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クリスマスの季節 −205−
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三月です。二日です。
大平町の戸長屋敷を訪れた際は、歴史民俗資料館も郷土資料館
も来館者は我々だけ。中に声をかけ、入館料を支払ったときを
除いて、退出するときの窓口も無人でした。
同じ茅(かや)葺きでも、絡繰り人形を工夫するなど、文化財に
向き合う姿勢は事業者によって様々です。
彦部家住宅は、五十号から入ってすぐでした。帰り際、見学者
専用の駐車場に気づきましたが、到着時は、門に続く道路の端
に車両を見出し、数台の広さを駐車場と錯覚、そこに車を停め
ました。
長屋門が開いて二つの影。お一人は礼服の婦人。かなりのお歳。
続いてやはりお歳の綿入れ姿。お二人が現われてすぐに、先に
停まっていた車から礼服の婦人が外に立ち、先ずはこちらに笑
顔で「おはようございます、どうぞ中へお入りください」
近づいてきたお歳の婦人も「おはようございます、門は開いて
います、どうぞお入りください」
車が去ってから、受付に戻ったお一人に、二人分の入館料を渡
して名前を記帳。お掃除を終えたのでしょう、中年の婦人二人
も受付に来て「来館料をお願いします」
暫くは微笑(ほほえ)ましいやりとり。三人で、受付の流れを改
めて申し合わせ。一段落して中年婦人の一人が「お待たせしま
した、ご案内します」
私だけ勝手に見てもよいですかと許しを得てから、連れを案内
者に委ねるのが母の楽しみをふやすコツ。案内者不在の折は、
境内を掃除する婦人や土産物店の婦人など。会話は想像できま
す。我々を夫婦と思い、歳を聞いてびっくり。足がお丈夫です
ね。とても速く歩けますね。
深谷市内の公民館では、定年後に郷里に戻った説明者(男性)
と歓談、見学と説明はほどほどにして会話を楽しみ、待合室に
戻った私に促され退出する折、二人は互いに「いつまでもお健
(すこ)やかに!」
パリのカフェのさまざまな形が島嶼にもあります。島嶼のお茶
のさまざまな形がパリにもあります。
文化って何です? 伝統って、国際貢献って何です? 風土を
根絶やしにする涙国戦後の伝統に照らしてみますと自然公園や
茅葺きも、味噌汁と米飯の伝統に照らしてみますとハンバーガ
ー店や焼肉店も、キモノの伝統に照らしてみますと今の涙国人
のほぼ全員が・・・ケンポーイハン! ←未来の、それもモシ
カの話。
竹林から茶飲みの席に戻り、梅干しと羊羹(ようかん)をいただ
きながら気になったことを尋ねました。今のご商売についてで
す。ご家族がお勤めですと、多くは見学者と利用者に負ってい
るのでしょう。春には大きな茶会も。オリジナル羊羹の製造は
地元の茶菓子の老舗。お茶に詳しい婦人は先生と呼ばれていま
した。
※
皇居東御苑 81歳
森林公園 拡大
古民家の前 83歳
何十年も前に買った洋服が母の着衣。三点の写真もそう。自分
で洗います。毛糸も敷布も。クリーニング店を利用した母の記
憶がありません。アイロンとミシンは工業用。
歩け歩けの時は、やはり数十年前に欧州の専門店で買った二足
を代わる代わる履いています。革が柔らかく、底も丈夫。
買うこともあります。靴下は穴が開きます。時計は私が秋葉原
で買った数千円。デザインは本人が選びました。黒い小物入れ
は須田町で九百八十円。手提げで歩く不自由を見かねて、私の
を譲りました。
東御苑と古民家の写真には同じペンダントが写ってます。森林
公園の帽子同様、孫娘と出かけたスペイン旅行のお土産です。
帽子はマフラーと対。孫娘の見立て。ペンダントは同じ旅行で、
パリでお願いした案内人のすすめ。三点ともずっと身につけて
います。
今冬、長く使っていた手袋をなくしました。
※
週に一度、我が家へ移動する際、母は事務所から戻った私に気
づかないことがあります。我が家から母の元へ出かける際は、
玄関で待ち侘(わ)びる姿が外から見えることも。
商家一筋の母には、会社員一般には想像できない暮らしがあり
