────────────────────────────
クリスマスの季節 −19−
────────────────────────────
大凧会館(埼玉県庄和町西宝珠花)
※
最近、出先でお喋りする機会が増えています。昔は大の人見知
りでしたが、歳なんですね〜。
群馬県の桐生明治館を訪れた際は、館内二階の一室を、成人式
や七五三の記念撮影に使用できると聞かされ羨ましかったです。
二階は地元小学校の同窓会に使われていました。大正生まれの
皆さんの絵や書を展示。歓談もできるようにと、部屋の一つは
椅子と机と花瓶にお花。
私が訪れたときは、市のお仕事を定年退職された方が案内役で
した。勘違いして、専用駐車場の隣りに駐車したことを詫びま
したところ、係の人曰く「年に一度は挨拶して先様の了解を得
ていますので、休日はご心配なく」 菓子折り程度は持参する
口振りでしたが、場所を借りるのに特別な費用は発生していな
い様子。
絹撚(けんねん)記念館では市役所の女性職員が休日出勤。内部
は事務所。記念館は飾り物ではなかった。
有鄰館(ゆうりんかん)内の展示場の一つで、朝採りの筍を二個
戴きました。柔らかく食べ頃の大きさ。早出は三文の徳。別の
展示場では、私より一まわり若く、映画のお仕事をしていた人
と長話。昔のスチールの保存に難があり、古い写真の滅失を心
配されていました。
狭い路地で迷ってしまい、倉庫前で年輩の奥さまに尋ねました
ところ、私の車が塞いでいる場所が有鄰館の駐車場入り口。可
笑しさをこらえていました。
※
写真だけ先に行ってしまい、文章が追いつきません。今の気持
ちは「捨てないで〜!」 父の世界を描く場合は、自由度が高
いです。父親一般については、どうなんでしょう。
※
中学生になった頃、父から商品見本のジャンパーを譲られたこ
とがあります。その胸の刺繍が厭でたまらず、丹念にほどいて
しまい、針跡に布切れを縫いつけて着たものです。刺繍の意味
は、当時一部の若者が憧れていた海外ブランド。今でも、製販
の業者が顔を出す雑貨や衣料は、もらいモノは我慢しますが、
出来るだけ勘弁して欲しいです。
泡期の遥か以前、某量販店が、単品を途上国から大量に仕入れ
破格の安値で販売、在庫が通路まで食み出し、その活況が寡占
媒体でも報道されたことがあります。しかし、残されたのは不
良在庫の山と、その素材の需要の破壊と、途上国産地の荒廃で
した。産地も下請けも久しく生活する権利があります。大規模
業者の栄華のために、目先の蓄財のために、関係する内外の業
者とその家族の生活を破壊する行為は、法律上は妥当でも、父
親としても母親としても認められない、なんて書いたこともあ
ったです。
「歴史」を引き継がない生活は、その場では建設的、創造的、
革新的に見えますが、「俺が」主義の美意識に囚われてしまい、
消耗・破壊・混沌と背中合わせ。ここでの「歴史」とは、体制
や民族や、国家や民俗のそれではなく、祖父が大切にしていた
一本の樹、祖母が愛した一組のお皿、父が使っていた古い写真
機、母が描いた一枚の絵。
通った学部は商学部でした。なのになぜ、商学の講座も商人学
の講義もなかったのでしょう。世界の商人の生活や、世界の商
慣習の歴史は必修に値しない? 況して商家の家族の生活史な
んて眼中にない? 歴史って、庶民一人一人の顔の見えない言
葉の羅列、だったのですね、今までは。
以上が今朝(五月八日)目覚めたときに頭にこびりついていた
文章です。
※
昭和二十年代末、編物教室を引き継ぐように頼まれた際、商売
に専念する必要から母はお断わりしたのですか、先生は菅野の
家も訪れ、父にも頼み込んだそうです。その先生から母にお便
りが届き、先日の連休、ある作家の個展に出かけました。
開催は四年毎、場所は老舗の百貨店、今までの百貨店とは違い
ましたが、色刷りの展示目録も備わった第一級の個展。時代の
反映でしょう、今回は小品の労作が並んでいました。
昨日、偶然、帰りの電車で娘に遭ったというお電話が、画材業
者からありましたので、絵の売れ行きについて訊ねますと、素
人の作品は動いていますが、有名作家を除きますと、本職は中
堅も新進も振るわず「本業が画商でなくてよかった」とのこと。
本職が筆を折る時代です。今までは、本職と素人の違いを「稼
ぎ」に置いていましたが、見方を変え、見ず知らずの来展者も
お客さまと思っている作家を本職、見ず知らずの来展者に怪訝
