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折々の文章 |
──────────────────────────── クリスマスの季節 −163− ──────────────────────────── お正月のことを書きますとクリスマスが慌(あわ)てるかも。今 朝(十八日)は濡れた道路のところどころが凍っていました。 昔は(←いつ頃? 酒宴の写真と営業中の写真は確か昭和三十 三年)発展の途上だったからでしょう、お正月がとても待ち遠 しかったのですよ、私ではなく従業員が。 除夜の鐘を聞く頃、集金の最後の従業員が戻ってお酒の宴。痛 み予防の民間療法として、ケッコー若い頃から私も飲んだ翌朝、 寝ていた二階から下りてみますと、畳があちこち顔を出し、○ さん△さんの帰省を知りました。 写真の宴会場は、営業中は商いの店頭、夜間は将棋の会所兼寝 室兼格闘技場。私は二階の、西向きで、金属音のうるさい都電 に向かい、冷たい樹脂が敷かれ、繁忙期は商品が山積みにされ、 壁代わりの襖(ふすま)を、誰が開けても文句の言えない部屋で 寝起き。 勿論、従業員には有能なヒトも未能なヒトもいました。しかし 例外なく働いてもらいました。人権という言葉は聞いたことも ありません。賃金は父が勘で決めました。有能者には厚く未能 者には少なく、人手の足りない中小でもよりよいヒトをと、有 未を問わず、世間相場よりできるだけ底を上げ、手持ちのカー ドは一枚も無駄にしないで。因みに、労働時間の最長と労働密 度の最大は父と母でした。 写真同様、数字も嘘をつきます。 他の国に人権とか民主化とか言う前に、涙国は壇上も茶の間も 自国の労働事情を、国際社会には先ず放映できないでしょう過 重労働・無賃労働・苛虐労働・休日休暇もみ消し労働・夫婦家 族隔離労働を、本人と伴侶と子それぞれの立場に立って考えて 欲しいです。政壇や有閑の奥さまは考えるだけでは足りないで しょう、折々報道される(あるいは報道すると障りが生じる) 労働事情をご自分で体験され、涙国の人権感覚を学んで欲しい です。ヒト一人一人の暮らしにとって、つまりヒト一人一人が 生きる上で、最も大切な労働環境に鈍感な社会。 神田に越す前のお正月が好きでした。 ※ 今朝(二十四日)は無風。 五時前でしょう、闇から赤いナイロンが現われ、児童を抱えた 女性を認識しました。子は綿入れで膨らんだ背中を前に、女性 の半身を覆う形で抱かれていました。ゆっくりとした歩調。髪 と形(なり)は保母の印象。雰囲気は母と子。子は眠っていたの かも知れません。週末に寝泊まりする住宅密集地での出来事。 質素でした、お正月。澄んだ空気と、青い空と、クロマツの影 が尾を引く辻々に男の子と女の子。←昔の話。 菅野時代に住んだ家は今も平屋。竹垣越しの隣家は二階建ての アパートに変わっていました。外づけの、錆(さ)びた階段に蜘 蛛の巣。壊れた柵に雑草が茂り、足の踏み場に迷いました。 界隈の立派さとは裏腹に私道の奥の、一区画はアパートに替わ った時、一区画は四十六年前、時間が止まったのかも知れませ ん。透明感を欠いた木戸のペンキが、微(かす)かにヒトの気配 を告げていました。 菅野時代は、足立区の古民家(次頁)さながら、モノのない暮 らしをもっと片付け、お正月を迎えていたのですよ。 居間には、掘炬燵(ほりごたつ)、箪笥(たんす)一棹(さお)、箪 笥の上にラジオ、天井近くに柱時計、跨(また)ぐのに都合のよ い丸火鉢……のほかには、隅の衣桁(いこう)が丈夫でした。登 って遊んだ記憶があります。 お掃除はラクだったでしょうね。ハタキを掛け箒(ほうき)で掃 くだけ。箒の私は、手伝いより遊びの要素が大きかった。箒は 束を抱え、売りに来る行商から買っていました。真新しい箒の 匂い。 雑巾がけは手が痛かった。←冬の水は今でも冷たい。 先週の火曜、母は難に遭いました。私への連絡はその日の夜半。 すぐに影響先数ヶ所に電話、紛失として届け出、効力を停めて もらい、直接の痛手は少なかったですが、精神的打撃が尾を引 いています。八十歳九十歳になったとき、皆さんは今の社会で、 心豊かに暮らせます? 支払いを済ませ、袋に入れる間の出来事でした。半日ほど信じ られなかったそうです。復するため、交番、金融機関の支店、 百貨店の窓口、携帯電話の営業所、病院に出かけた後に役所を 訪れ、そこでも愕然(がくぜん)とさせられました、忙しさの、 役所と会社のあまりの違いに。 失業も過重労働も無賃労働も、感受できないのが当たり前かも。 庶民の暮らしは、政壇や公務を維持する方便でした。道州制の 偉効など画餅でしょう。何よりも欠けているのはムラのココロ。 菅野の我が家に、幽霊はいませんでした。伏魔殿に巣食う怪異 も見ませんでした。ところが、台所(西側)へ向かう居間の出 口で、手洗い(北側)に折れる廊下は、昼も暗かったですから 夜は真っ暗。その天井に、変化(へんげ)が住みついていたので す。夕食後も寝ているときも現われました。気配は勿論ですが、 張りついている姿も見ました。ただ、背筋は凍りついても、悪 さはしませんでした。