折々の文章


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クリスマスの季節 −154−
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煌(きらめ)いていませんでした、ダイヤモンド!

今日(十一月二十九日)、東京国立博物館・表慶館で、「煌き
のダイヤモンド・ヨーロッパの宝飾400年」展を観ました。

一年前(十二月一日)は、科学博物館で特別企画展「光を楽し
む」を観ています。同じ時節に同じモノを観た訳ですね。どち
らも上野。二つの展覧会の違いは明白。「光を楽しむ」展は、
日曜(午前)なのに『絵の展示場から衣裳の展示場へかけては
……コトリとも音のしない場内……』 一方「煌きのダイヤモ
ンド」展は、土曜(午前)の雨の中を、来館者が後から後から。

宝飾展は圧倒的にご婦人の世界でした。来展者の身だしなみも、
絵画展一般の雰囲気とは、違っていたのではないのかなあ〜。

仮設でしょうか、宝飾展の出口の売店ははっきり違っていまし
た。美術館一般の記念品とはお値段が。何千円もありましたが、
一個、数万円から十万円以上が並ぶ美術館の売店は記憶にない
です。入場料は国内の特別展一般と同様かも。成人千二百円は
私には高すぎます。どちらもお金持ちが多いのですね。

同じモノ? そう。「光を楽しむ」展で美しかったのは、ゼ〜
ンゼン光っていなかった戦前のビーズの衣裳。生きていました。

今回は

大粒が煌いていた宝飾もなくはなかったですが、石が意識から
遠のく宝飾ほど気持ちが伝わってきました。

お勤めの頃、お仕事の必要から、内外の伝統工芸を調査した折、
宝飾についても学んでいます。磨いただけのダイヤモンドを、
鞄に入れ、事務所に持参した宝飾業の会社員に、無造作に見せ
ていただいたお値段に驚きました。その時から、億円する粒で
も石はツマランと思うように。←ヤセ我慢。

岩絵の具には、金や白金や天然の群青など、高価な素材がある
のですね。絵を描かない私には宝の持ち腐れ。同様に、粒のダ
イヤモンドも豚に真珠、いえ、我が身には小判です。

細工できない私には、宝石は、金品としては是非是非頂きたい
のですが、美術工芸としましては、質のよい大粒が一万個転が
っていましても、魅力ないですね〜。展のどこかに、石ばかり
が目立つ作品があったかも。

少しがっかりもしたのですよ、戦後の宝飾の展示品に。確かめ
るために帰り際、本館二階の「日本美術の流れ」に立ち寄りま
した。江戸期の漆工芸と、桃山時代の屏風を観たのです。現代
の作品は、宝飾も絵画も建築も舞台も、顕示欲と浪費癖に染ま
ってしまい、美の奥義から、五十歩も百歩も後退しているので
はありません? オーギを、表現者の誠意と言い換えてもよい
のかも。


 ※


新線の話は昔から聞いていましたが、実際に建設されるとは思
わなかったです。五年ほど前から、田畑や山林の買い上げが始
まって知ったのです。それ以前にも、林を畑へ変えておくなど
農家や地主は個別に動いていたようです。私の所は宅地なので
買い上げではなく換地でした。やがてこの家も動かさなければ
なりません。新駅一帯からあなたの住まいまでは、神社や墓地
を除いて、林も田畑もほとんど何も残らないですよ。

以上は、県の企業庁が造成している一角で、その地に移って二
十五年暮らしてきた会社員の話です。三十日の今日(雨のち曇
り)、色づいた林の写真を撮っている時、玄関から出てきて話
してくれました。年明けには、再び造成と道路の建設が始まる
そうです。自治会報の計画図を見ましても、ほんの一部の緑を
除き、当地の自然は根絶やしになるのを悟りました。秋の緑地
の写真は今年が最後かも。

秋葉原から24〜27キロ圏のさらに奥へは、行けば行くほど
緑が広がっている訳ではないのですよ。県内の旧新線沿線は、
立錐の余地もないのですか。島嶼の人口が増加するとも聞いて
いません。安らぐにも環境上も、高い優先順序で自然が大切な
のでは? 我々の社会は、どこまで風土美を破壊すれば足りる
のでしょう。


 ※


初期の随想には、冷戦、偶発戦争、核の冬についての想いも記
してあります。トキの祈りのもう一つの主題でした。その折に、
現実的希望を見出したのが経済です。自己の財貨と権益を自ら
破壊することは誰もしません。経済活動で相互に依存関係を深
めれば、相克も次第にほぐれるであろうと今でも思っています。
現場の親子には経済活動が、行使される武力より高処(たかみ)
に位置します。


  
晩鐘

 24km



























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