折々の文章


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クリスマスの季節 −186−
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雨上がりの今朝は春の陽気。節分です。カミサンは鬼はソト!
を、子育てが始まってからず〜っと続けています。節分の翌朝
は走りに出るとき、玄関のウチソトで豆を拾います。今年は中
山のお寺の豆も参加。

豆を穴蔵にまいては、発芽したモヤシから一握りの英才を選び
出し、教え、学ばせ、鍛え、習わせ、穴蔵からセカイの某を誇
るのが開国以来、ず〜っと続けきた涙国の現実では?

豆をまくのは田園がよいです。肥沃な土壌と、適度な雨と、紫
外線の強すぎない太陽に恵まれれば豆々は逞(たくま)しく育ち
ます。野の恵みと、野の厳しさが織り成す山系は、暮らしの点
で、穴蔵で背(せい)くらべを競うモヤシとは豊かさが違ってき
ます。

外国語本位の英才学校と二ヶ国語社会は別です。向きが反対。
穴蔵で、モヤシに威張ってみせるウドの栄華は場違い。

国際社会ってどんな社会? そんなもの、この地表にあるので
すか。涙国のムラムラは国内社会?

ヒトの社会にはヒトの暮らしがあるだけです。社会の個性は風
土と、風土が彩色した暮らしの文化。社会を二ヶ国語化するの
は、コクサイジンが跋扈(ばっこ)する涙国の喧騒輸出が狙いで
はありません。風土固有の美と、風土が培(つちか)う家庭文化
を表わすためです。

多様性の恵みを享受するには、より大きな自由を得るには、語
学教育に待つのでなく、生得の表現力が是非欲しい。


 ※





花瓶の花は先月(一月下旬)、誕生日のお祝いに買ったガーベ
ラです。出先からの帰り道には、いつもの花屋さんがなかった
ので、量販店に駐車、食品の階の、外食チェーン店隣りの花売
り場で、選ぶのに弱ってしまい、当初の期待は棚上げにしてガ
ーベラをお願いしました。ところが、女店員が数えて抜いた花
茎の一本が、二段に曲がっていたのです。

いつもの花屋さんはいつも無人。奥に声をかけますと、酒屋さ
んを連想させるご主人が現われ、私の顔を見て何かを悟り、私
が好みを告げますとガバッと抜いて選んでくれます。ダメと判
断した花茎はサッと脇へ。時節によっては「今はこの花、いい
のがないね〜」と教えてくれます。指定種を束ねたところで、
ご主人はカスミソウを、選別するため余分に抜いて「これもい
かが?」

包装紙とリボンの好みを尋ねられ、私が再び迷うのを確かめて
から初めて用途を聞かれます。作業台の散らかり具合も、量販
店内の花屋さんとは違います。

ご主人の花束づくりを見ていますと、告げておいた値段を越え
るのは仕方ないか、それだけ心が籠もっているのだと太っ腹に
なれますが、支払う差額は消費税だけ。飲み屋にも納めていま
すので、取れる所から取るのかも?

昨年三月の花束は百貨店で買いました。花瓶は恐らく、昭和三
十年代に両親が貰った仕入先創業祭の引き出物。今回の花瓶は
何年か昔、銀婚の花を活ける花瓶がなく、お昼休みに百貨店で
買った民芸品。

今回は花瓶が気持ちを支えてくれました。二段に曲がった花は
すぐに垂れてしまい、茎を除き小さな器に。←今日(十日)も
元気。

花瓶にも花束にも足跡が刻まれます。歴史の実相は、彼我一人
一人の暮らしの描写に、より濃く現われると思います。


 ※


今朝(十三日)は無風。暖かくも寒くもなかった。もう少し気
温が上がりますと、一枚減らす必要があります。夜明けの青さ
は気配も未着。アレ? 街灯がこんな所に!と思ったのは錯覚
でした。光源は、半欠けのお月さま。









父の遺品(←重いです)が入るまで、私の写真機は専ら○チョ
ンでした。最近は再び、折々徐々にですが、○チョンへ傾斜し
つつあります。子が生まれた頃、少しマシな普及機を買いまし
たが、暫くして露出計が動かなくなってしまい、修理するより
身軽がよいと○チョン一途へ。

昔の蓄音機や昔の柱時計は、飾る場所があったら飾りたいです。
使いたくはありません。なのに、デジカメへの関心は冷(さ)め
たまま。

サイトに載せるため、撮り始めた当初(二千一年)は薔薇の花
に惹かれました。薔薇ではなく薔薇の花です。しかしサイトに
載せた薔薇の花はほんのわずか。薔薇の花は、すぐに撮るのを
やめてしまいました。