な顔を向ける作家を素人、芸術祭でも特別展でも、専門の問答
に終始している作家を素人、絵が好きなだけの来場者もお客さ
まと思っている作家を本職。
本職が競い合っている展覧会でも、考えさせられることがあり
ます。我が家では八十号や百号は飾れませんから、買うなんて
端(はな)から無理、大きな号数を観るのは百パーセント冷やか
しです。ところが
疲れてしまうのですね、新作の大規模な展覧会に出かけますと。
画家は作品を売るのが商売です。一方、私には五十号だって買
えません。反永久的に買えない来展者を、お客さまなんて思え
ます? 片手間でしたが、以前、私もお店でモノを売ったこと
があります。いつになっても、決して買わない来店者は邪魔で
した。
作品を売って暮らす画家や画商の、八十号や百号の新作展では
私は邪魔! 一瞬、がっくりしました。次いで、いじけてしま
いました。百号を観たいときは、上野の博物館や竹橋の美術館
に行きましょう。ニューヨークやパリだってありますもの。庶
民の、購買力や住宅事情とは縁のない新作が、覇を競っている
絵画市場には近寄れません。
余計なお世話ですが、八十号や百号もの作品が売れなかったら
どうするのでしょう。制作費も嵩みます。単に大きい号数とい
う意味の大作で審査する公募展はヘンです。絵の世界では観念
が、未だに泡期の状態を脱していません。絵画技術の審査は規
模も考慮すべきですが、芸術表現の審査は別でしょう。
やむを得ず、あるいは義務として、省資源に取り組む暮らしは
情けないです。我々迄は浪費三昧、これからの世代は「我慢し
なさい」ですと「ぷらねたりうみずむ」に過ぎますが、大規模
集中や大量消費より優れた「感覚」の、生活様式もなくはない、
そう思っています。
※
桐生の煉瓦蔵で戴いた筍、帰宅した時は湯気が上がっていまし
た。瑞々(みずみず)しく、とても美味しかった。
明るい壁面に、街並みや草花を描いた小品を、真っ白な額縁や、
銀地に藍の滲んだ額縁で装い、掛けてみますと幸せでしょうね。
我が家では、経済的、光線的、跡片付け的に不可能ですが。
壁には、父の旅先の絵を、母の孫娘の絵を、妻の我が児の絵を、
子の卒業制作の絵を掛けたいです。どの壁面も家族家族になる
のはチョットですから、本職の原画も、お花を買うような気安
さで買えたらなあ〜。
傑作の鑑賞は百貨店と美術館。しかし特別展の混雑を考えます
と、出かける勇気が湧きません。描けないのです「旅」を。懐
かしさが湧きません「廃墟の二人」の。
巨匠の作品はお金を溜め、常設の美術館へ出かけます。それが
無理でも、雑踏の大作より美しい小品が無数にあります。本職
の絵描きさんは、百号の自己主張だけでなく、思い出の扉も商
って欲しい。
※
テレビを見なくなりました。その見ないテレビを、国が何処へ
行くのか心配でしたので、久しぶりに見て、再び同じ想いを味
わいました。ある番組では政治家が討論していました。別の番
組では同じ政治家が質問していました。国会中継はラジオで聴
きます。議員の発言や専門家の話はラジオが好きです。専門家
とは政治評論も経済評論も学問を修め、しかも実務と現場に通
じている人。
一人残らず壇上から降りて欲しい、とついそう思ってしまいま
すが、昔の色分けですと体制側と言ってよいのでしょう、前々
から気になっていた(共感している)ある政治家が史実に則し
て(歴史を知らない私ですから多分ですが)法案の不備を指摘、
対案を提出すると発言していました。
壇上の皆さんは、歴史をどこまで真剣に学んだのでしょう。場
内は水を打ったように静まり返っていました。危ういですね、
国会も寡占媒体も一部を除いて、歴史の勉強に手を抜いて世の
中を動かしている? 俄(にわか)勉強で足りるほど、過去は軽
くはないと思います。過去に生きている筆者を哀れむ人もいま
すが、過去は私には大切です。過去を「借景」と置き換えてみ
て下さい。借景を過去に置き換えるのではありません。
一つは住環境の借景。
一つは今を生きる心の借景。私の場合は絵の好きな暮らしの借
景。以前の随想では「踏踊の扉」と表現しました。
一つは時間軸の継ぎ目の借景。
三番目の借景がいわゆる過去。
哀れまないで下さいね。過去の借景も、法律や、予算の優先順
序や、開発の基準を左右するほど重いのですよ。三つの借景の
うち二つの居場所は、一人一人の中にしかありません。
※
関宿(せきやど)水閘門(すいこうもん)
利根川と江戸川の分派点、江戸川の流頭部
|