…… 今朝(二十八日)は曇り。 地方分権も地方兼権も市町村合併もやめて欲しいです。分権を 言うのでしたら道州制も同じでしょう。金太郎飴を分断するの は十か五十か」の話ではないと思います。金太郎飴を繋(つな) ぐのは二市か三町か」の話でもないです。一つがよいです。解 りやすさも透明性もお金もそう。 群雄割拠する利得も、領主の権限を強化する庶民の利益も、よ く解らないまま進められて行く地方分権が不安です。庶民が自 らの暮らしの土壌を、十分に議論し、理解した上で選んだ進路 なのですか? 相変わらず壇上からのお仕着せ? 大小無数の天守閣と櫓(やぐら)が聳(そび)え、辻々の関所でナ ントカ税カントカ税を徴収され、庶民が養うのは島嶼の隅々ま で浸透した伏魔殿では、学生や生徒がカイシャインや自営業を 見限り、教師や役人を目指すのも無理ありません。 皆さんのムラの上空に舞い上がって、村と町と市と区と県を数 えて下さい。次に櫓と職員と議員の数を数え、その維持に要す る費用と、働く場所の快適度と、暮らしの水準を積み上げ、カ イシャイン家庭や自営業家庭の暮らしと比較して下さい。試算 する前に、内容を理解する前に、肝腎の情報の所在が判らない かも。働けど働けど、還暦から何年間は職がなく食べずに暮ら し、幸い職に恵まれましても、賃金を最低水準に削られ、官も 財もそれを承知で……。涙国は、議員さまとお役人さまと先生 さまと社長さまだけで暮らせばよいと思います。 廃県置ソン…… 暮らしの場では、感受し、理解し、参画し、築くのは足許一つ が限度だと思います。新聞も番組も、寡占媒体が世界中の情報 を日夜何千何万と流す中で、隣りムラがどうしたこうしたは関 係ないです。足許の暮らし部分に必要なのは各々のムラ一つで すが、そう、涙国では、コクサイシャカイの情報は流れても、 三郷市のヒトは、つくば市の議会で昨日今日、何が討論され何 が決まったか分かります? 同じムラに、同じ新線が通るのに、 関係ないのですね〜。 西京ムラや中京ムラがどのような暮らしの政府を築こうと関係 ありません。島嶼のカイシャも、中国や欧州や米国に身売りす る世の中ですから、関東ムラの住民は中京ムラも西京ムラも、 米国や欧州や中国で働いたり暮らしたり旅したり経営するのと 同様に、必要なときだけ関わればよいのです。 暮らし部分のムラビトは、自分のムラは自分で築いて欲しい。 出発は一線でしょう。しかし時間が経てば、各ムラの個性と暮 らしの長短は、自ずと明らかになります。 ボウリング投球の図 島嶼津々浦々金太郎飴 広域のロマン、比較会議制現場主義 二千五年の9・11 ムラ政府への集権化 開示 |