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クリスマスの季節 −233−
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新宿御苑 東京都(新宿区・渋谷区)
塀
中学時代は配達車に便乗
新宿、自由が丘、成増、三軒茶屋、平塚などの商店街へ
さらに夏は江ノ島、大磯、伊東の海へ
冬は上越、信州、山形のスキー場へ
多くは従業員の慰安旅行に同行 ←家族旅行は稀
日曜は運転手のOさんと出かけていました
国会議事堂へも ←議事堂前の写真があります
Oさんはずんぐりむっくりした商用車を
ピカピカに磨き上げていました
両親は職住一致と平休一致
父は積極的に車を使わせてくれました
菅野で育ち中学も越境だった私は
問屋街には
梱包のほかは友達も遊び場もなかったのです
自分が決める外出ではなく
多くは兄と一緒
時に住み込み従業員が加わることも
高校時代は様子が一変しました
兄は運動部中心の生活
全国の上位を狙う私立の運動部です
高校までの種目は練習を始めた時期が遅く
大学進学時に種目を替えています
学生時代はスポーツ面に載るまでに
一方、私の高校時代は
家では商品企画を手伝い
外では同級生との交友がすべて
中学時代に出かけた手近な先が豊島園と新宿御苑
新宿御苑は菅野時代も出かけています
昭和二十九年の春休みです ←二十八年の冬かも
制服姿なので遠足と思っていましたが
写っていたのは兄弟だけ
当時の新宿御苑には
電気自動車や飛行機の乗り物も ←写真が残っています
昭和二十九年の春?
上の写真の左半分
塀……?
最初の新宿御苑の印象は芝生と塀です
何で塀がこんなところに?
塀のない新宿御苑があったなら!
関東ムラの密集地にも
素敵な公園が生まれます
戦後も海図が
最初の一歩から無かったのですね
ヒトはいつの時代も
子育てと風土を未来から託されているのです
それが暮らしのすべて
それが美
しもた屋も豪邸も地方も中央も
塀は生け垣に替え
田野の復活と足並みを揃え
次第に低くやがて無用に
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