折々の文章


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クリスマスの季節 −155−
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今朝(二日)は雨のち晴れ間。

港区(都内)との接点が数度あります。最初は昭和三十年代後
半。二度目はお勤め時代に事務所が移ってから。

運動会? 体育祭? 当時は何と呼んだのだろう。忘れました。
学校の資料は社会に出たとき処分。

芝(港区)の運動場での、百m走はマアマア。二百m走はバタ
バタ。学校最寄駅前のタンメンとホットケーキは記憶に鮮明。
移転した事務所では六本木へも飲みに。その後、ず〜と現代に
近づいた中町時代は、鉄塔の麓まで商談に通ったこともありま
す。中町のお店用に描いたロゴを、企画グルミで売って欲しい
のお話も。

先週、芝での場面が蘇りました。夜、母も一緒に。運動部に所
属していた兄に習いながら父も始め、目に見えて上達。芝での
運動会の翌々年頃。

先日の日曜、お昼を食べに、週末の寝泊まり先から我が家へ戻
る途中、時間が早すぎましたので(←休日の我が家は年中春眠)
雨にもめげず寄り道しました。寄り道先は、鉄道の気配はあり
ませんが、新線の始発駅を起点にしますと四、五十キロ圏。週
末の寝泊まり先と我が家からはその約半分。一般的な経路を選
びますと、信号だけでうんざり。

寄り道先へは、車が流れ、信号の間隔も長い逆U字型に迂回。
寄り道先から我が家へは、もともと空(す)いている農道に、新
線新駅を想定したのでしょうか、ガラガラの車道がつながりま
した。

親父さんに会いに出かけたのです。寄り道した公園から我が家
へ向かう途中で。お仲間との会話、お風呂に入る背中、生ビー
ルを傾ける腕、お土産を予約する声、そして笑顔がくっきり。

母は家としてお墓を守っています。カミサンと娘のお墓参りに
も同行します。ところが私は、カミサンに注意されませんとお
盆もお彼岸も意識を素通り。仏壇もお墓も無感覚。なのにあの
場所に差し掛かりますと、施設は道路から直角に折れた奥、道
路には信号があるだけですが、長距離の帰り、惰性で運転して
いるときも、ふっと笑顔に会えるのです。

私は海外をよく知りません。知らないからでしょう、海外には
好きな都市がいくつもあります。何度でも是非出かけたい。と
ころが六本木は?銀座は?品川は? 舶来品を崇拝する気持ち
はないつもりです。

魅力を感じる国も多数あります。しかし、特定の時代の特定の
思潮まで惹かれる訳には行きません。国は好きでも営為は別。
協働関係も、共同者の足許に不安があれば、むしろ自己の規範
に基づいて進むほうが、相互の信頼に値すると思っています。
壇上の顔触れが変わり、軌道に変化が現われても、信頼される
「我が道」を歩いて欲しい。その折も、島嶼の市街は変われな
いのですね。

寄り道先の土地と私は、まったく無関係という訳ではありませ
ん。お墓やお寺同様、わずかですが、父の晩年と結びついてい
ます。当然ながら、神田には深い結びつきがあります。しかし、
父が好きだった運動種目も、父が通った運動施設も神田同様、
諸々の想いは消えてしまい夏の陽射しの舗装道路。父と会えな
かったら、ほかの島嶼の街へと同様、出かけたい気持ちもなく
なります。


  
寄り道

 45km圏





















 ※


住環境のコレカラを……、これから何世紀も続く基盤の改造を、
誰がいつ、どのようにして決めたのですか。

議会? 選挙? そうですか。皆さんは、数世紀後の感性も代
議できるのですね。よろしければ、その論拠なり観念なりを開
示して欲しい。史的検証の経緯と、議論の過程も教えて欲しい。

地方自治? 地方分権? 壇上で地方の政(まつりごと)に携わ
るヒトビトは、恐らく涙国では一人残らず言葉がお上手。しか
し私は、ご自身であれ応援であれ、選挙運動期間を除き、暮ら
しの足許を具(つぶさ)に見てまわり、住環境数世紀にわたるご
自身の世界像を(←職と住環境は暮らしの基本)提示している
人格を知らないのですよ。

数世紀とは荒唐無稽? そ〜かなあ〜。風土資本を一瞬で根絶
やしにして、これからの三百年五百年を、知らん顔していられ
る涙国の政治のほうが、破天荒な根なし草、でなければ前代未
聞の自惚れ(うぬぼれ)では。

この項は二日の夜、カタカタ叩いた稿が原(モト)です。折々の
文章は、折々書き込んだ日付と画像のファイル名から、読み返
すとき必要な掲載時期が判るようになっています。今は寡占媒
体が「島嶼のこれから」について真剣に報道しています。以下
はその感想。

決定や判断を説くその多くに、欠けている何かが感じられ痛み
を覚えるのですよ。采配者・壇上の指摘者・壇上の評論者・壇
上の感想者(いずれも職業として意見を述べる立場)は、なぜ
自ら現場に立とうとしないのでしょう。現場で過ごし、現場で
情況を見定めないのでしょう。危険は当たり前です。過去の大
戦下、島嶼のヒト一人一人は、のんびり暮らした訳ではないの
です。政も報道も前提は現場。現場で暮らす親子の気持ち。

風土美さえ、現場抜きで根絶やしにする社会が、二十一世紀の
今も在るのですね。


  
落ち葉















お正月は肉とネギを買って
信濃町駅から団地の友人宅へ。

外苑をクラスの子(娘さん)と
スキー・バスの予定を詰めながら友人宅へ向かう途中
学生に冷やかされたことも。

どちらも高校時代、つまり大よそ四十年前。
外苑は
もっと素朴で自由でした。


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