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クリスマスの季節 −182−
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旧学習院初等科正堂
房総風土記の丘(千葉県印旛郡栄町)
2003年までの写真を集めました
当時、ある検査結果の
異常の原因が判りませんでした
大きな寺社や
大きな病院に出向いた両親の家族の中で
私一人が近所主義でした ←住んでいる郊外の近所
神田明神は私が職場の昼休みに立ち寄る程度
浅草寺も
私は家族連れで出かける機会はなかったです
病気の対応も両親とは違っていました
先ずは近所の開業医
次いで近所の病院
私の通院も
大病院での初診は半世紀あまりでわずか数回
母は疎開先のお医者さまから
赤ん坊は育たないと告げられました
私は小学校の台秤(だいばかり)を怖れました
中学から始まったのが結石です
中学時代も高校時代も
試験前は律儀に現われ
高三では出席日数も不足しましたが
担任は数学の先生でしたから
計算を工夫していただけたと記憶しています
矢切時代は真夜中に発作が現われ
カミサンが慌(あわ)てました
気持ち悪さが延々と続きます
鈍い痛みやしこりも
激しい痛みは背と腹の脇
右脇が長かったですが
左脇が痛んだ時期もあります
血尿のどす黒さが薄れたのは三十歳代
激しい痛みは
心頭滅却して海月(くらげ)に変身
痛い痛いと泣き笑い
治療はビールをガブ飲み
中高時代のお医者さまは
水分を、とは言いましたが
お酒を、とは言いませんでした
因みにビール飲酒最低年齢の社会的根拠が
私には今ひとつ解りません
なぜ学校を出て働き始めた若者が
未成年を理由にビールも飲めず
成人式を過ぎても遊び呆ける部屋住みの学生が
どんなお酒も飲んでよいのか?
強烈だったのは
中学時代に現われた最初の発作
政壇も報道も
痛みを分かつ」とは言わないで欲しいです
他者の痛みは
治療することはできますが
分かつことはできません
当時、ある検査結果の
異常の原因が判りませんでした
最初は近所のお医者さま
次いで市民病院
それでも判らず
建て替え前の聖路加で検査した折
古い廊下で迷ってしまい
踏み込んだ暗い広間で
静穏と
祈る姿を知りました
無人の正堂には
礼拝堂の静けさが感じられます
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