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クリスマスの季節 −172−
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四日のお昼も我が家の新年会でした。カミサンから「材料を買
い足すので少し遅れる」と連絡が入り、時間を潰すため本八幡
を経由、京成八幡駅近くの有料駐車場に車を預け「はちまんさ
ま」へ出かけました。ハチマンサマ……
前に寄ってから半世紀が経ちました。そこで初めて、ハチマン
サマが葛飾八幡宮であることを知り、駅名のヤワタやヤハタが
八幡宮に由来する(←憶測)ことに気づきました。
本殿の回廊を駆けたり、回廊から飛び降りて遊んだのですよ。
小二や小三の高さの限界。股に響いて立てなかった。
今の境内は、付属の施設や囲いが連なり社殿では遊べません。
亀が甲羅を干していた池も変わりました。一帯は道路がとても
狭く、住宅も密集していますので、無料で七十台(?)も停めら
れる駐車場があるなんて夢にも思いませんでした。遊ぶ子が減
って、御祭神が寂しがっているかも。
京成電車の踏切
葛飾八幡宮
八幡不知森
※
年によって増減しますが、初詣に、約三百万人も出かけるお社
(やしろ)があるのですね。半世紀前の菅野時代、暖房用に、炭
火の入った車で参詣した成田山も、初詣数は島嶼の上位。
神さまも仏さまも大変! 大晦日から元旦にかけての一日か二
日で、二百万人も三百万人もの願(がん)を聞くのですから、神
仏でなければやってられませんね。
でも浄財は別。お金に顔色はありませんから(……福沢諭吉は
茶、夏目漱石は青、なんて言わないこと)一つだけ考えれば足
りてしまいます。積まれたお金を前に「あれも修理、これも整
備、物要りな世の中になったものだ。今年は御祭神にもマーケ
ティングを考えていただかないと」
ご安心下さい。ギリギリの財布から出したお金は、百円貨一個
も、祈る気持ちを顔と一緒に、金持ちも庶民も等価、一対一で
深く刻み、参拝客を聞き入れてくれるのが神さまと仏さま。因
みに、聞くのは神仏、叶えるのは本人。
政壇は、神仏の御座所ではありませんので、百円貨一個一個に、
一人一人の顔を認めることは決してないです。
ムラでも中央でも資質一個が、功名心にはやり、僅か百年にも
満たない学習の、思いつきや聞きかじりを動員して、政を差配
してもらっては困ります。中央もムラも、政壇には、御祭神が
あってはならないのが国際社会の常識。
何よりも判りやすさと透明性! それで懸案の多くは解決でき
ます。涙国の、伏魔殿は知りませんが、ムラムラには至るとこ
ろで、判らなければ暗愚に変わる庶民の叡智が、無為に朽ちて
いるのですから。
前頁の杭(くい)の写真は、我が家から常磐道を横切り、北北西
に進路をとる際、新線新駅の脇を抜け、工事中の道路の東、住
宅が盛んに建つ背後に連なる林と耕地。
写真では緑地帯に見えますが、耕地の東側は殺風景な新線高架、
その奥は千葉県一般の市街に戻り、耕地西側の林に入りますと、
軒が触れるようにして建つ住宅街が透けて見えます。
片側は田圃(たんぼ)、片側は新線の関連用地、その境の神社で、
米粒を供える農婦に出合い、社の管理や新線について尋ね、い
ろいろ話してもらえたのですが、地名以外は、言葉がなまって
聞きとれなかったです。
※
この件は私が発つまでに清算して下さい。年に一度、貸し借り
を清算しないとお正月を迎えられません。取引先も気持ちが大
切です。旧正前に払ってあげて下さい。大晦日に戸を叩かれる
と、集金人が来たように思う社会です。
今年(二千四年)の春節(旧正月)は二十二日から一週間です。
十七日と十八日は平日扱い。十日も休む会社があります。私た
ちは二十日から一週間休みます。
大掃除と買い物とお節づくり。お正月に入ったら何もつくらな
いので、餃子などは山のようにつくっておきます。←広大な国
土の、地域によってつくる料理が変わります。
お正月は親戚や友人相手に、連日盛んに挨拶に来たり挨拶に出
たりします。とても楽しいですよ。よく食べます。年始客のお
料理も正月前につくっておきます。
お正月は子どもにお金を遣います。今でも貧しい土地では、年
収の多くを遣ってしまいます。お年玉は子どもだけではありま
せん。もらえる大人もいるのです。
お正月は年始客が公然とお役人の家を訪れます。それが大人の
お年玉。お菓子か何かの箱に入っています。
家を建てたときも贈り物を受け取れますから、贈り物だけを目
あてに、住む予定のない家を新築したお役人もいました。最近
は取り締まりが厳しくなって○○省では何人も摘発されました。
お年玉を百万元(1元=約12.9円)集めたお役人もいたのです。
※
今朝(九日)も月が眩(まぶ)しかった。
初詣に出かけ手を合わせる折、皆さんは何が浮かんできます?
