────────────────────────────
クリスマスの季節 −208−
────────────────────────────
上は我が家の雛人形
雛段はティシュの箱を並べました
我が家に段飾りは合いません
下は隠し児か隠し孫に間違われた人形です
今年一月の伊豆のお土産
脇にクリスマスの飾りが二点
右端は私が母に贈ったカード
ツリーはカミサンが近所の量販店で買い
日曜の昼食会で母に贈った木製
母曰く
マイケル君を置いてから
この部屋に入るのが嬉しくなりました
ツリーも思った以上によいのです
マイケル君と一緒に
勇気を与えてくれます
昔の今 昭和二十年代? 千葉県市川市
デージーの路地
電車での通園通学時は
この線を利用しました
道は南北、西側の建物
東側の店にも活気が
S先生が校長の時代も
南から陽射しは床屋も
床屋の向かいで下駄を
○○パン店が何処かに
昔はこの辺に同級生宅
交番の近くに駄菓子屋
平屋の甍(いらか)
昔の我が家の南側の家
昔の我が家はこの奥
省線は平屋の駅舎
駅前に輪タクの列
傘を抱え
駅まで迎えに行きました
はためく幌(ほろ)の響き
私鉄の駅から街道まではデージーの路地
七五三姿も通りました
今はJRと私鉄の間に地下鉄の駅
当時の繁華街は「道は南北」の通り
真っ直ぐ北に進み、西に折れるとS先生のお宅
そのずっと手前、履き物屋さんの少し先で東に折れると
肥桶(こえたご)を並べた荷馬車が通うドブ川の路地
デッコボコ
他になかったので
やむなく買った○○パン店は
ドブ川の道を少し歩いて北へ左折
その十字路を右折して暫く南下しますと
私鉄の踏み切りを渡りJRの駅へ戻れます
幼い頃はこの道がなく
開かれた当時は殺風景な砂利道でした
○○パン店が何処かにと書いた辺りは
現在、道幅の拡張工事
道が縦にも横にも増えて行きます
増えたのは随分昔から
越してからもS先生(我々の仲人)宅にお邪魔
両親もH先生(ご近所、Y医師とご結婚)と往き来があり
一帯の変化は分かっていました
大きな違いは歩けなくなったこと
自動車と自転車が危なくてです
変わらないものもあります
私鉄の踏み切り
とても多いのです狭い踏み切り
なのに多層化を続け
駅に向けた道を整備すれば
住環境はよくなるのですか
幼児は遊べず
高年者が歩けない街に変わっていました
通学もそう
寄り道できる緑は絶無同然
首都圏はどこも一緒
自分だけ功を成せば
その場限りの采配でお茶を濁し
足許の幼児はお構いなしの暮らしの仕組み
それが涙国
|