ました。
食卓の後ろ姿に、父の入院時から胸を衝(つ)かれています。そ
れは誰も同じでしょう。五十七年も連れ添った伴侶に死別すれ
ば、交遊では癒やせない深い孤独に。
母は休日も働きました。働きには、料理も洗濯も子育ても含ま
れます。子育てには、進学も、母子の栄養失調も、治療に長年
を要した小学生の結核性疾患も、中学からはじまったもう一人
の結石も含まれます。
商売には親族の開業も(←資金を全額援助した両親は資金繰り
に窮しています)、親族など七人から起こされた屋号継承の裁
判も(←両親の全面勝訴でしたが心に傷手も)含まれます。
デザインも型紙も、並みではなかったと思います。縫製工場の
技術指導は、紡績大手やミシン会社や総合商社に招かれ、現場
へ指導にも出かけています。
桐生での茶飲み話で、専業主婦と思われたまま席を立った母の
脇から、以前は(←今冬は老いが進んでいます)本人から話し
た言葉「私は働いていたのですよ」を代弁しましたところ、笑
顔で応じた婦人が少し経って「えっ! そんな歳まで! お仕
事は何だったのです?」
父の母に対する想いが解ったとは既に書きました。今は母の想
いも。
両親が働いていますと、自分への気持ちはともかく、両親相互
の気持ちは簡単には解りません。社会に出てからの私は、兄よ
り先に結婚してアパートへ移り、上の子が中学へ入ってからは、
正月の短時間の挨拶を除き、我が子を商家から遠ざけましたの
で、私の家族と両親は久しく疎遠でした。
親子の会話を欠いても、足りる場合があるのですね。しかし夫
婦の想いを知るには、身近な環境と身近な情況が必要です。
父の死後に発病した母が、何ヶ月も療養した場所は我が家です。
突然の同居は、我が家にも大きな変化をもたらしました。例え
ば、私のパソコンが居間の床置きになったなど。
私の実家はあなたの家です。母はそう繰り返します。廃墟に巣
食う深い孤独は、今も少しも晴れません。両親の家には、愛着
を抱く親族もいますから、廃墟を潰そうとする不具合を、母に
解ってもらうのに苦労します。
日曜の我が家の昼食会が母の何よりの歓びです。土曜の朝は決
まって昼食会に出かける準備をします。翌日と知ってがっかり
しますが、がっかりした表情は隠しています。
父は誠実でした。母もそうです。父親にも、夫にも、子にも、
仕事にも、家事にも、長唄にも、公園にも、古民家にも、関東
平野の田畑にも、自分が出合うすべてに対して。
昔の随想では、文化を個の営み・文明をその枠組と定義しまし
た。伝統文化も個の営みとしますと、公の主導には最初から疑
問があります。母は、父と暮らした家も潰そうとします。近年、
潰された都内の家の報道は記憶に新しいです。親しんだ家も情
況如何で、あってはならない存在になります。質素と豪華の別
ではありません。稀少と平凡の別でもないです。
埼玉県さいたま市
千葉県佐倉市
茨城県真壁郡
東京都台東区
佐倉市の旧堀田邸を訪れた直後も、母は住まいの想いを口にし
ました。予備知識なしで出かけた旧堀田邸は、標識に従い、病
院の駐車場に車を停め、有料老人ホームの敷地を進み、病院棟
の脇から入りましたので
車椅子の高年者、老人ホームの見学案内、病院の入口へ乗りつ
けるワゴン車、客待ちの列を作るタクシーのほかに、帰り際、
邸の周囲や庭園で何組かの喪服姿とすれ違い、母は私には判ら
ない何かを学びました。
旧堀田邸とさくら庭園は、その環境と情況が「今」との出合い
になっています。病院と老人ホームの、利用者と家族にとって
も同じでしょう。
旧岩崎邸庭園で見かけた保育園児は、歓迎されて招かれるので
はなさそうです。説明者の一人に尋ねましたところ、表情には
疑問符も。無料の年齢なので、入ってくるとか。
貴重な古民家も、生きた情報を欠けば木乃伊(ミイラ)か陳列標
本。生きた情報の中でも、最高の歓びは幼児の自由。その低き
に位置するのが涙国市街の、風土を根絶やしにする社会通念。
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