私は近年、父の仏壇で手を合わせた記憶がありません。週末に
寝泊まりする「寝室」は父の仏壇と一緒ですから、バチアタリ
も甚(はなは)だしい。
お墓参りも墓石を洗うだけです。洗ってから一歩下がり、家族
が祈る姿を見ています。←笑顔で。
お葬式のときは、一般的な序列を知らなかったのではありませ
ん。知らない関係者もいたのですが、敢(あ)えて言わず、通夜
も告別式も家族と一緒。←父は笑っていたでしょう。
私が、父に疎(うと)まれていたと思う参列者もいたかも知れま
せん。都心にもお寺の多い宗派の、通例の葬儀で坐った席は空
いていた場所、一般には親戚が坐る椅子でした。
私は誰に対するよりも多く父に話し、父は誰の話よりも多く私
の話を聞いてくれました。←多くに多くは自然の成り行き。因
みに数ヶ月に数度、顔を見せた甥の話も(例えばご本人が相続
した土地の納税について・戦前か戦中に上納させられた父の実
家の土地の権利について・ゴルフ場の予約についても)私に対
すると同じように聞いていました。
皆さんは妻にも子にも、言えないことってありません? 暮ら
しを覆(くつがえ)されてしまうほどの困りごと。例えば商売の
行く末や転職についての相談。自宅売却の是非についても。
今も父に話し続けていますので、仏壇やお墓で話すことはいつ
も種切れ。勿論、仏さまは何もかもお見通しですから、お寺に
出かけた折も手を合わせる中身は白紙。
神さまですか? 八百万(やおよろず)の神々は多すぎます。そ
れぞれ何を願ってよいか判りません。存在を支配する神さまへ
の繰り言は、過去の随想で片づけてしまいました。ほかに神さ
まに話すことがあるだろうか。
社寺は美術鑑賞に通じます。特に家族との参拝が(あるいは家
族と参拝した思い出が)大切な契機になります。
群集に押される初詣は混む美術館同様、鑑賞するのは難しいと
思います。二百万三百万人にも達する雑踏の中で、個々の願い
に引き寄せられる神さま仏さまは、衆生(しゅじょう)の熱気に
ボロボロかも。
前項のお年玉の土地でも、海外のお客さまから案内を頼まれる
ほど立派なお寺が各地に残り、膝から血を流してお参りする敬
虔(けいけん)な信者も見かけるそうですが、初詣は地域の習慣
になく、大晦日の夜、家族が揃ってお正月を迎えるのが何より
の歓びで、元旦の前二日をお休みにしたのは祝賀への配慮。さ
らに遠方に帰省する従業員には、有給休暇を上乗せ、十日間の
休みを与えていました。←飛行場がなく、乗り継ぎ乗り継ぎし
ながら、片道二泊三日で帰省する従業員も。
上の地域で、お正月の休暇中に従業員に出勤してもらうには、
法定の割増し賃金は勿論ですが、先ず頭を下げてお願いしなけ
ればなりません。五月や十月の連休も事情は同じ。
正月もお盆も休むのがやっとの職場。職場に寝泊まりしながら
働き続ける仕事。長時間労働も無賃残業も当たり前の豊かさ。
従業員が望んでそうなら解るのですが。
知っています。私たちは平日でも、一歩職場を離れたら自分の
生活を楽しみます。その時間を会社が侵そうとは思いもしませ
ん。各地の工場(←多くは三百人〜六百人規模、次いで数千人
規模、時に一万人規模)の社長も、今は涙国を訪れる機会が増
え、涙国一般の事情が判ってきました。誰もが言います、いく
ら貰っても、決して涙国で暮らそうとは思わない、こんな残酷
なことはない……
涙国の栄光は、誰のためなんでしょうね。政官の貴顕は、国際
社会に出て恥ずかしくありません? 配分の不具合が深刻なの
でしょうか。搾れるだけ搾り、内外で垂れ流したツケか、外資
へ献じた報いもあるのかも知れません。暮らしと、創意と意欲
と生産性の関係についても考えないと。
※
私は迷っています。事務所を訪問しますと、世界的に有力なA
社は明るいですが、B社ほどの会社でも、針が落ちたら音が聞
こえるほど静かです。中堅のC社や大企業傘下のD社も活気が
ありません。事務所に入りますと、私まで暗くなります。
会社では、思った通りを言えないのでしょう。私はあと○年で
四十歳、上の子も○歳ですから、今年か来年には、どちらの国
に住むか決めなければなりません。
大陸E市の、合同説明会では広い場内に熱気があふれていまし
た。英語で受け答えしていました。失業しないように、学生も
