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クリスマスの季節 −213−
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中川 埼玉県八潮市
中川やしおフラワーパークから
中川の南岸、共和橋西詰近く
釣り、携帯電話、散歩姿に交じって
放し飼いにされた大型犬
吼える犬二匹を繋いだ黒い窓の高級車
立て看板、空き袋、防水布、ゴミ
八条八幡神社 八潮市八條
和井田家住宅 八潮市八條
八潮村に初めて出かけたのは中学生になった頃
ライトバンの助手席で車の天井を押さえながら
綾瀬川沿いの砂利道は凸凹で
車が跳ねると頭が天井にぶつかりました
田畑にレンゲソウ ♪〜
昭和三十年代前半の思い出
我が家で上の子が生まれた年に
両親は住まいを郊外に移しました
田畑と小川のほかは樹木で覆われ
ウシガエルの鳴き声に
母は涙がこぼれたそうです
東京都がもう少し北寄りですと
八潮村も
両親が移った先も
東京都に飲み込まれていたでしょう
都境でも
当時の登記簿には
東耕地、西耕地、後耕地、小作田、兎田などの名
それから何年経ったのでしょう
三郷から八潮に通っていた職長が
中川に架かる八条橋の渋滞に
焦り
時に泣いたことも
今(二千四年三月中旬)も週末
八条橋を西から東に渡るときは
片側一車線の東詰で
下流方向への右折車が道を塞(ふさ)いでしまい
渋滞時の私は
八条橋西詰のずっと手前で
八条橋の南側を通る外環道路下に入り中川を渡り
江戸川に架かる流山橋の渋滞は
流山橋のずっと手前で北へ迂回して
江戸川の土手沿いから橋の際(きわ)へ
三郷ICが渋滞しますと
外環道路下も余波を浴びます←外環道は有料、その下は一般道
外環道路下の開通前は
松戸へ大きく迂回したことも
同じ新線が通る三郷市は
常磐道と首都高と外環道の接点に位置します
幼い子連れで釣りに出かけた当時の大場川は
栄養と釣り具の進みすぎで
小鮒への期待とは裏腹に
鈍い鯉や重い鮒が釣れてしまい味気なかった
ですが田園ののどかさは残っていました
西から東への僅かな距離を
南へ北へとジグザグを続けて幾歳月
関東平野を走っていますと
裏道も脇道も
立派なだけで
車は影も見えない道路が無数にあります
政壇の道路云々には
天上天下解らなすぎでついて行けません
最も解らない箇所は道が道だけの点
和井田家住宅の画像は
現在の八潮市からは到底信じられません
八潮市は東京都に隣接していた田園地帯で
鉄道がなく←新線が通ります
根こそぎに対する古民家古商店からの制御を欠き←流山の今も
工場、倉庫、物流基地、野積みが割拠
区画整理事業では
風土払拭の象徴「緑を冠した住所」も生まれています
共和橋下流の潮止橋は
水元公園への往復に利用します
中川は
潮止橋の下流から東京都へ入ります
私は中川の流れに無関心でした
それが水利権、折衝、過労、入院、手術に続いて
営繕、双肩、二十四時間稼動、深夜の呼び出しを垣間見て
ある時から変わりました
昨日今日は常磐線から
中川西側の広い部分と
中川東側の広い部分が
荼毘(だび)に付されたお骨のように
砕かれ
片付けられる様子を見届けました
西側の広い部分も
経営母体の戦前は上位何十社に入る基幹産業
国、空洞化して草木なし
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