折々の文章


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クリスマスの季節 −218−
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下町の表情 谷中界隈 東京都台東区










 小学校前








 中央左は古い花屋さん









 大正十三年建の文字も
















 谷中霊園の一角

















 日暮里駅前から


神田界隈から車で出かける時は団子坂下を経由
日暮里駅から徒歩で出かける時は朝倉彫塑館前を経由

幼い時にたった一度
お寺に出かけた記憶があります
祖父(母の父親)の納骨の時だったのでしょう
足が痺れてしまいました
その折の読経(どきょう)から
文言の二、三が脳裏に刻まれ
中年になった時
それらの文言に意味が加わりました

当時(昭和二十四年十月頃)
本堂からお墓への苔生(こけむ)した通路は
石畳が歪み
際(きわ)が崩れ
地面の洞(ほら)で見たものは恐らくお骨

それから半世紀余り
谷中界隈は
通勤電車から眺める斜面を除いて無縁でした
谷中のお寺を知ったのは
父の葬儀が終わり
お墓探しが始まってから

母と生前の父は
母の両親と母の兄姉が眠る墓所に触れませんでした
偶々(たまたま)母が親族からお寺の様子を知らされ
今のご住職も我が家の事情をご存知と知り
母は伴侶のお墓を
自分の両親と同じ場所に決めたのです



この一年
市民の死傷者数が明らかにされません
命の重みと死の悲しみは
政壇も市井も同じです
憎しみと死傷を老幼無差別に拡散
根拠の破綻はすり替え答弁に終始
突出による隘路は責任を棚上げ
負担増を合議体に転嫁
暮らしを基盤ごと破壊したまま内へ傾斜

決定者自らが赴(おもむ)く場合
一年前の選択がなされたであろうか
采配者の経歴からは極めて疑問
自らが現場に立ち
花を手向(たむ)け
再建に尽くす誠意を見せて欲しい



祖父の享年は六十四(?)歳、祖母は八十三歳
祖父母の墓石にも
祖父の享年は載っていません
祖父母の墓石にはほかに
祖父が建てた時でしょう
まとめて彫り込んだ十の戒名と
嘉永七年(安政元年)や安政四年(1857年)の日付が見えます
掲載順は不同
不同の意味は判りません
一覧で最も新しい時代は
母の兄が没した大正十一年七月十六日 ←関東大震災の前年
お墓の脇には
母の兄の戒名と
大正十三年に没した母の姉の戒名を刻んだお地蔵さまも

墓地ぐるみ塀で囲われた境内は狭い印象
門をくぐりますと
東に向いた本堂があります
本堂の前を北に折れますと芸術家の碑
その奥の突き当たりが伝統文化の宗家の墓所
すぐ手前に父のお墓
母の両親のお墓も父のお墓からすぐです




 父の両親のお墓 富士




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