真剣に勉強しています。よいか悪いか分かりませんが、親は、
小さい頃から子を習いごとに連れて行きます。涙国では、学生
も生徒も勉強しません。
沿海地域は変わりました。五年前、F市の自然雪のスキー場で
は、誰もが普段着で滑っていました。今は、E市の人工雪のス
キー場では、七、八割がスキー服で滑っています。板をかつい
で登る必要もありません。戻るか留まるか迷っています。
※
今日は十一日です。
長唄を習う子弟の商家は豊かでした。母のお師匠さん(←佐吉
さんの一番弟子・家元に代わって本職を育成・素人はお弟子に
とらない)には、例外的に、有力なS商店のお子や政壇の高位
のお子も通っていました。大正時代も昭和初頭も、長唄は、庶
民の誰もが親しむ伝統文化、ではありませんでした。
父は囲碁も将棋も強かったです。が、父が専門学校で身につけ
たのは百日算でした。番付表では北寮順位甲第壱號つまり横綱。
碁盤を囲む恩師と父・父の名は保次
繊維問屋に住み込んでいた(?)私が夕食後、一階(←昼は店頭、
夜は従業員の寝室兼遊技場)に下りますと、手作りの紙の将棋
が盛んでした。中卒後、地元の就職斡旋者に連れられ上京した
彼らが、最も身近な「伝統文化」つまり将棋や囲碁や寝床での
相撲を、身につけたの学校ではなかったと思いますよ。
最初の随想で、最後のトキが神さまに祈った趣旨は「この土地
では住めなくなりました、だから逝かせて欲しい……」
練達を要する技芸や競技勝負、また日常性から遊離した継承文
化や「伝統文化」は、教育の優先課題にふさわしいとは思えま
せん。足許の環境や条件が「住めなくなって」しまえば、むし
ろ教育の優先課題の重荷になります。中学時代、剣道の県大会
に進んだ娘も、「課外」の見様見真似で足りていました。←参
加選手が少なすぎて。
ざっくばらんに言いますと、生産労働や販売労働や流通労働に
おんぶに抱っこして、中小や零細からみれば多分な、あるいは
過分な給金を手にする官職高位の、国際社会向け見栄や気取り
で教育を考えてもらっては涙国の子が哀れということ。ブンカ
って何です? キチンと定義づけているのだろうか。
一年次は英会話のできない先生でしたが、母の二年〜五年の英
語の先生で、四年と五年の担任は(←和装の向かって右端・母
の記憶が遠くなっていますので、前に記述した内容と違うこと
があります・以下同様)女学校の卒業年次、学級全員の成績を
珠算のできた母に計算させました。
外交官の奥様。敗戦後、英語の会設立にご苦労されたそうです。
混乱期の事情で(←設備と教育者の不足から、学校の再建が困
難な折、勤めていた教壇から離れ、他の会設立に走ったことへ
の風あたり)周囲は必ずしも温かかった訳ではなさそうです。
1937年(昭和十二年)の折でしょう、ヘレン・ケラー女史
が母の女学校にも訪れた際、片時も離れず手を握っていたサリ
バン先生とのお二人を、母より小柄だった先生が案内されてい
ます。母も終始先生を手助け。
父の父は二十歳になったとき単身上京、半年間、昌平橋(神田
川)の英語塾で英語(今の英会話?)を学んだそうです。逆算
しますと1894年(明治二十七年)になります。
67年間も、涙国の官僚は何をしていたのでしょう。110年
間も、教育学者や政治家は何を考えていたのです? 国際貢献
は、辺境や僻地にも単身赴任する涙国の会社員が充分すぎるほ
ど果たしています。興業に資する経済活動の自助普及効果は、
お隣りの国で実証済みです。
官僚や法曹は資格と序列がお好きですね。高位は格別に優遇さ
れエリート意識は天にも達する。それで国が栄えるのですか。
涙国は、痩せ細った樹木に寄生して肥える宿り木の天下。
経済も技術も法治も、衆の意欲と、衆の明るさと、衆の希望が
頂点を高め、国際社会に範として貢献するのですよ。涙国庶民
の、現場で働く野性や、現場で働く創意や、現場で働く歓びを
吸い取ったのは誰なんでしょうね。ナントカ校やカントカ校は
どうでもよろしい。庶民の誰もが二ヶ国語の社会になれば……、
そうか! 庶民全員が涙国から国際社会に移ってしまい、宿り
木は搾る相手に困ってしまう、デスネ。
ボウリング投球の図
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