静寂と感受性を廃(すた)れさせた社会で は、決して現われない存在でしょう。 武蔵丘陵森林公園の帰りは昼食も外になります。開園が私には 遅いのです。駐車料も入園料も負担です。真岡市の井頭公園は ずっと遠いのですが、帰宅後にお昼を食べられます。駐車料も 入園料も、払った記憶はありません。 自然公園は、涙国の現代社会が、風土資本を荒廃させたそのお 詫びと思っていますが、森林公園は、あの広さにあの来園数で も儲かるのですね。まさか、公が垂れ流して民へ!ではないで すよね。政壇の精神が今まで通りで、庶民の暮らしは本当によ くなるのですか。 各労働組合が声高に「会社だけ儲けて、従業員の暮らしがよく ならない」と叫んでいた時代を記憶しています。私が義務の組 合と関わった時も、両親の店から見れば夢のような待遇でした が、組合内に「人間らしくやりたいな」が飛び交い、メーデー の会場でも同じ標語を目にしました。前に触れました経営者の 同様の発言も、当時の社会についての、まことに率直な感想で しょう。 政壇と役所の従事者は、霧産皆級ではなかろうかと思っていま す。何も持たない皆級が商売に手を染めるのは、その原資と責 任の所在に疑義があります。対会社でも、霧産皆級は公正な競 争を維持できる立場にありませんから、霧産皆級による商売は オカシイと考えておけば、先ず無難であろうと思っています。 興業を助けるための環境整備と、自らが商売に手を染めること は違います。商売が興行でも同じです。 庶民からは搾(しぼ)れるだけ搾り、霧産皆級の、閑古労働や大 見得労働や大盤振舞労働や利権誘導労働に厚く配分するのが、 経済の回生に適(かな)うとは思えません。むしろ逆で、霧産皆 級は省力化を徹底、霧産皆級による不要不急の事業は五十年な り百年なり凍結し、庶民の負担を軽くするのが常務では。 負加の加層は、いくら優遇しましても、庶民には気の遠くなる 巨億が、全額費消されることは先ずないでしょう。一方、庶民 の財布は、常にギリギリですから、経済活性効果も、負加のい ずれに厚くするかは自ずと明らか。 庶民の痛みを軽減するのが政(まつりごと)、だけを強調したい のではありません。各労働組合が声高に……を追記したのは、 遣り切れない気持ちもあるからです。 身を粉(こ)にして働く庶民から見ましても、逸脱を感じる労働 が日常茶飯事になってしまった。ショウガナイですよ。モノ言 えば食べて行けなくなりますもの。今が歴史に誇れる社会? 遣り切れなさに輪をかける言説があるのです。優れた会社の、 頂点から発せられる、涙国の将来を憂える言葉や涙国活性化の 提案がそれ。 従業員を搾るだけ搾り、儲けるだけ儲けるのが会社ですか。私 は別様に考えていました。会社も従業員も、熾烈(しれつ)な競 争に挑むのは、やがて庶民一人一人も暮らしがよくなり、我が 子・我が孫の未来が開けるからだと。 経壇の有力な皆さんは、涙国の今の労働事情を薔薇色とお考え ですか。あるいは、涙国全体の労働事情を修繕するため、監視 機構を設立し、問題を開示、対策を協議、委員会に拮抗する勢 力として政壇へ提議するなど、庶民一人一人の暮らしのために 日々腐心し、日々努力しているのですか。錬磨が伏魔に貢納を 続けて、涙国の誰が潤(うるお)うのだろう。 今になって遣り切れなくなったのではありませんよ。前にこの サイトに「棄負加の分離? 親が失業した子の気持ちと、失業 した親の、我が子を想う気持ちはどんなでしょう。仕組みのた めの想念? 想念のための仕組み? 本末が転倒しているよう に思えてなりません。過剰な機会は必要ないでしょう、これか らの千年は。」と書いて随想を中断したことがあります。過剰 とは配分に関して。二千一年の六月でした。因みに失業につい ては随想を書き始めた当初からの関心事。棄負加やムラも過去 十冊の随想で使った言葉。当時は冷戦の恐怖を除いて、世の中 は薔薇色だったかも知れません。 考え一個がヘンと思いましても、それに驚くほど私は情緒的で はありません。二千一年六月に愕然としたのは、批判も異論も 埋もれてしまった世の中の変容に、です。人気操作が的中しま すと、一夜で単色化する社会が不安。 クリスマスですね〜。 森林公園から帰る途中の昼食は、家族向けのレストランでした。 食べ始めた通路を隔て、四人連れの家族が坐りました。幼稚園 児でしょう、お姉さんはメニューに顔を埋(うず)めてお料理選 び。お姉さんの向かいは私に背を向けたお母さん。お母さんの 斜め前はお父さん。お父さんの向かいが男の子。 卓上がやっと見える高さでした。卓の縁(ふち)に顔を寄せ、卓 のメニューを見てから、母親を見上げていたのですよ。母親の 顔をじっと見つめ、再び伸び上がり、卓のメニューを見てから、 黙って話しかけ、母親の返事を待っていました。母親は問いに 気づかなかったのでしょう、男の子はそれを理解しました。澄 んだ瞳が、耀いていたのです。 卓に落ち着いてから、父親は席を立ち、幼児用の椅子を持ち込 み、男の子の両脇に手を入れ、乳母車から引き上げて坐らせま した。その際、止め具がズボンに掛かり、乳母車もずり上げる 状態になりましたが、男の子はずっと自分を預けていました。 |