薔薇が好きです。花束の薔薇も、宿の薔薇も、の薔薇も。

港の枯れ草は薔薇ではない!ですって。そ〜かな〜。宿の痩せ
た株は薔薇です。宮殿の敷地を歩いたときから、薔薇にホワ〜
ンとなってしまい、宮殿を出た所で、よく観察して撮りました
から。

宿と、宮殿を出た所の写真は、私の○チョンはフィルムが切れ
たので、巻き取りがおかしくなっていた娘の○チョンで撮りま
した。出た所の写真は、一部が二重撮りだと思います。旅の二
重撮りは、他にフィルム一巻マルマル。娘の○チョンは生徒の
頃に、何かの必要で贈った玩具同然の写真機で、電源は懐中電
灯で使う太い電池。

建物を撮るときも、薔薇と、薔薇の花の違いに気づいています。
会社にも、政(まつりごと)にもその違いがあります。


 ※


昼休みに日比谷公園を歩いてみました。

新卒時に配属された部課は所謂(いわゆる)キカクで、守備範囲
の一つ需要予測は専任同然でしたから、その後に任せられた実
査以前は、何が何でも既存の資料集め。国立国会図書館に次い
で大手町の、経済だか経営だかの団体の図書館は、綺麗で静か
でつい居眠りが……出たのは決して私ではなく、ガラガラの席
一つ二つを占めていた社会一般の先輩諸兄。

随想を書き始めた頃は、休日は我が家最寄りの市立図書館へ、
昼休みは都立日比谷図書館へ通いました。インターネットが普
及した今は、図書館へ出かける用が減って、日比谷公園を横切
る機会も遠退きました。先ほどの昼休みは、労働組合の行事で
しょう、日比谷公会堂へヒトの列。

労働組合運動では、日曜の有楽町駅頭でビラをまいたこともあ
るのですよ。少なくとも会社は逐一把握していた筈。なのにそ
の後も、仕事は市場調査と計画立案でしたから、一層、当時の
経営者に畏敬の念。

日比谷公園にはじめて立ち寄ったのは高校時代、Y君のお父さ
まが虎ノ門の会場で、定期的に開いていたリサイタルをお手伝
いした折。お父さまは旧財閥の一族で、S社から発売されてい
る抒情歌の名曲集CD八枚組に、三曲ほど演奏が入っています。

新卒時代は配属直後に、風呂敷包みを抱えた上司に連れられ、
純粋に御供をしただけの古風な建物も日比谷公園から遠からず。

日比谷公園は、界隈の事務所からは会社の霊鬼が忍び寄り、近
くの庁舎からは役所の幽鬼が漂ってきて、今の十倍は広さがな
いと、私は寛(くつろ)げそうにありません。

随想を著わしていた折、日比谷図書館で調べても解らない疑問
がありました。


 ※


今朝(十六日)は奴凧(やっこだこ)の心境でした。春一番に続
いたのは冬○十番。

花が主役は情報の赤貧状態、パラは暮らしの脇に位置する必要
があります。花に含まれる情報はバラのほんの一部、家庭の豊
かさはバラと暮らす過程にあります。

花に溺れますと、風土の多様性が損なわれてしまいます。今の
時代、原形を根絶やしにして、商品作物の生産に集中するのは
避けられません。

大量の情報が失われ、豊かさの芽が摘まれてしまう点は、移築
して展示する建物も同じです。移築展示は、芝居の出し物や博
物館の陳列模型と変わりません。潜在顕在の情報と想念が予定
する多彩さが、とても廃墟に(元の場所で朽ちる建物に)及び
ませんから。

疑問が解けたのは、花に誘われた一般が、一瞬でなびいてしま
った現実を目(ま)の当たりにしたからです。文民の棟梁自らが
約束事を歪(ゆが)めてしまい、合議の最高権威を形骸化できて
しまうのですから、突出した破壊力を実際に操る立場が同じ手
法を用いますと、過去の再現も唐突とは言えなくなります。情
報赤貧の悲哀です。

どのように書き換えましても、情報収集の主体性と、情報の高
品位と、情報を解析する頭脳を欠いては約束事も反故(ほご)、
書き換える手間とお金がもったいないです。破ろうと曲げよう
と痛痒(つうよう)を感じない約束事より、床の間の飾りのほう
が実用的。

政壇にも競争が要るのですよ。主体的に集め、英知が解析した
情報に基き、ムラ長(おさ)が意見を出し合い判断の的確性を競
う仕組み。工学の情報技術だけではまったく不足、人文の情報
技術が粗末にすぎます。


 ※








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